手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

t韓国最高裁の今回の判決・・・怒り!!

2018-10-30 18:56:44 | 無題
世界中で一番醜い国民性をさらけ出している。第二次世界戦争は日本だけが戦ったわけではない。戦争による賠償問題は、平和条約締結で終結する。それは、世界中の共通認識だ。そんな中、いろいろと注文をつけて居るのが韓国だ。

日本に植民地支配をされた。これは事実だ。しかし、あの明治維新当時のアジヤ諸国は尽く欧米露によって侵略されて行った。そんんなか侵略を排除して独立を貫いてきたのは日本だけでしょう。自分で自分の国も守れなかったのはどこの国なの。日清事変の当時は韓国は清国の属国だったのです。それを独立させたのはに日本なのだ。独立したけれど、ロシヤの圧力に屈してロシヤが朝鮮半島に手をのばしてきたとき、一番に先に危険を感じて戦うべき朝鮮が戦ことができない。そのままにしていたら、朝鮮の次は日本にロシヤの手が伸びる。その危険を感じたから、日露戦争が始まった。結果として朝鮮は日本の支配下に置かれることになったけれど、日本は朝鮮から搾取するというより国力をつけてあげる方に力を注いできたはずです。それゆえに、第二次世界大戦でも日本兵として戦った人も多い。そんな非常事態になった戦時中労働力として徴用された人がいるのはやむを得ないことでもあったはずだ。しかし、終戦後いち早く立ち直れたのは、日本が作った基礎と、多大な賠償金のおかげだったはずだ。日露戦争がなかったら、朝鮮はロシヤの属国になっていたと思う。日本も危なかったかもしれないが日露戦争で朝鮮を救ってやったのです。

 台湾も日露戦争後は日本の支配下に置かれた。朝鮮と何も変わらない立場になっていたはずだ。台湾と漢国を比較したら、韓国の醜さが際立つ。慰安婦問題で騒ぎ立て、今度は徴用工問題で騒ぐというのだ。日本とのつながりは深く、なかなか訣別ということにならないけれど、自分で自分の品位を落としている韓国人にただあきれるばかりだ。
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 日本の置かれた位置

2018-10-29 19:21:59 | 政治
 安倍総理が憲法改正への意欲を口にしている。これに対して反対の意見は多い。戦争を放棄した世界一素晴らしい憲法に違いはない。しかし、素晴らしいと評価しているのは世界のどの国でしよう。日本人が自画自賛しているだけかもしれない。世界中が新しい軍備の整備に腐心している。あの強大な中国が凄い強化策を取って、示威行動をつづけている。そして今猶反日運動を続けている。そして、尖閣諸島を自国の領土といい続けていて、何らかの口実で乗っ取りに来るかもしれない。北朝鮮は核を放棄すると行っているが、日本を射程に置くミサイルは手放さないでしょう。

 一見世界は平和のように見えるけれど、しかし毎日どこかで砲声が響いているようだ。日々新しい兵器が開発されている。古い兵器はどんどん新興国に売られている。世界中が軍備の拡張に進んでいる。日本は自衛隊という軍隊が、そこそこ整備されているけれど、アメリカの力を借り無くちゃならない程度のものだし、アメリカが手をひけば裸同然になる。今の侵略は巧妙に仕掛けられたものになる。日本は広い海の領域がある。この領域が今でも侵かされている。そんな侵略にもろくに対応ができない国になる。沖縄で米軍基地は出て行けと叫んでいるが、アメリカが出て行った後誰が守ることになるのでしょう。ひょっとしたら中国に世話になるということが起こり、沖縄独立運動に発展するかもしれない。アメリカが出て行っても自力で守れる独立国家としての軍備を備え、徐々にでもアメリカに出て行ってもらうことが必要だと思う。
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為すべきこと

2018-10-27 18:29:27 | 無題
 数年前から肺気腫の症状が悪化してきて、歩くと息ができなく、足が進まなくなってきている。それで歩くことが苦痛なので、運動は駄目、力仕事も駄目になり、かろうじて詩吟の教室だけはこなせて来ていた。

 詩吟のある日は張り合いがあるのですが、それ以外になるとソフアに横になっていることが多く、ぼんやりしているだけだ。どうしてもやらなければならない力仕事などは、休み休みこなしているけれど、すると疲れがひどく回復に時間がかかっている。

 そんなことで、目標のない無為な毎日になることが多い。

 「しなければならないこと」は、前にあるわけではない。自分で見つけ出さなければならない。若く元気なときは、やることがいくらでもあった。いろいろな仕事にも関わり、なさなければならないことを見つけ出し、解決する。遊ぶことも、飲みに行くこともスケージュールの中に組み込めた。今や飲むことはおろか、パークゴルフもやめた。残されているのが週一回のカラオケです。書棚にはまだ読んでいない本がたくさんあるけれど、読書もまたつかれるのです。

 今の自分の体力などをじっくり考えて小さなことでよい、毎日の目標、何をするかを作りださ無ければならないと思い始めている。体調に甘えているのだ。

 いまそれでもほぼ毎日プログを書いているのは、我ながら頑張っていると思う。これは続けるけれど、ほかに小さな、為すべきことを見つけ出そう。

 無能、無為の毎日にしない。10分間の体操をするでも凄いことかもしれない。
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1930年生まれ

2018-10-26 19:29:27 | 無題
  私は1930年生まれです。それも4月2日生まれですから。学年では一番の生年月日となる。早生まれにならなかったということはありがたいことだった。私の学年が終戦後の新学制の一番なのです。旧制の最後の学年であり、新学制の最初になるのです。かろうじての戦中派にもなりますか。永山農業学校の1年の8月までが戦中でした。戦時中の永農を知る最後の学年だったのです。すさまじい中身でした。2年生は仏さま、3年生は神様、神様仏様、神様が上だったのです。1年生は丁稚並みでした。そして、終戦後の混乱期に、私は混乱に乗じてろくな勉強もしないで新制大学を卒業できて、高校教師を38年務めることになったのです。昭和が終わり平成となって3年に退職になりました。そのあと4年講師をしましたのて都合42年つとめたことになるのです。昭和の時代は楽しかった。管理職にはなれなかった。試験に落第したのです。これが私にはよい結果となりました。詩吟をつづけることができ、今も詩吟の先生で充実している。同僚で管理職になったほとんどが永眠してしまった。昭和の時代は高校の教師、平成は詩吟の先生で終わる。俺の昭和が遠くなると歌を歌ってきたが、今度は私たちが明治を見てきたように、昭和の戦中派は遥か彼方の人に見られるのでしょう。

 
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晩秋 16夜の月が見え隠れ

2018-10-25 18:44:20 | 身辺雑記
   10月になって良い天気が続いている。雨は降っても夜中で昼間は青空が広がることが多く、気温も晩秋としては高い状態で来ている。我が家の秋大根、今年は植えるのが少し遅かったうえに、9月の天気があまり良くなかったから期待しないでいましたが、この10月の天気のおかげでほどほどに育っている。例年この時期に荒巻を二本購入して、11月に飯寿しを作ってきたが、今年はまだ荒巻が店頭に出ていない。荒巻をさばくのは私の仕事になる。元気なときは良かったけれど、今はかなり負担になる。飯寿しはやめて大根は漬物にすることも選択肢になるのだけれど、家内がなんというか、まあ成り行き任せです。車のタイヤ交換もしなければならない。来週の天気の良い日を狙って行ってきます。

 昨日は晩秋の名月15夜でした。今日は16夜の月です。空は曇りで月が雲から出たり入ったりです。今年の月はとても明るく大きい。
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西郷どん  明治政府の軍隊創設に腰を上げた

2018-10-24 19:26:54 | 詩吟関係
 明治新政府が立ち上がると西郷は鹿児島へ帰郷して政治から手を引いていた。しかし、新政府には大きな課題があった。とりわけ廃藩置県、軍隊の創設、廃刀令などはとてつもない大仕事なのです。大久保は西郷の力を借りることとし、西郷もそれを受けて腰をあげることになった。新政府は西欧文明を取り入れることに奔走したが、特に戊辰戦争に活躍した武士たちの処遇をどうするかという点での配慮がいまいちだった。西郷によって陸海軍の軍隊が組織されていった。しかし、維新で活躍した武士たちの気持ちに沿うようなものにはならなかった。この時、征韓論が出てきた。これは朝鮮出兵となれば当然新政府に不満を持つ武士たちも兵士として招集されることになる。そこに活路を見出そうとしたが、新政府の幹部たち反対で西郷の思惑は外され、西郷が政府を去ることになる。そして西郷の心配していた国内での反乱、佐賀の乱、萩の乱、熊本の乱と続くのです。その最後が明治10年の西南戦争になるわけですが、この戦いは西郷が望んで始めた戦争ではないけれど、薩摩の熊本攻撃に呼応して九州各藩からの応援で3万もの兵力になったといいます。しかし、戦いは新政府軍の勝利に終わり、これで日本が完全独立をしたのです。

 欧米の文化をいち早く取り入れ、追いつけ追い越せの近代化が進められた。韓国をはさんでの日本と清国の対立は深まり、日清事変で勝利する国力をつけてきていた。ここには、西南戦争の時はまだ軍隊としても近代的戦闘をするには未熟だったと思うが、日清事変のころには、海軍力も整備され、海戦でも清国を圧倒するようになっていた。それから10年後にはロシヤのバルチック艦隊を撃破する力をつけていた。明治維新から40年もたたないうちに列強と肩を並べる軍事力に成長していた。

 徳川幕府の300年にわたる鎖国は、近代化を遅らせたけど、その間、国内の各藩はそれそれれ学問を奨励し、武士の団結も行き届いていた。アジヤ諸国の中で最も学問の行き届いた国に育っていた。その日本人の鍛えられた才能が欧米の素晴らしい文化をわがものにする力になっていたと思います。新式の軍艦を手に入れても、つかいこなす能力が欠けていては何にもならない。しかし、日露戦争の時には欧米諸国に劣らない力を蓄えていた。そんな点で、アジヤの諸国と違った国で欧米の日本に対する対応は違っていたのです。このあたりからの政治のあり方は問題だらけとなりますが、此の当時の国民の国家意識を見なおしてみたい。
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憲法改正に賛成です

2018-10-23 19:38:49 | 政治
 安倍首相は在任中の憲法改正を目指している。容易でないことは覚悟の上だと思う。中心となるのは9条の問題だと思う。戦争は嫌です。戦争を放棄している世界一の憲法です。このおかげで日本はとても助かってきたと思います。しかし、その裏でアメリカの傘の下にいて今も日本中に米軍基地を提供し、その支援もしているのです。日本を守ってもらっている。アメリカは守ってやっているのだという立場にいる。

 今、米軍基地をなくせと声高に叫ぶ同袍もいる。だがアメリカが日本から撤退したらどんなことになるのでしょう。本当の独立国てあることは、自国の防衛は自国でやる国だと思う。自衛隊はやっぱり軍隊として、国を守ることを誇りにできるようにすべきだ。

 世界は平和のように見えるけれど、中東では依然として砲声が轟いたりしている。中国の軍事力の強化は目を見張るものがある。尖閣諸島など、今、日米安保でまもられ、中国は手を出してきていないけれど、周辺に圧力が強まっている。いいたいことは沢山あるけれど、今発言したいことは、日本人であることへの誇りを取りもどしたいということだ。民意の結集。日本人としての誇りを持てるようにしよう。国家を歌い、国旗を、誇りを持ってかかげようということだ。そのためにはまず憲法の改正からだと思う。今の時代侵略戦争を仕掛けることは考えられないけれど、今流の侵略は多くの人民を送りこむことか始まる。尖閣諸島などでは中国の漁民が大量に乗り込むことから始まるでしょう。そのうちに沖縄も中国の領土と言い出しかねない。アメリカの援護はあるとしても、自分たちで国は守るという日本の独立した姿をみたい。
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碌峭会 手稲   詩吟

2018-10-22 19:10:25 | 詩吟関係
  全員出席でした。いつもと同じパターンの稽古です。Mさん、少しづつ良くなってきていますが、まだしばらくかかりそうです。でも詩吟を面白く感じてくれているのだと思います。自分では毎日稽古して居るとおっしゃるのてすが、独りよがりの稽古で、いつも注意されているところは判っても、どうすればいいのかということについて知的に理解しないままの稽古なのだと思います。でも稽古にはきっちり参加してくれるのです。西支部の集いを楽しみにしてくれています。Kaさん音程が崩れる。7本でやらせていたけれど無理だったかもしれません。思い切って5本まで下げて稽古をさせてみます。KJさん、稽古をしているのがよくわかります。細かい点でまだいまいちというところがありますが、伸びやかないい吟になってきています。Tさん練習不足のようです。体調を崩してから、思うような稽古になっていないと思われます。KTさん、新しい第二教本での稽古二回目です。副師範としての自覚を持って行動されていて助かります。11月からSさん復帰されるみたいなので楽しみです。後半は西支部の大会出場吟の稽古をしました。

 
 もう西支部の大会まで手稲の稽古はなくなりました。困ったことに加藤君が西支部の大会欠場になりました。連吟に穴が開くことになりました。私が代役をすることに決めましたが、最近声が続かなく、迷惑をかけるかもしれないけれど勘弁してもらいます。
 
 埋まることはないと思って11月25日の第5会議室借りるのをのんびりしていたら、午前中借りられてしまった。料理教室が空いていましたので、藤村先生にも了解を取って確保しました。


 

 
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北出氏から年賀状辞退の葉書が来た

2018-10-17 20:45:34 | 詩吟関係
 北出さんから、もう肺気腫も進み、奥様も体調が良くない状態なので年賀状を辞退しますという葉書が来た。

 観世流の謡曲を長年やられ、肺気腫がかなり進行して、札幌へ稽古に行くことが大変になったとき私の詩吟の会に入会してくださった方でした。私より四歳ほど若いのですが、私より肺気腫が進んでいて、詩吟でもだんだん声が苦しくなり、最後水二本の音で吟じていました。とても素晴らしい声でみんなを魅了していたのですが、教室に来ること(歩くこと)が大変になっておやめになったのでした。お会いしたのが「いの平」という居酒屋さんでした。「いの平」の小野ママと同じ稲苑大学大学9期の方で、「いの平」は稲苑大学9期のたまり場になっていて、私はいの平のお客の常連だったので知り合い、長い間良い友達としてお付き合いいただいていて、詩吟のお弟子さんにもなっていただいたのでした。そのころが一番詩吟の教室も充実していたように思います。当時の男性会員(高橋・若林・桜井・渡辺・星・大野)が他界してしまいました。一緒に活躍した北村・谷藤さんは体調を崩しておやめになったままになっています。小野ママもなくなり、当時から肺気腫で歩くのがつらかった北出さんと私はまだ永らえいます。当時の方は口岩さん一人残っています。私もあと何年詩吟をやれるのか心配な歳になりました。でも年賀状あと二年くらい書いてみたいと思います。
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福祉センター詩吟

2018-10-16 20:31:08 | 詩吟関係
 今日は16名の参加でした。今日も最初は先週やった月照十七回忌をやりました。今日も素読の後若干の説明をして吟に入りました。後半は「漫述 佐久間象山」私の吟譜、古いのを用意してしまっていたのですね。北詩連では「ぞうざん」と読んでいるのですが、私の古い吟譜は、「ショウザン」と読んでいたのです。それで歴史の教科書では「しょうざん」と読んでいましたねといいましたら、山方さんが「しょうざん」と頭に焼き付いているという。吉田松陰の密航事件について、初め長崎に入ったロシヤの舟に乗せてもらおうとして出かけたけれど、長崎に着いた時二歯、ロシヤの舟は既に出港した後であったこと。その折出掛ける松陰に象山が「送吉田義卿」という詩を書いて送ったこと、そしてぺりーの艦でつかまり幕府に引き渡された折、松陰の荷物の中にこの詩が入っていたことから、象山も同罪として処罰されたことなどを話して吟に入りました。丁度後半に入るところで男性が一人入室してきていました。最後にやってみませんかと勧め、堤さんについてもらってやってもらったらとても良い声で何とか吟じました。終わってから、その方が私のところへ来て、本ばかり読んでいても退屈なのできてみました。北大の応援団で蛮声を張り上げていてたので声だけは出るのですと話していました。こんどいらっしゃいと誘っておきましたが来てくれると嬉しい。   
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