手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

緊急事態宣言解除

2020-05-25 19:53:06 | 政治

 そうなるといわれていたように、北海道も含めて緊急事態宣言が解除された。

 宣言当初、「日本の規制は甘すぎる」という外国からの批判があったりしたが、罹患者の数~死者の数まで先にに解除した中国・韓国と比較にならない少ない犠牲で解除になった。よく頑張ったと思う。今日の解除に対しての反応の中には、早すぎるという意見もかなりあるようだったけれど、今解除されてコロナ問題が終息したわけでなく、この終焉は地球規模で、新型コロナウイルス疾患が、普通の疾病並みに扱われるようになってから言えることです。今、第一歩が踏み出されたというにすぎません。

 これからは、コロナ抑止先進国として途上国への支援まで進むつもりでいたい。その前に国内経済の新しい構築が要求されるのでしょう。一番待たれるのはワクチンと治療薬の開発だと思う。世界が競争しています。来年のオリムピック開催するには、世界から選手を迎え入れられる医療体制の整備が必須と思われます。今国内で県をまたいでの往来も自粛しなければならない状況で、世界中の国に門戸を開けられるようになるのは何か絶望的なようにも思います。

 ともあれ、新しい時代の幕が開いたととらえて、新しい感覚での消費、娯楽のあり方も考え直して見たいものです。
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緊急事態宣言解除・・・北海道どうなる

2020-05-23 20:04:38 | 詩吟関係

 思ったよりスムーズに宣言解除が進んでいる。北海道が一番遅れているが、うまくいくと25日の解除に間に合うかもしれない。解除されても、二波、三波の襲来が予測され、それに備えての条件付き解除になっている。

 私の詩吟の教室は区民センターの部屋を借りて開催している。今まで区民センターが利用禁止になっていて、もう休み始めて4か月になる。6月から再開できるかと期待していたのですが、区民センター解放にはならないみたいだ。8人くらいの人数ですから何とかなりそうだけれど、腹の底から声を出すので、しぶきが飛び散るのは間違いないからダメなのかもしれません。

 所属する北詩連では、4月の定期総会が中止となり、3月、6月の資格審査会が中止となり、さらに7月に予定されていた全道 競吟大会も中止となりました。あと9月の審査会がどうなるのか心配です。せめて一月くらい稽古ができるといいのですが。

 オリムピックもどうなるのかわからない状況になっている。日本が頑張ってワクチン製造に成功してくれればいいのだが、心配ですね。
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詩吟の教室5ケ月休みました

2020-05-20 19:37:59 | 詩吟関係

 2月の第二週は、一週休めばと思って休みにしました。第三週に入る前に二月中は休むしかないという結論になり二月を休みました。しかし、この新型コロナという病気は簡単なものでないことが分かってきました。三月に予定されていた定期審査会も延期となりましたので三月も休むことにしました。でも4月新年度になると、北詩連の定期総会もありますし、新しい気持ちで出直すことが出来るかもしれないと思いながら休みました。コロナの姿が分かってきました。詩吟で区民センターを使うことももできなくなりました。総会も三密に引っかかり開催することができなくなりました。五月の連休明けから頑張って6月の審査何とか間に合わしましょうといって4月を休みましたら、6月に延期になっていた審査藻中止となりました。7月には、 競吟大会があるのだけれどとちょっと心配していましたが、先日連絡が入り 競吟大会も中止となりました。

 いつの間にか四か月も詩吟の教室が休みました。コロナの緊急事態宣言の解除、ひょっとすると北海道も五月中に解除になるかもしれない様子です。解除になっても、まだまだ二次、三次の感染の危険性があるということで、詩吟のような飛沫を飛ばす会は自粛を余儀なくされるかもしれません。

 ここまで来たら6月に教室を再開することは諦めるのが筋でしょうし、あと9月の審査がやられるのかどうかということになります。その前に三密の解除が無ければならないのでしょうね。まあ、焦ることもないサークル活動です。会員が罹患することなく再開した時には元気な姿で来てくれるのを楽しみにしていましょう。
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昨日・今日

2020-05-16 19:57:16 | 身辺雑記


 昨日書いたブログ、faceに送らないまま、ブログへの投稿で済ましたつもりが、今開いたらバックアップで残っていた。ブログには投稿になっていると思って消したら投稿になっていなくて無くしてしまった。調べたら一昨日の分もなくなっていた。

 個人的な話だったので、自分のブログだけに収めるつもりが、無になった。一寸残念。

 昨日、大腸検査をしてきて、その結果などについて書いたのですが、結果だけ改めて書いて置くことにします。ポリープがきっとあると思っていたのになくて、一泊覚悟で行ったのに、無事帰れました。

 昨晩はとても疲れていて、ぐっすり寝ることができました。今日は朝から曇り、どうしょうか迷ったのですが、暇でしたので午前中にトマトの苗を買ってきました。午後、移植しました。大粒2本と、ミニ3本去年と同じです。ほかにピーマン4本を植えました。胡瓜も買ってくるつもりだったのですが、接ぎ木の苗がまだ入荷していなく、今日は求めずに来ました。近いうちに4本買って植えるつもりです。

 なんだかんだと悩んだりしたのに、ほとんどの植え付けが終わりました。去年より体が動いています。

 去年も酸素吸入はしていたと思います。しかし、今年は酸素吸入をそれほど使わなくても済んでいます。12月の肺炎の治療の結果、他の弱い部分も治療され、今年の方が良くなっているといえるのかもしれません。あの肺炎は化膿性肺炎で、左肺の上部に化膿ができた、重度の肺炎だったのです。一日遅くなったら駄目だったかもしれないのです。あとで先生の話を聞きましたが、治療の最初、36項目の治療を目指したとのことでした。それが4日目に検査したら二項目(体温と小さい影)を残して他は良くなりました。驚異的な回復力と褒められた記憶があります。
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日本人のプライド

2020-05-14 19:08:55 | 随想

 「戦争放棄」・・・憲法でこのように叫ぶ。この選択をしたのは日本人であり、世界中に例のないこんな言葉を発信することに込められた思いはどんなものだったのだろう。少し前まで、私は世界に例を見ないこの言葉を世界に発信できる日本人を素晴らしいと思っていた。しかし、今冷静に見つめなおすと、世界から馬鹿にされるだけのもので、世界に冠たるものなんて思っていたのは間違いに思える。終戦後しばらくの間、戦争放棄という憲法があるので戦争には協力できないといって、戦争の渦中に入らないで済んだこともあった。これは有りがたいことだったけれど、後進国もどんどん力をつけてきている今の国際情勢を見てみると、北朝鮮と日本が浮き上がっている。

 明治維新のころ欧米の極東属国化の嵐の中で、攘夷を叫び、列強と並ぶ強国へと歩を進めた日本の姿を思い返したい。戊辰戦争の錦の御旗よろしく、天皇を担いで、飛び上がり軍力で先進国と肩を並べてゆこうとしていた。そんな日本を快く思っていない欧米諸国の包囲網の中で孤立し、戦争を仕掛けなければならない状況に追い込まれたのだった。今でも、アメリカは日米安保の中で日本とは切り離せない中のようになっている。しかし、アメリカはいつでも安保から降りられるものを持っている。日本は、アメリカが離れたらどうなるのでしょう。北朝鮮よりまだみじめになるかもしれない。

 今こそ、日本人のプライドを取り戻す憲法改正に進むべきだと思う。日本独自の軍隊をつくりあげたい。軍国主義復活と世界中が目をむくことは判っている。戦争のためではない、国を守るための軍隊なのです。そんな姿になって安保も対等なものになる。
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憲法改正に

2020-05-13 19:25:56 | 政治

 「戦争放棄」この言葉を素晴らしいことと信じ、世界に誇れると思ったりしていた。しかし、我が国に同調して軍隊をなくし、「日本に習って戦争を放棄します」などといっている国は一つもない。一つも出てこない。もしも日米安保がなければ日本はどんなことになるのでしょう。

 今は新しい日本になる丁度良いタイミングのように感じたりします。アメリカの力を借りなくても、日本は日本人が守る。中国の一帯一路はみんな中国の手に入れるという大きな風呂敷です。その背景には、どんどん膨らんでゆく中国軍隊の姿が見えています。

 明治新政府があの短期間でロシヤと戦う軍隊を作り上げた気概は、今もまだなえていないと思う。今のうちに自衛隊も軍隊として、誇りを持てるものに生まれ変わらせませんか。へっちゃらで国境侵犯をしてくる漁船を追い返すこともできないような情けない姿になっているのです。

 アメリにおんぶにだっこじゃ情けない。アメリカだって、いつ日本を突き放すかわかったものじゃない。終戦のどさくさでこんな姿になったのだけれど、軍備劣等国として、どの国からも甘くみられるような国になりたくない。 国賓が来た時に栄誉礼に自衛隊が並ぶ。あれは軍隊です。人形じゃないのです。  

 日本人の誇りとなる軍隊を作りましょう。
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詩吟の楽しさ

2020-05-11 19:42:50 | 詩吟関係


 漢詩のリズム感が好きです。詩吟は漢詩の訓読文を吟じるのです。訓読文というのは、原文(白文)を日本語の文法に随って読み直したものです。この原文を訓読して書き下すのには、日本語の古典文法に随わなければなりません。日本語には、古典文法と現代文法の二つがあります。しかし、日本語の標準語は現代文で、日常語はこの現代語になります。古典語はまさに古典で生活から離れているのですが、日本語のすばらしさは古典語に在ると私は感じます。素晴らしいリズム感があり好きです。
 
 詩吟は音楽芸能に属し、独特のリズム感を持っています。しかし、本来の漢詩のリズム感は中国語を会得し、原文を自在に読めなくては、そのリズム感もわからないはずです。絶句には平仄法とか押韻となどがあり、これは中国語を理解した方でなくては本当に理解しがたいのです。しかし、訓読された漢詩は中国語のリズム感のようなものをうまく取り込んでいます。そのリズム感が何回も繰り返し読んでいるうちに、とても心地よく思えるようになり、ますます漢詩のすばらしさに引き込まれていきます。
 
 そんな漢詩が作られなくなったということは、實はここにあるのですね。漢詩も芸術ですが、芸術の本質は、その詩に込められた作者の真実なのです。しかし、定型詩では真実の表現が薄められ、遊びに近くなるという弱点があり、現代詩ではほとんど定型が無くなっています。漢詩という定型詩のリズム感を初めから楽しむ分には問題はないわけで、芸術論はさておき漢詩の格調の高い音楽性を、日本語で味あう詩吟の楽しさを知ってほしいと思います。

 定型詩のリズム感は、音数律と韻律に大きく分けられます。音数律は日本では五七調、七五調になり、漢詩では五言、七言となります。いろいろ細か分析がで来ますけれど、おおざっぱに一つの特徴を上げるといづれも奇数になっていると言うことが挙げられます。この奇数の語の持つ役割を考えてみる必要があります。偶数の配列だとどうなるでしょうか。四・八・・・四・六・八などと書いただけで違和感が出てきます。日本語の言葉は母音になって余韻を引くことができる特性があります。詩吟はこの特性を實に巧みに使っているのです。中国語では二語を単位として奇数の語をうまく生かしてリズム感を出しているところがあります。それに対して日本語では二語一拍というリズム感になっています。ここらのあたりを整理してゆくと、間の取り方などが浮かび上がってくると思います。
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自分の思い通りには・・・

2020-05-10 20:15:39 | 無題

 またコロナで書きます。先日の安倍首相の今月で緊急事態宣言が解除できるかもしれない、などという話を聞き、そして、さらに治療薬が゛できたといった話を聞き、直ぐにああうれしい!!、来月から今まで休んでいた詩吟の教室も再開できるだろう、来年のオリムピックも開催できるだろうなどと、なってほしい気持ちがなるものみたいな思いになるのです。

 しかし、改めて新型コロナを見つめなおすと、そんな簡単なものでなくなる。治療薬ができてもそれが世界にいきわたり次々に完治して行く有様を見ての話ならまだしも、まだ治験が終わっただけで汎用されるまで行っていないのです。韓国が、世界に誇った事態の宣言解除が、一晩にしてつぶれそうだ。この話は他山の石では済まない。今部分解除を測っている県がいくつか出てきている。しかし、よほどの歯止めをかけての解除でなければ取返しのつかないことになる。
 私の詩吟の教室、区民センターでやっているのですが、5月で事態の解除になりそうな話を聞くと、すぐにでも再開できるのではないかと思ったりしたのですが、詩吟の場合マスクをして吟じることもできないから、マスクを外すと息を力いっぱい吐き出すことになる、全員集まっても10人なので広い教室なら許されると考えたりしたけれどやっぱり遠慮するのが筋なのでしょうね。
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詩吟を面白く感じること

2020-05-09 19:48:27 | 詩吟関係

何事でも「面白い」と感じるのは、その人個人の感性による。現在詩吟に熱中している人でも、興味を感じる感じ方は人それぞれだと思う。

学ぶ楽しさと教える楽しさは違う。言えることは、教える方の詩吟に対するとらえ方次第で面白くもつまらなくもなるということです。

お弟子さんの一人一人をよく理解してあげなければなりません。今やとても少なくなっている詩吟愛好家をさらに好きにさせ、あまり興味のない人でも楽しくなるような教え方をしていかなければならないでしょう。
 漢詩を文学として 鑑賞し理解したい人もいれば、詩吟の題材としてとらえ特に深い知識として求めない方もいる。音楽的に完成した吟を求めるる方もいれば、仲間意識が大切で、民謡を楽しむように、細かい技巧的な、一字一句のアクセントにこだわったり、渡りはだめですとかといったことはもちろん注意はしなければならないけれど、もう少しおおらかにゆとりを持って教えていくことが大切です。

 漢詩の指導で絶句、律詩、排律などの定型詩の指導では形は直ぐ覚えてもらえるのですが、中国の定型詩の音数律を理解させ、併せて日本の短歌の音数律も五音七音の音数律になっていること、そして、日本語が二語一拍のリズムを持っていることと合わせて折に触れ指導していくことが大切だ。
 更に詩文の鑑賞にしても、細かいことを何もかも教えようとすると無理が来ます。教えるというか共感してもらえるような説明で、その説明を聞くだけで
納得してもらえるような、おおらかな指導法を確立すべきだと思います。そんな中で教室自体が生き生きとした活気のある楽しい場にしたいものです。(書きたいことはいろいろあるのですが、中半端なまま終わります)/div>
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詩吟という芸能

2020-05-08 19:25:56 | 詩吟関係

「詩吟を学ぶ」というと何か学問のように感じる。「詩吟をたしなむ」といえば、趣味として詩吟をやっていますという感じになる。
 「詩吟」という言葉を辞書で引くと、「漢詩に節をつけて歌うこと」と出てくる。大雑把な言い方をすればその通りなのだけれど、もう少しわかりやすく言い換えれば「漢詩の訓読文に節調をつけた、日本独自の音楽芸能」なのです。訓読文を元に戻すと漢詩になります。このあたりで、「漢詩に節をつける」のだから、まず漢詩の勉強から入らなければいけない、という考えも出てくるし、民謡などと対比し、詩吟は格調が高いものと決め、詩吟は「礼に始まり礼に終わる」とまず礼節を重んじることを重視する指導が生まれる。

 しかし、今、詩吟は漢詩の訓読文が中心であることに変わりはないけれど、和歌や現代詩、俳句までもが教材なっていて、「漢詩」と断定できないのです。まして、まず漢文の学習からということになると、余興=趣味の段階を超える。すると教える先生も大変だけれど習うものも今更漢文の勉強など結構です、ということになる。

 今や詩吟は庶民の生活から離れ、保護芸能になりかねない状況だ。そんな中で詩吟をもう少し生活の中に溶け込ませ、その存在感を示せるよなるのには、指導者はそれくらいの素養を見につける必要があるけれど、習うお弟子さんたちには、もっと身近な、親しみの持てるものとして受け取らせる指導法が要求される。ただ、今や新しい漢詩人が出てきていない。題材に新しい息吹を感じさせるものがない。それでも全国的にみればまだ結構な詩吟愛好者がいるのです。そんな愛好家を大切にしながら、楽しい詩吟を育てていかなければならない。
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