手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「文化祭」 区民センター開催となる

2007-01-31 10:17:46 | 手稲文化協会関係

 平成15年の第54回手稲文化祭終了後、文化祭の区民センター開催の交渉を始めた。その理由は、このままでは文化祭の継続も危ぶまれるし、同時に手稲文化協会自体が瓦解する心配が出てきたからなのです。

 まず、見学者が極度に少なくなり、舞台が悪いこともあり、一番集客力のあるバレーも、数年前から大杉バレェは出演を辞退し、この55回から真下バレエも出演辞退と成りました。舞台が悪く、子供たちが怖がるというのが理由でした。一方日舞でも、各会の指導者(先生)は出演しなくなってきている。出演を辞退する会も出てきている有様でした。是は見学者が少なく張り合いが無いのが原因と考えられました。見学者の少ない原因はコミセンの立地条件があります。国道からの坂道を登ることが特に高齢者には負担が多いということでした。

 更に、手稲文化協会が主体の文化祭なのですが、区民の多くはコミュニティセンター文化祭と理解し、地区センターの文化祭と同等にしか考えてくれないのです。区長が挨拶に来ても挨拶の中に手稲文化協会という言葉は出てこないのです。

 そんなことで、会員の希望の強い区民センター開催を区に認めていただくべく運動を起こしたのでした。たまたま、平成16年はコミセンの大改修で一年間利用できない状況もあり、コミユニイセンター運営委員会からの反対の声はあったもの、手稲文化協会の立場に理解を示していただけ、55回からは手稲文化協会独自でのの文化祭として区民センターでの開催にこぎつけたのです。

 区民センターで開催した結果は、演芸部門は大成功だったのですが、展示部門に問題が残りました。土、日の開催、展示部門に見学者が来てくれない、特に一階ギヤラリーの書道では殆ど見学者が無いという有様でした。それでも1階で お点前の野点を前田社中が試み、それは一定の成果がありました。

 とにかく、長年の夢だった区民センター開催にこぎつけたのですが、ここで指定管理者制度が出てきて、大変な苦労が始まることと成ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲文化協会の歴史について 伝統芸能祭の開催

2007-01-30 17:32:29 | 手稲文化協会関係

 平成12年度の役員人事で畑事務局長が退任、その後に私が入ることと成りました。そこで、50年の歴史を持つ手稲文化協会の活動が文化祭の開催だけということは寂しい、新しい行事、活動を立ち上げようと提案しました。その第一が伝統芸能祭の開催でした。丁度、有珠山の噴火災害があり、その義援金を集めるチャリティとして、手稲区の後援を頂き、区民センターの使用料減免での開催をしたく区への要請を致しました。澤田会長の努力もあり、区から承認を頂き、7月16日(日)区民センターで開催することが出来ました。収益の全額、135000円余を義捐金として贈らせていただきました。その後も手稲区の後援のもと継続開催されてきています。内容として、特に日舞関係では、各会の先生方が古典舞踊を披露され、地方では、めったに見ることの出来ない、質の高い内容となっています。

 また、展示部門の写真二団体とペン習字が、コミュニティセンターで交代で通年展示をすることとしました。

 一方、文化祭は、手稲文化協会と手稲コミュニティセンター運営委員会との共催として明示し、文化祭運営の役員は手稲文化協会だけで間に合わせることとして運営委員の手伝いはいただかないこととしました。ただ、舞台設営で、照明の設置、舞台緞帳の設置は大変な仕事なので、手稲文化協会演芸部門各二名のほか、コミセン運営委員の協力も頂きました。

 文化祭への観客動員が思うように行かず、また音響設備がよくなく出演者からの評判は良いものではありませんでした。手稲をあげての文化祭である筈なのだから、区民センターで開催した欲しいという要望が特に演芸部門から強く出ていました。 平成13年にはチヤリティダンスの集いも開催し、益金は手稲区社会福祉協議会に寄付し、伝統芸能祭も継続開催させていただきやはり益金は社会福祉協議会に寄付するように成りました。この後、会長の交代、文化祭区民センター開催へと動くのですが、そのあたりについては、次回に書いて見ます。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲文化協会の歴史について 一つの節目

2007-01-29 20:11:57 | 手稲文化協会関係

 平成11年、文化祭は50回、半世紀を迎えました。私はこの前年から会計係として役員の仲間入りをしました。そんなこともあり50周年記念には、かなり関わりました。そんなことで記憶をたどりながら少し書いてみようと思います。

 平成10年、私が役員になった時、この話が出ました。当時の会長は澤田哲生氏で、手稲コミュニティセンターの事業部長も務めていました。澤田氏が役員会で提案したことは、『文化祭50周年記念をやります。なお、手稲区区制施行10周年にもなるから、区から冠を付けさせていただき、永年功労団体には区からの表彰もいただくようにしたい』とのことでした。その交渉は澤田氏がやり、その通りに成りました。平成11年、実行委員会を立ち上げ、出発するに当たり一つ問題が出てきました。それは、タイトルなのです。会長の提案は「第50回手稲文化祭記念」ということなのです。実は、私も役員になるまでわからなかったのですが、手稲文化祭はいつの間にか手稲文化協会主催ではなく、手稲コミュニティセンター運営委員会の主催となっていて、しかし出演団体の調整、ブログラムの作成は手稲文化協会が総てやっているのです。そして、文化祭当日になると、(当時私にはわからなかったのですが)コミュニティセンターの運営委員が何人も出て、文化祭の仕事をしているのです。私の全く面識の無いような人が仕事を仕切っているのです。

 この50周年記念というのは手稲文化協会創立50周年とばかり思っていた私にとっては理解の出来ないことと成りました。文化祭がコミユニティセンターの行事だとしたら、その記念式典はコミセンが主催しなければならないか、少なくても手稲文化協会だけで実行委員会を組むことは出来ない筈なのです。

 そこでタイトルが「手稲文化協会・手稲文化祭50周年記念」と改め、手稲文化協会で実行委員会を立ち上げ開催する運びとなったのです。

 このとき、最初の提案をした澤田会長が病気で入院してしまい、この後の進行が大変なことに成りました。これまで、殆ど澤田会長の言うままに受け入れてやっていて、相談に乗っていた人がいないのです。副会長も事務局長も、何もわからない有様なのです。それでも当時の事務局長が病院まで出かけて会長の意向を聞いてきたりするのですが、あまり要領を得ない状況で苦労しました。

 私は、50周年記念誌の編集担当とされ、実質一人で作り上げました。一番苦労したのは、初代、二代の会長さんの写真を探すことでした。お二人ともお亡くなりになっていて、家を探すこと自体が大変でした。入院はしているものの澤田会長は沿革の掘り起こしや、渉外折衝をほぼやりきってくださいました。

 この50周年記念、とにかく無事やり終えたのですが、この経緯の中で、澤田会長のワンマン的采配に対する不満が噴出して、平成13年度を勤めて会長から降りる方向が決まったのでした。平成13年に私が事務局長に推され、それ以来今に到るのですが、ここから手稲文化協会もまた新しい時代へと代わるのです。その辺は明日続けて書いて見ます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲文化協会の歴史について

2007-01-28 21:50:49 | 手稲文化協会関係

 札幌市10区ある中で文化協会があるのは手稲区だけです。
 
 手稲文化協会は手稲町の時代に結成され、主として手稲文化祭を主催してきていました。その最初は昭和24年、明治節が文化の日と改められ、国民の祝日になったのを機会に、文化の日にふさわしい行事をと、町の有志の方が文化祭を開催したのが始まりです。手稲小学校を会場として、町内の文化サークル、商店街、小中学校のPTAも含め町をあげての文化祭が立ち上げられたのです。2年目には、手稲文化協会が設立され、3年目からは手稲町の助成をいただいての開催となって行ったのです。

 手稲町は札幌市に編入されましたが、この文化祭は手稲公民館で、公民館の主要行事として組み込まれ継続開催されていました。手稲公民館が新しく手稲コミニュティセンターに変わりましたが、公民館での文化祭は引き継がれてきました。文化祭の主管は手稲文化協会であることにかわりがなく、表立つては手稲コミュニティセンターの行事ではあるものの、実質は手稲文化協会の文化祭として経過してきたのです。町の時代から引き継がれてきたという特殊性が、手稲区だけに文化協会があり、文化協会の文化祭があるという結果になっているのだと思います。

 今年で58回となる文化祭の開催にいろいろの問題が出て来ています。今、改めて歴史を確認し、新しい体制を確立する必要があるのです。私は、単に手稲文化協会の事務局長というだけのことなのですが、長い歴史と伝統をどのように継承発展させるか、誰かが先頭に立たねば進まないことですから、できるだけ努力をしてみたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ならぬ堪忍するが堪忍」なのだが・・・

2007-01-27 21:32:58 | 随想

 「切れる」という言葉が氾濫している。「ならぬ堪忍するが堪忍」という言葉はいまや死語なのでしょうか。

 私は比較的我慢強い方と思っています。喧嘩になる前に自分で引くのです。でも心では妥協していません。

 そんな私も、唯一度、酒の席でですが、ある人に絡まれて、終に切れてしまいました。それ以来、その方とは全く話もしませんし、出会っても挨拶さえしません。明らかに相手に非があってのことですが、相手は自分の非を認めていないと思います。

 最近、私の関係する方の中で仲違いが起きています。話を聞くとそれほど剥きになることも無いと思います。自分の好意を上手く受けてくれなかったことを、自分の存在を否定する行為のように受け取っているのではと思います。いわば物のはずみでの言葉の行き違いが収まらなくなっているのです。

 外から見ると単純なことなのですが、人間一度切れると回復は大変なことなのです。やはり「ならぬ堪忍」も「堪忍」する強さを持たなければならないのだと、自分を振り返りながら思うのです。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第二教場また一名増える

2007-01-26 19:12:27 | 詩吟関係

 こんな事ってあるのです。昨年の10月から4名の新規加入があり、今年になって新たに3名の加入があり喜んでいた。今日第二教場の教室に入っていったら新しい方がいる。大野さんの紹介でいらっしゃった小川さんという方でした。今年4人目の新人です。

 先週、礒さんが加入され教本を注文するのに、私が1冊スペアに持っていたほうが便利とも思い、2冊とりよせていました。そして、これもたまたま私が準備している教本の吟譜のプリント一式を、今日持参していました。これも生きました。今日はプリントを見ていただき、一度、初段の稽古もしていただきました。

 小川さんは、来月から正式に加入となります。準備がまるで今日の小川さんを想定したみたいなことに成りました。

 詩吟のお弟子さん、なかなか増えなくて困っていられる先生も多い中でこんなにとんとん拍子で増えるとは、嬉しい限りです。特に今まで一番少なかった第二教場が一気に名簿上15名になります。

 表向きは大量増員に成りますが、病気などで減っていく向きもありますのでやや増加といったところですが、新しい空気が入って活気が出てきます。教える楽しみもまた増えていくので最高です。

 平和の教室でも明日見学に来そうな話があります。皆が仲間作りにがんばってくれていて、本当に有難いことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの「いの平」

2007-01-25 19:33:59 | 身辺雑記

 昨夜久しぶりに「いの平」に出かけました。俵先生との約束です。18時過ぎに着きましたらもう俵先生はいらっしゃっていました。

 先客は顔なじみ4人、後から稲苑20期の女性が二人、小上がりに入られる。先客の高橋さんと三上さんは19時過ぎにお帰りになる。

 一時間ほどおしゃべりしてカラオケとなる。小上がりのお二人も一緒に成り盛り上がりました。いつも20時過ぎには帰られる山崎会長も、同行の坂野さんがカラオケに乗っているので一緒に歌って終に21時半くらいまで付き合ってくれました。小上がりのお二人は21時50分くらいに帰り、私達も22時過ぎに帰ることにしました。

 帰るとき、小野さんに2月12日の手稲文化協会新年交礼会に出てみないかと誘ったら、口岩さんから出るのか確認の電話が来ていたけれど、私からの声がかかっていなかったので、その旨応えていたとの事。口岩さんと一緒に出ていただけるように話して来ました。今朝口岩さんに電話して改めて小野さんと話して欲しいとお願いしました。

 新年交礼会、今日が投函の締切日なのですが、まだ7団体ほど届いていません。現在43名の出席、日曜までにはそろうのでしょう。50名になってくれればいいのですが、厳しいかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そのまんま東氏 宮崎県知事に

2007-01-24 10:59:29 | 無題

 タレントから政治家へ進む人が今までにもかなりの数に上っている。その知名度は大変なものだけれど、選挙民も決してそんなことだけでは択ばないと思う。

 タレントだって生活に困るわけでもないし、むしろ政治家になれば、特に県知事とか市長になると、とてもじゃないプレッシャーを感じなければならないことはよくわかっていての決断だと思います。

 東さんは、芸能人としての生活を続けながらも大学で政治の勉強もしてきたといいます。当然ですが、それなりの覚悟も、展望も持つての立候補だったのでしょう。長野県知事だった田中さんが、初登庁したとき、幹部が名刺をもらわないことにするといってむ目の前で破ったのがいて、問題になったことがありました。   既存の慣行とか、政財界との結びつきとか多くのしがらみと対決してゆくことは容易なことではない。昨日の就任の挨拶で、裏金問題に触れていたけれど、宮崎とて例外でなく、きっとあるはずです。まずそこから手をつけるということだと思いますが、作業服での姿、並々ならない決意の表れかと、応援したくなります。

 それにつけても、東京都の石原さんは大したものだと思う。鈴木知事の時代新しく作った都庁まて売らなければならないような話が出ていた。それが 全くどこかに行ってしまっている。それだけでなく、オリムピック招致まで進めている。 先日のお子さんの問題とか、出張旅費の問題とか、確かにやりすぎがあると思う。しかし、あれだけのことで済んでいるの石原さんの政治力、あるいは人柄によるのかもしれません。

 とにかく、東さんも、毅然とした知事として、新しい宮崎を作り上げて欲しいものです。泥にまみれていないだけ、一つ一つが新しいのです。新しい目で見直し新しいに仕上げてください。絶対大阪のあの方みたいな失敗だけはしないで下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あるある大辞典」納豆問題

2007-01-23 19:49:45 | 無題

 なんともあきれた話。私はあの番組あまり興味が無いので見ていませんでした。ただ家内はいつも見ていました。あの放送の後納豆が品薄になったとは聞いていましたが、まあ良くある話かとあまり気にしないでいました。我が家では私は毎日に近いくらい納豆を食べているのですが、家内は納豆を食べることを病院から禁止されているので、この話には全く興味を持たなかった。

 とにかくあの番組は、昼の、みのもんたさんの番組と同じくらい影響力のある番組でした。捏造のデーターでもっともらしく放送して、納豆の品薄まで引き起こしていて、挙句が捏造データーだったとは。単なるバラエティ番組ならいざ知らず、真実と思ってみている視聴者をこんな風に欺くとは、放送の公共性を踏みにじる全く許しがたい行為です。

 花王がスポンサーから降りた・・当然のことでしょう。番組も降板、それだけではすまない。こんな放送をさせた放送局の責任は重大だ。謝罪の放送をして、関係者の処罰もしたようですが、公共放送の信頼性を失わせた責任の重さを思ってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパーでは、もう節分の豆が売られている

2007-01-22 20:28:53 | 無題

 まだ2週間もあるのに、スーパーでは節分用の豆、といつても落花生が並べられている。あと2週間で立春なのです。

 冬になってまず待たれるのが冬至、冬至は日暮れのピーク、今はもう30分以上日暮れが伸びている。そして次に待たれるのが立春なのです。立春が来たから春ということにならないけれど、このあたりから日差しの強さが変わってくるのです。そして、2月の10日を過ぎると、殆ど雪はねの心配をしなくて良くなるのです。もう少しです、こんな冬は初めてです。これから雪が来たって、もう今まで楽をさせてもらったのだから、少々のことでは怖くない。

 節分というと子供の頃が懐かしい。父が3月で廃校になる東雲小学校の校長だった頃、校長住宅は学校にくっついていて、居間からすぐ教員室、教員室から生徒玄関となっている。節分になると大豆を炒って、それを舛にいれ、父が家の中では「福は内」を、玄関では戸を開けて、「鬼は外」と繰り返して豆を撒くのです。勿論、教員室も、生徒玄関もです、その後ろを、子供たちがついて歩き、父の声にあわせて「ごもっとも・・ごもっとも」というのです。それが当たり前のこととなっていたのですが、結婚して家内にそれをやるといったら笑われて終にやることはなくなった。歳の数だけ豆をまず取って食べる、後は適当に食べる。食べ物の無い頃でしたから、豆まきの大豆もおいしく食べたものです。ただ撒いた豆を拾って食べることはありませんでした。
 
 この頃の落花生を撒くのは、何か風情がなくてやる気が起きない。殻ごと大量には撒けないし、二つ三つつまんで投げるのも、なんとも嫌だ。だから撒かずにピーナツにして少し食べてみるくらいで終わらせます。

 ちともあれ、節分が近い、正月を待つより、楽しい気分に成ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする