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読書感想 「スターリングラード」

2006年10月19日 17時23分52秒 | Weblog
「スターリングラード」 運命の攻囲戦1942-1943
 アントニー・ビーバー/著
 堀たほ子/訳
 朝日文庫 2005/7/30

第2次世界大戦でドイツ軍がソビエト連邦に攻め込み、スターリングラードにおいてロシア軍の反撃にあって、約29万人のドイツ軍が包囲されて壊滅した戦いを詳細に記述したノンフィクションである。
この戦いは第2次世界大戦の転回点となったもので、翌年(1944)に行われたノルマンデー上陸作戦によって、ドイツ軍は西側・東側の2正面から攻撃され敗退を続けながら崩壊した。

スターリングラード(現ボルゴグラード)はモスクワの南東約900kmに位置し、ロシアを南北に流れるボルガ河の西側に沿って発展した工業都市で、当時の人口は約50万人と云われる。
スターリンの厳命によりロシア軍がボルガ河の東側に強固な防衛線を構築し、同市の争奪を巡って戦線が膠着した期間を利用して、ロシア軍が新しい戦車軍団と100万人の軍隊を新たに編成して冬季の大攻勢を準備できたことが勝因と云われる。

主要な工業地帯を失ったソ連がこの反撃を行えたのは、残存した工業力のおかげである。1942年下期で戦車13,600両(2200両/月)、航空機15,800機(2600機/月)を生産したが、これはドイツ国内の生産量を遙かに上回った。また、兵員はシベリア・極東方面からも集められた。

同書によれば、第2次世界大戦におけるロシアの人的損害は、赤軍兵士の戦死900万人、負傷1800万人、市民の死傷者1800万人と云われている。
ドイツ国防軍の捕虜となった赤軍兵士450万人のうち、生還できたのはわずか180万人だったという。このロシアの数字は、ドイツの戦争犠牲者総数の5倍以上にあたる。

何故これほどの人的被害が出たのであろうか。それは、ドイツのヒトラーとロシアのスターリンという二人の狂信的な独裁者が人命を軽視する命令を発し続けたことによる。
ロシア軍が後退するときは、ドイツ軍に利用されるのを防ぐために市民の家を焼き払ってしまい、進軍したドイツ軍は市民の越冬用食料を根こそぎ略奪した。このため、西の国境からモスクワ~スターリングラードに至る間の市民は住居も食料も無く、厳寒の冬を迎えねばならなかった。

(感想)
本書は、狂信的な独裁者が国を統治する恐ろしさを語っている。
ヒトラーは将軍たちの進言に全く耳をかさず、自身の独善的な考えで軍隊を動かし、その結果多大な損害を自国の軍隊に与え、敗戦を早めた。

スターリンも最初は同じであったため大失敗をしたが、その後は将軍たちの意見を受け入れるようになった。スターリングラードの冬季大攻勢も、将軍たちの進言を受け入れて十分な準備のうえに遂行されたために成功したものである。この面では、スターリンはヒトラーよりも柔軟性があったと言える。もし、スターリンが独善的で無謀な命令を出し続けていたら、人的被害は更に増え終戦も遅れたことであろうと推測される。

現在も独裁者の統治する国は多い。すでに大国ではこのようなことは無くなったが、小さな国では未だに独裁者が国民を弾圧しているケースが報告されている。
いま、北朝鮮の地下核実験の制裁が問題になっているが、同国も独裁体制の国である。体制の維持(保身?)のため先軍政治を掲げ、国民の餓死など全く気にかけない指導者の治める国の民は気の毒である。

このことは、先のヒトラーやスターリンと相通じるところがあり、もしかしたら暴発しかねない恐ろしさがある。
北朝鮮軍の老朽化した装備と燃料不足では、38度線を突破して韓国に攻め込むことは難しいかもしれないが、ロケット砲や長距離砲で韓国の首都ソウルに攻撃を加え、多数の市民を死傷させることは可能である。また、国境を接する中国・韓国にとっては、北朝鮮の体制の崩壊によって起こる大量の難民の流入は、是非とも避けたいところである。

同国を軟着陸させるためには、やはり現政権を倒して国際協調性をもった政権を樹立するしかないのではなかろうか。一番望ましいのは、軍による無血クーデターであるが、相互監視・密告制度・秘密警察の発達した同国で果たして可能であろうか。
何れにしても、国の指導者が暗殺を恐れて姿を隠さなければならないのは異常である。
コメント
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