昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

鶴居村「伊藤丹頂サンクチュアリ」

2005-12-09 21:00:15 | 日々の雑記
 先日のことだった。連日吹き続けていた強風も、どうやら一段落したかに思えたので、久々に歩きに出掛けた。しかしそう思ったのは家の中でのこちら側の勝手な思惑で、実際に自転車道路に出てみると、近頃に無く晴れ渡っている割には風が強く吹いていた。
 その上阿寒おろしが加わり、その冷たさは予想以上であった。70余歳の老夫婦の身では、気楽に歩ける状態では無く、直ぐに車に引き返した。
折角出掛けて来たからには、そのまま帰宅するのも誠にシャクに思えて、とにもかくにも車を走らせながら行く先を考えることにした。
 そうこうしている内に、老妻が丹頂鶴サンクチュアリに思い付き、早速に方向転換して鶴居村に向かった。
 そこは最近インターネットで知ったばかりの、「伊藤タンチョウサンクチュアリ」と呼ばれる給餌場で、これまでに何度か訪れた事のある国道沿いの給餌場でなく、その先の鶴居の真ん中に位置していて、実のところ今日初めて訪れる場所でもあった。

 パソコンの地図で確認したとおりの村役場の交差点を右折して進んだのだが、一向にそれらしき場所に行き当たらず、洒落た地区会館風が在るばかりだった。    少し不安を感じながらなおも進むと、やがて道路が左に折れて降りに差し掛かると前方が一気に開けた。
 そしてその先の草地には多くのタンチョウの群れが、かなりの広範囲に群れていて、一度のカメラ枠には納まりきらないほどだった。ざっと大まかに数えてみただけでも、優に150羽はいた。それはこれまでに一度も見たことの無い光景で、カメラを構えることも忘れて、暫しの間見入っていた。
 そこは役場やホテル、更に住宅や教育会館などが建っている、まさに街の真ん中で、ただただ驚くばかりの光景だった。私たちは声も無く時が経つのも忘れて佇み、心行くまでたんのうした。

 やがて陽の傾くのに気付き帰途に就いた。家に向かう途中の下り坂で、折り良く落日の時間帯にぶつかったが、残念ながら雲一つ無い青空だったために、期待した夕焼け雲は見られなかった。
             鶴の数が多過ぎて一枚の写真枠に納まりきらなかった

               少しばかりクローズ・アップで撮ってみました。

        帰路途中の峠の坂道から遥か太平洋方面に沈むで落日を撮る


アレルギー性鼻炎

2005-12-07 17:23:20 | 日々の雑記
 くしゃみ、鼻水、涙目の根本的な原因が、アレルギー性鼻炎と知ったのは、かれこれ20年ほども昔のことである。それも私一人ではなく、姉や弟にも同じ頃から起っている事も分かっていた。
 きょうだいなので、両親から受け継いだDNAが同じで、育った環境も全く同じなのだから、それらの現象が遺伝として我ら三人に発祥したとしても、決しておかしいことでは無い。
 むしろ我ら三人だけに限らず、きょうだい全員でない事の方が、不自然でおかしいくらいである。

 私らのこのアレルギー原は、どうやら気温差に有るらしいのです。私の場合は大体に於いて、春先と秋口に起きて真夏や真冬に入ると落ち着いてしまう。また姉や弟の場合は私と違って、季節の変わり目の朝方に多く出る。
 主に起き掛けでそれも蒲団の中で始まり、その後起きてからも二時間ほどクシャミ・鼻水の連発である。しかし私の場合は症状がどんなに酷い時であっても、蒲団の中ではたとえ目覚めていても一切に起らない。とにかく蒲団から出た後の体温の調整が、うまく行かなかった時に始まるようで、クシャミ・鼻水それに私の場合は、更になみだ目が加わるから始末が悪い。
 症状が酷くなれば売薬では済まなくなって、耳鼻科へ通うことにもなるが、大抵はそこで治ることは少なく、どうやら今までの経験上からして、季節が真夏・真冬とはっきりした時点で治って仕舞う様である。だから余り心配しては居ないのだが、発症時にはかなり辛いものがある。何しろ相手は「出物腫れ物所嫌わず」の類いなのだ。
 時折り薬を飲んでも直ぐに効いて来ない時には、一っ時蒲団に潜り込むことにする。不思議なことにピタリと治まってしまう。これでは「怠け病」と勘ぐられても仕方が無いかも・・・。

 その対策には先ず鼻紙(ティシュ-)で、これは傍から片時も離せない。車の中での置き場所は、直ぐ手に出来るよう助手席専用である。その使用量は酷い時で、家では一箱は二日と持たないし、車でも精々四日ほどで空になる。
 ティシューは安いものだから、幾ら費っても知れたものだが、ゴミの量が嵩張って仕舞う。ゴミと云っても殆どが鼻紙ばかりなのだ。

 今の時季は大分落ち着いて来ているのだが、まだまだ安心は出来ず、何時も鼻の頭を赤くしていて、その上悲しいことは何も無いのに、涙が引っ切り無しに流れ出てならない。


手袋(てっかえし)の想い出

2005-12-05 17:39:43 | じゃこしか爺さんの想い出話
 ※ 初めに・・・
<てっかえし>・・・とは、下の写真(記憶をたよりに手書き)で見られるとおりの、綿を分厚く詰め込んだだけの手製の手袋です。
 樺太の子ども時代「てっかえし」と呼んでいましたが、それが全国共通語なのか、或いは樺太だけの方言なのか、それは今に至っても定かでありません。
  
 先日の予想外の初雪が、翌日の思わぬ低気圧の雷雨で融けてすっかり融けた上に、その後の晴天続きで、何時も利用する散歩道は元通りに乾いていた。
しかし晴天が続いていたにもかかわらず、低気圧の強風のなごりの風が続いて、この二日ほどは歩きに出掛けられなかった。
 その間止む無く室内歩きとエアロバイクで、何とか我慢していたが、やはり戸外で太陽を、身体一杯に浴びるような満足感は得られなかった。
そこで今日遂にしびれを切らして、風除けには好適な住宅街の自転車道路に出掛けた。

 道路起点の駐車場から歩き始めたのだが、家では殆ど感じなかった風は、時折り阿寒おろしと相俟って意外に冷たく吹き付けて来た。初雪の後だけにベストを重ね着した上にマフラーなど、それ相応の身支度をして来た筈だったが、肝心の手袋だけは取り替えるのを忘れて薄物だった。少し歩き始めたがとても我慢しきれず、そうかと云って今さら引き返すのは、余りにもシャクだったので、近くの大型店に車を走らせ、百均コーナーに飛び込んだ。
 今の世は全く便利なもので、余所行きにでも立派に通用するような手袋が、たったの百円で買えるのである。折角だからと予備用に、併せて二双買う事にした。そして歩きながらの想いは、遠き昔の樺太時代の少年期へと遡る。

 「母さんの唄」では無いけれど、昔は子ども達の手袋や靴下などは全て母親が、子どもたちの手足の大きさに合わせて、拵えて呉れていた。
 その中でも特に想いだされるのが、スキーや雪遊びなどには絶対に欠かせないのが、有り合せの布や綿と毛糸を利用して拵え、その上紛失しないようにと、首から下げる紐まで取り付けて呉れた「てっかえしやぼっこ手袋」である。
 どちらも親指だけが分かれていて、見た目にはとてもゴッツイ物だが、とにかくスキーや雪遊びには絶対に欠かせなかった。
 現代なら風を透さないナイロン製とか遠赤外線製のものが、多く出回っているようだが、当時は綿とか毛糸が主流であったから、とにかく綿を分厚く入れた「てっかえし」や、極太の毛糸で編んだ「ぼっこ手袋」を二枚重ねにして外遊びをしたものである。
       子どもの雪遊び用・お袋手製の「てっかえし」   

こんな飾り編みの上等なもので無く、極太の毛糸で編んだだけの「ぼっこ手袋」


使っても使っても

2005-12-03 16:02:29 | 日々の雑記
 「使っても使っても」などと云うと、有り余るほどの財産をまるで「湯水の如く」濫費と思わられがちですが、私の場合は決してそんな大それたものでなくて、現役引退後の身体のあちこちに、ガタの来たした一老人が、日頃から持て余している時間のことなのです。

 振り返ってみれば、幾ら在ってもまだ足りなくて、まさに寝る間を惜しんでの毎日を送っていた現役時代の時間は、惜しみに惜しんで如何に遣り繰りしたところで、時間が足りず、その日の仕事を翌日に繰り越していた。
 言うなれば「時は金なりで」、その時点での稼働時間は、まさに金で一時間幾らの対価であった。しかし稼働時間が給料に換算されようと、毎日繰り返される日常の業務だけでも、定時ギリギリのところへ、何の前触れも無く飛び込んでくる予定外の業務までを、その日の内にこなすのは至難の業であり、まさに地獄の苦しみであった。
 今にして思えば、良くぞ遣り遂げたものぞ・・・と、自分ながらの満足感に浸る懐かしさと、もうコリゴリだとの感慨で一杯である。

 そんな感慨とは別に、現在は如何であろうか。現役を引退したら、あれをしようとか、これにも挑戦してみようとかの、希望は人並みに抱いていたのだったが、思わぬ体調の変わりように戸惑うばかりで、以前予定していた事は何一つとして叶わず、それらは今後永久に手に届かぬ夢物語になって仕舞った。

 現在私の日常の持ち時間は、大まかに云って朝八時の起床から就寝の零時までで16時間になる。この内三度の食事時間は2時間、ウォーキングに2時間、昼寝に1時間、パソコン2時間(ドクターストップ・連続でこれが限度)、テレビ読書雑用で2時間、これらを合わせて9時間、残りの時間は7時間である。
 
 さてこの残り時間が問題であって、この時間こそが私に与えられた、使い放題叉は湯水の如くに使って良い、云はば身に過ぎるほどの贅沢ものなのである。
 しかし良く考えてみると、この時間は無意識にまた、無為にただぼうっと過ごしている時間であるが、とかく日頃から時間不足で悩んでいる人たちから見れば、贅沢三昧湯水の如く時間を濫費している、ある種の果報者に見えるだろうと、独り悦に入っているこの頃です。・・・とは云って見たものの、良く考えると何の事は無く、恒産なども無く高が年金暮らしの老人の痩せ我慢で、それも「まだらボケ」の一つの現象に過ぎないのである。

今日から師走

2005-12-01 16:37:38 | 日々の雑記
 今日から師走です。当たり前のことですが、平成十七年度(2005年)は、この後一ヶ月(31日)で終ろうとしています。加齢に伴い月日の経過は年々速くなって行く様に感じられると、良く云われますが、特段そんな気持ちにならずに過ごして来ました。
 今さら僅かしか残されていない余命を考えると、あの世に行くのに、わざわざ急ぐ事も無いだろうと云う思いから、日々努めてのんびりと過ごしているつもりですが、己には気付かぬ内に生来のせっかちさに、加齢の因る性急さが加わって来ているのかも知れない。

 この師走という言葉の由来は色々と在るようですが、もうかなり前から広く知られているのが、12月に入るとお寺の和尚さんが、それぞれの檀家を気忙しく走り回る姿からだとする説です。確かに日頃は落ち着きはらっている坊さんが、忙しく走り回る姿を見るのは、やはり奇異に映り、それを見る側からすれば、唯それだけでそれに釣られて、何となく気忙しい思いになるのでしょう。

 現役時代には坊さんならずとも、好むと好まざるにかかわらず、一年の締め括りの月としての業績アップのために、それこそ寝食を削って走り回らなければならなかった。それが当り前だったのです。
 現役を引退して数年経った今では、そんなことも在ったなぁーと、時折り懐かしく想い出すくらいで至って暢気なものです。
 しかし一旦商店街へ出掛けると、クリスマスやお歳暮品の大売出しの派手な広告の賑やかさに、年甲斐も無く気が急かれ、せかせかと動き回っている己の姿を見出します。

 さて今の我が身はまさに年金生活者、悠々自適には程遠い現状で、師走などとは無関係と思っていたのですが、二日前の突然の初雪とその後の強風や冬の雷などに、すっかり出足を挫かれて3日ほど家に閉じ込められて仕舞った。
 そのために月末の公の支払いなどが滞り、その上月初めの予定と合い重なり、とんだ忙しさを味わう羽目となった訳です。
 公的な支払いは銀行からの引き落としにして置きさえすれば、月末月初と忙しい思いはせずとも済むのですが、それでは年寄りの出不精が益々昂じてボケに繋がるから、月に一度や二度の役所通いはむしろ薬になるなどと勝手な屁理屈を並べていたばかりに、今日になって天手古舞いの憂き目を見る始末に至ったのです。
 かくして今日1日で普段の月末月初約3日分の所用を、昼食もそこそこに、その上日課の昼寝を抜いて駆けずり回って、無事に済ますことが出来ました。例えたったの一日間の繁忙でしたが「師走」の雰囲気に浸り事が出来て、更に折からの師走特有の夕焼けに暫し見惚れながら、このところすっかり忘れていた心地良い疲労感に浸っていた次第です。時間を持て余す毎日が、また明日から始まる事でしょう。
     人並みに体験した師走の忙しさを癒やして呉れた夕焼けと[雌阿寒岳」