にしても、日本戦、こうなるのは誰も筋書きを書けないでしょう、という展開になってしまいました。
もちろん、最初に勝たなければならない、と願い観戦したからですが。
それが負けで始まり、次の一戦は絶対負けられないのだと、でより集中して応援しての、引き分けです。
よけいこんがらがってきた、という実感です。
結果、まだ終わっていないのです。
第三戦を終えるまで、結果は分からなくなってしまったのです。
しかも他のチームの勝敗まで、予選を突破できるかの結果に関わるようになってしまいました。
初戦より二戦目、二戦目より三戦目に重要度が増してきて、必死さも強くなってきたわけです。
どんどん盛り上がっていく。
盛り上がらざる得なくなっているのです。
しかも、試合開始時間が、初戦は日曜日の10時でしたから、誰もが、余裕をかまして観ていたでしょう。
それが、今日は朝の7時になり、一番重要な試合が、朝の5時キックオフになったのです。
段々ハードルが上がっていく。
選手もサポーターも、困難になっていく障害を乗り越えないと、リーグ戦を突破することができないのです。
しかも三戦目は、一番強いチームが相手だと・・・。
どれだけ試練を与えられるのか、という感じです。
一筋縄ではいかない、ワールドカップの”リアル”さが顕れています。
だからサッカーは盛り上がるなー、となるわけです。
ワールドカップのサッカーですが。
私も、4年に一度のサッカーファンです。
ただし、自国が出場しての大会ですが、と。
だからこそ、ワールドカップ出場をかけての予選も盛り上がるのです。
この盛り上がりについて、あるスポーツ評論家が、「太陽を奪い合う競技」、だからと解説してくれたことがあります。
それは言えてるな、と思いましたが・・・
ですけれど、私に言わせれば、乱暴な表現になりますが、ワールドカップのサッカーは、”代理戦争”のような様相があります。
国の威信をかけて闘います。
まあ、それだけですが、熱くなってしまいます。
野球だと、こうはならないのが不思議なのですが。
で、ここから飛躍して思うのです、国際紛争なども、サッカーで解決すればいいのじゃないかと。
例えば・・・
尖閣諸島も、どちらかが実行支配したら戦争になってしまうかもしれない状況になるならば、サッカーの試合で決めてしまう。
三戦行って、日本と中国と第三国で、これが問題だといえば大問題になりますが、三試合をおこない、二勝した国が、尖閣諸島を自国領とする、と。
もっとも選手にしてみれば、そんな責任は負えない、となるでしょうが。
こと今回の日本戦の盛り上がりについて考えれば、選手も、自国を代表して闘っている、というのを自覚せざる得ないような気もします。
というのも、なぜに勝たなければならないのか、なぜ予選を突破しなければならないのか、というのを突き詰めていけば、自分の問題を超えて、国家にまでたどり着くような気もしますのです。
良い悪いを超えてのことです。