手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

10月も終わる

2015-10-31 21:10:18 | 身辺雑記
  今日で10月も終わる。何とか花畑の冬囲いも終わらせた。

 8日は札幌西支部の吟詠剣詩舞の集いそして15日は年忘れ演芸会があって今年の行事も終わる。

 今日平和教場から連絡があり11月21日今年の納め会一泊旅行に決定したとの連絡が入った。今年は30周年記念大会という大きな大会も無事終わったので今までやったことのない一泊旅行で締めくくりたいということのようです。楽しみです。

 本当に忙しい一年でした。歳のせいもあるのでしょう。
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平野國臣 「わが胸の燃ゆる思い・・・・」

2015-10-28 20:03:06 | 無題
 西郷隆盛と僧月照の錦江湾身投げ事件を知っている人は多いと思います。安政の大獄で勤皇僧月照にも危険が迫ったとき、西郷は、月照を薩摩藩に庇護してもらうため、月照を連れて京を脱出した。しかし、薩摩は久光公の時代になっていて、直接連れて帰国しても庇護される保証がありません。それで月照を筑前博多の同志の家にあづけ、一人薩摩に帰り月照の保護をしてもらうべく運動をしていました。一方、西郷と月照の後を追って幕府の手が迫っていることがわかり、一刻も早く薩摩に送りたいと考えているときに、平野國臣が同志のうちを尋ねてきました。すぐに國臣に薩摩へ月照を連れて行ってほしいと頼みます。即座にそれを引き受け、途中山伏の姿に変装して薩摩への関所を通ろうとしたけれど、許されず夜陰に漁師の小舟で海から薩摩に入ります。そして西郷とともに薩摩藩に庇護を申し入れたが許されず、逆に月照を日向へ追放せよとの命令が出されます。月照と西郷を乗せた船には國臣も同乗していたのです。日向に向かっているけれど、その途中で月照を斬ることが命令なのです。西郷にそれができるわけかなく共に死ぬことを選び、あい携えて冬の錦江湾に投身したのです。その水音を聞いた國臣がすぐ舟を止めさせ引き返し探したところ、二人が浮き上がったのを見つけすぐに救い上げ、浜に船をつけて蘇生の術を施したところ、若い西郷は息を吹き返したけれど、月照は帰らぬ身となったのでした。

 この後、西郷は月照と一緒に死んだと幕府には報告をし、奄美大島へ名前を変えて送られたのです。

 一方國臣は薩摩から追放されます。この時の薩摩の仕打ちを嘆いたのがこの歌でした。この事件から平野と西郷の交流が始まるのです。

 平野は、この後、尊王討幕の活動を展開し、8月18日の政変で、先行した天誅組を引き留めに向かいますが、間に合わず引き換えし、その後生野の変を起こし捕えられ獄舎にいる時に大火が起こり、獄中のものとともに切られることになったのです。

 平野は歌人としてもすぐれた才能の持ち主でしたが、笛の名手でもあったといわれます。
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天誅組を組織し、討幕の魁となった吉村寅太郎の「舟由良港に到る」を、年忘れ演芸会で吟じます

2015-10-27 17:40:22 | 詩吟関係
 土佐勤皇党に所属していて、脱藩して尊皇攘夷の運動に携わっていて、あの有名な寺田屋事件でとらえられ、土佐に送り返される途中由良の港で詠んだ詩を吟じてみることにしました。「首を回らせば蒼茫たり浪速の城/蓬窓又聴く杜鵑の声」この前半の句を見ると抒情的な感じ受けるのですが、後半「丹心一片人知るや否や/家郷を夢みず帝京を夢む」で強い尊王の意志が表現されている。

 寅太郎はこの後土佐藩に投獄されますが間もなく許されます。その後自費遊学の許しを得て上京します。そして孝明天皇の大和行幸の詔が出されるのに応じて大和で討幕の兵を挙げることを計画し、尊王の志士たちとともに大和行幸の先駆けとして大和に向かった。この時に天誅組が結成されたのでした。しかし、あの8月18日の政変があり、天皇の行幸は無く、更に宮中から長州藩が締め出され、尊王攘夷派の公家たちも追放される事態となり、孤立したまま兵を上げ、逆賊として討たれて行ったのです。

 この五年後に幕府は倒され維新となったのです。天誅組は、討幕の行動に出た最初の組なのです。その中心にいたのが寅太郎なのです。逆賊として討たれた寅太郎だったのですが、明治政府から叙勲され汚名をそそがれたのです。

 彼の辞世の歌は「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我か打つ太刀の血煙とみよ」です。尚天誅組が最後を迎えた東吉野の村には天誅組の方たちの墓碑が今も残され地域の人に守られているということです。
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手稲第一教場  4人での稽古

2015-10-26 20:25:18 | 詩吟関係
  少し早く着きました。区民センターロビーの真ん中で会員の女性3人が丁度立ち上がったところでした。区民センターの会議室の使用は15分前からなのです。13時からという場合は、12時45分でなければ部屋を開けられないのです。皆様45分の前に来て待っていたのです。私は部屋が開いてから到着するのが普通なのですが、今日は途中信号待ちがなく早く到着し皆様と一緒になったのです。

 今日の部屋は第4会議室でした。4人だけの稽古、一人机一台とゆったり座っての稽古となりました。四人の中三人は初心者といってよいのです。教場長が副師範ですがほかの三人は、準三段、準二段、初段なのです。まだまだこれから苦労しなければならない方たちです。それでも、みんなとても熱心で頑張ってくれています。12月の審査は二人です。

 私はどこの教室も2時間で終わることにしています。前半で審査吟題の稽古をして、後半はこの後大会などがあればその稽古をします。今日は11月5日の西支部吟詠剣詩舞の集いの稽古と15日の年忘れ演芸会の稽古をやりました。女性の 合吟「静夜思」はまだ稽古をしたことのない二人がいます。それでも何とかリーダーについて吟じることができました。一度合同練習ができると良いのだがと考えています。また大会のない場合は私が選んで持参する吟題の稽古をします。

 今年は、今までにないだけ多忙な年でした。創立30周年記念大会という大きな大会をやったのが響いているのだと思います。それと、今年は10月11月が北詩連の行事と手稲文化協会の行事が連続する形になっていて、それも余裕をなくさせる原因になっていたと思います。11月15日が終われば後12月の審査会で今年度の事業も終わることになります。

  疲れる思いがあるのは歳のせいでしょうか。11月15日が終わるまで駄目です。ついつい愚痴を言いたくなったりします。それでも生徒さんたち頑張ってついてきてくれます。それはうれしいことです。

 
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みぞれのような初雪が降る中 駆け回った  石屋中国に行ったような感じだった

2015-10-25 20:02:08 | 身辺雑記
 今日の日曜は越冬野菜などの大売出しがやられていて、我が家でもそんな品物の購入をするため、まずホクレンショップへ出向く。9時らの売り出しだけれど、例年時間前から多くの方が並びます。それで8時45分に家を出てゆきました。裏の駐車場は満車で屋上駐車場に止めることになった。エレベータで一階に降りたとき丁度開店となり人の波に飲み込まれる有様でした。とても寒い日でした。今年初めてのダウン着用で行きましたが正解でした。

 ホクレンからトライヤルへ行きここでの買物も済ませて帰宅。今度は石屋製菓へ連れてゆくことになりました。出かける時から雪になりました。着いて地下駐車場に車を入れました。全く混んでいません。お客が少ないのかと思いながら一階に上がったらびっくり、すごい混雑、声を聴くと日本語は全く聞こえない。多分中国語だと思う。顔を見るだけではわからないのだけれど、声は中国語だけ飛び交っているのです。最近の外国人特に中国、韓国からの旅行者が多くなっているといわれているがこんな場面に出会ったのは初めてです。びっくり。帰る時見たら観光バスが3台入っていました。

 帰りは吹雪でした。丁度12時半になっていましたので、うどんを食べることにしました。いつも通りながら一度入ってみたいと思っていた釜ゆでうどんの店に入ってみました。凄い繁盛でした。ズラット並んでいるのです、次々に注文したものを頂き席に行くのですが、丁度良い具合に席が空き、座るのを待つことはないのです。確かにおいしい。こんなうどん食べたことがない。癖になりそうだ。

 吹雪の中帰宅しました。帰宅してからはもうどこにも出かけたくありませんでした。フィギュアのアメリカ大会をテレビで見ました。男子宇野選手が四回転を二回成功させ二位になった。昨日のショートの失敗失敗がなければ優勝だったのですね。女子は宮原選手が3位入賞大活躍でした。 -->
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平和教場 全員参加

2015-10-24 19:25:56 | 詩吟関係
  平和までの風景はもう晩秋という感じです。紅葉の盛りも過ぎた感じでした。

 教室はK君が遅れましたが全員出席の教室になりました。珍しいことなのです。11月の大会に向けて良い稽古となりました。吟はまたまだという感じが多いのですが、もう何回も稽古ができないのです。特に女性のリーダーになっていただくIさんは今日の稽古が大会前の最後の稽古なのです。何とか間に会うことになると思います。

 うれしい知らせが一つありました。女性の新人が来てくれそうな話です。是非とも実現してほしいものです。

 また、新しい提案があって、今年の締めくくりに一泊旅行をしたいというのです。検討することとなりましたが11月の末頃に実現されるかもしれません。

 ちょっと時期が遅い感じがありますが、皆様の熱意はうれしい。
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骨折り損のくたびれ儲け

2015-10-22 20:00:30 | 身辺雑記
  とんだくたびれもうけをしてしまった。先日、中古タイヤを探してみようとPCで販売店を探し電話を入れてみた。すると、在庫を見てくれて少し減っているけれどあります。値段は9000円に廃タイヤ料がかかりますということだった。どんな程度のものかわからないので見てから決めることにし、それでも販売するのだからそれ相当の代物だろうと買うつもりで、タイヤを組み込んだら、装着はスタットレスにしようとスタットレスを積み込んで10時の開店に合わせて出かけた。

 店に入ったら一人いらっしゃって、来意を告げたら携帯電話で誰かに連絡して、話してみてくださいという。それで、先日電話でお聞きしたものですというとわかっていますという。今やってもらえますかと聞くと今は忙しいのでダメ、夕方6時ころならやれるという返事だった。

 それで、少しくらい早くても何とかなるだろうと5時40分に店に行った。すると店が閉まっている。店の前に一台車が駐車している。どうもこの店に用事があってきている人みたいだったので、声をかけてみた。すると、その方も待っている方でした、しかし知り合いなのでしょう携帯で連絡を取っていました。そして今渋滞に巻き込まれて帰るのが遅くなっているそうですと教えてくれた。それで事務所の横に車を止めて待っていました。40分くらい待った時奥さんらしい人が子供二人と帰ってきた。そして、6時に予約した人ですかというからそうですと答えた。旦那が間もなく帰ってきますからという。それから少したってその奥さんがタイヤ二本を持ってやってきた。そしてこれが今ある品物だというのです。見たら私のつけているタイヤよりひどい減り方をした、しかも国産品でないのです。これじゃ今つけている方がいいですねという事で一致した。そこで奥さんの言うことには新品にしたら21000円で上がりますという。確かに21000円は高くないのだけれど、それでもタイヤの種類によってはまた安いのだってあるのです。それで断って帰ってきました。今日一日こんなことで振り回され、まさに骨折り損のくたびれ儲けです。

 私の車のような小型の中古タイヤはなくて、大型のなら何ぼでもあるのです。小型車のタイヤはは安いから中古を求める人が少なく、在庫にして置いても売れないので仕入れもしていないのだと思います。

 仕方がありません。明日イエローハットにでも行き、新品を購入することにします。
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肺気腫という病気   見た目には病人でない

2015-10-21 18:29:08 | 身辺雑記
  肺気腫と診断されて25年、その前から症状があったのだから30年にはなっていると思う。

 現在85歳。体重60Kは数年変わらない。 久しぶりに会う人は等しく元気そうですねと言ってくれる。そのたびに、見ためだけはね!と答える。実際この数年でかなり病状が進行しているみたいで、歩くのがとてもつらい。おばあさん並みの歩き方です。我が家の二階、12段が一気に登ると上で息が切れ、しばらく呼吸を整えるのにかかる。晩酌などをして酔いがのこっいると、一段づつ止まってでなければ上がれない。

 私は姿勢が昔からきちんとしていて、背筋が伸びている。歩く姿勢も褒められる。だから見かけは健康そのものなのだ。

 今は二月に一度、北大の呼吸器科にゆき定期検査をして薬を戴いている。その度、飽和度(血中酸素濃度)の測定がされる。大体96%から97%の数値になる。だから酸素吸入の必要はないのです。

 これは多分リハビリーになっているのだと思うのですが、詩吟を40年以上やってきています。現在も週5回教室で教えています。詩吟の声は健常者に負けないくらいに出ます。ただ、肺活量が減っていますので、ブレスをきちんとしないと時として息切れ現象が起きます。カラオケにもよく出かけますが、歌うことで困難を感じない。

 北大の第一内科に20年以上通っていて、患者の仲間を見てきていますが、私だけが残っているみたいです。治る病気でないから、来なくなっている方は多分ほとんどが亡くなられたのだと思います。

 現役中はヘビースモーカーでした。それがこの病気の原因だったのです。今、カラオケに行く店で店の中でタバコを吸う人はいなくなった。行き始めたころはいたのですが私がタバコはだめだと話したら、店が気を使って、私のいるときだけかもしれないけれど、たばこは外に出るようにさせている。

 肺気腫が進んで、歩くことがつらくなったことにより、好きなパークゴルフも出かけなくなった。これが体を硬化させる悪いスパイルになっている。正座ができず胡坐もかけない。時折、座る稽古などをするのだけれど三日坊主でたちます元通りになる。

 もう平均寿命も超えたのだから、いつ歩けなくなっても、ボンベを引っ張ることになってもおかしくないのだけれど、少しでもそれは遅くなってほしい。
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福祉センター詩吟  今日は20名参加でした

2015-10-20 18:55:36 | 詩吟関係
 今日は朝から降ったりやんだりの嫌な天気でした。これじゃ参加者が少なくなるかといつものように心配していた。

 ところが、なんと20名でした。

 老人福祉センターは60歳以上の区民しか使用できません。各種の講座が開催されていてどの講座も多くの方が参加しています。とりわけカラオケとダンスは大盛況のようです。そんな中で詩吟は一番人気が低い講座だと思います。

 此の福祉センターが開所してもう25年くらいになるはずです。その時から詩吟の講師を引き受けて今日に至っています。講座が始まったころは30名くらい参加することが珍しくなかったのです。それが団塊の世代が主流になってから詩吟を希望する方が少なくなりました。

 そんな中でも現在までこの講座を維持出来ていることを自分では誇りに思います。60代から90代までの方がとても楽しいといってきてくれるのです。詩吟人口が減少している中、ポツリポツリでも新しい方が来てくれて居ます。今日も新しい方が1名来ていました。

 この頃、かなり皆様の吟力も向上していて楽しい。受講料はかからず、出席も強制されない自由なのです。それでもこれだけの方が来てくれるのは、この講座の雰囲気が良くて、楽しいのだと思います。詩吟は礼に始まり礼に終わるといい、厳しく道を説く指導者が多いと思う。だが道を説かなくても、道を自然に守ってくれる集団だってある。そして楽しんでくれるのです。

 先日の文化祭で私たちの流派と違う会の発表を見ました。新しい詩吟の流れに乗らないということなのでしょうか、今は伴奏テープもあるしコンダクターもあるのに使わずおまけに詩文を忘れたときの対応も考えないで出演し、たどたどしい吟をしていた。ひどかっのは途中詩文を忘れて立ち尽くしている、それに救いの手も出さない。寂しいつらい吟でした。是じゃ詩吟の愛好家が減るのも当たり前という感じだった。とやかく言うことではないけれど、人に見てもらうにはそれ相当の努力をしなければならないと思う。
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手稲第一教場 詩吟

2015-10-19 20:26:53 | 詩吟関係
  二週間ぶりの手稲第一教場、会場は料理教室になっていた。三階の一番遠いところです。最近会場が取れないこともある。料理教室でも会場が確保できればいいのです。今日は四人でした。10月からこれるといっていた佐藤さん、とうとう顔を出してくれませんでした。西支部の大会には出席するので申し込んでおいてくださいという話で手続きは終わっています。手稲第一教場は私と孫も会員として登録しています、併せて7名が所属しているのですが、私は指導者、孫は勤めがあるので名前だけの会員です。したがって今日の4人に佐藤さんが入って5人が出席で全員参加となるのです。早く佐藤さんが復帰してくれると嬉しいのですが連絡も取れず心配しています。

 今日は四人の中3名が新人のうちに入りますので、教えるのには時間がとれて良いのですが、寂しい。かつて教室を二つに分けたときは、20数名いたのでした。そして当時の方はかなりの吟力を持っていて、充実していました。あの当時からすっかり顔ぶれも替わりました。 象堂流の時からの会員は今3名だけになっています。北詩連に加盟した時は39名いたのです。それが10年で残っている方3名になっているのです。それでも今20数名の会員がいるのですから頑張っているうちに入るのかもしれません。

 会員増強の運動が展開されていますが、なかなか容易ではありません。先日の全道大会の懇親会の最後の乾杯の時、来賓のある先生が詩吟の現状を打破するために、立派な吟を聞いてもらうことが大切だとおっしゃっていたけれど、今、吟を聞きたいと思っている方がいるのであれば効果があるのでしょうが、詩吟といえば顔をそむけるような人の方が多い現在です。全道大会にも何人部外者が危機に来てくれたでしょう。綿が案内した二人の方は来ていました。詩吟の後継者を増やすためには、小学生に詩吟を聞いてもらう取り組みが必要だと思う。小学生の無垢な体に詩吟という字を刻み付けてあげることで後継者が育つと思う。

 これまで二回小学校で詩吟を聞いてもらう授業をしたけれど、本当にやってよかったと思った。今年も一校予定に入っているが、学校とのコンタクトをとることが個人ではなかなか勇気のいることで、展開できないもどかしさを感じている。
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