マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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池之内八幡神社祇園祭の御湯

2012年09月14日 08時09分05秒 | 大和郡山市へ
この月は大和郡山市内に鎮座するそれぞれの神社で祇園祭(ぎおんまつり)が行われている。

横田町の和爾下神社、新木町の新城神社、小南町の小南神社、満願寺町の古田神社、丹後庄町の八雲神社、椎木町の杵築神社に矢田町の八坂神社などだ。

祇園さんの祭りは夏祭りとも呼ばれており、ソネッタンと呼ばれる里の巫女が御湯神事を行う。

横田町と矢田町ではそれは見られない。

また、6月に行われている馬司町の杵築神社では、ずばり御湯祭である。

祇園祭が行われている神社はかつて牛頭天王社と呼ばれていた。

或いは素戔嗚命を祀る神社もある。

これらの神社は明治政府の命令で神社名を替えられた。

古くから呼ばれていた神社名が替ったのである。

これは大和郡山だけではない。

奈良県内どころか全国各地に、である。かつての神社名は寄進された燈籠にある。

江戸時代に建之された燈籠があれば名を確認している。

見つかったときは思わず声が出てしまう。

さて、池之内町の八幡神社である。

ここは二社が鎮座している。

一つが八幡神社でもう一つは住吉神社だ。

U宮司の話によれば本殿が応神天皇を祀る八幡神社で、右側が住吉神社だという。

主神は応神天皇であるが、おそらく牛頭天王(スサノオノミコト)を祀っているのであろうという。

その話からこの日の祭りを祇園祭(ぎおんまつり)と呼ぶことに納得する。

時間ともなれば池之内の氏子たちは提灯を手にしてやってきた。

提灯には家名が記されている。

家ごとの提灯である。

本殿から移されたオヒカリは八幡宮大提灯に灯された。

氏子たちはその火をもらって家の提灯に移す。

そして、天井に一つずつぶら下げる。

ずらりと並んだ30余り提灯の灯りは壮観な様相を映し出す。



氏子たちが幸多かれ栄えんと祇園祭の祝詞奏上。

「かしこみかしこみまおす」と賑々しく神事を執行されたあとは湯立の神事。

斎場は本殿と拝殿の間だ。

注連縄を張った結界の場である。



この日の湯立参拝者は一組の家族。

厳かな湯立神事を傍で拝観する。

かしこみ申すと神さんに告げて、塩、お神酒などで御湯を清め、ゆっくりと御幣でかき回す。

御幣と鈴を手にして右や左に舞う。

始めて見たのであろうか子どもたちは神妙な眼差しで固唾をのむ。



そして笹を手にして湯に浸けて前向きにシャバシャバ。

所作をその様子から地元の人はシャゴシャゴと呼んでいる。

天より降りたもうと、東の伊勢神宮の天照皇大明神、南の談山神社の多武峰大権現(藤原の鎌足公をご神体とする談山大明神)、西の住吉大社の住吉大明神、北は春日若宮大明神の四柱の神々の名を告げて呼びおこす。

再びシャゴシャゴして同じく四方に向かい、それぞれの大明神に「この屋敷に送りそうろう」とお戻りになられることを告げた。

本社、末社に鈴舞いをされたあとは、「交通安全、家内安全、水難盗難、身体健勝、祓いたまえ、清めたまえ」と鈴を振って祓う。

宮守さん、参拝者、宮司に氏子たち一人ずつ順に祓い清められて神事を終えた。

神事を終えれば拝殿で直会。

お下がりの桃などいつも通りの昆布〆とスルメを肴にお神酒をよばれる。

そうして解散するのだが、提灯は秋祭りまで残される。

(H24. 7.14 EOS40D撮影)


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