ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

チューリップと「老年について」

2012-06-03 17:59:42 | Weblog
 

 6月3日

 朝夕は霧に包まれ、日中も低い雲に覆われていて、暦の上での夏とは思えない寒さである。気温は、昨日今日と朝は5度まで下がり、日中でも10度にも達しないないほどだ。
 それでも暑いよりは寒いほうが好きな私だから、そのくらいでは気にならないし、むしろこんな天気だからこそ薪(まき)ストーヴでお湯を沸かすことができて、高いプロパンガス代を節約できるというものだ。

 それで、煮物料理を作った。友達からもらっていたジャガイモと、家の周りにいくらでもあるフキを採ってきて、それぞれを煮るのには、ストーヴで沸かしたお湯を使う。しかしストーヴは、シチューなどをことこと煮込むのにはいいが、煮物を早く仕上げるのには向いていない。
 そこでこの時は、ガスコンロで数分間煮込んで、火を止めた後に鍋を下におろし布にくるんで1時間ほど放っておくと、ジャガイモもフキもやわらかく煮えている。後はさつま揚げやワカメなどを小さく切って入れ、しょうゆや砂糖などで味付けして、ひと煮立ちすれば出来上がりというわけだ。これで数日間の夕食のおかずになる。
 他には、家の周りにあるコゴミでおひたしを作って、その上にカツオブシをたっぷりとかけ、北海道のおいしいお米、”ゆめぴりか”の熱いご飯で食べる。
 ひとり暮らしで、無精者の私にできる数少ない料理の一つであり、この時期限定の料理でもある。それはグルメなどとは縁遠い、私の貧しく幸せな夕餉(ゆうげ)のひと時なのだ。そして、ミャオがそばにいれば、もっとよかったのに・・・。

 それまでは、晴れて暖かい日が続いていた。気温は毎日20度以上までも上がり、外で草取りなどの仕事をしていると、すっかり汗をかいてしまうほどだった。
 家の庭は、人様にお見せできるほど意匠(いしょう)をこらしているわけではなく、まともな手入れもしていないから、ただの広がりのある庭にすぎないのだが、晴れた日には、そこに咲くチューリップやシバザクラが美しい。
 しかしシバザクラは、最初からはっきりとした境を作って植え込まなかったものだから、芝生と混じってそれぞれ相競うありさまだし、チューリップも、花の後、球根を掘り上げているわけでもなく、植えっぱなしだからよくはないのだが、それでも毎年、あちこちで100本近い花を咲かせてくれる。
 ただ私がチューリップにしているのは、花ビラが広がりもう花期が終わりになったころに、花ごと花房を切り取っているくらいのことだ。放っておけば花房で種が作られてしまい、来年花を咲かせる球根の栄養分が少なくなってしまうからだ。
 自然のままにしておくことと、次の季節のことを考えること、いずれも同じ生き続けることなのだが、それぞれに意味するところは大きく違うのだ。次世代のために考えること、それは人間の社会とて同じことだ。

 このところ何度も話にあげてきた(3月31日の項など)、中村医師の『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中でも言われていたことだが、人々は老年に達したならば、次の世代に道を譲ることなどを考えなければならない。つまりそれは、いわば「次の世代に役立つように木を植える」ことや、自らの来たるべき死をもって教えるべきことなどを、おいおい考えていかなければならないということだ。
 私は、母の死とミャオの死でいかに多くのことを学んだことか。
 もちろん、それは老人無用論とかいうのではなく、むしろ豊かな経験を持つ老人こそが、青春の悩みの最中にいる若者たちに、幾らかの生きるためのヒントを与え、また示唆(しさ)することもできるということだ。

 むろん、それが差し出がましいお説教なっては若者の反発を招くだけだし、と言って若さのゆえの独断的な激情に身を任せて、己の道を誤るような若者を放ってはおけない。そうした時に、冷静に考え直させる機会を与えることができるのは、落ち着いた老人たちの言葉なのだ。
 見て見ぬふりこそは、まさに保護者遺棄の罪に他ならないことだ。古来、老人たちは、そうした奔馬(ほんば)のごとき若者たちのたけり狂う思いを鎮めるために、語り聞かせてきたのだ、己の豊かな経験をもとに。

 古代ローマ時代に生きた政治家であり哲学者でもあったキケロー(BC106~BC43)は、自分の少し前の時代に生きた名政治家であり著名な文人でもあった大カトー(BC234~BC149)が、次の世代を担うべき若者たちの問いに答えて語る対話編の形をとって、『老年について』(原題『大カトー』)という一文を書き上げたのである。

 「人生の各部分にはそれぞれの時にふさわしい性質が与えられている。少年のひ弱さ、若者の覇気(はき)、早安定期にある者の重厚さ、老年期の円熟、いずれもその時に取り入れなければならない自然の恵みのようなものを持っているのだ。」

 「私とほぼ同年の男が常日頃からなんということで嘆いていたことか。いわく、快楽がなくなったとか、・・・。ところが私は不平のない老年を送る人をたくさん知っている。そういう人は欲望の鎖から解き放たれたことを喜びとしている・・・。すべてのその類の不幸は性格のせいであって、年齢のせいではない。」

 「農事の楽しみは山ほど数え上げることができるが、・・・老人にとって、これほど心地よく陽だまりや火の周りで暖をとれる所があろうか。あるいは逆に、これほど爽快(そうかい)に木陰や流れで体を冷やせる所があろうか。」

 「だから若者は、武器を馬を槍を、木刀とボールを、狩りと競争をわがこととするがよい。・・・われわれ老人には、そんなものがなくても老年は幸せでいられるのだから。」

 「しかし留意しておいてほしいのは、青年期の基礎の上に打ち立てられた老年だということだ。」

 「死というものは、もし魂をすっかり消滅させるものならば無視してよいし、魂が永遠にあり続けるところへと導いてくれるものならば、待ち望みさえすべきだ。」

 「やはり人間はそれぞれふさわしい時に消え去るのが望ましい。自然は他のあらゆるものと同様、生きるということについても限度を持っているのだから。」

 (以上、『老年について』キケロー 中務哲郎訳 岩波文庫より)

 若いころに一度読んだはずの本(『老境について』岩波文庫)だが、この年になって読み返して初めて読むように気づいたのだ。なんという見事な死生観だろうと。それも2100年も前に生きていた人の言葉なのだ。
 私がこれまで、このブログの中で取り上げてきた偉人たちの言葉と何ら変わることなく、それよりははるか以前に考えられていた言葉なのだ。
 私は前にも、近代や現代の偉人たちの言葉は、すべてギリシヤ・ローマ時代、もしくは古代中国、古代インドの時代に語られていた言葉であると書いたことがあるが、ここではまさしくその一端を見る思いがしたのだ。
 私が老年に至るまでにはまだ間があるとしても、いたずらに死を恐れぬ老年を送るためにも心に留めておきたい言葉の数々である。

 もう一つ、このキケローと共に語られることの多いセネカについては、その著作物が多くあることも含めてここで簡単に取り上げるわけにもいかず、また機会を改めて少し書いてみたいと思う。
 ギリシヤ時代のストア学派、対極にあると思われていたエピクロス学派、そしてこのローマ時代のキケローとセネカ(BC4頃~65)、古代中国の老子と荘子、さらに古代インドのブッダの言葉など、まだまだ学びなおすべきことは余りにも多く残されているのだ。
 上にあげた『老年について』の中で、ソローン(~BC560)が言った言葉として書かれているように、これからも私たちは「毎日何かを学び加えつつ老いていく」のだろう。


 こうした倫理学的な話をした後で、現代文明にはまり込んだ現実的な自分のことを書くのは気が引けるのだが、数日前に、私は大枚をはたいて新しいパソコンを買った。
 それまではXPのパソコンを5年間使っていたのだが、少し挙動不審なところが見えてきて、壊れる前にと新しいパソコンを買ったのだ。
 それにしても、素晴らしい。CPUにメモリー、HD容量などの数字は望みうる最高に近く、なんと軽快に動くことか、いやそれ以上に、IPSパネルによるモニター画面の鮮やかさ・・・、今までのデジタル・カメラの写真がまるで新しく鮮やかになったように見えるのだ。
 もちろん、プロの写真関係の方々やハイ・アマチュアの人々にとっては、パソコン画面とは別の高性能のモニター画面は、デジタル写真編集用として当然の必需品だったのだろうが、いつも時代遅れで新しい物事に気がつく私にとって、それは最近初めて見たiPadのような驚きだったのだ。
 ともかくこれでまた、昔の山の写真をひとりニヒニヒと薄笑いを浮かべながら見直すことができるかと思うと、たまりません。あーあ、生きててよかった。


 今日も一日中、寒い曇り空だった。しかし、気象衛星写真で見ると平野部は白い雲に覆われているが、山脈・山地の部分は黒くあるいは残雪の白ではっきりと浮かび上がっているのだ。
 つまり山の上は、快晴の空が広がっているはずだ。うー、山に行きたい。