昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

想い出日記(夜間高校:8)

2005-04-01 20:49:34 | 日々の雑記
  ☆  卒業式
 4年間の通学は夜学というハンディーは大きかった。仕事での同僚に対する気遣いなども負担となったが、冬期間の通学には一番苦労した。汽車を利用すればある程度
楽なのだが、それには30分ほど待ち時間あった。それが堪らなく無駄に思えて、ついつい徒歩を選んで雪道や雨降る中の夜学通学を4年間続けて来たのである。

 夜学の辛さは当然初めから分かっていた事なのだから、今更自分で云うのも可笑しいが、そうした多くの労苦が報われ、ここに晴れて卒業式を迎える事が出来たのである。
 
 顧みると唯単に学業が身に付いたと云う事だけでなく、生涯交際き合うに足る学友が出来たことなど大きな収穫を得た。それだけでもお釣りが来るほどで、充分満足出来る4年間であった。
 4年生3学期は結婚していたこともあって、とにかく辛い時期でややもすれば休みがちになり肝心の卒業さえもが危ぶまれた程にもなった。しかしそれらを乗り越え、途中挫折すること無く卒業にまで辿り着けたのは、そうした時の学友達の支援や、同僚達の気遣えなどのお蔭であり、無事卒業の大きな要因でもある。

 卒業式は入学式同様に中学校の体育館で行われた。来賓には市の幹部や市内の全日制の各高校と、本高校設立の主団体でもある砿業所の所長などが出席していた。
 卒業生総代は現役中卒者の中から選ばれたが、他の一つの努力賞(砿業所長賞)は、4年生3学期はともかくとして、それまでの期間に於ける私の学業態度が認められて受賞した。将に4年間の努力が報われた「努力賞」そのものであった。

 その夜義姉(妻の姉)夫婦が、私の好物のすき焼きで卒業を祝って呉れた。

 蛇足でしたが、卒業アルバムの編集後記(稚拙な文章ながら・・・)を想い出の一つとして記しました。

  ☆ 編集後記
   朝の星の下に働き星の下に人間完成の為に唯ひたすらに学んだ四年間も
  此処に終止符をうつ事になった。
   想えば何と苦しかった事か、何一つとして我々のものも無く、あんなに
  切望していた独立校舎も夢で終わった。そして今仮の母校を去って行く我々の前途には人生の  永劫の悲痛が待っているのだ。
   だが然し四年間の苦楽を共にして結ばれて来た友情は、何時までも心に深く秘めておきた   い。
   風窓打つ夕べに此のアルバムが手にされ、皆さんの追憶の一端として愛されれば我々委員は  幸いである。       昭和31年3月

    ☆ 終わり