畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

衆議院選挙

2012-11-25 19:05:04 | 暮らし

11月25日(日)   いちじ 

晴天の朝。しかし、庭は水溜りが大きい。グチャグチャした庭で、なんとなく、畑に出かける気分にならない。洗濯をしながら、ゆっくりと新聞に目を通す。頭を抱えながらも、振り切って、外に出るが、出荷用の精米などで、済ませてしまう。午後は、集落の行事ということもあり、気を抜いてしまう。

祭典の会計報告を終え、地元の料理屋で、懇親会。まだ、明るいうちに帰り、風呂釜に火をくべながら、キーボードに向っている。

地元の消防団の幹部が話してきた。先日、東北の被災地を視察してきたと。もう十数年以上、消防団の役員をやっているが、例年の視察は、半分慣行だったが、今回は、そんな気分になれなかった、と。それに反して、今この時に、政権選挙などと、全く、訳が判らないと、一滴も酒を飲まない彼が、となりにすわり、途切れることなく、話し続けた。おかげで、喉を潤すことはできても、胃に放り込む間もなく、合いうちを打ち続けざるを得なかった。

前回は、選挙の大義はあった。政権交代だったが、私は、自民党の政権に終止符を打つ、ことの意味が大きいと思っていた。その後は、バラ色ではなく、混乱だと思うが、まだその方がましという選択だと思った。新しい方向に進むには、それはつきものだと思った。しかし、多くのマスコミも、そして、世論と称するものも、新しい政権の、ちょっとしたつまずきを、今までと同じように、たたいた。その結果が、一年ごとのトップの交代と、変わることのない支配機構の延命と、再活性をもたらしたと思っている。

だから、今回は、選択のしようもないほどの、価値の細分化と、独裁とも言える権力の集中での、現状打破を望まざるを得ない状況だ。現状の継続にはうんざりだ。しかし、自民党政治の再現は二度と許したくない。大阪発の第三局は、不気味な不安要素を抱えている。冷戦時代から続く革新政党はどちらも賞味期限切れでゴミ箱行きだ。もう一つの第三局「B」といわれる流れぐらいが、無難と思わないでもないが、こちらは、古い政治屋グループの集まりという感をぬぐえず、人気はない。

さて、どうしたものか、全く分からない。