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逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



シルクロード20年計画の写真展と報告会が下記のごとく行われます。興味のある方は是非参加してみてください。

また、私は休暇が無くなって参加できませんが、今年はシルクロード基点の西安から2週間ほど自転車で走るツアー、キルギスタンのイシクルク湖一周ツアー、ローマからミラノまで走るツアーなどが計画されています。こちらにも注目⇒⇒シルクロード雑学大学

写真展の紹介
タイトル「自転車紀行 シルクロードをゆく」
日程:2月28日(木)~3月4日(月) 9時~20時、(初日は13時より、最終日は17時まで)
会場:阿佐谷ぶらっとりー(杉並区阿佐谷南1-47-17、JR阿佐ヶ谷駅南口下車徒歩2分)入場無料

報告会の紹介
タイトル「ツール・ド・シルクロード20年計画」報告会
日程:3月3日(日)14時30分~17時

参加費:1000円
問合せ:シルクロード雑学大学 電話042-573-7667、nagasawa_horyu○△ybb.ne.jp(○△を@に換えて下さい)

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詳細は行事を紹介した読売新聞の記事

シルクロード雑学大学主催者の長澤さんのブログページ

を参照ください。



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骨折顛末記も、病院で書いている本人は勿論の事、読んでいる人も厭きただろう。

シルクロード雑学大学の第二陣が今週初めから、ザグレブ~ローマを自転車で走っている。

入院中のヒマに任せて、サイクリングマップの作成を請け負った。予定表を見ると、全ルー
トを走ろうと計画した第一陣と趣きを変え、第二陣はおいしい所だけをつまみ食いして走ろ
うという、実にすばらしい下図のような計画だ。

( 下図のダブルクリックで、ルートの載ったグーグルマップへリンク )



予定では今日辺りは、山からアドリア海に出て、海岸沿いを走っているはずだ。

ストリートビューでルートをなぞってみると、真鶴道路の旧道をヨーロッパに持っていって、
風景を明るくし、左にアドリア海の青を眺めながら走るようなコースみたいだ。




しかも、ストリートビューに結構な数の自転車が映っている。
海を見ながら、こんな道路を走ったら、「自転車最高!」だろうな。 あ~ぁ、うらやましい。






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前日の土曜日、家族ポイント獲得、買い物ツアー付き添いで精力を使い果たし、帰宅後
腰痛に加え、咳、扁桃腺痛、熱、頭痛と体調不良症状が襲ってきた。

だがしかし、今日は少ないながらシルクロード雑学大学の一団をヤビツにご案内する約束
である。東京在住者が多いことを配慮して、シマダさんの集合地点とは別に淵野辺からの
出発にしてあったので、ここは体調不良だが、なんとしても、ご案内に行かねばと、自宅
から自走で淵野辺にむかう。

若干1名のDNSを除き、時間通りにY,K夫妻、Sさんが淵野辺に集合。相模川まで一旦
下り、高田橋の河岸段丘を一気に登る。


横須賀水道道のトンネルで涼んだ後、あいかわ公園周辺の近道を通って、宮ヶ瀬ダムの基部
に到達。朝早いので、周囲には観光客など居ないのだが、ここは規制通り、押し歩きで。


ダムの中に入り、エレベーターでダムの天端に一気に120m登る。


で、後は、緑に覆われた裏ヤビツの林間コースで、天国のサイクリングを楽しんでいただく。
実際は350mほど更に登るのだが、景色が良く、気温も低いので休み休みではあるものの
皆さん、楽しく登り、少し予定より遅れたものの、BBQ会場であるきまぐれ喫茶に到着。

うまい具合に丁度BBQが焼きあがったところだ。早速焼きあがりをおいしく戴く。


ヤビツしまだ組の皆さんとも懇談いただき、さらにKさんはヤビツ峠も制覇、BBQに加えて
気まぐれ喫茶の名水コーヒーもおいしく頂いた後、ノンビリと裏ヤビツを味わいながら下る。


吊橋の下では、ヤマメを釣った瞬間も見られた幸運も。


判りにくい新小倉橋をあえて右側で渡り、橋本まで皆さんを送り届けた。


涼しかった裏ヤビツから宮ヶ瀬に出た所でまた頭痛がして、どうなることかと思ったが、
何とか来た道と同じルートで自宅に帰還。初めての裏-裏ヤビツ、峠無しで今日も120km
の走行だった。

wadachiで作ったプロフィルマップと写真集

 



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今日は、島田さん主催の2回延期された還暦ツアーVer三度目の正直版
一応、昨年還暦を過ぎた私も主役の一人だ。

事前情報では宮ヶ瀬のさらに山奥、早戸川に向かうとのことだ。そこで、今日は秘密兵器
「ビーチサンダル」を持参したのだ。これは大正解。
来週の気まぐれ喫茶BBQも河原での開催とか、、ビーサン必須ですよ。


下界では30数度、山奥でも33度を記録した今日は、登りは汗だく、下りでようやく、涼が
取れる。

そんな中、河原で昼食の後は、水遊び、川面を渡る風は心地よい。



還暦記念写真を撮って、その後ノンビリ下界に下る。(Photo by 島田)


走行地図とその他の写真はまた後で

Wadachi で作った地図と写真集、一部軌跡ログ飛びあり



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午後の天気が心配だったので、朝早く我家を飛び出して、北アルプス山麓のサラダ街道を
北上する。畑の中の農業道路を100m登って150m下る楽しいサイクリング。

田舎の風景を楽しんだ後、梓川に辿りついた。



安曇野に入ると、畑から北アルプスを背景とした水田に風景が変わる。
交通量も少なく、気温も低いので、順調に距離を稼いでいく。



穂高でそばと大王わさび園を楽しんだ後、松本城へ。ここで、早く帰るA部さんと分かれた後
残りの5人は私の実家近くの白糸の湯で一風呂浴び、さっぱりしてから輪行帰宅したのであ
った。

詳しいレポートと地図はWadachiで作ったレポを参照ください





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一日目辿り着いたM上山荘でにぎやかな宴会を楽しんだ後、今日は峠を2つ越えて、塩尻
の我家を目指す。

出発時、前夜の雨がまだ残り、本当に梅雨が明けたのかと思われた天気も少しずつ回復
の方向。しかし、富士見峠に向かって高度を上げるにつれて、霧が立ち込めてくる。

本来なら風景を眺めながら、長い坂を登るのだが、景色は全く望めない。しかし、この時期
には珍しい、サイクリングには気持ちの良い気温だ。



茅野で国道を離れ、諏訪湖南岸CRを走る。行く先に見えている山波の低い所が、塩尻峠だ。



午後は雷雨の天気予報でだったし、塩尻峠を下ったところで、ポツリと来たので、塩尻で
食料を調達し、洗馬の我家にむかう。我家でゴーヤチャンプルー、カレーなどで、宴会。
翌日に備えて、早く寝る。

詳細のレポートと地図は下記をダブルクリック



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今日はシルクロード雑学大学の2泊3日信州走ろう会の初日、早起きして鴨居駅に向かう。

駅到着して、自転車を分解し始めると、何か雰囲気が違う。土曜早朝と言うのに随分人が
多い。そんなことはあまり気にせず、テキパキと自転車を輪行袋に詰め込み、改札に向かう
と、「大口駅人身事故の為、横浜線あと1時間運休」、:、、

あせって、自転車を組み立て、鶴見川CRに出て、どこに向かうべきか考える。
新横浜駅: 登り新幹線はもう走っているだろうか?
菊名駅:  都内の乗り換えが面倒そう
片倉町駅: 横浜駅の乗り換え距離長い
横浜駅:  ちょっと遠い
東神奈川駅:少し遠いが、東京駅まで1本  ということで、10kmを飛ばして東神奈川駅
に到着。予定乗換時間より10分くらい早くつき、あとは京浜東北に遅れが無い様祈る。

無事東京駅で長野新幹線の自由席確保、 上野で満席になったので、早く着いて、良い
席を確保できたのは、災い転じて福となった。

濃霧の碓井峠、軽井沢で天候が心配だったが、佐久平につけば、なんとか曇りで雨は
降りそうもない。

旧甲州街道の県道2号をゆるゆると走り、案内人のMさんから、シルク関連とのことで
馬流駅近くの秩父困民党の墓に案内していただく。絹の生産を通して市場経済に組み
込まれた農民がリヨンの絹市場暴落、デフレを機に武装蜂起をおこしたのが、この秩父
困民党だ。


困民党の一部は明治政府との戦いに敗れた後、あの十石峠を越えて、信州に入り、ここ
馬流駅近くで最後をとげ、その「暴徒の墓」がここにあるのだそうだ。

歴史の中の敗者側の墓をきちんと作るなんて、敗者の美学の判る信州人らしい。


さて、こちらは、その昔、設計課長時代に始末書を書かされた、因縁つきの発電所。
水車は何度も工場でみたが、現地を見るのは今回が初めて。

野辺山へのきつい登り。
この辺りではまだ、時折青空が覗くものの、日差しは強くなく、絶好のサイクリング日和だった
のだが、、、


野辺山を通る頃には、豪雨状態。
どこにも寄らず、M山荘を目指す。


と色々あったが、第一日目は無事おわったのであった。

詳しい、写真と地図はこちらから



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今日は一年先輩のKさんが、去年の夏、半年かけてカナダを自転車で横断した時の体験談
をシルクロード雑学大学の講演会でお話いただいた。

旅の詳細は知る人ぞ知る雑誌 New Cycling に1年間連載されているので、もし手に取
る機会があれば、ぜひ、ご購入を。と言ってもこの雑誌、手に入りにくいのだが。

Kさんは単に国道を使って横断するのでは面白くない、まだ未完成のTrans Canadian
Trail 略称TCTを自転車で辿ったのだそうだ。

このTCT、写真を見せていただいた私のイメージだと、失礼ながらサイクリングロードとい
うよりは、東海道自然歩道のように、山あり谷ありの自然歩道に近く、60才を過ぎてから、
一人でテントを担いで走る道の様にはとうてい思えない。




ビクトリアからカルガリーまでは、車で走ったこともあり私も土地カンがあるのだが、氷河で
削られた谷と山を何回か上り下りし、最後にロッキーを越えてカルガリーに至る道だ。
景色は最高だが、足にもきそうな傾斜を舗装された国道を逸れ、をわざとトレイルを走る
それも総重量50kg超の自転車で走るとは、本当にタフな旅だと思う。

さらに、ロッキーを越えても、その後に1万km近い道が残っている、半年、一人で、、、
心もタフで無いと続かない、私にはチョット無理かな?

とは言え、テントを持っての自転車一人旅には引かれるものがある。
帰りに東急ハンズによって、グレートジャーニーの前輪にバッグを2つ取り付けられるフロン
トキャリヤを買ってしまった。



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今日は一日打合せで、クタクタ。サァ~と泳いで、その後プールサイドでうたた寝。

この位の役得はOKだろう。



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色々な人から教えてもらった、サイクリングにのめり込んで、数年、

今だ、お仲間に助けてもらうことも多いのだが、定年後サイクリストの代表例のよう
な形で、下記の記事が今日の朝日新聞朝刊に載った。
とは言え、神奈川地方版なので、読者は限られているのだが、、、

朝日新聞関係者に売り込みをしておいたせいか、それとも、ローマから帰って興奮
状態で色々しゃべった内容が興味を引いたのか、インタビューで話した内容の部分、
部分をうまくまとめて記事にしてくれた。



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今日はシルクロード雑学大学の利根川/見沼代用水サイクリングに参加すべく、朝早く
家を出た。横浜では、ラッキー!、 一本早い、湘南新宿ラインに乗れた!
(今思えば、これが今日の悲劇のはじまりだったのだが、、、)

昨日、駅探で調べたら、湘南新宿ラインなら、横浜から熊谷まで乗り換えナシ
高崎線経由の方が少し早いけれど、上野での乗り換えは面倒だ、一本で行けるなら
湘南新宿ラインだ、、、のはずだった。

大宮を過ぎてから、何か知らない名前の駅が続く、、、、、え~ぇ、、、湘南新宿ライン
て高崎線を走るんだよね、東北線を走るの?ウソだろう、、、、、、で小山の少し前から大宮
に戻るはめになった。大宮から高崎線で熊谷へ。集合時間の30分後である。

あせって、次の集合場所シルク記念館はどこ?とGPSを見ながら自転車肩からおろした
ら、GPSを弾き飛ばし、あわれGarmin Edge 705はコンクリートの上に落下、液晶画面
が割れてしまった。

なんとか、シルク記念館を見つけ出し、皆さんに追いついた後の写真が以下のもの。


利根川のサイクリングロードを走る。若干逆風だが気持ち良い!!サイクリング最高。



次は、B級グルメの昼食を調達、「フライ焼」である。

 その中身は、お好み焼き?  フライパンで焼くからフライ焼? でも鉄板で焼いていた
との証言もあり???? フライは謎のままである。


昼食も終り、日本の女医第一号、荻野吟子 記念館 の前で集合写真。

利根川から離れ、見沼代用水に沿って南下。
見沼代用水は上流が太く、水量が豊かな大きな流れ、それが下流に行くに従って、
川幅が細くなり、水量も減っていく。川ではなく、用水なので当たり前だが、流れに沿って
下っていくと水量が減っていくのは、なにか奇妙な感覚だ。 

用水脇のサイクリングロードも大宮に近づくと、緑のトンネルを抜けていく、気持ちの良い
CRになっていく。 

 と走った軌跡がこれ。詳細マップのリンクはまた明日。



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4/10から休みを取り、4/27に帰国、そのままGWに突入したので、職場復帰したのは
ほぼ1ヶ月振り。何とか忘れられず、PCと机がそのまま残っていたのでホットした。

抱えていた緊急の仕事は、ボス自らが出張して半分片付けてくれていたが、それ以外の
緊急を要さない仕事は当然山積みのまま。1ヶ月のメールの必要部分を読んで、仕分けをし、
何とか目処がついたかなと思った7時頃、突然左足が攣りそうになった。

あせってマッサージして、何とか大事には至らなかったが、自転車旅行は1週間以上前のこと、
GWは帰省して、庭仕事だの荷物の移動だので過ごしただけなのに、60を過ぎると、
筋肉疲労は1週間後に現れるのか?

ブログ記事も溜っているのをなんとかしないといけないが、今週末、天気は良さそうなので、
裏ヤビツの新緑でも眺めにポタ/回復走にでも出かけようかな。



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今日はいよいよローマに到着する日となった。しかしまた天気が思わしくない。
ロンチリオーネの町を走り抜けて、一旦丘を下る。

ローマが近くなったせいか、大きなバックをつけたサイクリスト集団もチラホラ見かけるよう
になってきた。

下ったら登り、ブラッチャーノ方面に向かって登るのだが、行く手には黒雲が。 

なんとか、雨も上がりつつあると思ったら、パンク。 

今日は、ローマの市内を走ってパレードランでコロッセオあたりに辿り着きたい。
で、昼食のレストランをキャンセルして、スタッフ手作りのサンドイッチを湖畔で齧って先を
急ごうとしたら、またパンク。

まあ、あせってもどうしようもない、最後の一日を楽しまねば、パンク修理を待つ間、
ローマの松を背景に写真撮影。

 
晴れていれば、気持ちの良い湖畔を背景にしたサイクリングなのだろうが。
一向に雲が切れる兆しが無い。 

もうすぐ、ローマ郊外の第一最終地点が近い。



で、郊外の町で、一旦中締め。20年間走り続けてきた、長澤さんに20周年のケーキが
送られる。ああ、これで楽しかったサイクリングももうほとんど終わり。
達成感より、寂しさのほうが募る。




ローマの町中の道は狭く、交通量も多い。
一旦自転車をトラックに収納し、我々はバスでホテルまでバスで向かう。



でもやはり、最後はローマの中心まで走りたい。ホテルにチェックイン後、4人づつのグループ
に分かれて、GPSを頼りに、コロッセオを目指す。市内は凄い混雑で、しかも道も狭い。
出発時はそれなりに纏まっていた全グループも4人の1グループを維持するのがやっと。
私のグループは、バス優先レーンを走る地元高校生の後を付いて、コロッセオ一番乗り。

コロッセオ前ではさすがに観光客が多く、ローマまでの完走を祝って、みんなで騒いでいる
と、色んな人が寄ってきて、何しているの、、と覗いていく。



ホテルへの帰り道にサンピエトロ大聖堂前の広場に寄る。もう夕方なので、参拝者も少ない
広場で喜んで走り回っていたら、バチカン警察がこちらに来る気配。
あわてて、ホテルに逃げ帰る。



走行図と写真集はまた後で。



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そろそろ旅も終わりに近づき、疲労が溜って来た。こんな時に天気が崩れてくれれば、と思う
が、そんな時に限って天気が良くなるらしい。

谷底の平坦な道の両側に丘が連なり、丘の上には小さな集落が点在する。谷底の畑は、
耕されたばかりで、種まきを待つばかり、丘にはブドウ畑やオリーブ畑の新緑が美しい。
あんな丘もヒルクライムの練習には良いだろうな。





と思っていたら、谷底を離れて、丘の上に至る道を登る道になった。目前に向こうの丘の町が
見える。


こちらの丘の町の中を走り抜ける。ジロディタリアなどの中継で見慣れたような町並みの中
を走り抜けると、


そこには、次の丘との間の谷に向かう、素敵なワインディングロードのダウンヒル。

 
ブドウの新芽が出始めている谷底で、次の登りに備えて一休み。

 
とは言え、今日の昼食はオルヴィエート、おいおい、あの直登ルートの先、山の上かよ。

 
と思ったら、山の麓、オルヴィエート駅前のリストランテだった。

昼食後、その駅前のリストランテの横を見ると、FUNICOLAREの文字が、そうフニクラ♪フニクラ♪
の登山電車/ケーブルカー、たった1ユーロで山の上までいかれるのですよ。

 
丘の上は、中世の町。おみやげ物屋さんばかりだけれど、それを視界から外せば、数百年
前と同じ町並みだ。 

 
丘の上のドゥオモは黒と白の石を交互に積層した、美しい聖堂だ。


丘の上からは、駅の周りの新市街も見下ろすことが出来る。あの山波を越えればもう
ローマはすぐそこだ。 

 


モンテフィアスコーネに至る山上はまた牧草地に変わる。丘の向こうにちょっとだけ、
ボルセーナ湖が見えた。 


モンテフィアスコーネの町も見たかったのだけれど時間が無い。町から一直線にダウンヒル、
きょうの宿泊地ヴィテルボに向かう。 


そして、ありました、フィレンツェ→ローマを結ぶカッシア街道の終わりを示す、道路標識。
ここからは、フラミニア街道に合流するので、SR2=カッシニア街道はここで終わり。
ああ、もう旅の終わりも近い。 


詳細な地図と写真集、GPXはまた後日UP予定。 

 



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今朝も曇り空の中を出発。シエーナの町は坂だらけで、出だしから階段を自転車を押して
登る。これで、先導役のディービットとはぐれてしまい、彼が計画していたSS438ではなく
SR2を走ることになってしまった。

いつしか雨は降り始めるし、郊外は良いものの、古い町並みに入ると、道幅は狭く、交通
量も結構あり、走りにくい。



でもこれが私的には大正解。SR2とはVia Cassia、あのカッシア街道の別名ではないか。

シエーナからローマに向かうローマ街道の一つ、カッシア街道の上を今、自分は走っている。
土地が平坦な場所では一直線に、丘陵部では等高線にできるだけ沿い、軍馬が走り易
いように丘の向こうへと道路が延びている。

かってこの道をローマ軍が、そして、ルネッサンス以降は多くの文人墨客、有名人、無名
人が歩いたのだ。



1時間半ほど雨の中を走っただろうか、SR2から逸れ、田園風景の広がる丘陵地帯を
東上する。

サポートカーと連絡は取れず少し困ったが、非力なメンバーには、ターボアシスト付きで丘を登れ
ば、何時しか小雨は上がり、路面も乾いてくる。




丘の上にでれば、そこは世界遺産になってしまった、オルチャの谷が回りに広がっている。
牧草地、麦畑の向こうに農家がポツリボツリとある。


黄色いのは菜の花ではなく、牧草地。


一旦、丘から谷底の町標高と下げていく。信号の無い、車の少ない、周りが一望できる
牧草地の中を、前方一杯に広がる谷あいの風景の変化を楽しみながら下る。


また坂を登ると、牧草地から小麦畑に風景が僅か変わり、この地方に多い糸杉に囲まれた
農家もあれば、明らかに農家ではないビラ風の大邸宅が点在している。

 


青空が広がってきて、ブドウ畑の向こうには平原が広がり、さらに地平線へと繋がる
稜線上には城砦都市らしきものが見える。あれは今日の目的地、モンテプルチャーノ
だろうか?


モンテプルチャーノを南西に望む地方のレストランで昼食。せっかくのモンテプルチャーノ
を眺めながら食事と思ったのに、どういうわけかこのレストラン南西の方向に窓が無い。
日差しがきついのだろうか。

オルチャの谷を見下ろす城砦都市モンテプルチャーノを1時間で駆け足観光。
伝統とか、歴史の重みに耐えて生活していくのも大変そうだ。こんな街に住んだら、
考え方も、ライフスタイルも大いに変わるのだろうな。


モンテプルチャーノから丘を下り、イタリアの温泉保養地と思われるTermeの看板が
沢山ある町を高速度で抜け、今日の宿泊地、キウージに向かった。


Wadachiで作る詳細地図と写真集、GPXはまた後日UP。

 



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