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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

明日から師走です

2018-11-30 19:17:14 | 無題
  明日は師走1日。今年も暮れようとしています。

 テレビで何かし忘れたことはありませんかといった言葉が流れたりしています。私には忘れ物はないように思われます。というのも、今年こんなことをしたいと計画を立てていたのなら反省できるのだけど、何も目標のない一年でしたからやり残したものはないのです。敢えて言えば、今も続けている詩吟の教室を変わることなく続けようと思っていたくらいだ。詩吟が命。詩吟の年度は4月だから詩吟の反省は早いことになる。でも敢えて反省してみると、ます゜まずということでしょうか。4月から平和の教室をお弟子さんに譲ったのですが、思ったように進まないで来ているのは残念です。手稲は人数は少なくなりましたが、それなりのまとまりで進んできていて、これは良しといえるでしょう。また老人福祉センターの教室20名前後で纏まり安定している。残念なのは、健幸くらぶ詩吟がサークルを維持できなくなり「あおばの会」として、福祉センターの部屋を借りて月二回の稽古で進めることになり発足したのですが、会長の菅原さんが足を痛めて、その治療で休まなければならなくなり、亦、小川さんが体調を崩し、曽我さんも体調を崩したりして、折角新しい会員も来てくれたりしていたのに継続できなくなっている。ただ、残りの皆様火曜日の講座の方へ出てくれていて、むしろ私は助かっている。こう振り返ると、やむを得ないところもありますが、まずまずだったということになりそうです。

 ただ、私自身では思いもかけない「社会教育功労者賞」を受賞しました。手稲文化協会が70周年記念の目玉に私を受賞させようと苦労されたのだと思います。履歴では、多分「村川潤一 (詩 吟)となっていると思う。詩吟でこの賞をもらうのは極めて珍しいと思います。しかし、中身として文化協会での私のやってきたことは、此の賞に十分の値を持つと自負しています。今年はこの賞ですべてです。数え年90歳になります。あと一年頑張れば東京オリムピックを見ることができます。頑張ることもなくあと一年くらいは過ぎるかもしれません。
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いよいよ冬ですか

2018-11-29 19:42:58 | 身辺雑記
  こんなに長い秋は経験したことがない。11月が終わるというのに根雪どころか雪がない。雪撥ねができない私にとってはうれしい年になっています。

 天気予報では今晩の夜中から明日の朝にかけて雪模様だ。明日は30日なのです。さらに天気予報だと2日の日曜日は7度くらいになるというから、今晩降った雪はそこで溶けるかもしれない。

 スキー場は今晩あたりの雪で開業できるようになるかもしれませんね。

 雪を待ちわびたときもあったのです。昭和28年に沼田高校に奉職したのですが沼田は豪雪地です。しかし、スキーをする人はほとんどいないといってもよかった。沼田高校から2Kほど離れたところ、更新の岡がスキ―場に格好の丘で、私はスキーを手に入れ。放課後一人で出かけてスキーを楽しんでいました。そのうちにスキー人口が増えて、町民スキー大会なども開催されるようになりました。その世話役までやったことが記憶に残っています。美唄では東明公園がスキー場で、ここでのスキーも私が先達だったように思います。

 このころ妹の励子(remi murakawa)が旭川の中学でアルペンスキーの選手になり、小樽の双葉高校に進学、卒業後ヤマハのスキー部へ進み、札幌冬季オリムピックのアルペン代表にに内定していたのだけれど、オリムピックの前の年の年末の比羅夫の合宿で骨折して代表を降りなければならなくなったということなどが有りました。このころは毎年仲間と年末に比羅夫に一泊でスキーの出掛けていたものでした。スキーでは結構思い出があります。

 今は昔、雪はもう私にはなくても良いものになりました。ロードヒーティング先日テスト運転してあります。今晩は自動運転でいれて寝ます。
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おしゃべりがなかなかできなくなっている

2018-11-28 19:02:54 | 身辺雑記
 おしゃべり相手がいない。80歳前くらいまでは、よく飲みに出掛けていた。そこでは話し相手もいたし、亦いろいろな会合にも積極的に出ていたから、おしゃべりの機会は結構多かった。それが今は、詩吟の教室でお弟子さんと少し話すくらいで、町内会の会合などに出ても、酒を飲むのをやめましたので、酒の勢いで話すこともない。さらに年齢も今や集まっている方たちの中では一番の年よりであることが多いくこの年では話すことも限定されおしゃべりとまではいかない。家では家内だけで、おしゃべりしてもしれている。おしゃべりをしないと、頭の回転も潤滑油が切れたみたいになる。たまに話す機会があっても、話すことがまとまらなかったり、話の途中で人の名や物の名などがとっさに出てこなくなる。

 テレビでいろいろ見ますが、それも、それを対象にした会話があれば、自分の中に定着し、話題の種になることもあるのでしょうが、そんなこともなくなっている。それでも私は詩吟の教室があるだけ同じ年齢の方の中では恵まれているのかもしれません。

 テレビデで身内の方たちが集まったり、近所の人が集まったりして、楽しそうに食事会のようなことをしているのを見たりするけれど、我が家の近辺ではそんな構図を見たり聞いたりしていない。私の兄弟は10名もいまして、両親の元気なときは、一年に何回かはみんな集まって楽しい食事会などができていたのだけれど、両親がなくなってからはほとんどそんな機会が作れなくなっている。

 人生、いつまでも楽しいことが続くものでないし、次第に枯れてゆくのがさだめなのだから、現実を受け止め自分なりの対応を考えるべきなのでしょう。   

 今や読書も重荷になっているのだから、映画をビデオを借りてきてみたりするのか手っ取り早い頭の体操になるのかもしれない。だがそれも時間がかかるので今はまだ決断しかねる。何かとりとめなくなったが、何もしなければ、頭が動かなくなるという感じがするので取り留めもなく書いている。
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上川村字東雲

2018-11-27 18:59:13 | 身辺雑記
  上川村字東雲(とううん・しののめ)、東雲を「しののめ」と呼ぶのか「とううん」と呼ぶのか判然としないまま、小学一年生から16年ほどこの地に住まった。一つのだから戸数は30軒足らずだったと思う。ただここに安足間発電所というす力発電所があり、発電所の社宅がひとまとまりで一棟二戸の住宅が六棟くらい建てられていた。この発電所の従業員はのエリートでした。

 上川村なのですが、鉄道の駅は安足間に近く、亦安足間の駅周辺は町になっていて、商店がいくつもありました。ですから買い物はもっぱら安足間まで行くことになっていました。安足間は愛別村に属していましたから、子供の交流はあまりなく、時折、口喧嘩などもしたりしたものでした。

 発電所は水力ですから、遠くから水路を戸を通り水槽という小高い山の上に建てられた建物の中に入り、日本の導水管を通ってターピンを回して発電をしていました。この岡が水槽の山といわれ、子供たちの格好の遊び場でした。特に冬はスキー場となり、その天辺から直滑降するのはたのしかった。

 数年前に小学校の閉校式があり、案内されて行ってきました。その時、「とううん」と呼ぶことに統一されていることを知りました。また、子供の時は凄く高い山のように思っていた、水槽の山は、小さな丘でしかないことに、何ともいえない懐かしさを感じました。

 小さなだけれど、当時はどこの家も子供は5~6人はいましたから、小学校は複式でしたけれど結構な人数だったのです。ちなみに私の学年は男女併せて14名だったと思います。

 こので石狩川と安足間川が合流、その合流点に発電所の放水路が流れ込み、石狩川は大河の趣になるのです。水はきれいで、ヤマメや雨鱒が良く釣れ、釣りのだいご味を私は此処で覚えた。

 古き良き昭和でした。「あんたろまから来いという・・・」百田宗次の詩が懐かしくよみがえる。
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碌峭会手稲   詩吟

2018-11-26 18:39:13 | 詩吟関係
  今日の教室は三階視聴覚室。堤さんが休みで5人の稽古となりました。内、三人が12月審査の受審者。審査前最後の稽古です。少し念入りに稽古しましたが、一日でいきなり上手になるものではありません。審査を受けるだけの力が付いているか、それもその段位に応じたもので、特別上手でなければならないということはありません。三人とも、それぞれ相応の力になっています。合格に問題はないと思います。

 吟じこむということがあります。下手でもよい。力を出しきって何回も吟じてみる。そのうちに吟力がついてゆきます。とかく指導者としての経験の浅い方は何もかも一気に詰め込もうとしたり、つまらないことで注意をしたり、いわば完璧な指導をしなければ指導者でないような気持ちになりがちです。その熱意はいいのですが、その個人の個性を考え、今何が必要なのかを見極めることが大切です。まず、吟じることの楽しさを感じさせることが大切でしょう。そのためには、やはり褒めてあげることが大切です。褒めるべきところを見つけて行かなければなりません。それも個人によって違いが出てきます。

 最近は吟法も多彩になり、いろいろな音楽的要素を取り入れて、素晴らしい吟がされています。これはこれでいいことですが、一定の技量に達した方たちが挑戦すれば、それなりの評価へつながりますが、むつかしいと思います。私の吟は最もシンプルかもしれません。シンプルでいいのです。詩文をしっかり理解し、その詩文を読む読み方が詩情を表現するものになっていることが大切だ。一文一文のイントネーションは詩文の理解の深さと関係する。シンプルであることは、一番詩吟の本質に迫っていることであり、小手先の技巧ではない深さがあるのです。

 今はお弟子さんも少なくなって、会の力が無くなっていますが、北詩連に入会して13年、その間、審査会に一人も受審者を出さなかったということはない。又 競吟大会でも、かなりの入賞者を出してきている。他の先生方に遜色のない指導になっていると思っている。

 1月の末に文化協会の70周年記念式開催される。その折に祝吟をしてほしいと頼まれました。受けないわけにはいきません。何を吟じようかと悩んでいます。
松竹梅などは、結婚式などの祝吟になります。石狩川あたりの方が格調が高いのでしょう。「清濁併せ呑む三百里」、文化協会のあり方を象徴していませんか。是なら今すぐにでもやれます。
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第10回 チャリティ年忘れ演芸会に参加してきました

2018-11-25 19:13:06 | 詩吟関係
  今日のために料理教室を休憩・リハーサルの会場用として借り受けておきました。会員には10時集合ということにしておきました。私は9時15分に家を出て事務室から鍵を受け取り、部屋を開けに向かいました。既に三人ほど来て待っていました。9時40分ころにはい稲穂関係の方も皆様集合しました。10時から午前中の分のリハーサルを尺八の伴奏をつけていただき実施しました。午前中の出番は11時20分の予定でした。前の出演、順調に進んでいて、助かりました。稲穂の分まで私が司会しました。観衆もほどほどでしたし、みんなの吟もまずまずのできでした。前半を終えて控室で昼食。昼食を終えて13時から午後の部の 構成吟のリハーサル。私たちの前が日本舞踊でした。ほとんど見学しました。今年は素晴らしい踊りが多かった。最近舞踊の新しい会がいくつか入っていて、それもかなりのレベルの会のように感じました。

 1月に手稲文化協会の創立70周年記念式典が予定されている。60周年の時は私が事務局長で総てお膳だてをし成功裏に終わらすことができた。どうやら60周年をベースにして企画しているようだ。式典の祝賀にお琴、日舞、詩吟を披露して式典に入るらしい。私に祝吟の依頼があった。更に余興で何人か詩吟を披露させてほしいという要望もあった。稲穂とも相談してみることにしたい。

 先日から喉の調子が悪く、声にならない声でくるしんで、薬の飲み方を三日前から変更してきています。どんなになるか不安で トリンクを用意してマイクに向かいましたが、なんと心配が杞憂でした。上出来とは言わないけれど、ドリンクを飲まなくても続けられました。今の薬の服用をこのまま続けて行きます。、
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明日手稲文化協会「年忘れ演芸会」です

2018-11-24 19:20:11 | 手稲文化協会関係
  最後の大会、「年忘れ」です。詩吟の会員の多い時はやりがいがあったのですが、出演の最低人数にまで減少してきていて、出演の仕方も限界があります。今年は前年を踏襲して、前半10分、後半稲穂との合同の 構成吟20分をやることにしましたが、来年は 構成吟無理になりそうです。今回私はナレーターだけで吟は遠慮することにしました。

 私自身、肺気腫が進行して、使っている薬が強くなって、喉が嗄れ、その上息が続かなくなってきているのです。でも昨日から試している薬の使い方だとひょっとすると、声の嗄れるのを和らげてくれるかもしれません。

 来年は89歳、せめて90歳まで頑張りたいのですか、体が許してくれるのか わかりません。寂しい話ですね。

 教室をやめて「あおばの会」に入って継続してくれていた小川さん、体調を崩して春先から休まれていたのですが、今日葉書が来て、年賀状を失礼するということと、癌の手術をしてようやく退院したこと、来年の4月からは又詩吟に復帰したいというものでした。元気になられたようでうれしい。今や癌も退治できる医療技術になってきているようですから、期待できるのでしょう。
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本物の初雪が来ていました

2018-11-23 19:41:44 | 身辺雑記
  今朝6時半に起床して外を見たら真っ白に雪が積もっている。先日降ったとも思えない初雪がありました。今朝の雪は半端でない初雪です。ひょっとしたらこのまま根雪になるかもしれない雪です。ロードヒーティングまだ試運転もしていなかったので、試運転方々入れてみました。ちゃんと動きました。しかし、そんな簡単に積もった雪を溶かしてくれません。でも一定の時間たちますと表面は変わらないけれど下は溶けかかり、棄てるのも楽になります。解けるまでヒーティングを入れておくのもつらい感じで、どれだけやれるかわからないが挑戦してみました。やはり路面のところで解けていて、楽に捨てることができました。今年は天気予報をしっかり見て、夜間に降雪があるようだったら、自動運転でロードヒーティングを入れるようにします。灯油代はかかりますが、それで暮らしが成り立たなくなるわけでもないのですからけちらないことにします。
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平成30年度さっぽろ市民表彰式  社会教育功労者賞をいただいてきました

2018-11-21 19:55:38 | 詩吟関係
  表彰会場(パークホテルにて)



私が秋元市長から表彰状をいただいてるところです。



 


 手稲文化協会から推薦されて、受賞することになりました。主として手稲文化協会13年間の事務局長での活動と、詩吟では手稲老人福祉センター詩吟講座を27年継続して務めてきているところが評価されたのだと思います。私にとっては身に余る光栄でした。推薦でご苦労をおかけした木下副会長にはお礼を申し上げます。
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今日の福祉センター詩吟

2018-11-20 18:53:49 | 詩吟関係
  朝外は青空だった。報道では夜中に雪がちらつき初雪と認定されたようだ。手稲ではその痕跡も見当たらなかった。でも確かに冬は到来しています。ちらちら降りだけれど、雨がふる。今にも雪になりそうな雨だ。

 福祉センター今日は17名の参加でした。やはり天気のせいでしょう。

 今月は今日で終わりですので、明日私が札幌市の市民表彰式で社会教育功労者として表彰をされることになったこと、その功績の大きな部分がこの福祉センターの詩吟を27年にわたって継続してきたことにあることを話してあげました。

 今日は前半先週の後半にやった「山 行 杜牧」をやりました。後半は「鸛鵲楼に登る 王之渙 」をやりました。五言絶句ですので少し面倒です。特に転句での落としがうまく出来ない方が何人かいました。四年前くらいにこの詩は一度やっていますが、その時いた方は何人もいなくなっています。これだけいつの間にか入れ替わったりしているのです。私自身45年もやっているのだけれど、どの詩も古いと思ったことはない。やはり長い年月、人の目で、耳で磨かれてきているものにはそれなりの重さがあるのだと思います。何回吟じても飽きることはありません。詩吟をやる人がもう少し増えないものでしょうか。

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