手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

ソーラン祭 今年も中止

2021-06-28 19:29:42 | 随想

 札幌の夏は「ソーラン祭り」で開幕する。ところが、昨年、コロナ禍で中止となり、今年も亦中止となった。
 北大の生徒たちが中心となって、北海道の代表的民謡「ソーラン節」に合わせて、それぞれ独自の集団演舞を繰り広げる。曲も中にソーランの言葉が入れば、どのような歌でもよい、踊りの人数の制限もなく、踊りは各団体がそれぞれ一年かけて練り上げた独自の、しかも力強いもので、札幌の夏の幕開けには、最高のものです。最初のころは大学生が中心でしたが、次第に、応援の企業と組んでのチームとか、地域の団体とか、それも北海道内だけでなく全国から参加するチームも増えてきて来て、更に外国のチームまで加わるようになってきていた。確か五日間にわたって開催されるのだと記憶していますが、此の間は札幌中がソーラン一色になるのです。
 このソーラン祭りが終わって、6月15日が北海道神宮の夏祭り、ソーラン祭りができる前は、此の札幌神社の祭りが、いわば夏への衣替えの時期になっていました。
 この祭りとともに大通りにはビァガーデンが、開かれて暑い夏になるのでした。それが、二年続けて、コロナのために中止となったのは本当に残念です。あの、ソーラン祭りの大太鼓の響き、苦心を懲らした衣装、飛び散る汗、やっぱりソーラン祭りで夏を迎えたい。
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何と!! 家内が退院してきた・・・

2021-06-27 19:01:22 | 身辺雑記

 一昨日、娘から、病院へ電話したら先生から、退院について話があるから来てくださいといわれたと連絡があった。退院をさせるという話ではなかった。それで、娘一人で行かせたのでしたが、昼頃、何と家内が退院して娘と一緒に帰宅したのです。
 娘が呼ばれたのは、退院の時期とか、退院後の世話についてなどの話がされるものと想像していまして、退院になるなどとは全く考えていませんでしたので、本当に驚きました。でも良かった。
 杖を突かずに歩けるのです。ほとんど入院前と変わらないありさまでの帰宅でした。
 入院して3週間ほどでしたが、突然の入院で私の心の準備ができていなかったので、毎日がとても大変でした。それでも、今の時代、自分で作らなくてもコンビニで買って間に合わすことができるようになっています。味噌汁はインスタントで間に合いました。生魚は遠慮して、フライを買ってくる。肉や天婦羅も、不自由することがありませんでした。でも、細かいことがたくさんあって休む暇なしに歩いているような時間が多く、家内の有りがたさをしみじみ感じました。
 後10日くらい覚悟していて、入院以前の仕事はできないものと思っていましたが。変わらない様子ですので安心しました。
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期待していた21日からの詩吟再開・・・・だめ!

2021-06-19 19:40:01 | 詩吟関係

 非常事態宣言が解除になるけれど、札幌は蔓延重点措置の延期となり、7月の末まで会場がやはり使えないということが判明した。
かなり期待して、楽しみにしていたのに残念です。
 オリムピックの観客収容について専門家の意見が出された。「無観客が一番安全だ」、当たり前ですね。専門家でなくても言えることです。
 今罹患者が減少方向へと向かっている。緊急事態宣言が利いているのは間違いないけれど、ワクチンの接種が始まり、接種した方たちの喜んでおられる姿、報道などが、ワクチン接種への期待と、それを待つ心情が
蔓延防止への力になっていると思う。私も一回目を終えて24日に二回目を接種しますが、一回でも効果があるという感じが強い。副作用などは問題にする必要もない。
 しかし、意外に予約をして接種に来ない方、接種を拒む方がかなりいらっしゃるようだ。これから感染する予備軍です。オリムピックの観客も最低ワクチン接種を条件としたら、蔓延騒動などにはならないと思う。
国として、もう蔓延防止措置を解除している国もある。ワクチン先進国だ。確かに、全国民を対象とするわけだからその数は半端でない。二、三日で終わるものでないだけに大変だけれど、一日も早くワクチンを接種したいという
機運が抑止力にもなる。どんな薬でも、副作用なしの保障はできないはずだ。今の症例だけで不十分とは言えないと思う。
 とにかく、ワクチン接種の進行と罹患者数の減少がかみ合っている感じがする。コロナの終息を皆様と同じように待ち続けています。vd@)4d@qepy
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21日から詩吟の教室再開できそう!!

2021-06-17 19:36:22 | 詩吟関係

 コロナの蔓延防止で、公共施設の貸し出し、使用は総てアウトになっていた。私の詩吟の教室も粛々と継続していたのだけれど、教室を借りることができなくなり5月から休みが続いてきた。
今日ののニュースを聞くと、20日までの緊急事態は解除になるようだ。とすると21日から教室が再開できるかもしれない。
 週一回の教室だけれど、有ると無しとでは気持ちが全く変わる。歳のせいでもありますが、一回の教室が楽しみで、張りのある生活になる。
 91歳、持病の肺気腫もかなり進行していて、酸素に頼ることが多くなっている。でも詩吟の教室では酸素なしで勤めることができている。肺気腫に詩吟はとても良いリハピリ―です。
 そろそろ後継者にまかすことを考えなければならないのですが、むつかしいことです。先に、女性のIさんが同じ職場の同僚を誘って教室を立ち上げてくれたのでしたが、三人ほど仲間にしておられたのですが、皆様おやめになり、とうとう会を解散し、I先生は個人会員として北詩連に席を置く形となってしまった。また、私の北詩連での吟歴の出発点、平和教場はKさんが教室をを立ち上げたもののの、実動ができないでいた。又、Oさんが資格を取られたので、このお二人で平和教場の教室を維持してもらうことにしたのでしたが、必ずしも十分に機能しているといえない。教えることのむつかしさがあるのです。
 詩吟人口が極度に減少していて、教室を立ち上げることは至難に近い。そんな中ですから、指導の仕方もただ吟を教えることだけ出来ても指導者として務まらないということを考えなければならない。
 今の私の教室には、OBの方が特別会員としてお二人いらっしゃる。又、教本を終了した方もお二人たのしんでおられる。私の教室は今は特殊な教室になっています。でも楽しい教室になっています。これも時代のもたらすものなのでしよう。

 
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入院中の家内と電話で話ができた・・・

2021-06-16 19:08:03 | 身辺雑記

 歩いて買い物に出かけて、途中で転倒し、頭を打ち、救急車で渓仁会病院に運ばれて、五日目に秀友会病院へと家内が転院しています。
 救急車で搬送され、救急担当の先生からの所見の電話をいただいた。その時、脳に出血があるけれど、多分手術する必要はないと思います。あとは担当の先生の判断を待ちましょう。と、特別緊急を要する事故ではない感じの話でちょっと安心していました。運ばれて五日目に脳外科の病棟へ移されました。救急病棟にいる間面会ができなかったのは、救急病室だからと思っていたが、正式な病室に移っても面会はできないといわれて、本人が必要としている荷物は受付で担当の看護婦さんを通してやり取りするしかなかった。あとで分かったのですが、コロナの警戒で全患者が面会できない状況になっていたのでした。
 そんな中、群馬県にいる娘が担当の先生に電話して症状をお聞きして連絡を呉れた。病名は硬膜下血腫という聞いたことのない病名でした。出血がひどくないので、このままリハビリーの併設された脳神経外科の病院へ転院してもらうということでした。その転院先の病院のベットの空き待ちで、12日の火曜日に転院しました。転院先の病院も面会はできません。
 ところが一昨日、中央区に居る娘が電話を入れたら、家内に取り次いでくれて話ができたという報告がありました。そのことを群馬に知らせたら、群馬の娘も昨日電話を入れて家内と話をし、担当の先生の話も聞いてくれた。
 二人の話から、かなり順調にリハビリーガ進行しているらしい様子が分かりました。
 それで、教私も電話を入れてみました。直接家内にスマホを渡してくれました。ほんの一言話しただけで切りましたが、わかったことは、本人は自分の病気について、知らされいないということです。本人は要するに転んで意識を失ったけれど、歩けるようになったら帰れると思っているみたいです。今杖を突きながら外もあるㇾけるし、トイレも自分で行けているので帰れると思っているようです。しかし、病気の中身はそんなに簡単なものではなく、まだ転院1週間、MRIの画像診断などの結果もさることながら、内出血の止血が確認出来、今のビッコ状態をもう少しリハビリーで直し、杖を突かなくても歩ける状況になるまで入院させていただくことが大切なのだと思いますが、本人はかなり甘く考えているようです。でもかなり元気が出ているのはうれしいことです。
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オリンピツクが迫ってきた  何としても成功させよう!!!!!!

2021-06-10 19:56:36 | 政治

今、オリムピックを中止せよ、といっている政党を上げなさいといったら二つくらいの政党は異口同音にみんなこたえると思う。正論でしょう。でも、よその国の問題じゃない。日本でやるのだ。
今回中止したら、もういつになるのかわからない。コロナ禍の問題を抱えたままです。大変なことは大変です。そのために国も遅ればせになってはいるが、全力を傾注している。
問題はいつでも起きる。名の問題もなく開催されたとしても、突然大問題が起きて困ることだってある。今回は起こることが目に見えているということになりそうだけれど、これを乗り越えて立派にやり遂げることだってできないわけではない。みんなで心を一つにして成功に向かっていきたい。それをさせないように大声をあげている人がいるのは残念だ。
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家内の転院

2021-06-08 19:02:39 | 身辺雑記

 やっと転院となった。救急車で運ばれて以来、面会は駄目、何回かどなたかの携帯電話を借りての電話があったけれど、それは届けてほしいもののを並べるだけの電話で、事故の時の様子だとか、そのあとの治療の状況などについてわからないままで来ていた。救急車で運ばれ、救急病棟に入れられ、そのあと脳神経外科に移されたが、それは病室が変わっただけで、病名ははっきりしているけれど、入院治療の範疇に入らないらしくて、脳神経外科的治療の一環であるリハビリー科を有する病院への転院が求められていた。その流れで、今日の転院となった。正式な入院になるので、もっと病人らしい待遇が、特に面会とかが許されることになるのだろうと、期待しながら出かけた。
 とても面倒なことがあったりしました。車椅子で移動しました。そのままますぐ病室に行くのかと思ったら、大間違いでした。入院手続きは手続きとして、持ち物の仕分け、薬の仕分け、診察、入院心得のようなものの説明、署名とか9時40分ころから動き出して、私が解放されたのは13時過ぎでした。私は病室についてゆくこともできませんでした。
 下の娘が、リハビリ―のためにと、足踏みの用具を送ってくれていたのですが、持ち込んでよいかきいたところ、断られた。又スマホをボタン一つで電話できるように設定して用意してくれたのだけれど、それも病室で電話は禁止ということでダメになった。
 面会は駄目、特に必要のある時はPCの画面での面会が認められる。それも前もって申請しなければ駄目なのだそうです。もう少し密着できる転院を期待したけれど駄目。コロナの問題でためになっているのかどうかも分かりませんでした。一寸辛い入院になりそうです。私も頑張らなければならないのだけれど、どこまで頑張れるのか。、span>
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ワクチンの後遺症

2021-06-06 19:19:58 | 身辺雑記

 3日の18時に一回目のワクチン接種をした。インフルエンザのワクチンも毎年接種していて、あまり抵抗はなかった。
 インフルエンザのワクチン接種でも、接種した部分が二、三日傷むことがあるけれど、すぐ直りますからといわれ、しかし、その痛みを経験したこともなかった。
 今回も痛みが来るかもと思っていた。来ました二日目から接種部分から、やや広がりを見せながら3日ほど続いた。今は収まっている。
 心持かもしれないが、身体も少しだるい感じがありましたが、熱はないし、特別それ以上に進行する気配もないからこれで一段落だと思う。とにかく一安心した。
 いろいろな憶測が飛び交ったりしていたけれど、早くに取り組んで、今は平時と変わらなくなっている国もあるようだ。日本は特にオリンピックを控えているのだから、もっとスピード感のある取り組みをしてほしかった。
 とにかく、かなりのスピード感を持ちながら柔軟性も認めつつ進行している。数字の上に効果が表れるように早くなってほしい。
   
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 老人の高齢化?

2021-06-04 18:36:37 | 身辺雑記

私も町内会の活動にはかなりかかわってきた。しかし、そのころは、私たち役員が年長に近く、そろそろ老人クラブを立ち上げなければというころだった。町内会の役員を退いて間もななく、老人クラブが立ち上がった。しかし。、その時私は老人クラブに加盟しなかった。理由は、町内会費の中から運営費が助成されていて、ただお楽しみ会を安上がりにできるくらいのものだった。当時、町内の公園清掃を町内会がやって一定の報酬を得ていた。それで、せめて老人クラブがその仕事を引き受けたらとある役員に話しら、それをやったら老人クラブに入ってくる人がいなくなるという返事が返ってきた。
 そんなことがあって、数年たったとき、老人クラブが「健幸クラプ」と改名し、会員は会費を納入する、さらに公園清掃もやるというものになった。更に独自の同好会活動も支援する形になった。そこで私も加入し、詩吟のクラブを立ち上げ活動してきた。
 区には連合町内会の老人クラブ連盟というものがあり、年に一度発表会のようなものを開催していた。それと別組織として、区の街づくり活動の助成を受ける老人クラプができることになった。
 区から助成を受けるためには、年何回かの研修会を実施し報告しなければならない。その研修会を実施することに頭を痛めているのが実情だ。一方連合町内会の年一度の発表会は単町の老人クラプの活動が下火になり、その存在すらわからない状態になっている。
 我が町内会の「健幸クラブ」は、会員が定数に足りないありさまになってきて、さらに同好会など活動というのには、恥ずかしい程度の者しかきていない。立ち上げたころの会員も既に10歳以上年を積み超高齢者が多くなってしまった。新しい高齢者は出てくるものの、老人クラプの活動といったものには関心を示さない人が多くなっている。
 時代の流れでしょうか、宴会で酒を酌み交わし楽しむ楽しみを求めない世代ができてきている。
 私は手稲文化協会に詩吟で参加していますが、変わりました。特に伝統芸能になる、民謡、日舞、詩吟、謡曲、筝曲皆様、会員の減少に頭を悩ませています。
 日常の趣味の活動も、様変わりして、老人の活動が華やかだったころの老人は皆年を取りすぎて、後継者になるはずの新老人は趣味の世界が全く違うものになったようで、老人クラブという言葉自体が死語に近くなっているようだ。
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家内の転院先がほぼきまったようだ

2021-06-02 18:37:28 | 身辺雑記

 現在も救急病棟で、入院先を探してもらっていた。今日、娘の所へ病院の先生から電話があり、二つの病院を推薦してくださった。近い方の病院へお願いしてもらうように話しを進めてもらうことにした。
 来週には転院できるらしい。コロナの問題が足かせになっていて、入院にはかなりの問題点があるようだ。
 ともかく正式に入院リハビリーがされることはうれしい。今まで見舞いもできない状況だったけれど、今度は多分会えるようになるはずだ。
 突然という事態、本気で考えておかなければならない。今回、家内のことに関して分からないことだらけで内心穏やかでなかった。転院をして、リハビリーガうまく行っても、元に戻ることはないはず。、
これからは介護と家事を一手に引き受けなければならなくなるのじゃないだろうか。老老介護、ちょっときついかもしれない。今の身障者要支援4級だったけれど、今度は要介護になると思う。それを頼りにするとを今から言うも変だけれど、そんな助けが無ければ、私の体では無理だ。考えると苦しくなる。それ以上に家内方が参っていると思う。慰めてあげたい。
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