手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「手稲っていいね」 って言えるの ?

2005-03-31 22:24:18 | 手稲文化協会関係
 「手稲っていいね」この手稲区のキャッチフレーズに乗って、そんなサイト名で書いたりしていますが、ほんとにそうなのかと疑問を持たされることも結構多い。
 
 特に、今お手伝いしている手稲文化協会の活動にからみ、そんな場面に出会うことがいろいろある。まず、手稲区役所が、手稲文化協会を知らないためもあると思うが、かろうじて地域振興課が担当部門と言うこともあって一応の面倒を見てくれるだけ。それも、手稲区の大切な皆で守り育てあげようなとどというものとは思えない。その最たるものが、今回の指定管理制度にからむ文化祭に対する対応にある。また、同じ手稲区の文化活動の推進に当たる地区センターなどの手稲文化協会に対する対応は、どおしてと言いたくなることが多い。それぞれのセンターに所属している団体も沢山加盟していて、その団体がセンターの活動にきちんと協力しているのに、それらの団体を更にまとめ活動の場を広げてあげている手稲文化協会になぜ協力的でないのでしょう。
 
 あるセンターでは、手稲文化協会の主催する、それも手稲区が後援している後援の文字まで入った伝統芸能祭、文化祭のポスターすら貼り出してくれないことがあった。宣伝用に配布するため窓口に置かせてくださいと頼んだプログラムが置かれなかったり、こんなにおいても誰も持っていかないからこれでいと、つっけんどんに10部くらいとってあとはつき返す態度。また文化祭で使わなかったクロスを、使ったものが洗濯して返すことになっているから洗濯をしてきてくださいという。すると先に使った団体には洗濯をさせないでいて、文化協会には洗濯をさせると言う態度。之が文化行事の推進役となっている地区センターの取るべき態度なのでしょうか。

 ある町内会が主催した祭は、しっかり取材して、公費で写真展までやってあげて、手稲文化協会の文化祭、伝統芸能祭は取材さえしないのです。一地区センターといつていい区民センターの行事は、公報にどんどん取り上げる、写真展までやるのに、区の行事に近い手稲文化協会の行事は、取材さえしないという、手稲区の行政の姿勢は、「手稲っていいね」に程遠いと感じる。55年の伝統のある文化祭は、手稲区の誇りだし、もっと皆で盛り上げようとなぜ地区センター関係者はしないのでしょう。公費を投入しているのなら、区はもっときちんと指導をすべきだと思う。

 伝統芸能祭では、毎年10万円からの募金を社会福祉協議会に寄付しているのです。中身もたの区に誇れる内容の行事です。手稲区ではこれだけのものを、手稲文化協会がやっているのですともっと区民にも、市民にも知らせ、更なる協会の発展を後押しすることがなぜ出来ないのか、する価値が無いと考えているのでしょうか。
 
 歴史を、伝統を大切にする。当然のことだけれど、文化協会は手稲区の歴史の1ページを飾る素晴らしい物だと思う。手稲文化協会を知ってもらう運動を是非起こしていきたい。
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手稲文化協会「文化祭」と  指定管理者制度の問題に関し

2005-03-30 21:45:42 | 手稲文化協会関係
 26日と29日の2回、このページで触れた指定管理者制度の問題点に嬉しい応援メールが4本寄せられた。
 
 手稲文化協会は、手稲町の時代から手稲文化祭を開催し、手稲の地域文化の向上に大きくかかわって来ています。現在53団体が加盟して、7月にチャリティ伝統芸能祭、そして10月に文化祭を開催してきています。特に、加盟団体の中には自宅、会館、自分の建てた教室などで活動している団体も多いのです。区民センターとか地区センターとかで活動している団体は、そこそこのセンターで発表の機会があるのですが、自宅や会館で活動している団体は発表の機会がないのです。そういう団体の支援もしているのが文化協会なのです。
 
 こうした活動を評価してくれて区民センターでの文化祭開催を承認してくれていた筈なのに、指定管理者制度なるものに便乗し、その支援を切り捨てようとしているとしか思われないのです。確かに札幌10区の中で文化協会があるのは手稲区だけだし、札幌市としての文化活動に対する取り組みは公的機関を各種用意しましたから、いまさら文化協会はいらないと言うのかもしれません。

 しかし、このように地域に根付き、半世紀以上も活動している手稲文化協会をこのような形で葬り去ろうとするのは許されないと思います。札幌市の文化活動奨励賞に値するような団体だと私は思います。
 
 
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手稲文化協会役員会 「文化祭」をどうする !

2005-03-29 22:09:09 | 手稲文化協会関係
 今年から指定管理制度が各区民センター等に導入され、今まで使用料減免制度が廃止され、使用料がすべてに適用されることとなる、その経過措置として、10月から半額の使用料を払わなければならないこととなった。手稲文化協会の文化祭が大変な苦労の末にようやく区民センターでの使用料免除で開催できるようになったばかりなのに、今度は使用料を払わなければならないという話が、地域振興課からあった。冷たい態度です。困ったことになりましたね。何かいい方法でも一緒に考えて見ましょう、と言った気持ちでも聞かせてくれるのならまだしも、厄介払いが出来ると喜んでいるような感じすらある。
 
 手稲文化協会が手稲区で56年にわたって、手稲文化祭を開催し、手稲の地域文化の推進に果たしてきた功績は決して小さくないし、この伝統のある手稲文化協会を認めたからこそ、困難な中でも、区民センターの使用料免除での文化祭開催を後援してくれたはずだった。手稲文化協会が3日に渡って区民センターの大部分の施設を有料で借り受けて文化祭を実施することは困難なことはよく分っているはずだ。だとすれば、その開催に対しての、何らかの方策を検討し、行政の力で隘路を見つける協力くらいあってもいいと思う。そこらについて今日は話し合ってきた。
 
 極端な話、56年の伝統のある、手稲区の誇りとしてもおかしくない手稲文化協会と文化祭を制度的に押さえ込み、幕を下ろさせようとしているとしか思えない。区民のための地域振興課が区民の宝のような伝統を切り捨てることに何の痛みも感じないのだろうか。行政の冷たさを嫌と言うほど感じる。 許しがたい。
 
 
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詩吟「碌峭会」発足までの準備まだなのだ

2005-03-27 18:50:34 | 詩吟関係
 1か月の余裕があったのに、まだ移行の準備が完了していない。特に新しい教本になり、自分の会としての吟譜を作り、印刷配布するのに大変な時間がかかった。全部新しくしたわけではないのです。今までやったことのある教材も多いのですが、部分的に違いがあったり、また一部にはアクセント表示をしないままの教材も有り、それは表示の書き換えをしなければならないということも有り、それらの整理も大変でした。全く新しい教材はPCで作り譜付けをしていかなければならない。新しい吟号を授与することにしたので、その許証を特注で作り、それに筆書きで名前と吟号を書いて上げなければならないのだが、それがまた一仕事。特に筆字の苦手な私にとっては大変なプレッシャーです。でも他人に書いてもらおう気持ちにならないので、下手な字でも勘弁してもらうことにします。
 教場の20周年記念、碌峭会設立記念の大会は5月22日に決まり、会の方は手稲第一教場が進めてくれるのでそこは安心なのだが、来賓などの手配は自分でやらなければならない。5月と言うとすぐ゛その手配に入らなければならないのです。
 象堂流関係の方、新しい詩吟連盟の方、その人選、招待の仕方考えることは幾らでも有るのです。頑張るしかないのです。
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指定管理者制度は、地域の文化活動を切り捨てる制度なのか

2005-03-26 21:05:55 | 手稲文化協会関係
 手稲区は区民センターとコミュニティセンターという二つの施設がある。それほど離れていないところに一定の規模の公共施設があるのです。従って、サークル活動などの会場などには恵まれているのです。ところが、コミュニティセンターは国道より坂道を登っていかなければならないのです。一方、区民センターは手稲駅から外に出ること無しに来れるのです。しかも区役所と一体なので極めて利便性が高いのです。従って利用度は格段に違うのです。部屋を借りるのに便利でもそこに行くのが徒歩の人、特に老人にはとても大変だと言うのがコミセンです。本来このような施設の設置の仕方はおかしいのですが、手稲地域の発展が急速に鉄道の北方向に進み、手稲区となる時には、鉄北地区の人口が圧倒的に多くなり、更に駅の北側に区役所の建設場所として適当な土地もあり現在の場所に建設されたのです。コミセンは手稲町の時代から公民館のあったところで、手稲区に編入され、西区の連絡所的役割を果たしていたのですが、新しい区役所建設候補地としては当然のこととして外され、コミセンは地区センター的なものとしてそのまま残されたのでした。
 こんな流れの中で、手稲文化協会の活動が大きな制約を受けてきたのです。手稲は人口の大部分が移住してきた人で、手稲文化協会が手稲町の時代から、手稲地区の文化活動の中心として活動していたということ、それよりも手稲文化協会などがあることを知らない方が多いのだと思います。 手稲区になる以前は、手稲文化祭として、手稲文化協会が年に一度大きなイベントを開催していたのですが、手稲区が出来、区民センターが出来た時に、手稲文化祭は区民センターで実施するようにしてはという話があったのだそうです。しかし、どのような曲折があったのか分らないのですが、コミセンで手稲文化祭を実施するということになってきたのです。そして、区民センターでは区民センター祭、地区センターではそれぞれ文化祭を開催するようになると、手稲文化祭がコミセンの文化祭としてしか認識されず、手稲文化協会の名前さえ埋もれてしまう状態になったのです。
 今年で56年目となる手稲文化協会に今一度光を当て、札幌10区に唯一つ残されている手稲文化協会の存在感を認めていただきたいと、区と折衝して昨年から区民センターを使用料免除で使わせて頂き、独自の文化祭を成功裡に開催したのでした。
 ところが、平成18年度から、指定管理者制度なるものが導入されるのに伴い、手稲文化協会の文化祭は、使用料を払わなければ開催できないととのお達しがあった。手稲区には、このような文化活動を維持し、発展させてやろうと言う建設的な考えはないのだとしかいえない。何とかしてこの問題をクリヤして、手稲文化協会の活動が今までどおり進められるようにどうすれば出来るのかといったことで、隘路を考えようともしてくれないのです。
 これが役所の、面目なのでしょう。面倒なものは、何かの口実があれば直ぐ切り捨てる。そこには、伝統を、地域の文化の向上をどうしていくかというビジョンなど何もないのです。地域振興課という名前は何なのですかと言いたい。
 
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旭川がいい、

2005-03-21 20:03:31 | 随想
 青春時代を旭川で過ごした。端から端まで歩いていけた時代だつた。旭川駅から旭川師範学校まで下駄履きで通った。途中にある旭橋、ここから見る大雪山の美しさはたまらなく懐かしい。
 冬のシバレ、旭橋のあたりは、霧氷におおわれる。寒いと思わなかった。風がないからなのだ。寮に入っていた頃は、よく町まで飲みにでかけたり、ダンスホールへ通ったりしたものだ。    スキーを担いで伊の沢まで毎日のように通ったこともある。若かったから良かったのか、いまもいい町なのか。
 
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 今年の運勢は、真っ黒なのだ、、、、

2005-03-21 18:44:03 | 随想
 先日、今年の運勢を書いたものを家内が見ていて、「貴方の今年の運勢は、真っ黒だよ、読んでご覧」と寄こした。あんまり関心がないのだけれど、一寸見てみた。やっぱり今年の運勢はよくないらしい。そんなことを思い出して、最近の自分のことを見つめると、将に冗談じゃないと言うくらいひどいめにあっている。
 
 いろいろある。その第一が詩吟の恩師、東先生が私の独立を知らないまま亡くなってしまったこと。第二にインフルエンザの予防注射もしているのに、インフルエンザで20日間くらい体調が悪かったこと。そして、詩吟の独立にからむ膨大な仕事の量。

 新しい詩吟の会に所属することになり、その教本の教材作成、既にプリントだけでも600枚を超えていると思う。毎日そのことで追い立てられている。是は、運勢と関係ないことかも知れないが、のんびりしていられないし、いい加減にも出来ない。運勢は、この困難を乗り切れと言っているのだと思う。先程、4月1日付けの許証を験し書きしてみた。筆字の下手な私が書くのです。お弟子さんに、宣言したこと、私は字が下手なので申し訳ないが「村川先生の手書きだ」と思って許してください。これも、運勢か。
 まだ終わったわけでなく、こんな状況がつづくのかも知れない。一つ一つ、手抜きをしないできちんとやることが、運勢を乗り越える道だと覚悟ををきめました。
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伝統芸能祭終わる

2005-03-20 14:56:32 | 手稲文化協会関係
 合吟成功裡に終わる>。去年のものですが、写真を使う練習でやってみました。是は昨年の7月手稲区伝統芸能祭に手稲教場が出演した時のものです。
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頑張らなくちゃ

2005-03-19 21:58:56 | 詩吟関係
 新しい会での許証が出来てきた。六稜の中に「碌峭」のマークの入ったものです。新しい教本の教材、全く新しいのは、作って全員に配布しなければならない。古いものも、一部変更が出たり、アクセント記号の入っていなかったものは、入れて作りなおし。とにかく膨大な印刷となる。でもやりきらなくちゃ。それを覚悟でのことなのだから。でも、今日の平和教場は嬉しかった。印刷したプリントの量をみて、感謝してくれた。一部、全員分はないので、教本に書き写して返していただくとお願いしたら、その分全部、教場でまとめて印刷して皆様に配布しますと言って頂けた。金額の問題ではなく、私の苦労を見て取っての心遣いだと思う。
 新しい会にして、不安にさせているところもあると思うのだが、殆どそんな気配も感じさせず、積極的に付いて来てくれるように思える。有難いことだ。
 5月22日(日)、教場創立20周年記念並びに「碌峭会」設立記念吟詠大会の実施が昨日がきまり、会場も確保できた。あとは、皆で北海道詩吟連盟の方たちに伍して、頑張って行きたい。
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北海道詩吟連盟から資格認定の知らせあり

2005-03-16 21:51:40 | 詩吟関係
 昨日資格審査委員会が有り、入会希望者の資格認定がなされ、その結果について内々の連絡があった。やや思惑の外れたところもあるが、良しとせねばなるまい。頑張って是非飛び級をして欲しいものです。
 やはり、新しい会に所属することとなり、教本の手直し、新規作成と時間がかなりかかる。印刷も大変だ。しかし、是は覚悟の上のことなのだから、私が弱音をはく訳にはいかない。
 とにかく、6月の審査には、出来るだけ多くの人を受けさせたいものだ。一度経験すればおそれることも無くなると思う。
 
 昨日に続き今日も暖かく、雪がかなり解けてくれた。しかし、一歩住宅街に入ると、ぐしゃぐしゃ、車のわだちは深く、すれ違うのは大変。是が北海道の春の姿なのだ。もお少しすると車道の氷割りが、有るのだが、天気のよい日のその作業は楽しみのうちになる。暑さ寒さも彼岸まで、もお彼岸の入りだ。これからの一日一日が、春、春、春、
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