普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

中東の紛争や戦争から学んだもの(3)[日本人として恥ずかしかったこと(2)]

2006-06-29 09:56:50 | 国際社会

<<一次湾岸戦争のへの協力への批判に対して耐えねばならぬこと>>

一次湾岸戦争の時は金の協力だけで、日本の貢献度については殆ど無視されました。

大義の為に、生命の危険を冒すのと資金を出すだけの評価が大きく別れるのは当然です。

また戦争が済むまでぬくぬくと安全な所にいて、戦争が済むや否や市場主義経済の恩恵に預かるのは、ずるいと批判されても仕方がないでしょう。

然し、戦争を放棄した日本の国民として、このようことで諸外国の批判を受けたり、恥ずかしい思いをするのは、当然耐えねばならぬことを、非公式な形でも政府が国民に表明すべきでしょう。

<<中東での戦争の協力の表明>>

一次、二次の湾岸戦争、アフガニスタンの戦争の時、米国の行動開始に際し、日本政府は直ぐに支持を発表しました。何のコメントもなしに。

然し、日本は戦争を放棄した国です。

支持の発表にも平和憲法を持たない国と違った発表の仕方があったのでないでしょうか。

日本のこのような無条件の支持の発表は、日本の一部の人たちや、日本にあまり好意を持っていない国から見れば、日本は憲法の制約がなければ、本当は戦争に参加したがっているのだ、解釈されかねません。

このことは今後予想される憲法論議にいろいろな支障がきたす事にもなりかねないと思います。

<<ガセネタに基づく戦争への協力>>

小泉さんが首相らしくもない「ガセネタ」と言う俗言を使っていましたが、大量破壊兵器に関するそのガセネタが、彼に、多くの論議があるイラク戦争への協力の決断させた一因となったようです。

然も、そのガセネタが米国から掴まされたものであり、その正否を判断し、重大なまた憲法に抵触するかも知れぬ国の進む方向を定めるのに足りる情報を日本が何も持いないまま、憲法に抵触しかねない決断しなければならなかったらしいのに、大変恥ずかしくなりました。

<<情報機関を持つ必要性>>

例えCIAほど強力でないにしても、相手国の法律や国際法に触れない範囲の情報蒐集組織を日本も持つべきではないでしょうか。

戦争しないからいらないと言うより、多くのストレスを抱えた他国とも友好関係を保たねばならない戦争を放棄した国、外国とのトラブルの解決は外交に頼る他ない国だからなお必要なのではないでしょうか。

日本が米国のポチなどいわれないよう、米国の行動に無条件に賛成する前に、日本独自の情報に基づく、米国へアドバイス出来る程の情報網を持つべきだと思います。

 参照June22, 27, July 4, 6 投稿

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中東の紛争や戦争から学んだもの(2)[日本人として恥ずかしかったこと(1)]

2006-06-27 14:31:42 | 国際社会

<<同胞から救出を拒否された日本人>>

私が1年半になるイランへの出張から帰国して間もなくの、1979年に起こった「ホメイニ革命」に伴う混乱を避ける為に、残った人たち全員が引き上げることになりました。

イランの南部からテヘランまでの砂漠地帯を走るのは山賊が出るので危ないと言って、何人かのイランの人たちがボランティアで、身の危険も顧みず、見張りについてくれ、日本人はバスの中に実を潜めて、暗夜を利して走ったそうです。

ところが、テヘランでは日本の飛行機が全て欠航のため、何日も待った後、ドイツの飛行機でアテネ迄飛び、やっとJALに乗換えたそうです。

私は日本で、当時の航空会社の労働組合員が、危険を理由に同胞を救出する救援機への搭乗を拒否したと言う報道を見ていました。

イランの人たち、ドイツの飛行士の人間愛と勇気に比して、敗戦がいかに日本人の心を貧しくしたのかを改めて知って本当に情けなく恥ずかしくなりました。

これと良く似た様な状況だった第一次湾岸戦争の後、政府は他の理由をつけて政府専用機を作りました。

NHKのプロゼクトXで中東の紛争のとき、トルコの飛行士が身の危険を顧みず、日本人を運んでくれた話が出ていました。

然し、この時も、日本の航空会社の組合の搭乗拒否の話は放送の中では出ていませんでした。

多分、政府の人もNHKの人もこんなことを言うのは恥ずかしかったのでしょうね。それとも何か理由があったのでしょうか。

このような耳障りの悪い話は、決してニュース報道の中では出てきません。

然し、最近、話題になっている、日本人の品格、フライドについて考えて貰う意味で、若い人達にもこのことを是非知って貰いたくて、あえて投稿しました。

June 22, 29, July 4, 6投稿参照

 [我が生命はみんなの生命より重い]

 

 

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元中学校教師への手紙(7)[私が見てきた教育荒廃の歴史]

2006-06-25 10:26:57 | 教育問題

<<マスコミの報道とその社会の教育環境への影響>>

日本の教育問題を考える上で、学校で習うもの以上の膨大の情報量を持つマスコミの生徒たちに対する影響力、また社会の人達に対する影響力は計り知れないものがあります。

そのマスコミには下記のような傾向があり、それが日本にとって良い影響も与えたかも知れませんが、また下記のような悪影響を及ぼしているのも間違いのない事実のような気がします。

<報道の偏りが生んだもの>

(1)物事を真っ直ぐ、かつ公平に見る目を曇らせ、一部の人に責任は全て権力や他の人にあると言うような一方的な考えを定着させ、教育の荒廃や少子化等の基本的な問題点の解決を遅らせた。

(2)日本にもまだまだ良い所が多くあるのに、悪いことばかりの報道で、日本人として、または個人としてのプライドを失わせた。

(3)同じ理由と、一部の進歩的?な人達のルール軽視の発言が日本人の倫理観を失わせた。

(4)バブル、ビッグバン等の無批判の報道で企業の倫理観を失わせた。

具体的には、来週以降の個々の例で申し上げることにします。

<マスコミの傾向>

1.日本のメディアは権力や強者には厳しく、弱いものには同情的で、極端な場合強者は悪、弱者は善と言わんしたばかりの報道をしがちです。

ところが、大きな影響力を持っていた農協や日教組などの一種の権力機構に対して、殆ど報道や批判をされなかったは何故でしょうか。

(1)教育の荒廃の問題例えば、学校の荒廃の問題では、最初は文部省に全責任があるようなこと言い、次は校長や教育委員会、それから先生方、最後には家庭に一番大きな問題があるようだと判り出して、メディアの報道は鎮静化し、既成事実化てしまいました。

教育荒廃の報道が盛んだったころ、学校教育に大きな関係のある日教組の問題に触れられてなかったのは何故でしょう。

(2)農村の経済問題米国から穀類を買うように圧力がかかった時、当時私が取っていた全国紙には、農村が産業界の輸出の犠牲になっていると言う投書があっても、その反論の投書が全くありませんでした。

実際は、産業界の輸出と政府の一種の社会主義的政策が、低い生産性の農村の人達でも、都会の人と余り変わらない生活レベルを可能にしている事実についての投書もその解説もありませんでした。

そして農村の生産性を上げる必要性と、その中心となるべき農協等の農民の大組織の役割と責任について、詳細に述べたマスコミがどれだけあったでしょうか。

(3)農村の花嫁の問題農村の花嫁不足が問題になっていたころ、男性の立場と彼らが農村を維持して行く責任ばかりの報道で、男性と同数を占めている女性の立場や責任の報道が殆どありませんでした。

この問題に対する報道姿勢と、現在、大問題になっている少子化に対する女性の立場、責任に対する姿勢が全く同じような気がします。

2.日本と外国に対する不公平な報道姿勢

南京の大虐殺の報道はしても、(米国の占領が済んだ今でも)米国の原爆の投下が戦争犯罪であると言わない。

韓国併合の問題について解説する時に、植民地時代の背景について触れない。

海外旅行が戦後盛んなったころ、海外から帰った日本人が「やはり日本が一番良い」と言うのを”日本よいとこ症候群”と揶揄したニュース・キャスターの例や、イラク戦争中のどの国に一番期待するかと言うイラク国民へのアンケートで、日本が一番に上げられたことを僅かのNHK、読売ほか僅かの報道機関からしか報道されなかったのは何故でしょうか。

3.社会現象を鵜呑みにする報道   

もう一つの特徴は、ある社会現象が破綻をきたすまでは、それを当然のように鵜呑みにして報道する。

バブルのときにバブル自身に対する批判もないし、ビッグバンと言えばそれを金科玉条にするように、ある事を何の批判もなくそれ基準においてすべてを判断しようとします。

教育にも大きな関係のある少子化の問題のような、もっと基本的な問題について、少子化を当然のこととして、少子化に伴う目先の問題しかいってないようです。

少子化が本当に良いことか、また問題とすればどうすれば良いかと、研究し意見を発表するべきではないでしょうか。

最近のことでは、ホリエモンさん、村上ファンドの全盛時の報道と手のひらを返したような今の取り上げかたとりあげ方を見て下さい。

4.ルールに違反すのを、進歩的?と思っているかのような報道

最近では、あまりないようですが、一昔は例えば、指紋押捺拒否で処罰された人が処罰に反対するのを、無批判に報道するのではなくて、押捺拒否には一理があるが、国家のルールには従うべきだという批評家やマスコミの意見は殆ど報道されませんでした。

学校の問題では、ナイフの所持の問題が法律違反だし、学校内であっても治外法権でなく器物損壊も、他の生徒や先生に対する暴力も、先生に対するとと同じように基本的には法に照らして処罰されるべきだというような、ごく当たり前のことが何故言えないのでしょうか。

当たり前のことを言えば世論をリードすべき批評家やマスコミの沽券にかかわるとでも思っているのでしょうか。

5.ネガティブな面の報道に偏った報道姿勢

ネガティブな面の報道は当然ですが、ポジティブな面や日本人を元気づけるような、「頑張っている人や企業」のレポートや、2月5日付け読売で見た、米国の大学とBBCの世界の人の世論調査で「世界に最も好影響を与えている国は日本」といった報道をもっと多くの報道機関で取り上げて貰えば、日本人のプライドや倫理観を保つ上で役立つと思うのですが。

(May 17と毎週日曜日投稿参照)

 http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20060525 http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20060613

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川柳 老いのため息-5

2006-06-24 08:20:56 | 川柳

[この足に頼る他なし靴磨く]

まだ若かったころ会社の連中とバイクを借りてドライブに出かけたことがありました。

不器用で臆病な私はいつも一人取り残されて、他の連中に待って貰うと言う情けない覚えをしたのが、車の免許を取らないまま年老いてしまった原因です。

だから僕の唯一の交通手段は電車かバスの他は足に頼るほかありませんでした。

おまけに趣味の登山で人一倍足を酷使する結果となりました。

年とともに体力、知力、気力とも衰えましたが、お蔭様で脚力だけは、人並みに保っています。そして、毎日その足のお世話になっております。

(毎週土曜日投稿参照)

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中東の紛争や戦争から学んだもの(1)[米国の民主主義とは]

2006-06-22 10:22:41 | 国際社会

祝 自衛隊のイラク派遣業務終了!!!

自衛隊のイラク派遣終了の発表を期に中東の諸問題から学んだことを纏めて見ました。

<<もし昔、米国がイスラエルの制裁決議に何度も拒否権を発動しなかったら>>

多分、当時の政権は次回の選挙で一部の有力者の支持が得られず苦戦したか、負けたかも知れません。

然し、イスラエルとパレスティナの紛争は今ではとっくに解決しているのかも知れないし、9月11日に多くの犠牲者を出さずに済んだかも知れません。

<<もし、米国が安保理の決議を無視して、イラクに先制攻撃をしかけていなかったら>>

多分、ブッシュ大統領は、次回の選挙で一部人たちの支持が得られず苦戦するか、負けるかも知れません。

然し、イラクでの戦争は避けられなかったかも知れぬとしても、米国兵士の戦死者は今より遥かに少なかっただろうし、イラクに平和がとうにがもう戻っていたかも知れません。

それと間違った情報に基づいて戦争を始めたことを認めねばならかった、醜態も世界にさらさずに済んだでしょう。

<<もし、イラクの政権が出来た今、米国がその軍隊と、開戦後イラクから得たと言われる権益を全て引き上げ、今後ともイラク政権への影響力を行使しないと決めたら>>

多分、ブッシュ政権は直ぐに転覆するか、次回選挙では大敗するのは間違いないでしょう。

然し、世の中で密かに言われているような、米国が民主主義の名のもとの帝国主義の道に突き進んでいる国だ?と言う誤った考えを一新するのには、絶好の施策でしょう。

そして世界の批判を浴びた戦争開始時の独断的行動やポカも帳消しにして、世界中の人たちがやはり米国は大統領の言うように大義を重んじる国だと、改めて見直し、世界のリーダーに足る国だと思うでしょう。

<<グローバル民主主義を推進するために>>

 三番目の仮定は現実離れしすぎていると思いますが、世界のグローバル化、民主主義化を進めている米国が改めて、民主主義のクローバル化推進のリーダーとして、今後たとえ気にいらない議案でも、民主主義の原則に基づいて最終的には国連での多数意見に従うようにすれば、今までの経験してきた世界情勢よりもっと良い方向(米国にとっても、国連にとっても、世界にとっても、日本にとっても)に進んでいくのではないでしょうか。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。↓
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June 27, 29, July 4, 6投稿参照       

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官庁やマンションのエレベーターのメンテナンスについて

2006-06-20 09:35:10 | 教育問題

今回のシンドラー社のエレベーターの事故について、50年にわたり大工場でメンテナンスに関わり、保全体制の弱い開発途上国3ケ国の保全の指導、協力した経験から、官庁、マンションのオーナーや管理組合の関係者に気がついたことを書いてみました。

内容やその目的の細かな説明は、省いておりますが、今回のことに関する報道や、関係先内部の対応を見れば判ると思います。

<<マンションノ入居予定者へ>>

マンションノ入居予定者に是非知っておいて貰いたい事

1.エレベーターのメンテナンスは自動車のように、定期点検は欠かせぬこと。しかも 設備にかかる荷重は自動車より遥かに大きい事。

2.自動車事故は基本的には自己責任による事が多いが、エレベーターだけは利用者ではどうにもならぬことが殆どなこと。

耐震偽装の問題で大変でしょうが、入居検討の際にはマンション付属のエレベーターのメーカーやそのトラブル実績も充分に確かめられることをお勧めします。

<<マンションの所有者へ>>

発注前に充分に検討して置くべきこと

1.メーカーの能力だけでなく、過去のトラブルの実績やサービス体制の実情を調べ置く事。  

特に過去の三菱自動車のように、自己責任を回避するような会社は避けること

2.エレベーターを発注する時は、将来のメンテナンスを考えて発注すること

3.発注仕様書にその条件を明記しておくこと

4.特に、ブラックボックスになりやすい、コンピューターを利用したデバイスの保全をどうするが明確にする。基本的には保全の責任はメーカー側にする

<<発注の条件>>

A.納入後の保全をメーカーに依頼する場合  

工事見積もりとは別に、保全に関する下記のような諸条件、その為の費用の見積もりを別途提出させ、業者決定の資料にする。

B.発注側にエレベーターの保全責任者がいて、発注側で保全実施の全責任をとる場合

1.以下のことを見積もりの条件にいれる。

(1)保全に必要なマニュアル、構造の明細書の提出。

(2)保全に必要な予備部品の適正価格による提供と以後の円滑な供給(3)発注先に要請に応じ、指導員の派遣等の協力の確約

2.保全責任者に建設当初から参画させ、特に上記の件のチェツクや、建設時の立ち会いに当たらせる。

3.もし上記の件で自信がなければA.の選択も考慮する。            

C.発注側にエレベーターの保全責任者がいなくて、納入後の保全をメーカー関係以外の保全業者に丸投げする場合

1.保全を他業者に発注すること、B.1.の条件を入れる。保全業者により、B.1への対応が変わることがないよう確約させる。

2.オーバーホールや重要設備の保全工事に対する監督者をメーカーから派遣して貰う。発注契約書に明記する。

3.保全業者に保全記録のを全て提出して貰い、業者を変えるときに、その伝達を確実にする。

要は、

1.エレベーターの問題は発注時の業者の選定とその発注書類によるその責任の明確化がすべて決まって仕舞う事を忘れてはならいことだと思います。

2.納入後の保全をメーカーまたはその関係会社以外で計画されている時、指導員の派遣は、設備の重要性、ブラックボックスであるコンピューター機能が入っていることと、メーカー責任の明確化から、絶対外せない条件です。

3.特に官庁の方は、競争見積もりがやかましく言われている時で、大変と思いますが、この事は心に止めておかれたほうが良いと思います。

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元中学校教師への手紙(6)[私が見てきた教育荒廃の歴史]

2006-06-18 06:53:08 | 教育問題

<戦後の教育に欠けていたもの>

敗戦後、アメリカは憲法から学校教育、社会教育に至るまで、全てのやり方と制度を変えてきました。

神道や武士道などは完全に否定され、民主主義や自由や権利が強調されました。

しかし戦後の教育の基本的について大きな見落とし(一部の人が言う様に、米国が意識的にしたとは思いたくありませんが)がありました。

それはアメリカの教育制度のベースにはイラク戦争の時に有名になった”ネオコン”でも判るように、社会生活から政治まで大きな力を持っているキリスト教があり、建国以来のフロンティア・スピリットやフェアプレイなどの社会を規制している考え方があります。


<仏教の衰退>

然し、日本では、それまで国民の生活のベースとなっていた仏教。そして、神道を否定された中で、戦後の社会の教育環境の整備や、敗戦後の国民の精神の支えになるように一番頑張らなくてはいけなかった仏教も、時代の流れについて行けずに、すっかり衰え観光と葬式仏教となりました。

(唯一の例外があります。オウム真理教です。つまり国民の一部にはこんな怪しげな宗教に頼る程、精神の支えを求めていたのです。)

<自信を無くした家庭>

一方、国民全体も私の小さな例のように、皆自信をなくして、「忠義」の否定とともに、日本古来の親切、思いやり、和の精神、自然や他人に対する感謝の念といった美風さえ、権利、自由の考え方の前にすっかり影が説得力がなくなってしまいました。

<特定思想を持つ先生に純粋培養された生徒>

つまり戦後、日本では一部の家庭を除いては、学校以外に、社会での教育機能がすっかり無くなってしまったのです。

そして肝心の学校では熱心な先生方が中途半端な民主主義を教えており、 なお一層熱心な社会、 共産主義を信奉する日教組の幹部が先生方をリードしていたのです。

多様な価値観を持つ一般社会のブレーキもなく、 当時叫ばれていた教育の独立の名のもとで、 子供達は半ば隔離された状態で一部の人から見ればバランスの取れない教育されてきたのです。

言わば生徒達は閉ざされた空間の中で純粋培養されてきたのです。 (最近になって開かれた学校などと言われていますが。)

<教育改革の遅れ>

従って米国進駐軍が撤退した後の、日本自身が負うべき戦後教育にの責任は、理屈から言えば文部省ですが、その他にも、良く引き合いに出される日教組だけではなく、マスコミ、宗教界、一般国民の全てにあると言うのが公平な見方でしょう。

国鉄改革と言う大仕事をし、与党にも大きな力を持つた中曽根さん始め、多くの人達がレビで教育の荒廃を嘆いているのに、教育基本法の改正がやっと出た、最近まで与党が教育問題に本格的に手を付けられなかったのは何故でしょう。

衰えたとはいえ、まだ学校教育に大きな影響力を持つ、日教組、それを支持する革新を名乗る超保守政党と、それを支持する全国紙を含む一部マスコミ、その報道をうまく利用している一部の国に遠慮していたのでしょうかね。

特に印象的だだったのは、元日本社会党のベテラン議員で、女性の地位向上の運動で有名だった加藤シズエさんでさえ、テレビで教育改革の必要性を説いて居ましたが、彼女は真意は何だったのでしょう。

<教育の荒廃から社会劣化への道>

このように心ある人が嘆いている間、純粋培養された生徒が親になり、子供を生み、その子が成人して、その一部の人が、今、戦前では考えもつかなかった事件を起こしたり、また親になって、子供を生み、そしてその一部の子供たちが、今、学校で問題を起こしているのです。

<<マスコミの社会に及ぼす影響>>

忘れてならぬのは膨大な情報量を持つマスコミの教育や社会に及ぼす影響ですが、紙面の都合で6月25日の報告に譲りたいと思います。

(May 17と毎週日曜日投稿参照)

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川柳 老いのため息-4

2006-06-17 10:18:40 | 川柳

[兄嫁といれば可憐に見える妻]

、[見ていないようで見ている団地の眼]と言う句が市の広報紙に載っていたのを見た家内から、「こんなものを出してお蔭で、あたしが団地の人から何と言われているか知っている?」と強くお叱りを受け、今後こんなものを作らないと約束させられました。

実は定例の句会で出した句を先生が市の広報に回したのです。

そして、同じ句会で、「兄嫁」の題が出て直ぐに上の句を思いついきました。

ところが困った事に、その兄嫁が同じ市内に住んでいるのです。もしこの句がまた市の広報紙に載ったら一大事で、また家内だけなく、兄嫁からも何を言われるか判りませんので、句会に出すのはやめにしました。

でも、折角出来た句をそのままにしておくのは勿体ないので、ブログで皆さんに見て貰う事にしました。

ただの遊びごとといっても、いろいろ大変です。

(毎週土曜日投稿参照)

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高裁の新聞記者の取材源秘匿容認報道で思い出した事

2006-06-15 08:37:57 | 情報、マスコミ

6月14日付けのの読売で表記の報道がされました。

これは全く当然のことで、特に言葉を挟む理由はないでしょう。


<新聞社が秘匿しなければならない物>

然し、私はこれに関連して、一時、世間を賑わせた、朝日新聞の模擬裁判の報道に関する論争を思い出しました。

私たちには、ことの真偽は判りませんが、朝日に対する自民党とNHKから何度もあった抗議と疑問点についての説明の要請に対し、朝日はこの件に関して訴訟を検討していると言う理由で説明を拒否していました。

他紙や、NHKの報道から考えて、少なくとも朝日にも一部の不利な点があり、もしかしてこのまま頬被りして仕舞う作戦かなと思って、没になりましたが新聞に投稿したこともありました。

案の定と言うか、当然にと言うか、朝日が訴訟を起こしたと言うニュースは聞かないままです。多分朝日は法廷の場で事が明らかになる事を恐れたのでしょう。

当時、NHKは公共機関としての透明性を問われていましたが、朝日新聞もいくら商業紙とは言え、二大新聞の一つとして、日本の大きな権力機構の一つとして、皆がある程度の納得が出来る透明性を国民や読者が朝日求めていたのではないでしょうか。

新聞社が秘匿すべきものは取材源だけで良いのではないでしょうか

あの時、朝日新聞に暗いイメージを持ったのは私だけでしょうか。

最近の朝日新聞の「言葉は力、言葉はーー」と言うテレビコマーシャルを見るたびに、白けているのは私だけでしょうか。

追記:

私の方針としてある特定団体について批判がましいことをブログに投稿した時は、道義上、その団体かその有力者のホームページに、同じ内容を投稿して私のブログで反論して貰うよう書き添えています。

今回も同じように、朝日新聞のホームページを見ましたが、ただ一つの例外を除いて、どこにも掲示板的なものが見当たりませんでした。(もしお気づきの方がありましたら教えて下さい。)

その例外とは「教育基本法反対」のキャンペーン欄でした。そこをクリックすると反対の意見ばかりです。本当にびっくりしました。
そして投稿欄の最後のコメント欄の下に、基本法に反対する  のボタンがありました。つまり反対意見しか投稿出来ないようになっているのです。

これではまるで社民党や共産党の機関紙ではありませんか。

全国紙として、もし中道、百歩譲って中道左派の道を選ぶのなら、キャンペーンのタイトルは「教育基本法について考える」とすべきだし、最後のボタンも基本法に賛成する のボタンがあるのが当然ではないでしょうか。

これを見て、昔、同新聞を取っていた時の、反権力、反日の丸、反国家、反政府、反官庁、反大企業で埋めつくされた、投書欄を思い出しました。

そして、そして明らかに同社の幹部記者と思われる人の書いた記事の中(さすがに社説ではなく)で、いずれ国民は企業や、諸機関で、真実を知るのだから、これぐらいの一方的な報道方針で丁度バランスが取れるのだと言う、言い訳じみたことを書いているを見てあきれたことも、思い出しました。

皆さんこんなこと信じられます!!?

<<グー・ブログを見ている朝日新聞の関係者にお願い>>

朝日新聞の報道で、世の中に役立ったことも多いと思いますが、貴方たちの一方的な報道が今日の社会劣化の一つの原因になったかも知れないことも謙虚に考えて貰ったらと思います。

そして、"国のため"と言ったらまた一言あると思いますが、日本と言う社会のために、朝日新聞も日本の大きな権力機構の一つであることを認識し、是非中道の道を歩いて貰いと思いますが。

関係者はこのような当然すぎることを社内で発言する機会も与えられていないのでしょうか。

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少子化問題について(3)(女性の責任)

2006-06-13 22:54:00 | 少子高齢化

<頼りになる女性達>

少子化の問題で避けて通れないのは、女性の責任についての考え方です。

テレビの少子化に関するテレビのインタービューで、子供を持つ自信がないと言うのはよく分かりますが、一人でいる方が楽しいとか、他にやりたいことが一杯あるとか女性の人が言うのを聞くと、少子化に関する女性の責任などについて読んで貰えるかどうか、心配していました。

然し、先日の日テレ系の「たかじんのそこまで言って委員会」の放送を見て、ひょっとしたら読んで貰えるかも知れないと思いました。
男女共同参画というテーマで田島陽子先生と遥洋子さんの熱弁の後、司会者が彼女達の意見に賛成の人の拍手を求めた所、半分近く女性が占めている聴衆から、全く拍手がありませんでした。

そう言えば、昔、私たちの英語のクラスで、外人の女性の先生が、いかに日本女性が惨めた立場におかれているかを話した後、クラスの女性達にもし貴女達が生まれ変わるとすると、外人と結婚するか聞いた所、一人も手を挙げる人がないのを見た先生のキョトンとした顔が今でも思い出します。

つまり日本でも自分の考えをしっかり持った女性も多いこと。
然し、テレビではそんな人の発言を殆ど放送しないこと。
それと女性が少なくとも(私の家のように)家庭では支配的な立場にあるのを良くわきまえていることです。

<<女性の責任>>

日本のメディアは権力や強者には厳しく、弱いものには同情的で、極端な場合強者は悪、弱者は善と言わんばかりの報道をしがちです。
そしてそれが日本を可笑しくさせて来た一因となっているようです。

例えば、学校の荒廃の問題では、最初は国に全責任があるようなこと言い、次は校長や教育委員会、それから先生に批判の矛先を向け(何故か日教組は対象外)、最後には家庭に一番大きな問題があるかも知れない事が判って、メディアの報道は鎮静化して、荒廃の問題はメディアにとって既成事実の取り扱いになってしまいました。

もっとも教育基本法の問題が出てきて、また国の批判が始まりましたが。

女性の問題について言えば、昔、農村の花嫁の報道が盛んな時がありました。
然し、農村の男性の立場から、嫁が来なくて困っていることを報道しているのは良いが、農村の人口の半分を占めている筈の、女性がテレビの画面に殆ど出てこないのです。

農村を守る責任が仮に男性があるとすれば、当然同じ農村に住む女性にもその責任があると立場からの検証が殆どないのです。

女権論者からすれば女性を馬鹿にするなと言わねばならぬ事ですが、そんな意見も殆ど出ないので、当然に問題の解決にいたらず、教育の問題と同様、既成事実化して、メディアにも殆ど取り上げられなくなりました。

<少子化に対する女性の責任>

田島陽子先生の立場からはまだまだ不満でしょうが、既に家庭では女性が磐石の地位を占め、社会的地位の向上とともに、女性の社会に対する責任の重さも増えてくるのも当然です。

特に女性にとって大きな負担を強いる出産の問題については、女性の意見が大いに反映されるべきなのは当然です。

それで女性自身が、自分自身の立場だけでなく、国と言う私たちが生活を共にしているグループの将来も考えて行動すべきだと思います。

<少子化に対する若い夫婦の責任>

これが戦時中だったら、「生めよ殖やせよ」の大キャンペーンをやる所でしょうが、そんなことをしたら軍国主義の再来を狙っていると批判が出ます。

人によっては、少子化が必ずしも悪くないと言う人もいますし、労働力が足らなければ輸入すれば良いと言う人もいます。
然し、彼らは少子化から派生する年金の危機などの余りにも多くの問題、労働者の輸入に伴う人種問題や階級社会化等は余り言わないし、勿論、そのその具体的な解決策など出そうとしません。
このような楽観的な発言には眉に唾を付けて聞くべきだと思います。

結局は一番の当事者として、夫婦自身で問題を考えるしかないような気がします。

<子供に対する親の責任>

昔だったら普通3~5人からの子供がいて、その家庭の中や近所の世界の中で自然と社会のルールを学んで来ました。

現状からして全く仕方がないのならともかく、自分たちの都合だけで、子供を一人だけ生むことで、そのような子供の権利や勉強のチャンスを奪って良いのでしょうか。

今でも、進んで来ている少子化がその子たちの教育面で、良くない影響を与えているのも考えるべきではないでしょうか。

私が6日に投稿した貴方たちの老後の問題、今の立場、国の将来の問題等考えると多くの選択肢があり、それのどれを選ぶかは本人の価値観の問題で、誰も批判できることではありません。そして政府の人達もその選択に対して何も言えないのも事実です。ただ一つお願いしたいのは、貴方達の選択が貴方達自身だけてなく、国の将来も決めることを良く考えて、充分過ぎるほど良く考えて頂きたいのです。

(June 6, 8 投稿参照)

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元中学校教師への手紙(5)[私が見てきた教育荒廃の歴史]            

2006-06-11 11:07:06 | 教育問題

<<落ちこぼれ>>   

同じ頃娘が小学校の先生になり5年生を担当しました。

新米の先生で教え方も拙か ったのでしょうが、生徒の中に学習についていけない人が何人か出たので、校長に補修授業をしたいと申し入れたのですが拒否をされたそうです。娘に聞くと、他の先生の振り合いが(労働負荷の増大の心配?) あるからの言うのです。

彼女は持ち上がりで6年生を担当しましたが、私が 答案の採点の加勢をしているとき、何人かの生徒が全くの不成績なのを知り、その頃 問題になっていた落ちこぼれの実態を目の当たりにしました。   

この責任は贔屓目でなくても、明らかに新米の先生でなくて、当時猛威を振るっていた日教組加盟の労働者意識に目覚めていた先生ばかり見ていて、肝心の生徒の方を見て居なかった校長にあったのではないでしょうか。   

その時思い出したのですが、私の子が小学生のとき、判らないことがあったら、両親によく聞 いてきなさいと言われたと言っていたのに驚いたこともありました。学校は判らない ことを教える所ではないでしょうか。         

<<生徒との触れ合い>>   

娘が生徒とピクニックに行く計画を立てたとき、校長は事故が起こったら困るとまた許可を出さなかったそうです。

その時も校長は何かあればすぐ学校のせいにする父兄や、他の先生方の振り合いのことを気にしての判断だったのでしょう。この校長は他のことで知ったのですが、立派な人格者だっただけになお一層学校の問題点について考えさせられことを覚えています。私の5月28日と6月4日の投稿の、権利ばかりの授業の弊害がもう昭和50年こらから出かけているような気がします。

私が見聞したこのような小さな例から見ても、当時の(ことによると今の?)生徒達の一番の不幸は校長や、先生達の関心が、学校教育の一番のお客さんである生徒でなくて、日教組加盟の先生方、教育委員会、父兄に向けられていたことではないでしょうか。

[落ちこぼれみんな政府の所為にする]

 (May 17と毎週日曜日投稿参照)

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川柳 老いのため息-3

2006-06-10 09:27:41 | 川柳
[待つくらい何だ診察直ぐに済む]

大病院で受診のために長い間待たされるのは大変ですね。

私も病院で待たされるのは嫌いです。何故なら待つのにイライラして直ぐ血圧が上ることてす。そしてその結果を見て、今までの成人病の薬の他に高血圧の薬まで飲まされていることです。

然し現在、月に一回通っている所は、九州では脳手術で有名な病院ですが、待つのにも診察にも時間がかかりませんのであまり苦になりません。

医者「特に悪い所はないですね?」
私「お蔭様で。」
医者「それではいつもの薬をあげましょう。」
私「有り難うございます。」

待ち時間: 15分
診察時間:1分05秒

(毎週土曜日投稿参照)
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少子化問題について(2)(人的資源と階級社会)

2006-06-08 11:28:39 | 少子高齢化

<人的資源しかない日本>

日本は良く言われるように、人的資源しかない国です。
そして、その唯一の資源を使って、厳しい市場経済の中を生き抜き、しかも、その大きな恩恵に預かってきている国の一つです。
そして唯一の人的資源が減っているのが少子化に関する大きな問題の一つであることは誰でも知っていることです。

その解決策として他国からの作業者や技術者の導入が言われており、一部の会社では既に実施されているようです。
日本で従来から認めていた、技術者などのや特殊の才能を持つ技能者の導入は、今までも殆ど問題なかったようですが、作業者の全面的な導入は考える必要がある気がします。

その例として西欧や米国では作業者の流入に伴う問題も多く出ているようですが、報道で見る限り国を揺るがす程の大きな問題にされてないようです。

<私が経験したカルチャーショック>


それは西欧や米国は後で書くように、一種の階級社会から成り立っており、国民の間でもそれを容認する風潮があるからのような気がします。

それについて私の経験した小さなカルチャーショックを聞いて下さい。
私の始めての海外勤務でブラジルに行った時驚いたのは、海岸でネイティプのアメリカ・インディアンや、黒人、西洋人等さまざまな顔色や髪の色をしている子供たちが、日光浴をしているの夫婦の周りで遊んでいたことでした。

現地の友人にその事を話すと、米国では人種差別がないとか、平等、自由とか言っているが、本当の意味の人種間の交流や、平等といった点ではブラジルのほうが遥かに進んでいると言って自慢していました。

そのブラジルで、私たちのグループがホーム・パーティーを計画し、前のアパートの人達も招待しました。
実はそこの娘がかってその州のミスに選ばれた美人で、その人が来てくれるのを密かに期待していました。
然しその家族がよこしてくれたのは、その家の女中だけでした。
後で現地の人に聞いて判ったのですが、私たちが招待した人の中に、私たちを世話してくれていた女中や、会社お抱えの運転手などがいたので、そんなパーティーに家族が行くなど沽券に関わると思ったのでないかと言う事です。
こんな事など、会社などの上下関係や、職業抜きで、知った人を皆同じに扱いにするのが習慣の日本人には考えられないことです。現地の人が自慢していたブラジルでも階級社会があったのです。

数カ国の海外勤務で判った事は、その国の人達やその国を構成する人種によって、非常に優秀な人達もいるし、私たちが見習うべき良い所も多くある一方、市場経済に就いて行けない人も中にいるのは現実問題としては認めざるを得ないのも事実です。

このことについては、日本政府は勿論言わないし、メディアでも人種差別と取られかねないことを言う人はありません。

然し、低い収入から何時までたっても抜け出せない、単純労働者が増え、能力の高い人がさらに高収入を得ると言う状態が進めば、私が経験したように収入の差による階級が生まれることになります。


話で聞く米国のスラム街、ガードマンが常駐する壁に囲まれ金持ちのコミュニティー。私がブラジルで見た、設備の整った街の高層マンションの裏の給水さへ不便な貧民街。マレーシャのように、人種問題解決のために、一部の人達に特別待遇をするなど、日本人として割り切って行けるでしょうか。

<労働力導入と階級社会の形成>


今、格差社会が問題になったいますが、それが進んで階級社会になるなど考えられますか。それに西欧のように人種問題が絡んでくれば、そんな事には不慣れな日本政府も右往左往することでしょう。 

勿論、各国ともそれぞれの事情や、違って価値観もあり、それを尊重しなければなりませんが、日本も国内事情や価値観を基準にして判断する必要があると思います。

一番困った問題は、人種間による市場経済への適応性の差の問題が、報道されないので、(私も仕方ない事だと思っていますが)、特に結婚適齢期の若い人達が、イージーゴーイングな労働力の導入の議論を聞いて、少子化が進んでも何とかなると思いがちになることだと思います。

[人的資源しかない国の子供減る]

(参照June6,13投稿)

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少子化問題について(1)

2006-06-06 16:29:36 | 少子高齢化

<<終わり良ければ全て良しか?>>

6月1日の出生率1.25%の報道にまた議論が起こっていますが、ここで年寄りの意見も聞いて下さい。

<叔母の死>
昨年、身内で二つの不幸がありました。一人は叔母で、一人は従兄弟です。叔母は子供が一人もないまま離婚し、その後自分の持ち家で内縁の夫と二人で暮らしていました。

叔母は90歳近くになり、夫も寝たきりになったので、二人を世話する条件で、叔母の遺産を全て夫の娘に相続させることにに決まりました。

その後、叔母も入院しましたが、娘が約束の週に一度の見舞いにも来ず、病院の支払いも滞りがちなのを 、やはり週に一度は見舞いに来る甥や姪達にこぼしていました。

入院が長引いたので、噂に聞いた病院のたらい回しで、4回も転院させられました。その都度一度家に帰って見たいし、夫も見たいと言う叔母の希望も何故かその娘の拒否に会ったと聞いて、甥、姪達を怒らせていました。

そして私の家内と息子が見舞に行ったその日に、見取る人一人もいないまま、旅立ってしまいましした。

<従兄弟の死>
その後、その甥の一人も不治の病気で床に就いたのですが、本人の希望と病院の先生の行き届いた計らいで、自宅療養をすることになりました。

彼は兄弟も多く、また子だくさんだったので、彼の病床にはいつも多くの人がいて、病人本人の冗談で笑い声がたえませんでした。

彼は頑固にも、家族になるべく世話をかけぬよう、入浴、排便など一人ですませていました。最後の夜も自分でトイレに行き、寝床で眠りについたまま家族皆から見取られながら一生を終えたそうです。

<老後をどう考えますか>

彼のような羨ましいような死に方にひきかえ、入院中の叔母の気持ちはどっだったでしょう。唯一の救いは身近に何人かの親戚がいたことかも知れません。

今の若い人達もきっと80歳以上は生きるでしょう。そして年をとる程、否応なしに、夫婦の内どちらかは先に逝き、友達も限りなく0に近づいて来ます。

その時、我が子を持たないのは、自分の責任だから諦めるしかありませんが、一人っ子がいても自分の生活もあり、100%頼りになるか判らないのは残念ながら事実だし、入院しても訪ねてくれる親戚さえ少子化で居なくなるかも知れません。

それでも孤独に耐えて最後の日を迎えますか。

<終わり良ければ全て良しか、それとも>

若い時苦労しても、終わり良ければ全て良しと思いますか。それともテレビのインタービューで見る若い人の言う様に、今のことだけ考えておけばいいでと思いますか。もしかして今が良ければ後はどうでもなれと思っていませんか。

考え方はそれぞれあるのは当然であり、誰も批判する余地はありません。

ただ老婆心から言えば、今のことばかりでなく、取り返しのつかない若い時の選択を、老後になって後悔しない様、良く良く考えておく必要があるような気がしますが。

私個人は、
[では逝って来ます皆さん有り難う]
と言って見たいと思っていますが。 

(参照:June 8,13投稿)

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元中学校教師への手紙(4)[私が見てきた教育荒廃の歴史]

2006-06-04 18:11:46 | 教育問題
<<権利しか教えない教師用の指導書>>

昭和50年ころでしたか、本屋でたまたま中学の社会の教師用の指導書を見ていると、「憲法には権利の記述はあるが、義務の記述は全くないのである」と書いてありました。

私は驚いて本屋の人には申し訳なかつたのですが、全ページを繰って見ましたが、義務の文字はそのページ以外全く見当たらなかったのです。

私は二度驚きまた心配になって、生徒用の所謂、虎の巻を見て、国民の義務のことも書いてあったので少し安心しました。

そして再度指導書を見て、その巻末にその頃教科書裁判で勇名を馳せた大学教授の推薦の言葉を発見し、なるほどと思いました。

後で憲法の権利と義務の項目を見ましたが、義務の項目には権利の濫用をしないことと、権利を社会のために活用することしか書いなく、義務については権利ほど明確には記されていませんでした。

然し、虎の巻にもあるように他人の権利を侵さないこと、権利に伴う義務や責任など、教育の場で教えるのは当然過ぎると思いますが、学校の先生のなかにはこの様な指導書の考えを鵜呑みにして権利ばかり教えていた人もいたのでしょうか。

そして、そのような先生から権利についてだけけ習って、それ以外にも大切なことがある事を学校からも親からも習わぬまま、大きくなり、結婚して、子供を生み、その自分の子の非行を棚に上げて、学校の責任ばかり問う親になったかも知れません。

そしてその子がまた親になり、子供を生んでいき、次第に社会が劣化して行くのでしょう。 

[権利あり責任ないと言う教師]

Unknown (pokoo-penn) 様、コメント有り難うございました。

(May 17と毎週日曜日投稿参照)
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