普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

川柳 老いの溜め息-30

2006-12-31 16:49:36 | 川柳

[除夜の鐘これで83の橋]
もうと言うかまたと言うか明日は正月です。
年寄りにとって月日のたつのは早いものです。

[月と日よそんなに走るなよ おーい]
今晩は年越し蕎麦を食べて、多分紅白を見ながらいつものように寝込んで起きたころは、テレビからの除夜の鐘をが聞こえてくるのでしょう。
そして、毎年のような詰まらぬ一年を過ごした事を悔いながら布団にもぐり込むのに決まっています。
80数回も年越しをすると完全なマンネリ状態にに落ち込んでいます。

[百八つもないがいろいろ悔やむ事]  

皆さん良いお年をおとり下さい。

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普通の会社の成果主義の取り組み

2006-12-30 23:35:40 | 企業経営

いよいよ高給事務職、残業代なし「労働時間規制除外」導入…労基法改正への報道があった
(2006年12月28日  読売新聞)
 http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_06122808.cfm

<<普通の会社の成果主義の取り組み>>
この「成果主義」が導入されたとき、12月29日に書いたような普通のサラリーマン重役がすることを考えて見た。
http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061229

まず「成果主義」をとる以上目標を立てねばならない。
目標を立てる時、対象者は普通それまでの自分の業績を参考にして立てるだろう。
上司も本人自身の成果を上げる為に、部下に今まで以上の目標を立てることを要請するだろう。
問題は対象者の今までの業績は例えば定時間プラス今までの平均残業時間、例えば30時間をかけて達成する目標を立てるだろう。
彼がもし残業時間抜きの業績をを考えた目標を提出すれば、今まで上げて来た以下の目標を提出することになる。
問題は普通だったら今まで以上の目標を要求する上司が今まで以下の目標を認めるか否かである。
普通の会社員の常識や慣行で言えば、認める訳がないと思うのが普通だろう。
「成果主義」を取り入れた時の、給料のベースが例に上げたように、30時間の残業代を含めたものにさせて貰えるかどうがだ
勿論、会社員の常識で言えば、やはり「ノー」だ。
うまくいって今までの定時間分の給料ベースプラス、10~15時間(今までの1/2~1/3)の範囲で決まれば余程理解ある会社や上司と言う事になる。
これで、会社は今までの残業代をカットすることになり、そしてその成果を対象者に要求出来ることになる
これで期待された成績が上げられなければ、則、翌年から減俸だ。
テレビで夫を過労死で亡くした奥さんが、この制度導入を反対していたが、今度はいくら過労死で会社を提訴しても、夫の納得の上のことだと会社が逃げることが出来るのだ。
そして対象者にとって不利なのは、彼が今までサービス残業をしていて、会社によっては(多分大部分の会社)に正確な就業時間の記録がないことだ。
だから彼が自分で残業時間の記録なが無い限り、対象者が不利な取り扱いになるのは眼に見えている。
もう一つ労働省は新制度の対象者の条件として、
〈1〉労働時間の長さで成果を評価できない職種
〈2〉重要な権限や責任を相当程度伴う地位にある
〈3〉業務の手段、時間配分について、経営側から具体的な指示を受けない
〈4〉年収が相当程度高い
を考えているようだが、普通のサラリーマン経営者は、契約労働法によってどんどんパート労働者を入れたのを見ても、経団連が年収400万つまり中堅以上のホワイトカラー全てを対象者に入れたいと言うのを考えても、拡大解釈をして、行くのは間違いないような気がする。

<<バブル崩壊時のホワイトカラー大量解雇の愚繰り返すのか>>
私は、海外の工業技術支援団体にいた経験からして、多くの識者が言う様に、日本の工業が世界に伍して行けるのは、管理技術が優れているからだと思っている。
然し考えて見るとそれは、小集団活動とか、改善等の主に向上の作業員対象の管理だ。
そして、その管理が成功したのは、管理のべースとしての残業時間を含む作業時間が正確に捕まえられていたからだ。
またその作業時間の把握とその削減が
管理技術向上のインセンティブともなっているのだ。
もっと端的に言えば、残業時間を含む作業時間の効率的運用で今まで会社が世界に伍して行った大きな原因の一つだ。
その反対の例が管理職またはその扱いになっているホワイトカラーの管理の放置だ。
バブル崩壊時の彼らのレイオフがその例だ。
バブル以降のコンピューター導入で大幅に事務職や技術職の作業量が減り、スタッフに無理を強いることなく、すこしづつ
削減出来たのに放置しておき、バブルがはじけて始めて、経営者ば現状のスタッフがあまっているのに気づいたのだ
そしてその一番大きな理由が労働問題対策の一環として、中心のスタッフを管理者にしたり、管理者意識を持たせて、サービス残業などを自主的にさせてため、スタッフの作業時間の管理がおろそかにななっていたからだ。
経営者の大量のホワイトカラーのレイオフと言う反省もなしに、経費削減、残業代カットばかりに囚われて「成果主義」という捉えようもない非科学的な方法で彼らを取り扱い、日本の得意とする管理、それも今後の躍進の中心となるべき人材の管理を放棄しようとしているしか思えない。 

<<チームワークを崩す成果主義>>
日本の会社が世界に伍して行けたもう一つの強みは従業員同志と経営陣との間のチームワークだ
私が前回のブログで書いたような極端な例にはならずとも、成果主義がチームワークを壊す原因となりやすいのは事実だろう。
何故なら成果を上げるという漠然とした目標に対して、一番はっきりしているのは他の人より(他人を蹴落としてでも)大きな成果を上げることが一番手っとり早いからだ。
そこで当然会社内で競争意識が出てくる。(それが成果主義採用の表向きの目的だ。)

このチームワークや管理と言う日本の会社の強力な武器をなくして、どうして世界を相手に戦って行けるのか、経営陣に戦略があるのだろうか
私が前日に書いたような組織を無視してまで大きな成果を上げる人もいれば、可もなく不可もなく代わり現状をしっかりキープして行く人もいると言う絶妙なバランスとチームワークののもとで多くの会社が成長してきたのだと思う。
中国の台頭に気を取られて、経費削減ばかりをして、実は大きな武器まで捨ててしまおうとしているのではないか


安倍さんへ
このような成果主義の会社ばかりの国が「美しい国」でしょうか。
チーム・ワークのしっかりした家族主義的なそして国際競争力のある会社こそ「美しい国」をつくりあげるベースになるのではないでしょうか。

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成果主義の導入について

2006-12-29 16:13:14 | 企業経営

とうとうホワイトカラーへの「労働時間規制除外」導入が決まりそうだ。
もしこれが決まったら会社はどの様に対処するだろう考えているうちに現役の頃のことを思いだした。

<<大会社の経営者>>
私の経験を聞いて頂きたい。
当時、メンテナンス関係の係長に過ぎなかった私にとっては、業界のトップの会社の経営者などは遠い存在だったが、私の海外派遣が決まって、ようやく彼らがほんの少し近い存在になった。
海外派遣者は、出発前に担当重役に挨拶することになっているらしく、副社長室に連れて行かれた。
絨毯を敷きつめた広い廊下の両側に締め切った部屋がずらり。
防犯の為らしく、部外者はどこに行ってよいか、判らぬようにしてあると言う、何の標示も何もなく部屋の厚いドア
こんなことで、階下の部下達や全国に散らばった工場とのコミュニケーションをどうしてとるのか、首を捻っていたことを思い出した。
多分、分厚いレポートを出させてそれで判断しているのだろう。                                       

海外に出て、しばらくして大きな事故があった。
悪い事にその日に、日本から重役が到着するとかで、本社から派遣されていた取締役が迎えに行くことになっていたが、あいにくそのプロセスの開発者である彼以外に、新設プラントの詳しい技術者がいなかったので、何でも代理の人を迎えに出したそうだ
後日、本社からの彼への非難が現地に繰り返し届いて来た。
彼の昇進はそこでストップしてしまったことは言うまでない。

もう一人いた。彼は私たちの会社ではエリート・コースとされている、某一流大学出身で、社運をかけた巨大プロゼクトの中でも、基幹の工場の建設を完遂させて、本社に栄転したのだが、結局は平のままで、定年で退職してしまった。
何でも海外出張する前に担当重役の所に挨拶に行かなかったのが重役になれなかった原因だそうだ。

私も永年お世話になった会社の名誉のために言うのだが、会社は当時から今までも一度もいま流行の「記者会見でお詫びの報道」されたこともない、社会的にも一応の評価を得ている会社だ。

少し皮肉に言えば、私の上司で本社の意向など無視してばりばり仕事を進めて万人が認める大きな業績を上げた人が、子会社の平の取締役で終わり、もう一人の可もなく不可もなく無難に勤めていた上司がその同じ会社の常務取締役までになったと言う、サラリーマンの常識で言えば、ごく普通の会社だった。

<<成果主義の会社の経営者>>
私も他の人達と同じように、定年前に関連会社に何年間か出向になった。
その会社は創業者が、一代で上場会社にまでにしたのだが、そこは私のもといた会社とは完全に反対の社風の今盛んに言われている「成果主義」の会社だった。
驚いたのは、それで自分が優れていることを示す為でだろうか、上司が部下の悪口を言う事だった。
一番ひどかったのは、海外視察で私たちの現場に来た、社の最高幹部を送る車の中で、お客さんの会社から出向して来た私の前で、彼自ら部下の悪口を言い始めたことだ。
これでは私から送って貰った車から降りた彼が、私のことをどう言っただろうかなど想像することなど難しくない。
部下に間違った指示を出した叩き上げの重役自分のいったことをたな上げて、指示に従った仕事をした部下を叱っているのを何度か立ち会ったことがある。
もう一つ驚いたのは、海外の宿舎で一緒になった社の若い人たちとの雑談で、会社の幹部の話しになると、必ずと言って良い程、若い人からその人から自分の功績を奪われたとか、自分のミスを部下の所為にしたとか言って、絶対にその人の下になりたくないと言うのだ。
その会社の徹底した「成果主義」が、中堅社員の不満が蓄積していたのかも知れない。

<<成果主義を導入した会社のすること>>
私のごく小さな経験から全てを判断するのは、少し無茶と思うし、個人プレーが中心となる業態の会社では成果主義もある程度、成功するかもしれない。
然し、チーム・プレイで動くような大多数の会社で、一流の大学を出てエリート・コースを無難に勤め上げ、二三十年の間にトップまで登り詰めた人が「成果主義」をどの様に運用して行くのか。
また私の経験した程に極端なことにはならないと思うが、「成果主義」を導入した結果、会社がどのような状況になるのかは、ほぼ想像出来るようなに気がする。

参照
成果主義で日本は立って行けるのか、企業の責任は?

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パートタイム労働法改正案について

2006-12-28 12:48:37 | 企業経営

12月27日の読売新聞報道の要旨です。

<<パートタイマーについて差別的な待遇の禁止>>
厚生労働省は26日、就業実態が正社員と変わらないを禁止する項目を、来年の通常国会に提出するパートタイム労働法改正案に盛り込む事を決めた。
その内容は
1.長期間雇われ、労働時間や職務内容が正社員と変わらないパートについて、差別的な取り扱いを禁じる。
2.労働条件を明記した文書の交付を事業主に義務づけ、それを履行しない場合は過料を科す。
3.正社員への転換制度の導入を義務づける。
なおこれには中小企業に対して過度の負担を強いることにならない様、実態に則した施行がなさるべきという経営者側の意見も併記された。
近年、外食産業などで、管理職につくパートが増えている一方で、給与面で、正社員との格差は大きく、勤続年数を重ねても、賃金に殆ど反映されないと言う実態があり、「働きに見合った処遇」を求める声が高まっていた。


<<パート労働者の年金の適用拡大>>
27日にスタートする社会保障審議会の年金部会では、パート労働者の年金の適用拡大や年金財政のあり方が論点になる。
これに対して大勢のパートを抱える小売業界などは負担増に断固反対している。
政府・与党も及び腰の姿勢が目立っている。
現在、労働時間が「週30時間以上」のパートは厚生年金の対象だ。
適用対象をどこまて拡げるかが、論議の中心となっている。
一方パートを雇用している企業は、適用拡大でパートが払う保険料と同額の負担を求められる。
国民の意志を反映しないまま、適用拡大が明記されたのは大変遺憾だ。断固反対する」と与党議員らに陳情攻勢を欠けている。
それを前にして政府・与党内では、適用対象を出来るだけ絞りこむ方向になりつつある。
自民党議員の中から「選挙区内に全国チェーンの業者がいる。適用拡大には賛成できない」との声が洩れる。
これらの法案は安倍首相の「再チャレンジ支援策」の目玉であるが、その雲行きがだんだん怪しくなっている。

<<国際競争の枠外にいる?サービス業界>>
これらの方針に対する反対の中心は、報道による限りでは、外食産業や、小売り業などのサービス産業が中心のようです。
私は国際競争の観点から言えば、サービス産業の人件費が上がっても、外国からの攻勢にさらされることはないような気がします。
(これは私の勘繰りですが、政府・与党がサービス産業に的を絞ったように見えるのも私の見方と同じ目的のような気がします。)
何故なら製造業、農業などでは経費、特に人件費の増加が、そのまま中国などに対する国際競争力の低下に繋がり、日本に大きな影響を及ぼすことになります。
その点、サービス産業の活動は日本国内に限られているので、人件費の増えた分だけ、売値に反映させれば済むことです。
外国サービス企業が、参入してきても、日本の同じ法律に縛られるので、日本の企業と同じ土俵で戦わねばなりません。
問題は、値段の上昇が売り上げ減に繋がることでしょう。

<<人件費の増加を売価に転嫁しよう>>
そこで提案です。
独占禁止法に抵触しない範囲でサービス業界で一斉に人件費の増を売価に転嫁してはどうでしょう。
赤信号みんなで渡ればこわくない」です。
人件費の増を売価に転嫁した企業は、「私達は格差社会の解消に勤めています」と宣伝して、消費者の理解を求めるのです。
そうすれば、殆どの日本人は理解してくれると思います。
そして行政も、広報などで、協力した企業の名前を公表すれば良いと思います。

<<また迷走をするのか日本>>
それにしても、業界の「国民の意志を反映しないまま、適用拡大が明記されたのは大変遺憾だ。」はどうでしょう。
業界の意見が国民全体の意見を代表していると思っているのですかね。
それと自民党議員の「選挙区内に全国チェーンの業者がいる。適用拡大には賛成できない」は不用意に洩らしたのと思いますが、少し変と思いませんか。
彼は国民の代表の自覚はあるのでしょうかね。
安倍さんの「再チャレンジ支援策」は小泉さん時代の行き過ぎた市場経済中心政策の弊害の是正するもので、是非推進して貰いたいものです。
しかし、小泉さんが去って、また自民党の悪い癖がまたあちこちで出始めたような気がします。
民主党は政治的なポカを良くするし、自民党の緊張感がなくなったような気もする、来年の参院選はどうなるのでしょうね。
いやそれよりも日本の将来はどうなるのでしょうね。

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コミュニティー造りの Dos and Don'ts 集

2006-12-27 22:45:06 | 日々雑感

私たちの英字新聞輪読会の納め会があった。
土地の名物の駅弁で食事の後雑談に入った。
最初はコミュニティー活動の話し、つづいて宗教の話しになった。
私はもっぱら聞き役に徹していたが、次の音楽と西洋文学の話しになると完全に壁の花状態になってしまった。
何しろ私は音楽と言えば、全くの演歌派で、西洋の小説と言ったら、シャーロック・ホームズに始まる推理小説しか読んだ事がないからだ。
それで仕方なく彼らの話を聞きながら、私のいる団地の活動の失敗についてぼんやり考えていた。

<<コミュニティー活動に関する Do and Don't集>>
私が今の団地に引っ越して来た時は、地域の活動がとても盛んで、団地の殆ど全員が参加していた。
また私の属していた老人会の上部団体も、県から表彰を受ける程盛んに活動していた。
それが今の団地では全くの沈滞状態で、盆踊りの参加者が少なすぎて廃止に追い込まれ、団地の文化祭で何度出品者を募っても、提出する人が少なくて、都度中止のありさまだ。
老人会も一時解散した後、再結成されたが、旧メンバーの大半は参加しないままだ。
これには色々の経緯があって、多分読むには面白いか知れないが、私も団地でここしばらいさせて貰わねばならないので、省略させて頂いて、反省すべき点だけ書いておく。

1.町内の活動はこうあるべきだと言って、それを強引に推進するのでなくてある程度適当にやる
活動に参加するように勧めても強制はしない。
例えば町内の行事の参加者が全体の60~70%有ればまあまあ成功だとする。
町内の人が行事に参加がとても苦痛にならないようにする。
2.粘り強く、辛抱強くやる。
町内活動はやはり何人かの中心人物の強い信念が活動継続の一番の原動力だ。
3.推進役は完全なボランティア精神に徹してやる。
他の役員や会員が余り協力しない、自分は損だと言い出したら、町内の活動はその時点から、じり貧になる。
4.会員にも分からず屋も、厚かましい人もいるものだと言う前提でやる。
その人達の悪口を言い出したら、町内の活動がマイナス面に働く事になる。
私たちの老人会は皆良い人ばかりだったが、上部団体の役員の中に自分は何もせずに他の役員のすることに文句ばかり言っていたのが、私たちの老人会の解散の一因となった。
5.会員も活動に参加するのにはある程度のストレスがあるのを我慢する。
適当なストレスは惚け防止に良いと割り切る。
会員の中には変な人もいるが、良い人もいて、友達も増えるメリットもあることを知る。
私の家内も、町内の活動でいろいろ言っていたが、そのお蔭で多くの友達ができ、今でも彼らとの交際が続いている。
ストレスから逃げて、家でテレビばかり見ていては、惚けるもとになる。
テレビの実験で、テレビを見ている間脳は完全に活動停止状態になっているのを見たことがある。
6.会員も役員達から何らかの世話をして貰う時は、態度や言葉で感謝の気持ちを伝える事。
ある老人が、シルバー・ボランティアに草取りをして貰っているとき、彼が頬づえをついてぼんやりそれを見ていたそうな、そして仕事が終わった後もお茶も出さなかったそうだ。
これではコミュニティー活動など続く筈がない。
7.町内の中でお稽古ごとのグループは良いが、大人数の(例えば20人以上の)特別な仲良しグループを作らない。
これではただでさえ纏まりの悪い町内が纏まるはずがない。

<<子供教育環境改善のためのコミュニティー活動について>>
社会環境の改善の為のコミュニティーの人達の参加が必要な事は、多くのマスコミで取り上げられているし、私もブログで何度も書いてきた。
ここで一番問題なのは、共稼ぎの夫婦で、子供の教育は完全に学校の責任だと考えている人の存在だ。
例えばコミュニティーの人達が、子供の通学の安全を守るための活動を始めても、それは本来は市か、警察か、学校の責任だと言って時間があっても参加しないときは、そして、活動している人達に何の感謝の気持ちを表さないときは、上で書いたように、コミュニティーの善意に基づく活動の意欲を挫く原因となってしまう。
特に、コミュニティーの活動に参加してるいる若い専業主婦から言わせれば、人に自分の子供を世話をさせておいて、その間金を稼いで、贅沢をしていると反感を買うのは眼に見えている。
もう定説となっている教育環境改善のためのコミュニティーの参加、特にいじめ問題の解決策の一つの密閉社会にいる生徒達から子供を開放はするためにも、コミュニティーの参加はは不可欠な問題になっている。
教育再生会議の提案の家庭教育も、共稼ぎ夫婦の意識改善に特に焦点を当てるべきだと思う。

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国会議員の選び方

2006-12-26 21:37:59 | 政策、社会情勢

12月24日のフジテレビ系列の報道2001で元長野県知事の田中康夫さんと名古屋弁で有名な民主党の川村たかしさんが、最近の地方自治体の問題に関して、地方の自治体の議員は欧米のようにポランテイア・システムにすれば良いと言っていました。
確かにボランティアなら、議員にかかる費用が大幅に削減できるし、議員が定職を持つていれば、市議会に対して思い切ったことも言えるなど良いことあるし、また問題点もあるように気がします。

<<市の職員の市会議員に対する見方>>
私はこれを見ながら、昔ある市の職員との話しを思い出していまた。
彼は勿論はっきりとは言いませんでしたが、市会議員などは人気商売だ。
(そう言えば安倍さんのでさえ支持率を気にしているとテレビなどで良く言われていますが。)
そして彼らは支援団体や企業などの利益代表だから、先生、先生と奉っておいて、全体を見ている我々がうまく操縦すれば良いと言わんばかりの言い方をしていました。

<<霞が関で一番威張っているのは誰か>>
国会議員が支援団体や、出身地域の意を受けて、例えば通産省に行くとします。
通産省の官僚は、議員を先生と言って形だけは丁重に取り扱うし、議員によっては俺は国民の代表だと威張って役人に対応するかも知れません。
しかし、議員のやる事は正確に言えば陳情です。そして、官僚は心の中では、いくら議員が威張っても、日本全体の通産省の所管事項を見て判断するのは俺達と思っているでしょう。
議員は通産省の全体の予算などは無視し、とにかく余所からの陳情より、自分の陳情を通して貰おうとして、つい卑屈にもお願いする気持ちになるのはありがちなことと思いませんか。
しかし、その通産省の官僚も、財務省に対しては、議員とそ同じ立場で他の省庁より自分達の予算を分捕ろうとします。
それで、財務省の官僚は、通産省の所管事項を含む日本全体のことを判断しているのは俺達だと思っていると思います。
それを如実に表しているのは、テレビで良く見る本来なら皆同じ立場の筈の、諸省庁の財務省詣でです。
その財務省を実質的にコントロール出来るのは、端的に言えば、総理大臣です。
何故ならかれは財務省を含む全ての、省庁の所管事項を全て統括しているからです。
この実質的な力関係を図式で書けば、
国会議員諸官庁官僚財務省官僚総理大臣
となるでしょう。

<<日本を代表する国会議員を選ぼう>>
実は、財務省をコントロール出来るのは首相だけだと言うのは正確に言えば間違いです。
もし国会議員が、日本全体を見て事に当たるなら、首相ほど実質的な力はないにしても、同じ事を通産省に言っても、財務省に言っても、その迫力は出身地域や一部団体の利益を代表して言うのと明らかに変わってくると思います。
何故なら議員は通産省や財務省の所管範囲を超えた日本全体のことを考えて言っているからです
道路族文教族など言われる人は、その発言力を増す為に、力を合わせて一部の利益を守ろうとします。
勿論彼らの言う事も正しい事も多いと思いますが、また報道されるように、国の行き方を間違わせてきたとしか、思われないこともあります。
一般国民がその意志を国政に反映させるには皆が言う様に、選挙しかありません。
それで提案です。
特定地域振興のためとか、日本の農業を守るために一票を下さいと言う、候補者に投票しても良いでしょうが、日本のためと言う候補者にもっと国会に立つ機会を与えてはどうでしょうか。

日本全体に漂う閉塞感から脱却するためには世界的、全国的視野を持つ国会議員をもっと増やすしかないと思います。

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全国高校駅伝で想うこと

2006-12-25 15:37:08 | 日々雑感

12月24日全国高校駅伝があった。
若者たちのひたむきな走りに、遅れてもなお頑張る高校生達に感動を覚えるのは私だけではあるまい。
しかし、今回の男子の部で白けてしまったのも私だけではないだろう。

<<白ける留学生の投入>>
1区でいきなり留学生達と他の生徒達の差が何百メートルもなったのだ。
解説の宗さんが歯がゆがっていたが、その後ろで留学生のいない高校同志で牽制し合っているのはは明らかだった。
これでレースの面白さは半分以上なくなってしまった。
そして、1区でいきなり留学生のいる高校と居ない高校の間に1分半以上の差がついてしまった。
その時点で留学生を導入した世羅と仙台育英のどちらかが優勝することは素人眼でもはっきり判ってしまった。
レースの興味は留学生がいない高校のどれが、三位を占めるかと言うマイナーなことに絞られてしまった。
そして案の定、両高校が一位と二位を占めた。

誰が考えても、極端にとび抜けた選手がいて、他の選手がそこそこの実力を持っていたら、上位を占めるのは、女子の部で須磨学園の優勝を見れば明らかだ。
問題は女子の須磨学園のエースが日本人だったの比して、男子の部で興ざめしたのはは外国からの導入選手だったことだ。
勿論駅伝の名門校に地域外から実力がある選手が入ってくるのは当然だ。
そして、日本の陸上のレベルを上げるために、外国人選手を入れるのも賛成だ。
そして、彼らが個人種目に出てケタ違いの力を見るのは日本の陸上界にとってもプラスだろう。
然し、団体種目である駅伝に勝つ為に外国人選手を(多分破格の扱いで)導入するのは実業団ではともかく高校ではどうだろうか。
高校駅伝を見て楽しみ、感動するのは、甲子園の高校野球場合と同じでそこまで来る間の選手の努力と勝利への熱情が人々の心に訴えるからだ。
今回の特に1区のレースの状況、世羅と仙台育英が逃げるのを諦めていた、他の高校の戦い方は素人目で見ても明らかに異常だ。
全国の人に野球のように駅伝にも興味を繋いで貰うためには、どうすれば良いか関係者に考えて貰いたいものだ。

<<東北勢の台頭と九州勢の沈滞>>
男子の高校駅伝で明るい面では、下位の常連だった東北勢の上位進出だ。
それに比して目立ったのは、上位の常連だった九州勢の入賞が九州学院が1校だけ立った事だ。
これは九州人の私にとって残念なことだ。
駅伝に強い九州の伝統を護る為に、各県の各高校が協力して例えば夏の合同強化合宿とうの、切磋琢磨する機会をもっと増やすべきではないか。
東北勢の台頭の原因を調べて見る必要があるのではないか。
九州の実業団にはは多くの名指導者がいるが、彼らに人材の供給先である高校の選手の育成にもっと関心を持って貰いたいと想う。
この様に全国的に渡って地域全体の底上げが図ればもっともっと高校駅伝が盛んになると想う。
九州で有名なのは男子なら大牟田高校、女子なら諫早高校や筑紫女学園と決まっていたら、いずれ九州全体で沈滞してしまうのは、当然だと思う。

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教育再生会議がおかしい

2006-12-24 16:26:25 | 教育

<<会議のメンバーが素案への非難>>
12月21日に教育再生会議の第1次報告の素案の報道がありました。
教育再生会議、素案に批判続出…運営委に差し戻し
 政府の「教育再生会議」(野依良治座長)は21日午前、安倍首相が出席して首相官邸で総会を開き、1月にまとめる第1次報告の素案を審議した。
 素案は、<1>学力向上<2>いじめ対策<3>教員の質の向上<4>学校、教育委員会改革――などが柱だ。委員からは「具体性に欠ける」「メッセージ性がない」などの批判が続出したため、主要メンバーで構成する運営委員会で素案を練り直すことを決めた。
 素案は、いじめ対策で、反社会的行動を繰り返す子供への出席停止制度について、「サポート体制を取る」などとした。しかし、教員免許更新制については、導入の必要性を強調するにとどまるなど、踏み込んだ内容にならなかった。
 このため、複数の委員から「具体策に踏み込んでいない」「事務的な文章になってしまった」という批判が出た。首相も総会でのあいさつで、「ある程度具体的な目標や検討課題を入れて頂きたい」と指示した。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061221it04.htm
(12月21日  読売新聞)

総会後の関係者からの意見も読売に出ていました。
事務局長の山谷さん「おおむね素案の方向性は了承された」
白石さん「素案が分科会の議論と乖離している」
浅利さん「与党、文科省、組合への配慮だろうが、意見が中和されている」
渡辺さん「素案には反対だ。大学の9月入学は大方賛成だったはずだ」
渡辺さん「我々が提案がボコボコ削られていくのはおかしい」

<<教育再生会議が中央教育審議会の二の舞?>>
この報道を見て、中央教育審議会の答申を思い出しました。
ゆとり教育→学力強化→小学校に英語教育の導入です。
なんと言う世間の動きや批判に流された無定見な答申でしょう。
これで安倍さんが屋上屋を架すの批判を押して教育再生会議を作ったのも良く判ります。
報道された再生会議の現場で実際にどうして良いか判らないいじめ対策、いい加減な父兄による教員の評価などの案などと、その裏に見え隠れする教員の締めつけによる管理手法など首を捻るものばかりです。

会議中の提案を削るのは誰でしょう。
誰が素案を纏めるのでしょう。
前記報道の浅利さんの発言のように、教育再生会議も中央教育審議会と同じように、実際は文部官僚のコントロール下にあるように思えてなりません。
再生会議は非公開で行われるそうですが、それは会議中の文科省の介入を他に知られない為としか思えません。

<<再生会議の独立性を保つために>>
小泉さんの時のようにいくら民営化した道路公団や社会保険庁に民間からトップに送り込んでも、腹心の部下が要所に配置されない限り、結局は詳しい情報から隔絶した奥まった部屋に押し込まれお飾りにされてしまうのが落ちです。
再生会議も、素案作成に問題があるのなら民間からでたメンバーのグループから主要な人材を会議の事務部門に入れてことに当たらせ無い限り、今度にような問題が起こるのは間違いないと思います。

再生会議には立派な人達ばかり集められていると思います。
何故彼らが自由に発言し、またその発言の結果を重く見て貰えないのでしょうか。
そのために有識者を選んだと思います。

<<結局は安倍さんのリーダーシップ>>
勿論彼らの発言のなかには、実際上難しいものもあるかも知れないし、文科省や与党、組合から反発がでるかも知れません。
しかし、それは正式の答申が出され後に、それが難しい問題であっても、前向きに処理され調整されるべきのものでしょう。
そして、それで調整がつかぬときは、政治家や最後には首相の決断に待つべきものだと思います。
始めから文科省や、与党、マスコミの批判を考慮していては、また中央教育審議会の二の舞になるしかありません。
教育再生は安倍さんの一枚看板だった筈です。
最近のおかしな再生会議の運営に対して、文部官僚の口出し(もしあれば)の禁止など、安倍さんの強いリーダー・シップを期待しています。

参照
へんてこな父兄も教員の評価をするのでしょうか
教員の締めつけよりも教育環境の改善
これでいいのか中央教育審議会
私の考えるいじめ対策

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川柳 老いの溜め息-29

2006-12-23 21:25:04 | 川柳

[国中の寝不足にして金一つ]

トリノ五輪はついていなかったですねえ。
それでも国民は皆日本の選手の活躍を期待して、眠い眼をこすりながらテレビにかじりついていました。
そして結果はイナバウアーの荒川選手の金メダルだけに終わりました。

でも最近の日本のフィギュアを凄いですね。
メダル候補の女子選手がずらり、日頃目立たなかった男子でも二人います。
次のオリンピックを期待しましょう。

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教育環境劣化の責任は経済界にも?

2006-12-21 11:55:36 | 企業経営

安倍さんの銀行からり献金受け取り拒否の新聞に報道によると、
大手行の政治献金、自民党が受け取り自粛決める
安倍首相は中川幹事長に大手銀行が再開の動きを見せる政治献金の受け取りは党として自粛するよう指示した。
業績が好転したにもかかわらず、過去の赤字を理由に法人税を納めていない大手行への批判が高まっており、多額の献金を受ければ国民の強い反発を招くと判断した。
日本経団連が全国銀行協会を通じて金融界に献金再開を要請していた。
大手5行からの自民党への融資残高は、2005年末で計80億円に上っている。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061219i413.htm
(読売新聞)
なお読売新聞は別の欄で、経団連の銀行への献金の要請は国の政治へ影響力を増す為であること。
自民党の内部では安倍首相のこの決定に不満を持っている人もいることを
報じている。
勿論安倍さんの決断は、自民党の支持率の低下などの多くの政治的な判断によったものだと思いますが、決断そのものは、良い事だと思います。

<<金で政界へ影響力を行使する経団連>>
然し、最近の県知事の、特定の支持者への為の特定の工事受注への配慮することと、政権与党への多額の献金で政治的な影響力を行使しようとすると、の間にそれが法律に触れるか否かは別にするとどれだけの差があるのでしょうか。

一般国民の一票だけ政治への影響力と、彼らの金(それも経営者の金でなくて会社の金)に飽かした政治への影響力の行使についての不公平さは無いのでしょうか。
彼らのすることについての道義的な責任はないのでそしょうか。

<<社会特に教育環境劣化に対する責任は?>>
労働契約法で契約労働者の身分が固定化され「ワーキング・プア」の言葉で象徴されるように、階級社会化が進められてきています。

サービス残業を強いる成果主義
それに加えて、「1日8時間を除外、厚労省が新労働ルール案提出」も明らかに経団連の意向に沿ったもので、これによりマスコミの報じるように、主要労働者の45%が今の制度で言う、サービス残業を合法的に強いられることになります。

国民は負担増、法人は減税

また最近では、色々の形による、税金や保険料の値上げや、特例廃止による実質的な値上げが進む中にで、異例とも言える法人税の減税が発表されました。
これら中国との競争力強化の対策として、一応の理解は出来るのですが、経団連の動きは明らかに、傍若無人の様な気がします。

社会、教育環境の劣化に手を貸してきた経済界
経済界は、古くはバブル時代の事業所拡張による日本の核家族化、最近のこれらの実質賃金のカットによる国民の間の所得格差の拡大などによる社会特に教育環境の劣化にたいして、何らかの呵責の念はないのでしょうか。
教育再生会議に、何人かの財界人も出ている様ですが、上のことに対してどう感じているのでしょうか。
もし経済界に上記のような良心の呵責まで行かぬ人も、少なからず後ろめたいものを感じているとすれば、同じことをするにしても、何らかのやり方のあり方がある筈ですし、また何らかの社会への貢献の仕方もある筈と思いますが。
そろそろ「金」、「金」、「金」から脱却しなければ、会社は残っても、後に今以上劣化した社会環境を日本にもたらすことになるかも知れません。
政府、政界、財界、マスコミの皆さん達に良く考えて頂いて、今の劣化した社会や教育環境の問題が一層悪化しないように、今の内から考えて頂きたいと思います。

金で動く一部政治家
そして安倍さんの決断に反対している人達のように、経済界の言いなりになっても、政権にしがみつくのが本当に国の為になるのかどうかも良く考えて頂きたいと思います。

参照
企業の倫理観と責任は
成果主義で日本は立って行けるのか

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教師の締めつけよりも教育環境の改善へ

2006-12-19 23:07:26 | 教育

教育基本法の改正案がいよいよ実施の段階は入って来ましたが、安倍さんの施政演説から教育改革会議の成り行きを見ていると気になる事があります。

<<教師締めつけと発破をかけるだけの具体案>>
それは、出てくる具体的な具体的な提案が皆学校関係者の締めつけか発破をかけるものばかりです。
バウチャー制度、
教員の再試験、
父兄による教員の評価、
いじめ問題が起こった時の学校関係者の懲戒等々。
これでは今でも多くの困難に遭遇している教師もこれ以上荷が増えてはたまったものではありません。
このままでは一層の落伍者を生み、精神傷害を起こす教師が増えてくるばかりと思います。
教育再生と言いますがこれでは、昔の文部省流の管理やり方そのままのような気がします。

<<学校の教育環境の悪化の原因>>
勿論今まで以上の管理強化も結構ですが、それと同時に、学校での教育環境の改善も手を着けてあげるべきでは内でしょうか。
今までの学校の教育環境の悪化の基本的な原因は、
1.日本の価値観を無視した教育→それから起こった問題点処理の放置→(規範意識や責任感の乏しい子が社会に出る→その子がそのまま親になる→その親から子が生まれる)と言う家庭と社会環境劣化の悪循環→学校の教育環境の劣化→教師の負担増加
2.文部省と一部特定思想を持つ職員組合との軋轢→管理の強化→そのための報告書作成に類する作業量の増加→教師の負担の増加
3.学力低下→落ちこぼれの放置
などが程度の差はあるにしても、一般に言われていることでしょう。

<<教育再生会議と文科省に望む事>>
それで当面の問題の父兄の再教育、少なくとも職員組合が脚を引っ張らないような、文科省、教育再生会議の間の意見の調整、文科省や教育委員会と学校の間の事務処理の簡素化(それも調査、報告などの手間を極力む上級団体が処理する)が必要と思います。
今回のいじめ福岡県のいじめ問題に対する処理方法は、旧態依然とした報告の提出とその処理で終わってしまっていると思います。
今回のいじめのように問題が難しすぎて、学校単独で処理出来なければ、教育委員会が自ら処理するか、応援を出すか、それが出来なければ文科省が直接乗り出すべきでないでしょうか。
それと、学校の現在企業などでやっている小集団活動とうの手法の導入や、能率協会そのたのその専門団体による校内の事務処理の調査などで、教師自身の手による事務の合理化の推進と、それを可能にする上部団体による態勢作りが必要だと思います。
一般企業では現場主義と良く言われます。
教育面でも、事の重大性に応じて、国は昔の上部からの通知と報告により管理方式から脱却して、関係者が現場に出向き、教師や父兄と直接話しをして、問題点の発掘と処理に当たるべきだと思います。
教育再生会議と文科省にお願いです。
どうか、スーパーマンでない普通の教師でも、ある程度は十分な教育が出来るような教育環境を作って下さい。
そして、教師に本来の教育に、学力低下防止にもっと時間割いてあげさせて下さい。
参照

学校事務の合理化を考えませんか

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えっ、九州男児がいじめっ !!!??

2006-12-17 11:50:21 | いじめ

<<九州男児とは>>
私たちのの英字新聞輪読会で北海道から来たばかりの若い女性から
「皆の話を聞いていると、「九州男児」は強いと思っていたのに、奥さんに弱いようね。」と言われました。
私は、「九州では男ばかりが強いのでなくて、女も当然強いのだ」と返事をしました。
私はそうは言ったものの、何となく引っかかっていいたのですが、最近の福岡でのいじめの事件に関連して、「九州男児」とは何か調べて見ようと思いインターネットで検索し、次のQAを見つけました。


[質問]
彼は福岡県出身です。大学を卒業して東京に来ました。今って「九州男児って言葉、あまり聞かないですよね?
九州出身の彼とお付き合いされている方、九州男児ってどういうことを言うのでしょうか?
デートの時にあまり手をつないでくれないのは、彼が九州男児だからとは関係ないですよね?
手をつないでくれない彼をどう思いますか?

[回答の集計]
(数字は件数、○印は( 私が考える「九州男児」が持つべきと期待されている)価値観についての回答、( )内は「九州男児」の特徴をあげた人の回答、[  ]内は私の意見です。)

1.「九州男児」などいない 12
[一部賛成]
2.(男尊女卑、亭主関白、威張る) 9
[このような人は九州男児としての価値観では軽蔑される存在]
3.女性も強いが、男を立てて、実は操縦しているから九州男児でいられるのだ。 8
[賛成、私の家でもそうです。]
4.○人前で女とイチャイチャするな。(女にシャイ、照れ屋) 7
5.○卑怯なこと女々しいことをするな(男らしい、頼もしい)6
6.○男なら女子供は命がけで守れ。(女性に優しい) 5
7.○男は口先じゃない、行動で示すものだ。3.
8.(言葉がきつい) 3
[私も余所から来た人から良く聞きます]
9.○細かいことは気にするな(懐がが大きい)2
10.(目立ちがりや、見栄っ張り) 3
[特に福岡県の人、同県出身のタレントが良い例]
11.(頑固) 2
[熊本県の人が「いごっそう」の名で知られています]
以下省略


http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200410/2004101500015.htm

1.で指摘された「九州男児」などいないと言う意見については、その名が消えかかりながらもまだ残っているのは、昔戦争ばかりしていた時、九州から派遣された勇猛な軍隊が、全国的に「九州男児」の名で知られるようになっのたのが、平和の時代に入って、九州の男がその特徴を発揮する機会もなく、またその価値観自体も次第に忘れ去られて行く過程にあるのでこの意見が出るのは当然だと思います。

<<九州男児がいじめとは>>
私は福岡県生まれの福岡県育ちですが、実は「九州男児」がどう思われようとどうでも良い事です。
問題なのは、日本が昔から持っていた価値観の良い所や、美風が、戦後以来の混乱や新しい文価値観の流入なので、消えかかっていると同様に、九州の男達が持つ事をに期待されている、価値観の良い所まで消えたか消えかかっているのは残念です。

前にも何度か書いたのですが、
私自身が、貧乏な家庭の生まれで、弁当はいつも鰹の削り節に醤油をかけたもの、服装は汚れっぱなし、そして私は人見知りする、気弱な子で、今なら恰好のいじめのターゲットになる筈の私でしたが、苛められた経験は全くありませんでした。
これは私だけでなく、地域全体としても、戦前の小学校から今でいう高校までの間、友達に朝鮮の人や、昔、差別をされていた人達の子どももいましたが、殆どいじめなどありませんでした。
これは、私どもがいた環境、つまり発展途上の街で新しい人が急激に増えているのを受け入れる開放的な環境と、当時「九州男児」に象徴される「男らしさ」が重んじられ、弱いものいじめをしたり、多人数で人の子をいじめるようまな「卑怯者」が軽蔑されるる環境にあったからと思います。

それが昔「九州男児」と言われるのを誇りに思っていた福岡県で、現在、2件ものいじめとそれに関する自殺事件が起こったのは大変に残念です。
そしていじめは卑怯者のすることだと言う考えの消えたことと、グローバル化と言われる時代に、閉鎖された子供社会に子供が閉じ込められいるのが、日本の各地と同じようないじめが起こっている大きな原因だと思います。

<<藤原正彦先生の卑怯を憎む心>>
11月24日の読売新聞にに「国家の品格」の著者の藤原正彦先生のコメントについて書かれていました。
先生のコメントの概要は、
[弱いものいじめの現場を見たら弱い者を助けろ。見て見ぬ振りをするのは、卑怯だ。助けるのに禁じ手がある。
1.大きな子が、小さな子を、男が女を殴ること。
2.大勢で一人をやっつけること。
3.武器を手にすること。
4.相手が謝ったり、泣いたらすぐやめろ。]
禁じ手の理由はすべて卑怯だから。

また藤原先生は、別の場所で、余所者や自分の合わない性格の人も受け入れることの出来ないじめっ子は心が狭く、そして人の気持ちの判らないからです。
藤原先生はこれを惻隠の情がないと言っておられました。


http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061126

藤原先生の言われる考え方は、武士道に立脚するもので、私が前に整理したものと比べて見れば判るように、「九州男児」に期待されている価値観そのものです。
私の小さい経験からしても、弱いものいじめをしたり、特定の人を大勢で苛めるものは卑怯者で人間として恥ずかしいことだと世の中に浸透していれば、そして私がいたころの様に、開放的な環境があれば、いじめなど大幅に減少出来ると思います。

然し、いじめ問題があれだけマスコミやインーネットで問題になっているのに、「国家の品格」が超ベストセラーになり、「品格」が流行語に選ばれたのに、何故「いじめは卑怯だ」の意見が殆どでないのは何故でしょう。
惻隠の情(思いやり)の言葉が滅多に出こないのは何故でしょう。

それは、藤原先生の意見が、武士道の考え方から出てきていることため、これを言うと軍国主義に結びつけられるのを意識的にまたは本能的に恐れているのではないでしょうか。
何故日本人が良いものは取り、悪いものは捨てるというバランス感覚を持ち、冷静な判断ができないのでしょうか。

いじめ→自殺、家庭内暴力、家庭内の殺傷事件の多発は本当に異常事態です。
もう暗い過去のトラウマから脱却して、昔の良いところを積極的に取り入れて、この異常事態に対処
するときではないでしょうか。

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川柳-老いの溜め息 28

2006-12-16 15:36:54 | 日々雑感

[同情の視線が痛い左遷の日]

「栄枯盛衰は世のならい」「人間万事塞翁が馬」と言いますが、会社勤めにとっては、転勤、出向などは避けて通れない道です。

それが左遷となると見送られるのも辛いですが、見送るの人も大変でいろいろ者の言い方にも気を使わねばならないので大変です。
そのため送別会や駅での見送りもどうしても湿っぽくなりがちです。
しかし、定年してもうはるかの歳月が過ぎますと、転勤も左遷、栄転も懐かしい思い出に変わります。

そしてない知恵を振り絞っていかにロスタイムを有効に過ごすか頭を悩まるのです。

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学校事務の合理化を考えませんか

2006-12-14 16:04:05 | 教育

12月12日の投稿で以下のようなことを書きました。
前日の私達の英字新聞輪読会で、記事の米軍基地の問題から、日本人の一部は物事を表面的にしか見ないし、これからの日本は中国の台頭にどのように対応するのか、市場主義経済では、日本は貧乏になって行くのではないかという深刻な話しに移って行きました。
帰宅後の読売テレビで次のような二つの報道がありました
もう一つの報道はもう古典的になりかけている、教員の問題でした。
そこである教育評論家の意見として、学校が成果主義を取り入れた為、教員相互のコミュニケーションや団結が消えて皆孤立してしまっていると指摘していました。

http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061212

<企業内の小集団活動による改善運動>>
実は輪読会の席上で、日本のバルブの崩壊時に、私は「多くの会社がレイオフに走ったのに、トヨタだけは授業員をそのまま維持し、その結果、会社への従業員の会社へのロイヤリティーと改善運動で現在の一人勝ちの会社になった」ことを話しました。
それについて、会員の元中学校の教師、それも社会科の先生から「改善」とはなにか聞いてきました。

私のように長年会社勤めをしていた者にとっては、改善運動は常識だと思っていましたので少なからず戸惑いながら説明しました。
つまり、戦後、米国から品質管理の考え方が、導入され、それを日本流に自主的な小集団活動にその考えを取り入れ、それがさらに改善活動に発展した事。
現在でも、多くの会社で自発的な小グループが組織され、作業時間外に設備、機械や作業の方法、管理システムなどについて討議され、会社に改善提案がされていることを説明しました。

(もしご関心をお持ちの方は、インターネットで、「品質管理」「改善手法」「QCサークル」(Quality Control Circle)「TPM」(Total Productive Maintenance)などで検索されれば多くの情報や資料が得られます。)


このことを説明しながら、私たちが学校のことを知らないように、学校の先生方も一般の企業について知らないのだと、改めて感じていました。

帰宅後の前述のテレビ放送で、教育評論家が、学校では成果主義評価による教師の孤立の他、教師が膨大な事務量に悩まされる問題点を指摘していました。
孤立の理由として評論家が言うほかに、仕事自体がクラス毎に孤立しがちお山の大将になりがちなこともあるかもしれません。
膨大な事務量や作業量の中に、過去の日教組と文部省以下の管理側の対立が生んだレポートの増加、躾けの悪い生徒に興味を持って貰う為の、面白可笑しく授業を進めるめの教材の準備、本来家庭が負うべき範囲の教育の負担などが教師にのしかかっているのではないかと思います。

そこで提案です。
<<学校内での小集団活動の提案>>
教師の間で小集団活動を始めては如何でしょうか。
勿論前に述べたような、教師の孤立化、過去の日教組対管理者の対立の構造の残差など、部外者には判らない様な、まず解決しなければならない多くの問題があると思いますが、とりあえずは自主的に賛同者達だけでも取り上げられたら良いと思います。
何故なら小集団活動は自主的な活動ですから。

具体的なテーマについて素人が言うのもおこがましいのですが思いつきのヒントを並べて見ました。

1.カリキュラムや教材の標準化。
これが出来れば、これを基礎にして、クラスの状況に応じて、少し応用するだけですむでしょう。
勿論これで費やす事務量が大幅に減るとおもいます。

2.レポートの種類と内容のスリム化
レポートは管理の手段です。
もし管理者と、教師の間に信頼関係があれば、レポートの自体の省略、また同じレポートでも、簡単に済ませる事が出来るはずです。 仮にカリキュラムや教材の報告が必要とすれば、例えばA方式(1.で標準化された方式名)と書き、後はそのその応用部分だけのレポートだけで済みます。

3.作業の標準化
出席簿、給食費管理などもう殆どの学校で、プログラムが出来ていると思いますが、その他の事務のコンピューター処理を拡大する。
殆ど全ての定例的な事務処理はコンピューターで処理できるでしょう。

4.不要または余り重要でない事務作業の廃止
前記評論家の言っていた様なアンケートの提出の拒否等。

5.教師間の情報の共有
お山の大将からの脱却

6.小学校の場合、特殊科目の専任制
例えば、同学年で3組あったとき、3人に3つのカリキュラムを作るより、1人で1つのカリキュラムを作るだけで済むし、専門家による精度の向上や、同一学級を複数の先生で担当できることになる。

7.教師の企業(官庁でなく)実習
改善活動の実習を含む。

素人が突飛なことを言って恥をかくのはこれくらいにしますが、教育法の改善、いじめ、学級崩壊、学級開放など運営面でも多くの提案が出されると思います。

ただ一つこの活動で注意しなければならないのは、
前向きかつ具体的に提案であり、単なる批判で終わらないこと。
これを継続して校長などの管理者の共感を得る事。
お互いの発言を抑えない事。

などなど、詳しくは上記の情報を見て研究して下さい。
なお下記のブログもご参照下さい。

「忙しい小、中学校の先生」
http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20060813

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結婚を失敗せぬための提案

2006-12-13 17:29:52 | 日々雑感
最近と言うより、すっかり定着した感のある、結婚難や離婚の増加の原因を戦前派の眼から考えて見ました。

1.最近の女性から見た結婚相手選定の条件
(1)優しい人
優しいの裏返しは優柔不断です。これでは戦後名実ともに強くなった女性には、もの足りたいでしょう。
妻に優しいのは他の女性にも優しいこと、これが妻の立場から見れば、浮気に発展する可能性を秘めていることを知るべきです。
(2)面白い人
家庭に入れば、いつも面白可笑しく過ごせるわけには行きません。
面白くないことも起こるでしょう。
(3)収入の多い人、背の高い人、ハンサムな人
うさん臭い金を稼いでいる人以外は、収入が多い事は、それだけ仕事で忙しくしているでしょう。
だから家庭をないがしろにする可能性もあることを考えるべきです。
誰でも狙うこのような男性への競争率は当然高くなるでしょう。
そして、その男性本人もそれなりの女性を探している筈です。
そんな人ばかり狙っていたら、結婚が遅れる可能性が高くなります。そして、歳を重ねるごとに、本人の商品価値(失礼、他の表現の仕方が判らないので)が下がってきてなお遅れることになります。
(4)同じ価値観を持つ人

2.その他の結婚失敗に理由
(1)一時の感情の昂りに駆られた挙げ句の所謂出来ちゃった婚
(2)結婚難から諦めてもう誰でもいいやと思う。
上の(1)(2)でも結構うまく言っている家庭もある様ですが、失敗した場合、1.や3.書いたような冷静な判断をしなかったことをょ後悔する可能性も多いと思います。
(3)女性が仕事を持っているための生活の行き違い。
女性が仕事を持つのは、今の時世ですから当然だと思えば当然です。
然し戦前派から言わせれば、家庭を守り、子供を産み、立派な人に育て上げることは、仕事を持つことと変わらず、立派なことだと思います。
だから、適齢期の女性がもっと多様な価値観を持って、人に惑わされずに自分の道に進むことをお勧めします。
(4)双方どちらかか、またはその親の介護問題の発生
自分が損ばかりしていると思う。
こればかりは、お互いの犠牲的精神に頼るほか、私もどうして良いか判りません。願わくは歳をとったらポックリと逝くことを祈るばかりです。

3.私が考えた結婚相手選定の条件(男女とも)
(1)健康な人
説明の必要はないと思います。
(2)頭の良い人
頭の良い人は、どんな状況になっても、適切な判断や助言をしてくれると思います。
生まれる子供が頭が悪かったら、天性のものですから、どんなに尻を叩いてもどうにもなりません。
(3)明るく思いやりのある人
いやな事や辛いことがあった時、パートナーが明るく、楽天的だったら、そして互いに思いやりがあったらどんなに助かるか判りません。
(4)同じ価値観を持つ人
(5)自分の価値観で、自分と相手の採点をしてみて、余り差のない人
私の考えで言えば、健康、頭の良し悪し、明るさ、思いやりなど各項目ごとに採点して見て相互の点数を比較して判断します。
自信がなければ、親友や両親にも採点した貰ったらどうでしょう。
然し最終判断は自分自身でします。
こうすれば自分の立場も考えない所謂高望みのための結婚遅れを防げます。
つまり相手自身も何らかの形で貴方、貴女を評価しているはずですから。
そして、結婚後も余りレベルの差がある場合は事が起こった時のお互い相手への不満となって来るからです。

4.結婚を長続きさせるため考え方
(1)パートナーへの思いやり
(2)忍耐
(3)ある程度の諦め
多分殆どの家庭の夫婦とも互いに、程度の差こそあれ皆このことを感じていると思います。

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