普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

中学校教師への手紙(10)[私が見てきた教育荒廃の歴史]

2006-07-30 17:51:17 | 教育問題

学校内のいじめの問題が報道され始めたのは、いつごろか知りませんが、私は昔と違って、いじめの数が異常に増えた事、特に集団によるいじめ、やり方の陰湿ことに気づきました。

その頃のテレビの所謂コメンテーター達は、我々も若い時にもやったものだと言っていたが、その異常性について言う人は殆どいませんでした。

<<戦前のいじめ>>

地域差もあったかも知れないが、私の経験では、戦前の小学校や高等小学校(今の中学校)では、可なりの数の朝鮮の生徒たちや世の中から不当に扱われていた人達の子供もさえいたが、特に問題になるいじめなど殆どなかったと思います。
あったとしてもちょっとしたいたずら程度のもので性質もからっとしたものでした。

<<"教えてgoo"で見たいじめ>>

この投稿をする前に"教えてgoo"で、「いじめ」で検索してみると、なんと8817件も数が検索され、いかにいじめに悩む人が多いのを示していると思いました。

その回答の中から、いじめの理由、その対策、学校での対応を調べて見ました 。いじめの理由の内私が気付いたのは、次のような事です。(数字は複数回答)

<< いじめの原因>>

1.家庭の教育環境の悪化 (4)
例:親が子のいじめに対して鈍感 (1)
  子がいじめをして親に文句がきたとき謝ればすむと思っている (1)

2.自己中心的なな生徒 (15)
例:弱いものへ面白がっていじめる (5) 
  相手が気に食わない (5)          

3.自己防衛 (7)
例:自分がいじめの標的になるのを避けるため、弱いものをいじめる (3) 
  自信がないのでグループを作り、自分より優れた人をいじめる (2)

4.いじめられる側に問題あり (4)
例:グループについてこない(1)
  いじめしたほうが弱い立場になった (2)

5.恐喝などの犯罪的な目的 (2)

上の例から考えて見ますと、問題の根幹は、 前回の手紙に書きましたように

1.社会と家庭の教育環境が劣化

(1)世の中全体が優しく、子供に対して甘くなってきた。子供が叱られて物事の善悪を学ぶ機会が減った。

(2)他人に迷惑をかけない、思いやりなどの日本古来の良い伝統から失われ始めた。

(3)躾けなど本来家庭で行うべき仕事をおろそかにする家庭が増えてきた。

(4)個性の尊重と我が儘の区別がつかぬ、自由の限度が判らぬ父兄が増えてきた

(5)自分の権利を主張しても自分の責任や義務を忘れている父兄が増えてきた。

(6)女性の職場進出で家庭で子供を世話する時間が減ってきた。

(7)子供社会が同級生、同年代の間等、極端に小さくなった。

2.生徒の意識の変化

(1)何でも手に入り、自分の思う通りになるのを当然と思い、そうでないときに我慢出来ぬ生徒が増えてきた。

(2)自分の権利を主張しても自分の責任や義務を忘れている生徒が増えてきた。

(3)個性の尊重と我が儘の区別がつかぬ、自由の限度が判らぬ生徒が増えてきた

(4)人間としての本当の意味のプライド持つ人が減ってきた。

<<戦前のいじめの少なかった原因>>

特に今になって、私たちの少年時代の、いじめの少なかった一番大きな理由を考えて見ると次のような事あると思います。  

1.弱いものいじめをするのは卑怯だと考えられていた
特に集団で一人の生徒をいじめをするなど、人間の屑だと思われていた。

2.人から卑怯と思われたくないと言うプライドを小さいながらも皆持っていた

3.他人へのを思いやり、他人に迷惑をかけないと言う躾けが徹底していた

以上のことを考えてみますと、問題の根幹が深すぎて、今だに解決出来ないどころか、悪化しているような気がするのは当然のような気がします。

対策としては、地域、家、学校が協力して、特に小学校時代に、徹底した躾け教育を行い、特にに今までおろそかにされて来た、弱いものいじめは卑怯で人間として恥ずかしい事、他人への思いやりと他人への迷惑をかけないことを教え込むしかないと思います。

参照毎週日曜日,July 11,13,20 投稿、


川柳 老いのため息-9

2006-07-29 14:45:23 | 川柳

狸さえ人目を避けて化けるのに

近頃ため息をつかされるのは、車内で見る化粧です。

凄いのはバスの中でもやっている人を見かけます。

あのように揺れている中で、眉を描いたり、口紅を塗っていては、思わぬ方向に行くのではないかと他人事ながら心配しています。

昔は家の人にさえ見られない所で、化粧するのが普通でした。

それを奥ゆかしいとか、ほのかな色気があるとして、浮世絵の題材になったりしたものですがね。

それが今では開けっ放し!!! 

みんなの見ている中でよくも一人の世界に閉じ込めるものですね。

参照:毎週土曜日投稿


常識で考えた靖国問題

2006-07-25 16:04:46 | 政策、社会情勢

自民党総裁の選挙が近くなってきたことと、昭和天皇の話された内容の一部のメモが出てきて、また靖国問題の議論が盛んになって来ました。

ここで何の係累もない一般人の常識で靖国問題を考えてみたいと思います。

1.首相が何故靖国神社を参拝してはいけないか。

日本は信教の自由の国だから、誰がどのような宗教を信じてもよい。

首相も国民の一人だから、当然にその為に国費を使わなければ、宗教上の教義に基づくどの様な人を祀った、どのような神社仏閣で、どの様な考えで参拝してもいいし、教会で祈りを捧げても良い。

むしろ国民の代表的な人が信仰の自由がないのは大きな問題だ。

2.小泉首相の靖国参拝とそれに対する批判

総裁の選挙の公約は、政策の公約であるのに靖国参拝を言ったのは宗教と政治の分離の憲法に反しているか少なくとも大きな疑義がある。

最近になって靖国問題は政策論争に馴染まないと言っているが、選挙公約に挙げたことに対する自己批判はない。

公約のため彼一流の頑固さ参拝を続け、中国、韓国の関係をこじらせてしまった。

これを野党が政策の討議の場である国会で批判したのは、政教分離の憲法に反する

批判するなら国会の外で、個人の立場でやるべき。

3.靖国神社に行って祈る他ないのか。

信仰は心の問題だから、イスラム教の礼拝のように、何処でも祈ることが出来る。

仮に官邸で祈ったらまた可笑しいと言う人が出るかも知れないが、自宅で祈る分には新聞沙汰にもならないし、外国からけちを付けられることはなくなる。

それをどうしても、神社に行き、新聞種になるのを覚悟で行くのは一種のデモンストレーションで、宗教上から言えば不純な行為だ。

そのため、日本としてのプライドのため、外国からクレイムがついても、強行しなければならなくなる。

もし小泉さんが、公約などしていなかったら、自宅で、雑音に妨げられずに、ゆっくり祈ることが、出来る筈だ。

4.マスコミの対応について

新年や終戦記念日に靖国に参拝した有力政治家に、どの立場でまたはどのような気持ちで参拝したか聞く報道関係者がいるが、石原都知事でなくても、全くの愚問と思う。

案外それを聞く本人も恥ずかしいと思っていると思うが、こんな事をテレビで見ていると本当に情けなくなる。

もしマスコミが、この様な報道を自主的に止めたら、中国や韓国はスパイを放つ?か、自国のメディアを使って、首相や政治家達の監視するだろうか。

日本は世界に類を見ない独特の宗教観を持って、世の為になった人ばかりでなく、太宰府天満宮のように、世に祟りを及ぼす人も祀る、山、樹木、石等何でも神にするする国だ。
福岡県では鮭を祭ったお宮さえある。

マスコミは日本の報道機関として、外国に誤解を与えかねない報道をするときは、その報道力を利用して、日本人の特異な宗教観をも併せて外国に解説する位の努力をして貰いたいと思う。

報道機関の人達に是非見識を持って頂きたいものだ

然し、特定の思想を持つマスコミの一部にそれを願うのは無理かも知れないが。

5.靖国神社の分祀について

神社側は教義上から、分祀は出来ないと言っているそうだが、どの様な教義が説明をすべきだ。

神道は言挙げをしないのが習わしだそうだが、日本が一種の国難に当たっているとき、神社側の立場で良く考えて貰いたいものだ。

教義とは日本古来のものか、明治から大戦前までのものか、戦後からのものか、日本の情勢の激変にも関わりのない不磨の大典なのか。

そしてそれで良いのか。

神道では八百万の神と言われているが、靖国の神はまさにそれではないか。

それが神社に祭られた瞬間、一体となるのだろうか。
そしてその瞬間から分祀が不可能になるのだろうか。

合祀の例ばかりで、分祀の例は全くないのか。

今後色々な状況の中で、国の為に死んだ人の合祀をどう言う手続きでするのか。

日本の神社の殆どは、氏子、死者の親族(日光東照宮)や為政者の勧請に基づいて、お宮が創設され、神官が以後の運営に当たるにすぎない。

例えば東本願寺のように、特定の宗教の所有物ではない。

靖国神社の場合、国が設置したものを神官が運営しているだけに過ぎない。

だから、運営者だけの一存だけで重要な事項の処理は出来ない筈だ。

問題を難しくしているのは、同社はその所有者であった国から切り離され、他のように氏子を持たない特有の神社だ。(同じような護国神社はなんとなく県民が氏子と思われている?)

氏子総代的な人として直ぐ考えられるのは、代議士があるが彼らの発言は政教分離の観点から非常に限られてくる。

今までは政府の関係当局だけて良かった、コミュニケーションをどのようにして、全国民に対して行うのか。

靖国神社関係者にお願い:

衆目の一致するように、靖国の問題解決の一番無難な方法は分祀のようです。

今後とも、運営に多くの困難さがあると思いますが、日本の為にも、靖国神社が見放されないためにも、教義や神社の運営の確認や見直しを是非行って貰いたいものです。


中学校教師への手紙(10)[私が見てきた教育荒廃の歴史

2006-07-23 12:05:32 | 教育問題

<<子供の教育環境の劣化>>

小、中学校の問題ではいじめ→授業中の徘徊→学級崩壊→生徒による暴力や殺人など大きな問題が言われています。

この大きな問題について考える前に、戦前から昭和40~50年に渡って教育環境の変化について感じたことを書いて見たいと思います。

1.社会環境の変化

(1)世の中全体が優しく、子供に対して甘くなってきた。
学校で言えば生徒たちが明らかに間違ったことをしても、何かにつけて弁護する人が増えてきた。

戦前:子供が悪いことをすると、社会、学校、家庭で叱ってくれる人が多くいたので、善悪の区別や、行動の限度を自然に学ぶことができた。

(2)物事を公平に判断する能力が落ちて来た。
そのため物事(例えば学力低下やいじめの問題)の解決を遅らせることとなった。
マスコミの強者(教育関係で言えば文部省、教育委員会、校長)の批判はするが、弱者(とマスコミが思っている例えば教師、生徒、父兄)と一部特定団体(学校関係で言えば日教組)の責任、義務には殆ど触れない偏ったた報道姿勢は昔と余り変わらないと思うがテレビの普及とそれに登場するコメンテーター、解説者などで、影響力が格段に大きくなった。


戦前:軍国主義や忠君愛国的な教育や報道。

(3)人間としての本当の意味のプライド持つ人が減ってきた。
マスコミの権力者の追求や自虐的な報道に偏った姿勢。

戦前:首都圏の駅でごみ箱から新聞を漁るサラリーマン、援助交際をする子供や大人など殆どいなかった。

(4)他人に迷惑をかけない、物を大切にする、思いやりなどの日本古来の良い伝統から失われ始めた。
今は自分からその行動を規制する倫理感が乏しくなっている。

2.家庭環境の変化

(1)核家族化が進み若い両親の孤立化が増大した。

戦前:昔からの伝統や倫理観などが自然に伝えられた。

(2)女性の職場進出で家庭で子供を世話する時間が減ってきた。

戦前:学校から帰るといつも炊事選択で忙しくしている母親がいてくれた。

(3)躾けなど本来家庭で行うべき仕事をおろそかにする家庭が増えてきた。

戦前:家庭により程度の差をあるが、地域社会の批判などあり、今ほど放任するような家庭はなかった。

(4)少子化

戦前:兄弟姉妹や近所の子供の間で自然と社会性が養われていた。

(5)テレビ、インターネット等で教育上有害な情報に接する機会が多くなった。

戦前:子供にとってはラジオ、新聞と雑誌や単行本位しか情報源はなかった。有害な情報源は全くなかった。

3.父兄や生徒の意識の変化

(1)個性の尊重と我が儘の区別がつかぬ、自由の限度が判らぬ父兄や生徒が増えてきた。

戦前:日本古来の伝統的且つ仏教からくる倫理観があった。個性とか自由については殆ど無視された。

(2)自分の権利を主張しても自分の責任や義務を忘れている父兄や生徒が増えてきた。
父兄については戦争直後からの権利重視、義務責任の軽視または無視した教育の成果が出始めた。

戦前:国民の義務や責任について徹底した教育が行われていた。他人に迷惑をかけないという古来の教えが伝われてきた。

4.生徒の環境と意識の変化

(1)何でも手に入り、自分の思う通りになるのを当然と思い、そうでないときに我慢出来ぬ生徒が増えてきた。

戦前、戦後:物がないのが当たり前だったので、我慢することに慣れていた。

(2)いじめが増えた。特に集団によるいじめが増えた。
やり方が陰湿になってきた。

戦前:殆どなかった。あったとしてもいたずらに類するもので、からっとしていた。

(3)自分の面子を傷つけられたことで直ぐ切れる生徒が増えてきた。

昔は殆どそのような生徒はいなかった。教師や父兄などに暴力を振るう生徒はなかった。

(4)子供を巡る社会が同級生、同年代の間等、極端に小さくなった。

戦前:今で言えば高校生から幼稚園まで含む子供社会があり、地域の人との交流があった。

5.学校の変化

(1)学校や教師に対する信頼の程度が大幅に落ちてきた。

昔は家庭では学校や教師にほぼ絶対的な信頼を置いていた。学校や教師のレベルが今と殆ど変わらないか今のほうが上と思う。

(2)教師が労働者意識を持つようになった。

昔は先生は聖職者と呼ばれていた。

(3)教育関係者の一番のお得意さんであるべき生徒から精力と関心が離れることが多くなった。

1)文部省と教職員組合の関係のこじれ
2)マスコミや所謂人権弁護士とうの批判の増大により学校当局者が萎縮し、防衛に回る傾向が強くなった。

戦前:熱心な先生やそうでない人もいたが、少なくても、教師は生徒の方を向いておれば良かった。

(4)悪平等主義等特定の思想に基づく教育手法が出てきた。

戦前:学校も教師も同じ思想のもとで行われていた。もし違った思想を持つ人があれば警察、軍隊からの介入があった。

(5)先生の荷重が増えてきた。
これについては別の日に改めて報告します。

これらを総括的に見ますと、戦前の環境も全体主義(今では軍国主義と言われていますが、当時はこの使い方のほうが多かったようです)的の教育環境で良いとは言われませんが、子供に関する教育環境に限って言えば非常に悪化したように思います。

参照毎週日曜日,July 11,13,20 投稿、


川柳 老いのため息-8

2006-07-22 16:34:01 | 川柳

[子に飲ます薬へ親も口を開け]

小さい子に薬を飲ますのは大変です。

嫌がる子になだめすかして、飲ませようとする内に本人も思わず口を開けているのに気づきます。

そんなにして育てた子もすっかり成人して、自分一人で大きくなったような顔をして、偉そうに親に意見などするのです。

そして、自分もまた口を開けて我が子に薬を飲ませているのを見てにやにやしています。

 参照:毎週土曜日投稿


これでいいのか中央教育審議会

2006-07-20 11:04:27 | 教育問題

「大学受験をやめよう」

7月13日のNHKで、青色発光ダイオードの発明者の中村修二さんの「大学受験をやめよう」と言う話がありました。

その概要は大学入学希望者は、全員無試験で入学させ、入学後の厳しい試験(大学の講義科目の)を行い、ついて行けないものは、例えば東大だったら、より低いクラスの大学に転学させるか、退学の道を選ばせるというものでした。

この方式の利点は、大学に入るまでは、猛勉強するが、一旦入れば単位を習得しさえすれば卒業できるので、遊んでしまい、結局は世の中に役立たない人を社会に送り込む問題点を解決することです。

先生はおそらく意識して暴論とも見えることを言って大学の教育制度の見直しを言ったものだと思います。

「日本の算数海外で人気」

それから7月19日の読売新聞で、「日本の算数海外で人気」と言う記事がありました。東京書籍の2000年判の「新しい算数」の英訳が米国などの国で教科書や副教材てして使われたり、先生への講習会や大学生の講義に使われているそうです。

ただこの英訳に携わった米国の大学の高橋教授は「評価されているのは小学校の算数でしかも、教科内容が3割も削減される以前の旧指導要領にのものだ」と指摘しているそうです。

この二つの報道を見て、私は改めて、日本の教育方針の基本方針を決める中央教育審議会のありかたについて考えて見ました。

<<大学の改革が教育改革の基本>>

教育改革で一番も始めに取り上げばならぬのは大学の教育改革です。

トコロテン式卒業システム
日本(世界?でも)の悪名の高い大学のトコロテン式の単位が揃いさえすれば卒業出来るシステム。

ベテラン教授のボス化
(私の乏しい経験からしても、ベテラン教授の意見に反することを専門誌に投稿をするときは、偽名を使わねばならぬと言う、新人教授の愚痴を聞いたこともあります。)

意欲のない講義。
(哲学の先生が、余りにもカント曰くとか、孔子曰くなど何度も言うので「先生のご意見はどうですか」と質問したいのを我慢していた記憶があります。)

高校生は大学への入学へ、中学生は高校、小学生の父兄は有名中学の入学に一番関心を持っています。

つまり、教育改革の基本とすべきは大学であり、それさえ確立すれば、後は自然と決まってくるのではないでしょうか。

中村先生の提言は極端過ぎると思いますが、確かに、中学から(一部の父兄にとっては小学校から)受験勉強のストレスが次第に増え、高校で最高潮に達し、社会への入り口である大学に入って学生がやっと勉強のストレスから解放されると言うのはいかにも不合理で、大学に入ってストレスが最大になるようにもって行くのが当然ではありませんか。

なお先生が言われるように、大学に入ってからも、まだ進路選択の余地を与えるというもの、充分考慮に値する提言だと思います。

(実は、大学卒業生の受け皿の企業、政府、公共団体の採用、育成方針も学校の教育方針決定に大きく関わっていると思いますがここでは省略します。)

<<初等教育の方針の朝令暮改>>

もう一つは初等教育の方針の朝令暮改です。

「学力中心の教育」→[学力不足の恒常化の現実]→「ゆとり教育」→「学力低下対策としての指導要領の変更」→「ゆとり教育をそのままにした英語教育の導入」と言う、方針のブレです。

これでは先生も生徒もたまったものではありません。
特にゆとり教育で時間がないと非難されているのに、何故英語教育を入れるのでしょうか。

ここで問題になるのは、「ゆとり教育」の基本理念の現実からの背離と思います。

1.今までの内容で100点満点で平均が60点しかとれないのなら、70点に目標を下げて、全員が満点の70点を取ることにしよう。もしそれ以上の能力のある生徒は自主的に勉強させよう。
(これはインターネットで見た元の東大総長で文部大臣であった方のご説明です。)

人的資源しかない日本が他国と伍して行くためには、他国より高度の技術(小中学校ではそれに必要な基礎知識)を持つしかない事実を抜きにしています。

人の特性として100満点の時、60点とる人は、仮に70点満点の時は50点で満足すると言う現実を無視しています。

それと教師が優秀な生徒により高度な内容を教える意欲があってもその余裕があるでしょうか。

選択肢の一つとして、先生、生徒が100満点を取る努力をすることはなかったのか。元の文部大臣の説明は全くの敗北主義ではないでしょうか。

前に書いた世界的に評価されている算数の教科書を無くし、それに基づく教育をしないのは、日本にとって大きな損失ではないでしょうか。

2.余裕の出来た時間は自分で課題を見つけ、自学自習する。

人は強制されなかったら自分で努力をしない。
生徒は厳しい入学試験があるから勉強している事を忘れては居ないでしょうか 。
大切な教育方針の決定の際このような分かりきった事実を無視して綺麗ごとで済ませていいのでしょうか。

多くの父兄が審議会の言う余裕時間を利用して、子供を塾に通わせている現実を見て下さい。

3.土曜日は地域や父兄の協力を受けて、自学自習させる。

地域社会、家庭の教育能力の低下の現実と、現役教師の参画の必要性を無視しているような気がします。
ゆとり教育の提言は、ある意味では教育関係者の教育の責任の転嫁、または放棄ではないでしょうか。

4.総合学習では、広範囲な知識や社会との関わりをもたせる。

広範囲な知識は得ても、自分の物にするには生徒は経験、知識が乏し過ぎると思います。その為、教師に増える荷重に比べて成果が余りにも少ない結果に終わっていると思います。  

<<審議会と教職員組合との考え方の調整不足または欠如>>

ゆとり教育は過去にも多くの例にあるように、表面には出ないが、教職員組合と文部省の確執の産物と言う一面があると思います。

と言うのは、昔一度だけ、テレビのゆとり教育の討論番組で日教組の教師が、ゆとり教育は我々の闘争の結果得た権利だと言ったのを聞いたことがあります。

以後このような場面で日教組が出たのを見た記憶はありませんが、ゆとり教育の一面を示しています。

そして、そのような考えを持つ教師がいるかも知れないのに、ゆとり教育に対する審議会と教師の考え方の調整のない限り、失敗を予言する(または実際にしている)ものと思います。
(多分、審議会の多くの委員の方がこの件に就いて、言いたくて言えないことがあると思いますが。)

若し仮に、多くの高校のように、土曜日に小、中学校の先生が、遅れた生徒に補習授業をしたり、地域の住民と協力して、ボランティア活動をしたりしたら、ゆとり教育の成果もそれなりに上がる筈だと思うのですが。

<<中央教育審議会の委員の方にお願い>>

1.世論や教職員組合の意見に惑わされず、大局的な見地から確固として振れない教育方針を出して下さい。

2.日本の将来のために長い眼で物を考えて下さい。

3.学校(特に大学)、地域社会、父兄の現状に眼をつぶらないで下さい。
そしてこうあるべきだと言う理想論でなく、現実を見据えて物事を決定をして下さい。

4.方針決定後の学校、地域社会や家庭の現状のフォローをしっかりお願いします。

参照:毎日曜日、July 11, 13投稿

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聞いていて恥ずかしかったG-8の報道

2006-07-18 10:26:27 | 国際社会

G-8も7月17日に無事終わりました。

然し、このサミットの記念写真を見ていつも思うのですが、日本の首相が他の首領に比べて、いかにも存在感が薄いのが目立つことです。

新聞やテレビの報道からも想像出来る事ですが、写真からも日本の首相が他の首領からもほんのおつきあい程度の扱いしかうけてないように見えるのは気のせいでしょうか。

今でも印象に残っているのは、他国の首領の後ろでニコニコしていた、何人かの日本の首相の姿です。

これは日本人が小さいからではなく、何かが欠けていたような気がします。

それに比べて、小泉さんは彼なりに頑張って今まで以上の成果を上げたのでしょう。

そして持ち前の気さくな振る舞いで、おめず臆せずに振る舞って、ブッシュさんから、注意されたと報道されていました。

小泉さんのその人柄を日本人に愛されて、首相在任記録を更新したそうです。

然し日本を担って立つ国際会議で、愛されるのは良い事でしょうが、それ以上に他の首領から尊敬され、場合によっては、一目わ置かれる存在になって欲しいのです。

[ヨン様に振った手を純ちゃんに振る]

この前の選挙は郵政改革ではなくて、小泉さんの人気、巧みな軽薄なマスコミの操縦術で今まで選挙に関心がなかった軽薄な人達に支えられて大勝利を納めたのです。

小泉さんの特徴は、軽さと頑固さだと思っています。

第一に靖国参拝という宗教問題政治公約に上げたことです

なんと言う軽い判断でしょう。
今頃になってこれは政治問題にならないと言って居ますが遅すぎます。

そして、此れ幸いと取り上げた、他の国の反対にも関わらずに頑固に押し通したことです。

各種の改革を取り上げて、強引に推進したのはよいのですが、皆つまみ食いに終わってしまいかかっています。

米国一辺倒の外交で韓国や中国の問題も解決出来ると言う言動。(日本の命運を左右する問題なのに)

それへの批判に対して、国会の多数を占める、与党の力背景に、人をおちゃらかす返答で押し通してしまいました。

各国は日本のこのようなことや、その首相のことを良く見ていると思います。

このような首相がかりに愛されても、尊敬されるでしょうか。ここまでは誰でも容易に想像出来ます。

然し、他から尊敬され、一目置かれるには、北朝鮮ではありませんが、自国は自国で守る力を持つ事ですが、これは問題が大き過ぎますので、省略します。

その他に、日本の首相が、

日本の情勢のほかに、世界情勢に対する確固とした判断力を持つ事。

その為にも日本独自の情報網を構築して置く事

ビートルズだけでなく、国の首相と歓談するに足る、充分な素養と教養を持って置く事。

上のことを話すに足りる充分な英語と社交の能力を持つ事。

を持っている必要があると思います。

勿論、私など上の全ての点で不得手で、偉そうに言う資格はありませんが、自国さえ 自分で護れない日本だからなお一層、日本の首相が他の首領から尊敬され、一目置かれるように頑張って頂きたいと思っております。


元中学校教師への手紙(9)[私が見てきた教育荒廃の歴史]

2006-07-16 07:10:56 | 教育問題

<<学力低下→落ちこぼれ>>

先生方にお願いこれからのことは主に新聞紙上で得た知識と私の想像で書いているので、間違った所とか、認識不足の所がありましたら、どうぞご遠慮なくアドバイス下さい。

<学力低下の問題の発生>

昭和40年ころから50年ころにかけて、学力の低下が問題になりました。そのころは日教祖が全盛の頃で、大会のニュースが新聞を賑わしていました。

最初に問題になったのは、中学校からの教師の報告で、中学校に入って来る生徒の中には、中学校で習うに必要な小学校の学力がないと言う事でした。

日教組の大会では他の労組のそれと違って、待遇改善や組合員の地位の向上だけの討議だけでなく教育問題にも踏み込んだ討議があると思っていました。

それで当然に中学校側からの小学校側に対する批判であり、それに対していかに具体的な対策が検討されると思っていましたが、それに対する報道は殆どありませんでした。

その後しばらくして、日教組から学級定員の縮小の意見が出たのが一般国民が知った唯一の対策でした。

これは良く考えて見ると、教師の荷重を減らすことであり、これが進んでは、ゆとり教育という名の、教師のゆとりの確保と言う勝利に繋がったようです。

つまり日教組大会での学力低下の討議は、具体的のにどうこうすると言うのでなく、文部省に対するアピールのためだけであり、教育問題の討議という名の教師の待遇改善しか見ていなかったような気がします。

6月11日の手紙に書きました様に、私の娘がその生徒達に学力不足の生徒に補習をしたい言う申し出を拒否されていたので、特にこのこの一連の報道が私の記憶に残っているのです。

実はこの手紙を書く前に、念の為に、”教えてgoo”で当時の小、中学校の関係者からの学力不足に対して取られた具体例を聞いたのですが、余りにも昔のことなので、回答が得られませんでした。

それで「落ちこぼれ、対策」「学力不足、対策」で検索し、気付いた所の質問と回答を見ました。具体的な対策は蔭山先生の本の紹介など僅かな例を除いて殆どありませんでした。

一番多かったのは、学力不足を補う為に塾に行かせるか否かの話でした。

中には教師自身がその子供を塾に行かせるか否か迷っている話とか、父兄の人が現役の教師から塾に行くよう勧められた話までありました。

この事から考えても、学校や教師それから文部省は本来のお客さんである生徒達やその父兄の人々のニーズに応えないまま、50年間もこの問題を放置し続けているような気がします。

このブログを見られた方にお願い教育現場で学力不足への具体的に対応された例がありましたら、是非コメントをお願いいたします

参照毎週日曜日,July 11, July 13 投稿、


川柳 老いのため息-8

2006-07-15 16:26:13 | 川柳

[無免許の助手席口を出し過ぎる]

車のことには無知、方向音痴、交通規則など知らない癖にいろいろ口を出す人には困ったものですね。

然し、念のために言っておきますが、これは私の家内のことを言っているのではありません。

何故なら私は運転免許など持ってないからです。

でも家のことでは時々似たようなことがあるのはあります。

そんな時は、適当に聞き流すようにしています。

それが我が家の安全運転のコツだからです。

参照:毎週土曜日投稿


「七十過ぎて中学校教師」の紹介

2006-07-13 09:52:16 | 教育問題

私の元勤めていた会社のOBの為の新聞に表記のような投稿がありましたのでその概要を報告します。

括弧の中に私が気づいた点に注記を入れてみました。

ゆとり教育で土曜日の授業がなくなり学力低下を心配した父母や元教師らが立ち上げた土曜教室で、無償で教えてくれる先生に応募した。

(私:この時学校や現役の先生たちは、この様な動きにどの様に対応したのだろうか?)
(教師:ゆとり授業は日教組が長い間の闘争の後勝ち取った権利で、忙しい教師が始めてゆとりを持つことが出来たのだ。まして無償で教えるなど、論外だ?) 
(学校:ゆとり教育は学校としては支援するが、学校としては関係ない???)

始めて見ると、驚いた事に、生徒たちは希望者だけくるせいか、皆素直で真面目。宿題などもきちんてしてくる。

(私:これが教育の理想的な環境。何故現役の教師がこのようなチャンスを逃すのか?)

その内の一人の生徒に今学校で何を習っているか尋ねたが判らないと言う。
良く聞くと「いじめ」にあって学校には来ているが教室には出て居ない事が判った。 
つまり、学校ではいじめにあっている生徒を特別の部屋に隔離する。
然しそれだけで別建ての従業をしないとそうだ。

(私:教育の機会均等はどっなっているの?) 
(学校:教室で正規の授業をするだけで手一杯だ?
特定の人に特別の授業をするのはそれこそ教育の機会均等の考えに反する?)

生徒が三年生で高校受験を控えているのでこれではまずいと思い彼を自宅によんで特訓をした。

11月から3月始めまで、土、日、祝日、正月休み全て使って延べ60時間しごいた。生徒は頭が良く砂が水を吸うように良く覚えた。

(私:その生徒は良い先生に巡り逢えて、急に意欲が湧き、いじめにあった生徒達の為の特別の部屋で猛勉強をしたのだろう?)

私は生徒の抜群の学校の出席率(教室には出ないが学校には行く)を武器に学校に掛け合い推薦入試を受けられることになった。

(私:彼は明らかに先生の分を超えている。頼り無い学校も良く決断したものだ。)

師弟懸命の努力の甲斐があって、高校はとても無理だと言われていたのに、その生徒は学校からの推薦者25人の内、合格者5人の中に一発で入った。
まさに親と子、私、一緒になって涙、涙の合格であった。

(私:この事実に対し、学校、現役教師はどう思ったのだろう?) 
(学校、教師:これはあくまでも例外で、この事実が大げさになっては困る?
我々は教室に出ている生徒達の教育で精一杯だ?
個々の生徒にいちいち関わっていたら身体が幾つあっても足りない?)

その生徒からの「高校ではいじめはなく、楽しく通っています。今変身中です。」と言う手紙に、教師冥利とはことことかと胸が熱くなった。

教師冥利など経験のない私にとっては、羨ましいばかりです。

学校の先生達も学校の規則、組合の締めつけや他の先生方への遠慮などいろいろ障害があると思います。

然し、その才能と生徒達と関わりを持てると言う立場を活かして、このような悩みを持った生徒達の救いなっとあげては如何でしょうか。

そして、教師冥利と言う他の職業に携わるものでは得られない、かけがえのないものを享受されては如何でしょうか。

参照: July 11投稿


収入の格差から生まれる、教育に関する格差社会に生成を防ぐために

2006-07-11 13:00:26 | 教育問題

<<ゆとり教育の活用>>

7月4日のNHKの「プライスの謎ー教育投資加熱の舞台裏」の放送で、約350万使って私立高校から東大に役入った学生と、約35万位の費用で公立高校から入った学生の比較が描かれていました。

300万も使わねば、東大に入れぬとすれば、完全な教育に関する格差社会ですが、後の例の学生は、科学教員振興の為の特別処置で、政府から年間5000万円の補助を貰った公立高校を出たそうです。

このことから、優秀な公立の進学高校にに入れれば、そして誰でも頑張れば、東大に行くチャンスがあることが判ります。このことから、意欲のある中学生の家族に余計な金を使わせずに進学高校に入れる方法を考えてみました。

(なお、紙面節約の為に、提案の問題点を括弧内に記しています。)

1.授業で判らぬところがあったら、いつでも質問を受け付ける。

教師:日常業務に忙しくて構っておられない)

2.勉強の方法や勉強に対する心構えを教える。

3.定期的に試験をする。

4.生徒達の学科に対する理解度を調べる。不足の点は後の授業で、補足する。

(常識派:試験は偏差値のいう名の高校受験の選別の為にしか利用されていない?)

5.試験で判明した、授業に就いて行けない生徒の内希望者には補習授業をする。

日教組:時間外の授業は教師の労働強化だ。)

(常識派:教師には夏休み、年末年始、学年終わりの休みなど特別の恩典が与えられている。これには特別の課題が与えられていると言うが、学校の授業に比べれは、遥かに荷重もストレスも軽いので、学校がある間はそれなりのサービスをしても会社員などに比べても損はしないはずだ。)  

補習授業には、ゆとり教育の為に当てられた土曜日もを活用する。

日教組:ゆとり教育は教師にゆとりを持たせるためのシステムで、日教組が文部省との長い戦いで勝ち得た権利だ。土曜日に授業なんて論外だ。)

(常識派:地域の人がボランティアベースで学校教育に不足した部分補足してやっている。前に述べたこと、また生徒に対する教育の責任からもこれくらいのことをやっても当然だ。)  

土曜日の授業に補習授業の必要のない生徒達の希望者には、より高度な問題を出して回答させ指導する。

(日教組:学習機会の均等の精神に反する。)

6.英語、数学等特に計算や回答速度を要求される科目については、必要に応じて、適宜宿題を出す。

(常識派:労働者意識に目覚めた教師が自主的に労働量の増える仕事をするとは思えない。)

7.特に受験科目について、学級としての目標設定(例えば全員85点獲得運動)をして、先生、生徒と力を併せて目標達成のために頑張る。生徒で出来るものは出来ない人の質問に答えるよう勧める。

(常識派:労働者意識に目覚めた教師が自主的に労働量の増える仕事をするとは思えない。)

8.再度試験を行い、4、7を繰り返す。

これを読まれた人の多くはなんだ当たり前の事ではないかと思われるでしょう。

しかし、これがうまく行けば、そして有名私立高校を狙わねば、特に塾に行かずとも、普通程度の生徒は希望すれば、一般の進学校、優秀な生徒は,地もと有数の進学校に行く事が出来ると思います。

進学校に一旦入りさえすれば、中学校とは違って、次の様な勉強への好条件が備わっており、本人の心がけと能力次第で、どのような希望大学に進めると思います。

1.生徒は皆進学への意欲をもっており、中学校より教育環境がはるかに良くなる。

2.本人の心構えが変わる。

3.中学校と違って土曜日の補習授業が定期的に行われている。

括弧の中で記した問題点について、批判する一部の教師や日教組の人々にお願い。貴方たちの最大のお客さんである、生徒の抱える大きな問題を眼を瞑らないで下さい。

私たちは、最初に書いたように、収入に関係なく、生徒たちに教育の機会均等の機会を与えるように考えて下さいと祈る他ないのでしょうか。

毎日曜日と July 13 投稿参照


川柳 老いのため息-7

2006-07-08 21:10:33 | 川柳

見送りの人に紛れて妻の顔

始めての海外出張。

その頃はまだ海外に出ることは珍しかったこともあり、会社や団地の人達が駅まで見送りに来てくれました。

その人達のお礼を言いながら私は家内の姿を探している自分に気がついていました。

家内は皆の後ろに黙って立っていました 。

あの頃は皆、若かったんですがねえ。

参照:毎週土曜日投稿


中東の紛争や戦争から学んだもの(5)[自己責任-メディアの対応

2006-07-06 15:22:01 | 情報、マスコミ

中東の紛争と戦争で多分一番に話題になったのは「自己責任」の話題でしょう。

この件については既に言い尽くされていると思うので、ここではマスコミの対応の仕方について考えて見たいとおもいます。

<<同じ場面を繰り返したテレビ>>

私や私の家内、私の周辺の人達は、彼らの家族の人達が記者会見で、"繰り返し繰り返し"、彼らの生命を救うために自衛隊の引き上げをしてくれとか、好き勝手な事を言っているのに皆腹をたてていました。

いやもっと正確に言えば、NHKを初めとするテレビから、同じ記者会見の場面で"繰り返し繰り返し"彼らの言い分を聞かされて次第に腹が立って来たのです

勿論テレビの関係者としては、これ以外に絵にするものがなかったという止むを得ない事情があったのでしょうが、多分私たちと同じような気持ちで政府や与党の人達が「自己責任」と言う事を言い出したのでしょう。

これと同じ様に、新聞やテレビの報道やワイドショーなどで、ネガティブな報道ばかり繰り返ししていると、日本人のプライドを無くさせて、良い大人が援助交際に走らせることになりかねません。

また、政府攻撃はするが、日本の良い所は殆ど報道しないマスコミの癖を余り知らない、、生徒達に政府の人達が悪いことをするのに、何故俺たちが、悪い事をしてはいけないかと言う様に罪悪感を失わせると結果になりかねません。

このようにマスコミ関係者の思わぬ方向に向わせる結果とならぬよう、意識してバランスの取れた報道をして貰いたいものです。

<<肝心のところを報道しないテレビ、新聞>>

しばらくして、私は週刊誌で、あの問題の会見の裏にはある思想を持った集団の支援があったことを知りました。

然しこの事実はテレビや新聞では報道されないままでした。

この報道をしないことは、事の真実を伝えてないことになるのではないでしょうか。

これらのことを公式に報道出来ないとすれは゛、社説や解説のコラムや読者の投稿欄に利用することも出来るような気がしますが。

特に某全国紙では自分たちの主張を推進するために、投稿論をうまく使っているようです。。

私は、これ以来、週刊誌の報道にもにも気をつける様にしています。幸い新聞紙上の広告や電車の中吊りでけて、その内容のおおよそが判るので助かります。

<<国民感情からかけ離れた議論の被害者-可哀相な高遠さん>>

情報を全て新聞やテレビに頼っている私には表面的な見方しが出来ませんが、この一連の毀誉褒貶の議論の中で思いました。

純粋なボランティア精神で現地に行った高遠さん、そしてその業績の評価を受けても良い高遠さんが、ほかの二人やその家族達と一緒にされて批判がましいことを言われていました。

戦争が終わっても充分且つ安全に出来る筈の劣化ウラン弾の調査に行った少年。

政府の勧告に反してイラクに入って、なお救出は国の責任だと言って、その費用を出すのを拒否し続けたフリーの記者。

そして、相変わらず好き勝手なことを言っていた一部の家族。

彼らがマスコミの注目を浴びている中で、じっと家に閉じこもっていた高遠さんが一番可哀相だと思いました。

おそらく大多数の国民は私たちと同じ様に、一部の拉致家族の人達の自分勝手な発言に怒っていたのです

然し、自己責任の話題は高遠さんと他の二人の問題、家族たちの発言を区別しないまま、何時までもマスコミの報道から消えませんでした。

果ては某テレビで、有名な哲学者までもが、自己責任の問題で、政府を批判がましい発言をしているのを聞いて呆れてしまいました。

以前からでもそうでしたが、この一連の報道から、いっそういわゆるコメンテーターや一部の識者と言われる人の発言を信用出来なくなりました。

<<日本人らしい日本人もいました>>

その後、橋田信介さんの死亡が伝えられた後の未亡人の毅然とした態度が報道されて、日本人として、彼女には申し訳ないが少し救われた気分になりました。(勿論、彼女に関して「自己責任」の話が出ませんでした。)

また立ち直った高遠さんがイラクの隣国に入って、ボランティアで、イラクに入ろうとしている日本人を止めていると言う報道を見ました。

橋田さんの奥さん、高遠さん、最近では王ジャパンでのイチローさん、サッカーのワールド・カップでの中田さんのように、日本にもまだ日本人らしい日本人がいることに少し安心しています。

(ただ、その為か、他の理由か知りませんが、イチローさん、中田さんがチームから浮いて見えたのは少し気になりますが。)

参照 June 22, 27, 29, July 4投稿参照


中東の紛争や戦争から学んだもの(4)[自衛隊派遣論争]

2006-07-04 16:00:20 | 教育問題

自衛隊派遣に対してマスコミの報道やいわゆる識者の発言がありました。

その中の発言や主張の中で首を傾げるものがいくつかありました。

1.憲法に抵触しかねない、自衛隊を派遣するより、民間団体を派遣するべきだ。  

この発言を聞いて、昔、原発建設の是非の議論が盛んだったころ、一部の学者やこれが識者かと思われる人が、原発より、風力や太陽光発電をすべきだと言うのを聞いて、あきれたことを思い出しました。

彼らが、原発と風力等の発電量の差を無視したように、反対者はボランティアベースの協力と、自衛隊による協力のレベルの違いを全く無視しているのです。

それと、政府、与党の人達が一番言いたくて言えなかったのは、6月22日の私の投稿のように、中東の紛争や戦争の際、同胞の救出の要請の際すら、航空会社が拒否した事実から考えて、仮にボランティアに頼るとしても、反応が殆どないだろうと言う予測だったのではないでしょうか。

2.生命の危険を晒してまで、何故自衛隊を出さねばならぬのか。もし派遣した自衛隊に死者が出たら、政府の責任はどうなるのか。

日本は日米同盟のもとで、日本が外国の攻撃に逢った時、米国が助けてくれることになっています。

その時、米国の軍隊は自国の兵士に被害を出来るだけ出さないような作戦を用いるでしょう。

しかしイラクや、アフガニスタンでも見るように、一人も血を流さないで戦争出来る訳はありません。

つまり日本のために米国民が血を流してくれるのです。

自衛隊の派遣はいくらかの危険を伴います。

然し、政府が一次湾岸戦争の際の批判を避けるために、眼に見える形で、米国に協力すると決断した以上、自衛隊員から被害者が出る可能性は、当然考えられことです。

そして、米国民にいざと言う時日本のために血を流して貰う以上、日本もそれだけの覚悟の上の決断だと、誰でも判ることです。

然し、皆知っているように、このような当然の理由を政府、与党とも、公の場では決して言いません。

反対者も当然そのことが判っていても、自説を主張するのに不利な発言はしません。

だからどの場での議論は皆堂々巡りに終わり、結局は小泉さんの決断だけで、決まったようなものです。

勿論、万一派遣した自衛隊から被害者が出ても、他国の政府のように、じっと耐えるしかないし、またそれで内閣が倒れることはなかったでしょう。

<<インターネットの役目>>

上の2つの例で判るように、政府や与党の人達は、いろいろの理由があるのでしょうが、国の行方を左右するような、重要事項のの討議にも、言いたくても言えないことがあり、そして反対の立場の人も知っていて言わないことがあるのも事実です。

そして、マスコミも、何故かこの誰でも判っている理由や事実を報道しません。

これからは、国や、国民にとって、本当の事を知るために、インターネット上のブログや掲示板の必要性がますます増してくるような気がします。

参照 Jnue 22, 27, 29投稿 


元中学校教師への手紙(8)[私が見てきた教育荒廃の歴史]

2006-07-02 18:29:16 | 教育問題

前回はマスコミの教育環境に与える問題について、つい、くどくど書いて申し訳ありませんでした。

何故なら、学校や社会の教育の不備が、自分自身の義務や責任を考えない親を生み、その人達が次第に社会大部分を占めて来ている事。

その人達に、もっと社会に対する義務感や責任感を感じて(教育して)貰うには、マスコミしかないとと思うからです。

それで、くどい様ですが、NHKの放送から小、中学校と若者の問題について考えて見ましたので聞いて下さい。

<<何故学校に行くのか>>

昔、中学校の生徒と先生、生徒と当時の元東大の総長だった文部大臣の対談のプログラムがありました。

その中で、生徒が高校の受験勉強でに苦しめられていることに関連して、生徒が何故学校に行かねばならぬのかと言う質問が出ました。

生徒の意見は、国民が教育を受ける当然の権利だ。

だから、くだらない受験などのために学校に行く権利を放棄しても良いのではないか、と言うのです。

しかしこの意見に対して、先生達からも文部大臣からさえも明確な答えが出ませんでした。

直ぐ考えつく答えは、生徒が学校に行くのは、国民が教育を受ける当然の権利を行使するだけでないこと。

人的資源しかない日本が、弱肉強食の資本主義が主流の世界の中で、他国と同じような生活レベルを保つために、不可欠な人材の育成をするために、生徒たちは将来日本の社会全体のためになるよう勉強しなければならないことは誰も異論のないことではないでしょうか。

こんな判りきった答えが先生方や文部大臣からさえも出なかったのは、当時(今でも?)上から下まで、終戦以来から醸しだされてきた、権利のことは言っても義務や責任のことを言いにくい所謂「空気」にどっぷり漬かり過ぎていたからでしょうか。

<<生徒や若者に言いたい放題言わせる番組>>

同じNHKで生徒や若者に自由に討論させる番組があります。

それこそ生徒や若者達の言いたい放題の放送で、それもそれなりに意味があるのでしょう。

然し、自分の好きな事を遣りがちで、自分の都合のいいことばかり聞く傾向のある生徒達にとっては、このような放送は恰好な言い訳にに使われだけではないでしょうか。

自由な発言といっても、自分たちが何故勉強したり働いたりしなければならないのか。

国が何故学校教育に税金を使っているのか。

それに対して生徒はどうしなければならないのか。

自分たちが働かなくても相当程度の生活が出来るのは親だけでなく税金を収めている国民のお蔭ではないのか。

それに対してどうしなければならないのか。

自分の権利を行使するのに人の迷惑をかけて良いのか等。

出席者自身でまたは同席しているアドバイザーの責任というブレーキをかけた発言でなければ、娯楽番組ならともかく、公共放送としては全くおかしな方向に流れてしまいます。

自分らしく生きるといって勉強も仕事もせずに好きなことをやっている人の発言はカッコ良く聞こえるだけに、特に考えて貰いたいものです。

もう一つの問題は、アドバイザーの形で主に成人のタレントがいますが、若者におもねるような発言ばかりで、ろくなアドバイスがないようです。

唯一の例外?は立川談志さんで、若者との討論は面白かったのですが、今までの番組の傾向からすると、このような人は余り出てこないような気がします。

石原都知事とか評論家などで、自分の意見をはっきり言える人を入れて貰ったらこの番組も随分役立つと思うのですが。  

(May 17と毎週日曜日投稿参照)