畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

減反させておいて

2011-03-16 18:36:57 | 暮らし

3月16日(水)  ときどき  いちじ 

ハウスの片付け。最後に残っていたシュンギク。今日の出荷用に摘む。そして、引っこ抜いて、鶏小屋行きに。苗を作るために、きれいに空けなければならないから。そして、苗床作り。二つ目も完了。後は、プール用のポリシートを被覆すれば、苗を並べることができる。18日に、種蒔を予定しているが、めどがついた。

福島では、一向に好転しない状況が続いている。悪い状況は広がり、かつ、悪化は深刻化している。もう、何でもよいから、最悪のことだけは避けるために、何でもしてほしいと、祈るような気持ちで、ただ、見聞きしているしかない、もどかしさを感じるだけだ。テレビにアップされ続ける、記者会見の顔と言葉の、他人事の様な、その軽さ。現場を見に行って来いと、云いたいのは、私だけだろうか。(官僚や、企業側でなく、自らの言葉で語る、そのための政権交代ではなかったのか。)

一方、さもしい買占めは、相変わらず続いているようだ。今日の宅配の集荷車、久しぶりの、満車状態。大部分が、米だという。ここは、水田中心の農村地帯。都市に住む子供や兄弟に頼まれて、米を送るのだという。近所の人も言っていた。盆暮れぐらいしか米を送っていない、横浜の親戚から、米を売っててくれと電話が来て、今送ってきた所だ、と。

米を食べなくなって、農家は減反=米を作るな=米は高すぎると、非難されてきた。そして、政府に対しても、農業に対して、補助が多すぎる、農家の甘やかしだと、批判してきた。(補助の在り方とか、政策的には、かなり問題もあるが) そして、現在の日本全体を見れば、米は、かなり余っている状況だ。余らせている。そんな現状を作っておいて、ただ、自分だけが、喰えなくなると困ると、必要以上に、米を買い占める。買いためる。少し状況が収まると、再び、陳列棚には米の山。流し台の下に押し込まれた米は、時間がたつと味も落ちる。邪魔になった米は、燃えるごみ。ごみ処理費用を増やすだけの買いだめ。(米の無い陳列棚を見て、不安から、実家にSOSも、同じことか?)

もう一つ。食べものがなくなる、という不安の原因は、都市生活者の、日常生活の中に、ストック=備蓄しておくという習慣がないことだと思う。おいしく食べたい。新鮮なものを食べたい。家の中に物を置いておきたくない。家が狭い。などと、自分勝手な理屈を作り、お金さえあれば、何時でも、どこでも、買ってこれる、都市の日常に麻痺していることだ。だから、何かあると、すわ一大事と、スーパーに掛け込むことになる。地震が起きたのは、11日だ。まだ、5日しか経過していない。自身の生活の脆弱さ、自立していない、他者頼みの生活であることを、しっかり認識することが必要だろう。

都市生活者に、かなりきつい言い方になったが、農村でも同じことだ。スーパーでは、トイレットペーパーや、乾電池はすぐ売り切れ、ガソリンの買いだめから、制限販売は続いている。日本人全体の問題なのだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする