手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

明後日 88歳となる

2018-03-31 19:56:27 | 身辺雑記

 1930年4月2日誕生。満88歳が来る。昨日文化協会の役員会があって参加した。会議の後懇親会があってその席で歳の話になったとき「私はまだ88です・・」といったら周りの人に大笑いされた。集まった中で一番年上なのです。しかし、みんなと変わらないくらいに見えるから驚かれ、本当に「まだ」が実感みたいに感じられるらしかった。

 もうやり残したことはないくらいだし、「まだ」といって挑戦する対象もないみたいなものだけれど、「もう」といって、過去を振り返るより、まだまだ、生きるという意欲を持ち続けたい。まだ「爺」といわれたくない。しかし、歩くのか辛いといってパークゴルフをやめてしまった。歩くのは確かに辛いのだけれど、リハビリーに力を入れたら、かなり回復できるかもしれない。足を鍛える運動をささやかでも続けてみようかと思う。

 

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新年度に入る

2018-03-29 19:36:24 | 詩吟関係

 昨年の末に決断して碌峭会の平和関係を切り離し、所属会員を碌峭谺会に転籍することとしました。正式には4月1日付の転籍となりますが、既に活動は始まっています。とても残念なことは、貴重な男性会員として活躍していて、4月からは手稲の教室に来る予定になっていたS君がやめられたようなのです。連絡が取れなくなったそうで、新年度の会員としては登録にならなくなりました。どんな理由があったのかわかりません。又、途中、 峭燿会の方に世話になりたいといったAさん、谺会の方に世話になるといって戻ったのですが、何か教室に顔を出していないようです。どんなことになるのか心配です。

 手稲の方も小川さんが退職され、さらに高橋さんも退会して重石が無くなったみたいなことになりかけています。でもそれなりのまとまりで楽しく会が動いていますので大丈夫でしょう。

 健幸くらぶ、名称変更が必要となり、「わかば」という会名にするようです。四月はとりあえず福祉センターの講座に皆様参加して5月から「わかば」の活動になるようです。

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健幸くらぶ詩吟サークル解消

2018-03-28 19:57:38 | 詩吟関係

 もう5年くらい続けてきた健幸くらぶ詩吟が、健幸くらぶのサークルとして認められない人数になってしまった。発足した時は確か7名だったと思いますが、会員がお亡くなったり体調を壊したりしてついに私を入れても4名でサークルとして助成を受けることができなくなりました。助成をいただかなくては会館を利用することが一寸無理なのです。しかし、文化協会にも加盟していて、会は存続させたい希望が強く、老人福祉センターにお願いして、5月から月2回詩吟サークルとして部屋を貸していただき、健幸くらぶという名前は変更しなければならないのでしょうが、会を存続させ文化協会にも加盟して行くことになりました。

 

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北大病院から渓仁会病院へ代えてもらいました

2018-03-27 18:51:51 | 身辺雑記

 平成3年、退職の年北大病院で肺気腫の診断をされ、以来今日まで27年間北大に世話になってきました。担当の西村教授は当時まだ教授でなかった。私は西村先生の最古参患者だったと思います。たまたま2月の定期検診の折、新年度から退職で新しい個人病院へ務めることになったと告げられた。その折、長い付き合いなので、新しい病院の方へ続けて行きますといっていたのですが、やはり年齢的にもススキノの方まで出向くのは辛いことだと思いなおして、たまたま今日が3月最後の西村先生の診察日なので、8時45分に電話を入れて今日診察にしてもらい、転院の書類を作ってもらうことにして出かけた。

 渓仁会への書類を整備してくださいました。帰宅してすぐ渓仁会に電話を入れたら、金曜日の10時30分に予約がとれました。今まで北大、夏はどうということもありませんでしたが、冬は気を使いました。今度は近くなるのでありがたい。確か北出さんが通っているはず、会えるかもしれません。楽しみです。

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大島さんとカラオケに

2018-03-25 21:11:20 | 身辺雑記

 午前中一寸気が向いて大島さんへ電話を入れてみた。直ぐ元気な声が聴けた。相変わらず病院の話が長々と続く、話が途切れないのだ。携帯で掛けていて、電池が切れそうな心配が出てきたので、断って切った。その電話の中で、たまにカラオケでも行きたいというので、午後「鷗」にでも行きますかと言ったらすぐOKとなった。12時半に行ったら8人くらい先客がいて、さらにあとから増えて12人になった。大島さんは13時過ぎに来た。大島さんは本当に話好きだ。人のカラオケを聞く耳を持たないみたいで、ひっきりなしに話しかけてくる。それに相槌を打ちながら人のカラオケに拍手を送ったりしてコーヒーを3倍も飲んでしまった。曲は1時間に一曲です。結局3曲歌って終わりました。

 軽食にいつもの「うどん」をいただいたのですが、そのあと赤飯をラップに包んで握り飯程度の大きさのものを出された。「うどん」をいただいたばかりだったので、持って帰って夕食にしました。家内がまだ帰ってきていませんので夕食助かりました。

 

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大相撲 大阪場所 鶴竜の優勝が決定

2018-03-24 19:06:55 | 相撲

 今場所はよく見ました。15時ころから終わるまで見続けることが続いた。数年前と顔ぶれがひどく変わっていて戸惑う。先場所の「栃の心」の優勝が、今場所は「魁聖」に自信をつけさせたのか、優勝争いに入ってきた。もともとこの二人は地力があり、相撲が分かると力を発揮できる素質がある。

 一人横綱になった鶴竜よく頑張った。今日の豪栄道戦、何と懸賞が50数本懸ったという。今までの記録じゃないでしょうか。これは鶴竜も負けられない。優勝と同時に懸賞、懸賞総額はいくらくらいになるのでしょう。見事に優勝。抱えきれないような懸賞を両腕で抱いて土俵を下りた。

 北海道出身力士の旭大星、10両筆頭で9勝している来場所は幕内ですね。

 五月の名古屋場所、稀勢の里元気で出れるといいのだが、心配です。日本人力士にも強い力士がでてくるようなになりとても楽しみが多くなっています。ますます盛んになってほしい。

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義姉の容態 小康状態に入っている見たい

2018-03-23 20:14:18 | 身辺雑記

 家内が東京へ飛んでもう二週間になる。出かける時は、かなりひっ迫している感じだったのに、家内の顔を見たあたりから安定してきて、小康状態に入ったという。月末に一度帰ってくると言う。出かける時に20日分の薬を用意していたが、丁度薬の切れる時に一度帰宅することになるらしい。

 覚悟を決めて食事をしっかりとっています。でも、面倒なものは作らず、簡単なもので間に合わせています。一寸飽きてきている。外食もたまに考えようかな。道路もよくなったので車で夕食に出かけても面倒なことはない。明日の晩はそうしよう・・・。

 

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西郷どん  面白い!

2018-03-21 18:58:23 | 随想

 西郷どん」とても面白い。あちらこちらから断片的に入っていた西郷の姿が肉付けされていく思いです。斉彬公について、きっと暗殺されたのでないかと想像していたけれど、江戸薩摩藩邸で毒を盛られていた話始めて聞きました。有りうることだと思った。毒を盛られていると疑った西郷が橋本佐内に判定してもらった話驚いた。徳川慶喜公の人となりをかいまみせてくれているが、きっとかなり近い話だと思う。こんな方だから、最後、戊申の乱で大阪から逃げて江戸に戻り謹慎して、結果的に江戸を戦火に巻き込まず、徳川の栄誉を守り通すことができたのだと思う。戊申の乱がおこり、薩長が錦の御旗を立てたとき、江戸に逃げずにまともに戦かったら、戊申内乱になりどんな日本になったかわからないのです。朝敵の汚名をこうむらずに徳川をまもり、新しい時代に道筋をつけたといってもいいのかもしれない。そんなことを思いながら見ているととても面白いし、勉強になる。

 西郷が斉彬公の江戸詰めの折同行を命ぜられ、職務が庭番だったということは知っていたけれど、その実を知らなかった。間もなく安政の大獄になる。とても楽しみだ。

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福祉センター詩吟  

2018-03-20 21:03:58 | 詩吟関係

 何時ものように事務室に出勤簿の押印に入りました。すると事務員の女性から「先生、ブログ書いているのですね」と言われた。この歳で10数年続けてプログを書いているのは不思議なことかもしれません。

 でも、ここにも読んでくれる方がいたのは驚きでした。

 今日の教室は13名と、少しさびしかった。「源義経」と「壇ノ浦を過ぐ」をやりました。源義経では最初にひとりづつ素読をさせて、そのあと質問をしますと言って。Iさんを指名して「義経のお母さんの名前は?」と聞きました。びっくりしたのでしょう。覚えているけれど名まえが出ないといった様子。そして先週やった「常盤孤を・・・」探しだし答えてくれました。次に「雄図一夢に帰し」を取り上げてどんな内容なのか聞いてみました。そのあと何点か質問をしてから吟に入りました。

 「壇ノ浦を過ぐ」も全員に素読をさせ、そのあとYさんにこの詩の内容を簡単に話してくださいと質問したら、何とか答えてくれました。そのあと安徳天皇の母君はなんという方かを質問して、壇ノ浦で徳子が助けられ、大原の寂光院で「健礼門院徳子」として生涯を送ったことを話してあげました。

 義経をやりましたので4月には楠正成を取り上げてみようとか思います。

 

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パークゴルフ・カラオケそして詩吟

2018-03-19 18:56:44 | 趣味

 カラオケも習うことなく勝手に歌い続けている。歌は好きで戦時中は軍歌と寮歌(一高・三高)が好きで良く歌っていた。札幌に来たのが48歳の時だった。50歳くらいから仲間と飲み歩くようになり、丁度そのころにカラオケが出初め、一曲100円くらいで飲みながら歌う楽しみを覚えた。カラオケもずいぶん変化してきました。一時期は次々と新しい曲を覚えて得意になっていたこともありました。しかし、仲間の中で一番歌のへたなのは私でした。カラオケ店ができましたが、私は昼カラ(スナックが昼間カラオケを半日1000円で歌わせてくれるところ)に今はもっぱら行っています。行きつけの店が何軒かあり、空いている店を探して行っています。どこの店にも常連さんがいて、ほとんど毎日来ている方もよく見かけます。

 定年後、パークゴルフと巡り合い、 これは一生の趣味になるかもしれないと思ったのだけれど、昨年とうとうパークゴルフをやめました。元気なときはパークゴルフは運動のうちにも入らないと思っていたのに、歩くことが苦痛になりついにやめてしまいました。

 結局、今は詩吟とカラオケが私の趣味といえるようです。詩吟は始めてもう43年くらいになると思います。これだけは宗家に着いて習い、自分の教室も立ち上げかなりのお弟子さんを育ててきました。今は現役だったく教職より詩吟の方がはるかに長くなりました。吟歴とか吟力とかといわれたら、自慢もできないけれど、多くのお弟子さんに囲まれ、私の会が主催する交歓吟詠会は、30数年継続してきています。一番忙しかったときは週に五日詩吟を教えていました。現在は縮小していますが詩吟の先生で人生を締めることができるのだと思っています。

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