昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

ヘリコプター

2004-09-16 21:46:16 | じゃこしか爺さんの想い出話
 あの忌まわしい18号台風が去った後は、地上の被害はともかくとして、ここ釧路方面は雨の日もあったが穏やかな天候が続いている。特に昨日今日と朝から輝くばかりの快晴で、天空は真っ青に晴れ地平線上には白い薄い雲が微かに見えるだけ、まさに日本晴れである。

 その果てし無く広がる青空の下、初秋の大気が日毎に澄ん出来て湿原の遥か遠くに阿寒連山(雌阿寒岳・雄阿寒)がくっきりと其の姿を見せるようになった。まさに啄木「神のごと遠く姿をあらわせる・・」の短歌の世界である。

 そんな青空の中、湿原の彼方にヘリコプターが現れて旋回を始めた。大きく輪を描いては葦原の上すれすれにまで低空飛行を繰り返している。それは遊覧飛行と思われた。飛行機で無くたとえそれがヘリコプターだとしてもこの秋晴れのもとでの遊覧とは、まさに至福の体験で有ろうと、いささか羨ましい限りである。

 鳥のように大空を思うが儘に羽ばたきたいという人類の遠い昔の夢に等しく、大空への憧れは老人(72歳)に成った今でもいささかなりとも衰えてはいない。今から五十数年前の少年時代に軍国少年の誰もが抱いた「予科練」少年航空隊入隊には、チビの部類に属する私でさえもがその体格を顧みず人並みに、夕日の中を戦場へ向って飛び去る「ゼロ戦」に憧れていたものである。

 今となってそれを思い返して見ると、あれほど憧れた特攻隊員の行く末はアメリカ戦艦・空母への自爆行為であって・・寺山修司の短歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の感も否めないが、それはそれとして五十年も昔の少年時代の懐かしい想い出である。