手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

家を売る・・・週刊誌の広告の見出しで考えさせられている

2019-03-28 20:21:27 | 身辺雑記
  我が家は8坪の土地付きだけれど、既に47年ほど経っている。この数年冬の除雪で苦労していて、もうこの家を売って雪の悩みから解放されるマンションにでも移ろうかと思ったりしていた。つい先日新聞に載っている週刊誌の目録の中に家を売ることはするなという記事が目に入った。今の健康状態は決して良いとは言えないし、後何年生きていられるのかもわからない。いっそ身軽になった方がよいのかと思ったりするのだけれど、今この家を出ることになるととてつもない苦労が待っているように思える。老い二人には大きすぎるような家だけれど、ゆったり過ごせている。マンションとなるととても窮屈になるのだと思います。除雪は楽になるけれど、狭い部屋の中で過ごすとなると、かえって健康にもよくないように思える。除雪も人を頼めば解決できるかもしれない。

 星置の友人が最近マンションに移るといっていた。部屋は9畳になるそうだ。よくわからないけれど老人の介護施設なのかもしれない。最後の身の処し方としてそんな事もあると思うけれど、そんな転居は望ではない。まだしばらくこの家にしがみついているのが今最善かもしれない。自分の体を持て余すようになってきているのです。転居などでの力仕事をする力も気力もないのだから、成るようになるのを待ちますか・・・。
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三歩進んで二歩下がる  

2019-03-27 19:48:56 | 無題
  今朝渓仁会の定期検診のため8時45分に家を出た。横殴りに雪が舞っている。渓仁会の駐車場に車を入れて、クリニックまで歩くのですが、向かい風に雪がついてとても辛かった。200メートルほどなのだけれど、今の私はこんな距離を歩くのも大変なのです。
  
 昨日は最高気温11度まで上がっていたのに、今日は4度くらい下がっていた。すんなり春にはなってくれません。一進一退しながら春が来るのです。軒下畑今年もやっぱり何かを植えるのですよね。他人事みたいな言い方になる。やりたくないけど。草畑にして置くわけにはゆかない。家内は土いじりは全くダメ。耕すのはシルバー人材センターにお願いして、起こしてもらうから問題はないのだけれど、畑に肥料をやり、苗を植える。そんななんでもないような仕事が人の三倍も四倍も時間をかけて、休み休みやらなければならないのです。今から気を病んでも仕方ないのですが、畑が現れてくるとつい考えてしまう。

 
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新元号まで後一週間

2019-03-25 19:54:38 | 随想
  平成になったときはまだ現役だった。何かとても優しい感じを受けました。たた少し迫力に欠けるような感じを受けたのでしたが、次第になじんで気持ちよく受け入れていました。平成3年に退職して、退職してからがかえって多忙になりました。詩吟の教室が急速に大きくなり、更に手稲文化協会の事務局長を引き受け、倒壊寸前だった手稲文化協会を立て直し、新しい事業も発足させ今の文化協会にしてきた。また 詩吟では、岩見沢に本部のあった 象堂流を退会して、独立し北海道詩吟連盟に加盟させていただいてそれなりの活動をしてきた。途中札幌西支部の総務部長を仰せつかり6年ほど仕事をさせてもらいました。このころは、詩吟の教室も5つなり、それに文化協会事務局長、西支部総務部長と息つく暇もないくらい忙しいこともあった。文化協会で一番力になってくれた俵先生曰「村川さんは死ぬ暇もないね」というありさまだった。振り返ってみる「平成」は私の一番充実した時代だったといえそうです。

 昭和5年生まれの私は昭和を生きました。貧しい時代、敗戦後のみじめな生活、しかし敗戦から立ち上がり、敗戦で何もかも失ったような状況から、いち早く抜け出し、先進国の仲間に入った行ったのでした。どん底の生活から、どんどん抜け出していった姿は、私は素晴らしかったと思つている。時々、「俺の昭和が遠くなる」と新沼謙治さんの歌をラオケで歌ったりしている。

 今度は、「俺の平成遠くなる」といえるまで、生きれるといいのだが。

 元号に絡んで思うことがある。戦時中天皇は「朕」と称していました。その意味がよくわからないまま、要するに天皇は自分を「朕」と呼ぶのだと思っていた。實はこの「朕」なる言葉は,秦の始皇帝が、当時民間でも自分を「朕」と称していたのを、皇帝だけの呼称に決めたのです。その中国の歴史を取り入れて天皇を「朕」と呼ばせたのでした。日本の文化の底流に中国の哲学、文学が色濃く流れていると思います。今までの元号の大多数は中国の文献から選ばれて来たといいます。今度はどんな元号になるのか楽しみです。
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大相撲 千秋楽

2019-03-24 20:01:10 | 相撲
  大阪場所は貴景勝の大関取りのかかる場所で注目されていた。大関とりの条件は二ケタ10勝以上の勝ち星だった。9勝でも可能性はあるか、その星の中身が問題になるようだった。今日千秋楽、ここまで9勝、今日は大関の栃の心との対戦です。栃の心は負けると大関陥落となる大事な試合になっています。心配しながら見ていました.貴景勝の完勝でした。この一勝は大関戦だけに大きい。次場所の大関昇進は間違いないでしよう。   
 最後の横綱戦、素晴らしい力の入る試合でした。ここまで一敗で来た逸の城は白鵬が負けると優勝決定戦なので、備えて待っていたけれど、白鵬の勝利で決定戦はなくなった、残念だったでしょう。逸の城、独活の大木かとおもっていたけれど、何と今場所はまさに大木になっている。ひょっとすると次の横綱はこの人かもしれない。
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フイギュアー世界選手権 日本残念

2019-03-23 21:39:12 | スポーツ
  日本での開催だけに、男女とも優勝がなかったのは残念だ。女性は4位5位6位と三人そろったのは凄いけれど、メダルに手が届かなかったのは残念だ。今、男子が終わったけれど期待の羽生君も銀メダルに終わってしまった。

 地元だけに気負いすぎたのか、固くなったのかわからないけれど、実力を出しきれなかった辛さが残る。何か絶対勝つ!!という気迫より、失敗しないようにという思いの方が強かったみたいだ。これで今年のフイギュアは終わった。今度は野球の季節。野球今年から見たい試合が見れるようなった。私はPCでdaznのパシフイックを見ることに決めました。</font>
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手稲在住40年

2019-03-16 19:43:31 | 身辺雑記
  美唄東高校で15年務め、48歳の年札幌への転勤となり、前の年に建てていた現在の住宅に住まうこととなった。現在の住宅の敷地は80坪あります。ここの土地は既になくなった家内の姉の旦那が北広島に家を建てていて、ここの土地を資産として購入したのですが、その時半分を私が購入することにしたのでした。そして、札幌に転勤の可能性も出てきていたのでここに家を建てさせてもらい、ゆくゆく時価で私が残りの40坪を購入する約束で義兄と約束をして建てたのでした。今、私の家のある一画は当時は三軒しかなかったのですが、今は10戸になって空地はなくなってしまった。   

 私が家を建てた時は、泥炭地でスコップ一つ掘ると水が湧き出てくる状態でした。空地は荒地で春、蕨が一面に生え、野イチゴの蔓がはびこっていました。家を建てたとき、コンクリの杭を打った方がいいのではと工務店に聞いたら、木の杭でいい、木は水につかっていたら腐らないからといわれ、木の杭を使ったのでした。ところが転居して二年目に下水工事が入りました。すると泥炭の水がすっかり切れて普通の土地となりました。結果,地盤沈下がはじまり木の杭は腐食して家が傾き土台上げの工事をすることになりました。義兄と約束した土地半分は10年目くらいにどんどん地価が上がっていましたので買った当時の値段とは比べ物にならない値段で買ってあげました。

 家を建てた当時はまだ無落雪の家は出始めたばかりで、よくわからないから自分で設計して氷柱がつかないで、雪は積もることなくさらさらと真下に落ちるように作ってみました。ところが数年後に大雪の年があり、下に落ちた雪が高くなり、隣の塀を超えそうになりました。どんどんと落ちるのではなくさらさらと落ちて傾斜を流れて隣に入りそうになりました。上の方を私が攫って隣に入らないように気をつけていたのですが、隣の奥さんが心配そうに出てきたりするので、その年の夏に簡易無落雪工事をしました。屋根の軒先部分に融雪抗をつけ電気で溶かしす方法です。特別電気代が気になるほどでなく済んできてます。その時のような雪はあと一度もありませんでした。軒下はとても雪が少なく、隣が塀にくっつけるように物置を立てていて、雪が積もると私のうちの軒下の方へ雪を落とさせてくださいといって落としたりしていました。耐震設計が義務付けられる前でしたから、家内が心配するのですが。知り合いの大工さんが、息子さんと二人で立ててくれたのですが梁などの木材は、古民家のような丈夫なものを使ってくれていてがんじょうなのです。大きな地震に耐えてきていて、私は大丈夫だと自信を持ってますので、家内が耐震構造の診断をしたいというけれどさせないで来ています。あの地震でかなりゆれましたが、壁のモルタルにひびもできていません。

 
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おしゃべりのない生活

2019-03-14 19:00:00 | 身辺雑記
 90歳に手の届く老い二人、二人でテレビを見ることはしても、おしゃべりを楽しむということはない。二人でいるのに、会話らしい会話もろくになく、何か頭が退化していくように思う。耄碌しかけているみたい。おしゃべりをしない・・・おしゃべりが嫌いなわけではないのです。おしゃべりの相手がいないのです。このブログを毎日に近く書いているのが、おしゃべりの役割を果たしているのかもしれないけれど、やっぱり違う。おしゃべりは当意即妙に言葉を吐きだすけれど、ブログだと間髪入れずといった反応は必要ない。思いだすことの出来ないこともゆっくり時間をかけて思いだしても関係がない。おしゃべりは頭の回転の速さを求める。このごろ特にしゃべることが下手になったように思う。しゃべっている途中で、しゃべろうとした人の名前や事柄がイメージはありながら言葉になって出ないという事態にたびたび陥っている。お酒を飲めた頃は、お酒の仲間とおしゃべりを楽しめたのに、今はお酒もやめたので酒の仲間もいない。老人福祉センターの詩吟の講座の講師をしているけれど、他にいろいろ講座があるのだから、そんな講座の仲間に入ればまた違った楽しみがあると思う。だけど、体調があまり良くないこともあり、積極的に道を開く努力をしないでいる。

 テレビの落語とか漫才などを、ゆっくり楽しむ努力はどんなものでしょうね。テレビはバライティ番組が目白押しです。もっと興味を持って見ると話題が豊富になり、おしゃべりのない生活を克服できるかもしれませんね。いままで好きになれなかったものに興味を持つ努力にもなるのです。おしゃべりのできない悩みを克服する題材はこんなところに転がっているかもしれません。</font>
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今日本が軍備拡張をして、みんなが国旗をかかげたら・・・

2019-03-13 19:12:55 | 随想
  日本も核武装すべきだといった偉い方もいた。政府は憲法改正をしたいといってる。その狙いは9条にあるのでしょうが、現実的には自衛隊を軍隊のように活躍できるようにしたいのではないかと思う。今でもかなり軍備は整えられつつあるように思う。しかし、憲法の歯止めがあるので、あくまでも自衛隊としての存在でしかない。

 振り返ってみると、終戦後、この戦争放棄がお大きな力になってくれた。再軍備に掛かる費用を戦後の復興費に回せたのだし、朝鮮戦争に加担することなく済み、中東の紛争にも派兵ということをしないで済んだ。

 今の世界情勢は北朝鮮の核武装、中国の軍備拡張と、平和であるはずの世の中がとても緊張した状況下にある。日本を取り巻く情勢はアメリカとの安全保障が日本の防衛力として機能しているだけだ。尖閣列島問題も、中国がいつ力で取りに来るかわからない。中国は沖縄も中国の領土といってるみたいだ。今の沖縄の基地反対運動を陰から応援しているかもしれない。今の日本の防衛力で、アメリカが基地を撤去したら丸裸になってしまう。アメリカの力を借りなくても自前で防衛できる一定の軍備を自衛隊に持たせて行くべきかもしれない。

 今9条を廃棄して、自衛隊を軍隊としたらどんな反響が出るでしょう。北朝鮮の二の舞みたいな格好になるかもしれない。

 何か韓国とか中国にいいたい放題のことを言われているけれど、まともに言い返すこともできないみたいな、何か見下されているような姿は何か情けない。せめて学校の入学式や卒業式には、堂々と国家を歌い、国の祝日にはどの家にも国旗が掲げられるようになりたい。いろいろな国際大会が報道される。その折、国歌が流れると、どの国の選手たちも、右手の手の平を左胸のあたりに置いて誇らしげに聞いている。日本はサッカーの選手が肩を組みあうようになってきたのはうれしい。だけど他はどうしたらよいのかといった風情に見える。

 国民としての誇りは、軍隊が強いことではない。高い教養と知性と礼を知る国民性だと思う。ノーベル賞もたくさんの方がただいている。各種のグランプリもいただいているし、国中のどこに行っても綺麗で、国内の格差をひどく感じさせるようなところもない。世界に誇れる国であり、国民だと私は思っている。

 もっと国を愛し、誇りを持ちたいものです。

 

 
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福祉センター詩吟

2019-03-12 19:06:22 | 詩吟関係
 今日の参加者は19名でした。前半「山中幽人と対酌す 李白」素読の後こんな質問をしてみた。「両人対酌山花開く」ここの表現おかしくない?と・・・酒を酌み交わしているあたりに花が咲いていたということでなにもおかしくないといった答えがあった。そうなんだけど、酒を飲んでいたら花が咲いたという表現にとれない・・・といってあげたら返事がない。花は咲いていたのですよね、それに気が付くのが遅かったのでしょうが、むしろ花が咲くという表現から、酒が回って気持ち良くなっている二人の姿が、浮かび上がってきませんか・・・といってあげた。「一杯一杯復一杯」という表現について、とても気持ちの良い表現ですね。だだ、本来同じ言葉を重ねて使うことは良くないこととされているのだけど、ここの使い方はとてもよい表現になっていますね。又転句の「我酔うて眠らんと欲す卿且去れ」でこんなことを言いあえる人間関係ってすごいねと話して吟に入った。

 後半は「自ら遣る 李白」をやりました。この詩が前半にやって詩と何かつながるような気がしますね。といって詩文の解説をして吟に入りました。五言絶句で一寸戸惑う方もいますので特に転句の二つ落としについて副主音「ラ」につて触れてあげました。やはり転句の吟じかたが今一の人が多かった。

 
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碌峭会 手稲

2019-03-11 19:28:04 | 詩吟関係
 今日は三階の第五会議室だった。教場長が体調を崩し欠席。7名の稽古でした。最初に昨日の審査会の結果について話をして稽古に入りました。新人のHさん、緊張しすぎで声が伸びません。とても熱心に頑張っています。素読は先輩より上手かもしれません。必ず伸びると思います。MAさん、新しい吟題に入りました。昨日の審査では母音返しができなかったのですが、今日新しい吟題になってとても良くなってきました。耳が少し遠くて、目もあまり良くないので、吟譜を読むのが大変なのです。でも吟調はむしろ良い方なので、頑張らしたい。KAさん、大分良くなっています。ただもう少し覇気が出てくるとよいのですが、詩文の理解がまだ不足しているのかもしれません。KJさん、いい仕上がりになっています。詩文の読み方の歯切れが一寸足りない感じがあります。TUさん新しい吟題、既に稽古をしていてとても良い状態です。ただ、まだ病気の後遺症が残っているのでしょう、力強さが足りません。SAさんITさん今日は準6段の復習、さすがです。

 最後、「千島慕情 及川小甫」をやってみました。和歌入りで、今までにない音も入るので、新鮮な気持ちで挑戦してくれていたと思います。
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