<<九州男児とは>>
私たちのの英字新聞輪読会で北海道から来たばかりの若い女性から
「皆の話を聞いていると、「九州男児」は強いと思っていたのに、奥さんに弱いようね。」と言われました。
私は、「九州では男ばかりが強いのでなくて、女も当然強いのだ」と返事をしました。
私はそうは言ったものの、何となく引っかかっていいたのですが、最近の福岡でのいじめの事件に関連して、「九州男児」とは何か調べて見ようと思いインターネットで検索し、次のQAを見つけました。
[質問]
彼は福岡県出身です。大学を卒業して東京に来ました。今って「九州男児って言葉、あまり聞かないですよね?
九州出身の彼とお付き合いされている方、九州男児ってどういうことを言うのでしょうか?
デートの時にあまり手をつないでくれないのは、彼が九州男児だからとは関係ないですよね?
手をつないでくれない彼をどう思いますか?
[回答の集計]
(数字は件数、○印は( 私が考える「九州男児」が持つべきと期待されている)価値観についての回答、( )内は「九州男児」の特徴をあげた人の回答、[ ]内は私の意見です。)
1.「九州男児」などいない 12
[一部賛成]
2.(男尊女卑、亭主関白、威張る) 9
[このような人は九州男児としての価値観では軽蔑される存在]
3.女性も強いが、男を立てて、実は操縦しているから九州男児でいられるのだ。 8
[賛成、私の家でもそうです。]
4.○人前で女とイチャイチャするな。(女にシャイ、照れ屋) 7
5.○卑怯なこと女々しいことをするな(男らしい、頼もしい)6
6.○男なら女子供は命がけで守れ。(女性に優しい) 5
7.○男は口先じゃない、行動で示すものだ。3.
8.(言葉がきつい) 3
[私も余所から来た人から良く聞きます]
9.○細かいことは気にするな(懐がが大きい)2
10.(目立ちがりや、見栄っ張り) 3
[特に福岡県の人、同県出身のタレントが良い例]
11.(頑固) 2
[熊本県の人が「いごっそう」の名で知られています]
以下省略
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200410/2004101500015.htm
1.で指摘された「九州男児」などいないと言う意見については、その名が消えかかりながらもまだ残っているのは、昔戦争ばかりしていた時、九州から派遣された勇猛な軍隊が、全国的に「九州男児」の名で知られるようになっのたのが、平和の時代に入って、九州の男がその特徴を発揮する機会もなく、またその価値観自体も次第に忘れ去られて行く過程にあるのでこの意見が出るのは当然だと思います。
<<九州男児がいじめとは>>
私は福岡県生まれの福岡県育ちですが、実は「九州男児」がどう思われようとどうでも良い事です。
問題なのは、日本が昔から持っていた価値観の良い所や、美風が、戦後以来の混乱や新しい文価値観の流入なので、消えかかっていると同様に、九州の男達が持つ事をに期待されている、価値観の良い所まで消えたか消えかかっているのは残念です。
前にも何度か書いたのですが、
私自身が、貧乏な家庭の生まれで、弁当はいつも鰹の削り節に醤油をかけたもの、服装は汚れっぱなし、そして私は人見知りする、気弱な子で、今なら恰好のいじめのターゲットになる筈の私でしたが、苛められた経験は全くありませんでした。
これは私だけでなく、地域全体としても、戦前の小学校から今でいう高校までの間、友達に朝鮮の人や、昔、差別をされていた人達の子どももいましたが、殆どいじめなどありませんでした。
これは、私どもがいた環境、つまり発展途上の街で新しい人が急激に増えているのを受け入れる開放的な環境と、当時「九州男児」に象徴される「男らしさ」が重んじられ、弱いものいじめをしたり、多人数で人の子をいじめるようまな「卑怯者」が軽蔑されるる環境にあったからと思います。
それが昔「九州男児」と言われるのを誇りに思っていた福岡県で、現在、2件ものいじめとそれに関する自殺事件が起こったのは大変に残念です。
そしていじめは卑怯者のすることだと言う考えの消えたことと、グローバル化と言われる時代に、閉鎖された子供社会に子供が閉じ込められいるのが、日本の各地と同じようないじめが起こっている大きな原因だと思います。
<<藤原正彦先生の卑怯を憎む心>>
11月24日の読売新聞にに「国家の品格」の著者の藤原正彦先生のコメントについて書かれていました。
先生のコメントの概要は、
[弱いものいじめの現場を見たら弱い者を助けろ。見て見ぬ振りをするのは、卑怯だ。助けるのに禁じ手がある。
1.大きな子が、小さな子を、男が女を殴ること。
2.大勢で一人をやっつけること。
3.武器を手にすること。
4.相手が謝ったり、泣いたらすぐやめろ。]
禁じ手の理由はすべて卑怯だから。
また藤原先生は、別の場所で、余所者や自分の合わない性格の人も受け入れることの出来ないじめっ子は心が狭く、そして人の気持ちの判らないからです。
藤原先生はこれを惻隠の情がないと言っておられました。
http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061126
藤原先生の言われる考え方は、武士道に立脚するもので、私が前に整理したものと比べて見れば判るように、「九州男児」に期待されている価値観そのものです。
私の小さい経験からしても、弱いものいじめをしたり、特定の人を大勢で苛めるものは卑怯者で人間として恥ずかしいことだと世の中に浸透していれば、そして私がいたころの様に、開放的な環境があれば、いじめなど大幅に減少出来ると思います。
然し、いじめ問題があれだけマスコミやインーネットで問題になっているのに、「国家の品格」が超ベストセラーになり、「品格」が流行語に選ばれたのに、何故「いじめは卑怯だ」の意見が殆どでないのは何故でしょう。
惻隠の情(思いやり)の言葉が滅多に出こないのは何故でしょう。
それは、藤原先生の意見が、武士道の考え方から出てきていることため、これを言うと軍国主義に結びつけられるのを意識的にまたは本能的に恐れているのではないでしょうか。
何故日本人が良いものは取り、悪いものは捨てるというバランス感覚を持ち、冷静な判断ができないのでしょうか。
いじめ→自殺、家庭内暴力、家庭内の殺傷事件の多発は本当に異常事態です。
もう暗い過去のトラウマから脱却して、昔の良いところを積極的に取り入れて、この異常事態に対処するときではないでしょうか。
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