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逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



今日も天気は安定しないが、走り出すしかない。
登っていく丘の先には、青空が広がっているが、写真右側の西の空からは厚い雲が流れ
手来ている。




しとしと雨が降り出した頃、高速のローディー集団が何組か我々を抜いていく。
さすがイタリア、雨基調でも週末にはこんなに自転車乗りが走るんだと感心しながら、
こちらはノンビリスピードで丘を登っていく。




雨脚が強くなった頃、後ろから白バイ、パトカーが何台か上がってく。その内に観戦者は
道路脇に上がれと英語で言われる。

なんだ、ナンだ、どうもレースのようだ、と騒いでいると、100人を越える自転車が高速で
坂を上がってきた。




凄い坂なのだが、レース開始間際に降っていた雨も止んだので、ウインドブレーカーを脱ぎ
ながら、坂を曲がっていく選手もいる。時速は30kmを越えているだろうか?




後で聞くと、このレースはこの頃毎週末行われている、ジロイタリア向けの、選手選抜
レースであるらしい。イタリアでレースを見られるなんて、なんて幸運。


道路全面封鎖で渋滞していた車が行った後は、またもとの交通量の少ない山道に戻る。
鄙びた山村をノンビリと登っていく。


で、登りがあれば、当然楽しい下りも。




天気も回復して、青空が広がってきた。




で、シエナに到着後、市内観光。さすがにここまで来ると、中国人団体観光客は少ない。


詳細マップと写真、GPXはまた後日UP.




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ボローニャとフィレンツェは距離的には100kmをもないのだが、その間には標高1000m
を越えるアペニン山脈が横たわってる。そこで、今日はウサギ組とカメ組に班を別け、私
他の6名は麓から、有名な2つの峠を越える事にした。

走り始めは夜半からの雨も上がり、青空も見えていたのだが、標高が上がるにつれて、雲
が多くなってくる。

背後にアペニン山脈の岩山と登ってきた道、村が見える。



展望台からは、はるか下に広がる牧草地、ブドウ畑、麦畑が色取り取りで美しい。




しかし、のんびり風景を楽しんでいられたのもその辺りまで。標高700mを越えたあたり
から、雨脚が強くなり、買ってきた100均の雨合羽を着るも、低温のせいで、合羽は破れ、
ほうほうのていで、第一の峠、RATICOSA(ラティコーサ)峠に到着。フィレンツェまでは
まだ58kmもある。




さらに1時間も上り下りをこなしただろうか? 6人のビリッケツでFUTA(フタ峠)に辿り着
いた。



今日は、峠でピクニックランチの予定だったが、標高900mと雨で体感温度は2~3度。
堪らず峠のレストランに飛び込むと、そこは、数十年前ヒルクライムレースで活躍した、
オーナー一族が経営する、サイクリスト、バイカー向けのレストランであった。

もう80近いオーナーと、平均年齢60代後半の登坂者で記念撮影。




FUTA峠を越えれば、その向こうはフィレンツェ。しかし、まだ雨雲に覆われている。


100KM弱、最高高度1000M越えの全行程を雨の中自走して、フィレンツェに着き、
その後、市内観光、食事と強行軍の一日であった。

いつもの如く、ビリではあったが今回のルートのヒルクライムハイライトであるラティコーサ
とフタを自走で超えられたのは、大きな収穫であった。

詳細の地図、写真、GPXはまた後日upの予定



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 今日はポー河下流域の平坦な地域をボローニャに向けて南下するだけ。
ラクチンな一日だ。運河沿いには道路と分離したサイクリングロードが整備されていて、
走りやすい。 


昨日走る予定だった、ポー河左岸の河岸道路に上がり、上流に遡行する。




再び運河沿いの田舎道をのんびり走っていたら、後ろから抜いていく女性ライダーと出会
う。「良いバイクに乗ってるねえ」と褒めたら、あんたもスコットの新品バイクじゃんと褒め
返された。
「実はこれレンタルバイクなんだ」というところから始まって、どこ行くの:ローマ、どこから
来たの:東京、、、、と、数分楽しい会話をさせてもらえた。

 
で、今日の昼ご飯は、町全体が世界遺産のフェラーラ。
エステ家が作った町の中心、エステンセ城には春の研修旅行の学生で溢れている。

 




石畳の道は35mm巾のクロスバイクのタイヤでも、かなりショックが大きいが、自動車乗
り入れ制限や、道路巾の狭さから、地元の人は器用に自転車を乗りこなしている。




フェラーラではかぼちゃリゾットと豚肉香味付けソテーをおいしくいただいた。

目的地ボローニャを目指し南下を始めると、前方には不吉な感じのする黒雲。中心のみ
に光があり、その周辺は黒く雲が渦巻き、雨と思われる紐のような薄黒い雲も地上に降
りてきている。

数分後、突然降り出した。堪らず雨具を着け走り出すも、雨脚が強く、近所の軒下に避難。
雨は強くなるばかりだし、ボローニャも見たいので、今日はここで走行中止とした。



夕食はボローニャ中心でということで、その前に駆け足で市内観光。マッジョーレ広場にて。

ここも太い道と家と家の間をすり抜ける細い道が入り混じっており、GPSなしには歩けない。
メンバーの一人は、夕食の集合場所に辿り着かず、皆さん心配された。


詳細な地図と写真はまた後で。



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朝起きると、空には雲が広がり、朝焼け。
昨日水上タクシーに乗った波止場の横から、リド島に行くフェリーに自転車ごと乗る。
ここからはサポートカー無しなので、自転車を点検すると、一台スローパンク気味の
ものがあったので、チューブ交換。フェリーは毎時15分にしか出なので充分時間が
ある。 

 
フェリーに乗ると、自転車を固定する場所が無い。どうするんだと船員に聞くと、その辺りに
横にしておけば良いとの返答。心配だ、、、

がしかし、湾内は波も無く、フェリーも大きいのでほとんど揺れない。快適な船旅である。
その上、車も乗るフェリーの高い船橋から、ヴェネチィアの町を眺めながらの船旅だ。




リド島に上陸して、昨日見た聖マルコ大聖堂を背景に記念写真。


リド島は真平らな砂洲の長い島。地元のライダーが高速で我々を追い抜いていく。 




我々は海岸沿いを対岸を眺めながら、のんびりとクルーズする。天気も回復してきて、
完璧なサイクリング日和り、傾斜も無く、風景は、、、、言いようの無いリゾート風景。


水平線の向こうには蜃気楼がちらちら見える。
リド島は漁業の町でもあり、波の全く無い漁港には貝採りの漁船が並んでいる。
スパゲッティボンゴレが食べたいな。


イタリア本土のキオッジャの町に上陸して昼食。イカと小海老のフライ。

 
オリジナルの計画ではポー河のサイクリングロードを走る予定だったが、距離が長く
キオッジャからの南下ルートが交通量が多いので、ロヴィーゴに直接向かうAdige
川の堤防を走ることに変更。

川めざして走っていると、一面に菜の花が広がっている。

 
アッジ川の堤防を追い風を受けて高速で巡航する。 

 
で、海上も含め移動距離は100km超、実走行76kmの爽快なサイクリングであった。


詳細地図と写真はまた後でUP

 



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快晴の陽光の下、ヴェネツィアを一日観光。
詳細はその内UP、まずは画像のみ。



















 



 



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走行4日目となった今日も、朝から雨、走る意欲を削ぐ天候だが、予定通り出発
地のアクレイアに向かう。前方に青空が見え、期待を高まらせるが、雨脚はいっ
こうに弱まる気配が無い。

出発地のアクレイアに到着、なんとか雨はポツリ程度、ウインドブレーカーのみ
で出発することにした。自転車ガイドのデビットは海に向かって右に行けばサイ
クリングロードだと教えてくれるが、左側にある世界遺産のアクレイアのバジリ
カを通り過ぎる手は無い。
CR沿いには遺跡の発掘現場がそこかしこにあり、写真
を撮りたい方も居られるが、まずバジリカへと、先を急いでもらう。

 
で、バジリカはすごかった。キリスト教以前に建てられローマ神殿の床の上に、
これも神殿の柱を利用したと思われる柱が林立し、その上にキリスト教の公会
が建設されている。

 

サイクリングロードは表面が砂地の軽舗装で、我々が今回レンタルしたクロスバ
イクには良いものの、ロードにはきついコンディション、また町中の歩道上の自
転車レーンも段差がきついのでスピードは出ない。

しばらく走ると、CRが途切れ、国道に出る。この頃から雨が激しくなり、一同
雨具着用。幹線道路はつまらないので脇道に逸れて川沿いを走る。

 


もう海に近く、地下水位も高いと思われるが、周りは小麦畑とブドウ畑が一面
に広がっており、先には森もある。






先ほど我々の頭上にあった青空を後ろに残し、再度幹線道路に戻って、軽い
雨の中を走る。




ようやく雨が止んだので、全員が休めそうな広い場所を探し、今日はハムチー
ズサンドのピクニックランチ。目の前にはブドウ畑とタンポポが広がる。

 


昼食後、前方に見える青空を目指して走り出すと、段々青空が広がってきて、
サイクリング日和になってきた。

 

 
まだ小さな葉が出たばかりのすずかけ新緑の並木道を行く一行にも笑顔が広がっ
てくる。

 


そして、ようやく着きました、アドリア海へ。青空の下の地中海/アドリア
海だ。

ここカオルレはヴェネチアの防衛を目的に建設され、漁業を中心に発展した
町らしい。1000年くらい前建てられた外敵見張り塔の前で、全員記念写真。
砂地に建てられた塔はピサの斜塔ほどではないが、僅か傾いている。

 


日本
人にはほとんど知られていない町ではあるが、一大避暑地となっており、
海岸にはパラソル用の足が数千並んでいる様は壮観。

 


そんな陽光のもと、海風を感じながら走れる幸せ。自転車最高。


天気も良いので、海岸で長澤さんがペレットを拾う間に、カオルレの町を自
転車で散歩。まだ賑わいの始まる前の避暑地は、コンサート前の静けさとざ
わめきの交錯した時間のようで、なにかウキウキした雰囲気を感じさせる。


海岸沿いはまた明後日走るので、本日はここでマッタリして、後は、バスで
ヴェネチアに移動。


Wadachiで作った詳細地図と写真集はまたその内に。



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走行3日目となったが、今朝も霧雨だ。走っていればその内止むだろうという楽観のもと、
そして、走って何ぼだという精神で、予定通り、Logatec(ロガテツ)の郊外から走りだす。

Logatecの町は道路が細く、歩道の上に自転車レーンが設けられているのだが、UP
downがきつく、段差もあるため走りにくい。雨もあり、写真はなし。

町をでるといよいよ今日のメインイベント、400mの登りが始まった。

気温は10度以下で寒いのだが、雨対策にヤッケなどを着ているので、汗をかき、止まる
と寒く、周りの新緑にも目が行かない。




こんな時は、のんびり登るのに限ると、スピード狂のメンバーも遅い人に合わせてくれる。

 
道は最新のGPS地図では載っているが、古い地図には載っていない部分も一部あり、
幅広で舗装も綺麗なのに、車の数は極小である。

雨が少し強くなってきたが、対抗車線を地元のサイクリストが下っていく。一人はロード、
もう1人はクロスバイク。週末づっと雨なので、痺れをきらして走り出してきたのか?
やっぱり好きな人は雨でも走るのだ。 

 Logatecを出て1時間半強と途中の休みが短かったせいか、思いのほか早く、ほぼピーク
と思われる標高880m地点に到達。みな元気に登ってくる。

これからのダウンヒルに備え皆さん、レインウェアを着込む。私は、こんなに雨が降る
とは予想せず、オーバーパンツを持ってこなかったがこれは失敗だった。気温は6度位
に低下しており、スピードを落としたとは言え、30数km/hの下降速度で体感温度は
0度近く、寒い思いをしながら、下った。 


雨中で写真を撮る余裕もないので、600m地点のLuceまで下ると、走行中見え隠れして
いた、行き先の渓谷が目の前に広がっていた。新緑、花、そして絶壁の下の町と、絶景
も雨に霞んで綺麗な写真に撮れない。

まあ、この光景を自力で上り下りして見に来れただけでよしとしよう。

モウレツに寒いので、暖を求めて、一気に残り500mを休みナシでくだり、アイドフシュチの
レストランに下る。あの左側の斜面を斜めにトラバースして降りてきたんだ。




レストランで暖かなシチューをいただき、体を乾かせてもらったが、残り20km強の平坦路
を雨中走る気にはなれない。
国境を自転車で越えるのもトラブルがあるといやなので、車載にして国境に向かう。

ゴリッツアの町はかってスロベニアだったが、第二次大戦後はイタリアの町になり、町の
中を国境線が走っていた。ここが独自のと形容詞がつくものの、ユーゴは紛れの無い
共産圏であり、かってはここに厳重な国境線があったのだが、今はモニュメントのプレート
が残るのみ。車は越えられないようになっているが、人の往来は自由だ。





と言う訳で、心配した国境越えは、パスポートの提示もなく、荷物検査もなく、すんなり通過。
今日の宿、イタリアのゴリッツァに着いた。

写真と地図はまた後で。



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朝起きると、外は雨、軟弱にすぐ、観光に切り替え、ノボメストの町をぶらつく。
町の中心、聖ニコラス教会の前で集合写真。

ノボメストはクルカ川が蛇行して出来た丘の上の町。クルカ製薬とルノーの大工場がある。





途中温泉保養地などを横目に見ながら、ジュジェンベルクにて昼食。ジュジェンベルクは
オスマントルコに対するオーストリアの防衛線上に建てられた城。




雨が降っているとは言え、道路が水浸しという訳でもない。ここで走らなかったら後悔が
残るのはいやなので、昼食後何人かで走り出す。

幾つかの丘を登って、Zagradecの町を見下ろす地点で休憩。




クルカ川の源流に近いクルカの町。10年くらい前までは動いていたと見られる、水車が
放置されている。この辺りは林業が盛んで、製材に水車を多用していたようだが、もはや
モーターで回した方が使い勝手がいいのだろう。




クルカの町を過ぎると、道はダートに。

雨でもあるので、のんびりと談笑しながら、新緑の芽吹きを楽しむ一行。




丘を登るにつれて、眼下に農村風景が広がる。




20数kmと短距離ではあったが、雨のダートを登り、走ったメンバーは一応満足。

宿について、各人が5冊づつ持参した本を日本人で文庫を運営している方々に寄贈。
新聞社のインタビューとか、話を聞きつけて駆けつけた地元のサイクリストと懇談する。
ローマまで行ったなら、その後はサンチャゴ・デ・ポステラを走って、大西洋を見なけりゃ
だめだとけしかける60才位のサイクリストと色んな話をさせてもらう。




リュブリヤナの町も霧雨にもかかわらず自転車で走っている人が多い。
非接触カード式レンタバイクも町のあちこちにある。




ブッチャー橋の欄干に結び付けられた、恋人達の鍵。


旧市街のメインストリート。もう夕暮れなので、人通りは少なくなってきた。




ケーブルカーでリュブリヤナ城に登れば、市街の向こうはアルプスの頂に雪が残っている。




そして、町の中心、龍の橋。


wadachiで作る、詳細地図と写真集はまた後で。



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迷信深い方ではないが、走行開始が13日の金曜日であることが、心の隅に刺さった小さな
棘であった。

しかも、天気予報はジェット気流に乗った低気圧が次々にスロベニアの方向に流れてきて
この数日は雨の予報。大いなる期待と、色々な不安をかかえザグレブをバスで出発した。
こんな不安を打ち消すには、なにか儀式をすることだ。そこで、いつもやっているように、
スタート前の安全に関する注意事項の復唱と、準備体操を充分おこなって、ザグレブ近郊
のZapresicを全員元気に出発した。


1時間走って国境の町Harmicaに到着、さあクロアチアからスロバニアに入国と意気込
んで、パスポートを取り出し、前を行く我々のバスに続き国境を越えようとしたら、バスは
OK、我々は国境を越えられないことが判った。


この国境は地元の関係者用のEUの国境(スロベニア:EU、クロアチア:来年EU加盟?)
でEUおよびクロアチアのパスポート所有者はスタンプナシで通過OKだけれど、日本人は
通過申請、スタンプ押しが必要なので通過できないのだ。

そこで、延々国境沿い=川沿いに走り、通過可能な検問所を目指すこととなった。
川沿いなのでラクチンだろうと思うとあに計らんや、結構上り下りがある。


でようやく、2時間かかってKumrovecの町に到着。

この町はなんとあのチトーが生まれた町なのだそうだ。しかし、幹線道路沿いには、
大きな銅像とか個人崇拝に結びつきそうなものは見当たらず、かって共産主義教育に
使われた学校が目立つ程度であった。

丘の上には、今も変わらず教会が聳えたっており、「えっ、ここがチトーの生まれた町?」
と驚かされた次第。(でもこれが多分国境検問所がある理由?)



川の対岸をまた2時間近く下り、Breziceの町に到着。
郊外のレストランで2時過ぎに腹ペコの一同はおいしくトルコ風ステーキ?を頂いたので
あった。

食事中についに雨が降り出したのを口実に、初日でもあり、13日の金曜日でもあるので
これ以降バス移動に切り替え、観光旅行。

まずはスロベニア唯一のクルスコ原子力発電所。
なんとタービン建屋から数百m、開閉所の遮断器や変圧器の直ぐ近くまで、一般の旅行
者が入れる。ゲリラに襲われたら、20人も居れば、冷却機能を麻痺させること可能であり、
恐ろしい。



原発の見学の後は、Krka川の中洲の町、Kostanjevicaを散策。

常緑樹、新緑、まだ芽吹いていない木が入り混じった美しい風景は、曇り空の下、
色調をあまり誇張しない私のカメラでは、捕らえきれていないかも。

本来この町は自転車で通過するだけのはずだったのだが、良い雰囲気の町で、歩いて
見学で正解であった。

中州の町と対岸を結ぶのは木製の橋。そこを車がどんどん走っていく。


バスはまたkrka川に出たのだが、橋が狭くて渡れない。ここからホテルにお歩きください
となった。

これがそのOtocecのホテル、、、豪華、お城の跡ジャン、、、


の訳が無いよね、貧乏旅行だもの、、、、

でホテルは丘の上の同名の、多分同一資本のホテルOtocecスポーツ、つまりスポーツ施設
併用の近代的な一般のホテルであった。


詳細地図と写真集はまた後で、

 



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三日目は世界遺産のプリトベツェへ行く方と分かれて、8人でクロアチアの港湾都市、
リエカに向かった。出発時降っていた雨が激しくなり、さらに前も碌に見えない濃霧で
車のスピードも落とさざるを得なくなった。今日の雨男は誰かと犯人探しを開始する寸
前に、リエカに着いたら雲が切れてきた。





クロアチアの100クーナ紙幣の絵柄にもなっている聖ヴィト教会は内部の色付き大理石が
美しい。



リエカはローマ時代から続く都市だが、地震や戦災でローマ時代のものは、ほとんどが、
地下に埋もれている。この門だけは、両側の建物にその一部を流用されたがゆえに
残っているのだとか。




かって海岸線だった場所は大通りになっていて、人の往来が激しい。
20万人の中小都市とは思えない人出だ。




近所のマーケットは野菜、果物、乳製品、肉類、魚類がそれぞれのマーケットとなっており、
今尚、市民はスーパーではなく、マーケットで食料を買うようだ。




この所、肉ばかりで食傷気味だった一同はヤリイカのローストという非常にシンプルな
料理に舌鼓をうったのであった。




リエカから2時間弱でホテルに帰ると、スコットの新品クロスバイクが準備されていた。
コンポはディオーレの入門バイクではあるが、全員新品なのは嬉しい。
早速、各自のペダルやメーター類を取り付け、あたりを試走してみる。欧州仕様なので
ブレーキが前後逆になっていて、左のブレーキを引きすぎると、前転しそうになるが、直ぐ
になれるだろう。




リエカの詳細版は気が向いたら作成。


その代り、おまけ:

Giant Rockの改造オートバイ化



そして、ナカムラ自転車の正体、なんちゃってMTB、約3万円なり。



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ザグレブの町中で自転車に注目していると、著明ブランドのMTBのお中に結構な数の
NAKAMURA自転車があり、この写真のように、Giantの横に、誇らしげに停めてある。

中村と言えば、多分欧州人でも日本人=日本のメーカーを予想すると思われ、
日本のブランドイメージを傷つけるのではないか? なんかなぁ~  なのだ。

とは言え、日本でもユーロサイクル?だったかが、結構似たような商売をしていて、
私のMTBのプジョーも日本の商社が企画し台湾でつくられたもので、プジョーは名義貸し
のみ。まあ、ユーロサイクルは何がしのライセンス代を払っているだろうから、少し程度は
よいのだが。




さて、市内観光に出かけたら、二輪とは言え、横に車輪が並んだセグウェイで名所見物を
しているグループに数回出会った。でも、所々で会うと言う事は、私の徒歩とあまり変わり
ないスピードで移動しているということ?
まあ、セグウェイに乗って楽しんでいるお嬢さん方に、歩くのと変わらないジャンと言って
落胆させてもいけないので、カッコをつけて乗ったところの写真を撮ってやり、さらに私の
ブログ用に撮らせてもらった。




ザグレブも古い町なので、道が狭くその上路上駐車で車が車道を占拠している。
所々歩道の一部を色分けして自転車レーンにしているが、あまり人と分離されておらず、
ちょっと危ない感じ。




午後は自由時間となったので、車窓から見えていた、工学博物館を見学したら、やはり
ありましたよ、大昔の自転車。




この工学博物館、入館料15クーナと格安ではあるものの、展示には力が入っていた。
電磁気工学の創始者で、T=Wb/m2というシンプルな公式の上に、私もをその一員で
ある、電機産業の基礎をきずきあげたテスラがクロアチア出身であるからか、それとも



小さいとは言え重電メーカーであるコンチャ社があることから、エネルギー機器の展示は
素晴らしいものがあり、高電圧放電実験なども実際にやって見せているのには驚かされた。




もちろん私の作っている水車も数十年前のSulzer製の小さな機械が何台か展示されて
いた。




私的には、この工学博物館でもっと時間を使っても良かったのだが、町中を歩き回るのも
旅の思いで作りと、色んなところを回り歩いてみた。

オペラの周りのチューリップ


そして、チョット種類は違うがボタニカルガーデンには八重の桜の花も綺麗に咲きそろって
いる。




中村さんと、テスラさんに会えた今日の散歩の詳細版はまたその内。

wadachiで作ったグーグルマップと40枚の写真はこちらか、下記地図をクリック。
青が午前中の観光旅行、赤が午後の自由時間散歩。



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いよいよ、スロベニアからローマまで走る旅、第20回ツアードシルクロードに参加する為、
成田から出発することとなった。。
20年前に、西安を出発したツアードシルクロードも今回は下の地図の最後のレグである
ザグレブ→ローマを走る最後のツアーだ。




仕事で出張の同僚達に空港で出会うとまずいなと、若干の後ろめたさと、その裏返しの
優越感で空港に入るも、本日は成田で誰にも会わず。


チューリッヒ行きはエアバスの4発のワイドボディー機であった。搭乗率は85%位で、席
も狭かったが、通路側を取ってもらえていたので、12時間以上のフライトもなんと言うこと
ナシに快適に過ごせた。

で、チューリッヒに着くと、地平線には白雪を頂いたアルプスの山々が広がっている。
あの裏側というか南側を走るのかと思うと、ワクワクする。


空港内のターミナル間を移動する「電車」もチューリッヒらしく、車には動力源の無い、
ケーブルカー方式なので、音も無くトンネルの中を抜けていく。


だがしかし、ザグレブに向かう飛行機は歩いてそのまま乗り込む、ボンバルディアの小型
機。轟音と共に飛び立って、夜半10時にザグレブの去年もお世話になったHotel i に
辿り着いた。



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来月のザグレブ~ローマでシルクロード自転車ツアーは一応の完結を見るわけだが、
シルクロード雑学大学の代表である長澤氏は、この西安~ローマを毎年約1,000km
づつ20年間に渡って走り続けてきた。

わたしも、 去年の第19回Tour de Silk Roadから参加させていただいている。
こんな楽しい遊びを主催してくれている代表に、勝手に参加者一同の名前で、背中に
地図の付いたジャケットとTシャツをプレゼントさせてもらった。

4月のツアーの後は、5月にキルギスへ遠征する計画検討の地図の前で。



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作り始めて1ヶ月以上がかかってしまったが、ようやく今年のツアードシルクロードの走行予定
ガイド4部作が完成した。

かなり、バラバラにUPされているので、リンクにまとめてみた。

2012年 Tour de Silkroad インターアクティブ全体走行計画地図 

2012 Tour de Silk計画 1/3  クロアチアとスロベニア  



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2012-4/21 Day12 フィレンツェ→シエナ

ワイン呑みには嬉しいような、悲しいような走行日だろう。トスカナ地方のブドウ畑の丘を走り抜け、シエナに向かう。Up-Downも結構あり、午前中にキナティ山脈(約600m)を登っだ後
少し下り、トスカナワインの中心地、キャンティ=Chiantiで昼食となる予定だ。
その後午後は下り主体の走行。
景色が途中で変化していくだろうし、多分途中には試飲のできるワイナリーもあると思われ
るが、ワインは宿に着いてから、飲酒運転は事故の元、厳禁だ。

シエナの町、かってはフィレンツェと覇を競っていた、丘の上の町だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%8A


2012-4/22 Day13 シエナ→キウージ

シエナから一旦下ってから、モンテプルチァーノに向かって400mくらい登らねばならない。
昼食を食べる予定のモンテプルチャーノからキウージまでは豪快な下りを楽しみたい。



昼食を食べ予定のモンテプルチァーノも丘の上の中世からの古い町。
チーズ、豚肉、パスタ、そしてなによりその赤ワイン、モンテプルチァーノダブルツッオで有名
な美食家にはたまらない町。


そしてキウージは紀元前からある古い町ではあるが、人口9千人の小さな町、寝るだけか?



2012-4/23 Day14 キウージ→ヴィテルボ

昼食予定のオルビェートまでは100m弱の丘は有るもののそれほどきつくない道。
昼食の後はカルデラ湖の脇にあるモンテフィスコーネ目指し山腹を400m登らねば
ならない。

 昼食休憩予定のオルヴィェートはこんな感じ、紀元前からの城砦都市、白ワインでも有名。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%88

そして途中経由地のモンテフィスアコーネも観光地、中心にドゥオモがある。

http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%8D

宿泊するヴィテルボは6世紀の古い城壁に囲まれた町。かってローマ教皇に危害が及び
そうな時、教皇はローマからここに逃げていたとか。

 

2012-4/24 Day15 ヴィテルボ→ローマ

いよいよ走行最終日、ローマを目指す。
ヴィテルボからまずロンチリオーネまでひたすら500m?を登らねばならない。
ロンチリオーネはカルデラ湖であるVico湖の脇にある中世の小都市。
でも、ここロンチリオーネからはローマまでずっと下り!
田園地帯をこれもカルデラのブラチアーノ湖脇のブラチャーノまで下り、そこからローマ郊外
のラストルタへ下る。ローマ市内を走れれば良いのだが。



途中のブラチアーノにはお城がある。ブラチアーノ湖はローマ市民の水遊び/セーリングの
場になっているらしい。


そして、もちろん ローマ、ローマ、ローマ。
ローマの休日を楽しもう。


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  実際に2012-4月にサイクリングした時の記録はこちらをダブルクリック
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