手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

猛吹雪の中行ったら、教室第五週の休みだった   排泄工事今日も来なかった

2014-01-31 19:06:24 | 身辺雑記
 今日は金曜日、手稲第二教場です。昼頃から猛吹雪になってきた。みんな来るのだろうかと心配しながら区民センターへ向かう.吹雪はひどかったけれど、前の車のテールランプが見えなくなるほどではなかった。駐車場に車を停め、中に入り「今日も第三会議室かな?」と思いながらと案内黒板を見た。第三会議室違う、第5になったかと見たが違う。全部見たけれど手稲第二教場の名前がない。はっと気が付いた。今日は第5週なのだ。途中祭日などで休みのある時は話し合って、5週と振り替えにすることがあるのだけれど、今月は正月で第一金曜が当然の正月休みで、第五とは振り替えてなかったのです。うっかりしました。でもやれやれと思いながら帰宅しました。

 ところで昨日のブログにも書いたけれど、町内会の排雪工事今日も来なかった。昨日来るはずだった個人的に発注している業者もこれは昨日来なかったのだから当然なのだけれど来ない。雪の山は高くなっているので、今日の吹雪の雪をまとめるのが大変なのです。町内に住み始めて今までに予定された排雪の工事が遅れたことはなかった。一体どうなっているのだろう。

 明日は美瑛の義弟の一周忌を法要が旭川でやられるので、行ってきます。とても元気な義弟だったのですが、胃癌が数年前に見つかり、しかし初期だからといわれ回復するものと信じていたのに亡くなってしまったのです。癌の恐ろしさを思い知らされています。数年前、私の詩吟のお弟子さんだったとても元気で、何につけても率先して力になってくれていた方がやはり癌の手術をしました。その時、医者がほんとに小さいから心配ないといったと言っていました。教室はそこでやめられましたが、他で活躍していることを聞いていました。それが最近全く消息が分からなくなっています。ひょっとしたら転移して治療中なのかもれません。既にお弟子さんで癌でなくなった方が4人ほどいます。

 早期発見といってもなかなか油断できないのですね。
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これってどういうこと? 排雪業者は来ない!!町内会の排雪工事も入らない!!!

2014-01-30 19:37:15 | 身辺雑記
 最初の回覧板では毎年実施される町内会の生活道路の排雪工事28,29となっていた。そのあと訂正が来て29、30になっていた。業者の排雪は毎週木曜日と決まっている。

 今日は30日の木曜日、いまだにどちらの排雪もなされないままです。

 今日は暖かい日でしかも雪が降らないからそれでも我慢ができますが、吹雪模様なら頭に来るかもしれない。

 昼頃町内会の様子を買い物の途中で見ましたがどこも手が付けられていない、これで30日に終わるはずの排雪工事終わるわけがないと思うのだけれど、まだ朝まで時間があるから、ひょっとしたら徹夜の作業で終わらすのかもしれない。考えにくいことだけど・・・

 個人的に契約している業者は一体どうなっているのだろう。たとえばいつもくる時間の午後3時ころいったん来て、町内会の工事が始まっていたら帰るということがあってもいいと思うけれど、町内会の排雪工事があることを聞いて、やらなくてもいいと勝手に判断したのかもしれない。まんまと一回分儲けててしまっていることにならないだろうか。

 町内会でも個人的に排雪を業者に委託している家がかなりある。昼間町内会の排雪工事に入ったら、個人的に頼んでいる業者の排雪工事とぶつかって困ることも出て来る。それで、ひょっとしたら町内会から各業者に周知してこの日の排雪はいいですからと断りを入れているのかもしれない。あるいは昼間は業者の排雪があるので、わざと工事を夜中に回しているのかもしれない。まさかとは思うけれど。
 業者と私たちとの契約の中に町内会の排雪工事のある時は排雪をしないということにはなっていなかった。町内会関係はそんなことに関係なくやりますから我が家の前の雪山も、今晩か明日には消えるはず。やっぱり個人契約の業者だけが儲けることになるわけだ。私の隣の方と5件が同じ業者です。五軒分排雪をしなくいてもいい、ダンプ4台分くらいの排雪が助かるはずです。

 昼近くに家内とヤマダ電機に買い物に出かけ、昼食を現金問屋の食堂で取ってきた。吹き抜けになっている広い食堂なのです。すべて500円。メニュウもかなりありますが、どれも500円ではとても安いと思われます。家内は海鮮丼、私はざんぎ丼にしました。おいしいのですが、吹き抜けなので寒いのが困ります。帰り買い物をするというので店内を回りましたが広くてどこに何があるのかわかりません。でも食品ならほとんど何でも手に入るようだということがわかりました。

 右の写真、4枚新しいのが張ってありますがもあれは秋にキタラであったシャンソンのコンサートの時のものです。まだ写真を扱うのに慣れていなく、たまたま練習がてらにダウンロードしただけのことです。

 

 
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町内会の排雪工事 今日明日の予定が明日になったみたい

2014-01-29 18:57:16 | 身辺雑記
 一冬に一度町内会の生活道路の排雪工事が実施される。今までは後二週間くらい遅くやられていたが今年はどういう訳かあったのかわからないが、今日、明日の予定にになって回覧板が回ってきていた。朝から待っていたけれどとうとう来なかった。

 いつもだと私の家の前から始まり、ほとんど一日で町内のほとんどが終わり、二日目はやり残したところなどの整理のようなやり方でした。

今年は何があったのでしょう。とにかく明日は終わるのだと思います。ひょっとして、夜中にやるのかもしれません。

 明日は業者に委託している家の前に積んでいる雪を排雪してくれる日なのです。業者がほくそ笑むことになるのですか。

 今の時期だと少し早い感じで、今週中にも生活道路が雪に埋もれることになるでしょう。でも一度堅く締まった雪を持ってゆきますし、立春で陽の光も強くなっていますから思ったより楽に済むのかもしれません。

 もう2月が来ます。1日は美瑛の義弟の一周忌法要で旭川、2日は町内会健幸クラブの旅行で温泉に行きます。そして立春です。今日、あるお弟子さんから赤鬼の面と豆の入った芭蕉庵センベイが送られてきました。包紙がこっているのです。全部芭蕉の俳句が印刷されていてとてもおいしいのです。「静かさや岩にしみいる蝉の声」・・パリ!!と頂きます。

 節分の豆まだ購入していませんでしたから、今年はこれで間に合います。どうもありがとう。
 

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第4火曜日 福祉センター詩吟も休み 午後はカラオケにしました

2014-01-28 18:48:25 | 身辺雑記
 福祉センターの詩吟は月3回で基本的に1~3週

 今日は第4火曜日で休みです。今朝は雪も3センチくらいして降っていなく雪撥ねもすぐ終わりました。午前中テレビを見ながらぼんやり過ごしました。

 午後カラオケに出かけることにしました。13時に家を出ていつものように車を西友の二階の駐車場に入れ、駅から「鴎」に電話を入れてみました。「混み具合は?」と尋ねたら「うん・・丁度いいくらいかな?」との返事。それで出かけました。入ると6人いました。4人は顔なじみの方でした。あとか私の知らないら男性一人が来ましたが、その方は二曲歌って帰りました。

 結局私は16時までに7曲歌ってきました。私の一番新しい歌は「酒とふたりづれ」で、まだ一度もカラオケ店で歌ったことがありません。何とか歌えました。あと古い曲ばかりです。最近「無法松の一生」を稽古しています。村田英雄の曲を音程を一つ上げて歌います。何とか歌えるようになってきました。歌ってみると面白い。

 来ているお客さんのほとんどは新しい歌を得意そうに歌っています。20年前くらいには私も新しい歌にかなり挑戦したりしていましたが、今はCDとかテープを買って覚えようとは思わないので、昔歌った歌を思い出してそれを私の新曲にしています。今練習しているのは、無法松の他に「男の情話」「傷だらけの人生」です。

 カラオケに出かけ、あわよくば詩吟のお弟子さんを見つけたいと思ったりしていますが、簡単には見つかりません。先日一人手を挙げてくれたのですが、最初の稽古日まで中三週間空いていたら、その間に入門取り消しになってしまいました。

 
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高梨選手の活躍を見ながら

2014-01-27 18:53:03 | 随想
  女子ジャンパーとして世界に羽ばたいている高梨選手に拍手を送り、ソチで是非金メダルを取ってくださいと祈ります。この思いは日本国中の期待になっていると思います。私にとってみると生まれ育った上川の出身であることがなおさらの思いとなっています。

 それについてもふと思うことがある。一時日本のジャンプ陣が好調だったときに突然ルールの改正があり、スキー板の長さの制限がされるようになり、日本人に不利になったといわれていた。しかし、特別のことでないのだということが証明されたように思う。高梨選手はとても小柄です。あの小柄な選手が大変な距離を飛ぶのです。スキー板は当然短いはずです。身長に合わせて長さが制限されるることが日本選手に不利といういい方はできなくなったと言える。技術の問題なのですね。

 世界のトップクラスの選手は、着地の寸前で浮力をうまくとらえ距離を伸ばしている。日本の選手のほとんどが着地がストンと落ちる形になる。しかし、一流選手は普通に着地するようなところからファツと浮き上がる、着地の寸前でスキーの先端の方を持ち上げ下からの風をうまく受け止めて距離をのばしている。このテクニックが難しいのだと思う。もちろんそこまでに行くためのサッツのタイミングが難しいし、アプローチのスピードも問題だ。だからアプローチの姿勢がスピードに乗れる姿㔟でしかもサッツに一番力の入る姿勢でなくてはならないのだから、一つのことだけでは言えない難しさがあるのだと思う。高梨選手はその点天性の資質が備わっているのかもしれない。

 19歳という若さは素晴らしい。今最大のライバルとなっている選手は30歳という。それを考えると、あと二回のオリンピックも視野に入れることができる。

 本当に素晴らしいことだ。フィギュアの浅田選手とそろって金メダルを首に凱旋してほしいものだ。
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初場所いい千秋楽だった

2014-01-26 19:12:02 | 相撲
  初場所の千秋楽。全勝の白鳳に一敗の鶴竜が挑む構図となった。まず優勝は白鳳になると思っていたが、できれば本割で鶴竜に勝ってほしいと念じていた。

 それがその通りになった。いい相撲でした。解説をしていた舞の山も同じことを言っていた。優勝決定戦になれば白鳳が勝つ。やっぱり白鳳は強かった。

 白鳳が日本の相撲の歴代記録を次々塗りかえている。本当に強い横綱だ。筋肉質に引き締まったあの体と卓越した相撲勘と技巧。性格的にも朝青竜みたいな不真面目さを感じない。とても好感のもてる人柄だ。そんなこともあって日本人にしっかり受け入れられている。

 今場所6回の満員御礼が出たという。一時の不人気から回復してきているように思える。外国人アレルギーも克服されているように思う。モンゴル人は見た目には日本人と見分けがつかないくらいだし日本語もとても上手で日本人にも親しまれる。また白人系の大型力士は体格はいいけれど相撲の技巧が身につかず、小さな日本人の力士にどんどん負けている。こんなことがあって一時の外国人が多すぎるといって嫌がる風潮がなくなってきている。それと若い日本人力士が活躍しだしたことも人気に拍車をかけている。遠藤の活躍は大きな力になっていた。

 それにしても稀勢の里にはがっかりした。白鳳の横綱相撲を見習うべきだと思う。技を磨いているように思えない。自力だけではだめで横綱らしい取り口(技)を身に着け、自信が表に出るような力士に脱皮しなければならない。

 せっかく盛り上がりの出てきた大相撲。若手の奮起に期待しましょう。
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今日の平和教場

2014-01-25 19:41:12 | 詩吟関係
 珍しく気温プラスの良い日になった。今日はは平和教場です。天気の良いのはありがたい。25分くらいで行けるのだけれど、それでも吹雪だと大変です。幸い今までにそんなひどい目に合わずに来ているのはラッキーなのかもしれません。

 今日は3名欠席、4名出席。時間をかけて指導することができました。後半佐々木岳甫の千島慕情をやりました。千島慕情は三題あり、一が及川小甫作、二、三、が岳甫作です。

 三題に共通するのは、転句が「嗚呼」で始まるのと結句で「島よ復れ州よ還れと・・・しまよかえれくによかえれと」となっているところです。

 よく吟じられているけれど、中に「島よ復れ州よ還れ」を「しまよかえれしまよかえれ」と読んでいる方がいたりしますが,岳甫詩哥聚に岳甫先生がご自分で読みかなをつけているのですから「しまよかえれくによかえれ」が正しいのです。

 この三題どれも素晴らしい。私が一番先に習ったのは、詩吟学院の教室にいる時でした。とても気に入り、ある団体旅行のバスの中で余興にこの詩を吟じた記憶があります。

 最近教室でまた教えているのですが、ほとんど最初に教えた時の方はいなくなっていて、とても感動深く受け止めてくれています。一、二だけしか教えていないのですが、三も教えてみようと考えています。
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肺気腫の薬(気管支拡張剤)の治験患者となったのだが

2014-01-24 19:46:00 | 身辺雑記
 今まで「オンブレス」という薬を使っていた。昨年、先生から「スピリーバーと今使っているオンブレスを合わせたような薬が作られる。ついてはその薬の治験の患者になってほしい」と頼まれた。

 3回ほどCTを受けてもらわなければならないが、もうこの歳ですから特に心配しなくてもいいでしょうという。納得して引き受けた。先にプログに書いたのて改めて書くほどではないのだけれど、想像と違ったのでまた書いています。

 オンブレスを一週間やめて、そのあと4週間オンブレスを使ってCTと肺機能検査。そこで新しい薬となると思ったら、今までの「オンブレス」に「シーブリ」という薬を合わせて使用する検査でした。まず2週間使うことになりました。その2週間目が今日だったのです。

 この2週間、朝食前に何時もオーンブレスを吸引していましたので、同じ時間にまず「シーブリ」を吸引して、「オンブレス」をつづけて吸引しました。驚きました。薬が効いて実感がすぐあらわれたのです。二階に上がるのに普通に上がっても域が切れないのです。道路を歩いても今まですぐに心臓が痛くなり立ち止まりたくなる状況だったのにほとんど心配なく歩けたのです。ただ咳が時々出る、どうも「オンブレス」の副作用のように思われました。2日使って、試にと思い「シーブリ」だけにしてみました。すると、喉の途中にとげが゜刺さったような痛みが走り、咳き込むのです。それで6日目からまた両方使うことにして2週間終わって今日検診日なので行きました。特別のことはなく、あと二週間継続して3月7日にCTと肺機能検査をすることが告げられました。

 オンブレスの前に「スピリーバー」という薬をしばらく使ったのですが、この薬の効き目は劇的でした。しかし、副作用がひどく「オンブレス」に変わったのでした。「オンブレス」は効いているのかどうかも分からない状態でした。それが今回使うことになった「シーブリ」は「スビリーバー」に近い効き目を感じています。

 「シーブリ」は効き目があるけれど、私が感じた喉にとげの刺さったような感じが副作用であるのが難点なのかもしれません。今「オンブレス」と併用しているととげのような痛みはありません。でも、気管支に何かが張り付いて様な感じが出て、咳に繋がったりします。それでその症状が出てるとのど飴をなめて納めるようにしています。

 この二つの薬をうまく配合するといい薬ができるだろうということでの治験なのかもしれません。その薬ができるのが楽しみな気がします。それまで今の併用を続けることになると思いますが、しばらくぶりに今とても楽になっています。

 ただ二種類使うと薬代が倍になります。それでも今はこのまま使わせてほしいと思います。
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私の部屋に張り出されている詩吟の写真

2014-01-23 19:08:02 | 詩吟関係
  私の部屋は2階の6畳間です。大部分は書棚ですが、空いているところはいろいろな額などで埋められています。その中に詩吟の写真が二枚ドアに貼ってあり、もう一枚はA4の額に入ったものが棚に飾られています。

 ドアに貼ってあるのはもう取り外さなければなりません。平成13年ころの手稲区民センター祭りに出演した時の手稲第一教場の男女の 合吟の写真をA2に拡大コピーしたもので、区民センターがパネル展に使ったものなのです。男女の 合吟場面です。男性は9人マイクの前に立ち、わたしが横でコンダクターを引いている写真です。ところが男性9人のうち5人が既に他界してしまい、お一人は数年前脳梗塞で倒れ退会しており、もう一人は昨年の暮れに足の難病が悪化して歩くことができなくなり退会しています。さらにもう一人はまだ在籍していますが肺気腫が進行して、冬の間は教室に来ることがむつかしく、春まで休会になっています。結局ただ一人だけが現役で残っているという写真です。

 女性は6名が出演しているのですが全員退会しています。お亡くなりになったのはお一人だと思います。

 このような写真ですから、懐かしいことは確かですが、もう始末してもよいのかもしれません。手稲第一教場の現在の在籍は10名なのですが、私を入れて3名が残ってあとは入れ替わったことになります。

 もう一枚の額に入った写真は、平成19年の130回北詩連室蘭全道大会の折の写真です。私の会「碌峭会」からは、21名参加し 構成吟「敦盛哀歌」を岩本雅悠美先生のお琴の伴奏をテープにとって発表した時のものです。全員一緒に舞台に立ち、パートに別れて吟じる形にしたのて、写真にはその時の参加会員背全員が写っています。マイクロバスを貸し切って日帰りで行ってきた思い出が残っています。翌年は稚内で全道大会がありこの時も20数名で大型バスが安く借りられ一泊で行ってきたのを思い出します。

 地方での全道大会は稚内が最後となり、その後全道大会は札幌で開催されています。地方での大会に二回参加できたのは良い思い出になっています。

  象堂流から退会して北詩連に加盟した時は約40名いたのでしたが現在は25名に減少ていますが、でも楽しく会は継続しています。
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バスケットボールで、こんな思い出がある

2014-01-22 20:23:37 | スポーツ
バスケットボールの競技のあることは知っていたがもちろん競技に出たこともなかった。大学を出て沼田高校に奉職してから、授業の合間で体育館の空いているときには一人でバスケットのシュートの練習をして遊んでいた。

 いつの間にかフリーシュートだと8割くらい入れることができるようになった。またランニングシュートも一人でやれば90%は入れることができた。

 そんなとき転勤で美唄東高校に転勤となった。美唄東高校の男子はバスケットが強いという話を聞いていた。転勤した一年目、バスケットの練習を見ていて、女子の力がひどく弱いのに気が付いた。それで2年目に志願して女子の顧問になった。私は競技の経験がないのだけれど、要するに点を相手より多くとれば勝てるのだから、取られない守りと確実な得点を重視する指導をしてみた。まず走ることからと、コートの使えないときは屋外での走り込みをやらせ、フリーシュートは私がやっている狙い方を教えてやらせたら、みんなどんどん上達してくれた。またランニンぐシュートは100%を要求した。そして、ミドルシュートの自分の一番やりやすいところを決めそこからのシュートの確率を上げる稽古を徹底してやらせた。速攻を基本とし、ミドルシュート自分のポジションに入れてマークが甘ければ積極的に打つ。また相手のファールを誘うカツトインプレーなどをどんどんやらせた。

 今まで高体連の地区予選で負けてばかりだったのが、翌年準優勝して全道大会出場を果たしました。次の年から3年連続地区優勝をしたのです。ここまで育てたのは間違いなく私が顧問になって、手を入れたからだと今も思っています。 しかし、体育館での練習はほかの部活動とぶつかり思うような稽古ができません、外での稽古はランニングパスくらいの稽古しかできません。そんな中、美唄中学のバスケットの顧問の先生が中学校のコートを使って指導してくれることになりました。結局、その先生がコーチとしてついてくれ、それを断ることもできず、当然のことですが私はただの顧問としてついているだけの立場になってしまい、つまらない幕切れになりました。

 今は廃校になってしまいましたが、美唄東の女子パスケットボール全盛期を作り上げるキッカケを作ったのは私でした。しかし全く評価されないまま終わりました。選手として経験を積んできていない弱さで、高度なテクニックなどの指導は全くできないのだから仕方がないのです。</Font>
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