手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲文化協会の新年会に参加してきました

2020-01-25 19:48:56 | 手稲文化協会関係
 肺炎で入院する直前に案内があり、1月25日、私も参加するつもりだから、参加者をまとめて文化協会に報告し、余興では 合吟と梶尾さんの独吟を申し込んでおいほしいと口岩さんにお願いしておいたのでした。

 月曜日の教室で、確認して余興の稽古もテープを使ってやっておきました。私の体調はこの前のブログで書いた通りかなり順調に回復してい、ほとんど酸素を使わなくても済むようになってきています。でも、心配なのでボンベを持って行き、座席に着いてから吸入をやめて宴会に参加しました。全く問題なく済みました。

 余興、予定通り余興の最初に碌峭会の詩吟を組んでいただけて、無事勤めることができました。私の会からは、私を入れて7名参加しました。詩吟ではほかに役員になっていられる藤村先生と、今年度文化協会に加盟され寺林先生が出席なさっていました。清水先生は私の横に席が設けられていましたがとうとう欠席になりました。きっと体調が悪いのでしょう。

 今年の余興はとても素敵でした。ただ音響の設備が悪く特に歌は一寸大変でした。舞踊は先生方が素敵な踊りを披露してくれて楽しめました。

 </span>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲文化協会70周年記念大会に参加してきました

2019-01-27 19:12:00 | 手稲文化協会関係
  手稲文化協会の顧問ということになっていますが、名前だけのようなものでもあります。

 思い返してみると、50周年の前年に会計係になり、50周年では記念誌編集の実務を担当しました。そして、51年に事務局長を引き受け、60周年記念の折、丁度今日の70周年記念と同じ形の記念記念大会を区民センター区民ホールで開催したのでした。事務局長13年は自分でもよく頑張ったといえます。現在の文化協会の姿に作り上げて、木下氏に事務局長を引き受けてもらって、現役からなれることができたのでした。

 その木下氏の設定で今回の記念大会ができたのだと思います。とても良い編成になっていました。

 私が昨年暮れに札幌市社会教育功労者に選ばれたのは、この70周年の表彰者として、手稲区よりランクの上の札幌市表彰に私を推薦すべく区役所地域振興課と話し合う中で、文化団体協議会への加入が浮上し、それを通しての推薦となったのです。ですから70周年記念大会の席上で本来ならば伝達表彰を組むべきだったと思いますが、作年の11月21日に受賞し既に知れ渡っていることですから、それを避けて、私に祝吟をさせたようなのです。

 祝吟を引き受けていましたが、多分式典に入る前に筝曲、日舞と私が前座としてやってから式典に入るのだと思っていました。ところが式典に入り、諸挨拶があってそのあと区長表彰と、会長表彰があり、そのあとに私の祝吟一つが組まれていたのです。

 結局一人詩吟を披露することで、私の受賞記念の祝いを受けたことになるのです。何とか役目を果たすことができました。受賞者が後ろの椅子に皆様座っている前での吟ですから、受賞者と一体になる形でした。

 最近体調が良くなく、ずいぶん悩んでいたのですが、何とか終わり安心しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日手稲文化協会「年忘れ演芸会」です

2018-11-24 19:20:11 | 手稲文化協会関係
  最後の大会、「年忘れ」です。詩吟の会員の多い時はやりがいがあったのですが、出演の最低人数にまで減少してきていて、出演の仕方も限界があります。今年は前年を踏襲して、前半10分、後半稲穂との合同の 構成吟20分をやることにしましたが、来年は 構成吟無理になりそうです。今回私はナレーターだけで吟は遠慮することにしました。

 私自身、肺気腫が進行して、使っている薬が強くなって、喉が嗄れ、その上息が続かなくなってきているのです。でも昨日から試している薬の使い方だとひょっとすると、声の嗄れるのを和らげてくれるかもしれません。

 来年は89歳、せめて90歳まで頑張りたいのですか、体が許してくれるのか わかりません。寂しい話ですね。

 教室をやめて「あおばの会」に入って継続してくれていた小川さん、体調を崩して春先から休まれていたのですが、今日葉書が来て、年賀状を失礼するということと、癌の手術をしてようやく退院したこと、来年の4月からは又詩吟に復帰したいというものでした。元気になられたようでうれしい。今や癌も退治できる医療技術になってきているようですから、期待できるのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲文化祭第一日  札幌市社会教育功労者表彰を受けることになった

2018-10-13 18:06:28 | 手稲文化協会関係
 手稲文化祭が始まりました。今日10時に見学に出かけました。駐車場が満車になるほどの人でした。手話・太極拳、フラダンス、詩吟、民謡、日舞とても見ごたえのある出し物でした。二階の展示も今年は沢山の見学者が入っていました。

 明日は私たちの詩吟の出番、13時30分です。15分に絶句6題を組んだので、ちょっと苦しい時間繰りになります。最初のマイクの設定さへスムーズに行けば、ぎりぎり間に合うはずなのです。私も 独吟をすることになっています。先日からの喉の調子、いまいちなのですが、頑張るしかありません。

 今日、札幌市から親展の手紙が来ました。開けてみたら、平成30年度札幌市社会教育功労表彰の表彰者に決定したというお知らせでした。私には勿体ない表彰なのですが、手稲文化協会でやってきたことに、文化協会の方が70周年の中で何かしたいと推薦してくれたのだと思います。半世紀の歴史を持つ手稲文化協会が瀕死の状態だったものを立ち直らせ、新しい行事も立ち上げ、今の協会に作り替えたという自負心はあります。しかしこんな重たい賞をいただくのは何か申し訳ないように感じたりしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲文化協会新年交礼会に出席してきました

2018-01-27 19:10:32 | 手稲文化協会関係

 朝の雪、ロードヒーティングは効いて舗装がきれいに出ていた。しかし、夜中ブルトーザーが入ったようで、車道部分が高くなっている。朝食後、雪撥ねに出ました。寄せられた雪はすっかり硬くなっている。それを砕いて塀の前まで運ぶのが重労働です。おまけに雪が降って寒いのです。途中一度家に入って休んで出直してやっとの思いで、片付けました。

 今日は文化協会の新年交礼会、12時開演なので、11時20分ころ車をよんでゆくことにしました。車、電話を入れて10分くらいで来ました。少し早いかと思う時間に着いたのですが、何と遅い方のようでした。

 お弟子さん3名は既に着席していました。私は顧問の肩書を大切にしてくれて、上座に席が取られていました。70数名の参加で、とても華やかでした。今年は趣向が凝らされていて、余興は各ジャンルに出演を前もって依頼していたようで、とても整然と、手際よく進行され2時間半が退屈すること無しに過ぎました。ただ、詩吟の団体へは出演依頼がありませんでした。詩吟はあまり喜ばれるものでないので案内がなかったのかもしれません。又は昨年出演しなかったので希望がないと決められていたのかもしれません。

 終わってからお弟子さんたちに藤村先生も同行してくださり、「ルビー」で二次会をして帰宅しました。

 パークゴルフでの元の仲間工藤さん渡辺さんが来ていて挨拶に来てくれました。懐かしかった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化協会の打ち合わせ会にでて

2017-09-21 20:05:24 | 手稲文化協会関係

 手稲文化協会の年忘れ演芸会の打ち合わせ会に出席してきました。18時30分から区民センターで開催されることになっていた。少し早めに出かけて会場に入ったが、仲間の会がいつも二人出席するのに来ていない。念のために電話を入れてみた。忘れていたのです。少し遅れて駆けつけてくれました。

 何か会議が締まりのないものになっいる。私が事務局長をしていたころと何かひどく違う感じになっている。特に中心となる事務局の主体性が疑われるような会議の進行です。10月の文化祭にしても、区民センターとの連携がどうなっているのかわからないありさま。今日の会議の議案は、文化祭についての確認と、年忘れ演芸会の実施についてです。その議案のどこがポイントになるのかしっかり説明して確認してゆかなければならないのに、ただ資料の丸投げみたいな感じ。役員の業務について、臨時総会の折に示されたものが変更になっているのですが、その変更が文化協会事務局を経由しないで直接文化協会で指名していた個人に役割変更を告げられていることが分かった。そういうことは、この会議の冒頭で、このように変更になりましたと事務局から説明が無ければならないのに、それがない。年忘れのプログラム順が出されたけれど、ただ見てくれ位の進めかたに聞こえる。どんないきさつをがあってこのように組んだかという事務局の意向が話されなければならない。それがなくて、そして、ある団体の順番変更がいとも簡単に認められた。一番いい時間帯をみんなが要求したらどうなるのでしょう。

 会議は会議としての形式がある。締まりのない会議は困る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲文化協会 チャリティ舞踊の集い 見学してきました

2017-07-02 18:57:47 | 手稲文化協会関係

 先日、木下副会長がプログラムを届けてくれた。うっかり忘れていたのですがおかげで見学に行けました。

 私が文化協会の事務局長になってから立ち上げた「集い」です。最初は伝統芸能祭という名称で始めたのでした。この時日舞関係が「伝統」という言葉にこだわって、日舞の関係団体の代表一人が出演して、演目も「古典舞踊」を中心に組むというやり方になりました。私の構想はそうではなかったのですが、日舞の代表がそうするというので、やらせました。しかし、数年後にやはり限界が出てきました。そこで一端伝統芸能祭をやめて、「チャリティ日舞の集い」と「年忘れ演芸会」更に三月にチャリティカラオケフェスティバルをやることにしました。「舞踊の集い」初めは良かったのですが、舞踊だけでは無理になり、カラオケの賛助出演をしてもらう形に改めて今日に来ています。今日も、舞踊を一、三部に組み、二部はカラオケという形に組まれていました。

 長いこと日舞の中心として、舞踊を引っ張っていた或る会が今年は出ていませんでした。私とは長い付き合いで、手稲の日舞は自分が居なければ成り立たないような話口の方でしたが、今回その方がいなくても立派に「集い」が成功していました。

 「年忘れ演芸会」は、日舞とカラオケを除いた団体の出演で始めたのですが、カラオケの賛助出演をもらうようになり、更に舞踊の団体で出演希望があれば一団体1名の賛助出演をしてほしいと提案した時に、反対されましたが声をかけて賛同してくれる団体があればどうぞという話になり、結局その方だけが出演しないで他の会からはみんな出てくれた。そこから「年忘れ芸能祭」と名称を変えて今日に至っている。

 それにしてもカラオケは凄い勢いだ。年齢も若い方が多く益々伸びてゆくという感じがします。それに引き換え、日舞、民謡、詩吟の衰退は残念だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲文化協会新年交礼会に参加してきました

2017-01-29 19:31:51 | 手稲文化協会関係

 例年開催される交礼会、今年は今日でした。30分前に到着したのですが、既に半数くらいの方が来ていました。例年詩吟のお弟子さんを連れて行き、余興の折詩吟を披露するのですが、今年は遠慮させてもらいました。

 参加者は60名を少し切るくらいで、例年並みという感じでした。どうしようか迷ったのですが、カラオケを一曲歌わせていただきました。12時から開催され14時30分に終わりました。まっすぐ帰るつもりでいたのですが、一緒に参加したお弟子さんが、二次会に行きたいといいますので、ルビーに寄ることにして、私が先に行きました。何と満席に近い状態です。でもスタンド3席すぐ用意してくれたのでやれやれと思っていたら、なんと二人のはずが四人に増えてました。用意してもらった三席では間に合いません。二階の方にもお客が入っていたのですが、何とか席を用意してくれて落ち着くことができました。

 しかし、何せ20人近い人数ですから、カラオケの順番は容易に回ってきません。それでも二曲づつ歌わせてもらって帰りました。

 予定に入っていない二人のうちの一人は民謡の方で、詩吟をやっていたというので聞いてみましたら、なんと山地先生のお弟子さんだった。詩吟学院岳風会の先生で、私は詩吟で山地先生の記念大会で二回ほど吟じたことがあります。又短歌会「花林」も主宰されていて、私も仲間に入れていただき数年お世話になった先生なのです。奥さんがお亡くなりになったのを新聞で見ていましたが、山地先生ももうお亡くなりになったということを知りました。もう一人は華道の先生で、私たちの町内会の方でした。

 思いがけない楽しい一時を過ごすことができました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲文化祭で感じたこと

2016-10-09 20:13:55 | 手稲文化協会関係
  昨日は出演だったけれど今日は見学だけです。顧問という役職をつけられていて、文化協会との今までの関わりがかなり深いものがあるのでせめて見学をして置こうと今日も出かけた。

 私がかかわった時から5年ほど経過して、かなり変化が出てきている。最も大きな変化はフラダンスの団体が増えたことと、カラオケがブームとなっていることです。

 半面、勢いが衰えているのが、民謡、日舞、詩吟だと思います。展示関係は見学者が結構増えている感じです。

 私が事務局長として文化協会文化祭を区民センター文化祭と共催する形になったときと今ては少し動きに変化か出ていて心配される点もある。

 8月の頭に文化協会の臨時総会が開催されたのだが、その意味合いが失われていた。文化祭実行委員会がもたれるが、それには文化協会からは担当役員だけが参加して、文化祭への参加要領などについては、この臨時総会で文化協会傘下団体には周知し、役割分担もここで決めることになっていたのだけれど、今年はそれが為されなかった。本来文化祭は別々に開催していて、区民センタ―が開く関係団体への説明は、一般参加の団体に対するものだったのです。文化協会には長い伝統があり役割分担もしっかり確定しているのです。一般参加団体との連携は、関係代表役員が出るだけで゛十分なのですが、この進め方だと、文化協会所属団体が全部何回か足を運ばなければならなくなる。

 その辺、文化協会としての主体性をなくさない努力をしてほしいものです。</font>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化協会のあれこれ (先回に続く)

2016-08-06 19:33:26 | 手稲文化協会関係
私が手稲文化協会に加盟したのはまだ現役で手稲に詩吟の教室を立ち上げてすぐだつた。手稲文化協会については秋に文化祭を開催していることだけしかわからなかった。自分の詩吟の教室ができたので、文化祭に出演させるために加盟しました。

 平成11年にたまたま文化協会会計委員を委嘱され、この年が文化協会創立50周年で、記念誌の編集を依頼され、何とかまとめたけれど、とても不自然な文化協会の姿に驚いた。手稲区が独立して10年になり、区民センターもでき、文化施設は充実してきているけれど、文化協会の活動はその存在すらよくわからなくなってきていた。役員となり文化祭の運営にかかわるようになってきたが、文化協会の文化祭とは言えないのです。コミュニティセンタ―運営委員会と共催の形で開催されていて、文化祭当日になったら私の知らない方たちが大手を振って指揮しいて、文化協会の存在はただ所属サークルが出演するだけ。しかも演芸は観客もまばら、文化協会の存続すら危ぶまれる状況だった。平成4年には事務局長を担当することになりました。ここで、文化祭は文化協会゛やるので、コミュニティセンターの運営委員の協力はいらないということを申し入れ、文化協会が名実共に文化祭を仕切ることにしました。更に、コミュニティセンターは立地条件が悪いので、区民センタ―で文化祭を開催できるようにと考え運動に乗り出しました。

 その第一弾として、チャリティ伝統芸能祭を開催する計画を立て、区長交渉をして区民センターの使用料免除を承認して頂き、開催し大成功を収めました。そしてチャリティ収益から20万円ほど有珠山の災害義援金として送ることができました。これをきっかけにして文化祭の区民センター開催を実現するべく地域振興課とも話し合い、ついに、文化協会独自の文化祭を区民センターで開催出来るところまでこぎつけました。区民センター使用料減免で1年開催したところで、指定管理者制度の問題が出てきて、区民センターの使用料減免がむつかしくなってきました。それで、使用料の助成を求めてかなり激しい手稲区との交渉をしました。指定管理者制度の実施を一年遅らせ、次の年は半額文化協会負担ということでしたが実質文化協会負担での開催となりました。更に文化協会の活動の幅をひろげてきました。チャリティ伝統芸能祭は、発展的に解消し、チャリティ舞踊の集いと年忘れ芸能大会を立ち上げ、さらにカラオケフェスティバルを立ち上げてきました。

 その過程の中で文化祭のありかたについて、区に一定の助成を申し込みつつも、指定管理者制度が確立し、実質文化祭の費用は文化協会が負担しなければならないことが確実になってきました。その時、文化協会としての対応策も見えてきていました。三回開催されるチャリティ収益を、文化祭開催資金とすればもチャリティはむつかしくても、文化祭を開催するめどは立っていたのです。

 その時に、地域振興課が仲立ちとなって区民センター文化祭と共催することにしてほしいという申し入れがあった。文化協会独自で開催するめどが立っているので、断ったのですが、当時の区民センタ―運営委員長の氏家氏と話し合う設定がされ、その席で氏家さんから区長からも話があった。小樽札幌間の文化活動の拠点として、文化活動を推進する核となってほしい。お互いそれを目指して頑張りましょう。文化祭の費用については一切面倒をかけないと断言されたのです。そして今に至っています。

 あの時の氏家さんとの話し合いは、ほとんど反故になっている。確かに文化祭は共催として、文化協会は費用面の負担はかなり軽いところで終わってはいます。しかし、文化協会を盛り上げる。いわば文化団体はみんな文化協会に加盟する。そんな方向で例えば文化祭の一般参加の会には是非文化協会に加盟してほしいというような勧め方のできる関係であれば理想的なのだけれど、その関係は全くできていない。

 手稲区の文化団体を網羅出来る方向性を志向する幹部の発想がなければならない。手稲区と協議して文化活動表彰についても、文化協会に所属する団体、個人の表彰をしてもらうことも大切なことかもしれない。やはり、そんな発展的な思考を出来る会長がほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする