普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

少年に夢を与えよう・あゝ玉杯に花うけて

2011-02-09 15:15:30 | ちょっと良い話

 今は子どもが将来の夢を訊かれて「別に」と答え、草食系と言われる学生は大企業指向で折角、中小企業に求人があるのに見向きもしないで就職難に喘ぎ、企業は海外へ雄飛する人達を求めているのに、国内での安定した仕事を求めるというミスマッチ、国は科学技術向上のために外国留学を勧めているのに、就職に不利だとかで中国、韓国では増えている海外留学生が日本だけ減少しているそうです。
 そして引きこもりの青年が増えているのにその面倒を見る親達の高齢化が社会
問題になっている日本。
 何時までも果てるとも知れないデフレ、停滞している政治など世の中の所為にするのは簡単ですが、これでは日本の将来はどうなるのでしょう。
 こう言う時こそ少年の大きな夢を与える必要はないでしょうか。
  私の子どもころはそれこそ夢は「大臣か大将」と言われていました。 (もっとも当時の自分のことを考えると、貧乏人の伜の現実から。早く親達を楽にさせたいくらいの小さな夢しかありませんでしたが。)
 そのような少年達に夢を与え続けてきたのが小学校後半から中学校前半の少年を対象として出版された少年倶楽部(後に少年クラブの改名)
でした。 (当然少女向けには少女クラブがありました。)
 私の家は父がいまで言う契約社員、子どもが5人と言う貧乏人の子沢山の家庭で、雑誌など年に数回買って貰う程度で、後は友達のを借りて見るだけでしたが、それでも子ども心に大きな影響を与えられました。
 その中で大きな影響を与えてきたのは次のような小説やマンガでした。
  吉川英治『神州天馬侠』、佐藤紅緑『あゝ玉杯に花うけて』、『一直線』、『少年讃歌』、『少年連盟』、佐々木邦『苦心の学友』、山中峯太郎『敵中横断三百里』、『亜細亜の曙』 (当時国士、壮士と言う人達がアジアで活躍していた世相を反映したもの)、高垣眸『快傑黒頭巾』、平田晋策『新戦艦高千穂』(空中戦艦)、江戸川乱歩『怪人二十面相』、マンガの田河水泡『のらくろ』(野良犬が軍隊に入り失敗しながらの出世物語)、島田啓三『冒険ダン吉』 (南洋で酋長となって活躍)、川内康範『月光仮面』
 一目見てお判りのように少年に夢を与えるものばかりです。
 特に少年たちに理想を説く小説を書き続けて多くの少年に夢を与え続けた(作詞家で詩人のサトウハチローさん、作家の佐藤愛子さんの父親の)佐藤紅緑
さんの小説です。
  その中でネット上でも一番多く紹介されている、そして私が一番感銘を受けた『あゝ玉杯に花うけて 
』の概要を紹介します。
 これに就いてはご奇特な方もおられるもので、全文をテキストの形でネット上に出されているのでこれを参考にしました。 (もしご興味のある方がおられましたら是非通読をお勧めいたします。)
・主人公の千三(せんぞう)あだ名チビ公は母親とともに同居している伯父の豆腐屋を助けて売り歩いて家計を助けている。
・学校でも悪いことばかりする阪井巌と言う悪(わる)が、千三の豆腐を盗んだり彼を苛めたりしている。
・その千三をいつも助けているのが小学校時代の友達の光一とその親だ。
・光一の誕生日に招ばれた千三がお土産の折り詰めを巌に奪われうえ、負傷させられた。
・怒った伯父が巌の父の助役に抗議の行き、相手を傷つけ逮捕され、刑務所にいれられた。
・巌は試験のカンニングで協力をしなかったといって、光一の額に怪我させた。巌は停学になったが自主的に退学した。
・間もなく全校生徒から慕われている校長が転勤になった。それは巌の父の坂井が裏で手を回したという噂が立った。
・町会議員の選挙で出所した千三の伯父が坂井反対の旗を振った。かねがねの坂井のあくどいやり方で評判の悪い坂井が落選した。
・選挙後、一部の議員と阪井とがぐるになって、道路の修繕費をごまかして選挙費用に使ったという噂が立ち、息子の巌の耳にも入った
・坂井がある夜急に出ていったので、巌も心配で尾行した。そして坂井の行動に疑問を持っていた千三の伯父もそれにつづいた。
・坂井は役所に忍び込み着服の証拠書類を燃やし役所に火をつけて逃げた。巌はその火を消そうとし、それを心配した坂井が戻って二人とも火に包まれたのを、千三の伯父が助けだした。
・坂井は放火は千三の伯父だといったが、誰も信じるものはなかったが、事件は有耶無耶で片づいた。そして巌は今まで従っていた「力は総て」の父親の教えが間違っているのに気付いた。
・坂井親子は土地を離れた。
・光一は千三に父親が学費を補助するからと言って学校に戻るように勧めたが、千三は自分で生きる道を選んだ。
・千三は伯父の勧めに従い、月謝の制定がない、五円もあれば五十銭もある、米や豆やいもなどを持ってくるものもあると言う黙々塾に入り、ユニークな教師の教えを受けた。
・黙々塾と中学の野球と、地域上げての弁論大会の話
 その間にタイトルの「あゝ玉杯に花うけて」の歌詞が散りばめられ、所々に読者諸君と筆者のお説経が入っているのが変わっています。
 そして最後の記述です。
読者諸君、回数にかぎりあり、この物語はこれにて擱筆します。もし諸君が人々の消息を知りたければ六年前に一高の寮舎にありし人について聞くがよい。青木千三と柳光一はどの室の窓からその元気のいい顔をだしてどんな声で玉杯をうたったか。それから一年おくれて入校した生蕃とあだなのつく阪井巌という青年が非常な勉強をもって首席で大学にはいったことも同時に聞くがいい。

 このような若い人達を奮い立たせ、夢を持たせるような小説は時代遅れだと言う人も居るかも知れませんが、前に書いたように、何時までも果てるとも知れないデフレ、停滞している政治、そして何もかも他人の所為にしている、今こそこのこのような読み物が必要な気がしています。

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 女子マラソン優勝の原選手とゼッケン No.83の男子選手

2010-08-31 06:41:55 | ちょっと良い話

 一昨日の北海道女子マラソンで原裕美子選手か優勝しました。
 32キロ手前で並走していた宮内宏子選手を振り切って、原さんの独走状態になりました。
 いや正確に言えば原選手についている選手がいました。
 平行して行われていた男子マラソンの選手です。
 ゼッケン No.83。
 北海道大学構内に入る手前で原さんはサングラスを捨てました。
 苦しそうな顔、マイクに入って来る激しい息づかい、多分もう一杯一杯になっていたのでしょう。
 まだ余裕のありそうな男子選手は原さんと就かず離れず走り、彼女が給水を取りやすいように、カーブでは彼女が最短距離を走れるようにその位置を変えていました。
 原さんの勝利がはっきりして、私の興味は原さんがゴールした後の二人がどうするかに移っていました。
 二人は並走の状態でゴール。
 そして二人の握手、原さんの「有り難うございました」の言葉。
 それから原さんの涙のインタビュー。
 レース中の解説によると、名古屋国際を初マラソンで制し、世界選手権にも2大会連続で出場の栄光の時代→京セラを退社→栃木の実家に戻る→有名なマラソンの小出義雄さんのクラブに加入とう波瀾の選手生活を送ったそうです。
 そのような彼女にとって、苦しいレース中の男子選手の並走はどれだけ心強かったか、有り難かったかも良く判ります。
 男子選手がトップを走る女子選手と並走することは、男女同時に走るマラソンで良く見かける光景です。
  然し男子選手のゴールまでの並走は私の記憶では始めてです。
 その時の男子選手の気持ちは推測するしかないし、レース後にその男子選手が同輩達から(テレビで長く映って良かったななど)揶揄されるかも知れませんが、それを承知で、自己記録更新の希望を捨てて女子選手のにサポートに廻った男子選手には、程度はともかくとして何らかの善意が働いているのは間違いないと思います。
 たまたま同じ日に日本テレビ恒例のチャリティー番組「24時間テレ 愛は地球を救う」を放送していました。
 何でも「有り難う」がテーマらしくてタレントが各地で「有り難うと言いたい人は誰か」と訊いて廻っていました。
  勿論この企画は日本テレビの善意から出ているもので、評価すべきでしょうが、最初から企画され方針で一般の人に「有り難う」と言わせるタレント、取って付けたような「有り難う」の連発、視聴者そこのけで盛り上がる出演者など見ていると、つい引いてしまって直ぐスイッチを切り替えました。。
  私が見た北海道女子マラソンの場合は、大会関係者が意図しないところで起こったハプニングでした。 (勿論私が勝手にそう思っただけかも知れませんが。)
  とにかく原選手の優勝へ向けての頑張り、彼女を支えるゼッケン83番の男子選手、二人の握手、そして原さんの彼への心からの「有り難うございます」の言葉。
 原選手優勝おめでとう。
 久しぶりに心温まる爽やかなシーンを見せてくれた83番の男子選手ありがとう。

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ちょっと良い話・「おそ松くん」の赤塚不二夫さん

2010-07-09 15:49:33 | ちょっと良い話

 閉塞状態の政治・経済ばかりの投稿が続いていますが、今日は昨日のNHKの「スタジオパークからこんにちは」のアンコール特集で聞いた赤塚不二夫さんの話しで私なりに感心しことを纏めて見ました。
  赤松さんに就いては改めて書くまでもなく、「おそ松くん」、「天才バカボン」などで有名なギャグ漫画の作家でバカボンの父親の「これでいいのだ!!」は赤塚さんの代名詞かわりなっているようです。
・トキワ荘の生活
  一年発起して、後、漫画家たちのたまり場で有名になったトキワ荘の生活で石森章太郎さんや、藤子不二雄さんなどと寝食を共にしながらの耐乏生活。
  稀に誰かが投稿が採用された時その稿料での全員参加のパーティー。
  誰もがその成功を羨んだり妬んだりせずに皆で祝いあい助け合う生活、と赤塚さん。
  ひねた私から見れば、何人かは心の中で悔しがったりした人もいるし、下宿のムードを考えてそれを見せなかったことに、赤塚さんが気付かなかったのかも知れませんが、彼の「これでいいのだ!!」の性格かも知れません。
  お人好しの私も多分にその傾向がありますが、割合に他人への気配りがきく妻か何時も叱られています。
・手塚治虫さんの教えを実行
 トキワ荘の先輩の手塚治虫(おさむ)さんから「漫画家で成功したいのなら、最高の文学を読み、最高の音楽を聞くなど最高のものを学ぶ必要がある。」と言う話しを聞いて後、最初に貰った稿料をはたくつもりで、レコード店に行き最高の音楽のレコードを買いに行った。
 結局、店の人の勧めでクラシック音楽のレコードを買い、トキワ荘で皆に聞かせたこと。
  私は芸術などとは遥かに遠いところにいますが、それでも川柳やクラシックギターを齧っています。
 然し文学作品など近頃は完全にご無沙汰状態ですし、コンサートと言えばお付き合いで行くか、タダか安い入場料のときしか行った事がありません。
  これでまったく上達しないのは当然です。
・不思議な夫婦関係
  赤塚さんの仕事が忙しくなって、出版社から世話をして貰った美人の助手と協力して執筆生活が続き、彼女ののアイデアも随分取り入れ事実上の合作状態が続いた。 (と赤塚さんの話)
  その助手の登茂子さんと結婚したが、何故か離婚。 (と赤塚さん)
  その彼女が赤塚さんとは旧知の眞知子さんと言う女性との結婚届けを赤塚さんの所に持ってきてサインさせられた。 (Wikipediaによると多忙を極める中アルコール依存症に陥っていた赤塚のサポートをと元妻の登茂子さんが考えたそうです。)
  そして結婚会見のときの赤松さん、新夫人の眞知子さん、元夫人の登茂子さん不思議な集合写真。
  この「4人は今でも仲良く暮らしている」と赤塚さん。
 番組の最後に「私は人に憎まれないのだ!!」の字幕
 お人好し(勿論悪い意味での)を自認する私も似たような立場になれば、そんな赤塚さんの元妻の登茂子さんのような気持ちになるかも知れないし、赤塚さんのようにそれを受け入れる気持ちになるかも知れませんが、やはり世間体と言うか世の中の常識が働いてとても二人の真似は出来ないと思います。
 赤塚不二夫さんは登茂子さんの配慮も空しく、彼らしく生きそして不摂生のために72歳で早世しました。 (なお登茂子さんも眞知子さんも赤塚さんの前に亡くなり、お子さんだけの家庭で亡くなったそうです)
  私は人一倍健康に気をつけて、細々と生き長らえています。
  赤塚さんの華々しい活躍をしてぱっと散る生きざまは羨ましいような気がしますが、才能も何もない私に真似しようもありません。
 赤塚さんの「これで良いのだ!!」ではありませんが、 人は皆それぞれ自分らしく生きるしかないし、それが一番良いのでしょうかね?

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小児癌患者支援のイベントを立ち上げた小学1年生

2009-09-16 12:00:31 | ちょっと良い話

 昨日の九州朝日放送で表記の小学1年生の活躍を伝えていました。
 大変良い話なので見られてない方にその概要を報告します。
 (なお下記の資料で私の記憶の不確かなところを確かめ、さらにテレビで報じて無かった関係団体の名前など細かい点を補足しました。)
 主人公の名前は牟田口あやのチャン、福岡県柳川市の小学校では、とても活発で朗らかなクラスの人気者だそうです。
 彼女は4歳のとき、同じ4歳の小児癌に罹ったアレックスの話しをテレビで見ました。
 アレックスは「子供たちが働いてお金を得ることを学ぶため、自宅でレモネードを売る」という番組を見て、自分も「レモネードを売って、そのお金で病気の子どもを助けたい!」と、自宅にレモネードスタンドを開いたところ、その噂が近所の人達から全米各地での活動になるまでまで広り、その収益が小児がん研究に捧げられましたが、アレックス自身は8歳で亡くなったそうです。
 あやのチャンはこれを見てお母さんの智美さんに自分もやりたい言ったそうですが、「小学生になってからね」と聞き流されたそうです。
 しかし6歳になり小学校入学直前にまたお母さんに同じことをねだりました。
 お母さんの智美さんはあやのチャンの変わらない熱意を知ってインターネットで見つけた、小児癌研究を支援する東京のNPOの「サクセス」に相談しました。
 それからは話がとんとん拍子に進んで、そのイベントの場所(や多分テントなどの資材)を提供し、広報の役を担った西日本新聞社、レモン飲料400人分を提供した福岡市の「福岡サンポッカ」などが後援を申し出で、話しを聞いて飛び入りで参加した小児がんと闘う牧本敦医師たちも加わって「レモネードスタンドinふくおか実行委員会」が立ち上がりました。

  その内容は、
・日時:09年8月30日11時から17時
・場所:西日本新聞社前広場(大丸・福岡天神店前)
・活動内容:
 レモネードの配布と募金、収益金・募金は小児がんの支援団体へ寄付
 小児がんの子供達を応援するメッセージカードの制作
 小児がんに関するパネル展示
 千羽鶴の制作
です。
 勿論、実行委員長とレモネード・スタンドの店長はあやのチャンです。
 声をからして人を呼び込む小さいあやのちゃんと、冷たいレモン飲料に惹かれて多くの人達がスタンドには、立ち寄り、寄付をし、メッセージカードを書いたり折り鶴を折っていました。
 中には貯金箱の内容をそのまま募金箱に注ぎ込む人もいました。
 その内に(多分上記の牧本敦医師が連れて来た子とと思うのですが)抗ガン剤の副作用の為でしょうか、頭に白い帽子を被った少年も参加して道行く人達に声を掛けていました。
 そして用意したレモン飲料はあっと言う間になくなり、あやのチャンの熱意は74,500円の募金となって実りました。
 飛び入りで参加した牧本敦医師は「暑さで疲れましたが、僕にとっては、冷たい清涼剤よりも心に効く、すばらしいイベントになりました。」と書いているように私にも久しぶりの清々しい話しでした。
 あやのチャンの愛読書はアレックスの話しを纏めた絵本、その中での一番好きな言葉は「人生が酸っぱいレモンをくれるなら、それで甘いレモネードを作れば良い」だそうです。
 そしてお母さんの智美さんとは「また来年以後もやりたい」と話し合っているそうです。

[私の感想]
・僅か小学1年生の善意がこれほどの大きな実を結ぶとは、日本もまだ捨てたものではないですね。
 そして私たち大人も文句言ったり愚痴をこぼす前に、何かやることがあることをあやのチャンに教えられたような気がします。
・それとあやのチャンの意見を取り上げて、彼女に何でもやれば出来る、人の為にすることがどんなに楽しい事かなど覚らせるなど、この上ない教育効果をあげたお母さんの智美さんも素晴らしい人だと思います。
・そして私自身のことですが、お迎えが近くなった今何も出来ませんが、せめてこのような美しい話しもブログになるべく多くエントリーしたいと思っています。

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参考資料:
   小児がん支援:柳川市の小1少女 天神でモネード店 「力になりたい」
   レモネードスタンド in ふくおか 小児がんと闘う牧本敦医師のブログ
  
アレックスのレモネードスタンド
  
NPO法人小児がん治療開発サポート(SUCCESS) [これまでの活動報告]

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橋下知事ファンの女性が府に1億円寄付

2009-04-10 17:34:00 | ちょっと良い話

 今日は久しぶりに良いニュースを見つけました。
  朝日新聞(Web)のリュックに現金1億円、「橋下知事ファン」が府に寄付
のニュースです。
 
大阪府の橋下徹知事の「ファン」を名乗る女性が先月中旬、現金1億円を府に寄付した。税控除のある「ふるさと納税」を呼びかけてきた橋下知事もびっくり。制度創設から1年ほどで、府への寄付は総額1億5700万円を突破した。
 「知事を応援したい。福祉に使ってほしい」
 3月17日、地域福祉課の職員はこんな電話を受けた。リュックサックに現金1億円を詰めた年配の女性とその家族が府庁を訪れ、知事室で橋下知事に面会した。女性が「財政難で困っていると聞きまして」と言うと、橋下知事は恐縮しながら「ありがとうございます」。女性は名前を公表しないよう希望し、橋下知事と記念撮影して帰ったという。職員は「知事の人気のおかげ」と感激した。
 納税制度ができた08年度、府は延べ505人から1億5702万円余を集めた。厳しい府財政の一助にと、橋下知事は事あるごとに寄付を呼びかけてきた。(中略)
 これまでに、お笑いコンビの「爆笑問題」が1千万円、作家の堺屋太一さんが数十万円を寄付。昨年10月、半年間で1千万円のノルマを課した府東京事務所は、服飾デザイナーのコシノヒロコさんや元財務相の塩川正十郎さんらの協力もあり、3月までに1087万円を集めた。 (中略)
 寄付額を公開している30府県のうち、栃木県の約2億2409万円や岡山県の1億825万円が上位を占めるが、多くの自治体は数百万~数千万円規模だという。
 府への寄付金は教育やイルミネーションなどの事業に活用する予定で、今年度の目標額は2億円超。橋下知事は9日の記者会見で「何とか目標額を達成したいのでご協力を」と改めて呼びかけた。

 年寄りのひねた眼から見ますと、リュックサックに現金1億円を詰めて家族と一緒に府庁を訪れ、知事室で橋下知事に面会し、橋下知事と記念撮影するなど、少し芝居がかったような気がしますし、まるで中高年の女性が芝居で一万円のレイを花形役者に掛ける光景を思いだしますが、それにしても1億円も寄付して匿名を希望するなど普通の人などではす出来ない事です。

一女性へ
 私など、しがない年金暮らしで、僅かな預貯金も大病を患ったときや葬式の資金に取ってあるだけで、1億円とは全く別の世界にいます。
 然し、仮に宝くじなどで1億円が当たっても、せいぜいその中の百万くらいは市に寄付するかも知れないと「金の無いときは」思いますが、いざ大金が手に入れば固く握り占めそうな気もします。
  
私は私に出来ないことをする人達を何時も心から尊敬しています。

朝日新聞へ
 それと何時もはネット上では何時も批判の対象となる朝日新聞ですが、この様な明るい記事を出したことには大賛成です。
 世の中の不祥事ばかり報道しておれば、世の中が良くなるどころか、悪くなることも有ります。
 今回のように明るいニュースも意識的にでも、なるべく多く報道して下さい。

橋下さんへ
 そして彼女の行いで、橋下さんも一層元気が出たと思います。
 これからも今まで通り果敢に利権構造に立ち向い、その思い切った発言とともに行動で政府にも良い影響を与えて下さい。

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「10秒のキス」、とてもいい話

2007-03-29 21:18:31 | ちょっと良い話

  月に一度新聞と共に配達されるフリー・マガジン「リセット」の読者投稿欄に、多くの読者から「10秒のキス」を見て涙が止まらなかったとの投稿があった。

  これは全国亭主関白協会の会長として、最近マスコミを賑わしている天野周一さんのエッセイだ。

  大変いい話と思うが、全国亭主関白協会のホーム・ページと地域版の「リセット」に載っているだけ、それも福岡県の福岡、筑後、北九州地方に限られているだけのようなので、全国の人にも知って貰いたいと思って紹介する。

  彼のコラムに書いてある「勝手にコピーすることを許可する」との言葉に甘えて、そのハイライトをそのまま拝借することにした。

  ハイライトとしたのは、この紹介記事に感動された方は、その全文を再度読まれても決して損はしないだろうと思うことと、読者に全国亭主関白協会のホーム・ページの存在を知って貰うことで、天野さんの文をコピーさせて貰った御礼に少しだけはなれると思うからだ。

  もしこの文を既に読まれた方は、気が向かれたら、最後の「人気ブログ・ランキング」をクリックして頂くか、そのまま他のプログにスキップして下さい。

「10秒のキス」、全亭協のシンボルストーリー

部活で遅れる長男を除く、二人の子供と妻の待つ病室に入った。

 乳ガンが全身に転移し、余命幾ばくもないと、みんなが知っている。モルヒネの効果だろうか、いつになく穏やかな顔だった。

 親の反対を押し切って結ばれた私たちは、社内恋愛だった。三人の子供にも恵まれ、それなりに幸せな毎日を送っていた。

 今はもう、ベットに横たわる妻を見つめることしか、なす術がない。やがて先生は病室を去り、二人の看護師さんがテキパキと点滴を換えている。

 長男が慌てて、病室に駆け込んできた。
 家族が全員揃ったのは久しぶりだ。

  子供たちの近況を聞いていた妻が、少しの微笑みと共に、私の方に目をやると、唐突に
 「あなた、キスして」と言った。

 二人の看護師さんと三人の子供たちには聞こえたのだろうか。一瞬ハッとしたが、ためらいもなく唇を重ねた。

 生涯の中で、こんなに長いキスは初めてのような気がした。
 薄目を開けて見れば、ひとすじの涙が頬を伝っている。そっと唇を離すと、嬉しそうに、だが、「短いのね」とスネてみせた。

 看護師さんも子供達も見て見ぬふりをしていたような気がしたが、私は、「ふたりっきりの時にリクエストしてくれよ」と頭を掻いた。

 精一杯の照れ隠しだったが、病室は静けさに覆われている。

 やがて深い眠りが訪れたのを確かめて、病室を後にした。涙で、病院の長い廊下がユラユラと揺れていた。

 それから丁度二週間後、妻は静かに息を引き取った。

  満開の桜の下で遺影を抱いた長女が、「あの時の母さん、とっても幸せそうだったね」とポツリ。

 子供の前で交わしたキスからもう3年が経った。3人の子供達の心に深く刻み込まれたのだろう、短大を出た長女は、大学生と高校生になった弟達の面倒をよく見てくれている。 2人の息子達も明るく、真っ直ぐに育っている。

 君の、最後のメッセージは、決していい夫ではなかった私の心にも、永遠に灯っている。
 そして二度と交わすことが出来ない、君との「10秒のキス」を一生忘れないだろう。

全文を読むには
全国亭主関白協会→会長のコラム→[「10秒のキス」は、全亭協のシンボルストーリー]へ進んで下さい。

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米国紙が絶賛した日本人

2007-03-26 22:36:51 | ちょっと良い話

能登半島の大地震には驚きました。
被災者の方へは心からのお見舞いを申し上げます。
この上は、一刻も早い回復をお祈り致します。

私たちの英字新聞輪読会の教材(Students Times Jan. 26, 2007)で米国在住の山田雅子さんが、例の慰安婦問題で日本パッシングの先頭に立っているニューヨーク・タイームズが、インスタント・ラーメンの発明者の安藤百福さんを絶賛していることを紹介する記事があった。

私もブログの皆さんにも是非知って貰いたくてそのその概略を纏めてみた。

大多数の米国人がラーメンの言葉を知っている事は賭けて言っても良い。
然し、彼らの頭の中にあるのは最近死亡した安藤百福さんが発明したインスタント・ラーメンだ。
ニューヨークにはMomofukuと言うラーメン食堂があるほどだ。
そして、彼らが(インスタント・ラーメンでなく)生ラーメンが食堂で食べれることを知ったのはごく最近の話だ。
百福さんの死は、米国では大きな事だった。
ニューヨーク・タイムズは彼の死亡記事の中で、彼をノーベル賞受賞者や有名な政治家と同じ取り扱いをした。
同新聞は正式な死亡記事以外にも、感動的な哀悼記事を別の紙面で掲載した。
同新聞の最近のウエブサイトでの彼への哀悼記事は、一番アクセスの多かった記事の一つだった。
彼女の友達は、インスタント・ラーメンは大衆文化の一部、学生達や芸術家などの欠かせない主食だ、とまで言った。


雅子さんは言う、
米国の大衆文化への彼の影響は、ノーベル賞受賞者かそれ以上かも知れない。

私は百福さんがインスタント・ラーメンの発明者であり、その特許権を公開したために、それが世界中に広まっていること位は知っていたが、これを見て改めて彼の発明が、世界への大きな影響を与えたことを改めて思い知らされた。

彼が台湾から帰化して以来の製塩事業、何回かの投獄、日清食品の設立、破産の危機、チキンラーメンの商品化、製法の特許権の公開、カップ麺の開発までの波瀾万丈の経歴などは、

安藤百福 - Wikipedia
に記されているので、興味のある方は是非一読されることをお勧めする。

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