手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

あと三時間で今年も終わる

2011-12-31 20:55:00 | 無題
午後5時から年忘れの歌謡を聴き、7時15分から紅白を見ながらワインを飲んでいた。紅白今中休みです。今年の紅白凄いショウになっている。それと東日本大震災を意識しての応援色の濃いショウになっている。

 これから最後まで見続けて。除夜の鐘を聞く事となります。

 毎年のことだけれど、紅白の歌がポップスがほとんどになり、演歌族の私は退屈なことが多かったのだけれど、今年はそれを感じさせないショウで楽しませてくれている。

 今年も暮れる。でも悔いの残らない一年だったと思う。歳相応のミスも多く、迷惑をかけたところもありましたが、まあ、許される範囲だったと思う。

 このブログもほとんど書き続けることが出来た。見てくれた皆様にお礼を申し上げます。こんな男が居ることを、そしていつまで続くのか見ていてください。

 ブログの中身が薄くなってしまっています。気力がかなり落ちているのかもしれません。体力の低下は、運動が出来れば抑えることも出来るかも知れませんが、運動が無理になってきているのだからもう止めようもありません。でも、詩吟は何とか頑張れると思います。

 それでは、また新しい年もよろしく付き合いください。

 
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退職から21 年になるのだ

2011-12-30 18:14:59 | 身辺雑記
今年も明日一日、カウントダウンに入った。昨日カラオケに出かけて珍しい人と話した。私は全く忘れていたけれど、私を知っている方でした。いきなり「孫を西陵高校に行かせています」という。私が西陵高校の教師だったことを知っている方なのです。

 「藤井先生元気ですか?」「藤井先生は今年亡くなりました」と答え、そこで私たちが現役の頃よく出かけていたある焼肉店のママだったのを知りました。店を開けるまでのひと時をこの店にカラオケを歌いに来ているのです。以前にもこの店で会っているのだそうですが、私にはあまり記憶がないのです。でも、振り返ってみると「年忘れ演芸大会」のポスターを店に張り出すのをお願いして、その時、ちょうどカウンターの端に座っていた女性の方に、このポスターを作ったのが私で私も出演するから見に来てくださいと話した人がいる。

 その行った時、同じ場所に後から来て座っていた方がいた。多分それがこのママだったのだと思います。

 今回はお客が少なく私の横へ座りそんな話になったのです。もう20数年前のことですから記憶が定かではないのですが、最初に藤井先生がこの店を尋ねて、「さがりがうまい!!」といって私を連れて行ってくれ、それ以来一人でも出かけたし、何人かでも出かけ、常連のようになっていたのです。途切れ途切れに当時のことが懐かしくよみがえってきます。

 退職後は全く行かなくなっていたのです。しかし、私のことは覚えていてくれたのです。

 話の中で「詩吟聴きに行きます」という。この言葉を聴いたときも、先日ここで話した人だと思い出していないのです。それで「大会にも出るけれど、区民センターで詩吟の教室を開いています。月曜と金曜どちらも一時から三時までやっているからぜひ聴きに来てください」と話した。

 年明けに一度店を訪ね、改めて教室に誘ってみよう。店はどうやら四時頃からの開店のようで、三時までなら詩吟もできるのだ。

 今年最後のカラオケきがひょっとして、新しい会員を見つけることになったとすれば、素敵なのだけれど。余り期待はしないで待つことにします。 
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マニフェストって何?

2011-12-29 18:07:29 | 無題
民主党を9人離党したとか。マニフェストが守られないからが離党の原因らしい。

 民主党が改革をスローガンとして、華々しいマニフエストを掲げて政権奪取に成功した。その一番に掲げたコンクリートから人へ、そして一番槍に掲げられたのが八ん場ダムの工事差し止めだった。当時のの国交相がすぐさま出向いて中止にいたらせた。膨大な予算をつぎ込んで大きく進んでいた八ン場ダム工事を止めさせることは大変なことだつた。マニフェストに書いた以上何としても進めなければならない事だった。しかし、止めることは結局出来なくて先日継続となってしまった。それが切り札になったのか公約違反ということでこの9名の離党者が出たらしい。

 民主党のマニフェストはどんどんほころびている。ほころびるのが当然のことで、すべてを信じていたとすれば、何をかいわんやだ。でも飛びついたのは国民なのだ。高速道路無料化、子供手当て等も空論に等しい結果になっている。そして今、増税一体改革が進められている。党内の反対を押しても政府は推進しようとしている。これも離党者にとっては許されないことなのだ。

 議員定数の削減などもマニフエストに出ているけれど、少しも進んでいない。そんな中での大震災、大変なお金をつぎ込まなければならない。

 野田政権は、今の情勢は待ったなしと踏んだと思う。何としても一体改革を進める決意みたいだ。私は賛成だ。やるべきだ。これを進めれば自分の票が減ると怖がっている議員が多い。何か政策の推進よりも自分の議席保守に懸命な議員の何と目立つことか。

 国家財政がもはや余裕のなくなっている今、ギリシャや夕張にならない前に無理は承知でもやらなければならないのだ。日本国債の評価も一ランク下がった。

 ここで、野田政権、引いたら、民主党も終わりでしょう。今回は不退転でもやりきるべきだ。そして、大阪の橋本氏の手法、傍観するのではなく、学ぶべきでしょう。八ん場ダムなどは、継続が当たり前だし、その上で、新しいダムは作らない、しっかりした政治手法を持つべきだ。陰で御偉さんの地方の票おこしみたいな姑息なことは絶対しないことが必要だ。

 事業仕分け、駄目とはいわないけれど、それより、国と地方の二重行政の組織を一つにすることからやったらどうなのだろう。橋本さんは地方でそれをやっている。地方できることなら国が力を貸せばどんなに早いことか。机上ほどに簡単でないことはわかる。でも、下からの改革への道もあるはずだ。

 いいたいことは沢山ある。自分の票集めに目の色を変えているとしか見えない議員は、もう結構です。
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今年のパークゴルフ  熱が冷めたみたい

2011-12-28 18:25:39 | パークゴルフ
昨年ひどいスランプに落ちてから熱意が冷めてきたみたい。

 今年は、所属クラブの大会、開幕の会長杯に出たきり。町内会のロウジンクラブの大会、二度出ましたか。どれも出ただけの事で嘗ての面影がなくなりました。

 五年前くらいだと、パークゴルフは運動のうちに入らないと思っていた。それが肺気腫が進んで、歩くことに辛さを感じるようになってからは、パークゴルフはいい運動と思うようになった。それにつれて、気迫もなくなり、大会で皆様と競う気持ちが薄れてしまった。

 来年度の継続参加申し込みの用紙が届いている。皆様とのつながりはなくしたくないから来年もバッタクラブの会員登録だけはします。

 このごろ、酒の席などで過去のスポーツ経験などが話題になることがあります。そのたび寂しく思います。嘗ては大抵のスホーツは人並みに出来た。それが、今は何も出来ない。スキーなどは今でも同じ歳の人には負けないくらいの自信は有るけれど体が耐えられなくなてしまったのだ。

 まあ、1930年生まれの私には、詩吟がまだ継続できることをよしとし、パクゴルフでそこそこ楽しめることを誇りにしていてよいのでしょう。

 
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北大まで行って来た  慌ただしい朝になった

2011-12-27 19:40:13 | 身辺雑記
二週間前に北大で、いま治験中に薬(気管支拡張剤)オンブレズを二週間分頂いてきた。その薬の効き方は次回の検診の折に報告することになっていた。

 その新しい薬頂いてきて直ぐ使い始めました。今までセレベントを使用していた。一日二回の吸入となっているのが、夕方の吸入をしたかどうか分からなくなることがあったりしていました。それが新しい薬は朝一度吸入するだけで済むのです。そして、効いている感じもあります。歩くのがセレベントのときより楽に感じる。

 丁度今日で二週間分が切れます。それで昨日先生に電話連絡をして今日追加の薬を頂きに行くことにしたのです。

 朝外を見たら結構な雪が積もっていて、おまけにブルトーザーで雪を寄せていっている。ゆっくりやれば、私の体力では一時間かかるくらいなのです。雪を撥ねなければ車を出せません。やむなく車庫の前の雪は車庫と玄関前の間に積んでおい出かけました。

 雪で道幅も狭くなったりしているので、10時の予約でしたが9時に家を出ました。北大について受付を終わらせたら9時45分でした。突然の予約だったこともあってか、先生に呼ばれたのが10時45分でした。

 この新しい薬、先生の所では私が最初の治験者だったとのことでした。また二週間後に薬を頂きに行かなければなりません。

 帰宅したら丁度昼。昼食後少し休んで、朝放置していった雪捨てをやる。急いでの仕事は出来ませんので、40分くらい掛かってしまいました。

 雪の処理終わって、しばらく休み、詩吟の稽古を少しやり、久しぶりでテープにとってある映画「ワイアット・アープ」を見たら一日終わりました。

 
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詩吟の会の一年  

2011-12-26 16:57:58 | 詩吟関係
三月に第二教場に滑川・安達の二名が入会してくれ、久しぶりの新人に教室も活気づいた。さらに、四月に濱下さんが入会してくれ、喜んだのだけれど濱下さん何が原因かわからないうちに退会してしまった。お姉さんが居るのに残念でした。

 また第二教場を退会したことになっていたSさんが平和教場に転籍で戻ってくれ、平和教場も安定する形となってとてもよかった。

 ところが、第一教場で教場長の谷藤さんが病気で倒れ、更に星さんも入院することとなり再起が危ない状況となりました。

 会員数は病気のお2人を除いて、22名、私と孫の有紗を入れると24名、結局昨年と同じ会員数で終わりそうです。

 会員の増加は出来ませんでしたが、教室はとても充実してきています。来年の6月の本部審査に4名くらい挑戦してくれそうです。

 資格審査で短縮合格者があまり出ないのですが、これは仕方がありません。競吟大会も加藤君だけの入賞は寂しいのですが、順当なところかもしれません。会員の実力は次第に付いて来ています。

 毎年開催している交歓吟詠もとても充実しています。30周年再来年、もう何人か会員を増やして開催できたら嬉しいのですが、どうなることか、頑張るしかありません。

 他の会、手稲福祉センターの会は、20名ほどで安定している。高齢者が多いのですから、次第に欠けてゆくのは仕方がありません。でもまだ数年は大丈夫でしょう。

 町内会の健幸クラブもとても楽しく頑張ってくれています。ただ、力がついているのだけれど資格審査に挑戦していただけないのが残念です。健康クラブの4名が加盟してくれたら、競吟大会などでも、いろいろなことが出来るのだけれど残念です。 -->
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手稲文化協会一定の前進があった

2011-12-25 18:19:27 | 身辺雑記
年度末ではないが、23年を振り返ると各種の事業が充実していたと感じる。一月の末に開催された新年交礼会は今までにない70名を越す参加者がありとても盛り上がった。

 3月には第3回新春カラオケフェスティバルを開催。前年とこれはそれほど変わらなかった。丁度大震災の後だったので、チャリティ益金は手稲社会福祉協議会に贈呈する予定だったけれど、急遽変更し東日本大震災に義援金として五万円を送ることが出来た。七月の舞踊の集い、今年はカラオケに60分賛助出演いただくことにした。結果として大変いい会となりました。義援金は東日本大災害に予定通り贈呈できました。

 文化協会の中心行事、手稲文化祭は手稲区民センターとの共催で今年は昨年より一週間遅らせて10月14・15日に開催しました。昨年から一般参加がやや減って時間に余裕が出来、中に休憩時間をとり、展示などへ足を運んでいただく設定をしましたが、展示にその時間を使って行ってくれる人はあまり出なかったようです。
 演芸関係の観客は昨年から増えてきているように思われました。10時の開演、開演の時の種目は必ずしも面白いものとはいえません、それに続けて私たちの詩吟が組まれているのですが、詩吟の時には以前は60人くらいの観客だったのですが、去年からは150名くらいの観客が居てくれ、とても励みになりました。

 最後の日のフイナーレ真下バレェ研究所のバレェには300名からの方がおいでになっていました。

 手稲文化祭に恥じない内容になさっています。

 11月27日には、第三回年忘れ演芸大会を開催しました。今年は舞踊の先生方5名の賛助出演を頂き、文化協会の総合演芸大会となり、大成功でした。チャリティ益金は読売新聞を通して大震災に寄贈しました。これは新聞にも紹介されました。

 このように、手稲文化協会が区民の方にかなり認知されてきていることを実感しています。

 私が、文化協会の事務局長となってもう10年を超えています。そろそろ引退の時かもしれません。とにかく24年度はまだ任期中ですのであと一年は頑張らなくちゃならないのでしょう。

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PCでのオークションほとんど失敗

2011-12-24 15:23:51 | 身辺雑記
先日、懲りもせずと失敗を書きました。今年実は他にも失敗に近いことをやっています。

 今年最初は、自転車です。我が家の車庫は車を入れると普通の自転車の置き場がないのです。でも、折りたたみ式の自転車なら何とかなる。それでホーマック等で見てみると大体1万2~3千で買えます。それでオークション開いてみたらありました。新品。シマノの製品で原価が三万とか書いてあった。シマノといえば自転車のメーカーだし、これがオークションで安く手に入ればと思って、オークションに参加しました。はじめ3000円で入札したのですが、すぐ4000円になった。次4500円にしてみたら今度もすぐ5000円にあがった。こここで面倒になり、どうせ駄目だろうと思って9000円で出し、これ以上来たら止めようと思ったら落札してしまいました。送料もかかって結局12000ほどかかかってしまった。シマノといい、実は中国製でした。まあ普通に買ったと思えば失敗ともいえないのですが、折たたみ式の自転車というのはとても乗りにくく、5段変速ですが、走らせるのに力が要るのです。おまけにチェンカバーが有りませんので、幅の広い普通のズボンだと裾がはさまれたりする。気持ちよく走れる自転車では有りません。 やっぱり失敗でした。


 次の失敗、プロジェクターがほしくなったのです。自分でパワーポイントを使って作ったものがどんな出来になってるか確かめるためにほしかったのです。昨年、区民センターでの発表会に、区民センターのプロジェクターを借りるつもりで居たのですが、先に予約が入っていて仕方なくレンタルをしましたら、そのレンタル料が5000円ほどかかったのです。そんな時自分のものがあればいいわけで、中古を探して見ました。手ごろのがあり、入札しました。これは、即落札の値段が17000円くらいだったのです。でも入札するとすぐ次の高値がつくのです。それで7000円くらいで降りたつもりでいました。ところがその値段が最高値で落札になってしまったのです。あまり高くなかったからまあ良かったかと思いますが想定した品物と全く違い、これも落胆でした。

 そして、プリンター。でもブリンターは新品で、メーカー品ですからまずまずといえましょうが、失敗のうちです。

 失敗の品物、ラッブトップPC、カメラ、プリンターの一台。良かったのは新品の電波時計と血圧計これは今も使っています。

 今晩はクリスマスイブ、たまた友達と土曜日2人の忘年会をやりますかということになり「いの平」に出かけることになりました。どんなイブにになるのやら。
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今朝の雪撥ねの写真

2011-12-23 15:55:06 | 無題

 今朝の雪はこの冬一番でした。この写真が私の除雪した後です。写真に写っているショベルで撥ねたのです。肺気腫で力仕事が駄目なので、ママサンダンプを使えば早いのですが、力が必要なので、時間もあるしゆっくりゆっくりやりました。ブルトーザーが入ったので歩道部分は倍の雪の量で大変でした。結局一時間掛かりました。




 これが、家の前です。ここだけの雪撥ねならどうということも無いのですが、道路の車庫前が大変なのです。幸いなことには、本日は朝から雪が止んでいて、時々陽も射し、汗ばむくらいでした。



松の枝に載った雪。この後来る雪は、花畑に捨てますこの松も雪の下になります。
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今年一番の思い出

2011-12-22 18:10:19 | 身辺雑記
今年一年を振り返って、私にとっての一番の出来事は詩吟札幌西支部の北海道詩吟連盟75周年記念全道大会に出演する構成吟の構成に携わったことだ。

 年度当初、全道大会に出す構成吟の作成を依頼された。その注文は昨年札幌西支部で初めての試みとして,詩舞の講習をし、支部の大会に出演して好評だった「富士山」を組み込むという注文だった。

 それで、「燦たり富士」というテーマーを立て、プロジェクターで富士山の写真を写しながらやろうと考えた。その時、たまたま私の会の佐藤君が上海万博に行って和太鼓を打ってきたという話を聞いていたので、オープニングに太鼓を使うのも面白いと思って、話してみたらやってもらえそうな感触だった。それで、オープニング「和太鼓 富士を讃えて」2分として組んだ。ところが、和太鼓は佐藤さんが行っている教室のオーナーの承認が必要だったのです。そのようなことを知らないまま、普通の和太鼓だと思って、三台でたたいてほしいと注文していたのです。佐藤さんから話が通って、構成吟の内容をごらんになったオーナーさんから、大太鼓一台で打ちますという話が戻ってきて、その時、この太鼓の教室がプロの集団だということがわかったのです。とんでもないお願いをしてしまったと思い、無理なら引かせていただくしかないと思いつつ電話を入れました。すると、佐藤さんからの話と構成吟の内容を見て、面白い内容なので、こちらの考えている形で引き受けていただけることとなりました。

  構成は、オープニング和太鼓「富士をたたえて」続いて富士を歌った歌でもっとも古い万葉の歌人山部赤人の短歌「田子の浦ゆ」を男性三人の合吟とし、次に乃木希典の「富嶽」を短歌の三人を残したまま後ろに15名の男性を配して合吟する。その後に、注文のあった詩舞「富士山」を配する。その後、女性連吟で「富士山を詠ず」柴野栗山を、単なる連吟ではなく一人づつ吟じながら出てきて、最後の二行を三人で合吟する形としました。そして最後は連吟の三人を残しておいて後ろに女性20名を配して、山岡鉄舟の短歌「晴れてよし曇りてもよし」を合吟させて終わらせるという形でした。

 ところが、いろいろの注文が出て、かなりの変更をしなければならなくなりました。まず、最初の原案を事業部長に渡し後のことをお願いしたのですが、詩舞が少ないという注文が出て、話し合いの中で、「富嶽」に剣舞をつけようという話になった。しかし、剣舞2人のうちの一人は全く経験のない人で、無理なことがわかりました、急遽三役会議が開かれ、富嶽の剣舞は取りやめ、最後の短歌に詩舞を着けるとついうことでまとまりました。

 プロジェクターで富士の写真を写す予定だったが、会場のプロジェクターが使えないことが判り諦めました。

 これで行くかと思ったら、最初の三人の合吟の中心に予定していた方は、大変な地位の方で他の出番もあり、ここで二題連続するのは遠慮させていただきたいとの申し出があり、断ることが出来ませんでした。すると、最後の連吟から和歌につながる方からも続くのを遠慮するという話が来て、どちらも2人だけ残るのもバランスが悪いので、一人だけ残ってもらうこととしました。特に、冒頭の富嶽の三人にうちの一人は、富嶽で先導を予定していましたので、外すことにはならないのです。また最後の短歌の合吟も指導した先生を外すことになりません。

 こんな形に、変更になりました、プロジエクターを諦めましたがホリゾントに富士を映し出す手配を本部でして下さり、全体として、内容はとてもよいものになったと自分でも納得しました。特にオープニングの和太鼓、太鼓の運搬賃だけで出ていただいたのですが、素晴らしい迫力で会場の方を魅了しました。最後につけた詩舞もフィナーレにふさわしいものとなり、起承転結の見ごとに整った素晴らしい構成吟だったと思います。

 この構成吟、手稲文化協会の「年忘れ演芸大会」に、出演者の変更がありますけれど、私の会と稲穂吟友会の共演で再演してみました。今度は和太鼓を使えませんが、プロジェクターで富士の写真に詩文を組み込んだスライドをサイドに写し、ナレーションも私が舞台に立ってやる形でやりました。また、全道大会で予定しながら出来なかった連吟を一人づつ吟じながら出てくる形成功しました。

 これは手稲の地域の方に見てもらったわけで、後から私の耳に届いた評判はとてもよく、詩吟の面白さをかなりアッピール出来たと思います。

 昨年から稲穂吟友会が文化協会に加盟してくれて、とても助かっています。手稲区での詩吟の普及に大きな力となるものと確信しています。
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