手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

沼田の雪

2005-11-28 19:44:27 | 思い出 2  現役関係
 初めて沼田に行ったのは、昭和22年の2月頃だったと思う。永山農業の親友で、稲田君が沼田の人で、遊びに行ったのでした。
 そのとき、市街地を歩いて驚いた。道路の雪がほぼ軒の高さまであって、玄関には、雪山を下りていく感じだったのです。
 
 その沼田に、高校の先生として昭和28年から11年間いたのです。住まっていて、そんなに雪がどうしょうも無いとは思わなかったが不思議です。

 結婚して、緑町の公営住宅に入居したのですが、住宅の玄関のドアが、外開きになっているため、大雪の朝など、家から出ることが大変なのでした。まして、何日か家を空けると、家に入れないのです。そんなことになるのがわかっていますから、スコップを取り出しやすいところへ置いていっていますので、それでまず玄関を掘り出して入るのです。若かったから良かったのでしょうが、本当に大変だったし、まさか、あの沼田が冬でも車が走れるようになるなんて全く想像も出来ませんでした。
 
 先日の初雪、結構な料でしたから、根雪にはならないまでも、庭の片隅くらいは解けないで残るだろうと思っていたら、綺麗に解けてしまいました。2~3日中に雪になる予報ですが、今度は根雪覚悟になるのでしょう。
 
 
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友達はいたけれど、、、、

2005-10-28 22:20:39 | 思い出 2  現役関係
 小学校の時は、1学年上の山田真さんと仲良くしてもらっていた。永山農業では、「スズラングループ」というグループを組んで6人位でまとまっていた。どちらかというと悪仲間、勉強仲間とはいえなかった。
 大学では、金子三郎君と一番の友達だった。麻雀、ダンスの仲間で、いわば悪仲間、寮に入っていたときの仲間で今も年賀状だけはやり取りしている田中君がいる。でも卒業以来、一回もあっていない。
 勤めた最初の高校では成沢さんと気があって、囲碁と釣りと飲み歩きを随分楽しんだものだ。しかし、それそも転勤で全く疎遠になる。美唄では、組合関係の付き合いが多かった、一方麻雀仲間との付き合いも多く、付き合いの幅は広かったと思う。
 札幌に来て、結局いい友達だったのは飲み友達、特にFさんとTさん。三人で手稲でよく飲んだものです。その頃のことを思い出すと「手稲っていいね」と言いたくなる。
 学校の仲間づきあいも悪くは無かったのだけれど、多くの友達が管理職として転出、管理職になると付き合いがしにくくなる。飲み友達の三人が退職後も、飲み歩いていたのですが、Fさんが喘息・肺気腫で動けなくなり。Tさんとは最近までまだ付き合っていたのだけれど、詩吟で私が独立した関係から離れることになった。
 いろいろ書いてきたけれど、遊び友達ばかりで、共に精一杯生きることで付き合う仲間がいなかった。結局、親友という人をもてない人生を送ってきたのです。
 上っらだけの付き合い、そんなことになるのでしょうが、でもそんな友達は結構多いのかもしれない。
 いい仲間で、他界した人も多い。惜しい人が早くになくなった。
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こんな人もいるのです

2005-09-01 17:41:31 | 思い出 2  現役関係
 退職した年、新しく始まった新任教員指導制度で、私の後任の新採用教員の指導担当をさせていただき、給与はありがたかったけれど、暇で困った。その後2年時間講師をさせていただき、4年目にまた新採用がありその指導担当をさせられた。そのとき、一年目の辛い思いがあったので、その新任の先生の1クラスの担当、古典3時間を、私が担当して、その時間は見学させることにした。いわば、私の教える時間は、新任の先生への公開授業ということになった。
 結構、きつい仕事になった。とりわけ、講師という身分は、生徒との関係も現役の時とは、差があり、おまけに、生徒の質的変化も際立つようになっていた。
 模範授業には、程遠い場面も多かった。新任の教員に、笑われそうな情けない授業も多かった。その年で、講師はもう1年続ければ続けられる状況は、あったけれど、止めさせてもらつた。普通、退職後5年間の講師が保障されている中で、私は4年でやめました。
 その、最後に指導という指導にもならない指導をした、新任の女の先生が、もお10年以上になるのに、未だに年賀状とか、書中見舞いとかの葉書をくれるのです。
本州のほうに行き、結婚して、共働きで教員を続けているのですが、昨日、かわいい子供さんの写真を入れた残暑見舞いの葉書を下さった。
 殆ど指導らしい指導もしていないし、尊敬されるようなところは全く無かったのだから、とっくに忘れられていいのだけれど、未だにこのように便りをくれるなんて、信じがたいことです。こんな人もいるのだと、感心し、この人ならきっといい先生として、生徒にも慕われているのだろうと、改めて思いました。
 千葉先生、がんばってください。
 
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美唄東 旧職員会 声かけ止めて 3年目

2005-06-27 21:04:31 | 思い出 2  現役関係
 美唄東の旧教職員の集いを私が声を掛けて何年開いたのだったか、途中1年止めたら藤原氏の年賀状で、「先生が声を掛けなければ誰もやらない」と書かれ、また続けていたのだが、どうも一人でも多く集まって欲しいとか思うと、ついつい余計な人?にまで電話をして、いらない苦労をするのです。
 本当に気の置けない仲間、3人でも5人でもが集まるというのなら、どうということも無いのだが宴会場(料理屋)でやるとなると、10人前後はいて欲しいと思っちゃったりするのです。
 それかといって、適当な飲み屋は、今では探しようも無い。
もお、皆歳だから、札幌の町中まで出て飲むというのは億劫になっているのかもしれない。
 美唄にいる者たちはどんなしているのだろう。なかなか近いからといって会えるというものでもなく、誰かが世話役を引き受けなければならないのだが、結構面倒なものです。
 誰かから声を掛けられたら私はすぐ行くのでしようが、もお、世話役は、今の 私には無理のようです。
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明日、六八会 札幌支部懇親会

2005-06-20 21:31:39 | 思い出 2  現役関係
六八会=ろっぱちかい、 この会名の由来、 26年、28年卒業の同級生の会、
もう少し具体的には、北海道第三師範学校と北海道学芸大学の昭和26年卒業(北三師旧制・学大の二類)28年卒業(北海道学芸大学旭川分校一類)の仲間なのです。
 私たちは、学制改革の最初の学生で、旧制の最後の学生なのです。ですから、新制大学に進まずそのまま旧制師範で卒業した者、新制大学の4年生に進んだ者、2年制に進んだ者と、違った卒業のしかたをしているのです。
 その、札幌支部の懇親会が毎年開かれていて、明日が今年の例会なのです。とても偉いといえるのは、宴会の前に誰かが一時間ほど講義?をするのです。研究発表あり、今までの体験談あり、現在の仕事に関すること有り、とにかく研修をまずやって宴会になるというわけです。
 もしも、私に鉢が回ったらどうしましょう。詩吟の話でもすることになるのでしょうか。でも多分大丈夫でしょう。今までの参加は皆遅刻なのです。詩吟の教室と必ずぶつかっていて、研修の時間には行けないのです。
 毎年思うのですが、私はまだ元気なほうです。随分老化の進んだ仲間も多くなり、出席も毎年減ってきている。ことしはどんな状況なのか、とにかく楽しみです。二次会は無いので、また「いの平」に、寄りますか、、、、、。
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