普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

「コミュニケーションの道具と材料」(3)

2018-03-02 13:05:38 | 教育改革、ゆとり教育
戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。もし宜しければ是非ご一読の上、趣旨にご賛成ならお手数ですが拡散をお願いします「コミュニケーションの道具としての英語」
 18才で会社に就職して通勤の電車に乗る間の暇つぶしに、会社の図書室から借りた文芸物を読むことにしました。然し往復で約1時間×約300日の通勤の間には自分好みの本は数年で全て借りつくしました。そこで思いついたのは読むのに時間がかかる英語の原書と言う何ともせこいアイディア。最初は一日半ページも進みませんでしたが、前に書いた計算のように転勤先のバス送迎の時間、外国出張の日を除いて「どうしても乗らねばならぬ交通機関」での読書の継続とは怖いもので、少しづつ読む速さが増してきて、いつの間にか、モームの文芸物、シャーロク・ホームズ、クリスティーの探偵物、通俗物のシドニー・シェルダンなど手に入る好きなものの殆どを読みました。60才ごろで冷やかしに昔の大学共通一次の英語にトライして見た所読みやすい学校英語の為か2回とも自己採点で95点、間違ったのは当然に発音に関する問題。この読書経験が思わない大きな影響を私の人生に与えることになりました。転勤先での英文の仕様書の取り組み、外国人技術者との対応、ブラジルなど三か国への長期出張、退職後の外国人技術者の育成応援のボランティア団体参加など。
「外国での経験」
・ブラジルでの経験

 ブラジルの出張はスタートして直ぐに最初に起動する送風機が動かぬと言うのて私が呼び出されたのです。幸いに一晩の徹夜で無事復旧。お蔭で上がった私へ評価。最初の定期修理まで居れと言う会社の指示でとどまる間、お人好しの私は気づいた点は何でもカウンターパートの課長に提言。その総てが受け入れられました。課長の話が本社まで届いたのか、帰国前に会社の重役から私の意見を訊く会に呼ばれました。私は産まれ育った北九州弁丸出しの英語で約一時間、保全から見た次期建設の注意。国が進めているブラジル産機器採用の問題点。幾ら性能が良くてもブラジルの技術では故障に対応できないものは買わないこと。競争入札ではメーカーが受注のために予備品を必要限度以下に提出するので注意などの例を挙げ、そのために建設の時から保全のスタッフを投入することなど片言まじりに話ました。私は勿論このことは本社には内緒でしたが。海外出張者には始めてと言われる、出張先の社長から私への感謝状が本社に届きました。そして次期建設の準備では現地の保全担当者が私のいた工場に来ていました。
・イランでの経験
 満期間近に会社の関連会社に出向した私の最初の仕事は新設のイランの工場への出張でした。
 元の会社から技術指導チーム、出向先の会社から私をトップに現地の工員の技術指導のチームという元会社の立場から言えば万全の体制での出張の筈でした。
 然し現実は元の会社の傘下の工場の設備をそのまま大きくした工場、元会社としては始めての老大国の英国の設備の購入したことなので故障続出。
 技術指導チームにも保全担当も居ましたが未経験のことばかり、そのリーダーがブラジルで一緒になっていたこともあり、結局経験だけは長い私が先に立って仕事をする結果になりました。
 例えば、英国製の小型ボイラーのハンドホールのパッキング面が荒仕上げのまま、それをグランド・パッキングで止める構造のため頻発する蒸気漏れ。明らかな手抜き工事。私はその部分を切除、フランジ付きの管を溶接、パッキングとめくら板で漏れを止めるという簡単な構造で切り抜ける。大型のポンプの電動機がの振動の原因は出向先の会社の工員による据えつけ不良と判り、ベッドの変形部分を足りない工具で修正、据えつけ直しなとなど。
 その中で問題になつたのは多くの小型ポンプの振動と、メカニカル・シールからの漏れが止まらないこと。自分たちの責任は総てアラーの神の所為にするが、他人の責任は徹底的に?追求する国民性でついには工場長やテヘラン在住の日本人の取締り役を交えての大会議になりました。
 私は技術指導チームのリーダーの依頼で、何時もの北九州弁訛りの片言英語で話しました。 
 小型ポンプは配管の影響でポンプとモーターとの芯が狂い振動が出ることが多いので、ポンプが停止毎にポンプと配管のフランジのずれがあれば直せば振動がなくなる。液漏れに就いてはどのような形の液のシール部も焼きつかないように内部の液で潤滑されている、だから目に見えない限度の漏れが出るのは当然。問題のポンプの液は外気に触れると固化するので漏れが目立ったり、いたずらすることになる。その為に蒸気を吹きつけるような工夫がされている。問題になったポンプは吹きつけ装置の位置がずれを直したり、蒸気の量が不足にならぬような調整をすれば次第に問題がなくなると話して皆の了解へ得ました。そして事実漏れの苦情はほとんどなくなりました。
 両国での経験は、道具としての片言英語でも先方に通じること。そして話す内容とそれに対する経験と知見と言う材料がなければ喋れないことを示しています。
 教師の負担増大。「授業とは直接関係ない」多くの報告。時間のかかる授業の準備。部活活指導のための教師の負担増。そして起これば深刻な影響のあるイジメ問題。児童へのプログラミング教育、そして英語教育の導入。
 私のような北九州弁まじりの英語でもこれだけ話せるのです。多くの問題がある学校で教えるべきなのは話す材料だと思うのですが。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキングへ
政治ブログへ

追記:今まで自慢話めいたことを書きましたが、私どもがいたイランのキャンプで技術指導チームの保全のスタッフが私の部下を殴るという問題が起こりました。つまり私が顔なじみの同チームのリーダーの頼みにあつて担当の彼と相談無しに物事を進めたのに我慢できなかつたが、先輩の私に手が出せずに私の部下に手を出し可哀相に業務の最中に交代されたのです。一点集中型で周囲への気配りを良く忘れる私。叩き上げの初・中級管理職としてそれなりに仕事が出来たがそれ以上には不向きな私。その反省から関係者に迷惑をかけないよう、退職後の趣味のグループやボランティア団体でも何時も控えめにするよう努めてきましたし努めています。
コメント

「コミュニケーションの道具と材料」(2)

2018-02-24 12:41:26 | 教育改革、ゆとり教育
戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。もし宜しければ是非ご一読の上、趣旨にご賛成ならお手数ですが拡散をお願いします。
「子供時代の読書の大切さ」
 前回は藤原雅彦さんが国語教育の大切さのご意見に関して、「コミュニケーションの道具と材料」の内その材料に就いて私の経験を書きました。今日はコミュニケーションの道具としての国語の基本となる読書の問題に就いて私の経験に就いて書いてみたいと思います。読みようによっては自慢話のように見えると思いますが、ご辛抱戴いて読んで戴ければ幸いです。
・昭和初期の子供達が字を覚えたのは正月のいろはカルタによるカナ文字。次に百人一首による平仮名でした。それで昭和初期の多くの子は小学生になる前から総ての本にふり仮名がついていたので何でも読むことが出来ました。それで日中は外で遊び暮らしていた私たちの夜の楽しみは読書だけ。当時はテレビ無し、ラジオも物好きな父親が作った鉱石ラジオだけ。中でも私は無類の読書好き。貧乏人の子沢山の家庭で、毎月の給料日に四人の男の子へ買ってくれた佐藤愛子さんの父親の紅緑さんの「一直線」や「ああ玉杯に花受けて」の少年クラブや、兄が余所から借りてきた譚海(たんかい)と言う勧善懲悪の講談本。私は兄が読み終えるのを待つか、寝るのを待ち構えて本を読みました。子供五人がごろ寝で、電灯が一晩中点け放しの家でしたから。それで私は小学校に入る前から殆どの本を読むことができました。小学校を出るころは母と姉の眼を盗んでの子供心にも妖しげな「人妻椿」のタイトルの婦人クラブなど手当たり次第。
 だから今で言う国語のハナ、ハト、マメ、マスなどは私にとっては問題外、(サイタ、サイタ、サクラガサイタは弟の時代)。
 それと入学前後で読書で自然と身についた物事の理解力、集中力で数学、理科、歴史なども学校の授業は予習復習なしで皆に就いて行けました。
 唯、皆と同じに手を焼いたのは読書では役に立たない「九九の声」の丸暗記。
 弱かったのは兄の得意の書道、図画、工作。
 然し学校の生徒の評価は兄の得意な学科ではなく私の得意な分野だけ。
 家に帰っての勉強は宿題を除いてはゼロ。何しろ勉強する時は腹這いか、皆で使うちゃぶ台だけ。親から勉強しろと云われたことなし。それでも貧乏で中学受験のできぬ私が受験する子の横に坐らさせました。何かと相談に乗れと言うのです。
 高等小学校卒業間近に担任の先生から急に工業学校に進学を勧められ親もそれに同意。受験勉強なしに受験したのに、結果は9倍の倍率の中何と合格。
 然し調子が良かったのはそこまで。理由は英語、技術的な専門教科はそれ迄の読書力が活かせなくなったのと、皆徹夜を厭わない学期試験への受験勉強をしたのに、勉強の習慣のない私。慌てて夏休みに英語の勉強のし直し。何かして学級の中位程度に追いついたのがやっと。
「今の小学校の現状」
私がイランに居た当時部下が「漫画を読む」と言ったのに驚きました。漫画は見るものと思っていたのに。世の中は本を読むより見て直ぐ判る漫画 を読む時代になったのです。それと本のように集中しなくても判るテレビの「ながら勉強」の出来る時代。
 そして「勉強の邪魔になるよう子にスマホ」の普及。政府は初等教育の無償化を進めているのに親は子のスマホの為に月に1万円近くを使うヘンテコな今。昔人間の私は子の願いに負けて母親がスマホを許しても、子の将来の為に絶対に持たせないのが男親の勤めと思うのですが。
 私の経験のように読書による児童の理解力、集中力があれば授業も遥かに楽になるし児童の成績も、授業のコスパが上がるのにと言う教師、児童にとって不幸な時代?!
 勿論多くの小学校で読書の時間を設けていますが私の子供時代の読書量に比べると「やらないより増し」の効果しかないようです。
 小学校には多くの問題が云われています。
 教師の負担増大。「授業とは直接関係ない」多くの報告。時間のかかる授業の準備。部活活指導のための教師の負担増。そして起これば深刻な影響のあるイジメ問題。一方的な思想に囚われた日教組の存在。それに取って付けたような児童へのプログラミング教育、そして英語教育の導入。
 政府がやらねばならぬのはまず日教組でゆがめられた学校業務の合理化、児童の読書の習慣化、そのためスマホの禁止、そして新しい学科の採用の要否とその優先度の見直しだと思うのですが。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキングへ
政治ブログへ
コメント

2/24「コミュニケーションの道具と材料」(2)

2018-02-24 12:35:19 | 教育改革、ゆとり教育
戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。もし宜しければ是非ご一読の上、趣旨にご賛成ならお手数ですが拡散をお願いします。
「子供時代の読書の大切さ」
 前回は藤原雅彦さんが国語教育の大切さのご意見に関して、「コミュニケーションの道具と材料」の内その材料に就いて私の経験を書きました。今日はコミュニケーションの道具としての国語の基本となる読書の問題に就いて私の経験に就いて書いてみたいと思います。読みようによっては自慢話のように見えると思いますが、ご辛抱戴いて読んで戴ければ幸いです。
・昭和初期の子供達が字を覚えたのは正月のいろはカルタによるカナ文字。次に百人一首による平仮名でした。それで昭和初期の多くの子は小学生になる前から総ての本にふり仮名がついていたので何でも読むことが出来ました。それで日中は外で遊び暮らしていた私たちの夜の楽しみは読書だけ。当時はテレビ無し、ラジオも物好きな父親が作った鉱石ラジオだけ。中でも私は無類の読書好き。貧乏人の子沢山の家庭で、毎月の給料日に四人の男の子へ買ってくれた佐藤愛子さんの父親の紅緑さんの「一直線」や「ああ玉杯に花受けて」の少年クラブや、兄が余所から借りてきた譚海(たんかい)と言う勧善懲悪の講談本。私は兄が読み終えるのを待つか、寝るのを待ち構えて本を読みました。子供五人がごろ寝で、電灯が一晩中点け放しの家でしたから。それで私は小学校に入る前から殆どの本を読むことができました。小学校を出るころは母と姉の眼を盗んでの子供心にも妖しげな「人妻椿」のタイトルの婦人クラブなど手当たり次第。
 だから今で言う国語のハナ、ハト、マメ、マスなどは私にとっては問題外、(サイタ、サイタ、サクラガサイタは弟の時代)。
 それと入学前後で読書で自然と身についた物事の理解力、集中力で数学、理科、歴史なども学校の授業は予習復習なしで皆に就いて行けました。
 唯、皆と同じに手を焼いたのは読書では役に立たない「九九の声」の丸暗記。
 弱かったのは兄の得意の書道、図画、工作。
 然し学校の生徒の評価は兄の得意な学科ではなく私の得意な分野だけ。
 家に帰っての勉強は宿題を除いてはゼロ。何しろ勉強する時は腹這いか、皆で使うちゃぶ台だけ。親から勉強しろと云われたことなし。それでも貧乏で中学受験のできぬ私が受験する子の横に坐らさせました。何かと相談に乗れと言うのです。
 高等小学校卒業間近に担任の先生から急に工業学校に進学を勧められ親もそれに同意。受験勉強なしに受験したのに、結果は9倍の倍率の中何と合格。
 然し調子が良かったのはそこまで。理由は英語、技術的な専門教科はそれ迄の読書力が活かせなくなったのと、皆徹夜を厭わない学期試験への受験勉強をしたのに、勉強の習慣のない私。慌てて夏休みに英語の勉強のし直し。何かして学級の中位程度に追いついたのがやっと。
「今の小学校の現状」
私がイランに居た当時部下が「漫画を読む」と言ったのに驚きました。漫画は見るものと思っていたのに。世の中は本を読むより見て直ぐ判る漫画 を読む時代になったのです。それと本のように集中しなくても判るテレビの「ながら勉強」の出来る時代。
 そして「勉強の邪魔になるよう子にスマホ」の普及。政府は初等教育の無償化を進めているのに親は子のスマホの為に月に1万円近くを使うヘンテコな今。昔人間の私は子の願いに負けて母親がスマホを許しても、子の将来の為に絶対に持たせないのが男親の勤めと思うのですが。
 私の経験のように読書による児童の理解力、集中力があれば授業も遥かに楽になるし児童の成績も、授業のコスパが上がるのにと言う教師、児童にとって不幸な時代?!
 勿論多くの小学校で読書の時間を設けていますが私の子供時代の読書量に比べると「やらないより増し」の効果しかないようです。
 小学校には多くの問題が云われています。
 教師の負担増大。「授業とは直接関係ない」多くの報告。時間のかかる授業の準備。部活活指導のための教師の負担増。そして起これば深刻な影響のあるイジメ問題。一方的な思想に囚われた日教組の存在。それに取って付けたような児童へのプログラミング教育、そして英語教育の導入。
 政府がやらねばならぬのはまず日教組でゆがめられた学校業務の合理化、児童の読書の習慣化、そのためスマホの禁止、そして新しい学科の採用の要否とその優先度の見直しだと思うのですが。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキングへ
政治ブログへ
コメント

小学生への英語教育の問題・コミュニケーションの道具と材料

2018-02-20 11:03:31 | 教育改革、ゆとり教育
戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。もし宜しければ是非ご一読の上、趣旨にご賛成ならお手数ですが拡散をお願いします。
 文藝春秋の2月号で「国家の品格」の著者の藤原雅彦さんが、「小学生に英語教えて日本が滅ぶ」「一に国語に、二に国語、三四が無くて五に算数」を書いて居ました。
 それを見て私の自分史の資料に纏めていたのを思い出しました。
「壁の花(1)」
・イランにいた時私ども日本人グループが派遣先の会社主催のパーティーに誘われたことがある。簡単な挨拶の後各自適当に相手を見つけてのお喋りの立食パーティー。気がつけぱ何時のまにか日本人同志が集まっている。詰まり現地の人達と話す話題がないのだ。これだけでも恥ずかしいのに、一番惨めなのは私。日本人の話題はゴルフとマージャン。そのような経験も知識もない私だけポツンと壁の花。
 それで何度かの帰国の飛行機では何時も屋台でジュース片手に二時間も喋るブラジル人、あちかちから面白い話題を聞いては触れ回る私のカンウンターパートたちのように、積極的に話題を溜めねばと反省しているのだが帰国したら直ぐに忘れてしまい、家内から何時も何か面白い話はないのて言われている。
「壁の花(2)」
 今度は話題に関して厳しい話。ブラジルにいた時、噂好きの現地の人達から、日本有数の大メーカーが私の出張先の周辺で進行していた巨大な石油化学コンプレックスの保全工事の一括受注に失敗したという噂が流れてきた。その理由が受注後責任者になる予定のマネージャーが客先の質問に殆ど喋らなかった。詰まり肝心なマネージャーが仕事のことは何も判っていないと言うのが拒否の理由だそうだ。実はその会社はメンテナンスの実績があまりないので日本で1,2を争う私達の化学工業会社がそのサポートに廻り、保全部門の私の友人が現地に乗り込んで計画に協力していた。その彼が通訳付きでもマネージャーの援護射撃すべきなのに控えめの好紳士だったのも影響したのかも知れない。それと私の経験から考えると、当然予想される質問。保全から見た開発途上のブラジル、僻地とも言える現地の抱えている問題や、巨大コンプレックス特有の保全の問題とそれらの対策に就いて準備が足らなかったのか?その双方とも経験のある私が同時期に、同じ地域にいたのに!!彼は私が左遷同様の転勤になるまえ山ばかり行く劣等生の私の記憶しか残って居なかったのだろう。私がその場に居れば片言英語で関係者の質問に総て答えられたし、当時現地では手回し計算器の時代で、現地の人が飛びつきそうな当時入力はテープ、記号は1010の時代に同業他社の先端を切って開発した、英字使用のコンピューターによる資材、保全管理システムの採用を提案できたのに。

 この仕事を推進してきた人達は、全国で有数の会社共同によるプロゼクトが何故したのか不審に思っていると思いますが、私は帰国後もこの彼の大失敗の告げ口をになるような話を、会社の関係者は勿論誰にも話したことがありません。然しこの様な大切なことを身の回りの人に知って貰う自分史に残しておこっうて思っています。
「コミュニケーションの道具と材料」
 藤原雅彦さんは「国家の品格」でも持論の読書の必要性を書かれています。
 万国共用語の英語が出来ても、仕事では当然に専門的なことを知らなければ何も話せません。一般的な人も旧新日鉄が作った外国人から質問が出そうな日本の話題を集めた和英対訳の「日本」のように話す種がなければいざと言う役に立ちません。
 一般の人で言えば片言英語でも買い物や宿泊でも先方の方が何とかして売り込もうとします。普通のことならスマホの英語でも殆ど用が足せます。用が足せないのは親しくなった人から日本のことを訊かれて返事が出来るかと言うことです。
 問題はこちらか先方に売り込むとき藤原さんも書いていたように、多分実業界からの要請だと思いますが、勿論誰でもが流暢な英語がしゃべれば最高でしょうが、私のような片言英語でも相手を説得できますし、それでも必要とする人材は大会社でも数人居れば十分です。その為に今でさえ問題の多い小学校の教師や生徒にさらなる負担を加えるなど完全にピントが外れていると思います。どうしても流暢な英語の出来る人が欲しいのなら、東大などの一流大学の英語による授業。教授と学生の英語よる討論、英語の論文の提出をさせるべきです。そうなればそ大学を目指す高校、塾もそれに対応する教育をすると思います。それだけで流暢な話の出来るエリートの教育で十分な期間があると思います。
 そして藤原さんの云われるように、学校も小学校から英語を教えるのでなく、日本のことを教えろ、そして表題に書いた[コミュニケーションの道具」の英語より片言英語でもそれを話す「材料]の知識やし識見の養成の方が遥かに大切だというのが私の「壁の花」の失敗の反省や友人の大失敗を聞いた私の意見です。
 なお読書の問題に関する私の経験や初等教育の意見は長くなりますので、次回の投稿にしたいと思っております。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。
政治・人気ブログランキングへ

政治ブログへ
コメント

奨学金返済で一家破産?

2016-06-15 12:11:10 | 教育改革、ゆとり教育
 6月2日のNHKの「クローズアップ現代+」で「奨学金で一家破産に!?教育貧困家庭の衝撃」とい言う番組を聴きました。
 一人は奨学金600万の返済で月14万円の収入の中から5万円払わねばならない一人暮らしの保育士の女性の話。
 一人は奨学金850万円の返済に困っている一人暮らしの男性の非正規社員の話です。
 いずれも通学中に生活費を稼ぐ為にアルバイトをしたこと、卒業後はこのままでは生活が出来ないので自己破産するしかないが、保証人の親まで返済の義務を負わせねばならぬと立ち往生しているそうです。 (昔人間から見れば奨学金の金額は途方もない額のような気がしますか、その場でメモをしたので間違いない数字です。)
 そして番組の結論は西欧諸国のように奨学金を給付制度にしてはと言う話しで国会でもその話が出ていると言うことでした。
 私はたまたま前回の[川柳「遊ぶならと弟を背に括られる」貧乏の今昔 ]で姉と兄弟の助け合いで私以下の三人の男の子が旧制の工業学校に進み卒業後は初級管理職を約束された大手企業の職員に採用されたと書きました。
 その中でも書きましたが、当時と現在の考え方の違い、高度成長→長期低迷と時代も違いますので私の孫のことについて書きます。
 私の息子の入社した企業がいわゆるブラック企業に売り飛ばされて、給料が大幅に減額、悪いことに離婚で父一人娘一人の暮らしでした。
 孫の娘は高校卒業後、療法士の資格をとるため地もとの私立大学に進みました。帰宅後、書店でアルバイト、夕食後就寝、午前4時に起きて復習の頑張り。卒業前に世の中に先駆けて内定、初任給20万円。息子が自分と余り変わらない初任給を娘が貰ったと悔やみ半分自慢半分で言っていました。孫も奨学金を貰ったそうですが勿論返済など充分な余裕。
「私の意見」
・この事実と貧乏時代の私の経験から言えることは、同じ収入でも「一人なら暮らせぬが二人なら暮らせる」こと。
 前記の二人とも諸事情もあったのでしょうが、地もとに残り親と一緒に居れば600万円以上の借金をしなくても授業料の範囲の2~300万前後の奨学金で済んだと思います。
 親のいる地方の大学に通えば地元の市町村に取っても、将来の地もと就職に繋がるとして大歓迎と思うのですが。
・奨学金850万円の返済に困っている一人暮らしの男性の非正規社員本人も、大学まで行き、大借金までして得た知識も活かせないで誰にでも出来る非正規社員の仕事をするなど不本意なことと思いますが、高校・大学に何らかの補助金を出している国に取っても大きな損失です。
 私が「日本の貧困化の問題と教育」で書いたように「国公立の大学には高校の全国一斉テストで一定の到達度に達しない生徒はたとえ定員不足になっても入れない。普通学科には弱くても、特殊技能を持つ人達のための国公立や私立の学校には補助金を出すなどの、厳しい処置が特に「人が行くから自分も行く」という学生の将来のためになると思います。
・番組の結論は日本もの西欧諸国のように奨学金を給付制度にしろと言っています。
 NHKや民放でのこの種の番組で良くあることですが、一方的な自社の主張ばかりして、それに伴うの問題点には殆ど触れないことです。
 NHKは奨学金を給付制度にした西欧諸国の殆どは20%前後かそれ以上の消費税を国民に課していることには全く触れて居ませんでした。
 日本では消費税を8%から10%にするのにももたついています。
 安倍さんは公約の消費税増税を見送るとしても、緊急を要する保育・介護に関する費用は消費税の枠外からひねり出すと言っています。然し前記の保育士への給与改善や、それ目指す学生へ奨学金の給付制度は考えられるとしても、もう一人の850万円の奨学金返済に苦しむ一般学生への給付制度をする余裕などあるでしょうか。
 前記の非正規社員になった人がどうか判りませんが、人が行くから自分も行く、それで取り敢えず一般学科を選択する生徒やその親たちは、その前に学資や一人での生活費や、生徒の行く末など充分に考える必要があると思います。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキング

コメント

○日本の貧困化の問題と教育

2016-05-20 12:36:08 | 教育改革、ゆとり教育
 今まで市場中心主義経済運営と社会主義的な規制強化の必要性に書いて来ましたが、今回は国の貧困化に伴う金を持つ人たち、能力・意欲がありながら貧乏な人たちの二分化を防ぐ教育の問題を考えてみました。
「シンガポールの教育制度」
 私は一党独裁の社会主義国シンガポールに一年半ばかり居ましたが、一番に気付いたの
はその教育制度でした。
 小学校の四年生になると全国共通の一斉テストで、成績の良いものは所謂進学コース、悪い者は労働者向けのコースに振り分けられる。つまり四年生の成績でその人の一生は決まってしまうという割り切りかた。
 なお企業は採用条件で、最終学歴とその際の共通テストの成績の「優」の数まで指定しています。つまり卒業時の学校の成績までにオープンになっているようで、学校毎の差別化を防ぐためとして全国共通の一斉テストの活用を制限する日本の全国統一試験の取り扱いとまる反対です。
参照:シンガポールの教育制度
 そしてそのシンガポールの一人当たりのGDPは世界の1~2位になったそうです。
 余所者の私が見た、その割り切った教育制度や計画的な都市開発、国民優先で経費の安い住居の提供が象徴するように全体として社会主義的国家運営と市場中心主義の運営がうまくいった結果が今の繁栄をもたらしているようです。
「大学を出たのにそれと全く関係ない現場作業をする作業員」
 私が居た当時のシンガポールの首相のリー・クァンユーは日本の高校生のレベルの低さを批判していました。何しろ高校全入状態の日本の高校生。選ばれた生徒しか入れない同国の高校生ですから。
 私が出向した建設・保全専門の会社の一番の売りは大卒の作業員でした。そして私は彼らを率いてイランの保全工事に出張しました。どちらかと言うと建設主体の彼らに対して、私はその基本的な作業の仕方まで指導しなければなりませんでした。そして大卒なのに完全なブロークンの片言英語。
 そして今は大学は出てもそのその習ったことを活かせずに非正規社員として、ロボットのように作業する人達、機械のようにマニュアル通りに客に対応する非正規社員が普通になっています。
 その一方、日本はその歳出の約24%は国債費、33%は社会保障費のため残りの43%で全てのことを処理しなければなりません。
 その厳しい財政事情の中で、今までのような高校・大学への一律的な支援を見直す必要があるのではないでしょうか。
 なお鳩山さんの時代の劇作家の山崎正和さんが見た教育界の問題点と提案を付記していますので家ご参照下さい。
「私の提案」
・中学で全国一斉テスト、高校の共通一次試験の試験問題の内容は必要最小限にとどめる。例えば国語(現代文)、数学、英語、理科系にはそれに物理、化学など山崎さんの言う「ナショナルミニマム」の科目と内容とレベルにとどめる。
・国公立の高校・大学では高校では中学・高校の全国一斉テストで一定の到達度に達しない生徒はたとえ定員不足になっても入れない。
・その結果学校側で定員不足になれば定員を削減するか、世の中のニーズに合わないものとして廃校にする。
・逆に一定の学力の生徒が希望の学校に落ちても本人の希望があれば他の学校に入れるようにする。
・特に優れた生徒・学生の希望者にはむ無利子の奨学金支給など支援をする。最近報道されている返済無用の奨学金に就いては反対。理由は優れた生徒・学生なら企業も収入が保証された正規社員として受けいれるてくれるはず。人が行くから高校・大学に行くと言う人に奨学金をだすほどの財政に余裕はない。
 昔の師範学校、陸軍士官学校、海軍兵学校のように(後記の)経営者育成など国策に添った学費無料、必要あれば生活費持ちの大学を造る。
・最近の東芝、シャープ、三菱自動車のような問題を起こさないために、米国のMBAのように経営者養成の国立を含む大学を創る。(現在では私立の一校しかない由)その教科
には企業経営による社会貢献などの日本的な倫理観も含む。。
・学力試験到達度不足で学校に行けない人でも再起を目指す人にはそれを支援する夜学を強化する。 
・上記のような科目には弱いが、一芸に秀でている生徒の進学先として音楽、美術、美容、料理などの国公立の高校・大学を作るかそれと同レベルの私立の専門学校への補助金を支給、特に優れた生徒・学生の希望者にはむ無利子の奨学金支給など支援をする。
・上記の学校の入試にもその技能のレベルの基準を設け、それに達しない生徒・学生、学校への補助金を出さない。
・私立大学には共通一次で一定の成績を取った学生の全体に対する割合を基準にして国の補助金を決める。それで学部の廃止や大学そのものが廃校になっても仕方がないと割り切る。
・前にも触れたが各種の手仕事に優れている生徒、高校で脱落した生徒、社会に出た後一念発起して別の道を歩む人達のために各種の公立、私立の夜学校の開設とそのための補助金を提供する。
・既定のレベル以上への公立・私立の高校・専門学校、大学へ進学する学生・生徒、就職後再起を目指す夜学の学生生徒の希望者には無利子の奨学金を支給する。
「提案の理由」
・付記の山崎さんの指摘された教育界の問題点
・財政健全化のための市場中心主義経済運営と社会主義的な規制強化の必要性
 NHKの番組で共産主義のキューパから米国に亡命した人が、その理由でいくら努力しても全て国家から奪われるからだと言っていました。その論法で言えば勉強嫌いでも高校無償→その金のため頑張った人がそれなりの評価や報酬を受けないと言うことになります。
 財政困難で国債が1兆円を越す日本で、能力も努力もやる気も乏しい「人が行くから自分も行く」と言う人を受けいれいれる高校・大学に予算を割く余裕は無いはずです。
・国の貧困化に伴う金を持つ人と能力・意欲がありながら貧乏なひと達の二分化を防ぐ

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致
します


政治・人気ブログランキング

付記:劇作家の山崎正和さんが見た教育界の問題点 (括弧内は私の意見)・習熟度別のクラス編成をする大学が国公私立の全体で80%を越えた。一部の私立大学では、工学部の入学者なのに分数の足し算ができない学生がいる。
・第2次大戦後、意欲によるものでなく、「ただ何となく」進学になってしまった。
・問題は高学歴化が学力向上に結びついていないことだ。
・戦後の義務教育には学力を確認する関所がなくなった。(全国統一テストがあるが活かされていない)
・高学歴化の結果、特に「出来ることもなく」「何をしたいか判らない」生徒がめだつ。
・鳩山政権の高校全入の趨勢は必ずしも若者の願いでなく社会の側の要求でもなかった。
・学問が好きで能力もあるが貧しくして高校に進めない若者には授業料免除だけでなく、生活を助ける奨学金も与えるべきだ。
・しかし勉強が嫌いだが勤勉であり各種の手仕事に優れている若者も国が援助すべきだ。 
・「読み書き算術」の基礎学力の充実を図るべき。
・義務教育段階で「ナショナルミニマム」を習得することを文字通りに生徒に義務づけることだ。
・そのための習熟度クラス編成(丹羽宇一郎さんは教育のレベルを下げのでなく、学校と生徒の努力で一定の学力を保つべだと反対。)、到達度試験を中学でも行うべき、今の世の中で落第など乱暴と言うのなら、仮進級や仮卒業後に生徒が落とした教科を取り戻す制度をつくるべきだ。
・これに要する費用は高校無料化にかかる予算を転用すべき
・何事も抜本的に改革を標榜する民主党新政権へのささやかな提案だ。
コメント

いじめられた生徒へ対策よりもいじめ防止策を

2016-04-20 11:24:47 | 教育改革、ゆとり教育
いじめの発生は仕方がないと諦めたように見える学校や地域社会。学校やクラスの閉鎖化防止。弱いものいじめや多人数で一人の子のいじめは人として恥ずかしいものだと言う教育の強化。
「九州男子」
 私は川柳のクラブ誌で次のような事を書いたことがあります。(括弧内は今回の注記)
 北海道から(北九州市の)折尾に来た若奥さんの「九州男児は強いと聞いていたが、近所のどの家庭でも女性の方が威張っているのは何故?」の質問に私は言った。「同じ親から生れるのだから、男が強ければ女も強いのは当然だ。それと口論のとき九州の男は体力の弱い女に腕力を振るうなど男の恥と思っている。だから口数で勝る女が家庭ど主導権を握るのだ」。
 川筋生まれの高倉健さん(注記)もテレビの追悼番組で言っていた。「九州では男が弱くて脆い女を苛めるなど草野球のように「ミットもない」と言われていることを博多生まれの癖に知らぬのか」と武田鉄矢さん演じる男に言っていた。(この台詞は明らかに健さんの考えを入れたもの)今、いじめ、DV、幼児虐待、少年少女殺害など弱いもの相手の事件の報道が絶えない。私は九州ではこんなことは殆どないと思いたいのだが。
注記:筑豊炭坑が盛んだったころの遠賀川周辺には炭坑で働く人独特の気質があり川筋生れと言う言葉が生れました。なお高倉さんは筑豊地方の中間市の生れです。
「いじめがない学校の特徴」
 私も今もそうですが「冴えない」少年、貧乏人の子で継ぎ接ぎだらけの服で苛めの対象になっても可笑しくない子でしたが苛めを受けたこととは全く記憶がありませんでした。川筋の若松で育った家内にも訊くと同じ答え。
  旧制の工業学校時代でも当時硬派と呼ばれた生徒たちが、他校の生徒と毎日喧嘩をしても、友達に手を出すことは絶対にありませんでした。
 つまり弱い生徒に手をだすなど、硬派の生徒の沽券・プライドに関わると思っていたのでしょう。 この貧弱な経験をネットに書いたところ早速藤村の「夜明け前」を見ろ」など、幼い子供の社会では自分が気付かずに気に入らない生徒を除け者にしたこともあったのではないか、など当然なコメント。
 そう言えば団地でも問わず語りに若いころ苛めを受けたことを話す友達が二人。
 それで私なりに考えて見ました。
・九州男子に象徴されるように男の子には男らしく、女の子には女らしくと言う躾けがされていた。
・私の通った旧制工業学校は現在の北九州市の八幡東・西区の境界近くにあった。八幡東・西区、戸畑区には当時の現在の新日鉄を始め多くの工場次々に建設され多くの人が流入。地域の人もそれを受けいれる風土があった。
・高倉さんの生れた川筋も炭坑での職をを求めて多くの人がきていた。
・家内のいた若松区も石炭の積み出しが盛んでやはり川筋と言われていた。
・全国の県民性を纏めた本によると、福岡県でも北九州市の西部、筑豊地方の人達の開放的な性格。
・いじめを受けた団地の友達は閉鎖的な農村出身者。
・戦後「教育独立」の機運で学校がいつの間にか閉鎖社会を作っていた。その象徴が一般社会では考えられない、日教組の校長の吊るし上げ。
・娘が教師になった当時いじめ、荒れた学校が多く四月発表の教員の転勤報道で何時も私の娘が何処に移るか心配していたが、教頭に昇格した転勤したやや小さい小学校ではこう言ったトラブルが全く無かったので安心したこと。その小学校の特徴は開放的で地域の人達との緊密な連携。
 それで得た私のいじめ防止の結論です。
「いじめ防止の対策」
・学校では最初に書いたように男は男の良い所、女は他への思いやりや気配りなど女の良い所を教えてそれを活かすこと。男・女の生徒はともお互いにその良い所を見習うことを教える。
・弱いものいじめは男女の生徒とも人として恥ずかしい行為だと教える。
・いじめの問題が起きたときは生徒全員を一同に集め、(所謂チクリした生徒へのいじめ防止のため)誰とは特定せずに全般的な問題として、弱いものいじめや多人数の人で一人の生徒を苛めるのは、人として恥ずかしい行為だと徹底的に教える。(旧制の高等小学校で生徒が弛みかけてときに行う「講堂修身」と言われていたやりかたです)
・学校を地域の人に開放する。
・休み時間などは低学年と高学年の生徒が一緒に遊ぶ様にするなど、クラスの閉鎖化を防ぐ指導をすること。
・学校内外で暴力事件が起こり学校では手に負えないときは警察を導入する。そして学校も生徒も治外法権でないことを教える。
「私の提案の問題点」
 学校やクラスの閉鎖社会化の防止は問題もあるかもしれませんが誰でも賛成すると思います。
・男女の良い所を活かし、その良い所を認め合い、見習い合うと言う教育は多分今までの男女平等の教育の流れから言えば反対と思います。
 然し男女平等の教育が所謂草食系の男を産み、母親の言うことの聞かぬ子へ父親の一喝、拳固一発の昔では考えられない男親の陰湿な幼児虐待の続発の社会を産んだのも事実です。
・弱いものいじめ、多人数で一人をいじめるなどは人として「卑怯」「恥ずかしいこと」の考え方を学校で受けいれられか。
 然し現在はいじめられ子への対処法ばから言われ、どうすればいじめ防止ができるかの議論がなおざりにされているような気がしてならないのですが。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキング
コメント

貧困化の連鎖をいかに断ち切るか

2013-01-17 20:17:07 | 教育改革、ゆとり教育
・貧困を前向きに活かせ・教師が授業に集中できるよう学校の合理化・優秀の学生を活かす国としての政策
人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題
 生活保護のうち、食費など生活費を賄う生活扶助の支給額が、一般の低所得世帯の生活費支出を上回る逆転現象改善のための活保護費の適正化が問題になっています。
 早速人権団体の猛反対の画像とともに、テレビの解説者は貧困の連鎖の問題を指摘しています。
 この問題で一番良いのは低所得者の給料を上げれば良いのでしょうが、止めようが無いグローバル化の中では圧倒的な低賃金の国の企業と対抗するには、どうすれば良いかと言う難しい問題がでてきます。
 それで今日は貧乏なために就学の機会が無くなり次の世代も貧困になると言う「貧困の連鎖」に就いて考えて見たいと思います。
なお私の経験を文末に書いていますのでご参考までに。
[私の提案]
・貧困を前向きに活かせ
a.携帯・スマホなど情報の不足、ゲームとの絶縁→学校の授業が面白くなると前向きに捉える
b.読書への投資を惜しむな、出来ないときは図書館の利用(学校でも授業前に読書を進めている。)
c.読書から得た情報を自分なりに考えて見る習慣を付ける
d.家族の財政面も含む助け合い(就職しても独立するまでは給与は全て家に入れる。)
e.就職後の通学も考える(場合により学習効果が大きい)
・学校の合理化
a.学校内の対立を辞め生徒中心の運営にする(日教組には入らない、特定の思想を教育に持ち込まない)
b.教育委員会関連のレポート提出は最小限にする(教師の労力の削減)
c.指導方針のマニュアル化、教育資料の使い回し(教師の労力の削減)
d.塾に行かなくても全国共通テストで一定の成績を得るように学校で全ての責任を持つ
(生徒の希望者には時間外の指導も惜しまない。)
e.教育の内容の指導だけでなく勉強方法の指導もする
f.先生としてのプライドを取り戻し戦前のように父兄から尊敬される存在になって貰いたい
g.今や教育の邪魔者になっているモンスター・ペアレンツが今後発生しないように教育をすること(私は権利一辺倒、それに伴う義務、責任の軽視の指導が原因と思う。)
・国としての政策
a.意欲或る優秀な生徒の発掘と彼らへの重点投資をする
b.戦前のような師範、陸士、海兵など貧乏で優秀な学生でも出世の道を開いてやるようなに学校を作る
c.大学の文科、理科など一般学部に就いてはセンター試験の一定の成績の入学者の数に応じて補助金を増減するなどして重点投資をする。
d.就職後再度就学した人達への途中入社の道を開くとか、待遇の改善を図るなどの推進策を考える。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

ブログ村政治ブログへ

[貧乏人の子沢山の家庭で育った私の経験]
 最初にお断りして置きますが、何か自慢たらしく書いているように見えますが、読んで頂ければ判るように要するに私がたまたま運が良かっただけだとお判りになると思います。
・小学校から高等小学校(今の中学校)
 私の家は当時の父が今で言う非正規社員、子ども5人を抱えたそれこそ貧乏k子だくさんを絵に書いたような家でした。 (弁当と言えばごはんに醤油をかけた鰹節だけのおかずのこともありました。)
 母は今と違って炊事、選択、掃除など全て手仕事。子どもの教育などかまう暇なく、家庭訪問の先生には「子どもが言うことを聞かなければ殴ってくれ」、子ども達には「人様に迷惑だけはかけるな」とだけ。
 子ども達はそれを良いことにして、家では宿題の他は一日中遊びほうけていました。
 私の場合は不器用だったので、当時の学科で言うと書き方、図画、唱歌、体操などは5点満点で言えば1~2点、読み方、算術、理科などは3~4点と言う普通かそれ以下の生徒でした。
 学年が進み金持ちの子の進学がでるころになると手や身体を使う学科は相変わらず低位でしたが頭を使う方は時々5点を貰うことが多く成り、遂には中学校(今の高校)進学の子で遅れがちの子の面倒を見るように席を並べさせらるまでになりました。
 そして貧乏な私は当然のように高等小学校に進み、小学校からの推薦があったそうでいきなり級長になりました。
 それも家での勉強はせずに宿題など忘れて立たされる格好の悪い級長でした。
 その原因は私が無類の本好きで当時の勧善懲悪の講談本から母や姉の買ってきた婦人雑誌(当時は漢字は全てルビ付き)まで乱読のお蔭で物事の理解力と、自分で物事を考える癖がついたこと、集中力が養われたこと。
 それと全般のことですが当時は情報がなく、授業で習うことが全て新しいことばかりで、面白かったことなどがあります。
 詰まり家で勉強しなくても学校の習うことが乾いたスポンジのように吸い込まれていたのです。そして年老いた今となっては懐かしい子ども時代の記憶力。
 一方学校のほうは情報過多の今と違って面白可笑しくする授業するために特別の教材の準備も必要はなく、小学校、高等小学校でも、どの学級でも同じような原始的な教え方だったような気がします。
 教師の中には子ども心に随分酷い人もいましたが、生徒からの質問などには皆嫌がりもせず親切に答えていました。
 また戦前の事ですから日教組など困った存在も教育委員会もないので、報告の書類は多分殆どないし受験競争も無かったので教師にとって随分楽な仕事だったような気がします。
 そして一方世間からは先生として敬われる存在でしたので、生徒にとっては絶対的な存在でした。
・工業学校(今の高等工業学校)
 高等小学校からはまた当然のように就職試験を受けて合格の知らせを貰っていましたが、親が急に工業学校に言っては言い出しました。
 私の姉、兄が同じように高小を卒業して給料を皆家に入れていたので、少しは家計が楽になったのでしょう。(私も弟二人も同様に就職して結婚するまでは皆給料を家に入れていました。)
従って受験準備もしませんでしたが、競争倍率9倍と言う難関を何とか突破することが出来ました。
 然し入学してからの成績はさっぱりでした。
 何故なら専攻の機械関係の学科に英語、代数、幾何 まったく新しい分野。
 厳しい受験勉強をして来た他の生徒は受験勉強で徹夜も厭わないのに、高小まで遊んで来た私は機械関係の丸暗記もできず中途半端で受験したのですから、いきなりクラスでも中ごろと言う普通の生徒に戻りました。
 さすがのんびり屋の私も夏休みに英語と数学だけは一からやり直しましたがそれでお終い。
・高等工業専門学校(今の新制大学)
 化学会社に就職して慣れた始めたころ、有り余る精力の捌け口に高等工業専門学校の夜間部に入学しましたが、そこでは二年生、三年生と続いて授業免除の特待生になったので、通学には交通費だけで済むことに成りました。
 その理由は簡単です。
 ・工業学校で習ったことを程度は少し上がるが内容はほぼ変わらないこと。
・他の学生に取っては工業学校時代の私のように、全く新しい学科なのに、私は学校で習うことを実際に現場で見聞きし取り扱っていること
・現場での定期修理の準備のように、システム的に定期試験の準備が出来たこと、その準備は通勤や通学の電車の中で済んだため家での試験勉強はなし。
・新制大学
 旧制高専を卒業した後、趣味の英語の纏めをしたくなって新制大学の英語科の夜間部に入りました。
 そこでの定期試験は楽なもので、英語の試験時間の半分で答案提出はたびたび。
 一般教養学科の受験準備は通勤、通学の電車の中のシステム的な勉強。
 お蔭で此処でも奨学金を貸与して貰ったので交通費だけの経費で済みました。(勿論完済しました。)
 理由は入学までの電車の中の時間潰しに英語の原書を読んでいたからです。
 電車の中の勉強と言っても毎日の読書ですから仮に1時間×250日×10年=2500時間の読書量は他の学生とは圧倒的な差があったからです。
以上を見ればお判りと思いますが私の読書好き、集中力、現場で得た実際的な知識など私のプラス面が偶然にも良いほうに良い方に働いただけです。
私は就職後夜学を卒業して「学歴」は上がりましたが、親達の暮しや弟達の通学を優先して同じ会社に同じ地位で働き続けました。
もしより良い位置を求めて転職したら、もし多くの人達と同じように猛勉強したらと言う考えもないとは言えませんが、私の性格から高い地位の管理者は不向きと思いますので、旧制高専の知識や英語力を見込まれて(これも幸運ですが)80歳まで働けただけで良かったのではないかと思っています。
 
 
コメント (5)   トラックバック (1)

田中真紀子さんの起こした新設大学認可問題に就いて考えること

2012-11-07 15:26:33 | 教育改革、ゆとり教育
・結果的に外国人の密入国を支援するような学校は認可するな・優秀でない、学問に意欲のない学生を受け入れねば経営できない学校には補助金を出すな
人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題
田中文科相は冒頭、「大学の乱立に歯止めをかけて教育の質を向上させたい」とこう述べ、初めて大学設置・学校法人審議会の答申を覆し、3大学を不認可とした自らの判断に間違いがなかったこと強調した。
 設置審の答申を尊重して認可するという、戦後長く続いてきた認可手続きについて「事なかれ主義」と切って捨て、自らが進んで「劇薬」となって改革に臨む姿勢をアピールした。
 (産経新聞より)ことで大問題になり、野党、マスコミ、当の大学関係者からの批判に逢い、やや姿勢を後退したとして、また批判を浴びています。
 しかしその批判の中でも「大学の乱立に歯止めをかけて教育の質を向上させたい」と言う基本的な考え方には賛成の意見が多いようです。
 問題の3大学を含め新設、増設の大学は経営改善、それを抱える市町村では地域振興の理由も持っているようです。
 それに対して国が関与するのは許認可のほかに財政が厳しい中の補助金の支出です。
 それがなければ(実は後述の問題がありますが)国が関与するまでもなく大学や地域でいくらでも大学を作れば良いことになります。
 現在の民主党政権の支持母体の日教組の考えのように何でも公平に補助金を出そうとすれば国はいくら金が会っても足りません。 
 今回の答申をだした大学設置・学校法人審議会も国の財政事情を考えたのでしょうか。
 今回の大学を抱える地域の自治体の人は地域振興も良いのですが、結果的にはそれを大学への補助金を当てにしていることになります。
 筋論から言えば地域振興なら地方自治体から金を出すから、補助金など要らぬからこちらに任せろと言えば済むことです。
 ことが金と大学のレベルの向上維持や地方振興のためなら話は簡単です。
 文科、理科関係の大学なら、審議会の今までの教員のレベルや数などの基準に加えて、受験生を全員「大学入試センター試験」を受けさせ、ある一定のレベルの合格した人を一定の数を受け入れること、以後合格した人の数に比例して補助金を増減すれば済むことです。
 詰まり少子化の進行とともに補助金は次第に減ってくることになります。 (なおお断りして置きますが今までの意見と今後の話は大学での研究や・技術の開発などの機能やそれに対する補助金の問題は別としています。) 美術や体育などの学科はセンター試験に準じて専門の人達の統一試験・検査を受けることになるでしょう。
 大学の問題に就いては、少子化の進行で学生が減少→経営改善のために場合により一定のレベル以下の外国人留学生の受け入れ。
 その極端な例が山口県の某大学のように、外国人留学生受け入れ→東京のサテライト教室での授業→学生の大半が行方不明が示すように、レベルの低い学生の不法入国の手段となっていることもあるそうです。
 自民党政権の或る時期までは外国人の受け入れは特別の技術・技能に優れた人に限られていました。大学の留学生受け入れはあまり熱心ではありませんでした。
 それで全体的に言えば日本人、外国人を含んで均質な(均質が必ずしも良いとは限りませんが)中流意識をもつ社会を作って来ました。
 それが汚い・きついの3Kを嫌う人達の発生、少子化の進行に加えて(何度も書く中国などの興隆→企業の競争力の低下を補う非正規社員の採用と共に)色々な名目を付けての外国の単純労働者の採用と言う格差社会が生れ定着化しています。
 その結果生じた格差社会と核家族化などの社会の絆の崩壊に伴う犯罪などのトラブルの増加に加えて、一頃までは今のように目立たなかった在日の外国人の起こす犯罪などのトラブルが増えてきました。
 今や殆どあきらめた感のある少子化、格差社会、核家族化など難しい問題を抱えている日本としては、単純労働の外国人の増加や、それを結果的に支援しかねない優秀でない、学問に意欲がない学生(話が逸れますが日本人学生も含む)を受け入れねば立って行けない大学の新設には、田中さんの「大学の乱立に歯止めをかけて教育の質を向上させたい」と言うように、特別の注意をする必要があると思います。
 そう言う意味でも、「大学の乱立に歯止めをかけて教育の質を向上させたい」国の財政事情改善のためにも、大学に対する補助金の在り方は考える必要があると思います。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキングへ
コメント (1)

就職氷河期と民主党政権の教育政策

2011-01-18 16:18:30 | 教育改革、ゆとり教育

 先日のテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」で就職氷河期の問題で、解説者が大卒の就職内定率が低いと言うが、実際の就職者数は前々年より前年の方が上がっている。
 それは業界の希望する人材とその数と、それ応えるべき大学のミスマッチ
で、特に文科系にその傾向が強い と言っていました。
 つまり大学全入の傾向に伴う過大な大卒の就職希望者数に問題があるというのです。
 この問題に就いてネットで調べて見ますと、大学進学希望者全入時代、大卒就職希望者就職内定率最悪についてどう思いますか?
と言うQ&Aのサイトがあり、現役の大学教員をしていると言う人から次のようなコメントがベストアンサーに選ばれていました。
教育の送り出す人材と、産業のもとめる人材の間にミスマッチが生じている
・高校卒の進学率が上がったのは生産現場の自動化やロボット化が進み、必要な人数が減っている
 そのため、大学へ進学するが、大卒者の必要数もそれほど増えていないため、現在のような就職難が発生したのではないか
日本の産業構造を考えれば、30年前とそれほど大きく変化していないのに、理系の卒業者数に比べ文系の卒業者数は圧倒的に増えている
 それは大学の経営的に設備費やランニングコストのかからない文系学部の新設が多くあった
 それにより文系学部卒の学生の就職先は、これまで高卒向けであったものも含まれてしまい、そのため高卒後の就職先が無くなるというと悪循環を起こしている。
工学部や他の理系学部でも、近年の科学技術の発達にともない、大卒では最先端ヘ達することが困難になり、大学院への進学があたりまえになりつつある
 一方、文系学部では、大学院への進学は「就職の妨げになる」との風評も出てい。これは文系学部卒業生の「大卒以上レベルの社会の必要人数」が以前に比べて増えていないことを、暗に示しているのではないか。
・このような状況が学生の勉学の意欲を削ぎ、レベルを落としているのではないか。
 加えて「ゆとり教育」の悪影響だろうか、学習意欲レベルの低い学生も多くなり、「大学卒の資格さえ取れればいい」と思う学生が増えているのではないか。
・加えて、労働は「権利」ではなく「義務」であるということを理解していない。あるいは「職業選択の自由」の意味をはき違えている(職業選択の自由を勝ち取るためにはそれに必要な技能を身につけることがもとめられるという義務をともなうことを理解していない)学生が多く見られる。
・まじめにきちんと大学や大学院で自分の能力を伸ばす努力をしている学生は、大変だが就職できない状況ではない。その辺は、企業もしっかりと人を見定める努力をしていると思う。
   「ゆとり教育」の批判に就いては少し脱線気味ですが、それを含めて現在の教育や大学の在り方の問題点をズバリ突いたコメントだと思います。
 それに対しての民主党政府の(どれと言って宛はないが余所が行くからとりあえず普通科でも入っておこうかと言う生徒のいる)高校までの無償化の考え方は、ただでさえ多すぎる大学への進学者数の増大を応援するようなもので、テレビ東京の解説者や大学の教員の方の指摘する方向を助長するようなものです。
 そして上記の問題点を踏まえた現実的な対策は、
・文化系の大学への一律の補助金を見直す。 (文科系本来の目的の阻害しない程度に)
・その分を理科系の大学に廻す方向で見直す。 (現に今回の共通一次テストでは理科系への希望者が増えているそうです。)
・高校無償化も普通科設置校への補助金を見直す。 (就職に直結する学科へはレベルの維持か増やす)
・見直しの基準として高校の場合は中学校での全国学力テスト、大学の場合は学力一次試験で一定の点数を獲得した生徒、学生の入学者の全学生に占める割合でを考慮して、補助金の支給額を増減させる。
 高校・大学の場合は各学科に必要な基礎学科は上記テストの必須科目として、評価の対象とする。
・大学の最終的な評価は卒業生の社会での活動実績に依るのが正しいが、事実上困難なので、受験者の大学の(例えば官庁への採用数の多い東大とか、理科系ではどの大学が強いかなど)選定に任せる。 (詰まり(今回のテーマで言えば就職で)人気の悪い大学は自然淘汰される。)
 私の提案は少し乱暴な所もあると思いますが、韓国が優秀な学生に440万円を支給し、特別チームの指導・助言も受けられるのに比べると、日本の高校の無償化は、選挙で民主党に有利な点を除いては、余りにも手ぬるい、的外れ、無駄遣いのような気がしますし、少ない財源からみても、もっと思い切った対策を取るべきだと思います。
 もう一つの問題は大学の教員の方も指摘されて居ましたが、就職難に伴う教育の問題です。
 菅さんは、 (最近すっかり言わなくなりましたが)雇用増大→需要増大→景気回復を唱えていました。
  たしかに、リクルート社調べによりますと、5,000人以上の大企業の求人倍率は0.47倍ですが、300人以下の中小企業の2011年大学新卒の求人倍率は4.41倍と高いそうで、大卒の人がその気になって中小企業にチャレンジすれば、菅さんの言うように雇用も増大する可能性はあるのですが、問題は大卒者がその気になればなんとか成りそうですが、高校までの教育の問題が大きく関わっています。
 私などから見れば中小企業に入っていきなり大きな仕事を任されるのは、大きな生き甲斐を感じると思うのですが、高校迄の教育でチャレンジ精神が乏しくなったのと、不景気の影響で皆安定指向で大会社に殺到し、就職氷河期と言われるまでになっています。
 良い会社や官庁に入るなら、それなりの素質があれば猛勉強をすれば済むことです。
 然しゆとり教育と、その名の元での(夏休み、春休みなど既得権に加えて)教職員の土曜日の授業放棄、それに伴う塾の増加と教育費の増加、横並びの教育、優しすぎる教育が、勉強の意欲を無くし、社会での競争に耐えられない、ひ弱な安定指向に走る学生の発生など大きな問題になっています。
 そんな事は判っているのに、そのような教育をしてきた日教組を支持母体にし、本流の人達と考えと全く違う社会主義思想の社会党出身者、財源がないと判っているのに依然として(勉強の意欲の高い生徒も遊び呆けている生徒にも、所得制限も無視し)公平?なばら蒔き政策を推進せよと言うグループを抱える民主党政権。
 一方、重点的ににポンと金を投げ出す韓国政府や、ハングリー精神豊富な韓国学生。
 このままでは日本は似た国情を持つ韓国からかも益々置いておかれるような気がしてならないのですが。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキングへ

 

コメント (2)   トラックバック (2)

学力テストと大阪の現役教師の意見

2010-08-03 16:42:29 | 教育改革、ゆとり教育

 今年の全国学力テストも例年と同じにほぼ同じに
・ベスト・ファイブ:秋田・福井・富山・石川・山形
・ワースト・ファイブ:沖縄・北海道・高知・大阪・岡山
の結果に終わりました。
 この件でネットを探していたところ「教育毒本」と言ういかにもおどろおどしいタイトルのエントリーをみつけました。
 著者は大阪府居住の現役教師で、08年の学力テストの結果についての意見です。 (少し長いですがユニークな意見なので終わりまで読んでいただければ幸いです。)
・大阪府が下位にとどまっている根本的な理由は、教育委員会をはじめ俺達教師もちゃんと分かっている。ただ、諸団体からの圧力や、自分で自分の首を絞めたりして、それを語ることはタブー視されてきた。結局は、臭い物にフタで問題解決を先送りしてきた感もあるのだが、教育だけで何ともできない部分が多いのも事実
特定の地域や層は、学校や勉強どころではなく毎日の生活に精一杯。今日一日をなんとかしのぐことが最優先なのだ。そんなもの、大阪に限らず全国あちこちにあるわけだが、決して均一ではない。西日本、特に大阪に激しく集中している。
・その地域を切り捨てれば平均点は一発で上がる
・教育の力だけでこの地域差を何とかできると思ったら、それは大間違い。
そんなもの教育素人の幻想にすぎない。勝手なときだけ教師の力を過信してもらったら困る。
・橋下知事も文部科学省の偉い人たちも、そういう公教育の薄暗いリアルはご存じないまま、現場に責任をかぶせて世の中を動かそうとしている。素人の思いつき暴言で簡単に改善されるほど、世の中は甘くないんだがな。
・要するに、学力の差は学校や教育委員会の責任だ、という(産経新聞の)論調だな。
 宿題を出さないことや、夏休みの補習などを行っていることが、地域の格差につながった。
 そしてこれは「教師が独り善がりの授業」をすることや「競争や評価を嫌う体質」がまねいた結果だそうだ。だから沖縄や大阪は順位が低いと。
・もちろん教師や教育委員会が改善すべき点はいくらでもある。
 そして俺達の力ではどうにもならないシステム上の問題や、予算がらみの行政レベルの問題も。
 今回の記事では、沖縄は学校が宿題を出さないから成績悪かったという言い方をしている。
 そういえば、俺もほとんど宿題は出さないんだけどな。
 宿題は、やるのが当たり前という前提なので、やってこない者が多いと授業が成り立たない。
 だから出来るだけ授業の中だけで完結するようにして、宿題は出さないというのが最近の現状だ。
 ただ、沖縄に限ったことではないが、過去には宿題を出せる雰囲気でない時代もあったんだぜ。
 家で勉強できないような環境の子もいるから、それで宿題を出すのは人権問題だとおっしゃった団体があったんだから。
(前回のブログで)家族失業率と成績が相関関係にある話を書いた。
・家庭の経済環境を端的に示す数字が生活保護率。
 今度はこの生活保護率と全国学力テスト成績との相関関係をグラフにしてみた。
 釧路市、大阪市、高知市と、いずれも学力テストで下位だった地域だ。ちょっと読んでみると教育どころではない実態が良く分かる。
その中から大阪市について一部引用してみる。
 生活保護率:39.0%、被保護人員:102,616人、 被保護世帯数(世帯)、生活保護相談件数(H16年度): 65,879件、新規生活保護申請件数(H16年度): 23,629件
 俺が言いたいことは、たとえば大阪なんてけっこう大変な所なのよ、ということだ。
 生活そのものがやっとでは、教育にお金をかける余裕はもちろんないし、中学、欲を言えば高校まで無事卒業できれば上等。成績がどうこうなんて、そんな腹のふくれないモノ興味なし。
 昔は、だからこそ勉強をして這い上がるという夢があって、実際そうやって生活を向上させた。
 だが、今は違う。二極分化、そして下流が親から子に遺伝する時代だ。
・産経新聞はこういうの分かって物を言ってるのか?
 「もちろん学力差の要因はこれだけではない。教師の指導法や学習環境、学校教育以外の地域状況などさまざまだろう。」などと書いているが、論調の体裁を整えるために、申し訳程度につけたしただけだろうと想像がつく。
 こういう根深いところにある問題に目を向ようとせず、データの意味が読み取れないからと、安易に学校や教育委員会の責任にして叩いて終り。話題性だけ煽って盛り上げたつもりが、実は誰も本当の意味が読めないまま関心を失って通り過ぎていく。こういうのを空騒ぎという。
・想像で原因を推測することは出来るのだが、それを立証するとなると難しい。
それが分かったら、ひとつひとつ対策をしていけば、良くなっていくはずなのだが・・・
・報道はもう下火だし、結局、話題になったのは都道府県別順位だけか。なんだかなあ。
[私の意見]
 著者から批判された産経新聞の今年の「全国学力テスト」の社説 
の中で著者の指摘した部分に就いては次のように書いています。
 秋田、福井など上位校は宿題など家庭学習もきちんと行われ、地域が教師を信頼し、協力しあう態勢が共通している。上位校に授業方式などを見習い、平均と比べ成績が悪い学校が家庭に呼びかけ、地域をあげて学力向上に取り組み始めたばかりである。
 そして昨日か一昨日のテレ朝の「スーパーモーニング」でも秋田の家庭の早寝早起き朝御飯の習慣、三世代の家族、健康な地域社会などの例を上げ、鳥越さんが正に昔の家庭や地域社会がまだ秋田に存在していることが、例年の好成績を示す原因だと総括していました。
 少なくとも教育環境に就いては、正に著者の指摘したのは正しいと思います。
荒れた家庭
 然し著者は「俺達には、滞納された給食費を徴収する権限すらないんだから(笑)」
と嘆いていましたが、給食費を払わない家庭を作ったのは、戦後以来の日教組主導の、国民に権利はあるが責任も義務も無いと言わんばかりの教育で、我がことはさておき他人に自分の権利を主張する子どもを作り、それが親になった結果だと思います。
貧乏と学業成績
 著者は大阪には貧乏な家庭が多いのも原因の一つと指摘していますが、私の子ども時代の私の家庭もそれこそクラス内で最低の超貧乏でしたが、それでも何とか小学校では上位の成績を占めていました。
 その理由は娯楽と言えば、鉱石ラジオがあるかないかの時代で、唯一の楽しみ、そして情報源は雑誌や講談本でしたが、私の無類の読書好きだったことが、何とか上位を占めることができた理由と思っています。
 ただ今の子どもにとってある意味で不幸なのは、著者の言う保護所帯でさえテレビの一台はあり、子どもの関心がそれに逸れることです。
 それと携帯など子どもを取り巻く情報が溢れ過ぎて、学校で新しいものを学ぶ好奇心や集中力が阻害されることです。
 然しこれは学校、地域、教育委員会で協力すれば、 (現在学校で良く行われている読書活動のように)克服出来ない問題ではありません。
宿題やテストの意味
 著者は他の問題では威勢のよいことを書いていますが、宿題を出さぬことは少し言い訳がましい書きぶりでした。
 私は宿題やテストに就いては子ども時代から、特に(引っ込み思案の子や授業について行けない子が授業中に挙手して発表しない)子どもが本当に判っていないのかを知る知り、次の授業に反映させ、落ちこぼれをなくす唯一かもしくは最高の手段だと思って居ます。
 これがいつの間にか、試験は子ども達に順位を付けため、宿題はそれによい点を稼ぐ手段として、何だか悪いことのように、思われ少しでも教師の労力を減らす言い訳の手段になっているような気がします。
 落ちこぼれの防止より教師の労働条件を良くしようとするのは、教師としての サボタージュとしか考えられないのですが。
 そして全国の学力テストは、著者が指摘した上記の問題の解決や教育方法の改善のために、是非必要で、読売、産経が主張するように全国一律のテストに戻す必要があると思います。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキングへ

コメント (1)   トラックバック (1)

子供の日によせて・荒れる学校

2010-05-06 14:40:43 | 教育改革、ゆとり教育

 私の「石原都知事が嘆く若者気質」のブログにオハイオさんと言う米国在住の方から貴重なコメントを頂きました。
 確かに日本の現在の若者のひ弱さと危険さには目を覆いたくなるものがあります
 しかしいつの世もそういう子供たちを作ったのは大人だということです。私はアメリカ居住で、豊かな国ですが、若者の自立心は今なお旺盛です。18歳になれば、ほぼ全員家から出て行きます。たとえ大学が家から近くても、寮に入る子供がほとんどです。就職して、家から弁当を親に作ってもらって、会社に行くなどということはまずありません。それは自立が大事だということを豊かな時代になっても、忘れずに社会、親が実行しているということです。また、日本も各親、祖父母がその気になれば出来るはずです。
 この文章を読んで私の追及しているテーマの一つの日本の教育の問題の一つをオハイオさんが指摘されいるのに気付きました。

[戦後教育の問題]
 戦後占領軍は日本に民主主義を中心とする新しい考え方を導入し、それに基づく憲法を日本に持たせました。
 個人の権利・自由・個性の尊重、プライバシーなどなど。
 そしてその一方神道や武士道など戦争に繋がるものとして否定しました。 (後に許されましたが。)
 勿論、被占領国の日本はそれを受け入れざるを得ませんでした。
 然し占領軍の本意は判りませんが、仮に善意であったとしても彼らは大切なこと忘れていました。
  米国の環境と日本の環境が全く違うことを無視したように見えることです。
  米国では今でもキリスト教が生活にしみこんでいます。
 日本では神道はいたしかたないとしても、当時まで国民生活に大きく関わってきた仏教までが戦後何故か判りませんが衰退してしまいました。
  そして日本が持っていた農村文化、神道や仏教に基づく美風は殆ど無視されていました。
  米国ではフロンティア精神があるのに武士道は否定されました。
  それとオハイオさんの指摘されたように米国の社会環境としては個人に自立心が強く自己責任の考えが浸透しています。
  つまり行き過ぎた権利や個性尊重の主張にブレーキを掛けるものとして、自己責任の考えがあり、それが他の個人と衝突したときには、訴訟社会と言う環境があります。 
  そして学校教育で教え切れない所は米国ではキリスト教による教えがありますが、戦後日本では事実上無宗教の世界になってしまいました。
  占領軍の施策で勢いづいたのが、今まで押さえ付けられた共産、社会主義思想を持っていた大学教授などの知識人や、共産党や社会党の影響を強く受けた日教組、全教などの教職員組合です。
  当時の私の象徴的な思い出は、教職員用の指導要領書を本屋で立ち読みしたときです。
  今の憲法には権利の規定があるが、(それに伴うべき)義務も責任も記述されていないのだと言う記述に本当に驚きました。
  その指導書にはこの記述以外に義務や責任の文字がないのに改めて驚きました。 
(生徒用の参考書には義務、責任の言葉を何度も見ましたが、上記の指導書を見た教師は権利ばかり教えていたのでしょう。)
 
最後のページに当時教科書裁判で名を馳せていた家永さんの推薦文を見てやっと納得が行きました。
  当時は教育の独立の名の元で半ば密閉社会同様の学校では日教組などが頑張っている一方、私を含む一般の国民は敗戦の虚脱状態から抜けきれませんでした。
 つまり戦後しばらくの間は教職員組合が自分達の考えのように児童・生徒を洗脳するには絶好の環境だったのです。
  詰まり米国から貰った先の考え方に伴う義務や責任と言うブレーキがないまま、日教組の人達は権利や自由や個性尊重などを教えていたのです
  私も子供達が学校で教えられたことに対する個人の権利などの素朴な疑問に、学校ではそう教えられているかも知れないが、家では権利などより家族の思いやりが大切だからと教えていましたが、その言い方にも力が無かったのを覚えています。
  勿論、占領軍撤退以後は日本は完全に独立国になったのですから、占領軍の教育政策の不具点など修正すれば良かったのですが、何故か殆ど修正はされませんでした。
  日教組などの権利重視、義務・責任の無視、お手手つないで一緒にゴールなどの横並び教育などの弊害や、(夏休みなど長い実質的な休日があるのに)ゆとり教育という名の土曜日休日獲得などの彼らのやり方は誰でも知っていることです。
  そして本格的な教育の見直しが始まったのは戦後から半世紀もたった、安倍さんの時代です。
  今モンスターペアレンツなどの言葉が流行り、学校でのいじめや荒れる学校などはもう当然のことのように語られています。
  その一因は日本の国情を無視した学校教育にあると思います。
  そして私のような多くの親達は学校で教えられたことの拙い点を子供に教え、それより日本の美風を守るべきだと子供達を教えたと思います
  然し一部の親達の中には大戦への強い反省から戦後の学校の教育をそのまま受け入れた人達もいるようです。
  そしてその親に育てられた子が、個人の権利や個性ばかりを主張する親になり、またその親が子供を育てるなど、戦後から2~3世代を経て荒れる子供やモンスター~が生れたのかもしれません。
 唯、幸いなことには「モンスター~」の数が少ないのはまだ日本には健全な家庭が多いことを示していることです。
 それを学校で言えば地域により、同じ地域でも学校により、同じ学校でも学級により荒れた状態が違う現象となっています。
  私ごとですが、年度が変わる度に教師をしていた私の娘にどこの学校に転勤になったか、その学校は荒れているか尋ねるのが習慣になっていました。
 私の友達に元・日教組の闘士(念のために書き添えますが彼は個人的にはとても人柄の良い尊敬すべき人です)がいますが、彼も良く荒れた生徒の対応に悩んで話しをして居ました。
 私は荒れた学校や生徒を産んだのも、教師がモンスターペアレンツに困らされているのも、権利重視、義務・責任の無視または軽視の教育をしてきた日教組にもその責任の一部を負うべきと思うのですが。

[鳩山政権と日教組]
 民主党が衆院選で大勝してその支持母体の日教組の勢いがまた増しそうな形勢です。
 彼らの全国一律の学力テストの範囲縮小は彼らの持論ですし、教育の責任を国から地方、地方から地域から学校に移す公約も日教組の主張に沿ったものです。
 彼らの本心はマスコミの眼が届かないに範囲を教育の責任と実施を分散させて、自民党の義家弘介さんが国会で明らかにした北教祖のように、後は民主主義の名の元で「吊るし上げ」とうによる校長などを圧迫して、自分達の主張を通そうとする戦略が見え見えです。
 私たちは鳩山政権の教育政策に対して何時も気をつけておく必要があるような気がします。
 一方、日教組は所属の教師が困らされている学力の低下、荒れた生徒、困った父兄を産んだ責任の一部は少なくとも自分達にもあることを直視すべきだと思います。
 学校の荒れた責任を今までの自民党政府や社会の所為などと、モンスターペアレンツのように自分のことを棚にあげて、他に責任を被せていては何時までも荒れた学校の問題は解決しないと思います。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキングへ

政治ブログへ

コメント (6)   トラックバック (1)

小中学校の英語教育について

2009-04-03 17:44:10 | 教育改革、ゆとり教育

 昨夜のNHKのクローズアップ現代「どこまで必要 日本人の“英語力”」の放送があり、立教大学大学院教授・同時通訳者で有名な鳥飼玖美子さん、英会話の教育を受けないままいきなり海外は派遣された経験を持つリコー専務取締役の中村 高さん、それと、海外の大学で授業した経験を持つ「国家の品格」で有名な藤原正彦さんなどが出演し、ビジネスやネットの世界で英語と触れ合う機会が増えている。国際TV電話会議や英文メールのやりとりなど。多様化する英語と、日本人はどう付き合えばよいのか、について放送がありました。

[どこまで必要 日本人の英語力]
  その中で出た出演者の話の主なこととそれに就いての私の経験と意見を書いて見たいと思います。
鳥飼、藤原:会話力より先に話す話題を持つこと
藤原:英語力も大事だかその前に日本のことを良く知るための国語力の強化が必要

・私が赴任していた南米のある地域で、大きな石油化学コンプレックスの建設の話があ り、重工業部門では日本でも有数な巨大企業がそのメンテナンスに参画する計画が有り、私の会社もその支援のため、私の元の同僚も現地に派遣されて来ましたが、最終的にはその計画は失敗に終わりました。
 噂ではその理由は、そのプロゼクト・マネージャーが現地側との会議で、一言も喋らなかったために、そのプロゼクト自体の実力がないと判断されたそうです。
 そのマネージャーがメンテナンスの経験はないのは致し方ないことですが、サブ・マネージャーとしてのメンテナンスではベテランの私の同僚も不幸にも英語が出来なかったので、初めての英語の会議の雰囲気に呑まれて、彼に代っての充分な発言が出来なかったのでしょう。
・私の勤めていたボランティア・グループで本人から聞いた話です。
 彼は国連の婦人関係のグループの長として働いていたのですが、あるパーティーで参加した時、女性たちが犬や猫などのペットの話で盛り上がっていたのに、その知識があまりないことと、重要な話でもないのでひたすら聞き役に廻っていたそうです。
  パーティーの終了後、彼の秘書から彼がもって積極的に会話に参加すべきだと叱られたそうです。
 私などは正に技術一本槍で、パーティーなどではいつも「壁の花」状態になりいつも反省していたことを思い出します。

鳥飼、中村:先ず思い切って話す勇気が必要、間違っても相手が問いただしてくれるからお互いに理解できるよになる
鳥飼:英語の読み書きができねば、会話が薄っぺらになる。

・私の属している英字新聞輪読会に70歳台の人がいます。
 彼は英会話には非常に熱心で、週に4回は別の教師に習っていますが、新聞を読むのは全くの苦手で、会員から何度も英語の本を読めとか、時には英文法を勉強してはめとか言われるのですが、老いの一徹(私も老人ですが)聞き流すだけです。
 それで彼の会話は10年以上やっても、依然として日常の挨拶や自己紹介の範囲しか出てない様で、それ以上のコミュニケーションは多分取れないだろうと思うのですが、彼はそれなりに満足しているようです。

・鳥飼さんの話と少しずれていますが、私が元居た会社では一流の大学の卒業生とか取らないのですが、その人達も現地に赴任直後はまったくの片言しか喋れませんが、一週間もすれば何とか現地人とも通じるようになります。
 それは厳しい入試のために、英語の読み書きの基本的な実力があるからです。
 一方、私が出向していた建設会社では大卒の作業員もいましたが、所謂三流大学卒ばかりで、厳しい入試の洗礼を受けてない人達ばかりです。
その人達、何とか現地の人と話は通じるようにはなりますが、何年経っても片言の英語ばかりです。
・外国では文書によるコミュニケーションが普通ですが、その中で基礎的な文法的のエラーがあれば、軽蔑されるだけです。
 外国の人達と仕事をする時に、会話だけでなく文章の作成能力も大切な要素になると思います。
 受験英語が良く攻撃されますが、その果たした功績は大きいと思います。

[小中学校の英語教育の問題点]
 私は06年の8月の英語屋さん振り回される初等英語教育
に、
 延べ約5年間の私の海外出張の経験から言えば、海外の人とのコミュニケーションで大切なのは、次の順だと思っています。
 本人の品性→話す題材の知識それを相手に判らせる意欲その道具として言語力(読み書きの能力)→会話力(会話を円滑に進めるためのテクニック(ユーモア、雑学等の知識を含む)→リスニング、スピーキングのスキル)))

と書きました。
 私の意見はNHKに出た人達の意見とどこか似ているようです。
 今の中小学校でやっているのは、私が言う最下位のリスニングやスピーキングのスキルのトレーニングが重点の様です。
 私が言う2位の話す題材の知識に就いては一般学科に当てられているようですが、英語の授業でその時間を取られるようでは虻蜂取らずに終わりそうです。
 普通の海外旅行や日本に観光に来た来た外国人の応対で、鳥越さんや中村さんの言う様に、少しはもたもたしても何とかなっている実情を考えると、英語教育のために、そんな目的で大切な時間を取られるのは勿体ないと思います。
 やはり鳥飼さんの藤原さんの言う様に、外国人に伝えることの教育のもっと重点を置くべきだと思います。
 それは外国人が日本について興味を持っている事、そして日本人として彼らに伝えたいこと、例えば日本文化、日本の歴史、日本の国情など外国人との交際に不可欠なもの教育だと思います。
 それには藤原さんの言う様に、日本の本をもっと読ませることです。
 中学高学年から高校になるにつれて、鳥飼さんの言う様に、英語の原書を読ませたり、日記などで英語の文書をもっと書かせる訓練を増やしたり、大学では英語で授業したり、英語でレポートを書かせるべきだと思います。(それが判っていれば高校生はもっと英語の勉強に力を入れます。)
 中小学校で英語教育をするのなら、その目的をもっとはっきり示し、重点の置きかたや時間の配分をもっと適切に行うべきだと思います。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治ブログランキングへ

政治ブログへ

コメント (5)   トラックバック (1)

技術立国日本が危ない

2008-04-03 15:16:25 | 教育改革、ゆとり教育

 昨夜のNHKの「クローズアップ現代」で中国の清華大学では政府主導のもと、企業との強力な連携に伴う膨大な資金力を用いて、優秀な学生を集め、最先端の機器を導入し、それに惹かれて、また世界のトップ企業が参入→また資金が増えると言う戦略を紹介していた。
 そしてその結果大学の周辺に世界の企業が研究所を設置し、技術研究センターの様相を呈するまでになった。

 そして日本人として見過ごせないのは、世界一、二を争うトヨタ自動車、産業機械ではトップクラスの日立と言う日本の先端企業までが同大学の近くに研究所を設立していることだ。
 特にトヨタは経団連で会長を勤めた奥田碩さんや、現在の副会長の張富士夫さんなど日本の政治にも大きな発言力を持つ人がいるのに、そして日本は誰でも言う技術立国を国是としているのに、日本の強力なライバルとなった中国の技術向上に手を貸しているのだ。

 私はトヨタや日立も日本の科学技術の進展に色々な面で寄与していると思うので、彼らを批判しようとは思わない。
 私の言いたいのは日本の大学を含む学制のあり方だ。
 つまり今の大学は企業のニーズに応えているのか。
 同番組の応義大学塾長の安西祐一郎さんは中国の清華大学は殆どが応用技術の研究なのに対して、日本の大学が基礎研究がどちらかと言えば主力になっていると説明していた。
彼の説明によれば、トヨタも日立も日本の大学との応用研究の協力より、中国の大学との協力を選んだのだろうか。

 日本の大学は日本企業のニーズに完全に応えているのだろうか。
 日本は1949年前後に大きな学制改革を行った。
国公立で言えば、旧帝大の他に、旧制の高等学校、工業専門学校の殆ど全てが、大学になり、所謂、駅弁大学と揶揄された。
 そして旧制の高等学校から大学になった多くの大学も工学部を設置した。
 中国の台頭以前は技術日本として、世界第二位の経済大国になり国民全てが中流意識を持つと言う世界から羨まれ妬まれる国となった。
 その点では大学も企業のニーズに応える卒業生を提供していたのだろう。

 世の中は変わった。
 超低賃金と膨大な人員を持つ中国の台頭による日本の相対的な競争力の低下だ。
 それに伴う歳入の減少と、それまでの経済の拡大が影響に続くと考えたばら蒔き政策による800兆にもなる国の借金の負担の増加で、先進国で最低レベルまで教育費を削減された。
 それに加えて、日本の少子高齢化の影響の拡大だ。

 今は大学全入時代と言われている。
 だから大学に入るより早く世に出た方が本人のためにも国のためにもなる生徒も希望すれば皆大学に入れる。
 それに加えて厳しい受験戦争が緩和されて、生徒が余り勉強しなくても推薦やOA入試で合格できるようになった。
 当然のように大学のレベルが低下した。
 文芸春秋の4月号によると、世界大学ランキングで百位以内に入っているのは前述の学力低下の理由とは縁のない大学でさえ東京大学、京都大学、大阪大学、東京工大の国立4校に過ぎないそうだ。
 そして世界的に理工離れが進む中で米国の大学だけは理数系に強い優秀な人材が留学してくるので、世界トップの座が譲ることはないだろうと書いている。
 これを見ても例え中国でも、厳しい受験戦争をくぐり抜けたやる気満々の学生、豊富な資金をもつ大学と共同研究したくなる企業の気持ちも判るきがする。

[私の提案]
1.小学校から大学までの教育の重点の見直し
 詳細は下記に資料を見て頂きたいが、「ゆとり教育」の基本的な考え方である、「自ら学び、自ら考え自ら課題を解決する力(以下「考える力]と略称する)の精神を活かし、それと今までの欠けていた躾け教育を取り入れて、今までの考える力の教育は小学校、中学校で終わり、高校教育、大学入試では詰め込みの試験から次の様に変更してはどうだろうか。
小学校では、躾け、詰め込み(80)、考える力(20)→中学校 躾け、詰め込み(70)、考える力(30)→高校(通常の進学校) 詰め込み(60)、考える力(40)と児童、生徒の発育に応じて、教育の重点を移して行き、理数系の大学入試では次のように、詰め込み(60~40)、考える力(40~60)+共通一次試験(必須)とすれば良いと思う。

参照: 教育改革はまず大学入試から

2.大学への補助金を集中的に使う
(1)共通一次試験の特定科目で一定の成績を納めた学生の全体に占める割合で国の補助金を決める
 ・推薦やOA入試ばかりで学生を集める大学は補助金が減るので経営が厳しくなる。
 ・ 従って共通一次試験が入試の必須要件となる。
 ・学生も共通一次試験で一定の成績を取れるよう勉強する。
 ・この補助金方式で増え過ぎた大学の自然淘汰が出来る。
 ・上記により節約できた補助金を優れた大学に廻すことが出来る。

3.大学は基礎研究、応用研究、現場に役立つ技術者の育成のいずれかに特化するかそのすべてに重点を置くかの方針を定め、効率的の運営をする。
(1)応用研究に重点
企業側
・企業は応用研究に重点を置いた大学と所謂、産学協同で研究する。
・必要あれば資金の提供をする。
・活動中に発見して優秀な学生の囲いこみする。

学生側
・学生は学校の授業では得られない企業のノウハウを学び、また企業の実態をり、就職活動に役立てることが出来る。

大学側
・運営資金が豊かになる。
・企業のノウハウを知ることが出来る。
・大学の研究が企業のニーズとかけ離れたものになることが避けられる。

(2)基礎研究に重点
・政府は1.で余裕が出来た補助金を基礎研究重点の大学に廻す。
・その補助金は大学が出した論文の数とその引用率で決める。

(3)技術者の育成に特化
・即戦力の技術者の育成
・教授陣は研究より授業に重点を置く。
・企業から教授へ受け入れ、企業の実態に則した授業をするとともに、企業とコネを付けておく。
・企業での現場実習にも重点を置く。

 現在日本は中国などのBricsの厳しい追い上げに会い気息奄々の有り様だ。
 唯一の頼みの技術も例にあげた清華大学の様に、日本に追いつけ追い越せの勢いだ。
 そして日本の研究者数も既に中国に抜かれて世界第三位に落ちたそうだ。
 エレクトロニクスの分野では一部ではあるが韓国から抜かされた。
 それに対応する日本の学制改革は遅々として進まない。
 ゆとり教育の基本的考え方である、「自ら学び、自ら考え自ら課題を解決する力」は正に理数系の問題の研究や技術開発にには欠かせない力だった。
 然し実際に得た成果?は生徒だけでなく教師の休日増加と言う現実に突き当たって失敗に終わりまたもとの「詰め込み」へ重点が移ってしまった。
 然し技術立国しか日本が世界に伍して行く道はないと誰でも言う。
 文科省はじめ学校関係者、企業の人達奮起を期待したいものだ。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。↓
人気ブログランキングへ
政治ブログへ

コメント (2)   トラックバック (3)

教育格差ほか(大丈夫?日本人の学力-2

2008-03-13 12:53:10 | 教育改革、ゆとり教育

   先日のブログで私ごとを書いたところ多くの方からご心配のコメントを頂きまして大変恐縮しております。
  お蔭さまで家内もなんとかすこしづつ落ち着いております。
  本当にありがとうございました。

 3月8日の夜、NHKで恒例の「日本の、これから」で「大丈夫ですか?日本人の学力」のタイトルで早稲田大学教授の榊原英資さん、東京大学大学院教授の佐藤 学さん、作家の「あさのあつこ」さん、有名な杉並区和田中学校校長の藤原和博さん、ローソン代表取締役の新浪剛史さんと、レギラーの三宅民夫さんと武内陶子さんの司会、それに市民40人と中学高校の生徒約7,8名を加えてのての討論会が行われた。
 そして、その中で特に印象に残ったものとして、11日は、[何故勉強をしなければならないか]と[携帯にはまる子]を取り上げた。

 今日はその残りの問題を纏めてみた。

[杉並区和田中学校の塾利用]
 杉並区の和田中学校での保護者の有志団体によりつくられた「和田中学校地域本部」主催による『夜スペ』と名付けた補習授業が2008年1月26日より実施されている。
ことに対して基本的には評価していた私に取って、非難が集中したのは意外だった。

主な批判と回答と問題点
・教育の機会均等に反する。
  回答:土曜日に授業に遅れた子に補習授業をしている。
  公立中学校でこれを土曜日補習授業に現役の教師とボランティアでやっているのは珍しいと思うが。
・塾講師でなくて何故現役の教師を投入しないのか。
  回答:教師の負担が大き過ぎる
・この様な良い方式があれば、民間企業だったら直ぐ真似するのに、何故和田中学校に限られているのか。(ローソンの新浪さん)
 回答:なし。
 私は教育委員会や各学校の校長にことなかれ主義と余り仕事を増やしたくない後ろ向きの考えが浸透しているのが原因だと思う。
 彼らは「ゆとり教育」の主旨に沿った、土曜日の現役教師による課外授業や補習授業さえまともの取り組んでいないのだ。
 詰まり彼らは学力低下している生徒より教師や教育委員会の方を向いているのだ。
 そしてこの番組の教育の機会不均等批判もその線に沿ったものだと思う。

 参照:和田中と地域を結ぶホームページ

    
杉並区立和田中学校 (Wikipedia) 

[教育格差と習熟度別授業]
 東大の佐藤さんは、先進国の中で社会格差の点で日本が最低レベルに近いことを上げこれが教育格差を産んでいると主張し、NHKも東大合格者の大部分がその父兄の収入の多い人達で占められていると資料を見せた。
 私は公立の中小学校でも教師は勉強ができなくても意欲のある生徒には、万難を排して且つ優先的に、それに応える義務があると思う。
 具体的に言えば、そう言う生徒全員が例えば100点満点で70点は少なくとも取れるようにすべきだ。
 そのためには習熟度別でも良いし、場合によれば補習授業もすべきだ。
 そしてそれを妨げるものがあればそれを一つづつ除いて行く努力をすべきだ。

教師が教育に専念出来ない原因と考えられる対策
1.その最大の者は教師の仕事が多過ぎることだ。
・教師の書くレポート多過ぎれば減らす→校長、教育委員会。
・モンスターペアレンツへの対応→教育委員会または専門の人に任せる。
・教科の取捨先選択と重点化→小学校の英語廃止、私の意見だが国語力の強化など
・教師作業の標準化と他教師のノウハウの交換、資料の共通化
・一般事務の合理化→事務員の採用、一般企業でやっている小集団活動による改善運動の推進
・部活動の範囲の縮小、重点化→学校の選択制度の採用
・面白おかしい授業と繰り返し計算など忍耐や辛抱のいる授業の採用のめりはりを付ける
2.地域や学校によって違うと思うがもう一つ大きいのは日教組所属している教師し所属そていない教師と価値感の統一→生徒の方を向いた授業だ。

優秀な生徒の希望者の育成
・優秀な生徒で希望者への問題集解答を中心とした特別教育
 優秀な生徒には(手間のかかる)特別な授業をしなくても判る筈だ。
・和田中学方式
・生徒が希望する特定のテーマの自主研究の援助
 これらを見て判るように、この殆どが下記に書く様に、当日殆ど議論されなかった日教組、校長、教育委員会や中央教育審議会が大きく関わっているのだ。

[番組で取り上げられなかった問題]
日教組とモンスターペアレンツ
 私はNHKの番組のタイトルを見て、最初に思ったのは、教育問題の根源に必ず介在する日教組の話は先ず絶対に出ないだろうと思ったが、その他に学校を悩ましている「モンスター・ペアレンツ」の言葉さえ全く出なかったのは意外だった。

教育委員会
 日教組全盛時代にその対応のため教師管理対策に特化したまま、すっかりお役所化してしまい、時世が変わって今では家庭教育により重点を置き、へんてこな父兄から教師を護らなければならないのに、その対応が全く出来ず、相変わらず学校と教師管理ばかり考えている教育委員会の言葉一つ出なかった。

・家庭の責任
 これについては、専業主婦と思われる人が、今の教育の基本的な問題は家庭の教育責任を忘れているとの熱弁に満場の拍手、特に意外にも生徒の殆どが拍手していたのに、全くこの問題(11日に書いた携帯に嵌まった子の親のあり方を含めて)について論議されなかった。
 NHKは学力向上に大きな影響を与えるこの問題に何故取り上げなかったのだろう。

[番組の出席者の選定]
 NHKのこの種の番組で目立つのは出席者の選定の問題だ。
 今度の問題でも、気がついたのは質問に対する出席者の回答がほぼ均衡しているのに、携帯による一般の人達の回答に大きな差が出ていることだ。
 そして、私から言わせれば出席者より一般回答者の意見の方が遥かに健全のように見えるのだが。
 これをNHKの側に立って言えば、なるべく多くの考えの人達の討論で、NHKの提示した問題点を多方面から考えさせようと言うのだろう。
 然し、この報道で、国民をミスリードしている危険性を考えたことがあるだろうか。
 例えば昨日の「携帯に嵌まった子」やそれを甘やかせるだけの親を無批判のまま見せられたた生徒達の何人かは、携帯やゲームに熱中して勉強をさぼる仲間やそんな優しい親もいるのだと心強く思った生徒もいたに違いない。
 そして、この拮抗する論議を見た生徒の中には、自分達が勉強したくないのは学校や先生が悪いのだと自己弁護の種を見つけた人達もいるのではないか。
 本当は一般の聴取者からの意見のように、多くの人達が健全な考えを持っているのに。

 出席者選定では特にゲスト出演者にNHKの傾向がもっと強く現れている。
 今回の出演者のなかで「あさのあつこ」さんなど全く知らなかった。
  Wikipedia のあさのあつこ
さんの人物評では、
 毎日新聞のインタビューに「(美作市に)住んでいて、憤りを感じるんです。繁栄に取り残されているというか、景気が上向いたなんてどこの話? って」「中央や絶対の権力に抗いたい気持ちが私にはある。それは彼の大人への抗いに通じます」などと応え、地方在住者としての中央や大都市への強烈な反撥を隠さない。
とある。
 彼女の選定はNHKに良く出る、政府に批判的な金子勝
さんと同じ流れの選定だが、NHKはどうして、そしてどこから彼女を探して来たのだろう。
 その様なゲスト出演者と、一般の参加者の中で、一般にリベラルと見られている榊原英資さんなど出席者の中では一番右翼的な発言をしているように見えた。

 私は、時々はNHKも思い切って、「たかじんのそこまで言って委員会」レギュラーの三宅久之さん、宮崎哲弥さん、勝谷誠彦さんなど歯に衣を着せぬ人達と、日教組の役員を呼んで教育問題を論議させたら、その問題の本質の一端が明らかになるのではないかと思うのだが、NHK(民放も多分同じ)や日教組のやり方を見ておれば所詮夢に終わるのは間違いないのが残念だ。

参照:カテゴリー →教育問題
               教育改革、ゆとり教育

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。↓
人気ブログランキングへ
政治ブログへ

コメント (4)   トラックバック (3)