このコロナ禍において、一人一人が問いかけられているのだと。
抽象的な話ですが、と思うのです。
現象としては、グローバルなのですが、生活実感としては、パーソナルなのです。
起きていることは全世界的なことなのですが、個人が問いかけられている。
今日、本格的にこの地方にも緊急事態宣言が発令されるので、しばらくは外食を控えねばならないので、焼き肉を食べに出かけました。
焼き肉なんて、一年に3、4回しか出かけません。
鶏肉、豚肉は、お鍋でも、蒸し焼きでも戴きますが、牛肉は混ぜて料理にする以外は食べません。
BBQは別ですよ、って、けっこう食べていました。
それはそうとして、安川通りの、匠や行きました。
お休みでした。
今日から、来月の上旬まで休むそうです。
一月休業なんですね、驚きました。
お客としては、リーズナブルに、近所で、焼き肉を食べることができなくなったわけです。
そこで、下一の、ふらふら歩きながら、某、○車へ入りました。
5時から営業していました、8時までしかできませんから。
話を聞くところによると、匠やさんは、廃業するかもしれない、ということでした。
考え中、ということですね。
よくよく話をきいてみると、それは特別なことではなく、他のそれなりに名前の通っているお店でも、廃業するかどうか悩んでいるところが多いそうです。
マジかと……。
ここ高山でも、深刻な状況が迫ってきているのです。
外食産業が壊滅的な被害を被りつつあるということです。
お土産やさんも、食品の卸問屋さんも、お宿も例外ではありません。
高山は大丈夫だと思っていましたが、そうでもなかったようです。
ということは、日本全国例外はないということでしょう。
事業を行う側も、消費する側も、今までのようにはいかないのです。
例え保証を貰っても、それは本意でないわけで、商売をしたいから始めたわけですから満足はないのです。
で、私たちはどうすればいいのか、ということでしょう。
これからは、何を買いに行くにも、コンビニしか頼りになるところはありません。
よくよく考えると、おかしな話じゃないですか。
街からスーパーがなくなり、焼き肉でも何でも気楽に食べに行くところもなくなり、飲み屋も、今はまともに営業できません。
だから、どうすればいいのかと。
翻って考えるならば、自分はどうしたいのか、となるのではないかと。
こういう社会になったのならば、どう生活していけばいいのかと。
前例がないのですから、自分で考えるしかないわけです。
おまえは何がしたいのだと、なにも何かを行うことだけでなく、普通に生活していくなかで、買い物一つとっても、今までとは違うことが求められているのかも。
極端な生活状況になったのなら、全ては主体的に考えていくのだと。
考えがまとまりませんが、エキセントリックな、曖昧な表現ですが、状況になっています。