手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲は最高・・・群馬だより ・・新田義貞

2023-09-07 19:28:50 | 随想

  小学校の時、唱歌で「七里ガ浜の 磯伝い 稲村ケ崎名将の 剣投ぜし 古戦場」と歌い、新田義貞を知っていた。しかし、群馬の人は知らなかった

昨年、北海道からこの群馬県に転居してきて、足利がすぐ隣だということを知り、足利尊氏との関連で新田義貞もこの近くかもしれないと調べたら、なんなと

転居してきた太田市に新田氏の荘園があったのですね。それで少し意識してみましたら太田駅の北口前の車回しの広場に銅像が飾られているのを知りました。

また、鎌倉への挙兵出陣祈願をした生品神社がありその近くに記念館もあるようなので行ってみたいと思っているのですが、何せ娘につれていってもらわなければ

なりませんのでまだ実現できていません。だんだんわかってくると新田の荘園は大きくて城跡も二か所あると聞いていています。折を見てたぜひ訪ねてみたいものです。

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手稲は最高・・・群馬だより・・処理水問題

2023-09-03 12:36:52 | 随想

   福島の処理水の放出に対する中国の態度、呆れたものです。処理水なのに汚染水と声高にわめき、国民を扇動してのあの態度。

中国が騒げば世界のあちらこちらから同調者が出てくると思ってのことでしょうが、中国に同調する国は出ていない。韓国あたりが同調しそうな感じが

しますが、ほとんど騒ぎに至っていない。海水は流れていて、福島で放出された処理水は中国までたどり着くのにどれだけかかるのか中国人はわかっているのだろうか。

たどり着いたとしてどんな海水になっているのか想像してみたらどうですか。まるで世界中の海が汚染されるような騒ぎかた、科学的な根拠を示してほしいものです。

日本の海産物の輸入を禁止しました。確かに日本の水産関係には痛いことです。でも、日本はしっかり受け止めて対処しゆく底力を持ち合わせていると思います。

世界中て゛ただ一ケ国、跳ね上がっている中国の姿をほめる国はないでしょう。   ひとりごとです。

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手稲は最高・・・群馬だより・・盆踊り

2023-08-21 19:05:54 | 随想

    ゛踊る阿呆に 見る阿呆  どうせ阿呆なら  踊らにゃ 損 損!!”   阿呆といわれようと踊らなくちゃ… と待ち焦がれて踊る   それが盆踊りだった。

北海道では「北海名物数々あれどよ  それさね盆踊りよ」とかという北海盆歌があるように、盆踊りは北海名物だった。とはいうものの北海道に移住してきた方たちが

阿波踊りなどを参考にアレンジした単純な踊りで誰でもが簡単に中に入って踊ることのできるものだった。田舎では特に娯楽がありませんから、年に一度の盆踊りは

待ちかねていて、あの盆太鼓が゛初秋の夕暮れに聞こえてくると老いも若きも・・・小学生まで大人の中に入って踊ったものでした。その盆踊りがすたれていくのですが、

少子化と関係もありましょうが、それよりも青少年育成の観点から 子供が夜出歩いたり、あの卑猥な歌などが平然と歌われる盆踊りを踊ることはよくないということから子供盆踊りなるものを

作り、夕方6時ころまでに踊りを終わらせるように指導がされた。少子化の進む中で子供盆踊りは盛り上がらなく、さらに親は子供を家において踊りに出かけることもできず、

踊り自体も衰退てししまいました。そしていつ間にかみんなの盆踊りでなく、見世物の盆踊りへと質が変わっていったように思われます

私も小学生のころから盆踊りに取り付かれているみたいに楽しみました。それも20代の中頃まで終わりました。田舎の部落の盆踊りは次第に衰退し、地域の祭りの出し物のように

なり、それもあまり盛り上がらなくなりました。お盆になり、夜風に乗ってどこからか太鼓のの音が聞こえて来ると郷愁をおぼえたりしたものでした。

内地では各地に特色のある踊りがありますが、これらももとみんなが踊り楽しむものだったのでしょうが今はいろいろな団体(連)に別れ、それぞれの演技を競うようになっている

ように見えます。先日書きました阿波の阿呆踊りの素晴らしさはここから出てきたのでしょう。

 

 

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ソーラン祭 今年も中止

2021-06-28 19:29:42 | 随想

 札幌の夏は「ソーラン祭り」で開幕する。ところが、昨年、コロナ禍で中止となり、今年も亦中止となった。
 北大の生徒たちが中心となって、北海道の代表的民謡「ソーラン節」に合わせて、それぞれ独自の集団演舞を繰り広げる。曲も中にソーランの言葉が入れば、どのような歌でもよい、踊りの人数の制限もなく、踊りは各団体がそれぞれ一年かけて練り上げた独自の、しかも力強いもので、札幌の夏の幕開けには、最高のものです。最初のころは大学生が中心でしたが、次第に、応援の企業と組んでのチームとか、地域の団体とか、それも北海道内だけでなく全国から参加するチームも増えてきて来て、更に外国のチームまで加わるようになってきていた。確か五日間にわたって開催されるのだと記憶していますが、此の間は札幌中がソーラン一色になるのです。
 このソーラン祭りが終わって、6月15日が北海道神宮の夏祭り、ソーラン祭りができる前は、此の札幌神社の祭りが、いわば夏への衣替えの時期になっていました。
 この祭りとともに大通りにはビァガーデンが、開かれて暑い夏になるのでした。それが、二年続けて、コロナのために中止となったのは本当に残念です。あの、ソーラン祭りの大太鼓の響き、苦心を懲らした衣装、飛び散る汗、やっぱりソーラン祭りで夏を迎えたい。
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中国へ行ったのは25年前でした

2021-05-06 19:05:33 | 随想

 退職して間もなくでした。三峡ダムが完成すると三峡も水没するという話を聞き、三峡クルーズを経験しておきたく思って、6月に募集されていたクルーズに応募した。
あれから25年になる。二昔半も前の話ということになる。今の中国と比較すると、この二十年での中国の変化はとても信じることができない。
上海に降り立って驚いたことは、自転車の洪水で、自動車は珍しいくらいで、交差点に信号もない。重慶からクルーズが始まる。3000トン級の汽船で下るのですが、客室の水道から出る水は長江の濁水そのもので、飲むことができないのです。長江を堰き止めダムにするという話で驚いていたが、既に一代めのダムは作られていて、新しく二代めが完成まじかでした。江陵で下船、バスで武漢まで高速道路を走りました。しかし、すれ違った車がなかったと思います。高速道路だけはしっかり作られていたのでした。朝ホテルの窓から外を見ると、自転車やリヤカー<を引っ張る人たちがたくさん見られ。車はめったに見られなかった。
あの中国がアメリカと対等に張り合う国になっているのですよね。
 つぎの年には西安に行ってきましたが、ここでもほとんど前の年との変化は見られなかった。
 中国製は安かろ、悪かろ地といわれた時代だったのです。今や中国製品は世界に通用するようになっている。あらゆる分野で世界水準を超える発展が見られる。この速さは驚異だ。/div>
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晩秋の名月・・・・

2020-10-31 19:38:55 | 随想

 今外をのぞいた。薄雲の中だけど15夜の月が見えている。月を詠んだ詩は沢山ある。秋月を眺めながら望郷の念に駆られる詩、今年の秋も過ぎてゆくと又歳を重ねる思いをうたったりしている詩を思い泛べる。「絡緯数声山月寒し」これは真山民の詩の結句だけど、山の橋にかかる月ですから満月ではないのでしょうが、片割れ月の光の中からと切れ戸切れに聞こえる虫のは心に染みる。この句を借りたと思われる「絡緯声中夜書を読む」という日本の詩人の詩がある。これは明らかに満月の夜、今を盛りと鳴く虫の声を聞きながら書を読むというのですが、此の虫の声はにぎやかで、本を読むどころではないような気がする。
 最近、15夜を意識する人が少なくなっているのはちょっと寂しい。
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「おしゃべり」  

2020-10-24 20:24:04 | 随想

 「おしゃべり」とはとても言えない私です。皆様を見ていると、話題は豊富だし、時にウィットを利かせて笑いを取ったり、そんな友達がとても羨ましく思われます。
 現役の最後頃から手稲の街で同僚だった仲間と酒を飲んではしゃぐような生活が始まり、酒の力でみんなと話を楽しむことができたりしました。そんな中で居酒屋「いの平」は、いつ行ってもおしゃべりに困ることのない楽しい店でした。
 店の主人が、小野さんといい、私の詩吟の会にも入ってくれ、小野さんの人柄に引かれてくる常連が、私のおしやべりの相手としてはとても良い方が多かった。その「いの平」も小野ママが無くなりおしゃべりに行くところもなくなった。
 詩吟での宴会、町内会などで宴会など種々の付き合い酒があったりしますが、どうもおしゃべりの相手が見つかりません。おまけに私も歳で酒も飲めなくなっています。ますます話し下手になりつつあります。もう少しテレビのパラエティなども興味を持てばいいのですがそれもしない。あるいは、ニユースをもっと大切にして、自分の話の題材にし上げておけばいいのかもしれません。一寸意識して今からでも過ごしましょうか。
 
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友達がいなくなった  兄弟の集いもできないでいる

2020-06-20 19:35:14 | 随想

 今会って楽しく語りあい、杯を重ねあうそんな友達がいない。

 振り返ってみると、何かに熱中出来ていた時は、共に考え、実行し、その達成感を分けあった友達がいた。

 そんな節目譜目の友達はいたのだけれど、ほとんどの友は既に他界してしまっている。

 日常的な近所付き合いもしたくても、ふさわしい人が近所にいない。兄弟は結構多い方なのだけれど、兄弟たちとの交遊もあまりない。

 両親が健康てあったときには、時折両親を囲んで楽しむこともあったけれど、両親もなくなり、家内も私の兄弟たちと距離をおきたがる方
なので,兄弟との集まりも持てないでいる。

 もう 20年も前になりましょうか、「いの平」の盛んだったころ、たまたま私の兄弟が札幌に集まる機会ができ、ついでに定山渓で
一泊して楽しもうということになり、そのことをいの平で仲間に話していた。

 当日、夕食を終えて、二次会を用意することにして、もう一度お湯に使ってから二次会ということで、別れた。私は家内と度半していて
わたしたちは私たちで一緒に風呂に出掛け、私が一番早く炉から上がり、一度部屋に上がってから二次会に行くつもりでエレベーターのままで謂ったら
丁度ほぼ定員くらいに込んだエレベ―タ―が止まっていた。素の前まで行く突然、先生!!早く!!と引き込まれた。何と「いの平」の仲間たちにのです。
私が行くということを知って、仲間を揃て来たらしいのです私たちの部屋で二次会とか言って連れてゆかれました。するときようだいたちは私がいに亡くなったので
大騒ぎになり、「拉致された!」とか言って探し回ったという事件になりました。結局大笑いで何事もなく済みましたが、楽しい思い出でもあります。。div>
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日本人のプライド

2020-05-14 19:08:55 | 随想

 「戦争放棄」・・・憲法でこのように叫ぶ。この選択をしたのは日本人であり、世界中に例のないこんな言葉を発信することに込められた思いはどんなものだったのだろう。少し前まで、私は世界に例を見ないこの言葉を世界に発信できる日本人を素晴らしいと思っていた。しかし、今冷静に見つめなおすと、世界から馬鹿にされるだけのもので、世界に冠たるものなんて思っていたのは間違いに思える。終戦後しばらくの間、戦争放棄という憲法があるので戦争には協力できないといって、戦争の渦中に入らないで済んだこともあった。これは有りがたいことだったけれど、後進国もどんどん力をつけてきている今の国際情勢を見てみると、北朝鮮と日本が浮き上がっている。

 明治維新のころ欧米の極東属国化の嵐の中で、攘夷を叫び、列強と並ぶ強国へと歩を進めた日本の姿を思い返したい。戊辰戦争の錦の御旗よろしく、天皇を担いで、飛び上がり軍力で先進国と肩を並べてゆこうとしていた。そんな日本を快く思っていない欧米諸国の包囲網の中で孤立し、戦争を仕掛けなければならない状況に追い込まれたのだった。今でも、アメリカは日米安保の中で日本とは切り離せない中のようになっている。しかし、アメリカはいつでも安保から降りられるものを持っている。日本は、アメリカが離れたらどうなるのでしょう。北朝鮮よりまだみじめになるかもしれない。

 今こそ、日本人のプライドを取り戻す憲法改正に進むべきだと思う。日本独自の軍隊をつくりあげたい。軍国主義復活と世界中が目をむくことは判っている。戦争のためではない、国を守るための軍隊なのです。そんな姿になって安保も対等なものになる。
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「我酔うて眠らんと欲す/卿(きみ)且(ばらく)去れ 」 李白

2020-04-09 19:41:56 | 随想

 この詩は李白の「山中幽人と対酌す」の転句です。一時、世捨て人のような生活をしたことがある。その時の作です。
 人気のない山中、あたりにはいろいろな花が咲いている。そんな中でお互い杯を酌み交わして時を忘れているのでしょう。ふと眠けを感じた李白が飲み相手に「俺は眠たくなったわい。君はもう帰ってくれないか。」といっているのです。この二人の関係というのがとても素敵に思われます。

 友達っていいですね。酒酌み交わし何を語っていたのかは問うこともいりません。心の通じ合う二人です。・・・眠たくなった、寝るから帰ってくれなんて言える友達仲間。本当に羨ましい。

 私は残念なことに友達がいない。85歳くらいまでは一週間に一度くらいは飲みに出掛け、居酒屋で安いお酒を飲みながら、飲み友達と楽しんではいた。しかし、お互いの家に行き来して酒酌み交わすような友達はできなかった。土台お酒は強くなく、酒がおいしいと思って飲むこともなかったのです。ただ酒の勢いで話が弾み時間の立つのも忘れるようなことは多かった。

 こんなことを話題にできるのはもっと若いうちでなければ話にならない。 この年でそんな友を求めるのは無理だ。しかし、友もなく、することもなければ残された時間が苦しみの時間でしかなくなる。
 せめて、詩吟で吟じて、今は詩吟が友達だなんてつぶやいて置きましょう。
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