手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

福祉センター詩吟  16名参加

2018-09-18 19:03:39 | 詩吟関係


 先週は地震の関係でセンターが閉館となり中止でした。中一週間空いての教室です。当初の予定だと「獄中の作 」と「桜田門外の変」をやることになっていたのですが、桜田門外の変は中止することにして、「辞世 吉田松陰」が、和歌をつけて吟じていなかったので、今日改めて和歌を入れて吟じてもらうことにしました。和歌ほとんどやってませんからどうかと思いましたが、新人の二人もちゃんと吟じました。でも、全体的に早すぎる、もう少しゆったりと吟じられるといいのですが、仕方のないところです。後半は「獄中の作 橋本佐内」をやりました。橋本佐内について少し時間をかけてはなしてあげました。越前藩士で医者の息子だったけれど、学問に熱心で、緒方洪庵について医学と蘭学を学び、その秀でた才能が認められて武士として取り立てられ、松平春嶽公の側近として、一ツ橋慶喜公の将軍推戴に努力した人であること、安政の大獄で処刑された人は皆尊王攘夷の人ばかりのように思われがちだけれど、佐内は尊攘の志士たちとの交遊は深かったけれど、尊王攘夷ということより、慶喜を擁立して幕府を立て直し、諸外国に引けを取らない政治体制を作り上げることを考えていた方であること話してあげ、井伊大老は一ツ橋慶喜推挙にはしった者たちを敵としていて、尊王攘夷の志士ばかりが処刑されたのでないことを話してあげました。又、文天祥の「正気の歌」についても触れてあげました。

 なお、佐内はロシヤと手を結び対外政策を進めようと考えていたといいます。新政府はイギリス、アメリカと近づいてゆきますが、その中で日露戦争へと日本が進むのは、イギリスやアメリカの欲するところだったといえます。明治新政府が瞬く間に軍事強国になっていくのは、そのあと押しがあってのことです。日露戦争の戦費もイギリスからの借金で賄われたはずです。日本を植民地にしなかった一つの理由は、ロシヤの太平洋進出を阻む防波堤に日本を使おうとしていたからといえるのではないでしょうか。日露戦争の日本の勝利は思うつぼだったと思います。ここから図に乗った日本は 身の程知らずの侵略国家へと進み、第二次世界大戦へ突っ込まなければならないように仕組まれて行ったと思います。

 「西郷どん」を見ていたら、坂本龍馬を通して薩長に新式の武器が売り込まれている一方、イギリスは幕府に薩長を討つことを進め、兵力すら出すといい、薩長を討ったら、薩摩をイギリスの領土にさせてほしいと迫っていた。維新の戊辰戦争が、本来なら内乱になるはずだったのが、ならなかったのは、将軍慶喜がいち早く恭順の姿勢を示し、勝海舟が出てきて江戸城の無血開城を謀り、内乱を未然に防いだことによると思います。勝海舟達はこの戊辰戦争に外国の介入をさせてはいけないと既に読んでいたのだと思います。しかし、イギリスなどの思惑は、次の段階へと網を張っていたのだと思います。維新新政府が出来上がったら、軍事力強化のため、膨大な国費が使われていくのです。何か、こんなことを考え始めると具合が悪くなる。とんだ横道に入りました。
コメント
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