ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(158)

2010-09-11 18:06:45 | Weblog



9月11日

 ワタシは、飼い主が戻って来てしばらくの間は、居間のソファの上で寝ていたが、この2週間は、一日中暗くしてある飼い主の部屋で寝ている。

 この家は、居間の他には二部屋しかなく、飼い主は、クーラーのきいた元のおばあさんの部屋の方で寝ている。ワタシは、クーラーの風に余りなじめなくて、その上に、時々、蚊取り線香の匂いもするから、とても長く寝ていられる場所ではない。
 飼い主の部屋の方は、暑い夏の間は窓を閉め、厚いカーテンで閉め切ってあるから、じっと寝ているだけならさほど暑くもなく、暗くて静かで良い所だ。どうかすると、夜から午前中のほとんどをその部屋で寝て過ごしている。

 飼い主が言うには、ワタシは人間でいえば80歳を過ぎたおばあちゃんネコだが、ワタシ自身はさほど自分の年齢を気にしたことはない。
 それは自分の年齢を指折り数えるにしても、肉球の周りのツメの伸びた指を、一本ずつ折り曲げるわけにはいかないから、5歳以上の年の数は私にはわからない。
 年寄りネコだから、もう老い先が短いから、そう寝てばかりいては貴重な時間がもったいない、というかもしれないが、無駄なエネルギーを使って疲れてしまい、命を危(あや)うくするよりは、長く寝て、穏やかに暮らし、体力を温存していたほうが、長く生きるためには良いことなのだ。
 それは、人間にしても同じことだと思う。つまり、赤ん坊は、これから生きていくために長く眠り、年寄りは、これからも生きていくために長く眠るのだ。

 ただ、最近気になることがある。飼い主が、ワタシのエサをねだる鳴き声にこたえてくれて、今までは夕方の一回だけだったサカナを、朝にもくれるようになり、さらに夜食というべきか、夜にもカツオブシをひと握りくれるようになったのだ。
 時には、猫なで声でワタシを呼んで、何か話しながらやさしく体をなで続けている。これは、もしかして、また飼い主が姿をくらます前ぶれなのかとも思うのだが・・・。


 「日中の暑さは、まだ続いているけれども、朝は少し涼しくなってきた。
 思えば、前回の山登りからすっかり間が開いてしまった。この暑さだから、とても山に登りたくはない。しかし体はなまるし・・・。

 そこで、気温19度の朝早いうちに家を出て、歩くことにした。見晴らしのよい高台の所まで、標高差100m余り、30分ほどの坂道の登りである。
 道の途中には、何本かのサルスベリ(百日紅)の木があって、青空を背景にその赤い花が鮮やかだった。(写真)
 このサルスベリの花は、離れた町までクルマで買い物に行く時にも、あちこちで見かけたし、またこの暑い中咲いている花も少ない時に、ひときわ目立つ花なのだ。

 『炎天の 地上花あり 百日紅』 (高浜虚子) 

 夏に咲く木の花でいつも思い出すのは、あの富山は立山駅周辺でいつも目にしていた、ネムノキの明るい薄紅ぼかし色の花と、九州でよく見かけるこの赤いサルスベリの花である。しかし、去年咲いてくれた家のサルスベリは、今年は花をつけてくれなかった。
 時には、私とミャオが水溶液肥料をかけ与えているのだが、やはり、母が元気だったころ言っていたように、生こやしは効かないのだろうか。(’07.12.31の項)

 しかし、九州の山の中では、サルスベリの名前の由来にもなった、同じ薄い赤褐色のつるつるした木肌をした、ツバキ科のヒメシャラの木があって、それもサルスベリと呼ばれていてまぎらわしい。
 それにしても、夏の暑い盛りに花芽を次から次に出して、百日近くも咲き続けるサルスベリは、この時期には欠かせない花である。

 その花を見ながら、坂道を登って行く。さすがに久しぶりで息が切れる。ようやく見晴らしの良い台地の端に出る。辺りにはイワツバメが飛び交い、遠くの山までくっきりと見えている。
 風がさわやかに吹き抜け、足元のススキの穂が揺れている。いくら暑い日が続くといっても、終わらない夏はないし、秋という季節も来るはずだ。
 下りは、別の道を通って下りてゆく。草原の斜面には、盛りを過ぎたヒゴタイの丸い花が幾つも風に揺れていた。

 一時間余りの、良いウォーキングだったのだが、翌日になってたったそれだけの歩きで、脛(すね)のあたりに筋肉痛が出ていた。それで、その痛みを長引かせないためにもと、さらに仕事のことで少し思い悩むこともあって、今日もまた同じコースを歩いてきた。

 そして、一時間、坂道を登り下りして歩き続けることで、自分がつらく考えてていることが、どうでも良いことのようにも思えてきた。少なくとも、私の生きている間、そしてその後も、青空や雲や、山々や、緑の木々たちの姿が、大きく変わることはあるまい。

 つまり、私がたどるべき道は、それらの自然や、ミャオの生き方と同じことだ。そのままに、生きて行くことだ。
 余分なものは、持たないことだ。そして余分な夢も、持たないことだ。分相応の暮らしの中で、不満を抱かずに生きていければそれでいいのではないか。

 『最初に一つの欲望を消しとめる方が、それに続くすべての欲望を満足させるよりも、はるかにたやすい。』(540)
 『この世で最も幸せな人は、わずかなもので満足できる人だから、その意味では、幸福になるために無限の富の集積が必要な王侯や野心家は、最もみじめな人たちである。』(522)
 (『ラ・ロシュフコー箴言(しんげん)集』二宮フサ訳、岩波文庫より)

 もっともこの、ラ・ロシュフコー公爵(1613~80)は、フランス貴族の中でも名門として知られていて、いわば封建君主国家の支配者側の人間だったのだから、そのことを差し引いて考えなければならない。
 それでも、中には、いかにもフランスらしいエスプリ(機知)のきいた名言が多く、フランス古典の一つとして愛読されているとのことだ。

 それは例えば、こうしてブログに勝手気ままに駄文(だぶん)を書き連ねている、私にも当てはまることだが・・・。

 『年寄りは、悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂(た)れたがる。』(93)

 こうしてフランス人たちは、日常の会話の中に、自分のエスプリを織り込むすべを覚えていき、映画や文学など、彼らの芸術の中にそれらを反映させるようになるのだ。


 ニャーオ、ニャーオ。外に出ていたミャオが、遠くから鳴きながら帰ってきた。
 コアジを二尾、ハサミで小さく切って出してやる。私が、話しかけると、食べながら、フニャーゴ、ニャーゴと返事をする。

 もうそろそろ、今年で三回目(4月19日、6月22日の項)の別れの時が来る。何度繰り返しても、オマエをひとり残して行くのは、つらいことだ。
 許しておくれ、ミャオ。」