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逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



距離的に近い、松本市の今井で観測以来の最高気温更新とかTVでやっているが、さすがに今日は暑かった。今年初めての猛暑日だ。


なにもやる気が起きず、朝9時半に窓を全部閉める。(そう、窓を閉めれば暑い空気が入らず、扇風機で何とかなる。空気は全熱交換器経由で新しい空気が入ってくる。)
12時頃、南側のシャッターを閉めるも、室温が30℃を越えそうになったので、12時半にクーラーをON。
16時半まで、4時間もクーラーのお世話になってしまった。

でも、17時半になれば、もう外も30℃以下で、湿度が低いので、これから水撒き、農作業、夕方の散歩と日常活動に復帰できそうだ。
標高750mの田舎の良い点は昼間は暑いが、夜は涼しいこと。
35℃の猛暑日となった今日も、19時には25℃になったので、今日も熱帯夜とはならず、扇風機を1時間もつければ、眠れそう。



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8/12、8/13と9時~10時頃、ウッドデッキの上に寝っ転がってペルセウス座流星群を観測した。8/12は途中から雲が広がり1個しか見えなかったが、8/13は30分の間に4個ほどの流星をみることができた。その内、最初に見えた流星は全天の1/5ほどの長さで、北から南に流れて行った。


8/13は8年前に瀕死の重傷?の大腿骨骨折した因縁の日。これを機会に、良い事が起こるよう祈念しておいた。



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ロードのCayoに取り付けてあったトップチューブバッグが大分破れて、みすぼらしくなっていた。ダイソーでスーツケースによく似た、衝撃吸収、セミハードケースを300円で買ってきた。



以前のバッグはJALのアメニティーバッグを改造したものだが、最近の大判スマホにはチョット小さく、無理をしたら、破れてきたもの。


大きさ的にはそれほど変わりないが、厚みがあり、しかも防水、セミハードケースなのが嬉しい。



新品にナイフでベルクロを入れる切れ目をつけ、固定用ベルクロを旧バッグから移植。



トップチューブ上に取り付けてみた。



分厚いが、なんとかトップチューブの上に落ち着いてくれた。スマホ、財布、カメラと色々詰め込んでも、まだ収納能力ありそう。



これで、バックポケットに入れていて、湿気でカメラやスマホをダメにする可能性を大分減らせるし、背中のポケットに色々物が入っていないので、走りやすくなる。




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使用頻度が減ったとは言え、Windows XPでなければ使えない場合とか、匿名性を守りたい場合に使っている12年前のWin-XPパソコン、ASUS 1000HA、最近冷却ファンの音がうるさくなっていた。外からファン回りをエアーブローしたのだが、症状が改善しないので、分解修理へ。
我家にある稼働PCの中でも、最古参2番目のこのPC、デジタル機器にしては堅牢で、長時間の稼働にも拘わらず、今までに故障らしい故障なし。HDDやメモリーを交換したことはあるが、本体分解は初めて。
電池を外し、HDDを外し、裏蓋のネジを外して、キーボードも外す。


これで、分解できるはずと合わせ目に爪を入れてみるも、分解できる雰囲気に無い。よく見ると、Warranty Void のこのシール。破って、下に隠れたネジを外して、ようやく分解できた。


冷却ファンの周りを見ると、プラスチックの破片が多数、そして、あるべき所にプロペラの羽根が無い。


あらまあ、冷却ファンの羽根がすべて折れているよ。  どうすんべ? ファンを見つけて取り換える? → 12年前で部品は?  羽根を数枚接着して使う? → 羽根車のアンバランス騒音や疲労破壊は?  CPUがATOMで発熱は少ないし、CPUに大きな負荷のかかるような使い方はしないので、このまま破片たけを片付けて、再組立てにすることにした。

完全に修復できた訳では無いが、30℃の室内で1時間動作させても、異常はなかったので、これでOKとしよう。


ところで、Dynabookも完全にシャープ傘下になった事だし、我家の稼働最古PCである19年前のLibretto L2 の動作も確認しておこう。



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最近安さだけで買ったC国製のLiイオン充電電池が充電中に発火事故を起こす例がメディアで警告されている。有名なのはダイソン用の充電池で保護回路がいい加減なやつ。

グラフや他のネット情報から見て、去年の重大事故の過半がSHENZHEN OLLOP TECHNOLOGY社製 のダイソン用互換バッテリーと思われるが、工具やPC、モーバイルバッテリーなど、ワット時が大容量のバッテリーパックで事故が多いようだ。

密林で買う時、評判欄を詳細に読んで、最安値ではなく、評判が良く、日本にきちんと営業拠点があるとおぼしきブランド(AndioとかRowa)を選んではいるものの、一抹の不安はある。何しろPSEマークなんて何の保証にもならないのだから。
そこでセーフガードとして、充電器の前にセルフタイマーをかませ、充電時間を制限しているのだが、最近バッテリーパックが増えているので、タイマーを増強。
廃家電から取り外した1時間タイマーとコンセントを箱に入れ、


動作確認後、密封。


ラベルを貼り付けて、充電用1時間タイマーの完成。これで、Ni-MHもLiイオン電池も安心して充電できる。



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買ってから長い時間が経つが、あまり使っていなかったこの長靴。草刈り機で草を刈った時、飛び散った草や小石が靴に入るのが嫌なので、上端に紐の付いたこの長靴を最近使い始めていた。乱暴に脱ごうとしたら、大きく破けてしまった。


使用頻度は低かったのだが、ゴムがだいぶ劣化していたようだ。まだゴミ箱に行かせるのは忍びないので、パンクしたMTBチューブを切ってパッチを作り、自転車ゴム糊で貼り付け、Fクランプで接着、固定する。


半日放置して、Fクランプを外して、、、直った!!ツギが当たっていて、見てくれは悪いが、まだしばらくの間は草刈りに使えそうだ。


でも、水仕事用に、新しいゴム長も買ってこなくては。



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朝、寝ぼけ眼で新聞を眺めている時は、オービチュアリを見事に見落としていた。だって、見出しが山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチの原作者 死去」だったんだもの。8/5に亡くなったのをネットニュースで見て初めて気が付いたしだい。

「幸福の黄色いハンカチ」と言えば、私には有名な日本の映画より、ジョン・フォード監督の西部劇「黄色いリボン」だった。劇場で?、TV放映で?、いつ見たのか、内容も定かではないのだが、主題歌(実は、古い民謡らしいのだが)が子供の耳に残っていた。



さらに20歳台によく聞いたドーンのこの曲は70年代の刑務所帰りのベトナム帰還兵の物語として、耳に残っている。

この曲は、Pハミルが1971年に書いた”Going Home"にプロットがソックリで訴訟騒ぎにもなったらしいのだが、そんなことは後に知ったこと。

彼の本をよく読んだのは、1990年代。せっかく米国の大学を苦労して卒業したのに、1987年のココム事件のおかげで、おぼろげながら抱いていた米国で仕事をするという願望は、東芝に務めている限り遠い夢となってしまった。転職すると言うオプションもあったのだが、学費を出してもらったという一応の恩義もあり、国内の工場で生産管理、製造技術の中間管理職の職務を黙々とこなしていた私の1990年代、米国への憧れと共に読んでいた本の一つがニューヨーク・スケッチブックだった。


常盤新平訳のアーウィン・ショー「夏服を着た女たち」も素敵に思えたが、やはり時代が少し前。それに比べると、Pハミルには同時代性を感じていたのかもしれない。バブル真っただ中で、ひょっとして、10年遅れで東京もNYのようになるのかなどと思っていたら、東京スケッチブックが出た。短い物語で、1話読むごとに、ニューヨークや東京の一コマが鮮明に思い浮かばせるこの作家はどんな人なのだろうと思っていたら、「イラショナル・レイビングス」が店頭に出た。


これを読んで、なぜ私がPハミルに惹かれたのかが分かった。行き場の無い怒り、理不尽なモノ、コトに対する怒り、そういったものを内に秘めながら、周りの人々に対する暖かい観察眼を持ち続けた彼に惹かれていたのだった。

本棚から取り出したこの3冊を再読して、また興味を掻き立てられた。図書館で彼の著作を探してみよう。



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天気予報では晴れて暑いはずが、曇り空のままで、気温が急上昇するとは思われない。遅まきながら漕ぎだしましょう。さて、どこへ? 近場でヒルクラの練習してきましょう。
岩垂から今井経由、山形へ、清水高原(きよみずこうげん)へ。
唐沢蕎麦集落の10%超坂、一直線でヤビツの蓑毛の坂のような感じなのだが、なんとか登り、集落の切れた所まで登り、ひまわり撮影を名目に足つき休憩。



山形村の上水道水源の一つ。上から順番に沈殿槽なのだろうが、浄水なんかしなくてもそのまま飲めそうな透明度だ。


下部の10数%越えの直線坂をなんとかやり過ごし、斜度は少し緩くなったものの九十九折れの坂を登って高度を稼いでいく。


着きました、標高1300m、清水高原のスカイランドきよみず。


さらに、上の別荘地に続く道を登り始めたが、あまりの傾斜と凸凹コンクリ舗装に負けて、すぐ撤退。


少し下って、以前来た時に見逃した清水寺(きよみずでら)に寄って行きましょう。



京都の清水寺の前身だという言い伝えもあるとか?のこの寺。



標高1200mの山中にある檀家の無い、密教/修行寺であるが、山形村+αの有志のサポートにより、境内は綺麗に整えられている。気温は22度と下界より数度低いので、まだアジサイが満開。


本堂は小さいが、この境内は訪問する価値があると思う。


門をでた所に、昔は展望台があったのだが、老朽化で取り壊されている。でもここから松本平が一望できる。今日は湿度が高く靄がかかっているが、眼下に山形村から松本市に繋がる市街が見える。



さあ、長い下りを楽しみましょう。
木陰の道は整備されていて、交通量が少く、ダウンヒルには最適。ただし、道の中央は苔が生えているので、スリップしないように注意が必要。



涼しかった1300mから700mまで下ると、気温は30度近く、下りなのに汗が噴き出してくる。
途中で百均で買い物休憩し、帰宅。距離は41kmと短かったが獲得標高780mとしっかり運動のできたサイクリングだった。





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孫に芋堀り体験をさせるという名目でジャガイモ掘りを延ばし延ばしにしていた。しかし、お盆の帰省はなくなってしまったので、なんとかせねばならない。
この所、自堕落な生活をしていて、朝早く起きるのは苦手になってしまっている。しかし日差しの強い日中にやるのは自殺行為なので、6時に起きてジャガイモ掘りに取り組む。


男爵、メイクイーンと収穫して、



あと残りはきたあかりの2列。

雑草が茂ってきて、ジャガイモの株のありかが不明ぎみだが、スコップで慎重に掘り起こし、今年のジャガイモの収穫も終わり。


物置きに奥から、男爵、メイクイーン、きたあかりと保管した。



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7月は長雨で日照不足、トマトもテントウ虫に大分やられたとは言うものの、連日食べきれないほど収穫が続く。
冷凍庫には少量とは言え、去年のトマトも残っている。そこで思い立って、冷凍庫不要のドライトマトを作ることにした。ミニトマトを半分に切って、オーブン皿に盛る。


オーブンで加熱すれば簡単にできるのだろうけど、、、、
先日完成したテラス屋根のすぐ下に一日、日干ししてみた。


カンカン照りではなかったものの、一日で半乾きの状態になった。


後1日か2日干しておけば、ドライトマトになりそうな感じ。だめならこのままレンジにぶち込めば良い。



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車を買い替えたついでに、ドラレコも新しものを付けようかと考えた。プリウスには既にカメラが5コも付いていて、純正オプションでレコーダーだけ追加すればよいのだろうけど、何しろ値段が、、、、安物の記録するだけのドラレコなら2カメラでも3千円くらい、それが純正だと十数倍もする。
密林セールで、最安値ではないが、評判を評価して、1200円引きだったので買ったのがこれ、

後部のカメラ配線には若干手こずったが、


前後カメラのドラレコなら、あおり運転も記録できるので期待していた。



心配したTV,ラジオとの干渉もなかったし、古いドラレコから移動した32GBの高耐久SDカードにも前後の画像がきちんと録画されていて、これならOKと思っていた。
1週間後、ブログに好意的な記事をUPしようと録画を再生すると、リア画像は再生するも、フロント画像を再生できない。プロパティーを見ると、録画時間が1秒しかない。色々思いつく対策、フォーマットとか、ドラレコの初期化とかを試すも、フロント画面の録画ができないことに代わりなし。

仕方が無いので、以前の1カメラのドラレコに交換して、新しいドラレコは密林に送り返した。安物買いだったかなぁ?? でも古いドラレコも2.5千円だったが、まだ動いているし、、、、



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標高750mの我家の辺りは冬が寒く、成虫が越冬することは困難で蚊は居ないと思っていた。梅雨も終わりに近づき、暑くなったこ2週間ほど前、窓を少し開けて寝ていた所、小さな薮蚊に襲われた。
ひょっとして、この間作った雨水保管タンクにボウフラが湧いたかと思って覗くも、それなりの密封構造にしたのが功を奏して、ボウフラの姿は見えず。
植物の受け皿を確認した所、水が溜まっていて、ボウフラが湧きそうなものも見つかった。
それなりに対策してみたが、薮蚊が飛来するのを防止する所までは至らず。毎日雨だったし、家の周りにはヤブもあるし、、、、と言う事で、寝ている部屋に小さな網戸を付けることにした。



40X20の角材をコースレッドで止め、窓枠を作る。70年前の木造家屋の窓枠に嵌まるように、上下の窓枠にトリマーで溝を掘る。



網を張って、窓に取り付ければ、うまい事嵌まりました。小さな網戸の完成。



これで、暑い夏の夜も安心して眠ることができる。



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先日修理にトライした東芝のIHクッキングヒーターBHP-M631S、一応エラーコードは消え、料理も出来はするのだが、火力調整のスイッチが入りにくく、使いづらい。再度分解修理することにしたのだが、防水、防湿の為塗布したシリコーンがきつく固着していて、キッチンカウンターから引きはがすのに時間が掛る。
ようやく分解し、入りにくいスイッチ部分の裏側を良く観察する。


指で基板を軽く押し上げてみると、上に動く。あっあ!!、多分これが原因では? 
非接触スイッチの基板は1cm角の薄いスチロール片(赤い矢印)の上に載っている。基板を上に押し上げてみると2mmほど上に浮き上がる。経年変化でスチロール片が痩せ、非接触スイッチ基板が僅かに下がっているのだ。
試しに、スペーサーを入れ、基板を押し上げてからスイッチを操作すると、小気味よく反応してくれる。
原因発見!! 原因が分かれば対策は簡単。基板を押し上げて固定だ!
牛乳パックの紙を4段に折り畳み、楔を作り、それに両面テープを付けて、基板とシャーシの間に挟み込む。



最初はスイッチ1ケ1ケにスペーサーを入れていたが、右側は一体の楔スペーサーを挿入。


やったね! 今まで体重を掛けて火力調整のスイッチを押してようやく反応していたのが、人差し指で軽く触るだけで、反応してくれる。こうでなくっちゃ。


早速取ったばかりのトウモロコシを茹でてみましょう。


数日調子を観察して、修理がうまく行ったことを確認してから、防水のシリコーンの塗り直し、最終据付をしよう。

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 4ヶ月たった現在も調子良く動いている。
 やはり原因はスイッチが下がったことだった。
 スイッチ部分を上に押し上げ固定すれば直るので、
 同様の症状の方の参考になれば嬉しい。
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今年の西穂独標遭難事故の慰霊の登山は、コロナ自粛や長野/岐阜県境群発地震の影響で登山道が荒れているとの情報にビビり、自主的に取りやめた。なので、数年振りに学校での慰霊祭に参加することにした。
雨がちなら車で参加だが、梅雨が明けたような青空、気温も30度程度と聞けば、学校まで自転車で行きましょう。
高校時代は歩いている女子高生の姿を楽しみに登った10数%の激坂。今でも何とか足つきなしで登って、正門前へ。



途中寄った親戚が不在だったので、ちょっと早く着きすぎた。まだ式まで2時間近くあるので、さらに城山まで登って時間調整をしよう。
松本平一望の絶景ポイントへ。



続いて、公園の展望台へ。常念岳をはじめ、北アルプスの峰々は雲の中。


木陰でしばし涼んで、再度学校へ。
今年は東京からの参加が殆ど無かった一方、学校主催の慰霊登山もなかったので、参加者は多め。皆さん全員マスクは勿論だが、70歳なりの落ち着いた格好で参加。その中で唯一サイクルジャージ、半パン姿の私はチョット浮き気味。変な奴だと思われたかもしれないが、やんちゃなまま16~17歳で亡くなった11人に会うにはこれで良いのだ。

犠牲者の親御さんのT村さんを先頭に、慰霊碑の前に。


しばしの懇談後、私は市内に下り、Beansにて500円でどうずらランチへ。


帰りは追風で順調に帰還。走ったのは51km、こんなコース。




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天気予報は宣言していないけど、この空はもう夏、梅雨明けだ!
定点の岩垂原から穂高連峰は雲の陰で見えないが、常念の頭が雲から飛び出している。


スイカの出荷も最盛期。大きな玉をトラックへゴロン。


西山山麓の果樹園も良いリンゴのみを残す摘果に忙しい。


そんな忙しく働く皆さんを横目に、いつもの山麓線を快調に走って、大町へ。観音橋で高瀬川を渡る。鹿島槍、爺ヶ岳は雲の陰なるも、蓮華岳のどっしりとした三角錐が目前に迫る。


コロナや雨でなかなか来れなかったカイザーで昼食。今日はチキンカツランチ。普通盛りご飯が多すぎたので、小盛に変更してもらう間に、おっと、数片を食べてしまってからの撮影。



さて、ひさしぶりにカイザーにも来れたので、引き返しましょう。
池田町の青く広がる水田の向こうに松本平。


いつもと少し違うルートで、穂高町から拾ヶ堰CRへ。
日差しも強く、大分体温が上がってきた。梅雨から夏への移行時期、熱中症になるのは嫌なので、丁度良い日陰で30分のお昼寝。合歓の木の下のベンチに田畑を渡ってきた、涼しい風が通る。


古くなった木造橋をかけ替えた橋を見て拾ヶ堰とはお別れ。


後は途中でアイス休憩を1回入れ、淡々と走り帰宅。走ったのはこんなコース112km。




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