ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(117)

2010-09-18 18:39:45 | Weblog



9月18日

 拝啓 ミャオ様

 ようやく、秋の気配が感じられるようになってきたけれども、ミャオは元気にしているだろうか。長い間、このブログで近況を知らせることもせずにいて、申し訳ない。

 5日前のあの日の朝、オマエはいつものように、私の部屋の布団の上で寝ていた。そのオマエの体を抱きかかえて、玄関から外に出した。外は、霧雨が降っていた。
 オマエはけげんそうな顔で私を見つめ、それでも裏側からベランダのほうに上がり、皿においてあった二切れほどの魚の臭いをかいでいた。
 許せよ、ミャオ。私は、もう後も振り返らずに、ただひたすらにバス停への道を歩いて行った。霧雨にぬれながら。

 これからしばらくの間は、いつも来てくれるおじさんからエサをもらって、他のノラネコやカラスたちに、時々横取りされたとしても、何とか生きのびて行っておくれ。寒くなる頃には、ちゃんとまた、オマエの元に帰るから。

 それは、何度繰り返してもつらい別れの時であり、しばらくの間は私の頭から離れないのだ。オマエの寝ている時の姿や、サカナをねだる時の顔や声が。
 そして、戻ってきた北海道は、さすがに涼しくなっていた。飛行機を降りて、外に一歩足を踏み出した時に感じる、北海道は十勝の大気の、何ともやさしい肌ざわりは、やはり、いいなあと思う。
 しかし、家の周りは、わずか三週間ほどですっかり草が伸びていた。またこれから、草取り草刈りの作業が始まるのだが、そこはそれ、あの血に飢えた蚊たちが、飼い主であるメタボおやじの帰りを首を、いやその吸血管を長く伸ばして待っているのだ。
 一度、10度ほどに冷え込んだ日もあったが、それ以下になってくれないと、蚊はいなくならないので、なかなか作業がはかどらないのだ。

 その他にも、やらなければならないことがいろいろとある。例えば、高い山では、もう紅葉の時期を迎えていて、タイミングを逃すと盛りの時を見られなくなってしまうのだ。
 今後、一週間の天気予報は余り良くなかった。こちらに帰ってきてから数日は天気の良い日が続いていて、二日前の晴れの日は最後のチャンスだった。
 
 大雪山の紅葉は、毎年欠かさずに何度も見ているから、今では、もう昔ほどの早起き一番という気迫はなく、日が昇った後になってようやく家を出た。
 十勝平野はずっと曇り空の下だったのだが、分水嶺の三国峠のトンネルを抜けると、まさしく劇的に景色が変化した。雲ひとつない青空の下に、くすんだ秋色の大雪の山々が見えていた。
 ひとり、クルマの中で奇声を発して、気分は高ぶってくる。ロープウエイ、リフトを乗り継いで黒岳六合目の登山口を出たのは、しかし、もう9時に近かった。
 
 途中の、山腹のウラジロナナカマドなどの色づきは、まだ少し早いこともあってか、赤というよりは橙(だいだい)色に近く、さすがにこれは今年の暑さの影響だろうかと心配した。
 しかし、黒岳(1984m)頂上にたどり着き、そこから眺めた景色は、残雪がいつもよりは少なくなっていたが、それでも、ハイマツの緑と様々な赤色が織り成す模様が、今年も変わらずにきれいだった。
 人も数人ほどいただけで、多くはなかった。周囲には雲が押し寄せてきていたが、頭上にはまだまだ十分に青空が広がっていた。

 黒岳頂上から下りて、雲の平の溶岩台地を歩いて行く。右手には、桂月岳(1938m)、凌雲岳(2125m、写真上)、北鎮岳(2244m、写真下)と、溶岩ドーム、トロイデ型の山々が並び、左手には、お鉢平から流れ下る赤石川をはさんで、烏帽子岳(2072m)、北海岳(2149m)の山々が見えている。
 何よりも、もう遅いかもと心配していた稜線の紅葉が、暑い夏だったにもかかわらず、今年もまたきれいに色づいていたことが嬉しかった。
 チングルマ、ウラシマツツジ、クロマメノキの赤と、ミネヤナギの黄色、そしてウラジロナナカマドの橙色が織り成す模様の道を、ひとり静かに歩いて行ける幸せ。行きかう人も少なく、さわやかな風が吹き渡っていた。
 
 私は、何度も立ち止まっては、心ゆくまで辺りの景色を眺め、カメラのシャッターを押した。
 それにしても、私はなぜに、毎年、こうも似たような秋の風景を、写真に撮り続けるのだろうか。このブログに載せる写真は、あくまでもそこに書いた文章の説明のための一写真でしかないのだが。
 本来ならば、それは私のためだけの写真、つまり眼前の光景が時の流れで色あせてしまわないようにと、その一瞬を切り取ったもの さらに言えば、他人に見てもらうためにではなく、自分の記録に残すためだけの意味しかないのだ。
 他人に見られることを意識しないゆえに、写真としての芸術性はないし、写真を撮るための基本さえもおろそかである。例えば、ブレないシャープな写真を撮るための基本でもある、三脚は使わないし、カメラの露出補正や構図なども深くは考えていない。
 つまりカメラまかせで、自分が歩いて行く途中の景色をそのまま撮っているだけにすぎない。写真は私にとって、あくまでも個人的な行動の記録としての物でしかないのだ。

 毎年同じ場所で同じ時期に見る風景にしても、それは決して同じではなく、そこにある微妙な差が、薄れかかっていた前の記憶とは別の新たな感動で、私にカメラのシャッターを押させるのだ。
 さらに、今ではもう殆んどの北海道の山には登っているから、さほど有名でもない、初めての山をめざして出かけて行くのは面倒になり、今まで登った中での、ベストの地点を繰り返し選ぶだけになったからだろうか。

 前にも書いたことがあるのだが、私が2歳のころに撮られた一枚の古い写真がある。
 若い母に抱かれて、私は手におもちゃを握っている。白黒の写真だが、私はその木のゾウのおもちゃをはっきりと憶えている。
 淡い水色の地色に所々うす赤いぼかしの円形模様が入っていて、大きな耳と長い鼻の頭の部分が少し揺り動き、4本の足の所には車輪が取り付けられていた。そのおもちゃは、確か小学生の頃まで手元に持っていたはずだ。
 殆んど忘れていたそのおもちゃを、母が大切に持っていてくれたその写真によって、私は思い出したのだ。そして、それに付随する様々な断片までがよみがえってきた・・・。

 それは自分の記憶にないものが、既視感(きしかん、デジャヴー)として現れるのではなく、潜在していた記憶が一枚の写真をもとに呼び戻されるということだ。
 もちろん写真に写されたすべてのものが、ありのままの真実かどうか疑わしい場合もあるが、少なくとも自分の記憶を探る手段としては、書かれた文字による日記などと伴に、かなり正確に自分の過去を示していると思う。

 最近、はやりの脳科学の分野であるが、先日、NHKの「ためしてガッテン!」でやっていた、認知症の改善策としてのその方法は、目からウロコ的に素晴らしいものだったし、ある意味で、やはりそうだったのかと納得できるものでもあった。(再放送23日朝、NHK・BS2)
 心や精神をつかさどる脳については、私たちが知らないことや知ってはいても軽んじていることなど、まだまだそこには、素晴らしい可能性を秘めた、人間の生き抜こうとする力の根源ががあるに違いない。
 ミャオがひたむきに生きようとするように、同じ動物である私たち人間の体の中に、心の中にもあるはずなのだ。

 そこで、思い出すのは、もうずいぶん昔のドキュメンタリー番組のことである。
 交通事故などで寝たきりの植物人間に近い状態になった患者を、見捨てることなく、日々の呼びかけによる絶えざる努力で、少しずつその患者の意識を取り戻し、日常生活ができるようになるまでもと目指した記録であった。
 それは、ある神経外科病院の看護婦長他による、患者個々に深く入り込んだ看護治療であり、当時の画期的な方法にも思えた。

 患者に残された小さな意志を信じて呼びかけていくこと、それは、手術や薬に頼る現代西洋医学だけではなく、直接患者に向き合う心理療法的な看護によって、回復の可能性があることを教えてくれた素晴らしい番組だった。
 つまり今回の番組とあわせて考えれば、そこでは、外科、内科的な治療方法が最終的なものではなく、このような処方箋(しょほうせん)が、様々な心の病にも適応できるかもしれない、ということを私たちに教えてくれたのだ。


 一枚の写真の記憶の話から、少し話がそれてしまった。
 さて、大雪山は雲の平の紅葉を眺めながら、お鉢(はち)展望台に上がり、さらに登って、旭岳(2290m)に次ぐ高さの北鎮岳の頂に立った。
 しかし、今やこの大雪山の周りには、十勝平野側と旭川、富良野の盆地側からそれぞれに雲が押し寄せてきていて、楽しみにしていた旭岳や裾合平、そして比布岳(2197m)、愛別岳(2112m)などの姿も雲の中だった。
 ただ、このお鉢平の巨大な火口の周りの山々は、それらの雲の流れをせき止めていて、頭上に広い青空を残していた。

 北鎮岳からまた来た道を戻り、同じ紅葉のいろどりを楽しみながら、雲の平から黒岳へと登り返した。頂上は、札幌の中学生たちの学校登山でにぎわっていた。
 リフトとロープウェイで層雲峡に戻り、温泉でゆっくりと汗を流し、途中で久しぶりに友達の家を訪ねていろいろと話をした後、夜の長い道のりを家へと帰って行った。

 それは6時間ほどの、のんびりとした高原歩きを楽しんだ登山だったから、今になっても余り筋肉痛は残っていない。その上、下界は曇り空だったのに、ちょうど私が歩いた所だけは晴れていて、稜線の紅葉も十分に楽しむことができたし、途中しばらく山の話しをしながら歩いた道連れもいたし、良い登山だった。
 
 ミャオにかあさん、お二人のおかげです、ありがとうございました。私めは、何とか、しっかりと生きております。

                      飼い主より 敬具