普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

これでいいのか中央教育審議会

2006-07-20 11:04:27 | 教育問題

「大学受験をやめよう」

7月13日のNHKで、青色発光ダイオードの発明者の中村修二さんの「大学受験をやめよう」と言う話がありました。

その概要は大学入学希望者は、全員無試験で入学させ、入学後の厳しい試験(大学の講義科目の)を行い、ついて行けないものは、例えば東大だったら、より低いクラスの大学に転学させるか、退学の道を選ばせるというものでした。

この方式の利点は、大学に入るまでは、猛勉強するが、一旦入れば単位を習得しさえすれば卒業できるので、遊んでしまい、結局は世の中に役立たない人を社会に送り込む問題点を解決することです。

先生はおそらく意識して暴論とも見えることを言って大学の教育制度の見直しを言ったものだと思います。

「日本の算数海外で人気」

それから7月19日の読売新聞で、「日本の算数海外で人気」と言う記事がありました。東京書籍の2000年判の「新しい算数」の英訳が米国などの国で教科書や副教材てして使われたり、先生への講習会や大学生の講義に使われているそうです。

ただこの英訳に携わった米国の大学の高橋教授は「評価されているのは小学校の算数でしかも、教科内容が3割も削減される以前の旧指導要領にのものだ」と指摘しているそうです。

この二つの報道を見て、私は改めて、日本の教育方針の基本方針を決める中央教育審議会のありかたについて考えて見ました。

<<大学の改革が教育改革の基本>>

教育改革で一番も始めに取り上げばならぬのは大学の教育改革です。

トコロテン式卒業システム
日本(世界?でも)の悪名の高い大学のトコロテン式の単位が揃いさえすれば卒業出来るシステム。

ベテラン教授のボス化
(私の乏しい経験からしても、ベテラン教授の意見に反することを専門誌に投稿をするときは、偽名を使わねばならぬと言う、新人教授の愚痴を聞いたこともあります。)

意欲のない講義。
(哲学の先生が、余りにもカント曰くとか、孔子曰くなど何度も言うので「先生のご意見はどうですか」と質問したいのを我慢していた記憶があります。)

高校生は大学への入学へ、中学生は高校、小学生の父兄は有名中学の入学に一番関心を持っています。

つまり、教育改革の基本とすべきは大学であり、それさえ確立すれば、後は自然と決まってくるのではないでしょうか。

中村先生の提言は極端過ぎると思いますが、確かに、中学から(一部の父兄にとっては小学校から)受験勉強のストレスが次第に増え、高校で最高潮に達し、社会への入り口である大学に入って学生がやっと勉強のストレスから解放されると言うのはいかにも不合理で、大学に入ってストレスが最大になるようにもって行くのが当然ではありませんか。

なお先生が言われるように、大学に入ってからも、まだ進路選択の余地を与えるというもの、充分考慮に値する提言だと思います。

(実は、大学卒業生の受け皿の企業、政府、公共団体の採用、育成方針も学校の教育方針決定に大きく関わっていると思いますがここでは省略します。)

<<初等教育の方針の朝令暮改>>

もう一つは初等教育の方針の朝令暮改です。

「学力中心の教育」→[学力不足の恒常化の現実]→「ゆとり教育」→「学力低下対策としての指導要領の変更」→「ゆとり教育をそのままにした英語教育の導入」と言う、方針のブレです。

これでは先生も生徒もたまったものではありません。
特にゆとり教育で時間がないと非難されているのに、何故英語教育を入れるのでしょうか。

ここで問題になるのは、「ゆとり教育」の基本理念の現実からの背離と思います。

1.今までの内容で100点満点で平均が60点しかとれないのなら、70点に目標を下げて、全員が満点の70点を取ることにしよう。もしそれ以上の能力のある生徒は自主的に勉強させよう。
(これはインターネットで見た元の東大総長で文部大臣であった方のご説明です。)

人的資源しかない日本が他国と伍して行くためには、他国より高度の技術(小中学校ではそれに必要な基礎知識)を持つしかない事実を抜きにしています。

人の特性として100満点の時、60点とる人は、仮に70点満点の時は50点で満足すると言う現実を無視しています。

それと教師が優秀な生徒により高度な内容を教える意欲があってもその余裕があるでしょうか。

選択肢の一つとして、先生、生徒が100満点を取る努力をすることはなかったのか。元の文部大臣の説明は全くの敗北主義ではないでしょうか。

前に書いた世界的に評価されている算数の教科書を無くし、それに基づく教育をしないのは、日本にとって大きな損失ではないでしょうか。

2.余裕の出来た時間は自分で課題を見つけ、自学自習する。

人は強制されなかったら自分で努力をしない。
生徒は厳しい入学試験があるから勉強している事を忘れては居ないでしょうか 。
大切な教育方針の決定の際このような分かりきった事実を無視して綺麗ごとで済ませていいのでしょうか。

多くの父兄が審議会の言う余裕時間を利用して、子供を塾に通わせている現実を見て下さい。

3.土曜日は地域や父兄の協力を受けて、自学自習させる。

地域社会、家庭の教育能力の低下の現実と、現役教師の参画の必要性を無視しているような気がします。
ゆとり教育の提言は、ある意味では教育関係者の教育の責任の転嫁、または放棄ではないでしょうか。

4.総合学習では、広範囲な知識や社会との関わりをもたせる。

広範囲な知識は得ても、自分の物にするには生徒は経験、知識が乏し過ぎると思います。その為、教師に増える荷重に比べて成果が余りにも少ない結果に終わっていると思います。  

<<審議会と教職員組合との考え方の調整不足または欠如>>

ゆとり教育は過去にも多くの例にあるように、表面には出ないが、教職員組合と文部省の確執の産物と言う一面があると思います。

と言うのは、昔一度だけ、テレビのゆとり教育の討論番組で日教組の教師が、ゆとり教育は我々の闘争の結果得た権利だと言ったのを聞いたことがあります。

以後このような場面で日教組が出たのを見た記憶はありませんが、ゆとり教育の一面を示しています。

そして、そのような考えを持つ教師がいるかも知れないのに、ゆとり教育に対する審議会と教師の考え方の調整のない限り、失敗を予言する(または実際にしている)ものと思います。
(多分、審議会の多くの委員の方がこの件に就いて、言いたくて言えないことがあると思いますが。)

若し仮に、多くの高校のように、土曜日に小、中学校の先生が、遅れた生徒に補習授業をしたり、地域の住民と協力して、ボランティア活動をしたりしたら、ゆとり教育の成果もそれなりに上がる筈だと思うのですが。

<<中央教育審議会の委員の方にお願い>>

1.世論や教職員組合の意見に惑わされず、大局的な見地から確固として振れない教育方針を出して下さい。

2.日本の将来のために長い眼で物を考えて下さい。

3.学校(特に大学)、地域社会、父兄の現状に眼をつぶらないで下さい。
そしてこうあるべきだと言う理想論でなく、現実を見据えて物事を決定をして下さい。

4.方針決定後の学校、地域社会や家庭の現状のフォローをしっかりお願いします。

参照:毎日曜日、July 11, 13投稿

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