昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

雨に降られたお神輿さま!

2004-09-14 16:26:35 | 日々の雑記
 今日はあの有名な「岸和田だんじり祭り」の最中ですね。放送各社がだんじりの駆け回る勇壮な場面を一斉に放映しております。

 実は私の地域の氏神さまも今日が本祭りなんです。その神社の名は「鳥取神社」、明治の初期に鳥取県藩士が開拓した村の鎮守様です。今は釧路市の一部になっておりますが、その時の屯田兵の子孫が代代受け継ぎ守って来たお祭りなんです。

 しかし全く意地の悪い事に、昼前は曇り日の予報に反して青空さえ見えていたのに、突然の俄か雨となりそれがなかなか止まない、結局雨の中のお神輿のお通りとなって仕舞った。

 意気の良い若者達がずぶ濡れに成りながらも、「ワッショイ!ワッショイ!」 と威勢良く掛け声を上げながら、我が家の前を通って行った。

もう紅葉?

2004-09-13 16:10:04 | 日々の雑記
塩害を受けたナナカマドの葉であるならば色が変っても不思議は無いにしても 、未だ九月の十日を過ぎたばかりなのにもう紅葉とは・・?。

 しかしご覧の通りの此の木の葉の色は何だろう。やはり紅葉としか思い無い紅さである。いかに北海道でも、大雪山径の高地ならともかくとして平地での紅葉は少しばかり速すぎる。

 自転車道路に取り付けられた小径の脇に植えられたツツジの中の一、二本だけが、真っ赤に色付いている様は、周りが余りにも緑みどりとした居るだけに、何とも云えない不思議な華やかさを感じた。

 ただ云える事は今年の秋は例年より早く来るだろう・・そして冬の速いのも確かである・・! {

塩害!

2004-09-12 19:06:34 | 日々の雑記
 台風などの強風により飛ばされ来た海水の飛沫が、海岸近くの樹木などの植物や建造物に被害を及ぼす。長いスタンスでみれば住宅の外壁のモルタル、屋根のトタンなどをボロボロにしたり、酷い時には内部の鉄骨を腐食させます。それとは別に直ぐ目に付く現象としては、植物や電線それに車があります。

 釧路方面の車は錆び付くのが他の地域より早いので、車検時にしっかり対応しておかないと寿命が短くなり、とかく下取り価格に影響すると云われています。ですから台風が去った後には出来るだけ速い洗車が必要です。これを怠るとその差が如実に顕れます。

 今日は気温が20度を割り少し涼しくなって来たので、何時もより遠出をして湿原の近くまで歩いて来ました。其処で目に付いたのは自転車道路沿いの「ナナカマド」でした。何時もは緑に輝いている筈の葉が色落ちしてカラカラに乾いている感じで、更に普通は真っ赤に色付き青空に映える筈なのに、その彩りも艶も無くくすんでいるのです。

 カメラに収め家に戻ってから、昨年同じ場所で撮ったものと比較して見ると掲載写真で良く判るようにその差は歴然としています。早く何とかしなければ全部駄目になると、こんな思いで一杯でしたが・・。

 しかしこんな現象は今回ばかりでは無かった筈、きっと立ち直るだろう・・自然界の持つ回復力と自ずからの治癒力を信じたい、そうで在って欲しいと願うばかりです。
 

虹が出た!

2004-09-11 17:17:09 | 日々の雑記
昨日の午後「虹が出てるよ!」とのの声で外に出てみた。雨も降らないのにと半信半疑で外に出てみると、確かに虹が出ていた。それに珍しく二重の虹だったようで、私が見た時には外側のはもう消えかかっていた。

 慌てて家の中へ引き返してデジカメを持ち出し、玄関前から向かいの屋根越しの天空に懸かる虹を数枚収めた。直ぐにPCに取り入れて見たが、外側のはやはり微かに色付いてるのが分かる程度だった。

 それにしても居間の窓越し見える空には、青空が広がっていたから雨には少しも気が付かなかった。しかし間違いなく道路が濡れていた。

 天気雨・・?いわゆる「狐の嫁入り」・・かも!

私は洞爺丸遭難者名簿に載った!

2004-09-10 16:48:14 | じゃこしか爺さんの想い出話
この度日本全土で猛威を振るった18号台風は、風台風とも云うべきでその暴風は各地で史上最大を記録した。中でも広島での最大瞬間風速が60.2メートルにのなった強風は、世界遺産で国の重要文化財でもある厳島の能楽堂を一瞬のうちに破壊し、全国で死者28人行方不明者15人負傷者800人余の多きに達した。

 台風には余り縁の無い北海道であるが、今回の18号台風には昨年の10号以来の甚大な被害を受けた。北海道南部と札幌市地域特に日本海側が酷く、積丹半島では10メートル余の高波に因って、国道が160メートルも流され村が孤立化した。更に死者7人不明者2人負傷者は121人にも上り、は50年前の「洞爺丸台風」再来かとの記事にもなった。私はこの新聞記事に50年前に起きた、青函連絡船洞爺丸の遭難事件を想い出していた。

 時は、昭和29年(1954年)9月26日のことである。西日本の各地で大暴れした台風は日本海に出て北上、いずれ温帯低気圧となる筈だったが、北海道に近付くに連れて猛烈に発達した。その時の情報収集の甘さが、僅か半年前に天皇皇后を乗せた事の有る新鋭船洞爺丸は他の青函船5隻と共に遭難し、函館湾七重浜の沖で座礁転覆して死者約1.150人を出す大惨事となった。そしてその翌日の新聞の死者と行方不明者の一欄記事に私の名前が載った。

 何故かというと、当時私は三菱の炭砿に勤務する傍ら夜学(定時制高校)に通学していた。その学生証明書を、本社主催のバレーボール(9人制)大会に参加のために上京する選手に貸したのです。私の名前で学割を利用したので、私の名前が死亡蘭記事に載った訳です。当時私がバレー部の補欠部員であった事で頼まれ、図らずもその不正利用に手を貸し事になり、名前が広く知られる羽目になったのです。しかしその時補欠部員で有った事が幸いして、今此処でこのブログを書いて居られる訳なのですが・・。

 死者の一欄記事が全国紙に載ったために、親戚友人などの問い合わせの対応が大変だった。その記事はその後直ぐに訂正されたが何よりも驚いたことは、時の日本社会党の浅沼稲二郎委員長から丁重なるお悔やみ状を戴いた事である。更に修学旅行で関西旅行中のやはり夜学生の友人、樺太小学校時代の同級生(稚内)が帰路途中にわざわざ七重浜で私の死体を探し回ったが、探しあぐねて家に寄って呉れた。本人が無事に元気で居る事を知りお互い抱き合って喜んだ。その後何回か開かれたクラス会では必ず話題に上った。

 この遭難では周りの多くの友人知人が犠牲になった。特に日頃から私に目を掛けてくれた職場の先輩の死は、偶然にも出発の直前路上で出会っていただけに、私には大きく応えた。手を高々と振りながら去って行った先輩の姿が最後であり、今なお何かの折に鮮明に甦って来ます。
 
 二日経った今日も新聞ニュースで今なお発表される被害状況に、50年前の洞爺丸台風を重ねて想い返して居ります。

コスモス

2004-09-07 14:50:53 | 日々の雑記
招かざる18号台風が沖縄から九州四国更に中国地方で猛威を振るい、各方面で甚大な被害を与えております。いずれ東海関東方面そして東北を経て北海道を襲うのは明らかです。

 そんな各地域の台風情報(被害と猛威の様子)を伝えるテレビを見ながら、北海道に来るのは明日の午後になるだろうと、そうなれば二日三日は歩きに出掛けられ無いだろうと、どんよりとした曇り日のもと何時もと違う近場のコースを歩いて来た。そこで見つけたのが写真のコスモスの花です。

 小さな公園の一画一杯に咲き誇り、時おり吹き過ぎる涼風にゆれるコスモスに、例年に無く暑かった夏が去り秋が確実に近付いているのを実感した。