畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
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食、農への思い

惨事なのに

2011-03-14 20:01:29 | 暮らし

3月14日(月)   のち 

ハウス内片づけ。育苗プール作り。

被災地では、言葉にもならないような被害の実態が、次々と明らかになってきている。原発の事故も解決に向かうどころか、悪い方へと進行している。第一原発では、負の連鎖のように、一基また一基と、炉心の熔解が起きている。一号機の熔解が起きた時点で、他の二基に対して、対策を立てなかったのだろうか。とにかく、東北三県では、悲惨な状態が続いている。

昼に、弟から電話がある。米の注文だったのだが、住んでいる埼玉の状況を聞いた。バス会社に勤めているが、通勤の車に、ガソリンを入れることができず、今日は帰れるが、明日、出勤できるかどうか分からないとのこと。ガソリンスタンドには長蛇の列。すでに閉店している所もあるそうだ。スーパーにも、マイカーや買い物客が押し寄せているという。シャッターが開いていないのに、そんな状況だという。都会は大変だね、と電話を終える。

午後、ホームセンタに買物に出る。作業に必要な材料の購入のためだ。カートを押しながら、何時もと違う雰囲気に、アレ!と思う。ガラーンとした陳列棚が続いている。被災地に物資を送るために、入荷していないのだろうかなどと、間抜けに思って歩いてゆく。と再び、ガラーンとした棚。何の棚だろうと思ってみると、ガソリンの携行缶。先ほどの棚はと、確認すると、トイレットペーパーやティッシュの棚。そして、乾電池の棚も何もない。そばには、買い物かごに半分近くも電池を入れたおばさんが。

帰って来て、連れ合いに話す。連れ合いが言うには、隣の人が、珍しく、歩いて出かけるので、「ウォーキング!」と声を掛けたという。帰ってきたのは、「ガソリンスタンドが、もうみんなしまっていて、買えないので、歩いて、孫を保育園に迎えに行く所」

都会だけではない。こんな地方の農村部でも、買占めが始まっている。

今、東京に住む、野菜のお客さんから電話。「申し訳ないが、お米を送ってほしい」とのこと。スーパーにも米屋にも米がないのだという。

被災地では、一日に、一個か、二個のおにぎりで、飢えをしのび、ボランティアとか、助け合いとかで、その日その日をすごさなければならないののに。

今すぐに必要ないものを、金にまかせて、買い占める。それを使わずに捨ててしまわざるを、得なくなるかもしれないのに、こうして、衝動的に買い占めてしまう。

さもしいことだ。

が、このさもしさも、ボランティアの気持ちも、どちらをも持っているのが、我々だ。その時の状況で、どちらを表すことになるのかだけの違いだ。