手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

二日か書かなかった

2010-03-31 23:25:09 | 身辺雑記
 
 二日ブログを書かなかった、というより書けなかった。

 一昨日は所属会の幹事会があり、終わってから二箇所さまよって帰ってきたのが一寸遅すぎた。昨夜は書くつもりでいた。だけど20時過ぎにkさんから電話が来て、22時30分くらいまで付き合っていた。電話で疲れて書く気力を失っていた。

 今日は手稲文化協会のみ役員会と慰労会、終わって一寸「いの平」に寄って今帰ってきて遅いけど書いている。

 一寸何なのといわれそうだけど、それができるままだいいでしょう。できなく間でそんなに間はないけれど、できる内の楽しみです。

 言い訳を一寸書きました。
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「酔うて沙場に臥す君笑うこと莫かれ/古来政戦幾人かかえる」

2010-03-28 18:37:50 | 随想
王翰の「涼州詞」です。涼州詞には王之渙のものもありますが、共に素晴らしい詩でどちらも好きです。

 万葉集に「防人歌」が残されています。万葉の昔、日本では東北地方から北九州地方へ防人(国境防衛兵)として送られていました。それらの歌の中には、家族と別れて二度と帰ることの保障されない別れの悲しみが唄われています。この涼州詞で兵士が酒に酔いつぶれ、砂漠の中で眠ってしまう、それを笑わないでくれと言って、「古来政戦幾人かかえる」とむすぷのです。このような国境警備の兵士として派遣された兵士でいったい幾人生きて帰ことが出来たのか・・・・自分だって故郷に帰る何の保証も無い・・せめて酒でも飲んで気持ちを紛らわすしかないのだ、どうか笑わないでくれ。という兵士の気持ちが歌われている。

 都長安を出発して、何ケ月もかかって砂漠を越えての遠征なのです。岑参はそんな旅を「家を辞して月の両回円なるを見る」「平沙万里人煙絶ゆ」と表現しています。

 なおこの涼州詞の冒頭は「葡萄の美酒夜光の杯」となっていて、「葡萄の美酒」は言うまでも無くワインなのでしょうが、これは中国ではなじみの無い酒になります。中近東からのもので、美酒として珍重されたのでしょうが、この言葉が異郷の地にいることを知らしめるのです。「葡萄の美酒夜光の杯」というと、何か素敵な酒宴みたいに感じますが、異郷ノ地にあって、辛さを紛らす酒となっているのです。

 
 
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「節物は怱々として留むれども止まず」  福澤諭吉

2010-03-27 18:42:47 | 随想

 「節物=季節のもの」四季折々の風物はさっさと過ぎ去り留めるすべも無い。というのでしょうか。この後に続くのが「花を惜しむ人は是れ霜を戴くの人」となる。やっと余裕が出て、花を愛でることが出来るようになったときは、頭も白髪になっていると言うのです。

 私も80年生きてきているのですが、なんと早いことかとこのごろつくづく思うようになった。特に、定年後の20年は一瞬のうちのように思える。

 この20年間に随分多くの仲間が他界してしまった。私は肺気腫と言う病気は持っているものの、かなり体力に自信があった。しかし、この頃は体力の減退をしみじみ感じるようになった。詩吟では、お弟子さんに負けない声も出る、こんなブログを何年もほとんど休むことなく書き続けている。だが、歩くとなると本当に老人です。歩ける気力はあっても、一寸無理すると息が出来なくなるのです。だから無理しない、すると益々体力は落ちてくる。
 老いるとは、こんなことなのですね。
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「秋風処々に虫声を売る」  頼 杏坪

2010-03-26 21:11:35 | 随想

 「秋風が吹きはじめ、虫を売りの声がどこからか聞こえてくる」というのです。

 江戸時代に「虫売り」があった。売られた虫は「蛍、コオロギ、松虫、鈴虫、くつわむし、蜩」などであったらしい。虫かごを天秤棒で担いで売り歩く、虫売りはとても粋な姿だったらしい。それが、あまり華美になって禁止されたという。この詩では、次に「貴人は解せず籠間の語」と続き、身分の高い人は、籠の中の虫の声を理解出来ないだろうと言う。虫売りの風情を詠んだものではなく、虫を庶民とし、庶民の心情を理解しない為政者を風刺しているのだ。

 どのような風情であったか一寸理解できないけれど、まだ夏の暑さの残っている初秋の夕暮れ時、天秤の前後に沢山の虫かごを下げて、昔の金魚売りみたいに声を上げて売り歩いていたのでしょうか。 「虫! 虫! 虫はいらんかーい・・・」「エ・・鈴虫イイイ松虫イイイ」とか呼ばっていたのでしょうか。

 この詩の初めは「八百八街宵月明らかなり」です。江戸八百八町を初秋の宵の月が涼しく照らす、そんな中、聞こえる虫売りの声。今の東京と重ねると、何かとても懐かしさを感じさせる風景が浮かんでくる。こんな時代もあったのだ。
 
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「江水三千里/家書十五行」  袁 凱

2010-03-25 19:16:57 | 随想

「長江の流れは3000里もあるのに、ようやく届いた家からの便りはタツタ15行」というのだが、この後に「行行別語無く/ただいう早く郷に帰れと」と続く。15行の便りの中はただ、早く帰ってきなさいと言う言葉だけだとい。

 遠く故郷を離れ郷愁の念に駆られる作者、そして愛する子供を遠く離れた地に行かせている家族の思い。この短い詩がなんと見事にその情を表現していることか。三千と十五の隔たり、別語なく、早く帰れ、この端的な表現。

 言葉は長ければいいと言うものではない。言いたいことをいかに短く言い切るか、そこに詩人の面目があるのでしょう。一度読んで忘れられない詩になっている。
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相撲が面白くなった

2010-03-24 18:57:24 | スポーツ

 相撲が嫌いであったわけではない。でも、モンゴル勢が増え始め、それにロシヤ勢なども加わり、有力力士が外国人によって占められるようになったころ、一時相撲が嫌いになりかかった。そして、外国人力士の活躍に不快感を示すブログを書いたりしていた。

 それが、昨年辺りからまた面白くなってきた。外国人力士アレルギーみたいなものから解放され、純粋に相撲を楽しむ気になってきたのです。朝青龍の行動などには、皆様と同様眉をひそめるところもありましたが、白鵬との対戦などは、素晴らしい緊張があり、純粋に勝負の面白さを感じさせていた。そして、相撲が世界のスポーツとして認められていく予感を感じたりしている。

 今場所、朝青龍がいなくなり、どうなるのかとやっぱり不安でしたが、心配することはなかったみたいです。何日も満員御礼が出ている。とくに把瑠都の躍進が大きい。

 昔、同僚の相撲好きに、「仕切りの時間が長すぎて嫌だ」といったら、「仕切りの間が面白い」といわれた記憶がある。

 今日の最後、白鵬対把瑠都戦など、その緊迫感は言いようのないものだった。勝負は白鵬の勝利だったけれど、力の差を見せ付ける素晴らしい相撲だった。この一番を楽しみに待っていて、いい相撲を見て、改めて相撲が面白いと思った。外国人がどうなんてことはもう言いません。充実した土俵をスホーツとして楽しみます。
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「雪に耐えて梅花麗しく/霜を経て楓葉丹し」  西郷南州

2010-03-23 19:10:16 | 随想

 西郷隆盛(南州)は素晴らしい詩を残している。そのうちの一つ「天意を識る」の中の一句です。この一句は、現職の頃卒業する生徒が寄せ書きなどを持ってきて何か書い欲しいと頼まれたときに好んで使わせてもらった一文です。

 この詩の前に「貧居傑士を生じ/勲業多難に顕る」とある。西郷南州は「偶感」の中で「児孫の為に美田を買わず」と言っている。このような人生哲学を持ち、努力した人だったのだ。

 今の時代の親や子供たちを見ていると、こんな西郷南州のような思考は論外みたいに思われる。子供には日常の暮らしの中の普通の仕事すらさせず、欲しいものは何でも買ってあげる。求めるのは少しでもいい大学に入って欲しいと言うくらいだ。逆な面で子供の行き方が間違った方向と気がついても、注意すら出来ない親が多くなったりしている。

 最近ホームレスの数が増えていると聞く。その人たちに、介護などの仕事を斡旋してもすぐ止めると言う。辛い仕事はしたくない、ホームレスで食べるものも着るものもままならなくても、気ままに生きておれるだけ良いと考えるのかもしれない。

 また、学校を卒業しても就職が出来ない。就職難の時代になっている。かつてのバブルの頃は、引っ張りだこで皆が就職できた。今は違う。大学も出ればいいのではない。何を学ぼうとして進学したのか、目標とした学問にどれだけ成果を上げることが出来たのか。その目標に向かってどれだけ頑張ったか。本当に努力した人には相応の評価がされていると思う。

 バブルがはじけ、国際競争の中で日本の企業も苦しい立場になってきている。それだけに経営者も従業員も、今こそ、気持ちを改めて、苦難に立ち向かう覚悟が必要なのでしょう。 受け入れられないことを嘆く前に、自分の人生をどう切り開くかを自分に問い、そのためになさなければならない努力をすることすが必要なのでしょう。
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「好文 豈威武無しと謂わんや」  徳川斉昭

2010-03-22 20:04:03 | 随想

 「好文」というのは、梅の異称なのです。「梅は「好文」と言われるが、凛々しさや、勇ましさが無いというのか。そうではなすい。雪の中で、他の花に先駆けて咲く、なんと凛々しいことではないか」と梅を讃えているのです。水戸烈公とも言われた方ですが、特に梅を愛され、多くの梅を植えていられ、現在も水戸の名物になっています。

 新島襄も「寒梅」という詩を作っていますが、争うことも、求めることも無く天下の魁となっている梅に心を寄せていられます。

 また中国の詩人方岳は「梅は雪があってこそ、梅の真価があるし、そんな梅を見て詩情を起こさないような人は俗人としている」

 北海道はでも梅は植えられているけれど、咲くのが桜とほとんど重なるので、梅の花はあまり取り立てられない。我が家にも一本ありますが、花を楽しむのではなく、梅干のためのもので、花を楽しむことにはなっていない。
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「氷心一片玉壷にありと」  王 昌齢

2010-03-21 19:39:52 | 随想

 私の好きな一句です。作者が洛陽に戻る友達に、別れに際して、「洛陽にいる私の友達が、あいつはどうしていると尋ねることがあったら、「氷心一片玉壷にあり」という心境でいると伝えてくれ。」と言うのです。

 多分、たずねる友達は、きっと作者が寂しい思いをしているだろうと想像しながら聞くのだろうが、そんな心配は無用だ。何に惑わされることも無く、氷のように澄み切った心ですごしていると答えてくれと言うわけです。

 その実際の気持ちがどうかは分からなくても、この一句に籠められた思いは本当に読む人の心を打つ。

 似たような言葉「丹心一片」と言う言葉が良く使われているが、全く違う。勤皇の志士たちは好んでこの「丹心」を使った。天皇に対する忠誠心を示す言葉として使われていた。

 「氷心」 氷には冷たい感じがあるけれど、「氷心」と「玉壷」とが一つとなって、何にも惑わせられない、端然とした昌齢の人柄が伝わってくる。
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「潦倒新たに停む濁酒の杯」   杜甫

2010-03-20 18:04:33 | 随想

「ろうとう あらたにとどむ だくしゅのはい」杜甫の「登高」の一節です。

 "老いさらばえて、今新たに好きな酒までも止めなきゃならなくなった"と言うのだけれど、そうなんですよね。誰にもいつか来ることなのです。

 気持ちはまだ若いつもりでも、体は間違いなく歳相応にくたびれているのです。それでもついつい飲み過ぎて、二日酔いならぬ三日酔いなどしていては、酒もやめなきゃならない日が、ぐんと近くなる。

 杜甫の場合は、こんな私たちとはまったく違う次元の話で、この詩を読むとなんとも言いようの無い悲哀が胸を打つのです。双璧と称される李白の酒は、とても楽しい酒に思われるが、杜甫の場合は苦しみを紛らす酒でもあったのでしょうが、その酒すら飲めなくなったとすると残るのは何なのでしょう。
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