秋祭りは「山田のでんでらこ」で賑わう大和郡山市山田町の杵築神社。
二の鳥居の傍らには「明暦二年(1656)八月吉日」に寄進された石燈籠がある。
それには「奉寄進 山田村牛頭天王御前」の刻印も見られる。
もう一つの燈籠はそれより新しいが「牛頭天王 山田村中 宝暦五年(1754)」だ。
また、嘉永元年(1845)に寄進された阿吽の狛犬も見られる杵築神社。
大和郡山市には他にも杵築神社が鎮座する地がある。
椎木町、今国府町、小林町、馬司町である。
いずれも牛頭天王若しくは素盞嗚尊を祀っている。
かつては牛頭天王社と呼ばれていた社は明治政府の意向で杵築神社と名を替えられたのである。
杵築名の神社は、なにも大和郡山市に限っているわけではなく、奈良市、川西町、安堵町、三宅町、平群町、田原本町、大和高田市、天理市、橿原市、香芝市など県内盆地部に散在している。
山田の杵築神社にはかつての神社名を示す燈籠がある。
他所でもそれが確認できる物証があれば間違いないと思うのだが・・・。
それはともかく、神社の年中行事を司るのは4人のトーヤ(当家)だ。
山田町は60軒。
13年ごとに回ってくる年番をトーヤと呼んでいる。
7月は夏祭り、旧暦8月13日が八朔座、そして秋祭りのでんでらこである。
「この5ヶ月間はお供えの御供(モチ)搗きもあるし、なにかと忙しい」と話す。
山田の座は長老の北座と若中の南座がある。
拝殿に座る位置も決まっている。
夏祭りの祭典前には村人たちが集まって神社回りを奇麗に清掃された。
ひと汗をかいて出直す祭典。
お参りに来る人も少なくなったが、伝統行事の火は絶やさずに続けていきたいと総代が話す。
勤め人が多くなった昨今。
本来は特定日だったが、集まりやすい土、日曜日に移された祭典日。
役員や氏子たち参拝者が揃って神事が始まる。
祓えの儀、祝詞奏上と一般的な神事である。
そのあとに宮司が祝詞を述べられる。
大祓えの詞だ。
キリヌサを撒いて氏子たちを祓う。
かつての夏祭りは6月30日だったと宮司は話す。
茅の輪も設えていたようだという。
茅の輪もあった神事は夏越しの大祓いだった。
ひとがた(人形)にそっと息を吹きかけて身体にしみついた穢れを祓う。
生憎この日はひとがたではなく、大祓えの詞で夏越しをされたのであった。
御供を供えるのは中央本殿と右側の小宮。
左側の社には供えない。
宮司の話によれば、右の小宮を斎串で祓うのは意味があるという。
夏祭りのときだけが、この小宮にお供えをして祓うというのだ。
本殿は主神の素盞嗚尊。
小宮はおそらく八王子ではないだろうかと話す。
(H24. 7.15 EOS40D撮影)
二の鳥居の傍らには「明暦二年(1656)八月吉日」に寄進された石燈籠がある。
それには「奉寄進 山田村牛頭天王御前」の刻印も見られる。
もう一つの燈籠はそれより新しいが「牛頭天王 山田村中 宝暦五年(1754)」だ。
また、嘉永元年(1845)に寄進された阿吽の狛犬も見られる杵築神社。
大和郡山市には他にも杵築神社が鎮座する地がある。
椎木町、今国府町、小林町、馬司町である。
いずれも牛頭天王若しくは素盞嗚尊を祀っている。
かつては牛頭天王社と呼ばれていた社は明治政府の意向で杵築神社と名を替えられたのである。
杵築名の神社は、なにも大和郡山市に限っているわけではなく、奈良市、川西町、安堵町、三宅町、平群町、田原本町、大和高田市、天理市、橿原市、香芝市など県内盆地部に散在している。
山田の杵築神社にはかつての神社名を示す燈籠がある。
他所でもそれが確認できる物証があれば間違いないと思うのだが・・・。
それはともかく、神社の年中行事を司るのは4人のトーヤ(当家)だ。
山田町は60軒。
13年ごとに回ってくる年番をトーヤと呼んでいる。
7月は夏祭り、旧暦8月13日が八朔座、そして秋祭りのでんでらこである。
「この5ヶ月間はお供えの御供(モチ)搗きもあるし、なにかと忙しい」と話す。
山田の座は長老の北座と若中の南座がある。
拝殿に座る位置も決まっている。
夏祭りの祭典前には村人たちが集まって神社回りを奇麗に清掃された。
ひと汗をかいて出直す祭典。
お参りに来る人も少なくなったが、伝統行事の火は絶やさずに続けていきたいと総代が話す。
勤め人が多くなった昨今。
本来は特定日だったが、集まりやすい土、日曜日に移された祭典日。
役員や氏子たち参拝者が揃って神事が始まる。
祓えの儀、祝詞奏上と一般的な神事である。
そのあとに宮司が祝詞を述べられる。
大祓えの詞だ。
キリヌサを撒いて氏子たちを祓う。
かつての夏祭りは6月30日だったと宮司は話す。
茅の輪も設えていたようだという。
茅の輪もあった神事は夏越しの大祓いだった。
ひとがた(人形)にそっと息を吹きかけて身体にしみついた穢れを祓う。
生憎この日はひとがたではなく、大祓えの詞で夏越しをされたのであった。
御供を供えるのは中央本殿と右側の小宮。
左側の社には供えない。
宮司の話によれば、右の小宮を斎串で祓うのは意味があるという。
夏祭りのときだけが、この小宮にお供えをして祓うというのだ。
本殿は主神の素盞嗚尊。
小宮はおそらく八王子ではないだろうかと話す。
(H24. 7.15 EOS40D撮影)