手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

明日から8月!!

2019-07-31 19:12:39 | 身辺雑記
 午前中に今日は水曜日、何日だったっけと考えたがすぐ、日にちが浮かんでこない。暦を見て8月31日を確認した。

 明日から8月なのだ。何かとても不思議な気かする。もう8月なの!!7月は何もしないで終わったみたいな感じがする。昨日から真夏日らなって、外に出るのがとても億劫でクーラーを利かした部屋でごろごろして過ごしていた。

 私にとって8月は墓参で旭川に出かけることが、大仕事。今年は13日に決めた。
この二・三年天気にあまり恵まれないで来ているけれど、今年はどうなるのでしょう。

 昨日からの真夏日、しばらく続くみたいで、この暑さにも参っているが、お盆のころに崩れるのじゃないでしょうか。

 昭和40年50年ころは8月4日がキャンプへの出発日だった。3泊四日の家族旅行楽しかった。良い思い出がいろいろ残っている。
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読売新聞の 時事川柳から

2019-07-28 19:42:56 | パークゴルフ

 今朝の読売新聞の時事川柳にこんな一句がありました。

  「都合の悪いことは忘れ良き昭和」

 昭和5年生まれの私はカラオケも好きで一週間に一度は歌いに出かけています。その持ち歌の中に「俺の昭和が遠くなる」というのがあり時々歌っている。

 私の昭和はほぼ現役の最後までてした。日中戦争から太平洋戦争へ、そして敗戦 戦中戦後の大変な時代を経験してきたのです。衣食住のすべてについて苦しいものだったけれど、辛さの中にも、何か新しい時代へのうねりのようなものに背中を押され、学制改革で新制大学の一期生として、昭和28年に、初任給6890円で高等学校の教員となった。

 日本の復興は早かった。敗戦時には焼け野原だった東京も復興し、20年もたたないで東京オリンピックを開催できるまでになったのです。高度経済成長の続く中で現職をほとんど過ごせたのです。民間企業もゆとりがあり、日常の楽しみもゆとりのある、開放感にあふれた時代だった。

 ガツガツすることのない時代でした。やっぱり良き昭和だったのだ。終戦のあたりの辛さは、特に戦争の犠牲となられた方たちは大変なものだったと思う。そして二度とあのような過ちを繰り返さないと念じなければならない思いをみんなしょっているのだけれど、傷の痛みも時が解決するというけれど、辛かったことより何かゆったりと流れた昭和に心地よさを感じ、今のぎすぎすした風潮の中で、郷愁のようなものがわいてくるのです。
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軒下畑のトマトが採れ始めた

2019-07-27 19:25:01 | 身辺雑記
 夕べ一晩雨になる天気予報だったが、ほんのお湿り程度の雨だった。蒸し暑い一日になりした。

 今日は土用の丑の日です。鰻を食べる習わしになっている。最近は養殖用のシラスウナギが取れなくて鰻がえらい高いものになっている。我が家では母の日に内地の娘から鰻が届けられ、先日残してあった分を食べてしまっていました。それでどうするという家内との話の結果アナゴのかば焼きを食べてみることにしました。先ほど食事を終えましたが、アナゴとても良く出来ていて、見た目では鰻と変わらなく、味も上手な味付けで満足しました。

 食事の後、今日初めて軒下畑のミニトマトが収穫できたのでデザート代わりに食べました。三種類のミニを一本づつ植えたのですが、三本とも収穫ができたのです。

 ひどい苦労をしながら苗を植えたりしたのですが、胡瓜は今年は食べきれないくらい収穫できています。夏大根は今年初めて植えてみましたがトウが立ってきたので全部収穫しました。ササゲは鈴なりになっていて毎日食卓に上っています。馬鈴薯も20株植えたのですが、日当たりがあまり良くないところなので、茎だけは大きくなっているけれどどれだけ収穫できるのかわからない。

 昨年は秋大根20本ほど収穫したのですが、今年はこれから10本くらい取れるように植えてみようと考えています。
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岩手県代表決定戦大船渡高校佐々木投手登板せず敗退

2019-07-26 19:18:00 | 野球
  昨日岩手県の代表決戦があった。多分球場は超満員、プロ野球12球団のスカウトも顔を揃えていたと思う。大船渡高校の佐々木投手が必ず登板すると思っていたはずだ。163キロの速球を投げる超高校級の投手です。順調に決勝まで来たのですから、決勝戦必ず登板すると誰もが信じていたと思う。ところが佐々木投手は登板せず、チームも花巻東に大敗して甲子園行きがなくなった。

 佐々木投手は前日の準決勝で129球投げていたといいます。監督は敢えて投げさせなかった。無理をして故障をさせたくないという考えから、甲子園の切符を求めなかったのだと思う。甲子園に行かなくても、たぶん今年のドラフトの目玉であることに変わりがない。むしろ出場させて、肩を痛めるとかしてしまうと大変な宝をなくすことになる。そんな配慮があったのだと思う。

 本人は涙を流しながらも、監督に対する不平は言わなかった。当然のことだけれど、甲子園、球児の花道に勝負をかけられなかったのだから残念だったと思う。

 二刀流二世が数年後にプロ野球を沸かせているかもしれませんね。そんなことになればいいのですが・・・。(/font>
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職場からサークル活動が消えた

2019-07-23 18:43:04 | 詩吟関係
 嘗て所得倍増計画という政策が始まり、その国策にのって年々給料は上がるし、産業も成長をつづけ、あの終戦後の厳しい生活がうそのような国になっていったことがあった。毎年ベースアップがあり、生活にも余裕があった。今から考えると嘘のような時代だった。

 三公社五現業が健在であったころは、大きな職場ではサークル活動が盛んにおこなわれていて、その時代は詩吟サークルも多く、特に国鉄、官公庁のサークルは民間のサークルのリーダー的存在として活躍していた。

 それが、バブルの崩壊、国鉄の民営化をはじめ三公社五現業も民営化されると、みるみる姿が変わり、企業内のサークル活動は、合理化の波の中で追いやられる時代になった。

 私の詩吟は1974年美唄東高校勤務の時、仲間7人と一週間に一度職員室を稽古場として始まりました。その後、札幌西陵高校に転勤して、PTAの公開講座に「詩吟入門」を開設しその時の参加者たちをもとに現在の詩吟の会を立ち上げて行ったのでした。

 札幌西陵に着任したのが昭和54年でした。このころはまだ国鉄とか大きな企業で詩吟をやってきた方たちが退職間もなく、詩吟の会への入会者は多かった。

 バブル崩壊が、企業からのサークル活動を詠やることとなり、詩吟を初め、民謡、日舞、謡曲などの伝統芸能の衰退へとつながり、世代交代が起きたように思います。今、かろうじての人数を揃えて詩吟を続けていますがこの後新会員見つけることは難しいのではないかと感じています。
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区民センターのMDカセット故障で使い物にならず

2019-07-22 20:02:42 | 詩吟関係
 通常の稽古を前半やって、後半「雨にも負けず 宮沢賢治」を、MDで聞きながら稽古をさせたいと、カセットデッキを事務所から借りてきてもらった。ところが全く使い物にならない。現代詩で長いし、一寸稽古がむつかしい。それで、佐々木象堂先生の吟をMDにとってありますので、それを使って稽古させるつもりだったのです。できればせ西支部の大会に 合吟で出してみようかと考えたりしていたのです。教室から帰宅して、MDからテープにダビングして来週に間に合わせようと思ったところ、カセットにも一本取ってありました。来週はそれで稽古ができるでしょう。  

 手稲神社の奉納吟も決まりました。平和から何人来てくれるかわからないけれど何とか頑張ってきてほしい。文化祭は手稲だけで終わらせます。

 いろいろな大会の吟が混ざり合いますので、稽古が大変です。間もなく西支部の 構成吟の稽古が入ってくるのでしょう。
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大相撲明日は千秋楽

2019-07-20 20:01:50 | 相撲
 名古屋場所も明日が千秋楽。何とも言えない、不思議な充実感がある。

  とにかく四大関という時代も珍しいけれど、その四大関が全員休場、普通なら張りのない場所になるのでしょうがそうも言えない面白さがあった。

 新しい有望力士の台頭がみられ、ついさきごろまで良く知っていた力士は今やレジェンド。世代交代が進んでいる。

 横綱二人が頑張ってくれ、有望新人の予想外の大活躍、さらに小兵力士の活躍と話題に事欠かなかった。

 私は、友風の活躍にまず驚いた。そして照強の活躍に驚いた。これもうれしかったのは遠藤が相撲を取れるようになったということだ。相撲を取れるというのは失礼なのだけれど、とても情けない負け方が多かったりのだけれど、今場所の後半のもうは今までにない気迫のある相撲になっていた。

 来場所は大関貴景勝は関脇に降格、二人が角番、高安8勝目を取っての休場だから角番にならないけれど、しっかり回復して出直してほしい。</ont>
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参議院選 大詰めです

2019-07-19 19:30:13 | 政治
  あまり盛り上がりのない選挙です。私は期日前投票でさっさと済ませました。以前は政党の公約だとか、候補者の主張とかに耳を傾けたりしましたが、今は安定政権を維持し、世界から信頼される日本の顔となる政党を応援するようにしています。

 平和な世の中のようだけれど、中国の動きはとても恐ろしい。香港のデモは今収まっているようだけれど、決してあきらめているはずがない。いずれ本国並みに自由が奪われていくのでしょう。一帯一路ということは中国化すると言うことでしょう。日本もその標的なのだと思います。ソ連のあのやり方、とにかく共産系の恐ろしさを抑える国の力を持たなければならない。

 難しいことは言わない。中国・ソ連を喜ばすような政党は選ばない。
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夏休みの時期が来た

2019-07-18 19:23:07 | 無題
  夏休みの時期になっている。現役時代の記憶だと将に夏で海に飛び込みたい暑さに苦しんだものだった。それがこの数年、5月にとてつもない暑さが来て、そのあと夏らしい感じになかなかなってくれない。そこそこの暑さはあるものの、海に入るには少し涼しすぎる。7月20日ころから7月一杯が夏で旧の七夕くらいから秋風になり、お盆くらいには海はガラガラになっていたものだ。それがお盆過ぎても海水浴のできる日があってみたりと全く気象状況が変化してきている。真夏日が少なくなってきた。だけど暖かさがだらだら続き、秋が長くなっている。雪の降るのも遅くなり、雪の量も減っている。これは私にとってはありがたいことです。

 今や海とは縁がなく、一番つらいのは冬の除雪だから、冬が遅れて、雪が少ない年になってくれるのは大歓迎です。

 しかし、この温暖化現象どこまで続くのでしょう。海水温の変化が鮭などの海産物の漁獲にも影響しているという。

 話を変えますが、プラスチックのごみ問題。日本も一時期はかなりひどい廃棄をしていた。でも河川の正常化、分別収集などがかなり行き届き、浄化が進んでいる。プラスチックの処理もかなり徹底している。分別されたプラスチックは、再処理されて燃料になったり、別の製品にされたりとかで、あまり困ることがないのだと思っていけれど違うのですね。中国に輸出され、中国で再処理されてたのが、今中国でも輸入しなしくなり日本では困っているという。

 今や世界中が近代化してきて、プラスチック製品の使用が増えていると思う。新興国ではかつての日本のように無制限に使い捨てている国も多いのではと思う。海洋汚染はますます増えそうに思える。腐らない物質だけに困ります。重油から作るのだから、重油に戻して燃料にできたらとおもったりするが、それができるならこんなに問題にならないのでしょう。
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私の政治意識の変遷

2019-07-17 19:35:46 | 政治
  選挙権を持つようになり、どんなふうに候補を選ぼうかといきなり迷った。ただ、父が小学校の校長で社会党支持ということを知り、漫然と社会党に投票をしていた。最初に赴任した沼田高等学校は先生方が高教組と北教組にわかれていて、それもほとんど活動をしていなかった。昭和39年に美唄東高校に転任して驚いた。組合が高教組一本で、しかも凄い迫力なのです。とにかく全員加盟が当然となっていて高教組の組合員になりました。そのころは北教組と高教組の違いは全くわからないでいました。翌年いきなり学校班長にさせられて、その翌年には高教組美唄支部の支部長に押し上げられました。この年に10・21という教職員のストライキが行われたのです。私は支部長としてみんなをリードすることになったのですが、その折、幾人かの先生から共産党への入党を勧められました。共産党に入らなければ10・21は戦えないというのです。実際に決起集会場に出向いてわかりました。北教組の先生は誰も来ていなく、日雇い労働者の組織が一つ来ているだけでした。一気に力が抜け、リーダーシップもどこへやら、本部の指示に従ったストライキをとにかく実施しただけでした。ここで共産党から見切られたのでしょう一年で支部長は降ろされました。このあたりから、選挙は保守へと傾き始めました。そして、中国の一党独裁の姿、ソビエトのやり方を見ていて、とても許せなくなりました。日本でも鳩山・菅の様を見てあきれて、自民党の安定政権を望むようになりました。

 安倍首相の不祥事といったらまずいかもしれないけれど2件の問題まだくすぶっている。しかし、安倍首相の対外活動はしっかりしている。世界の顔と並んで遜色なく、世界に伍していく顔として認められていると思う。

 市会議員などでは、少し甘くなっているけれど、信念は変わっていない。

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