普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

北朝鮮の聖火リレーと末期医療制度

2008-04-29 11:03:48 | 少子高齢化

 昨日のテレビで二つの印象的なシーンを見た。
 一つは北朝鮮での聖火リレ-だ。
 日本や韓国で見たテレビで物々しい警護陣などは殆ど見えない中で北朝鮮と中国の旗を振ってリレーを整然と見送る大衆。
 全て予想した通りだ。
 然しこれを見て感心する日本人は殆どいないだろう。
 むしろこれから言い知れない独裁国家の怖さを感じる人が大部分と思う。

[末期医療制度]
 つぎに見たのがNHKの末期医療のあり方だった。
 この放送の主旨は末期医療の専門の医師の活躍を取り上げ、それに欠かせないモルヒネの使用に豊富な知識を持った専門家がいないことを訴えることにあった。
 然し後期高齢者医療制度の対象者である私の関心を引いたのは、何人かの末期のガン患者の希望に応じて、在宅治療のシーンだった。
 どちらにも患者の子供の夫婦が介護に当たり、手の空いた孫達がその患者の開放に当たっていた。
 そして子供夫婦、多くの親族や孫達に囲まれて患者の最後を引き取った。

 これは前にも書いたが、私たち夫婦の従兄弟の死の光景と似ていた。

参照:子育てより自分の生活優先と考えている若い人達へ 

 彼も末期のガン患者で、気づいたときはもう手遅れだった。
 幸い私の家内が紹介した医師が良い人で、在宅治療に全面的に協力してくれた。
 彼の廻りにはいつも彼の妻を始め、多くの弟や妹、子供達や孫達、私どものような親族がいた。
 彼は気丈にも良く冗談を言って、看護の人達を笑わせた。
 そして最後の夜も一人で入浴し、小用を済ませ、寝床について、皆から見守れながら亡くなった。
 本当に私のように余命いくばくもない人から見れば羨ましい逝き方だった。

 これらの家族で共通しているのは患者に多くの兄弟や子供や孫達がいたことだ。
 政府が進めている在宅医療もこのような大家族では成り立つが、最近良くテレビで報道される様に、老老介護の家庭も多い様だ。
 しかもこの傾向は少子高齢化の進展で益々多くなるだろう。

 正確なことは知らないが、廻りの人達を見ても、大まかに言って、私たちの70~80台の人には2~4人の兄弟や子供、60台の人達は2~3人位の兄弟や子供がいるようだ。
 だから、多くの問題が出ながらでも、ここ暫くは今の在宅医療制度は何とか進むだろう。

[少子化の問題]
 然し問題はこれからだ。
 06年の平均出生率は1.32だそうだ。
 この当時者が後期高齢者になり、在宅治療を希望しても、僅か一組みか、運が良くて二組みの息子、娘夫婦に介護して貰う他ないが、もし子供達に何からの余儀ない事情があれば、老老介護か、介護保険に頼るかしかない。

 然し、介護保険そのもの社会的入院が大きな問題であることもあり、(その制度導入には)自宅での介護(在宅介護・居宅介護)を促す意図があった。実際には介護サービスがあっても、介護職員の不足や資金不足から利用者に応じたサービス提供は難しく、自宅介護は困難なことが多い。その結果として、さしあたり「預けられる」入所介護施設の不足が、導入当初以来解消されていない大きな問題となっている。  (Wikipedia による)

 結局は在宅治療どころか不足がちの介護保険施設に無理やりに頼んで入れて貰うしかない。
 そして今の若い人達は今の様に不十分なながらも在宅介護の道は閉ざされて、老後の運命はその施設が自分自身に向いているか否かという頼り無い幸運に頼るしかないことに成りかねない。

 若い人達の中には、子供や兄弟姉妹に頼らなくても、親しい友人が多くいると言うかもしれない。
 然し私の経験から言えば、多くの人やその家族の人達は大病を患えば、遠慮か、煩わしさかまたその他の原因か知らないが、外界からの接触を避ける人が多いようだ。
 私と違って社交性のある妻には多くの友達がいるが、その友達やその配偶者が大病を患って以来疎遠になったと愚痴ているのを何度も聞かされた。

 そのことを考えると今の若い人達の最後の床は極く少数の家族か、医師や看護婦か、施設の係員の見守られながら寂しく過ごすことになるのかも知れない。

 少子高齢化の問題は年金、医療、福祉、労働要員の確保、外国人労働者導入に伴う社会問題の発生、経済の縮小などに大きな影を落としている。
 それでも民主主義日本では、戦時中のように「産めよ殖やせよ」と政府が号令を掛けるわけには行かない、北朝鮮のように金正日さんの号令に違反する人を投獄する訳にも、中国のように一人っ子政策の逆を進めるわけには行かない。
 日本は男女雇用機会均等政策の様に、女性の社会進出を進め少子化を加速させても、専業主婦による次世代の育成の役割を認めようとしない。

 私は少子化の問題を取り上げたとき、何度も専業主婦の方達から、子育てがいかに面白くて張り合いがあるかとのコメントを頂いた。
 私は昨日のブログで基本的に長期的に人口を維持できる水準の出生率は2.07だそうだが、06年には1.32だ。この儘で推移すれば、ある所で収斂して落ち着いてくるのか、あるいは日本人が消滅するのか素人には判らないがと書いた。

 私はまた前述のブログで若い人達が考える少子化の原因として、経済的な理由と並んで、「子育てより自分達の生活を楽しみたい」を上げたと書いた。
 そんな若い人達が歳を取って、少子化のもたらす老後の生活が如何に淋しいものかに気づき、そして子育てより自分の生活を楽しみたいと考えていたが、専業主婦の方達の言われるように「子育てもいかに楽しいものか」と気づいと始めて、人口の縮小が収斂してくるのかも知れない。

  勿論、女性で仕事に生きるのも良いと思うし、専業主婦として次世代を担う子供たちの育成に当たるのも良いと思う。
  唯、私が言いたいのは、仕事に生きる女性が、専業主婦より優れていると言いかねないような風潮に惑わされず、若い人が子育ての楽しみもあること、自分の老後をどう過ごすかも考えた上で、それぞれの価値観で将来を決め貰いたいことだけだ。


 時に行き過ぎたところがあっても、その内に国民の叡知により自動的に修正するのが、民主主義の良い所だろうと思うが、少子高齢化については前にも書いた様に、関連する問題が続出しかかり、拡大しかかっている。
  それが破局状況になっての解決は如何にも遅過ぎるし、またその被害が大き過ぎると思うのだが。

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衆院山口2区補選、民主・平岡氏が当選

2008-04-28 07:16:02 | 民主党

 福田政権初の国政選挙となった衆院山口2区補欠選挙は民主党の平岡秀夫氏116,348自民党の山本繁太郎氏94,404の差で民主党の勝利に終わった。

 読売新聞
・この結果となったのは、後期高齢者医療制度に対する批判が選挙結果に反映したとの見方が出ており、民主党は制度を廃止する法案を近く参院に提出する方針だ。
・一方、政府・与党は、ガソリン税の暫定税率を復活させる税制関連法案を30日に衆院で再可決し、成立させる。野党が対決姿勢を強めるのは必至で、福田首相は引き続き厳しい政権運営を強いられる。
・民主党は、福田首相に対する問責決議案は直ちには提出せず、当面、国会論戦を通じて、後期高齢者医療制度の問題点などを追及する。政府・与党は同制度を維持する方針だ。
・選挙戦で民主党は、後期高齢者医療制度、ガソリン税の暫定税率と、年金記録漏れ問題を取り上げ、政府・与党を批判し、支持を広げた。無党派層に加え、候補者擁立を見送った共産党支持層や、自民党支持層の一部も平岡氏に投票したとみられる。
・週明けの国会は、ガソリン税の暫定税率を巡る攻防が焦点になる。政府・与党は、暫定税率の期限切れに伴う税収不足を早期に解消すべきだと判断しており、税制関連法案を30日に再可決する。政府は政令で5月1日から税率を復活させる。また、ガソリン税収を道路特定財源に充てる道路整備費財源特例法改正案についても、5月中旬以降に衆院で再可決する。
・これに対し、民主党は、暫定税率を廃止し、道路特定財源を早急に一般財源化するよう政府に求めていく方針だ。
と報じている。

[私の意見]
医療制度の根本的な問題

 問題の後期高齢者医療制度には私自身もお世話になっているが、以下に書く様に民主党の言うように廃止だけで済むような簡単なものではないと思う。
 少子高齢化の進展に伴う頭でっかちの人口構造結果、若い人達による高齢者を支える今までの医療制度が破綻しかかっていると言う基本的な問題が全く解決されていないからだ。
 少子高齢化の問題は国民の意識の問題とも絡んでおり非常に難しい問題だが、今までこれと言った取り組みもなく、いつの間にか既成事実として放って置かれた結果が今回の結果になっているのだ。
 基本的に長期的に人口を維持できる水準の出生率は2.07だそうだが、06年には1.32だ。
 これはこの儘で推移すれば、ある所で収斂して落ち着いてくるのか、あるいは日本人が消滅するのか素人には判らないが、いずれにしてもことは大き過ぎると思うのだが、その将来像を示した学者も政治家も誰もいない。
 そしてこの結果が一番響いてくるのが医療福祉制度だ。

保険料を年金から天引きする問題
 攻撃の的になっている行方不明の年金から保険料天引きの問題だが、年金を行方不明にさせたのは、民主党の支持基盤である自治労の人達であり、それを統率すべき高級官僚で、それに頼りきってきたのが自民党だからだ。
 民主党は政府を責めても、肝心の当事者のことは何も言わないし、自民党では公務員制度改革の命を受けた渡辺喜美さんの提案に対して、官僚の意を受けた各省の担当大臣が反対する。
 これでは基本的な問題の年金問題も医療問題も解決には程遠い。

医療福祉制度の財源
 それと逼迫する医療福祉制度の財源として、何らかの形の消費税のアップは避けられないことは皆判っているのに、民主党は無駄を省けば財源をひねり出せると言って消費税のことは何も言わないが、当面必要な財源をどうするかは何も言わない。
 自民党は消費税のことは選挙後の話だと言って国民の信用を落としている。
 彼らは昔の頼り無い社会党が野党第一党と言う、彼らにとって古き良き時代に国民を小馬鹿ににするようなことを言ってもいずれ政権を自党に来ると言う考え方がいまでも無くならないのだ。

自民党と暫定税率
 暫定税率について言えば普通の人達が考えれば、当面の地方財政の混乱を避けるためには、08年度に限ることにして以後廃止を提案すれば、民主党も反対し難いと思うのだが、そのことを明言出来ない福田さんが道路族の人達を制御できないと見られて支持率を落としている原因だろう。

民主党と対案
 一方の民主党も今回の後期高齢者医療制度の反対を言っても、その対案を出ないのは、海上給油反対以来の伝統化しているようだ。
 それで昔のどこかの弱小政党のように、二大政党の一つの民主党にマスコミから何でも反対政党のレッテルを貼られかかっている。
 小沢さんは党幹部に政府が呑み込めないような対案を作れと指示したそうだが、政府から呑まれたら政府を追い詰められないからだろう。
 然し、今回の選挙結果で、事態は民主党にまた少し有利になってきた。
 そろそろ自民党は頼り無いが、民主党はなお一層頼り無いと言わせないような国民を唸らせる様な政策を示す時期になっていると思うのだが。

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長野市の聖火リレーの評価

2008-04-27 11:03:13 | 政策、社会情勢

 心配された長野市の北京五輪の聖火リレーは終わった。
[私の理想と現実]
私の理想

 私は4月12日の聖火りレーの抗議活動

・長野で日本人が聖火をどのように迎えるかに世界のメディアの関心を持たれている。
・聖火リレーは国民がその意志を中国や世界に伝える絶好のチャンスであるのも判る。
 ・然し抗議活動も合法的でなくてはならないしマナー?があると思う。
 ・今こそ日本が中国を含む他の国に整然とした抗議活動のやり方を示すまたとない機会だ。
 ・米国のように暴力を恐れて、コースの変更など止めて規定のルートを走らせよう。
 ・一般の観衆をルートから隔離するなど止めよう。
 ・善意で走る聖火ランナーに無用な心配をかけないようにしよう。
・主な抗議団体が中心となり、警察や長野市とも連携をとって、外国から批判を受けないやり方を検討し、それを周知徹底をしてははどうだろうか。
・私は日本人がその抗議活動で暴力行為や批判的な言動をして、心ない中国のサッカー・フアンや、正義の味方ぶって不法行為をした反捕鯨団体と同列に置かれたくない。
・聖火リレーでの抗議もオリンピックと同様にフェア・プレイの精神で行ってはどうだろうか。
・か聖火リレーへの日本人による抗議活動が世界の模範となるように各種団体に願いたいものだ。
と言う主旨のブログを書いた。

 ところが私が上記のブログを書いたあと日本在留の中国人学生が集合すると言う報道があった。
 私はこれを知って日本人のチベット支援グループと中国人グループの棲み分けを提案、詰まり両グループがそれぞれ離れた場所での活動を提案すべきだと思ったが、思わぬ風邪を引いて、エントリー所でなくなった。

リレーの現実
 現実は出発点の善光寺の辞退はあったが、規定の約18・7キロのコースをリレーが中断することもなく、80人のランナーが走り終えた。
 私はもっとゆるやかなガードを想像していたが、聖火は、約100人の警察官に厳重にガードされて走り、その他約二千人近くの警官が動員されたそうだ。
 これは他国の激しい妨害活動からみて止むを得ない処置であり、実際に6名の逮捕者が出たことから見てもその処置が残念ながら間違っていなかったようだ。
 そして、全体としては大事には至らなかったたが、歓迎派と抗議派の小競り合いもあり、けが人も出たのが残念だった。

中国人グループの人達へ
 私が提案しようと思っていた、両グループの棲み分けができな無かったために、両グループ間の接触からの小競り合いが起こった。
 そして今朝のテレビでは、多分リレーを応援するはずの人が興奮の余りと思うが、中国の旗を掲げてリレーの列に入ろうとして警官達から制止されるのまで見た。

 中国の人達の国を愛する気持ちも判るし、被害者意識のあまり団結して活動したい気持ちも判るが、その活動がネット上で(本人達にとって多分)思わぬ批判を浴びていることに対して、言いたい事もあるだろうが反省することも多いと思う。
 一党独裁の国から自由が有り過ぎて国会が空転する日本の国に来て、両国の良い所、悪い所も知っている筈、中国から伝えられる情報と、日本で聞く情報の差を知っている筈の中国人学生達が、今後、日中両国、双方の利益のためにどうすればよいか考えて貰いたいと思う。

[聖火リレーの評価]
 然し全体として言えば、18.7キロの長い距離と長い走ったり止まったりの時間の間に、あれだけの抗議派、歓迎派、一般の人達に囲まれた中で大過なく終わったことは評価して良いと思う。
 それは一般の人達の平和裡に穏やかに終えて貰いたいと言う希望、日本人の抗議団体の人達の理性に負うことが多いと思う。

  マスコミでは聖火リレーの本質まで疑問を呈している。
   私はそんな難しいことも大切と思うが、これを日本が引き受けた以上、それをいかに上手くやり遂げ゛るのも日本の課題だと思う。

 私は長野聖火リレーでも金メダルを期待したが、あれだけの厳重な警戒態勢と一部の逮捕者が出た事で、いくら贔屓目でもあげられないようだ。
 然し完走賞は間違いなく上げても良い。
 では銀メダルか銅メダルか?
  それは各自の判断で違うと思うが、模範的とは言えなくても、少なくとも世界から批判を浴びることのないリレーに終わったのは間違いないようだ。

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イラク空輸違憲判決について

2008-04-24 16:28:57 | 憲法

 天木 直人さんのブログで名古屋高裁のイラク空輸違憲判断に関連して、護憲勢力が沈黙していることを嘆かれていた。
 私も9条で国が護れるのか
で書いたように、イラクで戦闘に従事している米軍の兵士や機材の輸送は完全な戦争行為だと思う。
 また政府関係者の言うように、バクダット空港の治安が保たれているからそこへ空輸するのは戦争行為ではないと言うが、これは正に小泉さんが言っていた{平和地域への派遣は戦争}ではないと言うのと同じ論理だ。

 然しこの判決についての報道や天木さんのコメントについては首を捻る事が幾つかある。

[高裁判決で考えされられる事]
・他の幾つかのブログでも書かれているが、名古屋高裁が政府側の勝訴として、憲法違反行為かも知れないと言う重要な事項についての最高裁の判断の余地を閉ざしてしまったことは大変残念だ。
・改憲反対者は、自衛隊派遣のときは、戦争に参加するものだと反対していたのに、改憲論議になると9条が日本を平和にさせてくれた と言う。
 明らかな矛盾であり論議のすり替えだ。
・天木さんはこんどの結果から、9条護持の持論進めているが、私は先にかいた「9条で国が護れるのか」を以下に簡単に纏めたように全く反対の憲法の改正が必要だと考えている。

[私の考える戦争行為の例]
・湾岸戦争のときの連合国側へのみへの資金提供
 (戦後の機雷除去は戦争行為ではない。)
・アフガニスタン、イラク戦争の時の自衛隊の後方支援
・イラク戦争の時の自衛隊派遣
 特に現在も続いている米軍用物資などの空輸は完全な戦争行為で当時から首を捻る人達が多かったと思う。
 これは敵方から言えば戦争行為だが、圧倒的な力を持つ連合軍や米軍への支援だから、幸い一人の死者を出さずに済んだだけに過ぎない。

[もし日本が日本独自で護れる軍隊を持っていたら]
 米軍のイラク戦争突入にたいしては、日本国民の大多数は反対していたし、小泉さんも同じ日本人だから、米国が困った事をしてくれたものだと思ったに違いない。
 然し、自目の前に迫っている北朝鮮の脅威に対して米国の協力を確実に得る為に苦渋の決断をした。
 もし日本が日本独自で護れる軍隊を持っていたら、そしてもし下記のように周囲の環境がストレス一杯の国ばかりで無ければ、同じ敗戦国であるドイツのようにもっと違った選択もあったかもしれないし、自衛隊派遣という憲法にも抵触しかねない行為に、国連憲章まで引っ張りだしてまでして、米軍の支援と言う戦争行為をしなくても済んだのだ。
 つまり9条の制約で日本が国を護れるだけの軍隊が無かった為に、心ならずも参戦しなければならなかったのだ。

[戦争行為とはなにか]
 私は中東の一連の自衛隊派遣を戦争行為だと書いたが間違っているかも知れないし、今後、同じ様な事態を起こるかも知れぬ事を考えると、戦争行為とはなにかをはっきり定義して置く必要がある。
 何が戦争行為かはっきりしていなければ、9条の論議など全く意味が無くなってしまう。

[憲法解釈で自衛隊派遣して良いか]
 憲法や国連憲章の解釈で戦争行為に加担することになるかも知れない自衛隊を派遣できるのか。
 今まで日本は、自衛隊の派遣に際しては、度々憲法の解釈を変えてきた。
 そしてそれでも派遣の理由がたたないときは、国連憲章まで持ち出してきた。
 平和憲法を戴く日本が、戦争行為に加担することになるかも知れない自衛隊の派遣をこんなあやふやなことで、決定して良いのか。
 私は、このような重大な問題こそ政権が変わる毎に適当に解釈されないように、憲法にしっかり明記して歯止めをして置くべきだと思う。
 まして、日本の重大な方針を決定するのに、憲法にないからといって国連憲章まで持ち出すなど、独立国として恥ずかしい事だ。

[如何にして日本を護るのか]
 9条問題の基本となる前文には、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
 とあるが、現実は、
・拉致事件と言う国家犯罪を犯したり、武力による恫喝外交をするするなど、公正と信義に信頼出来ない国、
・敗戦のどさくさに紛れて、日本領土を侵犯したままの国、
・基本政策に反日を掲げている国。
・一党独裁党による政治手法、多民族、格差問題など多くのストレスを抱えた国。
など周辺には日本の安全を脅かしそうな国が多くある。

 これは憲法前文で想定した前提と明らかに違っている。
 平和主義は私も賛成だが、憲法で想定していなかった、このような国が出てきた時の日本の対応も憲法で示して置く必要はないだろうか。

[武力行使より外交?]
 護憲論者は外国とのトラブルは外交で全てを解決すべきだという。
 正論だ。
 もし仮に日本が自分で国を護れる武力を持っていたとしても、それは私の言う様に日本が戦争に巻き込まれないための武力であり、紛争は先ずそして最後まで外交に頼るべきだ。
 そして日本はその外交の武器を持っているのだろうか。
 護憲論者はその具体策を提示しなければ国民を納得させられない。
 拉致問題で米国から梯子を外された日本が、今後どのような外交政策を取れと言う現実問題に対する護憲論者の提案を待ちたいものだ。
 またひたすら北朝鮮に謝り倒せと言うのだろうか。

[私の提案]
 私は、憲法は9条を含めて、基本的に現実に合わせて変えた方が良いと思う。
 9条や国防の問題に限って言えば、日本の存亡に関わる深刻な問題だし、日本の政策の持続または変化は米国や周辺国への影響も大きいので、超党派のシンクタンクを設置し、
・本当の意味での戦争に巻き込まれないための武力の強化ほかの手段。
・情報機関の整備などによる外交力の強化
・日本独自のビジョンや理念
などあらゆるケースについて時間をかけて十分に討議し、その結果を国民に周知した後、討議決定すべきだと考えている。


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光市母子殺害事件から学ぶもの

2008-04-23 10:48:05 | 政策、社会情勢

 4月22日に全国的に注目を集めた広島高裁での光市母子殺害事件の判決が出た。
 やりたい放題の弁護士
の安田さんに率いられた21人の弁護団のやりかたに首を捻っていた私も彼らの敗訴の判決に本来なら喜ぶべき所だろうが、一人の被告の死刑がほぼ確実になって今、とてもそんな気にはなれない。
 ただ虚しいだけだ。

 然しこの裁判は多くのことかを私たちに教えてくれた。

[弁護士は被告のために何をしても良いのか]
ルールを護ること

 多くの弁護士は被告のためなら何でもして良いと言うが本当にそれで良いのだろうか。。
・検察の上告を受けての最高裁の公判の当初の予定日に主任弁護人の安田好弘弁護士・足立修一弁護士が取るに足らない理由で欠席して弁論が翌月に遅延したことについて、最高裁からも不誠実な対応であると非難されたし、また世の批判を浴びた。
 いくら弁護士でもルールは護るべきだ。

真実を明らかにすること
・被告の差し戻審での一転した荒唐無稽の供述をそのまま採用して、世間からは被告が弁護団から智恵を付けられたと疑われた。
 昨日のフジテレビの「スーパーニュース」に出演した同弁護団の一人で、団員と度々衝突した後、被告から解任された今枝仁弁護士は、被告の荒唐無稽な証言と現場の状況と考え合わせて、裁判所に納得して貰えるような証言をするよう被告にアドバイスしていたら、ことによると無期で抑えられたかも知れないと言っていた。
 私は弁護人は被告を護るのは勿論だが、被告の立場から見た事件の真実を明らかにする責任もあると思うのだが。

[特定信条を持つ裁判関係者]
 日本は民主主義国だから、法曹関係者でも左翼でも、右翼でも、今回のように死刑廃止論など特定の信条を持つ事は当然許されるべきだと思うが次のような問題もある。
弁護人の選定
・今回の弁護団は21名と言う空前の大弁護団だったこと、そしてその中に死刑廃止論者が多かったことから、被告のとんでもない供述と相まって今回の弁護活動は「死刑廃止運動のために事件を利用しているだけ」と批判をされた。
 それが今回の裁判の敗訴に影響したとは思はないが、もし被告がもっと頭がよければ、そのように裁判官に先入観を与え、自分に不利になるような弁護人を拒否するだろう。
 ベテランの安田さんもそんなこととうに知っている筈だ。
 それでしかも、死刑廃止論者を何故集めたのか。
 やっぱり世の勘繰りが当たっていたのかな。

裁判官の選定
・裁判官の場合も、上司または上級機関が、裁判の内容を見て担当裁判官を選任するのか否か、いやその前にそんな制度があるかどうか知らないが、政治的問題が絡む裁判で良く言われるように、裁判官の名前を見ただけで、裁判の前からもう判決の結果が判るなど言われないようなシステムは作るべきだと思う。
 近頃の裁判の判決がマスコミやネットで批判されることも多いが、裁判所はその信頼を得るためにも、裁判官の選定にあたってはもっと慎重にすべきだと思う。

[精神異常の被告のとり扱い]
精神鑑定の難しさ
 今回も被告の供述のように、犯行時の彼が精神異常状態にあったこと、彼の家庭事情から十代前半程度の幼稚性があることなどが情状酌量の余地を訴えられた。
 何年も前の犯行時の精神異常など判定は素人が考えても専門の医師や学者でも難しい事だと思う。
 だから少し頭の良い被告なら鑑定する医師をごまかそうとする。
 そして弁護人は当然のように自分達に有利な鑑定結果を利用する。
 そして医学の素人の裁判官がその鑑定結果の白か黒かを判定しなければならない。
 
精神異常者開放後の社会の安全の確保
 仮に本当の精神異常で犯行が行われたとして、無罪または短い刑期を過ごして、世の中に出たときの世の中の安全を如何に確保するのだろうか。
 性犯罪の常習者には刑期終了後も、ある程度の行動の制約があるそうだが、殺人犯や殺傷犯は放っていて良いのだろうか。
 世の中に精神異常による犯罪が増えて来ている事、それを理由に罪を逃れようとする人、それを助ける弁護人。

 やはり精神異常の被告のとり扱い何とかしなければいけないと思う。

[被害者にも弁護人]
本村さんの場合

 今回の事件では被害者の夫であり、父である本村洋さんは、9年間に亙り開かれた法廷の全て出席し、同様に妻を殺害された元日本弁護士連合会副会長岡村勲らと共に全国犯罪被害者の会を設立し、幹事に就任した。
 さらに彼の活動が犯罪被害者等基本法の成立に繋がった。。
 また、犯罪被害者の権利確立のために、執筆、講演を通じて活動してきた。
 そして、私たちも裁判の進行とともに大きく成長する彼の姿を見てきた。
 今朝のテレ朝の「スーパーモーニング」でも大沢弁護士が弁護団の被害者側の感情を無視した発言に比して本村さんのバランスの取れた発言を絶賛していた。
 先のフジテレビの「スーパーニュース」でアドバイザー的存在の木村太郎さんも今回の裁判は、裁判官、検事、弁護人とともに被害者家族が参加してきたと言っていた。

普通の人の場合
 然し、本村さんの場合は全くの例外だし、事件も大変異常な事件だからマスコミも逐一取り上げてくれた。。
 多くの被害者の家族は、検事のやり方が拙くても、弁護人が好き勝手なことをやって来ても、何も言えない。
 言いたくても、今回のような異常な犯罪、裁判で無い限りマスコミもとり上げてくれない。
 最近は本村さんのように被害者の家族も裁判も一部参加し、見学も出来るがその余裕もないのが普通だ。
 こんな時に官選の弁護士が彼らについていたら、どれだけ助けになるかも知れない。
 出来れば彼らの裁判への直接参加が一番良いが、出来なければ被害者の代弁者となり、被害保障などの援助などして貰えればどんなに嬉しいことだろう。
 今裁判員制度の導入が問題になっているが、私は被害者にも弁護士を付ける制度の方が先だと思うのだが。

参照:橋下弁護士訴えられる    
       
裁判員制度の導入 

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小泉さんがやってきたこと、またはし残したこと事

2008-04-22 10:10:28 | 福田内閣

 最近の政治の低迷が続く中でまた小泉さんの存在がクローズアップされてきた。
 それで改めて彼のやってきたことを振り返って見たい。

[主な内政](黒字は私の意見)
 参照:Wikipedia 小泉純一郎 

○郵政民営化→成果は関係者の努力次第だ。
○数々の経費削減→膨大な借金返済のため止むを得ないことだが、これが現在の社会環境に大きな影を落としているのも間違いない事だ。
・国債30兆円枠キープ
 国債発行額を30兆円以下に抑制することを公約として掲げたが、達成できたのは2001年度と2006年度予算の2回のみだった。
  800兆もの借金を作った自民党、それを抑えきれなかった野党、どちらも責任を負う姿勢は全くない。
 国債費の約25兆がもし20兆だったら今日本が抱えている問題は直ぐ解決できるのに。
・年金改革
 国民の負担額を増やした。老齢者控除廃止や公的年金等控除の縮小で高齢者の負担分を増やした。
・医療制度改革
  医療制度改革関連法案を国会で可決させ、サラリーマンの医療費負担を2割から3割へ引上げた。70歳以上の高所得者について医療費の窓口負担が2割から現役世代と同じ3割へ上げた。2008年度からは70-74歳で今は1割負担の人も2割負担になる。
 その改革の一つが後期高齢者医療制度で福田さんが攻撃の的になっている。
・介護保険の経費削減
  特別養護老人ホームなど施設入所者の居住費、食費を保険から外した。
・生活保護費や児童扶養手当の削減。
・三位一体の改革として地方交付税の削減、地方への税源移譲。
 (地方への権限移譲の目的であるが事実は地方への交付金の削減→地方の疲弊、地方格差の発生にに繋がっている。)
○銀行の支援
 (バブル崩壊に伴い)公的資金を銀行に貸し付けることで、150兆円にも及ぶ銀行の不良債権処理を行った。
○道路公団民営化
 道路関係四公団の民営化法案成立。
 同法案を通すために道路建設の責任を道路公団から外したのが、現在の道路財源の一般財源化、暫定税率の処理の問題に繋がった。
○構造改革特区により規制緩和を促進。→一部成功したが十分ではない。
○最低資本金制度の特例措置(後に会社法の制定)により1円から企業を立ち上げることを可能にした。

 
[数々の規制緩和](黒字は私の意見)
 参照:Wikipedia 規制緩和 
・金融自由化
  これは小泉さんの責任ではないが、現在の石油、食糧不足に乗じた金融資本の傍若無人な跋扈を許してのだろうか。
 日本企業の良い所を活かし、日本の国益を護るためにも、自由化にも限度があると思う。

・タクシー台数の制限撤廃
  タクシー会社同士の競争が激化した結果、各社の利益率が劇的に低下して運転手の過重労働を招いているとの指摘がある。
・バス運送事業への新規参入の緩和
 労働環境悪化や事故多発の原因となっているとの指摘がある。
・電力自由化→成功
・電気通信事業の開放→成功
・農業への株式会社参入→賛成、成果はこれから
・郵便事業の民間開放→ 成功
労働者派遣事業
  労働者派遣法の緩和により、製造業や医療などにも派遣社員の使用が認められるようになり、以後企業では非正規雇用が急増。偽装請負・ニート・ワーキングプア・ネットカフェ難民など非正規雇用労働者の労働環境悪化を招いているとの指摘がある。
・建築基準検査機関の民間開放
  耐震偽装問題発生で、問題点が指摘された。
・官庁の仕事の一部の競争入札による民営化
  清掃などの一部の業種では企業間の競争激化のため、従業員の給与を法定の最低賃金まで下げる業者が現れ、官庁の仕事をするのに生活補助を受ける人より少ない収入で生活する従業員まで出てきた、NHKの「クローズアップ現代」で指摘している。

[自民党の次の党首は]
 上記の業績を並べて見ると、小泉さんが膨大な借金処理と言う難しい情勢の中でいかに大きな仕事をしたかが判る。
 それで小泉さん待望論が出てくるのは判るような気がする。

 然しその内容はやむを得ない事情もあったと思うが、如何にもその政治手法と同様に荒っぽ過ぎる。
 それが今のように自民党に取って厳しい状況に直面させているのだ。

 今、自民党でも小泉待望論があると言われているそうだが、今、自民党が追い詰められているのは、小泉改革の影の部分の処理だ。
 これは小泉さん本人でなくて、やはり他の人が処理するのが良い様な気がする。
 そうかと言って某テレビでは麻生さんの他に、小池百合子さんの名がでていたが、誰か良い人はいないのかなあ !!??!!。

参照:カテゴリー → 阿部内閣
               福田内閣

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外国人研修生の受入れで日本嫌いを作らないために

2008-04-21 10:26:53 | 企業経営

 昨日のフジテレビで、安藤優子さん司会、レギュラーのゲストの桜井よしこによる「新報道プレミアA」で財団法人国際研修協力機構JITCO(ジツコ)による、外国人研修生・技能実習生の受入れによる開発途上国の人材育成に寄与するプログラムの問題点を報道していた。

[プログラムの背景]
日本側
・従来から国際協力機構(JICA(ジャイカ))による海外の技術者への技術協力のために日本での教育が行われてきた。
 なお私もこれに長い間ボランティアとして参加してきた。
・中国などBrics など新興国
の台頭に伴う日本企業の競争力の相対的低下したこと、
  少子高齢化の進展や、日本人の若者の所謂3K(きつい、汚い、危険)な仕事への忌避などに伴う労働力不足が生じたこと、
 日本政府の技術者以外の定住不許可の方針などの制約、
などの問題
を解決するため考えられたのが、開発途上国の人材育成に寄与と言う名目の、外国人研修生・技能実習生の受入れで(低コスト)で労働力不足を補うプログラムが発足した。

送り出し側
 技能の習得、短期的な仕事探し、割合に良い手当て(番組での例で言えば月2万円の収入が一気に6万円に増える)のメリットがある。

番組の一部の紹介(黒字は私の意見)
・熊本県のトマト農家
 農家の妻をお母さんと呼び、収入の大部分を母国に送金すると言う中国人女性。
 きちんと整備された彼女達の部屋
 そこには研修制度の意義を超越して、外国人も、従業員も皆家族同然に扱う昔ながらの日本人の良さがそのままの形ででていた。
 研修期間終了後は多分涙の別れがあり、二人は親日家として帰国し日本の良い所をアピールしてくれるなど容易に想像できる事だ。
 そして、これこそ日本政府の望む所だ。

・大連市の研修員派遣を取り扱う業者の所に並ぶ希望者の長い列
 研修中途で帰国した人に対する200万円の罰金を徴収する契約の紹介

・日本の或る駅で契約途中で帰国させないでくれと騒ぐ研修員
 何故なら彼らの帰国後に前述の罰金の問題がのしかかってくるからだ。
 渋々僅かの現金を渡す使用者

・研修員たちを支援するNPOの所に支援を要請してくる研修員
 調査の結果判ったのは、残業代として時間当たり300円(割り増し賃金でない),従業員のトイレ時間まで克明に記録し、その長いものに罰金、研修員が逃げられない様にパスポートを使用者が保管
 
これはまるで昔のタコ部屋そのままだ。

 これらをNPOが指摘すると使用者側から突然の研修員との契約破棄。
 理由は経営が成り立たないと言う。
 行きどころを失った研修員を一時的に保護するNPO。
 NPOの人とを含めた研修員達と使用者の団体交渉でやっと和解金支払いに応じる使用者。
 これらのトラブルを経験して帰国した彼らが日本のことを何と言うだろうか。
 結果はこのプログラムが期待した親日家の増加と真反対の結果を産むだけだ。

・これらのトラブルについて中にはこういった問題もあると他人事のように言うJITCOの責任者

[私の意見]
 桜井よし子さんも指摘していたが、このうさん臭い外国人研修生・技能実習生の受入れプログラム自体の建前と目的の背離が諸悪の根源だ。
 しかも送り出し先にも個人企業、受け入れ側の日本にも数々の営利企業が介在してその問題をさらに悪化させている。

トラブル続出の研修制度
 「JITCO」をキーワードで読売新聞を検索したところ、
渡航費、研修生に渡さず 受け入れ…外国人研修生問題 

中国人実習生を不正派遣 
ベトナム研修生、「不当賃金」とトヨタ下請けを提訴 
研修外国人向け保険、天下りの財団・企業が契約独占 
未払い賃金求め中国人実習生が農家など提訴…熊本地裁 
 (
この報道では前記のように同じ熊本県のトマト農家でもうまく行っている所と、訴えられている所もあるのがややこしいところだ。)
の5件ものトラブルを報道されている。

 さらに問題が深刻なのは、
・同じ外国人に対する研修機関でもJICAは現地で開発途上国の現状に常に接しているのに、JITCOは国内の事務所しかなく、完全な天下り機関で浮世離れした運営をしていること、
・この種のトラブルが経団連の主要な地位を何時も占めているトヨタ、ジャスト・イン・タイム等で日本企業の運営のお手本とされているトヨタのお膝元で一番多く発生していること、
・トラブルの内容が使用者側の労働基準法違反、正規賃金の未払い、パスポートの取り上げなど人権に関する問題で日本人としての品性を問われても仕方がないのものが多い、
ことだ。

使用者へ
 私は使用者にも多くの言い分があり、難しい問題もあると思うが、外国人の労働者使う以上、使用者である先に自分は日本人であることの自覚が先決だと思う。
 日本人として恥ずかしくないやり方は何かを考えて貰いたい。
 そうすれば前述のトマト農家の例のように、色々問題が有り過ぎるこの制度でも道を誤らず、多くの日本贔屓の人を増やすと言う制度の最終目的を達成できる筈だ。

経団連へ
 経団連は労働者派遣法や残業代ゼロ法案の提案で国民からすっかり信用をなくしてしまった
 日本の業界をリードする地位にある経団連も難しい立場にあるのは判るが、折角の国の制度で今度は世界から日本の信用を落とす事のないように参加の企業及びその下請けの指導の徹底を図って貰いたいものだ。

参照:カテゴリー → 企業経営

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戦前の学校(2)(高等小学校、(旧制)工業学校)

2008-04-20 13:09:42 | 教育問題

 これは4月11日の昔の学校(1)(当時の環境、尋常小学校)の続きです。
 始めての方で、今頃昔話をする理由や、大戦直前の一般社会の状況、昔の小学校などご興味のあるかたは是非ご一読をお願い致します。

[周囲の環境]
日本全体

 1931年 満州事変→1932年 五・一五事件→1936年→  二・二六事件→1937年 盧溝橋事件発生以後事実上の日中戦争突入→1941年米国に宣戦布告

と日本を取り巻く環境は益々厳しくなって行ったが、下記のように私が工業学校を卒業するまでは、一般の社会環境は現在の日本の社会環境に比べると遥かに平穏無事であった。

社会
 日本全体としては軍国主義化していたが、軍は勿論、国家権力の介入などまったくない状態でも、今より遥かな平和な社会だった。
 強いて言えば、私の想像だが事実上の日中戦争で社会全体に緊張感が溢れており、私の小学校時代よりなお事件の発生が減ったのかもしれない。

子供社会
 農村地帯に転居したのと、大きくなったので近所の子供達と遊ぶ頻度は大幅に減り、母の手伝いで、それこそ山に「柴刈り」に行って大きな薪の束を担いだり、風呂の水汲みをしたり、前の川で泳いだり、兄弟で何時間も歩いて海水浴に行った程度の記憶しかない。

いじめ
 前に書いたように地域は九州男児の気風が残っており、男は男らしく、女は女らしくの考えが子供社会にも浸透しており、開放的な土地柄と相まってイジメなど全くなかった。いた。

我が家
  姉と兄は高等小学校卒業後、就職して給料をそっくりそのまま父母に渡すようになって家計がやや楽になって来だした。(このやり方は私以下の三人の兄弟まで続いた。)

[高等小学校](1936年~1938年)
 尋常小学校と違って高等小学校は街の中心部にあったのと、年頃が反抗期に近づいて居たためか、少しひねた子や柄が余り良くない子が目立つようになった。

学級編成と学力
・尋常小学校の時、男子、女子、男女混合の三クラスだったが、ここでは男女別クラス、そして男女それぞれに進級希望者向けのクラスが特別の設けられた。
  勿論頭が良くて、家に余裕のある生徒は中学校に行くし、進級クラス以外の一般のクラスの生徒の学力もそれなりで、乱読と授業の集中力一本で何とか家の勉強は全くしなくて凌いでいた私に級長のお鉢が廻って来たのに驚いた。
・授業は特殊学科は専任の教師が担当したので、授業意欲を満足させてくれた。
 特に尋常小学校の時ネグられた音楽は学級担当が音楽専門だったので、楽譜の読み方など基礎知識を得られ、今のクラシック・ギターの趣味に多いに役立っている。
 今私どものグループに来ている中学生に訊いて、音楽では楽譜を習ったことがないとの返事に驚いた。
 
なおついでだが、彼にいじめの有無を訊いたがやはり今ではあるそうで、想像はしていたが、昔は全くいじめなど無かった地域でも起こっていることにがっくりきた。

愛国(軍国)教育
・祝祭日の式次第や教育勅語の取り扱いは尋常小学校時代と同じ(工業学校も同じ)。
  国史の教師が熱血派で、こと皇室のことに関しては涙を流さん熱弁を感心して聴いていたが、当時は皇室を敬うなどは当然のことと思っていたのでそれに対して特に影響をうけたとは感じなかった。
  私の担任は音楽の教師だったが、日本人は箸でものを食べるのに外国人はナイフとフォークでしか食べることが出来ないから日本人より文化レベルが低いのだと言った他愛のない話をぼんやり聴いていた記憶がある程度で、特に愛国主義的な教育は受けなかったし、運動会などでは、分列行進など軍隊式の歩き方が取り入れられて居た程度で特に、軍国主義的の教育はなかったような気がする。

部活
  剣道と柔道の二つがあり、他の運動部はなかったような気がする。
  私は身体が早伸びする体質だったので体力を活かせる柔道部に入ったが、大きな身体の朝鮮人の生徒に抑え込まれて、ニンニクの臭さに耐えきれずすぐ「参った」をした記憶がある。

体罰 
 尋常小学校とあまり変わらなかった。

講堂修身
  この学校で特筆すべきなのは「講堂修身」と 言うのがあった。
 学校内で何か問題があると、生徒全員を講堂に集め、関係教師が全て立ち会いの上で、約一時間、教師の何人かが交代で、生徒全員に「気合」を入れるのだ。
 教師は教育に非常に熱心で、弁が立ち、しかも生徒達にも人望がある人が何人か選ばれているようだった。
 そのころ前に書いたように「いじめ」など殆どなかったが、「いじめ」の場合にはこのような処置をとっただろう。
 いじめ側、いじめられ側も特定せずに、全員集めるのだ。
 だから関係者双方の名誉を傷つけずに、思い切ったことをずばずば言い、本人達にもその他の生徒達にも教師の言いたいことを浸透させることが出来るので、イジメ対策に絶好だと思う。
参照: 「いじめ」問題についての纏め 

[旧制工業学校](1938年~1941年(早期卒業))
 高等小学校卒業を間近で某大手企業の工員に就職が内定していたが、ある日親から工業学校に行って見てはと言われた。
 と言うのは姉と兄の給料のお蔭でやっと極貧状態から抜け出してやや家計に余裕が出かかっていたからだろう。
 急のことでろくに勉強もせずに、(余裕があっても恐らく勉強せずに)に受験して甲種工業学校としては受験期日がずれて居たためか、8人に1人と言う難関を何故か通ってしまった。

学級の生徒とそのレベル
・入学して判ったのだが、そして皆さんもそう思われると思うが、いくら難関でも、生徒の中には頭の良い子もいればそんなにも無い子、ひょうきんな子、私の様に無口でどこにいるか判らない様な子、当時の所謂軟派、硬派と言う悪もいることだ。 
・そんな人に成りきれない私たちは彼らのほら混じりの話を興味津々と聴いたものだ。
 ただ言いたいのは硬派の彼らは話では毎日他の学校の生徒との喧嘩に明け暮れてても、決して自校の生徒には手を出さなかった。
 つまり彼らは悪いなりに、弱いものいじめはしないと言うプライドがあつたからだ。

学力
 私の乱読、集中力に頼りきったやり方は工業学校で忽ちボロが出た。
 第一に工業の諸科目は今までの乱読の範疇から全く別次元のものだった。
 それと他の高等小学校の進学クラスの教師は有名な先生で、彼から鍛えられた生徒達の数学の解答をだすスピードが不勉強な私のそれと格段の差があったのだ。
 そのお蔭で一学期の通知表は数学と英語の成績を始め散々だった。
 私は慌てて夏休み中に数学の解答の練習と、英語の勉強をやり直して、やって皆に追いつくことが出来た。
 然し、私はそれで安心してしまい、他の生徒のように所謂、試験のため勉強で徹夜など不勉強の癖がついている私には出来ず、クラスの中程の位置に卒業まで定住してしまった。

愛国(軍国)主義教育
 予備役の陸軍の将校と現役の所謂配属将校が教練と科目の教育に当たった。
 内容は軍隊の歩兵の訓練、諸規則、戦陣訓などの講義と在校中各一回の一日と宿泊での兵営での実習だった

  その他の教師による愛国主義的教育は全く無かった。

部活
 私の学校では剣道と柔道の他に駅伝、陸上、バレーボールなど体操教師の得意種目の部活が行われていた。

体罰
 時々行われた所持品検査で前述の軟派、硬派などから煙草の一部が発見されとき、体操教師から殴られるのを度々目撃した。

トピック
 3年生の時12月8日に全員集合が掛かり、日本が米国に宣戦布告したことが告げられた。
 皆は「これで英語の試験がなくなる」と口々に言って喜んでいるふりをしたが、全員の間に一種の不安と緊張が漂っているのを感じた。
 そして通例の3月卒業を12月に繰り上げられ、2年生、3年生が同時に卒業をし、一気に日本は戦時体制に入った。

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戦後の日本と今の日本

2008-04-18 06:29:10 | 政策、社会情勢

 4月15日のNHKの視点・論点で東京工業大学名誉教授の芳賀 綏さんが「『3丁目』から半世紀」と題してNHKの番組らしくないユニークな持論を展開していた。
 多分聞き漏らした方も多いと思うので概略を紹介する。

簡素、質素、慎ましい、人情の温もりがあった時代
・『3丁目の夕日』という言葉が広まった。あの『3丁目の夕日』に描かれたのは、ちょうど50年前で昭和33年の日本だ。
 あの頃は、まだ日本はシンプルな社会で、世の中に集中力があった。熱気があって活気があった。大相撲では栃錦・若乃花の栃若時代。プロ野球では、鉄腕稲尾投手の大活躍、新人長嶋茂雄との対決も見られた。
・このような盛り上がった時代にも行き過ぎもあった。冷戦で米ソ対立、日本にも色濃くその影が落とされていた。
・熱気過剰なそのあの頃は、同時にハングリーの時代で、人々の暮らしはまだ戦前のままだった。簡素、質素、慎ましい飽食に関係がない。人情の温もりは江戸時代につながっているとさえ感じられた。携帯もなかった、インターネットもなかった、だから人と人とが、もうじかに触れ合い結びついていた。

経済の発展と風格なき社会の発生
・あの頃から高度成長は始まっていたが、人々は実感しなかった。昭和元禄なんて全然予想しにかった。GNPという言葉が知られるようになったのは、まだ、昭和35年の後半になってからであります。 
 33年にビジネス特急こだまが走って東海道線に、東京・大阪日帰りが可能になり、39年になると新幹線の開通だ。世の中は唸りを上げてスピードの時代、大量生産、大量消費の世の中になりった。そして同時に環境破壊も進んだ。たちまち超経済大国にのし上がった。
・当事の為政者たちは、高度成長は「衣食足りて礼節を知る」ためであると説明したが、結果は、礼節を知らない飽食の時代になった。昭和45年に大阪万博の前後に時の佐藤栄作総理大臣が、「風格ある社会をつくろう」と呼びかけたがこれは空振りに終わり、国民は関心を示さなかった。
・右肩上がりの繁栄の裏側に、風格なき社会ができた。精神的落ち込み、冷え込みが進んだ。世の中は豊かになったのにけだるくなった。シラケの時代、無関心の時代、心の張りがなくなった集中力・求心力のない社会になった。
 社会学者デュルケムが、これを「アノミー」と言った。つまり基準が緩んで筋目もけじめもなくなった混沌状態だ。社会的アノミー、そして、心理的アノミー、人々に無力感、孤独感が漂うようになった。なんと衣食足りたのに生き甲斐を求める自分探しをしなきゃならん、こういう心理状態になってしまった。

価値観の液状化と無脊椎社会、国家
・価値観の多様化ということが、言われたが、私はこの価値観の多様化というのは、聞けば恰好いいけれど、眉唾ものだとずーっと思っていた。多様化ならいいが、価値観の液状化だ。崩れてしまったのだ。だから、社会も国家も軸を失った。背骨のない社会、国家になった、つまり無脊椎社会、無脊椎国家だ。
・だから外国からも、日本の発するメッセージがはっきりしない、毅然としていない、顔の見えない日本、などと言われるようになって、経済大国でありながら尊敬されない日本人という情けないことになった。

人の心は金で買える?
・『3丁目』の人々を省みると、今から見ればダサイ恰好をしている。高学歴化のまだ前で知識も情報も乏しい。今のほうが何か人々があか抜けし、小ぎれいになった。これは進化したのかもしれない。
・ところが、小ぎれいになった裏側で、今の日本人は精神的に薄汚れたと思う。何故なら、「人の心は金で買える」などというこういう思想が、公然と言われるようになった。「たしなみ」が消えた。高学歴、無教養社会、これを象徴する発言であり思想であると思う。
 50年前の『3丁目』の人たちはね、仮に万一人の心は金で買えると、ちらっと思ったとしても、口にはできなかった。それはたしなみがあった、口で、みんな恥を知っていた。恥を知っていれば、そんな精神をおおっぴらに言えるものではない。
・一人や二人の人物が突出したというのならまだしも、私が驚いたのは、ある学校の小学校6年生が卒業文集にわれもわれもと、「人の心を金で買うような英雄になりたい、人物になりたい」と書いたんだそうです。なお驚いたのは、校長以下教員もそれを疑問と思わないで文集ができてしまった。
 これはある事情で回収されたけれど、こういうことに小学生まで憧れるということになると、これは一億の精神総崩れだ、総崩れになるなんて『3丁目』の人々は思わなかっただろう。『3丁目』の人たちが見たら、50年後の日本人に驚きあきれ、嘆くだろうと思う。

[私の意見]
 原文を見て頂ければ判るが、テレビで聴いた芳賀さんの口調は悲憤慷慨といった感じで、まさに私たち戦前派や戦中派の「昔は良かった」、「今の若い者は」と言うのに良く似ていた。
 私は「礼節を知らない」「シラケ」「無関心」「精神的に薄汚れた」人達は今でも少数だと思うし、「人の心は金で買える」など言う人はさらに少ないと思う。
 同じことを書いた小学6年生の学校も余程変わった教師がいて、それに感化されたのだと思いたい。
 然し「顔の見えない日本人」と言われるのは今のビジョンも、独自の価値観を持たない多くの政治家の責任だと思う。
 それと芳賀さんの言う、無脊椎社会、無脊椎国家はまさに今の日本が考えなければいけない事だと思う。

 芳賀さんの言う様に価値観が多様化→液状化したのは、戦後の民主主義、権利意識の考え方の導入で、日本古来からの価値観の良い所や芳賀さんの言う慎ましさ、コミュニティーの温もり、恥を知るなど美風まで軽視してしまったところから来ていると思う。
 そして、市場経済主義や経済のグローバル化に伴う金儲け一本槍、無国籍的な日本人が増えてきたことだ。

 グローバル化と言っても、外国の人達は日本人を日本人としか見てくれない。
 私達は日本古来からの良い所と戦後導入された民主主義などの良い所を組み合わせて、日本独特のそして、世界から尊敬される考え方を持った日本人になりたいものだ。

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後期高齢者医療制度の本当の問題点

2008-04-17 12:31:19 | 少子高齢化

 現在、後期高齢者医療制度について、後期高齢者の名前が悪いとか、年金問題が盛んに言われている時にその保険料が年金から天引きされるとか、高齢者の生活を圧迫されるとか、保険証が届かないなどの多くの問題がマスコミを賑わせている。

[後期高齢者医療制度の基本的な問題点]
 然しこの制度の発想の原点は、増え続ける高齢者の医療費を削減するために、医療制度を合理化しようとしたことと、それが現実とかけ離れていることだ。
療養ベッド数の縮小
・長期療養者のためのベッド数を減らして、介護施設にいれるか自宅療養させよう。
 問題点:
  現在既に、長期療養者のための医療費削減で、大病院で最初の処置を終えた人が追い出されて、他の病院でたらい回しにされている。
 介護施設に入れて貰うのに順番待ちの状態だ。
 それで多くの人達が老老介護で手を取られているが、この傾向は悪化するばかりだ。

かかりつけ医制度
・今まで所謂乱診乱療の弊害を防ぐために、地域ごとにかかりつけ医を決め、そこで一纏めに治療することで今までの各病院バラバラにしかもダブってやっていた検査、投薬の弊害を抑える。
問題点:
 この発想は良いが、その医療費を一括して6千円と決めてしまったことだ。
 これに対して、個々の症状に応じた検査や治療しようとする、良心的な医者も否応なく手を抜くしかない。

後期高齢者医療広域連合の問題
・新制度は後期高齢者医療広域連が主体で運営する。
問題点:
 手持ちの予算が限られている、同連合が地域の実情にあった運営と、それに伴う保険料を決めようとしても、限度が限られている。
 それで高齢化が進んだ地域(詰まり、後期高齢者医療制度のより必要な地域)程、保険料が高くなり、そして高齢者への治療がおろそかになるのが眼に見えている。

若い人達の後期高齢者支援 
・後期高齢者への医療給付は、後期高齢者自身の保険料で1割、その他の医療保険者つまり若い人達から「後期高齢者支援金」として4割、そして残りの5割を国や県・市町村からの「公費」として、まかなう仕組みになっています。
問題点:
 今後確実に増えると予想される後期高齢者の絶対数が増えた時、その医療費用を公費、若者、老齢者のいずれが負担するか問題になる。
 特に団塊の世代の人達がしたがって、今後、後期高齢者医療制度の該当者になったとき、医療費自体の増加の問題と、年金問題と同様に、頭でっかちの高齢者の医療費を少ない若者が支援するなど、問題が大きくクローズ・アップするのは間違いない。

[問題点の基本的な問題点]
 私は14日の 後期高齢者医療制度について
でこの制度のお世話になる立場から制度の問題点を書いてきた。
 そして、この制度の基本的な問題点は、政府が誰でもが判っている少子高齢化の進行と、それに伴う問題点の発生について、事実上無為無策のまま解決を先送りにしたことだと書いた。

民主主義国家の制約
  少子高齢化の問題は言うのは易いが、解決は非常に難しい問題だ。
 これが戦時中なら「産めよ増やせよ」と国民に発破をかけることが出来る。
 中国のように一党独裁国家なら、人口の増加を防ぐために一人っ子政策を進めることきが出来る。
 同じ一党独裁国家のシンガポールは政府や企業の幹部クラスの女性の子供に進学校への優先入学権を与える事で、優秀な母親が優秀な子供を産ませようとしている。

 然し、何よりも国民の意志を尊重し、国民全てに公平であるべきとする民主主義の国である日本はこんなことは絶対に出来ない。
 だから専業主婦にも、キャリヤー・ウーマンにも不公平にならない様、乏しい予算の中から恐る恐る託児所などの設備を作り、他の人とのバランスを考えながら育児休暇を作る。
 年金でも健康保険でもそうだが、若い人達が高齢者を支えるのだからと、子供の数に応じて、掛け金とか保険料を安くしたり、喫煙による病気の発生や悪化により医療費がかさむことが判っても、他国のように喫煙者に健康保険料を増やすことも出来ない。

国民の意識
 少し資料が古いが、13年に世田谷区が行った男女共同参画に関する区民意識・実態調査報告書
によると
少子化の原因(複数回答)として、
・経済的負担が大きいが女性が 42.9, 男性が 51.8 は判るが、
子育てより自分達の生活を楽しみたいが 42.9 と 48.6 で、
・保育施設、育児休暇が整っていないの 26.5 と 18.6 を大幅に上回っている。
 これでは、前に書いた託児所などの設備、育児休暇など少子化対策としてやらなくてはいけないが、その効果があまりないことが判る。

 少子化が問題になって居たとき、ある批評家が国民がそう考えているのだからそれで良いのだと呆れた発言をしていた。
 そして少子化の結果が今の年金や後期高齢者医療に大きな影を落としているのだ。
 そして、今の団塊の世代が後期高齢者の仲間入するとき、消費税のアップとか福祉税など創設をしない限り破滅的な状況になるのは眼に見えている。
 小泉さんは 800兆の赤字を埋めるために、医療制度にもメスを入れた。
 然し、消費税や少子高齢化などには殆ど手を着けなかった。

シンクタンクの設置 
 私は、日本が抱えている大きな問題、例えば、石油資源枯渇の問題、米国にこのまま依存して行くのか、800兆の負債、丸呑みのアメリカ型市場経済について基本的に研究するシンクタンクの設立を提案してきた。。
 そしてその中にも少子化の問題も含めてきた。

 問題は若い人達の意識を如何に変えて行くかという、民主主義国家では難しいが避けて通れない問題だ。
 小泉さんの様に、規制改革は進めるが、後は自己責任では済まされない問題だ。

  前にも書いたが、日本の出生率は2006年には1.32になっていいる。
 この数値は長期的に人口を維持できる水準の2.07より遥かに低く、人口減少、高齢化の促進につながると言われている。
  これは今までの政府が目指してきた経済の拡大どころか縮小、外国人労働者の輸入に伴う社会格差の発生など少子化から派生する問題が大き過ぎる。

  経済学者はこれからは輸出より国内消費の増加を目指すべきだと言うが、少子化はその縮小に繋がるものだ。

  日本は当面の高齢者医療制度の円滑な推進とともに基本的な少子化の問題もじっくり取り組んで貰いたいものだ。

参照:日本経済と社会問題の見直し 
       
その場凌ぎの政治から抜け出すために 

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世論調査を読む

2008-04-16 10:39:28 | 教育問題

  昨日の読売新聞は4月12日~13日に行った世論調査の結果を報道した。(括弧内は前月の数字、黒字は私の意見)

Q.あなたは、福田内閣を、支持しますか、支持しませんか。
 答え 支持する 33.9(30.0)  2.支持しない 54.0(58.4) 

Q.あなたが支持しない理由を、2つまであげて下さい。
 答え 政治姿勢が評価できない      47.8(46.2)
    安定感がない             26.8(34.8)
    首相が信頼できない         23.4(24.9)
    経済政策が期待できない      37.9(35.6)
 上の二問を併せて考えれば、道路特定財源をの一般財源化の提案で福田さんの評価は上がったが、それに対する道路族中心の反発が福田さんの党内の不安定化を浮き彫りにさせたことになったようだ。

Q.あなたは、日本銀行の総裁が空席となる事態が続いた責任は、政府・与党と、野党
の、どちらが大きいと思いますか。
 答え 1.政府・与党 24.8 2.野党 25.4  3.どちらも同じ 43.7

      
 前回の「日本銀行の新しい総裁の人事をめぐる民主党の対応の評価で、大いにまたは多少は評価する  25.4、 全くまたはあまり評価しない 59.4 の数字と矛盾した数字が でている。
 日銀総裁がサミットぎりぎりで決まってまあ良かったと言う国民の反応がこの数字となったのかも知れない。

Q.福田首相は、来年度から、道路整備に使われてきたガソリン税などの道路特定財源を、使い道を限定しない一般財源とすることなどを提案しました。民主党の小沢代表は、今年度からの一般財源化と暫定税率の廃止を主張して、首相の提案を拒否しました。

S1 あなたは、この問題で、福田首相は、指導力を発揮したと思いますか、そうは思
いませんか。
 答え どちらかといえばそう思う、そう思う 23.1 
         どちらかといえばそうは思わない    72.1
 そう思わないの数字は、前記の福田さんの提案に対する党内の反発を制御しきれずにいることを示してしてる。
 これは私の何時も言う自民党が野党に転落するかも知れないと言う党内の危機感の無さが福田さんの低評価に繋がっているのだ。

S2 あなたは、この問題に対する小沢代表の対応を、評価しますか、評価しませんか。
 答え 大いにまたは多少は評価する  31.1   
     全くまたはあまり評価しない    62.4

 下記の暫定税率の点では民主党としては有利な方向を向いているが、国民は小沢さんのやり方に次期首相としての不安を抱いているのがこの数字だと思う。

Q あなたは、暫定税率の復活に、賛成ですか、反対ですか。
 答え 1.賛成 29.5   2.反対 60.8  

Q あなたは、ガソリン税などの道路特定財源を、使い道を限定しない一般財源とする
ことに、賛成ですか、反対ですか。
 答え 1.賛成 62.8   2.反対 26.7 
  

Q あなたは、ガソリン税の暫定税率について、今後はどうするのがよいと思いますか。
 答え 1.暫定税率を続け、道路整備に使う      8.7
      2.暫定税率を続け、幅広い目的に使う  42.0  
      3.暫定税率を廃止する              40.2 
 
 上記三問に対する解答は明らかに矛盾している。
 暫定税率復活反対が 60.8%もあるのに暫定税率を道路目的や幅広い目的で使うと答えた数字が 50.7% なっている。
   これは質問の仕方が悪かったのと思うが、私なりに意訳すると、暫定税率分の税収はなんらかの形で維持し、それを道路や一般財源につかったらと言うのだろう。

Q 年金の記録漏れ問題に対する政府の対応を、全体として、評価します
か、評価しませんか。
 答え 1.大いにまたは評価する         34.9
           2..全くまたはあまり評価しない 62.7
Q 年金の記録漏れ問題で、舛添大臣は、責任を取って、辞任すべきだと思いますか、辞任する必要はないと思いますか。
 答え 1.辞任すべきだ 11.8   2.辞任する必要はない 84.1
 前二問の意味は、今までの社保庁のやり方が如何に杜撰であったか、これに対して升添さんが孤軍奮闘しているように、国民の眼に写っているのだろう。
 民主党が升添さんの問責決議案をちらつかせるだけで、出さないのはそれが自党の評価の低下に繋がらないかを恐れているのだろう。

 いずれにしてもいつもの私の「ぼやき」だが、福田さんも頼り無いし、そうかと言って小沢さんも首相になれば、きっと何らかの政治的混乱が起こりそうな気がする。
 小泉さんの話も出ているようだが、小泉路線の残した影の部分の年金、介護、後期高齢者医療から派生した問題の後始末などで自民党が危機に陥っている今、米国一辺倒の小泉さんでもあるまいし、私と同県人の麻生さんも人気があるが人が良過ぎるし、誰かよい人はいないのだろうか。

 あと残る希望は限りなく可能性の少ない「ねじれ国会」解消のための参議院の改革の実現か、ひょっとすればひょっとして出てくるかも知れない政界再編だけとは情けない限りだ。

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ビラ配りの最高裁判決とNHK

2008-04-15 07:39:58 | 情報、マスコミ

 昨日午睡から眼を醒ましたときNHKの「暮らしの中のニュース解説」 で、「ビラ配りで刑事罰は妥当か」の解説をやっていた。
 それを聞いて首を捻るところがあったので紹介する。(青字は解説、黒字は私の意見)

概要
・自衛隊員が住む官舎で、自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配った市民グループのメンバー3人に、最高裁判所で有罪判決が出た。
・市民グループのメンバーが、ビラを配るために自衛隊の官舎に立ち入ったことが、住居侵入の罪に問われた。
・メンバー表現の自由を保障した憲法に違反すると訴えたが、最高裁は「刑罰を科しても、憲法には違反しない」とした。

 報道の「表現の自由は無制限に保障されるものではなく、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない」と言う最高裁の判決の理由については解説では全く触れていない。

・国の政策に反対する立場の人たちが摘発されたケースが他にもあるので、自分の意見を言いづらい社会にならないか、ということも考えさせられる判決だった。

経過
 ビラの内容には暴力行為をあおるものでは無かった。
 このような当たり前のことが無罪の証拠になるのか。
 フェンスで囲まれていたが、門や扉はなかった。
 この人たちがビラを配り始めたので、禁止の表示が出た。
 禁止の表示が出た後にビラを配った時は、住んでいる人が出てきて、ビラを入れないよう注意した。
 ビラには、団体名や電話番号、メールアドレスが書いてあったので、メンバーたちは、ビラの配布を禁止するなら、個人的な注意ではなく、正式な抗議が来るはずだと考えたが、抗議がなかったので、1ヶ月後にもう一度ビラを入れたので逮捕された。

 正式の抗議が無かったので、ビラを入れても良いと言うのは完全に被告側に立った弁護士が良く使う屁理屈だ。

 一身判決では、 表現の自由はとても大切なもので、正式な抗議や警告もなくいきなり検挙することには疑問があり、刑罰を科すほど違法なことではないと判断した。
 最高裁は、官舎を管理している人の意思に反して立ち入ったことは明らかで、被害届も出ていると指摘した。

[解説者の意見]
 裁判で問われたのは、表現の内容を処罰すべきかどうかではなく、表現の手段が妥当かどうかだと言っています。
 判決は、あくまで個別のケースに対する判断ではあるが、実際には、アパートやマンションへのビラ配りを広く尻込みさせないか心配される。

 解説者の個別のケースの判断についての説明は全くなくて、その判決の結果を拡大解釈している。
 後記のような判決の理由を詳しく説明もしくは批判すべきだった。
 判決は、関係者以外立ち入り禁止の表示や、被害届が出ていたことを指摘しているが、立ち入り禁止の張り紙はどこにでもあるし、被害届が出ているかどうかは、配る側にはわからない。
 立ち入り禁止が出た本当の理由は被告側は十分に承知している筈だし、被害届を出した事を禁止を無視した人に告げるなど常識では考えられない。
 これも完全に被告側の立場に立った解説だ。
 それに、立川のケース以降、政治的なビラ配りが摘発されるケースが続いている。
 その一方は飲食店のチラシ、宗教の勧誘をするケース、自衛官募集のチラシが配られても逮捕されない。
 ビラを入れられて迷惑だとか、知らない人がアパートなどの敷地に入ってきたら不安だ、と感じるのは自然だが、逮捕、刑事罰、というのとは、かなり開きがあるわけで、捜査は慎重であるべきだ。
 どのような場合にビラ配りが認められ、どのような場合はやりすぎだとして摘発するべきか、警察の考え次第というのも困る。
 警察は住人の告発で始めて動くので、ただでさえ忙しい警察が自身が自発的に動くなどは昔の特高警察時代の話だ。

 国の政策は、放っておいても耳に入って来るので、表現の自由は、少数意見にこそ重要で、その意見に賛成か反対かとは別問題だ。
 本来、認められるはずの表現方法まで萎縮しないように、色んな意見を自由に言えることは、暮らしやすい社会のために大事なことだ。

 言論の自由は不特定多数の人達には良いとしても、少なくとも相手の個人に迷惑をかけないのが前提だ。

 これに対する最高裁の判決は読売新聞の報道によると、
 判決は、「承諾なく官舎に立ち入り、居住者の私生活の平穏を侵害した」、「表現の自由は無制限に保障されるものではなく、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない」と指摘。官舎側が立ち入り禁止の表示板を設置したり、ビラ配布の度に警察に被害届を出したりしていたことから、「立ち入りは管理者の意思に反していたのは明らか」とし、「表現の自由のためでも、管理者の意思に反し集合住宅に立ち入るのは私生活の平穏を侵害し、罪に問える」と述べた。
だそうで、NHKの解説者の説明と可なり相違があるようだ。

[私の意見]
 私は法律は全くの素人で判らないが、今回の最高裁の判決が示した最大の問題点は、自衛隊派遣の反対者がそのビラを当事者とその家族が住むアパートに配ったことだと思う。

 自衛隊員はその意志に関わらず、また一部勢力の反対の意見もある中で、国の命令で命の危険を承知で派遣された。
 不幸な事だが、彼らは昔と違って全ての国民から万歳で送られることなく、ひっそりと派遣されるという、気の毒な立場だ。
 反戦のビラを見たときの、命をかけて派遣される責任ある立場の自衛隊員やその人達を送り出す家族の心情を、ビラを配った無責任な人達や、命も地位も安全を保証されているNHKの解説者は理解しているのだろうか。
 それかと言っていくらなんと言われても彼らやその家族はその立場上反論することは出来ない。
 その人達が反戦ビラを見ても何も言えない苦痛は察するに余りある。
 このような人に苦痛を与えてまで、言論の自由が許されるのだろうか。
 
そこを最高裁は考慮して今回の判決となったのだと思う。

 それでは何故反戦グループは自衛隊のアパートにわざわざビラを配ったのだろうか。
 自衛隊員やその家族に厭戦ムードを拡げるためか、ビラを見た住人から何らかの反応を見て、それをまた攻撃材料に使うためか、それとも単なる嫌がらせか。
  そんなことで言論の自由を錦の御旗として何をしても良いのだろうか。

[NHKへ]
 ネット上ではNHK攻撃の書き込みが目立つ。
 中には反日とレッテルを貼る人もいる。
 然しNHKが民放に比して、多くの有益な番組があることを知っている私はNHKの存在価値を認める立場だ。

 然し、今回の解説者のように、政府などの権力を批判するのを進歩的と勘違いして、今回のように最高裁の判決を批判する姿勢を貫いて、国民に誤解を与えるのだけは、国民の受信料で成り立っているNHKとしては是非避けるべきだ。
 そして、解説者はあくまでも中立的な立場で、公平な解説をして貰いたいものだ。

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後期高齢者医療制度について

2008-04-14 12:29:57 | 少子高齢化

 今、後期高齢者医療制度がマスコミを賑わせている。
 私も、家内もこの制度のお世話になっているので当事者の立場からこの問題を考えてみた。

後期高齢者の名前
  「次はお前だと言うよう後期高齢者」
 私たちの年代になれば、心のどこかに来るべき「死」について何時も存在している。
 そんな人が後期高齢者と言われて、どう思うかなど今の厚生労働省の現役の人達はなど考えもしなかったのだろう。

広報
 まず政府から「4月からスタート後期高齢者医療制度」のチラシが廻ってきた。
 それにはQあんどA式で説明があったがその中の問題の点を書いてみる。

一枚きりの保険証
Q.だれを対象とした制度ですか。
A.75歳以上の方全員が対象となり、全ての方に新たな保険証が交付されます。
とあり保険証の見本が出ていたが、新しいのは「従来と違って一枚きりだ」と言う記載が何も無かったので、可なりの人達が貰ってもたんなる見本と思って捨てたのに違いない。

保険料
Q.保険料はどのようにして決まるのですか。
A.所得に応じて決まります。
とあり保険料=均等割額+所得割額の公式が出ていたが、その説明が出でない。

 これを見て私もそうだったが、対象の老人はどうせ後からもう少し詳しいものが出るに違いないと思って読み捨てた人も多かったに違いない。

 それから暫くして、「後期高齢者医療重要書類在中」という書類が市から届いた。
その内容は
 「あなたは後期高齢者医療にの適用に該当しますので、被保険者証を交付します。
 詳しくは同封のパンフレットをご覧下さい」
とあり、別の一枚の紙に政府の広報誌と同様の保険者証が切り取り線付きで印刷されており、大切に保管して下さい言う注記がついていた。
 ここでも今までの保険証とは全く違うので注意くらいの説明があれば間違いが起こらなかったと思う。
 私がこれが新しい保険証だと気がついたのは、上記のパンフレットにの保険証の欄に、これまで医療機関に提示していた「保険証」と「老人保険医療受給者証」の2枚から、新しい保険証の1枚だけになります。と赤字で書いてあったのを見たからだ。

保険料
 保険料の算定の所で詳しい計算式と計算例がついていたが、基礎控除、公的年金等控除などの述語があり、元技術者の私でも正確な数字は推定によるしか無かった。
 これでは数字とは余り関係のない仕事をしていた老人など計算して見ようとも思いもしなかっただろう。
 今まで被扶養者だった家内の保険料の軽減処置の項目を読む内に今までの国民健康保険の被扶養者には該当しないと小さい字で書いてあるのにやっと気づいた有り様だ。

 それから暫くして家内と私に「後期高齢者医療保険仮徴収額通知書」(年金天引き)が届き、やっと二人の保険料が判ったが、これも説明は無いが「仮」とあるので、正式には未だ決まっていないのだろう。

 この結果、詰まり私と家内の保険料と、と今までの保険料を計算してみると、改正前と余り変わりのないことが判った。
 このことから、厚生労働省は私のような平均的な大企業の退職者を基準として新保険料の算式を作ったのかも知れないが、全ての業種の人達に適当であるか否かは疑問で、新保険料で論議を読んでいるのは当然だ。

 この保険料で無理の出てくる人達に対しては今後は当然修正されるべきだし、また厚労省も検討するだろうと思う。

[後期高齢者医療制度の問題点]
 フジテレビの「報道-2001」民主党の蓮舫さんが、後期高齢者医療制度問題の討議の中で、新保険証不着などの問題は単なる事務手続きなどのミスで、老人医療については他に大きな問題があると指摘していた。
 そして同番組では蓮舫さんの意見に併せたように、後期高齢者問題に続き、低賃金で働く人達の離職、人員不足の問題を特集していた。

 私は老人中心のボランティア団体で、多くの人達が Windows、Word, Excelなどのマニュアルも見もしないまま、人に教えて貰いながら、いつの間にか何となくパソコンを扱って仕事をこなして来たのを見てきた。
 後期高齢者医療制度も全く同じで、多くの年寄りが広報など殆ど見ずにいつのまにか慣れて来るし不都合な点は修正されて来ると思うので、マスコミが年寄りの命が危ないと言わんばかりの大事になることはないと思う。

それより問題なのはつぎのような余り論議されない問題の解決だ。

[老人医療、介護の基本的な問題]
老人医療、介護予算の増加

 平成19年度一般会計歳出歳入の内訳(予算)を見ると、社会補償費と、国債費がそれぞれ全体の歳出の約25%を占め、併せると全体の50%を占めていることだ。
 詰まりこれらは絶対必要だが、少なくとも前向きの予算ではないことだ。
 これでは日本が前向きの財政支出を進めて、歳入の増加を図り、将来団塊の世代の人達の老人医療や介護費用の増加に対応出来ないことだ。

老人の健康増進による医療費の削減
 医療費の削減で直ぐ考えつくのは、老人の健康増進や、体力の維持、さらに進んでは老人の労働力の活用だ。
 さらに簡単なのは喫煙者への保険料増額だが、何故か日本では全く論議されない。
 その代わり、老人の健康問題では中年の人達へのメタボリック・シンドロームの弊害などの啓発活動が進められている。

 これは私のブログの中高年の方へ(設備と人体の健康)で、私の専門だった設備管理の経験から定年以後の健康を護るためには現役ばりばりの中年時代からの健康管理が必要だと書いたのと同じ主旨だ。

少子化問題の解決
 保険制度の基本は昔は若い人達がその収入で、家の年寄りを扶養または仕送りなで高齢者の生活を支え、その医療費を支出したきたのを、社会構造の変化に伴い、年金、健康保険、老人介護を国家ではに進めようと言うのだそうだ。
 然し、高齢者を支えるべき少子化問題の解決は遅々として進まないか、停滞状況だ。
 このままの人口構成が進めば、前に書いたように団塊の世代が老人医療の対象になる頃は完全に頭でっかちになってしまう。
 このままでは日本の健康保険、老人介護の体制は破綻することが眼に見えている。

旗を振れない政府
 然し、国家としてこれを進めるのは昔の軍国主義のトラウマから政府が旗を振れずに、唯国民の意識の改革を待つしかない。
 健康管理の問題で言えば、彼らは企業や官庁では中心的存在だ。
 それで彼らに仕事ばかり考えずに、自分自身の身体のことを考えろと言っても、彼らの自発的な意識の変更に期待するしかない。

 若い人達は、結婚も出産も自分の都合で決めるそうだ。
 そして世の中もそれを当然と思う人達と、仕方がないと思う人達が多いようだ。
 そんな若い人達の意識をどうして変えれば良いのか、その為の国としての投資をどうするのか殆ど論議されていない。
 そして出生率は2006年には1.32になっていいる。
 この数値は長期的に人口を維持できる水準の2.07より遥かに低く、人口減少、高齢化の促進につながると言われている。

 そして、日本の老人の医療、介護問題は悪化の一途を辿るるのだろうか。

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聖火リレーでの抗議活動

2008-04-12 05:18:53 | 政策、社会情勢

 北京五輪聖火リレーはロンドン、パリで抗議運動に遭ってきた。
 米国のサンフランシスコでは直前にルートを変更する奇策で抗議運動をやっと交わす有り様だ。

 これに対して、米国訪問の途中で、日本に立ち寄ったダライ・ラマさんは記者会見
で、「聖火リレーの暴力による妨害は絶対にいけない」と言った。

 一方、日本でも11日の読売新聞によると
・警察庁は、長野市で今月26日に行われるリレーの警備態勢を増強する。
・過激な活動家の入国を制限するため、過去に逮捕歴がある人物の入国を認めない。
・長野県警約500人と、民間の警備員ら約1000人で沿道を警備する。
・さらに海外の活動家のほか、右翼の街宣や人権団体の集会も予想し、管区機動隊など応援部隊を派遣し、ランナーに機動隊員を伴走させる。
などの厳重な警備を敷く検討を始めた。

そうだ。

[日本に対する抗議や嫌がらせ]
 私たちは日本に対する抗議活動や嫌がらせとして最近次のような嫌な経験をしてきた。
 中国の瀋陽で行われたサッカーの22歳以下4カ国大会で、日本-中国の試合後、中国人ファンの一部が日本人ファンに罵声を浴びせる。
 重慶でのサッカーの東アジア選手権の日本-北朝鮮戦では日本選手入場や君が代の時のブーイング、日本選手の交代時に悪態をつくなど何度もトラブルがあり、中国の観衆のマナーの悪さに中国当局もオリンピックを控えて頭を痛めているそうだ。

 公海上で米環境保護団体「シー・シェパード」の抗議船から何人かが調査捕鯨船団の母船「日新丸」に侵入したり、約1時間にわたって異臭を発する酪酸入りの瓶や白い粉が入った袋計100個以上を投げこみ3人が怪我をするなどの妨害を受けた。

[中国に対する抗議]
 今度は世界の注目を浴びて長野に聖火が入って来る。
 そして日本人が聖火をどのように迎えるかに世界のメディアの関心を持たれている。

 私も中国政府のチベットに対する非人道的と言われる扱いには反対だ。
 そして聖火リレーは国民がその意志を中国や世界に伝える絶好のチャンスであるのも判る。
 日本は中国と違って言論は自由の国だ。
 然し抗議活動も合法的でなくてはならないしマナー?があると思う。
 ダライ・ラマさんが言うようにいかなる時でも暴力は絶対慎まなければならないのも当然だ。
 今こそ日本が中国を含む他の国に整然とした抗議活動のやり方を示すまたとない機会だ。
 米国のように暴力を恐れて、コースの変更など止めて規定のルートを走らせよう。
 一般の観衆をルートから隔離するなど止めよう。
 善意で走る聖火ランナーに無用な心配をかけないようにしよう。

 整然と抗議の姿勢を示すには色々の方法や考え方があるだろう。
 そして雑多な考えを持ち、自分達の主張を訴えるために勝手に動く多くの抗議団体と連携と協力を保つ難しさもあるだろう。
 然し幸いなことに警察は外国からの不穏分子を締め出すことを決めたそうだ。
 後は話せば判る可能性のある日本のグループだ。

 主な抗議団体が中心となり、警察や長野市とも連携をとって、外国から批判を受けないやり方を検討し、それを周知徹底をしてははどうだろうか。
 そして、整然とした見事な抗議活動を展開して、中国の人達や反捕鯨団体に見せてやってはどうだろうか。

 私は日本人がその抗議活動で暴力行為や批判的な言動をして、心ない中国のサッカー・フアンや、正義の味方ぶって不法行為をした反捕鯨団体と同列に置かれたくない。

 オリンピックでは参加選手のフェア・プレイを望まれている。
 聖火リレーでの抗議もフェア・プレイの精神で行ってはどうだろうか。

 どうか聖火リレーへの日本人による抗議活動が世界の模範となるように各種団体に願いたいものだ。

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戦前の学校(1)(当時の環境、尋常小学校)

2008-04-11 07:39:29 | 教育問題

 私が今の通り魔的事件や家庭内殺傷事件の続発を嘆いて、これには戦後以来の教育も関係していると書いた所、今の教育の批判ばかりでなく、昔の教育と比較すべきだとコメント頂いたことがある。
 私のブログでは、終始一貫して今の教育に日本古来の価値観の悪い事は捨てるのは勿論だが、良い所は取り入れべきだと書いているつもりだったのが、私の悪文の所為で今の教育の批判ばかりすると取られたようだ。

 それで昔の教育の良い所、悪い所をそのまま書いて見たい。
 但し素人の私が書く事だから、戦前の教育(約1930年-1942年)は当時子供時代の経験、戦後の教育は親の立場からの経験かん見た教育(1963年以降)を書いているので、必ずしも正確ではないところもあると思うが、団塊の世代以降の人達にいくらかでも参考になれば幸いだ。

「当時の環境]
日本全体

 1932年 五・一五事件→1936年 二・二六事件が発生
 4月号の文芸春秋で阿川弘之さんが書いているが「当時の日本は全くの暗黒時代だったかのように評する進歩派の人達の戦後史観は全く違う」と書いてあったが、以下のような私の経験からも同意見だ。
 話は逸れるが、五・一五事件、二・二六事件とも当時の政治の停滞と退廃が事件の一因となっている。
 そしてこれらの事件が日本が軍国主義に走り引き金となったのは間違いないと思う。
 今の政治情勢は正にそうだ。
 今の日本でこのようなことが起こるなど考えられないが、それだけなお一層に政治家達は緊張感と自覚を持って事に当たるべきだと思う。

社会
 動機不明の通り魔的事件、家庭内殺傷事件、子供の自殺などの件数はその発生原因はともかく戦前は遥かに少なかったし、日本全体としては軍国主義化していたが、軍は勿論、国家権力の介入などまったくない状態でも、今より遥かな平和な社会だった。
 それが日本人は正直、勤勉、親切で安全な社会と言う世界的な定説を産んだのだ。

子供社会
 当時は多くの子がいたので、家庭内でも小さい子供社会があり、地域でも殆どの子が外で遊んでいたし、それを何となく見ている大人がいたので、入学前から社会生活のルールを学んでいた。

いじめ
 私の居た地域は九州男児の気風が残っており、男は男らしく、女は女らしくの考えが子供社会にも浸透していた。
 従って、弱いものいじめや一人の子を多数で苛めるなど男の腐った子がするものだと言われ、思いやりのない女の子は皆から嫌われた。
 それで、学校には当時差別されていたの子、朝鮮人の子もいたが皆分け隔てなく遊んでいたし、彼らを意識的に大勢で差別したり苛めたりすることは全く無かった。

 私の家内を含む同じ地域で同年代の人達に聞いてもいじめなどしたこと見聞きしたこともないと言う人が殆どだった。
 然し、戦時中の疎開した子がイジメに逢った話など聞くと、製鉄工場などの工場や炭鉱への流入が激しかった開放的な土地柄もあったかも知れない。

 開放的と書いたが、遠賀川流域の現北九州市の西部から筑豊炭鉱地帯の人達はは所謂、川筋気質と呼ばれる独特の気質を持っていた。
 その代表的な人は今で言えば麻生太郎さんや相撲の魁皇だ。
 男らしくて、開けっ広げでお人好し、人から好かれるが総理や横綱にはなれそうにない。
 然しこの二人を見ても、とても彼らが子供時代イジメをしていたなど考えられもしないだろう。

 私は当時のいじめのなかった地域の研究をすることがいじめ根絶のヒントとなると思うのだが。

[尋常小学校](1930年~1936年)
学校と父兄の関係
 一口に言えば子供は完全に学校に預けっぱなしだった。
 貧乏な私の家では、家庭を与る母親が授業参観、運動会など学校行事に参加する余裕がないことと、学校を信頼していたのだろう。
 学校としても今のPTAに類する組織もないし、地域の参加も運動会や学芸会などを除いて全くなかった。


 祝日には学校でも必ず式が行われた。
 祝日自体が天長節(天皇がお生まれになった日)、紀元節、明治節(明治天皇がお生まれになった日)など皇室の行事に直結したものが殆どだった。
 祝日には各戸で日の丸があげられ、学校では教師、生徒全員が参列して式が行われた。
 校長が教育勅語をしまってある奉安殿からうやうやしく取り出し、天皇、皇后両陛下の写真が掲げられている講堂で、全員が神の御告げを聞くように低頭のもとで読み上げる。
 校長はマスクと白手袋。
 まるで神主が祝詞をあげると同じやり方だ。

指導者の神格化
 このように天皇陛下を神格化するなど今は考えられない。
 前に例にあげた阿川さんも書いていたが、正に北朝鮮の指導者の神格化と同じやり方だ。
 現存している国、地域、宗教の指導者の銅像を立てたり、家庭(日本では神道の考え方に基づく天皇家が総本家という信仰からで意味は少し違うが)や公共の場での写真を掲げたりし始めた国や団体には一歩退いて冷静に対応すべきだ。
 これは北朝鮮の他に、どこの国の誰とは言わないが、オーム真理教の麻原被告の例を見れば判ると思う。

修身(今の道徳)
 これについてはその内容の記憶が殆どない。
 今、道徳教育の導入の条件としてその評価をいかにするかが問題になっているが、私の記憶では今の国語や算数の評価は気にはなったが、本人も親も修身の評価など全く気にしていなかった。
 何故ならたまたま学校でいたずらをして先生に見つかったか否かで評価か変わるのだ程度しか思っていなかった。
 私は経験からして教材は児童、生徒の記憶に残るようなものを選ぶのが必要と思う。

体罰
 家庭では悪い事をすれば拳固で殴られたり、押し入れに押し込まれたり、食事を抜かされたりするのは普通だった。
 だから学校で悪いことをすれば、何らかの体罰が加えられるのも当然と思っていた。
 私の母など家庭訪問のとき教師にうちの子が悪いことをすれば、遠慮なく殴ってくださいというのが常だった。

 体罰と言っても普通は廊下に立たされたり、拳固や笞で軽く叩かれたりだった。
 但し、中には酷い教師がいて、皆に自習をさせて自分は多分他の本を読みながら巡回し、私語をするものが居ればいきなりその本で生徒の頬を殴ってりしたが、前の教育再生会議の答申のように、限度を越した体罰を除いてある程度の体罰は必要だと思う。

学級荒廃、問題生徒の発生
 学校に関するトラブルは全く無かった。
  
その理由は生徒が純朴だったこと、入学前から社会生活のルールが身についていたこと、家庭や地域による躾けが行き届いていたこと、教師が一般から尊敬される立場であったことなどなどが考えられる。

勉強
 多分大多数の生徒達は、家では宿題を除いては勉強を殆どしなかった。
 少なくとも私は全くと言って良い程しなかった。
 然し何とか学校の授業について行けた。
 その理由は
 ・旧制中学校へ進学者がクラスの10~20%に限られていた。
 ・今のような外部からの情報が殆どないので、好奇心一杯で学校の授業を受けた。
 ・素直な子が多かったので、乾いたスポンジのように授業の結果がそのまま頭に入った。
 ・上の二つの理由で児童が授業に集中していた。
 ・私の場合は無類の読書好きで、少年クラブなどの子供向けの雑誌から、当時流行っていた講談雑誌、果ては母や姉が買ってきた婦人雑誌など貪り読んだ。
 幸い当時は雑誌は全てふりがな付きだったので、子供でも何とか読む事が出来た。
 一昨日の読売テレビで灘中学に合格した生徒の様子を放送していたが、同中学校の校長が同中学の教育の重点として読書力の向上を上げていた。
  私が全く勉強しないでも何とかクラスの上位におられたのも私の子供時代の乱読のせいだと思う。

教師
・教師の授業の技術

 昔のように好奇心一杯で来る生徒に教えるため必要な教師の技術と、今のようにテレビ、携帯、インターネット、塾など情報が既に頭が満杯に成りかかっている生徒を面白可笑しく教えねばならぬ今の教師の技術は格段の差があると思う。
 私の5,6年生の時の担任は音楽が不得意なので、その時間を得意の物語の話や読み聞かせで児童達の人気を得ていた。

・教師の忙しさ
 授業を面白くするための準備、それ以外に多くのレポート、生徒指導、給食に伴う事務などなど今の教師の方が遥かに忙しい。
 昔は詰め込みというのか通り一遍のことを教えることと、試験問題の作成(ガリ版で多くの手間を要した)採点、成績管理など最低の仕事で済んだような気がする。

 いずれにしても学校教育は、教育の原点に戻って考える必要があると思う。
 そしてその上で「考える力」の育成、時代の変化への対応など改めて考え直す必要があると思う。

参照:カテゴリー → 教育改革、ゆとり教育
                              教育問題
                              いじめ

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