ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

スズランと十勝海岸の波

2012-06-17 18:40:39 | Weblog
 

 6月17日

 今日は、久しぶりに朝から雨が降っている。
 このところ、朝夕は霧がかかり、日中も低い雲が残ったままで、いまだにストーヴをつける肌寒い日が続いている。ただ、雨になることはなかったから、今日のまとまった雨は、木々や草花にとってはいい恵みの雨になるだろう。
 もっとも梅雨のない北海道と比べて、今梅雨に入ったばかりの内地(本州、四国、九州)では、もう大雨の被害が出ているとのことであり、雨が降るということ一つとっても、時と場所によっては明暗が分かれてしまう。

 ある人にとっては嫌な不快なことが、ある人にとっては楽しく心地よいことにさえなるし、またある人にとっては、悲しくて涙を流すほどのことなのに、ある人にとっては、それがうれしくて笑い出してしまうことかもしれない。
 そんな異なった状況にある人と人とが意見を言い合えば、争いになるだろう。ことほどさように、様々な感情を持った人々の間で生きていくことは難しいことだ。そこではただ、みんなと争いにならないように、適当に折り合って生きていく他はないのだ。

 つまり、争いによりいやな思いをするくらいなら、がまんをして今ある小さな幸せを守るほうがまだましなのだ。そう意識すること、つまり「中庸(ちゅうよう)は徳の至れるなり」という孔子の言葉は、あの争いに明け暮れていた古代の中国にあったからこそ生まれた思いなのかもしれないが、考えてみれば、本来、集団の中で生きていくしかない人々は、いつもそうして自分の我を抑え、巧みに自分の個をいかしながら生きてきたのだ。

 そんな集団生活に耐えきれない人は、未知の領域へと冒険の旅に出るしかなかったのだ。自らの手で望みのものを勝ち取り、人生を享受すべく突き進んだ人々。
 しかし、その彼らのほとんどは旅半ばでむなしく倒れてしまい、ほんのわずかの人々が生き残ったにすぎない。しかし、その試練を乗り越えた彼らによって、そのあくことなき欲望によって、結果的には新しい歴史が作られ、未来への扉が開かれていったのだ。現在の文明社会は、そうした異端者たちによって築かれてきたのだ。

 一方、彼らと同じように集団から離れていったもう一つの異端者たちがいた。彼らには、冒険者たちほどの無謀な勇気と欲望はなく、ただ本能的に争いを避けるために、集団から離れ隠者として生きていく他はなかったのだ。そして、常に人間としての自らに対峙(たいじ)しては問いかけたのだ。生とは何か死とは何かと。
 しかし、そうした彼らは異端者でありながらも、実は内にこもる人生享受派たちだったのだ。何という両極端な生の姿だろう。
 
 99%の社会集団派の人々と、1%の二つの異端者たち。私は、そのいずれにも属さず、そのいずれにもほんの少しずつかかわってきた。だからこそ、今にして思うのだ。すべてに良しとすることなどありえないと。
 何でも、他人と同じようにある必要はないのだ。どこに属していなくても、どこにいようとも、どのように生きていようとも、他人の迷惑にならないならば、自分で苦しみ楽しむのならそれでいいじゃないかと。
 ミャオと同じように、ただ自分が今いるところを受け入れて、納得して生きていけばいいのだ。一人でいることは、もともと一人の小さな個性ある人間でしかないの私には、まさに相ふさわしいことなのだ。

 年寄りになっていくということは、自分の力の及ばないことを認め、つまりあきらめの領域が広がっていくことであり、そこでできないことを悔やむよりは、一転、開き直って考えてみれば、今あることだけで十分ではないかと気づくのだ。
 そうか、これでいいのだ・・・、ボンボン、バカボン、バーカボンボンとくらあ。

 ここまで、なぜにどうでもいいような意味のないことをぐだぐだ書いてきたかというと、二日前には、前日からの予報通りに、全北海道的に晴天の素晴らしい天気になったのに、私は山に行かなかったからだ。朝少し遅く起きて、のんびりと午前中を過ごし、午後になってからようやく、その山の埋め合わせにと、海を見に行ってきたからだ。
 その自分への言い訳は、今の時期に登りたい北海道の山にはもうほとんど登っているし、ぐうたらになった今では、自分の体力を考えあわせてどうしても行きたいほどの山はないのだ。
 さらには、もう一つの別の楽しみがあるからだ。私は今、例のフィルム・スキャン作業に夢中になっているのだ。

 スキャナーを使ってフィルムをデジタル・データに変換して、それをパソコンの画面に大きく伸ばして見る。あの時の山の思い出が、写真の鮮やかさとともによみがえってくるのだ・・・、作業時間はかかるけれど。
 若き日に撮った古い35mmネガフィルムもそれなりに見られるし、まして645の中判フィルムには、デジタルにはない温かい色の鮮やかさがあって、うー、たまらん。

 それにしても、今取りかかっている、12年前の春先から今の時期までの山行記録フィルムを見ると、我ながらに感心するほどだ。

 4月24日 日高山脈 野塚岳西峰(トンネル口から直接尾根に取りつき冬山と変わらない雪庇の稜線へ)
 4月30日 日高山脈 広尾岳(雪の尾根をたどり6時間かけて登る)
 5月17~18日 日高山脈 芽室岳、1726峰、ルベシベ山(雪の尾根をたどり1726峰にテント張る)
 5月25~26日 日高山脈 十勝幌尻岳、1710m南尾根(雪の頂上にテントを張り雪稜をたどる)
 5月30日 石狩・音更連峰 十石峠、1680m点(十勝三股側から雪面を登り音更山途中まで)
 6月12日 日高山脈 ニシュオマナイ岳 (沢登りから残雪の谷をつめて)
 6月17日 ニペソツ・ウペペ山群 丸山 (簡単な沢登りから尾根の踏み跡をたどる)

 (いずれも単独行であり、当時は登山道がないかほとんどは雪で埋まっていた。すべて天気は晴れ。)

 それが今では寄る年波には勝てず、加えて元来のグウタラな性格ゆえに、山には1か月に一度行くくらいになってしまった。
 その分、こうしてパソコン画面で昔の山をしのびつつ、それでもやはりどこかには行きたいからと、山がだめなら海を見に行けばいいと、久しぶりに海に行ってきたのだ。

 今まで何度も書いてきたように、海か山かと言われれば、絶対的な山派である私だが、もちろん海が嫌いなわけではなく、泳ぐのは得意であり、九州の海の沖合2、3キロくらいは平気で泳いでいたほどである。
 たださすがにこの北海道の海で泳いだことはないのだが、若いころのバイクやクルマによる北海道旅行で、その海岸線のほとんどを見て回っているから、北海道の海の良さを幾らかは知っているつもりだ。
 その中でも特に印象に残っている所をあげれば、まず海を隔て利尻山が見える礼文島の海岸線、次に稚内(わっかない)から浜頓別(はまとんべつ)にかけての北国の寂寥(せきりょう)感漂う海岸線、さらに流氷に埋め尽くされる知床の宇登呂(うとろ)側と知床連山の眺めが素晴らしい羅臼(らうす)側の海岸線、そして積丹(しゃこたん)半島の鮮やかな海の色などだが、最後にあげたいのは、数十キロにも及ぶここ十勝の海岸線の景観である。
 
 この海岸線は、南の広尾から始まる十勝ドーバー海岸とでも呼びたい海岸段丘の連なりが、延々と北の昆布刈石の先まで続いていて、その間の切れ目となる所々には、時々海とつながる湖沼群の長節(ちょうぶし)沼、湧洞(ゆうどう)沼、生花苗(おいかまなえ)沼、ホロカヤントーなどがあり、あわせて海からの海霧が吹きつける冷涼な環境から、高山植物を含む原生花園がいたるところに見られる。
 草花や野鳥を見るために、そして海を見るために、私は年に二三度はこの十勝の海岸に向かうのだ。
 
 海から風が吹きつけていたが、いい天気だった。海岸線の伸びて行く先のほうに、日高山脈南部の山々が淡いシルエットになって見えていた。
 手入れされていない原生花園は、雑草の侵入が激しくもう昔のお花畑は見る影もない。
 赤いハマナスの花や黄色いエゾカンゾウの花は、やっと咲き始めたばかりで、昔あれほどの群落を作っていたヒオウギアヤメの花も、ほんの幾つかを見ただけだった。
 砂の橋から段丘の原野に上がると、そこにはガンコウランのカーペットが広がり、眼下に白い波が洗う海岸線を見渡すことができる(写真下)。
 誰もいなかった。夏毛のキタキツネが一匹、近づいてきて、私を見てまた離れて行った。

 さらに、向こう側に広がる湿原湖沼まで歩いて行った。沼の周りのアシ原をかき分けて行くと、ノビタキやセッカが飛び出してきてしきりに鳴いていた。近くの巣には、抱卵(ほうらん)中の卵かヒナがいるのだろう。
 それにしても、やはり花の季節には少し早すぎたのだ。
 しかし、その時、あたりからいい香りがしてきた。足元を見るとスズランが咲いていた、それも他の草との間にまぎれて群生していたのだ。

 このスズランは、今の時期の北海道ではいたるところに咲いていて、私の家の周りにもたくさん群生しているし(写真上)、先日その花を幾つかを採ってきて花ビンに挿している。北海道ならではのぜいたくだ。
 この原生花園では花を見るには少し早すぎたけれど、家の周りは今、一年で一番花の多い季節を迎えているのだ。庭のチゴユリや豪華なレンゲツツジにライラック、林のふちに咲くスズランやヒオウギアヤメ、エゾカンゾウ、林の中のベニバナイチヤクソウやツマトリソウなどである。しかし、私はそれらの花々を最近は見逃していたのだ。
 というのも、今の時期に私は、ミャオに会うために九州に戻っていて、さらにもう一つの目的でもあった九重の山のミヤマキリシマ(’09.6.10、14,17の項参照)を見に行っていたからだ。つまり、ここでいいものを見ることができれば、そのために他のものは見られなくなるということだ。

 さて、帰りは、大きな波が打ち寄せる段丘下の砂浜沿いに歩いて行った。
 火山灰の黒い砂浜に、波の泡が毎回違う白い模様を作っている。私は、しばらく立ち尽くしたまま、寄せては返す波を見続けていた。
 沖からうねりが高まり、波となって浜辺で砕け落ち、その泡が勢いのまま白い模様となって波打ち際を駆け上がり、届いたところで勢いを失い一気に引いていく。
 その時に、輝く引き波の後から浜辺の湿った砂が順次に乾いていく、その瞬時の模様の、格調ある美しさ。

 波は、白波を立てた絶頂の時、その一瞬だけが美しいのではない。その波が消え去るつかの間に、砂浜に残した一瞬のきらめきの中にも美しさはあるのだ。
 二度とは見ることができない、その時だけの紋様の数々。誰に記憶されることなく続いていく、時の流れ。今生きている私たちから見れば永遠と呼ぶにふさわしい、自然の中での繰り返しが続いているのだ。

 なあに、みーんな、ちいせえ、ちいせえことだ。私たちの悩みなど、あの泡ひとつにも値しない、つまらないことにすぎないのだ。ミャオ、私はまだ元気で生きているぞ。