手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「残響」の作者、田中先生が、伝統芸能祭に来てくださる

2007-06-30 21:46:25 | 無題

 いよいよ伝統芸能祭、明日に成りました。どんな結果となるか心配ですが、私の詩吟の時には、「残響」の作者、田中先生が来てくださるという。先生に吟を聞いていただくのはとても光栄です。

 折角の機会ですので、来賓挨拶が終わったところで、私から田中先生を紹介し、あわせてコミセン文化祭での先生の講演のことに、少し触れておこうと思います。

 ただ、一寸困るのは、詩吟が終わったばかりですので、多分袴を着けたままでの紹介になるかもしれないのです。大急ぎで着替えれば間に合うかもしれません。袴と着物は畳んでいるいる暇が無いかもしれません。
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今日も二日酔いになっちゃった

2007-06-29 19:29:03 | 身辺雑記

 「いの平」に着いたのが18時過ぎ、入り口で山崎会長と坂野さんが帰るのをみる。店からカラオケが聞こえる。入ったら高橋さんが歌っているのだった。指定席に悦さんがいる。

 「残響」の田中先生と、19時に待ち合わせなので、悦さんと乾杯、ちびちび始める。19時過ぎ田中先生来店、吉村さん少し遅れるとの事でしたので、カウンターで一緒に待ちながらの一杯と成りました。結局吉村さんやや一時間送れで来店。小上がりに3人の席を用意してくれていたので、そちらに移り、田中先生の講演の件の話を飲みながら進める。田中先生、気持ちよくお引き受けくださいました。主題の話が終わってももカウンターが空いたままなので、カウンターに移り、楽しいお酒をいただいた。話が弾んで、とうとう23時まで。

 そんなに酔っていないと思ったのですが、今朝起きると、どうもスッキリしない。二日酔いの症状なのです。

 バークゴルフは止めて、コミュニティセンターの館長に、田中先生の件報告にいって、午前中は静養。

 午後の詩吟、5週目で休み、一寸迷ったのですが、結局パークに行って来ました。
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今日はパーク行かなかった

2007-06-28 16:10:19 | 身辺雑記

 朝、ぱらぱらと雨が来た。久しぶりの雨。でも9時過ぎには止んだ。パークに行く気なら行けたのだけれど、たまにゆっくりするのもいいかと、パークは断念しました。

 伝統芸能祭の宣伝パネル展を「あいくる」でやっていますが、昨日宣伝用のプログラムが無くなっていて、20枚ほど補給したのですが、もう少し置いておこうと思い、出かけて見ました。何と、昨日補給した後、殆ど誰も持っていっていないのです。でも更に20枚ほど追加してきました。

 早いもので、気がつくとパネル展は明日一日なのです。明日16時半ころに撤収と成ります。どれだけ効果があったのか判りませんが、何とか昨年並みになって欲しいものと思っています。

 今晩は、「いの平」で「残響」の田中先生とお会いすることになっていて、ブログを書く暇がありませんので、今書いています。
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鹿児島と札幌をつないだサムライ・・・村橋久成

2007-06-27 21:57:34 | 随想

 鹿児島に久成会が出来て、札幌にも出来た。

薩摩藩士であった村橋は、戊辰・函館戦争に軍監として戦った後、黒田清隆の勧めがあって、北海道開拓使となった。

 その後、札幌ビール醸造所建設の重責を果たして、突然辞表を出して行方不明と成り、11年後に神戸で行路病者として死んでいったのです。

 村橋は、北海道開拓の歴史の中で素晴らしい仕事をしていて、しかし、その功績が止みに埋もれていたのです。其れを掘り起こしたのが、現在手稲在住の田中和夫先生の小説「残響」だったのです。

 慶応元年、薩摩藩は、イギリスに17名の留学生を派遣しているのです。まだ明治政府の出来ていないときに、それも尊王攘夷の旗頭の薩摩がイギリスに留学生を送ったというのも面白いのですが、その留学生の一人に村橋は入っていたのです。しかし、村は詩は1年で帰国したのです。

 丁度、田中先生が、「残響」を書いた時、鹿児島大学の中村晋也先生が、イギリスへ留学した17名の青年の群像を「若き薩摩の群像」として彫刻されていたのです。しかし、鹿児島でも村橋のことは知られていなかったのです。田中先生が「残響」を上梓し、鹿児島市長に贈呈すべく、持参された。その折、偶然中村先生とお会いし、村橋の業績をお話し「残響」読んでいただくことになりました。中村先生は大変感動され、「田中さんは小説で村橋を後世に残した。私は彫刻で村橋を残す」と仰られ、後ほど田中先生が北大に残されていた村橋の写真を見つけ、中村先生に送った、その写真を基にして胸像「残響」が製作されたのです。

 胸像「残響」は、中村先生の記念館に展示されていたのですが、たまたま北海道知事になつた高橋知事が初心表明演説で、村橋を引き合いに出し、北海道知事としての姿勢を表明したのでした。

 これがきっかけと成り、村橋の胸像「残響」の北海道移設期成会が立ち上げられ活動が始まった。

 鹿児島では、久成会が立ち上げられていました。北海道でも久成会が立ち上がりました。終に、一昨年、9月、胸像「残響」は、知事公館の前庭に移設されたのです。ご覧になっていない方が殆どと思いますが、知事公館の、西側の入り口を入ってすぐ左手に、素晴らしい胸像があります。どこに移設するか悩んでいた時、移設の場所は知事公館しかないと高橋知事が指定してくれたといいます。

 100年の時を隔てて、鹿児島と札幌が一本の糸で結ばれたのです。薩摩のサムライ村橋が結んだ一本の糸のです。

 今年も、9月23日、鹿児島久成会、札幌の久成会が胸像の前に集まりる筈です。  
 田中先生に手稲で講演をして欲しいと願って、たまたま関係している手稲コミュニティセンターに話を持ちかけていたら、9月の末の文化祭に講演の企画が上がってきて、明後日、田中先生にお願いする予定に成りました。

 管財癒着の構図に抗した村橋の生き様は、今の時代こそ改めて見直す時だと思ったのしている。
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肺機能検査  ひどい目にあいました

2007-06-26 21:22:36 | 身辺雑記

 昨夜は宴会で、酔っ払い帰宅も遅くなりブログは書けなかった。
 今日は、北大での、半年に一度の検査日。家内も北大の歯学部に歯の治療に行くことになっていて、一緒に出かけた。

 9時半の予約、9時15分に受付終了。9時30分から西村先生の診察があって、10時から諸検査に入ることになっていた。今までだと、先に検査を終わらせて先生に会って検査の結果などを聞くことになっていた。それで、受付の方に検査に回っいいか確かめたら、9時半から3人目の予約になっていて、そのあと検査に行ってくださいという。

 仕方が無いから待っていた。9時50分に呼ばれた。すると、先生、10時にCTですね、先にいってき下さい、CTが終わったら来てくださいという。とにかくCTの撮影に行く。次の予約が血液検査なのだ、CTを終わって時計を見ると、9時50分、これじゃ先生のところに行く暇が無い、そのまま血液検査にな行く、終わったら今度は肺機能検査なのだけれど、11時の予約、予約の時間まで15分しかない、そのまま肺の検査に行く。ここで酷い目にあいました。

 お一人ベンチにいたので、二人目なのかと思っていたら、何と何人も先に入るのです、一時間ほど待ったところで、検査員が、すいません、遅くなりまして、もう少し待つてくださいという、仕方が無い、結局13時15分杉から検査となった。この検査は、嫌なのです。以前までの先生と変わり、何か検査の方法も違っているようなのです。とにかく30分ほどかかって一回目が終わり、今度は吸入薬を吸って、30分後の再検査。

 検査が終わったのは14時30分頃でした。腹は減る、腹は立つ・・・第一無いかに行くと、担当の教示は午前中でおわって、別の先生が結果について話してくれた。CTの結果は異常なし、肺の機能は、前回の結果よりややいいくらいの数値なのだといいます。ただ、不通の人の機能から見ると、65%くらいしか機能していなく、要するに悪いほうへ進んでいない、現状維持ということだと話された。血液検査の結果は来月の診察日に知らされる。

 無事、検査は終了、特別悪くなっていないということで、良かったということに成ります。それにしても大変な時間、こんな経験今まで無い。病院の食堂で、軽めに蕎麦でも食べて帰ろうかと、家内と行っみたら、何と蕎麦は売り切れ、仕方が無いのでラーメンを食べて帰った。

 肺気腫という病気で、つきに一度北大に行くのですが、時間の無駄遣いなんていうと先生に怒られるのでしょうが、一応聴診器をあてて、血圧を測定して、指で飽和度の検査、そして一け月分のいつもの薬をもらって帰ることだけ。

 とにかく今日の検査は、待ち時間が長く疲れ果てました。
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六カ国協議 日本はカヤの外になる

2007-06-24 22:12:55 | 無題

 北朝鮮の核問題で、六カ国協議が今ようやく進展しようとしている。しかし、六カ国といっても実はアメリカと北朝鮮二国協議みたいなものに見える。

 当事国はそれなりの役割とか要求とかがあるわけですが、何といっても核の問題で、これは六カ国共通の課題で一致している。しかし、核放棄の条件は、マカオに凍結された北の資金の解除であり、アメリカによるテロ支援国家としての指定を解除することにあるわけだから、アメリカとの交渉が進めばいいのだ。中国はその仲立ちとして大切な国なのでしょう。また韓国は同胞として、支援を続ける中心であり、日本に期待されるものも、支援の筈だ。

 しかし、今、北にとって一番邪魔なのは日本でしょう。拉致問題を前面に出す日本とは話をしたくない、それが本音と思う。

 アメリカは一応拉致に理解を示し、それなりの対応はしていると思うが、拉致の問題が解決しなければ、だめとは言わない。日本が拉致を取り下げない以上、二国間で継続協議をしてくださいというくらいなところで納めるだろう。だけど、日本には、支援での協力をして欲しいというのがアメリカの虫のいい考えだと思う。  
 ひょっとすると、日本を無視する形での交渉継続となるかもしれない。その場合日本が孤立したと見るべきなのか、確かに六カ国協議といいながら、日本だけが無視されるのであれば、孤立なのでしょう。しかし、逆に日本が拉致の解決なくして支援なし、とした姿勢を放棄したら、かえって主体性の無い国ということになるのではないか。

 今、必要なのは、関係国に拉致の問題を全面的に支援させる、外交努だ。極めて難しい問題で、北朝鮮の国家体制がくずれるまで解決しないかもしれない。
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日ハム  やっぱり交流戦 優勝  おめでとう

2007-06-23 21:19:31 | スポーツ

 終わってみなければ判らないのが勝負。2試合残して、1勝すれば自力優勝巨人が負けても優勝だから、間違いないと思ってはいたが、今日の試合・・・1回3点とってその裏4点取られて逆転され・・・5回に追いついて、同点のままの緊迫した終盤になった。そんな時に、私は、用事が出来てテレビから離れなくちゃならなくなった。引き分けでも優勝なのだから、そんなこともあるかもしれないと思いつつテレビから離れた。

 後でニュースで勝利を知った。今日は巨人も勝っていたのだから、負けたら大変なプレッシャーになったと思う。今日で決着がついてよかった。本当におめでとう。

 ペナンとの順位も、今日ロッテが負けたから、首位にならんだのでしょう。いよいよペナン争いに戻ります。去年のロッテは交流戦優勝したものの、あと後退しプレーオフにも出れなかった。

 今の日ハムの勢いなら、リーグ優勝も見えているように思うけれど、私はロッテフアン、ホークスの王監督に勝たせたい気持ちも有るし、なんとも複雑なペナントに成りそうです。

 今年は、サッカー、コンサドーレもJ1復帰の期待を抱かせてくれている。北海道は暑い夏に成りそうです。少々残念だけれど、取り敢えず日ハムにおめでとうといいます。
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パーク・・・コミセン・・・教室・・・文化協会役員会

2007-06-22 21:13:11 | 身辺雑記

 朝は雲も低くひょっとして雨かなと思いながら、パークに出かける。着いたら五郎さんがいて、先行していた国明さん渡さんに合流して結局36H回って帰宅。途中から気温がどんどん上がり、雲も晴れて長袖を着ていったことを後悔する天気と成りました。帰宅後、すぐコミセンに出向いて館長と先日から取り組んでいる、文化祭での、「残響」の作者田中先生の講演についてと、中国長城文化楽坊の出演について打ち合わせをしてくる。

 午後は、第二教場の詩吟、大野教場長は、小樽でこれが最後のクラス会、50年ぶりに会う人もいるのですといって、稽古に出ないで出向かれた。Nさん所要ということで欠席。先日の資格審査から初めての稽古になるのですが、それでも、皆新しい吟題、既に出来ている。頼もしいことです。うっかりしていたけれど、来週が5週目で休みに成り、7月1日の伝統芸能祭まで、あと稽古が無いのでした。でも、出吟予定が、この前の全道大会の合吟を差のまま使うので、特に困ることはありません。

 夜は、手稲文化協会の役員会。伝統芸能祭の役割分担の確認と、本年度から新しい形でやることになる文化祭までの日程と、実行委員の編成などを決めてくる。

 来週は、パネル展、いよいよ伝統芸能祭、例年通りの盛り上がりを期待しているけれど、どうなることか心配だ。
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鰻が食べたい・・・・・

2007-06-21 18:57:36 | 随想

 スーパに行くと、つい目が止まる「鰻」。大きくて身もぼつてりとした、美味しそうな「鰻」、それはみんな中国産なのだ。国内物は、一回り小さく、とても二人で食べるには、間に合いそうに無い代物だ。しかし値段は中国物よりはるかに高いのだ。私は、中国物でもいいのではと思うのだけれど、家内は駄目だという。

 今日のテレビで中国産のピーマンから基準値を大きく上回る殺虫剤が検出されたと報道していた。しばらく前には、アメリカででしたか、中国から輸入された薬に毒物が入っていて犠牲者が出たと報道されていた。中国産は安いけれど、安心するわけに行かない。輸入に当たって、当然安全性の検査はされているのだと思う、でもやはり心配だ。

 先日の報道では、ヨーロツパからシラスが中国に輸入され、ややおおきくなったところで中国から日本に輸出され、日本で養殖されるという話があった。そのシラスの輸出をヨーロッパは規制するという。間もなく、鰻は庶民の楽しみではなくなるかもしれない。

 この頃、鰻の横に、アナゴの蒲焼が並べられていて、これは安い。鰻を我慢してアナゴで間に合わす。一寸寂しいけれど、だんだんそうなるのじゃないだろうか。

 昨日から問題になっている、牛肉ミンチが実は豚肉交じり、これはれっきとした日本の企業のやったことだ。この話を聞きながら、まるで中国じゃない・・・
なんて思ったりしました。
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日ハム快勝!!!  交流戦優勝間違いなし・・おめでとう

2007-06-20 22:09:29 | スポーツ

 今日も日ハム勝つ・・・ロッテは負けて脱落、巨人がまだ望みをつないでいる。でも、もう間違いないだろう。それにしても、日ハムはすごい、新しい戦力がこうも簡単に出てくるものなのか、丁度、一昨年のロッテみたい。

 ロツテフアンの私には、一寸残念なのだけれど、北海道人として日ハムも応援しているので、許せるのです。

 ロッテは先日のタイガース戦、あの9回での逆転負けがなんといっても響いている。それでも、日ハムは負けないのだから、いずれにしても交流戦は日ハムだっただろう。

 それにしても、ロッテ、何でこんなに故障者が出るの、交流戦の終盤でこれは辛い、早く復帰して通常戦に戻って、何としてもプレーオフには出て欲しい。

 まだ早いかもしれないけれど、日ハムにお目出とうといおう。

 
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