手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲は最高・・・群馬だより・・群馬の風

2023-02-25 18:55:38 | 身辺雑記

  群馬に来て暖かく素敵な青空に恵まれることに感謝しています。まだ一年たっていないけれど、ようやく太田市の様子もわかってきました。

群馬の天候に話題が行くと、必ず風が強いということが言われていました。二月になってようやくその神髄を感じるようになりました。マンションの4階に住まっています.

窓越しに素晴らしい青空が広がってとても暖かそうに思われるのですが、玄関に出てがっかりする。いきなり帽子が飛ばされそうになる。向かい風になるとやはり結構な抵抗がある。

それどころか、天気の良いのに寒いのです。今日も午前中グランドゴルフに出かけましたが冬物のダウンコートを着て行っていますがそれでも風が身に沁みました。ゴールポストの

ラッグが風にあおられて、ポストが次々に倒れます。体調のあまりすぐれない私には、風で調子がすっかり狂います。

話だと風が強いのは2月と3月の二カ月のようです。でも北海道はまだ雪の中。これくらいの風で泣き言は言えません。

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手稲は最高・・・群馬だより・・趣味

2023-02-21 15:05:55 | 身辺雑記

  何日かブログを書かないでいた。北海道の思い出を書いていたが、すでに「自分史」に書いたこととダブルみたいなところがあり筆が鈍っていた。

群馬に来て、北海道を懐かしむということは自分の人生を振り返るだけのことで、北海道と限定する必要はない。

いろいろなことをやったというのは、何もやらないに等しい。ただ先日書いた詩吟だけは特筆できる。それ以外、いろいろやりはしたけれど人前でやれるといえるようなものはない。

好きだったのは、スキー、ヤマメ釣り、パークゴルフ、これはやったといえるかも。野球大好きだったけれど、打ち込める場面がなかった。ただプロ野球はロッテのフアンで今も応援していま

す。仲間がみんな巨人フアンだったのだけれど、たまたま二リーグ制になった時、私の家の新聞が毎日新聞だったことと、函館太洋から数人の選手が加盟したり、ノンプロの火の玉荒巻と

いますわれた選手が加盟したことが引き金でロッテのフアンになって今に至っている。パークゴルフは普及し始めてまもなく夢中になり、手稲にあったバッタクラブに入会して楽しんできた

しかし、肺気腫が進行して歩くことが不自由になり85歳ころにやめた。文芸では、俳句が好きで新聞に投稿したりしたこともあった。また。短歌も誘われて「花林」という同人雑誌で数年楽

しんだだこともあった。

 酒は酒そのものより飲んでの雰囲気が好きで、特に札幌(手稲)では飲み歩いたものでした。そんな流れの中でカラオケにもはまり、手稲には昼カラ(スナックが昼間カラオケの営業をする)

に週一度は出かけていました。

 

 

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手稲は最高・・・群馬だより・・・北海道の思い出 (退職後の趣味生活・・詩吟)

2023-02-17 15:59:38 | 身辺雑記

美唄にいたときに詩吟に出会い、札幌に来てからも継続し、あまり上手でなかったが好きでしたので頑張り師範の資格をいただきました。ちょうどそのころに勤務していた高校の公開講座に

「詩吟入門」を立ち上げたところ10人ほどの希望者があり、講座終了後、同好会として最初の教室を立ち上げ、私の所属していた象堂流に加盟して活動を始めました。そして退職後正式な詩

吟教室としました。たまたま退職したときに自宅の近くに老人福祉センターが出来ました。その時に詩吟の講座を設けるならばその講師に使ってほしいとお願いして、幸いなことに採用されま

した。このセンターの講師が新しいお弟子さんをいただく大きな力となり、最盛期は正式な教室が三つ、それにこのセンターの講座、それに町内会老人クラブの同好会と週5回の教室を教え

お弟子さんの数も100人近くなったりしました。そのほかに趣味でパークゴルフをやっていて、一週間暇なしの生活が続きました。時代の流れで詩吟をやりたいという方が減少して、91歳で終

止符を打ったのですが、退職後の30年はとても充実した毎日でした。好きこそものの上手なれ、といわれますが、あまり上手でなかったけれど好きで頑張り素晴らしい余生にできました。

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手稲は最高・・・群馬だより (雪との格闘)

2023-02-16 19:06:46 | 身辺雑記

昨年の5月今の群馬に転居してきた。90過ぎての大引っ越し、無理を承知で実行した。

雪との戦いに敗れたのです。 92歳の2月に車をやめる決心をしました。この決断は引っ越しと裏表になっていました。

車をやめると雪はねから解放されます。しかし、雪の中を歩いて買い物に出かけることはほとんど不可能なのです。そうなると、続けて(手稲の家に)住まうことが出来ないのです。

そんな事態に直面した時に、群馬の二女から同じマンションに引っ越してこないかという誘いがあり決断したのでした。いわば雪との戦いに敗れての結果だったのです。

昨日書きました札幌手稲の我が家。終の棲家と思っていたこの家に別れるのはつらかった

手稲に自宅を建てたときは、周りも前も空き地でした。雪を捨てる場所は全く困らないのです。歳もまだ50歳前でしたから元気一杯、雪はねは運動のうちでした。

80歳過ぎまで隣は空き地で、雪捨てに困ることはなかったのですが、ついに隣に立派な家が建ち、いよいよ雪の投げ場がなくなりました。一時は家の前の花畑に積むことをしましたが雪山の上までスノーダンプで運ぶのが大変で、車庫前の雪を花畑の外の歩道部分に積んで、一週間に一度業者に排雪してもらうことにしました。年間10回くらいで3万6千円くらいだったと思います。手稲の家の玄関前は車一台駐車できるスペースがあり、その横に車庫は特注で建ててありました。玄関前から歩道部分を車庫前までロードヒーティングにしました。ブルトーザーは、ロードヒーティングの上には雪を置いてゆかないのですが、車道側に40センチ幅くらい雪を置いてゆくのです。この雪を捨てなければ車を出せません。玄関前から車庫前までの車道の雪を花畑側の歩道部分に運んで、積んでおかなければならないのです。これが一仕事で90近くなってからは容易でなくなっていました。重たい雪を置いてゆかれた時などは思案に暮れることも多かったのですが、見かねて一軒向こうのKさんSさんが手伝いに来てくれて何とかなってきました。しかし、先に書きました通り、車と心中することになったのです。

二月に車をやめましたがそのあと引っ越しまでは福祉のほうから4輪の電動カートを借りて過ごしました。

群馬に来て、電動カートを借りようかと思いましたが、今のマンションだと収納場所がないようなのであきらめています。

 

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手稲は最高…群馬だより (北海道の思い出 手稲に我が家)

2023-02-15 16:41:53 | 身辺雑記

札幌に自宅を建てたのは、48歳の時だった。美唄に在住していて、近いうちに札幌へ転勤できそうな予感があって、札幌に家を建てておくことにした。札幌のどこに立てるか、建売を購入するか迷った。

最終的に決めた手稲区前田には、家内の義理の兄と一緒に購入した80坪の土地を持ってそこに決めたのです当時の手稲区前田は荒涼とした荒野で、その上泥炭地でした。家を建てることにした区画には,四軒の先住者がいました。周りは雑草地で道路は未舗装の泥濘にごろごろ石を敷き詰めたようなところでした。泥炭地でしたからスコップいっぱい掘ると水があふれ出るようなところでした。泥炭の深さは6尺くらいでした。家を建てるには杭を打たなければならないのですが、 施工を頼んだ業者が、泥炭地だから木杭でいいでしょう。木は水につかっていたら腐りません。というのでそうしてもらったら、数年後に下水道の整備があり、水が干上がって地盤沈下を起こしました。結果、土台の沈下が始まり10数年後に大規模な土台上げの工事をしなければなりませんでした。でも、昨年群馬にくるまで住まいましたが、周りはびっしり住宅が立ち並び当時の面影は全くなくなっています。私が設計して建て、いろいろ手直しをしながらも、まだしっかりしています。途中、兄から借りていた土地を時価で買ってあげましたが、購入したときは坪1万くらいだったのが10万に跳ね上がっていました。

 

 

 

 

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手稲は最高・・・群馬だより・・・北海道の思い出(美唄)

2023-02-14 15:45:30 | 身辺雑記

美唄(びはい)に転勤したのは昭和37年だった。

美唄は炭鉱の町として知られていました。最盛期には人口も10万人を超えていたといわれます。三井、三菱の二大炭鉱があり、三菱は山奥のほうに鉱山がありましたか゛、三井は駅の裏側のほうの山の斜面に鉱員住宅を建てていて、夜になると斜面が住宅の明かりで煌々としていました。その炭鉱が閉山の波に飲み込まれ、三井が36年に閉山していて、ついで三菱が閉山となりますがその途中に行ったのだったと思います。最初に与えられた住宅は、炭鉱住宅の払い下げのような、バラックでした。

 炭鉱住宅の空き家になったものを格安とで払い下げていて、便利な三井地区はほとんど取り壊されることなく現在も一般住宅として活用されています。

人口も急激に減少して、奉職していた美唄東高等学校も一学年10学級のマンモス高校で進学でも管内有数の成績を残していましたが、瞬く間に学級減で勢いを失っていくことになりました。

美唄の中村地区に宮沢沼という沼があるのですが。ここは渡り鳥の中継地となっていて、渡りの季節になると白鳥をはじめとして多くの鳥類が羽を休めていました。

私にとって、この美唄は単に一時期奉職したということだけでなく、退職後の生活を彩る詩吟の出発点となったのでした。この美唄で始めた詩吟、岩見沢に本部のある象堂流でした。札幌に転勤してからも継続して、退職前に詩吟の教室を立ち上げ、その関係で手稲文化協会の活動にも関わり充実した退職後の生活を楽しむことが出来ました。

 

 

 

 

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手稲は最高・・・群馬だより・・・北海道の思い出(沼田)

2023-02-12 14:49:42 | 身辺雑記

  北海道の中心都市は言うまでもなく札幌です。札幌からJR宗谷線が旭川へと伸びている。石狩平野を駆け抜けてゆくのですが、その大半を空知地区を走ることになる。その空知地区の端のほう北空知の端に沼田町がある。浅野・昭和の炭鉱があったがどちらかといえば農業主体の町だった。

 一時期、札幌とつながる札沼線の終点駅でもあった。この町で11年奉職し、結婚もした土地なので忘れられない。北空知でも屈指の豪雪地帯でした。昭和26年から住んだのでしたが当時はまさか冬でも車が走ることになるなんて想像もつかなかった。二月ころになると町の道路は家の二階部分まで雪に埋もれるのでした。二階から出入りしたという話もありますが全くの作り話ではなかった思います。

 沼田という地名、沼田の町の文房具屋の沼田さんが内地から移住してきてつけたというように聞いていました。群馬に来て沼田とあるのを知って、ここが沼田さんの故郷なのかと一瞬思ったりしましたが、真田の城のあった沼田だとわかり、調べなおしたら富山県から移住したので、群馬の沼田は関係がないとわかりました。

 沼田には雨竜川という川が流れていて、初夏にはアカハラウグイ釣りを楽しめました。また、ヤツメウナギが取れて、鰻の代用として楽しむ方も多かった。

農業は米作が中心の、豊かな農村地域でした。もう一本炭鉱のほうから流れてきている川がありましたが、この川の上流では化石がとれることでも有名でした。

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手稲は最高・・・北海道の思い出

2023-02-11 15:34:23 | 身辺雑記

  92年、正確には92年1カ月過ごした北海道を離れてこの群馬に転居した。まだ1年にならないのだけれど思いがけない余生になっている。

北海道を忘れようとしても忘れることはできない。そんな北海道のことをちょっと振り返ってみようと思う。

北海道の真ん中あたりに旭川という町がある。北海道第二の町です。ここで新制大学に移行した元は旭川師範学校だった北海道学芸大学の一期生として旅立つまで過ごさせていただいた。 旭川という町は北海道のシンボル大雪山を柱にできた上川盆地の真ん中の冬は寒く夏は暑いというところです。町の真ん中を通る目貫通りを平和通りと呼んでいました。戦時中は第七師団がありそこに続くこともあり師団通りと呼ばれていたものです。町の中を北海道の母なる川、石狩川が流れていて、旭橋という橋が架かっています。この旭橋から眺める大雪山は絶景です。

 この旭川から石北線に乗り換えて1時間ほどで大雪山温泉群最大の層雲峡温泉の入り口の町上川につきます。ここが私の生まれたところです。静かな、穏やかな、上川盆地のどん詰まりの田舎でした。

 

 

 

 

 

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手稲は最高・・・群馬だより・・群馬の風

2023-02-09 13:38:30 | 身辺雑記

  今日は木曜日、定期的な予定のない日です。

 天気予報は快晴で気温も高くなるということでした。いつもと同じ時間に起きてら予報通り天気が待っていた。きれいに晴れて、部屋に差し込む日差しで、部屋が暖房なしで済む。

ただ、明日は一転おお荒れ、雪まで降るような予報になっています。

あんまり良い天気なので10時に家内と散歩に出かけました大失敗!!   外が暖かいと思って、部屋着の上にウインドブレーカー一枚を羽織って、手袋も軍手。外に出たら風が

結構強く吹いている。ウインドブレーカー一枚では防ぎきれないのです。 群馬の風だ!!  空は晴れても肌さすカラッ風!!  戻って着替えてこようかと思ったのですが何とか我慢できそうだったのでそのまま散歩に出かけました。15分ほど歩いたら寒さが身に染みてきた、でも、我慢して散歩を続けました。一時間ほどの散歩をして帰宅、手は凍えているし、背中中冷えている。

少しも楽しめない散歩になっしまいました。寒いので途中休んだり普段はするのですが、そんな余裕もなく寒さこらえての、散々な散歩になりました。

  春一番の大荒れ・・勝手にそう決めて明日を待ちます。明後日からは春の気配がちょっと強くなってゆくのかもしれません。

 

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手稲は最高・・・群馬だより ・・・元気になりました

2023-02-07 19:35:55 | 身辺雑記

  雪のない冬を過ごした。92歳で経験した群馬の冬。1月にグランドゴルフを楽しめる…土のグランドでです。本当に幸せです。

きょうは2月7日、気温は15度ありました。札幌では5月ころの気温じゃないですか? 群馬の中心、前橋では梅が咲いたそうです。

太田にも桜の名所はいくつもあるようです。まもなく豪華な桜を鑑賞できるのでしょう・・楽しみです。

昨日、高崎に行ってきましたが、高崎まで行くと上毛三山がどんと迫って見えます。太田からとは全く違う姿に見ほれました。

群馬は温泉の多い県としても有名ですが、まだ温泉には出かけていません。かなり遠いところになるので簡単に出かけられないのです。今年の夏は・・・

こんなことを書ける自分になっているのですね、転居してきてしばらくは酸素ボンベを引いて、息も絶え絶えみたいな生活をしていたのに、今は酸素を普段は使わなくても

済む生活をしています。雪の中を歩くこともないのですから・・・

 

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