普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

学校内のイジメの対策

2013-01-31 21:07:54 | いじめ
・授業時間外の勉強の仕方、友達との付き合い方などを教える・いじめ防止の成功例に学ぶ・学校を密閉社会にしない・不法行為があり注意しても直らないときは警察を導入する
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 自民党の教育再生実行本部が発表した教育改革案の中に、いじめ問題の対策として、いじめ防止対策基本法を制定、都道府県や全ての区市町村で「いじめ防止条例」を制定を挙げています。
 今日は学校内で問題になっているイジメに就いて考えて見ました。
 最近良く考えるのですが、学校では決められた教科を教えるだけで、何故それを教えるのか、それに対してどう勉強すればよいのか、休み時間や放課後のどのような勉強や遊びをすれば良いのか教えてないような気がするのです。
 話は少し逸れますが勉強に就いて考えて見ました。これはなんらかの形でイジメや体罰にも関係すると思うからです。
・勉強の仕方を教える
・本を良く読む、出来れば小学校に上がる前から読書の習慣を付けて置く。読書により理由:物事の理解力、想像力、考える力ができる。 (授業前の読書を進めている学校が多い)
・国語や英語は習ったらそれを応用して作文、エッセイなど書いて見て、教師に見て貰う。
・歴史は自分をその場いいるとして先生の話しを聴く。だから一回聴くだけで直ぐ覚えるし、何故そうなるのかなどの疑問が出る。
・学校で習ったことで判らないことは家に持ち帰らない。そのために先生に積極的に質問をする。良く質問する生徒には教師の関心を呼ぶ。生徒はそれが判るから一層真面目に話しを聴く。詰まり生徒としては教師と一対一で聴く気分になりよそ見、居眠りなど出来ない 。
・生徒は他の生徒から質問があれば快く答える。教えるほど正確に記憶に残る。
・数学の計算、代数などは繰り返し練習で早く正確にできるようにする。試験では80点はこれを取れる、余った時間で応用問題にゆっくり取り組める。 
・単語帳を作り覚えた所とそうでない所に印をつけ集中的、そして反復的に覚える。他の学科も同じやり方で覚える。 (以上2つは公文式、蔭山式百枡計算と同じ考え方)
 但しこのやり方は授業時間内で一通り話すかだけが自分の仕事、それ以上は搾取だと考えている日教組(希望的観測ですが一部)の教師でなくて、普通の熱心な教師を前提としています。
・イジメに就いての私の経験

・私と同年代で今の北九州市西部で育った人達の誰に訊いて見てもイジメを経験したり見聞した人は殆ど居ませんでした。 (正確に言えば朝鮮人や服装などが酷かった子達に余り遊びませんでしたので彼らから言えば疎外されたと思ったかも知れませんが、意識的に皆で除け者にしたことはありませんでした。)
 私自身も貧乏で汚れた服、ブスで気弱で内向きな性格、その癖授業では目立って発言の多いという苛められッ子そのままでしたが、まったく苛められた記憶はありません。
 その理由は今考えますと
・当時の喧嘩では一対一が原則、殴るのは平手打ちだけ、拳固、足蹴はヤクザのチンピラがやることとされていました。荒っぽい土地柄でしたので大人も子ども二人が喧嘩していても、片方が相手を抑えつけ勝負が就くまで見ていました。
・二人以上の子たちが一人の子と喧嘩するなど卑怯者扱いにされていました。
・その理由は当時男の子に良く読まれたのは勧善懲悪の講談本で、上記のような卑怯な振る舞いをするのはヤクザのチンピらか、悪者のサムライと見られていたからでしょう。
・九州男児、男は男らしく卑怯な振る舞いをしない、女は女らしく思いやりがあるのが良しとされた時代でした。
・当時の男の子は今で言えば川筋生れの麻生太郎さん、高倉健さん、亡くなった野球の仰木彬さんのなど、どう考えてもイジメとは無縁の人達を目指していたような気がします。
・もう一つの理由は当時炭坑、製鉄などの拡張期で習慣や言葉の違う余所者も受けいれる開放的な気風だったのも大きな理由の一つだと思います。
・現在では北九州市西部でもイジメが増えていますが、九州男児、卑怯者、男は男らしく女は女らしくの言葉が死語になりかけているのが大きな原因と思います。
 私の知る唯一つの例外があります。娘の赴任した小倉の小学校ではイジメや学級崩壊など全く無かったそうです。
 その理由は小学校と地域の連携が上手く言って、学校が地域の人達に開放されていたからだと言っていました。
 私の子ども時代の地域の開放的雰囲気、学校の地域への開放
 これがイジメ防止のキーワードになるかも知れません。
・授業時間外の過ごし方について子どもに教える
それともう一つは最初に書いたように、子ども達に授業を教えるだけでなくて、その勉強法まで教えるように、少子化その他の理由で、子ども世界で暮らすルールを知らず、その訓練を受けないまま学校に入ることから考えて、休み時間や学校外での過ごし方のルールや、その心構えを教えてやる必要があると思います。
 それと最初に書いたような教師、児童・生徒が一体感ができれば少なくともイジメの減少には繋がると思います。
以上イジメ対策を求めれば次のようになると思います。
・子ども世界の衰退に伴い子ども世界のルールを作り、一人を複数の人で喧嘩するのは卑怯、弱いものへの思いやりなどの考え方を生徒・児童に教える。
・そのルールはイジメ防止の成功例を参照して作る。
・学校を地域に開放し密閉社会を作らない。
学校も日本の社会組織にあることを教師・子どもも知らせる。実際に何回か指導して生徒の法律違反が止まないときは警察をいれる。
・教師・子どもの間に一体感を作る 上記の記事には書いて居ませんが、
・教師の子どもに接する時間を多く作る。
そのためにレポート提出など余分の仕事を削る。そのために市町村、教育委員会、教師の間の考え方を統一する。

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イジメの根源のすべてに日教組が噛んでいる

2012-07-17 16:03:00 | いじめ
・報告書類作成で教師を忙しくさせ、教師間の協力を阻害させ、イジメの生徒、モンスターペアレンツの発生の総てに貢献した日教組
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 経済音痴の私が毎日勉強させて頂いている「経済ニュースゼミ」の小笠原誠治さんが珍しくイジメ問題を取り扱っておられたので、その概要を私なりに纏めてみました。
・文部科学省を頂点とする教育制度と学校や先生を評価するシステムに根本的な欠陥がある。
・いじめの度に学校や先生や教育委員会に批判が集まるが、いじめはなくならない。
・学校の先生は何を訴えたいのは、忙しすぎる生活を送っているので、どうしても他人のことについて考える余裕がなくなってしまう。教師が何故そんなに忙しいのかと聞いてあげたらどうか。
・本当に全ての先生が忙しいのか、一部の先生が能率が悪くてそのせいで忙しい羽目になっているのか、つまらない報告文書などを作成させるので全般的に忙しくなっているのか、そんな実態が少しは分かると思う。
・少しでも先生の仕事内容を改善するきっかけを皆で見つけてあげれば、自分は忙しすぎると感じている先生も心の余裕ができるかもしれない。
・子供がいじめられて困っている事態を見聞きしながら、何もしない先生とは一体何なのか。
・他人のことなど考える余裕がないほど思いつめた状態にある先生の訴えも、本来は学校として或いは教育委員会として、もっと真剣に考えてしかるべきだ。
・結局学校といっても、文部科学省を頂点とした役所の組織だから、本省が言う事には現場の実情を無視した要求には逆らえない。
・文部科学省は、現場の実情など顧みることなく非現実的な命令を下すのは、自分たちの責任を回避することばかり考えているからだ。
文部科学省は全国の教育委員会から報告をもらう→各地の教育委員会は、今度は同じような命令を各学校に出し→学校長は、今度は各教師に対し、いじめの状況について報告をさせることになる
・当然のことながら文部科学省は、いじめが増えたような報告が全国から上がってくれば、何故いじめが増えたのかと、根掘り葉掘り聞くことになる。
・教育委員会も、いじめをいじめとして認めたくないという雰囲気が生徒の側にも分かってしまうので、加害者の生徒は益々暴走してしまう。
・文部科学省にいじめの問題を任せている限り、事態は改善するどころかむしろ悪化している。文部科学省の権限を大幅に縮小して、各都道府県や各市で最終的に責任を持つ体制にするか、今のまま文部科学省に責任を問う体制を維持するにしても、いじめが何件起きたかどうかを、学校や教育委員会に報告されるような仕組みは廃止し、学校の生徒や父兄、先生から直接苦情や情報を受け付ける体制にして、いじめの全体像を把握するようなシステムして、正確な情報を得るべき。
・いずれにしても、いじめた生徒を厳しく叱らないこと自体が間違っている

[私の経験] (なお昭和の年号と私の歳は同じですので参考まで)
・昭和22~23年:吉田内閣の後社会党の片山内閣が発足した当時は教育の独立と言う名で学校の閉鎖化が当然のようなムードがあった→現在はオープン化が目指されている
・昭和30年ころ「家族の思いやりより権利優先」と言う半煮えの民主主義教育が行われていることを子どものテスト答案を見せられて知った。
・学校も体罰禁止だけでなくて、お手手繋いで一緒にゴール式の教育、学芸会では皆公平に出演させるなどのやり方など、戦前派からみれば余りにも優しくなりすぎた。
・片山内閣からの文部大臣は学校に国旗・国歌の導入を指示、さらに道徳教育の導入を目指し、社会党や日教組からの批難を浴びた天野貞祐さん以外には、首相の臨時代理や若手の政治家の文部大臣ばかり→現在まで少子化の問題が言われるいるのに、付け足しのように決められた少子化担当大臣に少し似ている。・従って文部省は各省から一番軽蔑されていたと言う話しを昭和50年ころに通産省の人の話しを人づてに聞いた。
・同じころ本屋で当時教科書裁判で名を馳せた学者の裏書きのある教師用の指導要領書に「憲法に権利の既定はあるが義務は何も既定されていない」と言う驚くような記述を発見。
・平成に入って小学校の教諭になった娘女を通じて地域によりまた同じ学校でもクラスによって、実情が大きく代っていると言う実情が判って来た。
「私の意見」
・つまり学校と言う閉鎖社会で反国旗・国歌のほかにも、日教組は権利は他人に要求するもの、義務・責任は他人に問うものと言うと言う権利重視、義務・責任の軽視の教育と言う純粋培養が行われていた。→優しすぎる教育とともに、現在のモンスター・ペアレンツの発生、学級崩壊とイジメの一要因となった→今回の大津の場合でも加害者の児童・家族とも日教組の教えを忠実に守っているようです。
・昨日野田さんが言ったように「イジメする人は卑怯者」と言う日本の美徳の継承がなくなったし、今でも道徳の正式科目化には日教組、朝日新聞の抵抗で余り進んでいない→イジメの発生の一要因
・片山内閣から自民党内閣に代って、日教組に率いられた学校と文部省の間の確執(例えば日教組は生徒に皆オール5を付け政府は生徒の評価を正しくすべしと言うような)が起こった。文部省としては学校管理のためには独立の教育委員会もあり直接手を出せないので、委員会を通じて学校から報告書を出させた。結果は小笠原さんの言うように、いじめだけでなく全般に亙って教師に報告書作成という余分な仕事が増えた。
・教師間の協力も教師内の日教組支持と反対者の間でのぎくしゃくした関係が、教師一体の協力や業務改善の動きの障害となっている。
・教師は聖職でなくて国から搾取される労働者とする日教組と自民党下の文部省の争いは別途に発生した。結果はゆとり教育と言う名の土曜日休日獲得で、この面では日教組の勝利となった。
・民主党の政権発足で日教組出身の輿石さんの政権党幹事長、同出身者の神本美恵子さんの文部省政務官就任で長かった文部省・文科省の戦いは現在では日教組の完勝に終わっている。
 勿論、教師の忙しさには戦前と違って情報過多の生徒に集中力を付けさせるための余計の手間が増えて来ましたし、いじめ防止も前回書いたように少子化に伴う子ども社会でのルールの訓練不足やクラス毎の閉鎖社会の発生など要因もあります。
 私が纏めたように教師を忙しくし、イジメの減少を妨げ、モンスターペアレンツや学級崩壊などに日教組の存在が大きく関わっているのは間違いないと思います。
 民主党が政権与党でありたいなら、官公労、自治労は無理として、日教組を社民党にゆずり、自民党は政権奪回した時は、先ず安倍さんの始めた教育改革を進めるべきだと思います。 

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大津市のいじめ問題とその解決の提案

2012-07-12 17:28:19 | いじめ
・弱いものイジメは卑怯者のすること・イジメの発生しやすい閉塞社会・加害者、被害者を特定しないままの全校集会でイジメ防止を訴え・学校も治外法権ではない・学校開放でイジメ防止に成功した学校
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 大津市のいじめ問題は警察の捜査開始でますます大きな問題となってきました。
 これにはネットでは色々言われていても、大手の新聞には出ない土地柄、イジメ側の父兄の立場や言動、日教組の影響、余りにも偏った韓国よりの教育など複雑要素がありますが一般的な問題として、ネット上では言われていない一般の学校のイジメ対策について考えて見たいと思います。
・私の小学校~旧制工業高校の時代の経験
 私は現在の北九州市の西部の八幡西区で生れ育ちました。
 結論から言えば子どものことで気付かないまま何となく遊ばずに、相手に不快な想いはあったかも知れませんが、家内を始め同年代の年寄りに聞いても同地域での集団または個人による意識的なイジメは殆どありませんでした。
その理由を私なりに考えて見ました。 
[戦前の北九州市西部にいじめが殆ど無かった理由と現状] (青字は現在の状況です)
・唯一の娯楽は少年・少女クラブや今で言う講談本で、弱いものいじめをするのは卑怯者、やくざで言えばチンピラがするもの、大物のやくざはそんな奴を吹っ飛ばしたり、非道の大物をやっつけると言う考えが子どもの頭に染みついていた→情報が余りにも多すぎる。「弱いものイジメするものは卑怯者」の考えかた殆ど聞かれない?
・男は男らしく弱いものイジメをしない、女は女らしく弱い人に気配りするものだという考えが通っていた。→こんなことを言うのは差別と言われる。男らしい子、女らしい子の減少。これには良い面もあるがイジメへの悪い面もある。
・子どもの喧嘩は1対1、平手打ちと取っ組み合いが原則で、拳固・足蹴・道具の使用は卑怯者のすることとされていたので、大人も勝負がついた後分けて入ることが多かった。→喧嘩のルールなしでやりたい放題で殺傷事件になることも
 ここでお断りておきますが、いじめ問題の難しいのは、私たちの例か稀なことで、同時代の人の中には村の人達からのいじめにあったことです。これは後でも触れますが、村八部の名の通りに農村という閉鎖社会であることもイジメの一因だと思います。
・子どもを取り巻く環境
a.貧乏人の子だくさんで家庭の中で既に子ども社会での訓練ができていた→少子化でその機会の消滅
b.近所でも小さい子から小学6年生までの子ども社会があり大きい子は小さい子の世話をしながら遊んだ。中には現在の中学生相当の子がときどき遊びを教えたり、大人が見物をしたりなど、ゆるいがオープンな子ども社会ができていた。→なし。結果として(チクリが卑怯者とされるような)閉鎖的な学級単位の子ども社会だけが残る
c.当時北九州市西部は炭鉱の開発、工業地帯の発展で人の出入りが多いために、人を受け入れる開放的なな環境が整っていた。→現在前記のような環境の変化や、産業の停滞などもあり同地域でもいじめ発生
d.学校:父兄は学校教育は学校任せで今の言葉で言えば事実上閉鎖的→戦後教育の独立の名での学校の閉鎖的な傾向が強まる。最近オープン化が言われているが大津の例のように進まない。今回のように学校外なら明らかに刑事事件となることでけは警察が立ち入れない。
e.教師:父兄は教師をほぼ面的に信頼、私の母もそうだったが子どもが言う事を訊かなかったら殴ってよいから直してくれと言うのが普通。詰まり暴力容認。現実には困った教師もいたが少数。→やさしい教育、今回のような「抑え蓋なくした生徒煮くずれる」学校の発生、日教組などのお蔭で教師への信頼激減、戦前と逆に信頼できる教師は少数になる。
f.教育:自分が守るべき義務・責任、権利の教育は全くなし→権利重視、義務・責任軽視の教育→権利は主張するもの、義務・責任は相手に問うものというモンスターペアレンツの発生
[講堂修身という名の全校集会]
 私が今の中学1~2年に相当する高等小学校に居たころ、生徒全体の気分が弛んだころ全校生徒を講堂に集めて、説教や気合を入れたりする[講堂修身]と言うのがありました。
 今回の例で言うと加害者・被害者を特定せずに学校内全体の問題として生徒全員に対して、いじめがどれだけ醜いものか、(私の持論で言えば)恥ずかしい卑怯なものであるかを説明し、すぐにでも止めなければ、今までは教育的配慮で見逃していたが、学校内と言っても法律を護らねばならないので、警察に告発すると気合を入れたらどうでしょうか。そして本当に根絶しなければ警察に通報して処理を依頼するのが本当の教育になると思うのですが。
[私の娘の経験] 
 亡くなった私の娘は北九州市の小学校教師として採用されました。私たち親の一番の関心事は、娘がいじめや学級崩壊のある学校へ転属にならないことでした。
幸い娘は学級崩壊の学校に転属になってもそのクラスの配属を避けられ、先輩教師として、同クラスの担任の応援に当たるだけで済んだそうです。
そして教頭として最後に赴任した小学校の様子を訊きますと、いじめも学級崩壊もない良い学校だと喜んでいました。
つまり学校は小さいが、いや小さいからかも知れないが、地域との交流が盛んで、地域の人達も学校を良く訪れるし、学校も地域の活動に積極的に参加しているそうです。
詰まり学校の教師だけでなく、地域の人達の目が学校や小学生に行き届いているのが学校経営が上手く言っている理由だというのです。
私の娘もお調子者ですから、良い環境の中で思う存分の仕事が出来たのでしょう。
葬式のときは県外の大学教授から、地域の文化団体、娘主催のサークルの人達 、勤め先の校長以下教師全員に加えて小学校の二組のクラス全員の参加など盛大に終わりました。
今回の余りにも閉鎖的な教育委員会と学校が批判されている事件と私の小さい経験から言えば、ネット上で言われる人間的なドロドロした事柄を除けば、「閉鎖的な教育委員会・学校・生徒のグループ」を総て「オウプン」にし、「開放的」なものにするのがいじめ防止の一つの手段になるような気がするのですが。 

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生徒のイジメ防止・弱いものイジメするのは卑怯だ

2011-03-11 18:22:00 | いじめ
東北・太平洋地震と大津波の被害に遭われ方達に心からお見舞い申し上げます。

 私の属するクラブの人から「角谷ケンイチさんの自伝」を借りて読みました。
 お婆さんとの貧乏な暮し、大事故での緊急の脳の手術、醜い手術の傷跡、友達の苛め、脳梗塞の危険、片方の目の失明のハンデを背負っての頑張り、信じた同志の裏切りで2回の倒産と兵庫の大地震、その都度支援してた、指導者と彼が培ってきた彼のお客、と言う、まるで小説のような大奮闘の記録です。
 その中で一つ気になった子ども時代の話しがありました。
 彼が二年のときに六年生から酷い苛めにあった。お婆さんから「仕返しをしておいで」と渡された、棒きれを持って相手の家に上がり込んで彼の頭を殴った。
 その後遊んで家に帰ると、頭に包帯を巻いた6年生の子がその母親が家に来ていた。
 お婆さんは「お前がやったのか」とケンイチさんの尻をバンバン打った。
 それを見ていた六年生の母親が「小さな子をイジメルるなんと卑怯者のすることよ」と子どもを叱り、二人の子どもに仲直りの握手をさせた。
 二人が帰ったあとお婆さんのケンイチさんを「良くやったね」褒めた。
 著者は 当時は原則として子どもの喧嘩には親が出ない時代でした。今のようにちょっとしたことで、親同志が目くじらをたてるようなせちがらいことはなかったのでしょう。と書いています。
 その頃はまだ長島茂雄さんが現役で活躍していたそうですが、私のような戦前派から見て「小さな子をイジメルなど卑怯者だ」と言う考え方が私が生まれ育った北九州地域から遠く離れた丹波の地域でまだ長島さんの頃まで残っているとは思いませんでした。
 昭和初期の私の住んでいた地域では、弱いものや一人の子を集団でイジメるなどはそれこそ卑怯者だと言う考え方が残っていました。
 当時の著者の育った地域と違うのは、子どもの喧嘩は何故か知りませんが、取っ組み合いの喧嘩に限られ、平手打ちはOKでしたが拳固で殴ったり、足蹴にすることは避けられていましたので、子どもの喧嘩で大きな事故が起こることはありませんでした。
 まして木切れや刃物を持ち出すのも卑怯者のすることだしされていました。
 もっとも今の高校生位になると(今では死語になりかけていますが)硬派の人達の勢力争いでチェーンや木刀など使っていたようです。
 然しそんな彼らも自校の生徒達に絶対に手を出すことはありませんでした。
 彼らはそれなりのブライドを持っていたのでしょう。
 然し今から考えるとまことに長閑な時代で、気が弱くて喧嘩に慣れていない私がたまの喧嘩で相手を押さえ付けたのは良いが、その後どうしてけりを付けて良いか判らず当惑したことを今でも覚えています。
 しかし「弱い子をイジメたり、集団で一人の子をイジメるなど卑怯者のすることだ」と言う考え方がいつ消えたのでしょう。
 イジメに就いて今学校で取られている対策をネットで調べて見ました。
まずイジメありきの対策 結果は早い内にイジメの芽を摘み取る、起こったときの拡大の防止、父兄との共同または対応策などが中心で子どもに対する教育としては次のような、大人でも直ぐには理解できないことばかりで子どもが直ぐに納得できるでしょうか。
だから何時まで経ってもイジメが無くならないと思います。
中には大人のイジメをなくすのが先決だという議論もあるようです。
・イジメが原因で自殺が起きたとき、生命の尊厳→イジメた生徒は死んだ子が何故生命を大切にしないかと批判
・人権侵害→権利重視それに伴う義務・責任の軽視で教育されている子ども達、それが親になったモンスター・ペアレンツの子どもが自分達の権利ばかり考え、他人の権利など考えない
 権利が万能でなくて国民は他人の権利を護ると言う強い義務や責任が伴うものだと言う教育が必要
・いじめられた子どもの立場に立つ思いやり→これを聞いたときは判っていても、子ども顔や名前などおかしなことについてからかうなど、極端に言えば残酷性を持つのは事実
・いじめとはどんなものを教える→上記と同じ反応
・親のシツケが大切→親自身がおかしくなっている人も多い
それに比べると「弱い子を一人の子を大勢でイジメるなどは卑怯者だ」と言う教育、その実例を挙げての教育は子ども達にもっと説得できるような気がするのですが。
 この卑怯者の考え方が消えたのは、先の義務や責任と言えば直ぐに軍国主義に結びつける戦後以来の教育と同じ考えが妨げていると思います。
 卑怯の対極の勇気 (イジメに関して言えばイジメを止める勇気)の教育もされているのでしょうか。
 勿論、上記の様な現行の教育も必要、著者が紹介したようにコミュニティーの再生、大きい子から小さい子まで混じって遊ぶ子ども社会の形成による、違った子ども達との共存などの社会訓練も必要だと思います。
 それに加えて昔ながらの「弱い子を一人の子を大勢でイジメるなどは卑怯者だ」の教育や弱いものイジメに加わらない勇気の教育も欠かせないと思うのですが。


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いじめ問題から思うこと

2007-10-02 11:56:55 | いじめ

[女性の感覚]
 神戸市須磨区の私立高校で起こった、同級生らから金を要求されて自殺した同校の男子生徒のテレビを見ていた家内が、「あんたの子供のころいじめなんかあった?うちなんか全然なかったけど」と訊いてきた。
 私は「俺もそんな経験は全く無かった」と返事しながら、彼女がときどき的を得たコメントをすることを思い出していた。

 彼女は新聞と言えば人生相談欄や健康情報を見るだけ、その代わりテレビのニュースはかがさず見ている。
 お蔭でテレビ朝日の「スーパー・モーニング」や嫌いな古館さんのニュースにも付き合わされている。
 唯一の救いは前者の大幅の改編が行われ、朝から気分を壊すことがやや減って来たことと、アンカーが割と公平なコメントをする赤江珠緒さんになったことだ。

 家内のテレビを見ながらのコメントで一番記憶に残っているのは、前回の総選挙で、小泉さんの演説に熱狂する小母さんたちの報道ぶりを見ながら、「選挙中にこんな不公平な放送をして良いの?」と顔をしかめながら言ったことだ。

 当時そのような偏った報道への批判は殆ど無かったが、結果は小泉さんの刺客派遣などの戦略に乗せられた、一方的な報道もあり自民党は未曽有の大勝をした。

 一方の私は、ブログで安倍さんの閣僚に問題の人がいることや、そ問題を起こした閣僚の弁護や自分で自分の首を締める様な発言など批判してきた。

 そんな男性の書いたブログより「安倍さんがかわいそう」と書いた女性のブロガーの意見の方がより見る人の心に訴える。
 まして安倍さん引退に関して、死者を鞭打つような執拗な、朝日新聞の社説や報道より、彼女の意見の方が遥かに真っ当だと思う。

 
そのような女性の方達特有の感覚を活かして、今後とも益々のブログでの活躍を祈っている。

[いじめと土地柄]
 私はブログで、
 私の子供ころだった戦前は、クラスに朝鮮の人や当時はまだ差別されていた人達の子供もいたがいじめなど全くいなかった。
 何故なら戦前は弱いもの苛めや皆で一人の子をいじめるのは、男として最低と思われていたこと、思いやりや気配りができる女性が尊敬されていた気風があったからだ。

と書いたところ、「私のいた土地では昔でも酷い苛めがあった」と言うコメントを貰った。

 それで始めて戦前でも「いじめ」問題の有無や数は、も少なくとも土地柄により変わってくることに気がついた。

 私の子供ころ住んでいた官営製鉄所の建設された北九州や、炭鉱景気に沸いた背後地の筑豊地方は昔から開けっ広げの性格の上に、多くの余所の人達の流入で誰でも受け入れる気風があってことがいじめが無かったもう一つの原因だと気がついた。

 その点から言えば、農地開放以前の農村では、地主と小作人と言う社会格差と言うひずみがあり、余所者を受け入れないとか、地域のルールに反した人を「村八分」にするなどの風習が残っている地域では、戦前でもいじめが起こり安い環境にあったのだろう。

 開けっ広げで思い出したのだが、一度炭鉱の親戚を訪ねたことがある。
 そこで一番驚いたのは、共同浴場で何時もの習慣で壁に向かって体を拭いていて、ふと丁度局所の位置に覗き穴が開いて居たことに気付いたことだ。
 詰まり男湯からも女湯からも向こうが覗けるのだ。
 いかにも川筋と言われた所だけあって開けっ広げで、どこか牧歌的な所だった。

 もう一つ開けっ広げと言えば、自民党の総裁選で、また人気がぶり返した麻生さんだ。
 誰が考えても、麻生さんが他の派閥からの陰謀などでやられることはあっても、それを遺恨にして苛めたり復讐するなど考えられない。

 そして金持ちの子の麻生さんが貧乏人の子を苛めたなど想像もできない。
 唯、福岡県人として残念なのは、開けっ広げの麻生さんだから、権謀術数の政界で天下を取るのは難しいことは予想せざるを得ないことだ。

[いじめと教育環境]
 時代は変わった。
 一昔はイジメなど考えられなかった北九州でも小学生の恐喝事件で、その学校の校長が自殺したり、筑豊の中学校でいじめで自殺した生徒の親が敢えて実名を公表してまでして、いじめ問題に取り組んでいると言う報道が流れている。

 戦後占領軍が来て以来の日本の変化で気付いたことは
1.日本全体が優しくなったことと女性化したこと
・女性の強くなり、男は優しくなる
・躾けの厳しい家庭の減少
・小中学校での躾け教育の消滅
・そして小中学校の男子生徒の陰湿ないじめの発生
 昔ならこんな子は女が腐ったようだと軽蔑されたものだ。
 女性の方御免なさい。
・我慢の足りない子供が増える

 女性化は必ずしも悪いばかりではないと思うが、それに伴う弊害が今も除去されぬまま残っているのだ。

2.学校の教育環境の変化
・占領軍から戦前からの日本の価値観は全て否定され、民主主義が持ち込まれた。
その基本思想の国民の権利に重点を置くあまりそれに伴う義務や責任についての教育がおろそかになった

・戦前、戦中はなりを潜めていた左翼の人が一部で英雄扱いをされるようになった。
そして彼等の唱える共産主義が聖典のようのにもてはやされ出した

・上記の民主主義や共産主義の思想に心酔しいた人達が教師となって入ってきた。
それが日教組を造り学校内で猛威を振るい出した。
・日教組はお客さんである児童、生徒でなく、当面の敵?である文部省ばかり向いてきた

・その学校は教育の独立のなど一般社会から隔離状態になり、子供達はその密閉空間の中で純粋培養された。

・恐らく一部の国民は戦前の反省から占領軍や左翼の人達の言うことをそのまま信じる人がいた。
・恐らく大半の国民は敗戦のショックで虚脱状態になりながらも、日本古来の美風も捨てるべきでないと思ったが、自信を持って子供達にそれを教えることが出来なかった。

・上記の理由で、弱いものいじめや多人数で一人の子をいじめるなどは卑怯だと言う考え、思いやり、気配りとかの次世代に伝え無ければならない日本古来の美風の伝承が途絶えてしまった。

・一方民主主義の基本の権利について、他人の権利を侵害しないという教育がおろそかになっていた。

・そして私の持論だが、一部の家庭だが、その様な教育を受けた子が大きくなり子供を持ち、その子がまた親になり子供を持つと言う様に、次第に社会が劣化してきた。
今は戦後から考えると二世代からもう三世代に差しかかっている頃だ。

[いじめ防止策]
以上列挙してみるといじめ防止策は明らかだ。
日本古来の美風と共に価値観の良い所についての教育の徹底
・民主主義教育で軽視された義務、責任の教育
親達の再教育、家庭教育の重要性の見直しと徹底
・一部改善しかかっている学校と地域の協力
・教員の持つ価値観は変えられなくても、良いものは良いことを児童、生徒に教えること
教員が教育委員会や文科省でなく児童、生徒のほうを向くこと
・その為には学校の業務の合理化をして、教員の余力をもたせること

 以上の防止策の大半は誰でも言っているし、私の言う日本古来の美風や、義務や責任の教育を含めて、難しさの程度は違ってもやれば出来ることだ。

 安倍さん時代は学校や教師の管理ばかりに置いた政策を続けてきたが、福田さんはもっと現場の学校や教師の立場からも考えた施策を通して、学校の正常化児童、生徒の学力の向上を図って貰いたいものだ。


参照:
 カテゴリー → いじめ


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いじめと昔流の子育て

2007-03-04 17:07:24 | いじめ

3月3日、NHKで「いじめ」「日本の、これから」の放送があった。
その内容は、NHKの紹介文を借りると、
「日本の、これから」では、行政の責任者、現役の教師、保護者、そして中学や高校に通う生徒のみなさんによる長時間討論を通じて、深刻ないじめをなくすために誰が何をしなければならないのか、徹底的に考えます。
だった。

<<NHKの「いじめ、日本の、これから>>
さすがにと言うか、思った通りと言うか、NHKらしく、「日曜討論」のように問題点を出し、関係者の意見を満遍なく聞くだけの番組だった。
そして、いじめは悪いことだと皆の意見が一致したこと(唯一の進歩だ)のほか、結論らしい結論は出なかったが、討論の中ではっきり判ったのは、
1.学校の教師にサラリーマン化、お役人化した人がまだいること。

2.教育委員会の存在感が希薄なこと。

3.学校から文科省までの教育関係者が、いまだに奇麗事で済まそうとしているこ
と。

4.生徒達が学校、家庭から孤立していること。

そして、最後の「他に責任ばかりかぶせないで、子供達を判って下さい。」「子供達の言うことを聞いて下さい。」の子供達の発言に皆が拍手して、何となく決った感じで2時間に渡るフラストレーションの残る討論会が終わった。

然しこの討論会で一番問題になったのは、如何に苦しんでいる子供達の心をくみ取るかだった。
つまり、子供達が殻に閉じこもっていて、学校や親達に心を開かないのが、問題の解決を難しくし、遅らせる一番の問題なのだ。
子供達は自分達のことを棚に挙げて、心を開かない原因の責任を大人達に問うているのだ。

勿論私は、この事で子供達の自分勝手さとか、発言の矛盾を突くつもりは全くない。
何故なら彼らにこう言う発言をさせる環境を作ったのは大人達だからだ。

私は昨日のブログで、「昔流の子育て」の提案をした。
それは、一部暴論と見えるところもあるかも知れないが、もし、その通りにいけばいじめの数も減り、もし起こってもその解決も難しくない筈だ。

然し、いじめ関連に絞って言えば、私の説に、次のような現実がある。
1.中学生までは個室を与えない、高校生には与えてもドアなしの個室にする。
子供を密閉空間に置かない。

高校生までは個人のプライバシーより家族間のコミュニケーションに重点を置く。
いじめなどあった時に、自分の世界に閉じこもらせない環境をつくる。
そして、子供達が、家族達皆といつも居間にいて、自然と話せる環境にする。
子供にいつも家族がいるという気持ち を持たせる

現実:
プライバシー重視と言うことで、子供を個室と言う密閉空間に籠もらせる機会を与える。

2.インターネット、携帯の使用制限をする。

現実:
これらを子供達に与えて、保護者として、当然知って置かねばならぬ世界に子供を入れてしまう。

3.夕食後のテレビは時間を決めて、家族一緒で見る。
それについての感想や意見の交換をする。

現実:
家庭によっては、肝心の親が遅く帰ってくるので折角のコミュニケーションをとる 暇がない。
また長期出張や離婚などで、片親状態のときもある。

4.出来るだけ2人以上の子供を産み育てて、家の中に子供社会を作ってやる。
子供が自然と社会生活のルールや自治に慣れてくる。


現実:
少子化で家庭内、地域での子供社会の消失。

社会生活に必要な訓練を受けぬまま、いきなりコミョニテイーから隔絶した、学校内で教師達とかけ離れた密閉空間である子供社会 に入る。
これで問題が起こらねば可笑しい。

「チクる」と言う言葉が生徒の間で流行っているように、生徒達は自分達の間の密閉社会の出来事を学校、家庭と言う別の社会へ言うことを密告と言う恥ずかしいことのように思っている。
勿論この文の流れからは逸れるが、学校でも、教師、生徒一体の社会を形成して貰いたいものだ。

生徒によっては、家族意識が薄いために、皆で助け合う、困った時は助けて貰うと言う気持ちが湧かずに独りで悩む。

5.社会生活をスムーズにするしつけ規則や規律を重んじる子、思いやりのある子にする。

現実:
教育の責任を全て学校に任せる。
親達が忙しすぎて、その暇がない。
または始めからその考え方もない。

7.中学までの家での勉強に父兄も加わることで、コミュニケーションの機会を増やす。
現実:親達が忙しすぎて、その暇がないか、その意欲もない。
と言って学校も当てにならぬので、塾に頼る。

<<いじめ問題解決を阻害するもの>>
以上の色々な原因、またその原因を纏めると
子供社会の縮小

  ←少子化
  ←コミュニティーの縮小

少子化

  ←核家族化←産業の拡大に伴う転勤
  ←育児より自分の生活優先の若者の増加←強い権利意識、弱い義務意識
    
←戦後教育   
  ←育児が難しくなる←女性の雇用機会の増大
  ←出産、育児の重要性の軽視←女性の雇用機会の増大
   ←仕事をしない女性は遅れているという考えの拡がり

家族感のコミュニケーション機会の減少

 ←残業、出張の増加←合理化←企業間の競争の激化←市場経済主義
 ←女性の雇用機会の増大
  ←家族間のコミュニケーションの重要性の認識不足

<3日発表の内閣府の「低年齢少年の生活と意識に関する調査>
子供の悩みを「知らない」「殆ど知らない」父親67%、母親34%
中学生の悩み「勉強ゃ進学」61%、「友達関係」20%

学校任せの教育
←強い権利意識、弱い義務意識←戦後教育
 ←忙しい親達←残業、出張の増加←合理化←企業間の競争の激化
   ←市場経済主義

子供社会の密閉化

  ←子供部屋を持った家庭の増加←過度のプライバシー意識
    ←強い権利意識、弱い義務意識←戦後教育
  ←子供が自分の殻の殻を持つ←インターネット、携帯の発達

<<いじめ問題解決への道>>
上の幾つかは、特に現在の社会をもたらしている、経済活動については、指導者が将来を見据えた、大きなビジョンを持って貰わねば解決出来ぬこともある。
そのためには、「政府が傷だらけになる覚悟と勇気」が必要
だそうだ。
果たして今の政府にそれが期待出来るだろうか。 
日本の経済活動の長期戦略

しかも、教育再生会議が提案されたことについても、批判が起こり、国家斉唱など、どの国でもやっていることに、裁判を起こすことが出来る民主主義の国日本だ。

<<若い人達へのお願い>>
後は当事者である、若い人達自身で考えて、自分なりのしっかりした考えを持って、行動して貰う他に、いじめや、少子化問題の解決の道がないような気がします。

どうか、子供のことより、自分の生活優先など、自分さえ良ければ良いと思わないで下さい。

そして、無責任なテレビ朝日のコメンテーターが言った様に、本人が満足しておれば、それで良いのではないか と、皆がそう思ったら、日本の社会や国がどうなるか 考えて下さい。
少子化問題解決を妨げるもの
いじめ問題についてのまとめ

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いじめと理想社会を夢見ている教育関係者

2007-02-21 21:07:42 | いじめ

<<福岡の中2同級生書類送検に対する反応>>
2月19日福岡の中2同級生書類送検に付いて投稿した。
 福岡の中2同級生書類送検

これに付いて読売新聞がその動きに対する反応を報道していたが、地方版かも知れないので、報告する。

筑前町教育委員会
 学校全体の問題として受け止めるよう三輪中に指導する。

自殺した森君の母親
 この件についてはコメント出来ない。

中学3年の子供をいじめ自殺で亡くした父親
 いじめられている子に「守ってもらえる」と言う希望を持たせる点で警察が厳しい姿勢を見せたのは良いこと。

教職員出身の教育専門家
いじめの主犯格だった言葉のいじめを行っていた生徒が立件されないのに違和感を覚える。 

家裁調査官の経験を持つ大学教授
 教育現場では学校だけでは手に終えない問題が起きている、警察、司法との連携がないと、子供たちを抑えられない。
いじめた側の更生の為にも法に抵触する行為は司法手続きにのせる事が重要。

教育経営学の大学教授
同級生や地域との関係に影響し、立ち直りに支障が出る可能性がある。
義務教育段階の生徒は学校の指導で立ち直されるべきで、書類送検などは悪質性を勘案して止むを得ない場合に限定されるべきだ。

教育再生会議の義家さん
 
今回のケースは継続的に行われたいじめに学校が対応してこなかった点に問題がある。早い時期から加害者への処置を検討するべきだった。

個々の発言についての、コメントは差し控えるが、ただ一つ違和感を覚えるのは、教育経営学専攻の大学教授の
同級生や地域との関係に影響し、立ち直りに支障が出る可能性がある。義務教育段階の生徒は学校の指導で立ち直られるべきで、書類送検などは悪質性を勘案して止むを得ない場合に限定されるべきだ。
の発言だ。

勿論これが最も望ましいことだ。
まさに2月19日の私のブログで予想した発言だ。

然し、これは今のように教育荒廃が叫ばれている世の中で、まだ昔からの理想社会を夢見て、こうあるべきだとの立場からの発言としか思えない。
そして、相変わらずの批判だけで、これに対する前向きの提言がない。
これでは、物事は一歩も前に進まない。
彼に代表される教育関係者はまだ昔からの理想的な教育を夢見ているのだろうか。

<<学校教育の理想社会と現実>>
生徒はみな良い子ばかり
→しつけ不足、荒れる子供
教師はみな良い先生ばかり
→歪んだ教育環境から育ったへんてこな先生、労働者意識に目覚めた先生
教職員組合と文部省との確執
→報告の増加→教師の負担の増加

勿論その理想社会では警察の介入など考えもよらぬ事だろう。

<<理想的な教育とその現実>>
その理想社会での理想的な教育とその現実は、思いついたものだけ順不動で上げるが、    
1.個性尊重
→自分の個性ばかり主張し他人の個性を認めない生徒、規範軽視、徘徊、いじめの増加、教師の負担増加

2.生徒に優しい授業、面白可笑しい生徒を飽きさせない授業
→生徒への甘やかし、訓練不足、我慢の出来ない子→生徒の自殺の増加、飽きやすい生徒の増加、徘徊、学力の低下、教師負担の増加

3.不法行為を行った生徒へも忘れない教育的配慮(生徒に優しいとり扱い)
→やられた行われた生徒への配慮殆どなし、いじめられた子だけが転校→根絶できないいじめ

4.平等教育→みんな仲良し→徒歩競争で手をつないでゴールする、皆に百点を与えるなど
→学力低下、競争社会に耐えられない大人の形成、ニートの輩出

5.権利尊重→義務、責任軽視
→いじめた生徒の責任を問わない、自己中心の生徒、この生徒が成人し、親になり教師の悩みの種になる、少子化の危機が叫ばれても、自分の生活中心で考える若者、何事も政府など官庁の所為にする大人、ニートの輩出

<<理想論を唱える教育関係者へ>>
理想的な環境で、学校関係者が全責任をもって、理想的な教育をするべきだと言う信念を持つのは良い事だが、どうか時には、それとは別の眼で現実も見て貰いたいものだ。

ある学校では奇麗事では済ませない環境にあり、学校関係者で全ての責任を負える環境ではなくなっているかも知れない。
最近、現場主義という言葉が良く出るが、現場である学校に行って、荒れている学校で如何に教師が苦悩しているか見て欲しいし、いじめられている子やその父兄の考えも聞いて発言して欲しいものだ。

今頃になって、ゆとり教育という名のコミュニティーにぶら下がろうとする教育。
学校開放とか、住民の教育参加と言われているように、教育関係者だけではどうにもならない状況になっていると思う。

そして、どうにもならない時は、信念を曲げても警察の協力もその仰ぐ事は、生徒に法を守る意識をもたせることを含めて、教育関係者の責任と思う。

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福岡の中2同級生を書類送検

2007-02-19 22:43:43 | いじめ

<<福岡の中2同級生3人を書類送検報道の概要>>
 福岡県筑前町の三輪中2年の森啓祐が昨年、いじめを苦に自殺した問題で、福岡県警は19日、同級生5人が自殺当日、校舎内のトイレで森君のズボンを無理やり脱がそうとした行為が「暴行に該当する」と判断し、このうち当時14歳だった3人を暴力行為処罰法違反(集団暴行)容疑で福岡地検に書類送検した。
 13歳だった2人も同じ非行事実で久留米児童相談所に通告した。
 ただ、県警は「トイレでの行為は自殺の直接原因とは言えない。5人はいじめの中心グループではなく、深く反省しているので処罰は求めない」と説明。書類送検などの理由について「少年法の理念に基づいた健全育成のため。5人が立ち直るには、家裁や児童相談所などの専門機関で適切な措置を受けることが望ましいと判断した」とした。
 5人のうち、当時14歳の3人は地検から家庭裁判所に送致され、家裁が審理の上、審判を開くかどうかを決める。刑事責任が問えない当時13歳の2人については、児童相談所が処遇を決める。最終的には、通常の生活を送らせながら、更生を促す措置が取られるとみられる。
 県警少年課は送検後、記者会見して、経緯などを説明した。少年の書類送検で説明会を開くのは異例で社会的な関心が高いことを考慮したという。同課の橋本元・次席は「立証できたのはトイレの事件だったが、5人だけに問題があるのではない。5人は深く傷つき反省している」と述べた。
 (2月19日  読売新聞)

<<警察の処置に対する批判>>
今回の警察の処置にはまた大きな論議を呼ぶ事になるだろう。

今までのマスコミや学校関係者、人権批評家の論調からすると、
1.遂に学校に警察が介入し教育の独立性を冒す。
2.いじめた子の将来を考えた、教育的配慮が先だ。
いじめられた生徒への教育的配慮や自殺した人の人権はどうなるのだ。
3.子供の教育は学校がやるべき。
4.言葉によるいじめが立件できなかったことは、子供の間で、言葉によるいじめとか、除け者扱いにするとか、いじめが益々巧妙になり陰湿化する。
今回の介入は警察の学校への協力と考えるべきで、警察で立件できないような、いじめは当然学校で解決すべきだ。
5.いじめ問題などは学校当局者で解決すべきだ。
これは単なる理想論で、当局者で解決出来ない事もある事は、今回の事件に対する、学校当局の動きや、教育委員会の中途半端な報告を見れば、直ぐ判る事だ。
など色々の批判が予想される。(2,3,4、5についての批判は既に報道されている。)

<<警察の処置の意味するもの>>
然し、私は今度のことは、次のことをはっきりさせた事で、大きな意味を持っていると思う。
学校は治外法権でない。当然、学校でも日本の法律を遵守すべきだ。

戦後まもなく、民主主義教育を徹底するためだったと思うが、戦前の教育を受けた一般国民から隔絶した学校で、子供達を純粋な培養してきた、伝統か慣行かしらないが、今まで続いて来た。

その密閉社会の中では、
外界とは違った価値観やルールがあり、
文部省と教職員組合の浮き世離れした闘争が行われ、
生徒が不法行為を起こしても、が教育的配慮の名のもとで、事が外に洩れるのを防だ、
など外界と違った世界があった。

中でも問題なのは、
その密閉社会では、世の中が荒れてくるのと平行してひどくなってきた、外界では当然犯罪となる暴力行為、セクハラ、恐喝、迷惑行為があってもそれを生徒がやった場合は余程の無い限り教育的配慮の名のもと で、依然として見逃されてきたことだ。

(私が密閉社会だったと言うのは、教育荒廃が叫ばれ始めたやっと今頃になって、学校解放とか、住民の教育参加と言われているのを見れば、若い人達でも想像できると思う。)

<<警察介入のいみするもの>>
それで、今度の警察の介入は、いくら学校内のことでも日本の法律を護らねばならない と言う当然過ぎる事を教育関係者と生徒にはっきりさせたことに大きな意味があると思う。

勿論、私も、昔の言葉のように、生徒みんなが仲良く、「良く学び良く遊んで」欲しいと思うし、今までのように警察沙汰になるようなことも出来るだけ、学校自体で解決して欲しいと思う。

然し、現実はそのような奇麗事ばかりでなく、荒廃しかかった学校もあるかも知れないし、今度のように、学校では手のつかない、いじめもあるかも知れない。

<<学校関係者と警察の協力>>
教師は、いじめなどを早く芽を潰して、出来るだけクラスまたは学校内で処理して欲しい。
もし不法行為にあたるいじめがあっても、警察に通報する前に、生徒に良く言って聞かせて、直して欲しい。

然し何度言っても不法行為を止めない生徒には、「学校としては出来るだけ君を守りたいけれど、法律を守るのは国民としての教師の義務だから、これでも直らないときは、警察に通報しなければならない。」とはっきり告げよう。

それでも同じ事をした場合は本当に警察に通報するのが、安倍さんの言う、その生徒の規範意識を高める と言う、本当の教育的配慮だと思うが思うがどうだろうか。

なお進んで、いじめや暴行事件が恒常化している、学校がもし有れば、警察官の常駐や定期的または不定期な巡回も考えて欲しいものだ。
何故なら学校も日本の一部だからだ。
そして、日本の中に無法地帯があってはならないからだ。

<<批評家やマスコミへのお願い>>
もしこれらの動きを国家権力の学校への介入と言う有力な批評家や団体ががあれば、先ず実行可能な問題解決の対案を出して貰う か、それでも治らない時は、その人や団体自身が学校に実際に乗り込んで、問題解決に当り 警察介入の必要が無い状態に変えて欲しいものだ。

そしてマスコミも今までのように単に批判者の批判の声ばかりを報道するのではなく、その批判者から必ず、 対案も必ず聞き出して、もう少し建設的な報道をして貰いたい ものだ。
ネガティブな報道からは何も生まれない からだ。

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いじめ防止の具体策の立案を妨げているもの

2007-02-09 21:59:05 | いじめ
  1. 数日前、地域のテレビで教育再生会議の答申についてのアンケートの結果が放送されていた。

    答申の特徴はいじめっ子の出席停止、教員免許更新制度、教育委員会への外部評価、学校の責任の明確化など、いずれも管理強化に繋がるものばかり だ。

    当然に父兄や教員の多くからの反対や疑問の声が出たように答申も完全な解決策とはならないようだ。

    <<いじめ問題解決を妨げているもの>>
    そこでいじめ問題に絞って、何故有効な防止手段が出されないのか考えて見た。

    <考え方、価値観の問題>

    (1)弱いものをいじめたり、大勢で一人をいじめたりするのは人間として恥ずかしい卑怯者だと教える。
    卑怯者の考え方→武士道への連想→軍国主義のアレルギー

    (2)相手を思いやる心を教える。(藤原さんの言う惻隠の情け)
    権利中心の教育→自己中心主義

    (3)男は男らしく、女は女らしく(男らしい男はいじめなど卑怯な真似はしない)(思いやりあるのが女の良い所だ)
    男女同権→男女を区別するのは差別だ。

    (4)他人の良い所を妬むのは恥ずかしい事だ。
    奇麗事ばかり教えている教育→ネガティブな面の教育の欠落

    (5)自分の違った種類のものを受け入れる。
    1)人権教育の自分の大切さとともに他人の大切さを認める事の授業を、生徒は自分の人権を中心に受け取っている?
    2)人権教育の基本である、他人の立場に立つ想像力、コミュニケーション能力、人間関係調整の能力などの具体的な指導不足または欠如

以上のいじめ防止を妨げる事柄を纏めて見ると、
(1)昔の良い考え方や価値観を無視してきた。
いじめ防止にはこの昔の考え方や価値観(悪いところは捨てて)の導入が絶対必要と思う。
(2)奇麗事ばかりの教育→悪い事をさせない教育、しつけ教育の不足
(3)お題目だけの人権教育→自分の良い方ばかり取っている生徒が出てきた。
今後の国際化に当たって、異分子の人も受け入れる教育も人権教育に取り入れることも必要と思われる。

<<アンケートの中で一番批判が多かった問題>>

1.いじめっ子を出席停止にする。
これには大きな批判があるのは当然だ。

出席停止よりも、私の提案のいじめっ子やいじめられた子を特定せずに生徒全員を一カ所に集めての教育をし、いじめがなくなるまで繰り返す方法が当事者を傷つけずに解決する良い方法と思うのだが。

義家さん始め、政府のメルマガ、近くの教育委員会などに投書したが当然のように無反応だ。
いじめ問題のまとめ

2.教員の再試験
教師からそれに対応するには、忙しすぎるとの批判が多かった。
政府は教師の締めつけだけだけでなく、次の様な方法で教師の負担を少しでも軽くしてやるべきだと思う。

(1)教育委員会などへの無駄な報告の削減
(2)企業でやっている小集団活動などの管理手法を導入し、教師自身で事務の合理化出来るようにしてやる。
学校事務の合理化を考えませんか
(3)教師を困らせているへんてこな父兄の再教育を教育委員会の仕事に組み入れる

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「いじめ」問題についての纏め

2007-01-27 17:00:08 | いじめ

月26日にNHKの九州全域向けの放送で「いじめ」の問題に関する放送があり、多くの学校関係者の間の討論があった。
印象から言えば、なんとなく方向は見えかかっているが、これと言った解決策もないようだった。
教育再生会議の答申もいじめっ子の出席停止以外には、決め手がなさそうだ。
出席停止さえ多くの批判が出ている。

私も何度かブログに「いじめ」について意見を書いていたが、放送や答申に見るように、問題が複雑で難しいため、いろいろな対策が考えられる中で、特にポイントの点に絞って改めて纏めてみることにした。

<<いじめなど殆どなかった戦前>>
私の経験した戦前のT尋常小学校からY高等小学校(今でいう中学校)、Y工業学校(今で言う高校)、までの間、クラスの友達に朝鮮の人や、当時まだ、差別をされていた人達の子供もいたが、「いじめ」を見聞した事はなかった。

私自身も貧乏な家庭の子で、弁当はのおかずは鰹の削り節に醤油をかけたもの、汚れた服装、袖には鼻汁をこすった跡、人見知りする気弱な子と言う、今なら恰好のいじめのターゲットになりそうな私でさえいじめられた経験は全くなかった。

今で言う高校時代には、所謂、硬派という悪餓鬼がいて、よその学校の生徒達との喧嘩に明け暮れていたが、自校の生徒には絶対に手を出したりいじめをする人はいなかった。

<<いじめがなかった原因>>
実は前このことを書いた私のブログに、私と近い世代の人から、ひどいいじめを見聞したコメントがあったが、私の経験したのと違った環境だったのだと思う。

1.開放的な土地柄であった。
当時は、Y製鉄を中心とする発展途上の工業地帯で、多くの人が流入すると言う、割合開放的な土地柄もあった。

2.子供達の価値観
九州男児と言われる土地柄で、男の生徒の場合、男らしいことが尊ばれ、弱いものいじめをしたり、集団で一人をいじめるなど「卑怯者の仕業」と思われていた。
そして子供ながら皆プライドを持っていたようだ。

もし誰かがいじめに近いいたずらをしていたら必ずがき大将が出てきてそれを止めていた。
また、いじめっ子など、いくら強くてもがき大将にはなれなかっただろう。

女生徒の場合は、他人への思いやりや優しさ、良く気がつくなどのある子が大人達から褒められて育っていました。
しかし、男女が別れて遊ぶ習慣で、男である私は、女の子の社会でいじめなかつたと思うが、正確には知らない。

3.開かれた子供社会の存在
家庭の中にも小さな子ども社会があり、社会の中では子ども達の遊び仲間がおり、地域の大人達から見守れながら遊んでいて、自然と団体生活になれていた。

<<「いじめ」が起こったときの対処法>>
私がいたY高等小学校の頃「講堂修身」と 言うのがあった。
学校内で何か問題があると、生徒全員を講堂に集め、約一時間、先生の何人かが交代で、生徒全員に「気合」を入れるのだ。
そのころ前に書いたように「いじめ」など殆どなかったが、「いじめ」の場合にはこのような処置をとっただろう。
いじめ側、いじめられ側も特定せずに、全員集めるのだ。

先生は教育に非常に熱心で生徒達にも人望がある人が何人か選ばれているようだった。
「いじめ」の場合はこんなことを言っただろう。

弱い者いじめしたり、多人数で一人にいじめをするのは卑怯者だ。
いじめを見て見ぬふりをするのも卑怯者だ。

自分に気に入らぬ人をいじめる人、人の心の痛みの判らぬも人、心の狭い人間だ。
冗談でからかっても、相手が嫌な顔をしたら直ぐ止めろ。
それが相手への思いやりだ。

もし、このような生徒がそのまま社会に出たら皆から爪弾きにされたり、落ちこぼれになるに決まっている。
学校はそんな生徒を一人でも出したくない。
だから学校からいじめを根絶したい。
もしいじめの兆候があったら、無記名で良いから学校の誰にでも良いから、教えろ。

これだけ先生達が言って、もしまた問題が出たら、学校が出来るだけ君たちを守るが、どうしても手におえぬのについては、警察に通報する。(やむを得ない時は本当に実施する。)
何故ならいじめの中には、社会では恐喝、名誉棄損、セクシャル・ハラスメントなど犯罪になるものが多い。
学校も治外法権でなく、日本の法律を守らねばならぬからだ。(
学校としてこの倫理観を本当に持つ)

そして、同じような問題がまた起きるたびに、全員がいじめが悪い事、いじめをする人が、人間として恥ずかしい事を皆が判るまで、何度も何度も「講堂修身」を繰り返すのだ

このやり方の良い所は、
1.従来の人の生命は尊いなど、奇麗事ばかりの教育からネガティブ面からの話、生徒達の生活に直結した話しになる。

2.いじめに関係して個人を特定しないので、思い切った話しができること。

3.いじめっ子が全校生徒の中で自分の悪い事を聞かされることは、内心で恥ずかしい思いをさせられる。
しかし、人物を特定されていないので、皆の面前で本人が辱めを受けることにはならない。

4.いじめは卑怯者のすること、思いやりとうの美徳が生徒の心の中にしみこむ。(教室での教育とともにこのことが生徒の心の中にしみこむまでやる)
5.普通の生徒まで何度も「講堂修身」に呼ばれることは、いじめっ子への反感となり、学校へのいじめの通報が増すことを彼らが気がつくこと。

6.教師がいじめ防止に団結してることを示す。

何回か「講堂修身」を繰り返す内に、生徒達も次第にいじめの本質に気づき始め、いじめっ子への皆の見方も変わって来て次第にいじめが減ってくると思う。

<<いじめ防止の方法>>
私の小さな体験は次の事を示している。

1.「いじめ」はあるものだと決めつけずに、「いじめ」のない学校を調べる事。
テレビに良く出てくる夜間中学校でいじめなどあるだろうか。
そしてその学校の環境や対策も検討すること。

2.今盛んに言われている、国際化にも関連して、変わった服装、考え方、習慣を持つ人を認め、分け隔てなくつきあう事の大切さを教える。

3.「いじめ」は卑怯もののすることで、恥ずかしいものだとか、思いやりの大切さを幼稚園のときから教え込む。
恐らく関係者(教育再生会議の人達さえ)がこの事くらい皆知っていて大声で言わないのは、過去の軍国主義と結びつけられるのを恐れているからと思うが過去の美徳は、教育界にも思い切って取り入れるべきと思う

4.子供社会をより広く開かれたものにする。
地域、父兄、教師の子供と触れる機会を多くする。(恐らく学校を自分達の影響力下に置きたい日教組系の教師は嫌うだろうが)

昨日のNHKの地域放送でも「チクリ」の必要を認めるべきだと言っていたが、その言葉の持つ卑劣な感じは密閉空間である子供社会から別の空間?の教師への通報が卑劣と生徒が思っていることから生まれた感じだ。
だから子供と教師、地域、父兄が生徒と同じ空間を共有すること(実は当然のこと)からこの卑劣感はなくなり、問題の学校への通報への抵抗感がなくなる。

5.私の経験した「講堂修身」(名前などどうでも良いが)に似た形式で、いじめっ子、いじめられっ子の自尊心を傷つけずに物事を解決する方を考える。

地域のどこかのテレビで、F教育大の付属中学でこれと似た事をやっていたのを見た。
それは今らしく優しいやり方でしかも一回限りかも知れないが、「講堂修身」はもっと激しく生徒話し(隠れいじめっ子には厳しく感じる)、ことの起こる度に何回もやる違いがある

勿論「いじめ」がこれだけでなくなるとは思えないし、私も他のブログでも色々書いているが、少なくとも何らかのヒントにはなると思う。

参考資料
私の考えるいじめ防止策

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いじめ調査に反対する教職員組合

2007-01-24 21:56:21 | いじめ

1月24日の読売新聞の報道を見て驚いた。
まずその概要を見て頂きたい。

 「いじめ調査に協力するな」北海道教組が支部に通達
 北海道教育委員会が昨年12月に行ったいじめ実態調査に対し、北海道教職員組合(北教組)が道内全21支部に、協力しないよう「指導」していたことが23日、明らかになった。

 多くの学校では協力したものの、小樽市では、教員が調査回答や回収を拒否。このため市内の一部の学校では校長が保護者に直接、回収協力を求める事態になった。

 小樽市教委によると、実施前、北教組小樽市支部から「協力できない」と通告された。「現実と向き合い、調査結果を指導に生かすことが必要」と説得したが、支部側は「調査結果がどのように使われるか不透明」「調査を実施することでいじめ問題が早期に解決するかどうか見えない」――などとして協力を拒否したという。教員らが協力を拒否した学校では校長、教頭が回収を代行。市教委は昨年12月26日までに全校から回収したが、教員からの回答率は3割にとどまった。

 北教組本部の小関顕太郎書記長は読売新聞の取材に対し、調査への組織的な非協力を文書で指導したことを認め、「いじめの実態は学校現場で把握し、対応している。全道一律の調査は必要ない」などと話している。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070124i501.htm
(1月24日 読売新聞)

私は前のブログで、日教組はゆとり教育、週休5日、学力低下、いじめなどに、教員が直接関係する問題に知らぬ顔をしている、そして彼らが動き出すのは、教科書採択のときだろうと予測していたが、こんなことで動き出すとは思いもよらなかった。
案の定2チャンネルは忽ちこの話題で花が咲いている。

!!!日頃評判の余り良くない教育委員会の「現実と向き合い、調査結果を指導に生かすことが必要」の言い分は筋が通っているように見える。!!!

???一方、小樽支部の「調査結果がどのように使われるか不透明」「調査を実施することでいじめ問題が早期に解決するかどうか見えない」の発言、北教組本部の「いじめの実態は学校現場で把握し、対応している。全道一律の調査は必要ない」の発言の趣旨を理解出来る読者はおられるだろうか。???
これでは反対のための反対としか見えて来ない。

北教組本部の意志に反して小樽支部以外の全ての教師が調査に協力したのは当然だ。

百歩譲って、北教組が反対するにしても、大きな問題となっているいじめ防止に対して、誰でも納得出来る、良心的且つ建設的な対案を出すのが、教育に責任のある組合の指導者が、組合員の信頼を得る唯一の道だろう。
それをただ!!!反対!!!だけで済むのだろうか。

日教組の組織率は激減しているそうだが、これでは益々普通の教師から見放され、いずれ社民党と同じ僅か数%の組織率の道を辿っているような気がするのは私だけだろうか。

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えっ、九州男児がいじめっ !!!??

2006-12-17 11:50:21 | いじめ

<<九州男児とは>>
私たちのの英字新聞輪読会で北海道から来たばかりの若い女性から
「皆の話を聞いていると、「九州男児」は強いと思っていたのに、奥さんに弱いようね。」と言われました。
私は、「九州では男ばかりが強いのでなくて、女も当然強いのだ」と返事をしました。
私はそうは言ったものの、何となく引っかかっていいたのですが、最近の福岡でのいじめの事件に関連して、「九州男児」とは何か調べて見ようと思いインターネットで検索し、次のQAを見つけました。


[質問]
彼は福岡県出身です。大学を卒業して東京に来ました。今って「九州男児って言葉、あまり聞かないですよね?
九州出身の彼とお付き合いされている方、九州男児ってどういうことを言うのでしょうか?
デートの時にあまり手をつないでくれないのは、彼が九州男児だからとは関係ないですよね?
手をつないでくれない彼をどう思いますか?

[回答の集計]
(数字は件数、○印は( 私が考える「九州男児」が持つべきと期待されている)価値観についての回答、( )内は「九州男児」の特徴をあげた人の回答、[  ]内は私の意見です。)

1.「九州男児」などいない 12
[一部賛成]
2.(男尊女卑、亭主関白、威張る) 9
[このような人は九州男児としての価値観では軽蔑される存在]
3.女性も強いが、男を立てて、実は操縦しているから九州男児でいられるのだ。 8
[賛成、私の家でもそうです。]
4.○人前で女とイチャイチャするな。(女にシャイ、照れ屋) 7
5.○卑怯なこと女々しいことをするな(男らしい、頼もしい)6
6.○男なら女子供は命がけで守れ。(女性に優しい) 5
7.○男は口先じゃない、行動で示すものだ。3.
8.(言葉がきつい) 3
[私も余所から来た人から良く聞きます]
9.○細かいことは気にするな(懐がが大きい)2
10.(目立ちがりや、見栄っ張り) 3
[特に福岡県の人、同県出身のタレントが良い例]
11.(頑固) 2
[熊本県の人が「いごっそう」の名で知られています]
以下省略


http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200410/2004101500015.htm

1.で指摘された「九州男児」などいないと言う意見については、その名が消えかかりながらもまだ残っているのは、昔戦争ばかりしていた時、九州から派遣された勇猛な軍隊が、全国的に「九州男児」の名で知られるようになっのたのが、平和の時代に入って、九州の男がその特徴を発揮する機会もなく、またその価値観自体も次第に忘れ去られて行く過程にあるのでこの意見が出るのは当然だと思います。

<<九州男児がいじめとは>>
私は福岡県生まれの福岡県育ちですが、実は「九州男児」がどう思われようとどうでも良い事です。
問題なのは、日本が昔から持っていた価値観の良い所や、美風が、戦後以来の混乱や新しい文価値観の流入なので、消えかかっていると同様に、九州の男達が持つ事をに期待されている、価値観の良い所まで消えたか消えかかっているのは残念です。

前にも何度か書いたのですが、
私自身が、貧乏な家庭の生まれで、弁当はいつも鰹の削り節に醤油をかけたもの、服装は汚れっぱなし、そして私は人見知りする、気弱な子で、今なら恰好のいじめのターゲットになる筈の私でしたが、苛められた経験は全くありませんでした。
これは私だけでなく、地域全体としても、戦前の小学校から今でいう高校までの間、友達に朝鮮の人や、昔、差別をされていた人達の子どももいましたが、殆どいじめなどありませんでした。
これは、私どもがいた環境、つまり発展途上の街で新しい人が急激に増えているのを受け入れる開放的な環境と、当時「九州男児」に象徴される「男らしさ」が重んじられ、弱いものいじめをしたり、多人数で人の子をいじめるようまな「卑怯者」が軽蔑されるる環境にあったからと思います。

それが昔「九州男児」と言われるのを誇りに思っていた福岡県で、現在、2件ものいじめとそれに関する自殺事件が起こったのは大変に残念です。
そしていじめは卑怯者のすることだと言う考えの消えたことと、グローバル化と言われる時代に、閉鎖された子供社会に子供が閉じ込められいるのが、日本の各地と同じようないじめが起こっている大きな原因だと思います。

<<藤原正彦先生の卑怯を憎む心>>
11月24日の読売新聞にに「国家の品格」の著者の藤原正彦先生のコメントについて書かれていました。
先生のコメントの概要は、
[弱いものいじめの現場を見たら弱い者を助けろ。見て見ぬ振りをするのは、卑怯だ。助けるのに禁じ手がある。
1.大きな子が、小さな子を、男が女を殴ること。
2.大勢で一人をやっつけること。
3.武器を手にすること。
4.相手が謝ったり、泣いたらすぐやめろ。]
禁じ手の理由はすべて卑怯だから。

また藤原先生は、別の場所で、余所者や自分の合わない性格の人も受け入れることの出来ないじめっ子は心が狭く、そして人の気持ちの判らないからです。
藤原先生はこれを惻隠の情がないと言っておられました。


http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061126

藤原先生の言われる考え方は、武士道に立脚するもので、私が前に整理したものと比べて見れば判るように、「九州男児」に期待されている価値観そのものです。
私の小さい経験からしても、弱いものいじめをしたり、特定の人を大勢で苛めるものは卑怯者で人間として恥ずかしいことだと世の中に浸透していれば、そして私がいたころの様に、開放的な環境があれば、いじめなど大幅に減少出来ると思います。

然し、いじめ問題があれだけマスコミやインーネットで問題になっているのに、「国家の品格」が超ベストセラーになり、「品格」が流行語に選ばれたのに、何故「いじめは卑怯だ」の意見が殆どでないのは何故でしょう。
惻隠の情(思いやり)の言葉が滅多に出こないのは何故でしょう。

それは、藤原先生の意見が、武士道の考え方から出てきていることため、これを言うと軍国主義に結びつけられるのを意識的にまたは本能的に恐れているのではないでしょうか。
何故日本人が良いものは取り、悪いものは捨てるというバランス感覚を持ち、冷静な判断ができないのでしょうか。

いじめ→自殺、家庭内暴力、家庭内の殺傷事件の多発は本当に異常事態です。
もう暗い過去のトラウマから脱却して、昔の良いところを積極的に取り入れて、この異常事態に対処
するときではないでしょうか。

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私の考えるいじめ防止策

2006-12-03 15:58:17 | いじめ

<<どう対応して良いか判らない再生会議の提言>>
11月29日に教育再生会議のいじめ問題への緊急提言が出されました。
いじめっ子への厳格指導・懲戒と家庭の責任の提言は従来にない画期的なものでしょう。
しかし、出席者から停学などは学校の教育責任の放棄だとか、また例の「優しい」団体の責任者から、生徒を別室に呼んで指導するのは、生徒から言えば罰則と捉えられるだけて、かえって隠れた所で、いじめが増えるべきだと言う指摘などありました。
これでは、私から見てもいじめっ子に厳しく対応せよと言うだけで、どうしたら良いか判りません。
今まで奇麗事の教育ばかりしてきた学校関係者はなおのこと戸惑うばかりで、中途半端な対応に終わり、その結果は、再生会議の今までの方向に添って考えれば、学校関係者へのなお一層の締めつけに終わるような気がします。

<<サンデープロゼクトのいじめ問題の討論>>
今朝のテレビ朝日のサンデープロゼクトにも再生会議のメンバーの何人かが出ていました。
そこでも私が感じたような問題が提起されていましたが、次の点が気になりました。

(1)いじめは必ずあるもし、なくならないものだ

果たしてそうでしょうか。
テレビなどで良く出る夜間中学校で、いじめなどで登校拒否になった子が立ち直った話しを聞きますが、そこでもいじめが頻発しているのでしょうか
私自身も貧乏な家庭の子で、汚れた服装、人見知りする気弱な子と言う
いじめのターゲットになりそうな私が、戦前の小学校から今の高等学校に行く間、いじめを受けた経験が全くなかったのは九州男児と呼ばれた土地柄で、いじめは卑怯者のすることだという考え方の徹底した、そして発展途上の地域で多くの人が流入するのを受け入れる土地柄だった為だと思います。
今でも、土地や学校によってはいじめの殆どない学校が多くあると思います。そこでいじめのない理由を探せば、いじめ根絶の解決のヒントが隠されています。

(2)学校に地域の人が協力して、いじめ防止に当たるべきだ。

実は私の提案にも同じことが入っていますが、それを妨げるものの一つが地域社会には夫婦とも働いている人がいて、地域活動に殆ど参加してないと言う事実です。
学校に協力しよう思っている人(特に夫婦のどちらかだけの収入だけで暮らしている人)が、彼らが自分達は関係ないといって、金ばかり稼いでいると判ってはどうしてやる気が出るでしょうか。
やはり共稼ぎの人も地域社会の一人であり、忙しくてもなんらかの社会奉仕に参画させるような教育が必要なような気がします。

私が下記のように、なんどかブログで書いてきた私なりの対応策を纏めて見ました。
何しろ素人が書いたものですから、いくらかのダブりや書き足らぬこともありますが、わざと投稿時のままにしております。

その要点は、
1.家庭の躾けをきちんとする。
古来の良い所を教える、思いやり、決まりを守ること、我慢しなければならぬ時は我慢する、近所の人への挨拶から子供の世界を拡げること、本を読むこと、インターネットの禁止等。
2.学校と家庭の協力による教育
(1)男と女それぞれの良い面を伸ばす。
(2)いじめは卑怯者のすることだと言う価値観の導入、
(3)法を守る。
学校は治外法権では無い事を教える。
手に負えぬときは、最終的には法律に従って警察に通報するのが国民の義務だと教える。
3.子供の閉鎖的な狭い社会からの解放と拡大
(1)少子化の解決→子供社会自身を拡大
(2)地域の人の子供社会への参加、生徒の地域活動の参加
4.いじめが起こったときの対応
(1)学校全体の教師、生徒全員(いじめっ子、いじめられた子を特定しない)の参加による、一斉教育
(2)いじめの悪い事、人として恥ずかしい事を徹底させる。
(3)いじめが起こる度に何度も一斉教育を行う。 
 
5.教育再生会議の皆さんが、もっといじめの盛んなところ、いじめの殆どない所など現場に足を運ぶ事。
いじめのある所とそのない所の研究もいじめ根絶のヒントが隠されているような気がします。

良い子の育て方(10月11日)
子供の躾け、古来の良い所を教える、思いやり、決まりを守る、我慢する、近所の人への挨拶、本を読む、インターネットの禁止、素直な子
いじめ問題→原点に帰れ(10月22日)
いじめのなかった戦前(正確には私のいた地方での)(いじめは卑怯者のすること、開かれた子供社会)、いじめのひどくなった原因(子供の価値観の劣化、閉鎖的な子供社会)、対策(良い美風を取り戻す、少子化からの脱却、命の大切なことを教えるタイミング、学校関係者の責任)、グローバル化への対応
いじめをなくす方法(11月12日)
建前をなくし現実を見る、良い昔の価値観の取り入れ、開かれた子供社会、地域社会への参加、落ちこぼれ対策、学校も法律を守る、家庭教育と教育委員会の見直し、我慢強い子の育成、少子化対策
教育的配慮ではいじめは根絶出来ない(11月14日)
いじめっ子にも何故教育的配慮、「講堂修身」(生徒全員集めていじめの悪いことを教える),いじめっ子もそれを見ている子も卑怯者、手に負えぬものは警察に通報、いじめ根絶迄「講堂修身」の繰り返し
いじめっ子は卑怯者だのキャンペーンをしよう(11月26日)
いじめの恰好のターゲットの私がいじめの経験がない理由、男らしさ、開放的な土地柄、藤原正彦のいじめを憎む心、いじめ防止のキャンペーンをしよう

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いじめっ子は卑怯者だのキャンペーンをしよう

2006-11-26 09:21:30 | いじめ

<<私の経験(教えてgoo回答の訂正とお詫び)>>
私は戦前の生まれです。私の家は貧乏で、弁当はいつも鰹の削り節に醤油をかけたもの、服装は汚れっぱなし、そして私は人見知りする、気弱な子で、今なら恰好のいじめのターゲットになる筈の私でしたが、苛められた経験は全くありませんでした。
地域全体としても、[私の経験した戦前の小学校から今でいう高校までの間、友達に朝鮮の人や、昔、差別をされていた人達の子どももいましたが、殆どいじめなどありませんでした。]
今から考えますと、地域とその時世の中で(私どもがいた環境、つまり発展途上の街で新しい人が急激に増えているのを受け入れる開放的な環境と、当時「九州男児」に象徴される「男らしさ」が重んじられ、「卑怯者」が軽蔑されるる環境にあったからと思います。)
実は、教えてgooの「いじめは現実だと教えるこ--」の回答で上記の[私の経験した--]の文を書いていました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2508574.html
それに対して他の回答者から、戦前にもいじめがあったとの指摘がありました。
これを見て私のミスに気がつきました。
最初に上記の括弧内の(私どもがいた環境--)の注記を入れていたのを、全体の文章を簡潔にするために誤って、削除してしまったのです。
ところがその質問は締め切りになっていて、訂正のしようがありませんでしたので、私のブログを利用して訂正します。
質問者や回答を読まれた方に結果として偏った情報を提供したことに対して、お詫びするとともに、指摘して頂いた方にお礼申しあげます。
このことに関する私の考え方の詳細は下記をご参照下さい。

http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061022

<<藤原正彦先生の卑怯を憎む心>>
11月24日の読売新聞の「よみうり寸評」に「国家の品格」の著者の藤原正彦先生のコメントについて書かれていました。
先生のコメントの概要は、
[弱いものいじめの現場を見たら弱い者を助けろ。見て見ぬ振りをするのは、卑怯だ。助けるのに禁じ手がある。1.大きな子が、小さな子を、男が女を殴っては駄目だ。2.大勢で一人をやっつけては駄目が。3.武器を手にしては駄目だ。4.相手が謝ったり、泣いたらすぐやめろ。禁じ手の理由はすべて卑怯だから。]
(寸評には書かれていませんでしたが、勿論最大の卑怯者はいじめっ子だと先生が書かれていました。)

寸評筆者のコメントの概要
遠く少年時代を思う。かって男の子は<卑怯>と言われるのを、一番の恥としていた。学校で頻発しているいじめ同じ理由だ。卑怯なことこのうえもない。

それについては私の小さい経験からしても、弱いものいじめをしたり、特定の人を大勢で苛めるものは卑怯者で人間として恥ずかしいことだと身に沁みていればいじめなど出来ないと思います。
寸評には書いてありませんでしたが、余所者や自分の合わない性格の人も受け入れることの出来ないじめっ子は心が狭く、そして人の気持ちの判らないからです。
藤原先生はこれを惻隠の情がないと言っておられました。

<<いじめ防止のキャンペーン>>
寸評の筆者の言う様に、そして私の少年時代のように、卑怯者は恥だと考え方、そして誰でも受け入れる開放的な環境が有れば、いじめ問題の大半は解決すると思います。
そして、良くネット上で出る苛められる側の子の問題についても、私自身の子供時代のように、本人がいじめっ子だなど、特に悪い子でないかぎり、どんな子でもいじめられることはなくなると思います。
問題は、卑怯者は恥ずかしいことだと言う考えを浸透させることだと思います。
すでにインターネットでもこのことが論議され始めたようです。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/shuchou/27496/

問題は学校が、今までのように、「命は尊い」となどの奇麗事の教育だけてなくて、もっと直接に「いじめは悪いことと言う事」に焦点を置いて、例えば下記のような私が経験したようなやり方でこの考え方を徹底てきに教え込むことだと思います。

http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061114

そして、マスコミやインターネットを通じて、いじめっ子は卑怯者だのキャンペーンをすることだと思います。

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いじめへの教育的配慮ではいじめは根絶出来ない

2006-11-14 12:10:58 | いじめ

各種の報道やインターネット上で学校でいじめがあったとき、何故加害者やその家族が問題にならないの疑問が出されています。

それは多分加害者の生徒の将来に対する配慮(教育的配慮?)から一般社会で個人の特定を防ぐ為だと思います。

然しこの教育的配慮につけ込んでいる生徒も多いのではないでしょうか。
教育と言えば、どのようにいじめっ子への指導をしているのでしょうか。
質の悪い生徒は、教師の言う事をはいはいと聞いていれば、それで済むと思っているかも知れません。
福岡の自殺事件では、加害者の生徒がもう別の生徒のいじめを始めたという一部報道も頷けるような気がします。

私は前にもいじめ防止への提言を書きましたが、余りにもいじめの問題が続きますので思い出したことを報告します。
http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/

私が高等小学校(今の中学校)の頃「講堂修身」と 言うのがありました。
学校内で何か問題があると、生徒全員を講堂に集め、約一時間、先生の何人かが交代で、生徒全員に「気合」を入れるのです。
勿論いじめ側、いじめられ側も特定せずに、全員集めるのです。
先生は教育に非常に熱心で生徒達にも人望がある人が何人か選ばれているようでした。
そのころいじめなど殆どありませんでしたが、いじめの場合はこんなことを言ったでしょう。

弱い者いじめしたり、多人数で一人にいじめをするのは卑怯者だ。
いじめを見て見ぬふりをするのも卑怯者だ。
自分に気に入らぬ人をいじめるもの、人の心の痛みの判らぬもののは、心の狭い人間だ。
冗談でからかっても、相手が嫌な顔をしたら直ぐ止めろ。
それが相手への思いやりだ。
もし、このような生徒がそのまま社会に出たら皆から爪弾きにされたり、落ちこぼれになるに決まっている。
学校はそんな生徒を一人でも出したくない。
だから学校からいじめを根絶したい。
もしいじめの兆候があったら、無記名で良いから学校の誰にでも良いから、教えろ。
これだけ言って、もし問題が出たら、学校が出来るだけ君たちを守るが、どうしても手におえぬのについては、警察に通報する。
何故ならいじめの中には、社会では恐喝、名誉棄損、セクシャル・ハラスメントなど犯罪になるものが多い 。
学校も治外法権でなく、日本の法律を守らねばならぬからだ。


そして、同じような問題がまた起きるたびに、全員がいじめが悪い事、いじめをする人が、人間として恥ずかしい事をそして、いじめ問題が起こる度にそして皆が判るまで、何度も何度も「講堂修身」を繰り返すのです。

このやり方の良い所は、
1.従来の奇麗事ばかりの教育からネガティブ面からの話、生徒達の生活に直結した話しになる。
2.個人を特定しないので、思い切った話しができること。
3.いじめっ子が普通の生徒の中で自分の悪い事を聞かされることは、内心で恥ずかしい思いをさせられる。
しかし、人物を特定されていないので、皆の面前で本人が辱めを受けることにはならない。
4.普通の生徒まで何度も講堂修身に呼ばれることは、いじめっ子への反感となり、学校へのいじめの通報が増すことを彼らが気がつくこと。
5.教師がいじめ防止に団結してることを示す。

何回か「講堂修身」を繰り返す内に、生徒達も次第にいじめの本質に気づき始め、いじめっ子への皆の見方も変わって来て次第にいじめが減ってくると思います。

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