お寺さんから毎年に届く年賀状に、いつも正月行事の日程が書いてある。
1月から2月かけての正月行事に、二月初午の日に行われる初午観音出現大祭がある。
その日は「天平時代の古記録“松尾山縁起”により、養老二年(西暦718)の厄除観音御出現を祝う、全ての厄除を願う参詣者で賑わう」と、「大和 松尾寺」の年中行事に伝えている。
前日の24時からはじまる厄除祈祷厳修に、午前11時・午後2時から行われる柴燈大護摩奉修がある。
その賀状に書いてあった特別なこと。
“厄除け鳥御供”の記しに目が点になった。
“厄除け鳥御供”とはなんだろうか。
一度は拝見してみたい、と思った“厄除け鳥御供”。
ネットをぐぐってわかった限定の御朱印がある。
あるブロガーさんがアップしていた御朱印の映像に美しさを感じた。
「福(ふく)来る」の文字がある御朱印に、描かれた鳥は鳳凰の姿。
「大和 松尾寺」の授与品の頁にも載っていた。
「大和 松尾寺」といえば、住まいする奈良・大和郡山市にある。
江戸時代からわが国最古の厄除け道場として民間の信仰を集める松尾寺。
かつて、私も厄除けに祈祷してもらったことがある。
ずいぶん昔のことだ。
突然に発症した肝膿瘍に、危険な状態に陥っていた。
風邪の疑いに入院した大阪の医院。
一週間に、一度は医院に来られる医師に症状を伝えた看護師長。
実は、義理の姉だった看護師長。
義理の弟の症状に、勤務する医院の診断では、治る見込みがないと判断されての行動。
状態を診た週一来られる外来医師。
CTエコーの状態を診て、直ちに救急車の手配をされた。
的確な診断に、急遽走った病院替え。
救急車で運ばれた大病院は、大阪・高槻。
直ちに処置したが・・・。
ぼやーっとする光景・・・・・親族一同がベッド横に並んで、なにかをしゃべっている。
あーこれが、見納めか・・・・・・・生死を彷徨った末の処置は、カテーテル・・・・
長い療養期間、精一杯のリハビリに、再び仕事に就いたが・・
生きながらえた私に、厄払いを、と家族の声に背中を押されて後厄祈祷をしてもらった「大和 松尾寺」。
回復してからの私は、考え、生き方に変化があった。
命をもらった私になにか、人のためにせい、と声が聞こえたかどうかわからないが、・・・その後にはじめた、今住む町、2番目故郷の奈良・大和への恩返し。
地域に貢献したい、その思いが今の取材活動に繋がった。
松尾寺は、真言宗醍醐派の別格本山の寺院。
山号は松尾山、または補陀洛山(ふだらくさん)。
2月、3月の初午の日の縁日には、多くの参詣者でにぎわう。
麓の山田町から車で登ってくる。
駐車場整備をしている警備員。
今年も少ない、というコロナ禍の縁日。
数年前までは、駐車場に行きつくまでの山行き車道は、駐車待ちの車で大行列になったけどなぁ、とつぶやく警備員。
それより何年か前の大晦日。
麓まで車が並んでいた状態が記憶にある。
昭和32年、入江泰吉がとらえた大和路・松尾寺参詣の道がある。
大行列に厄除け詣りをする人たちの写真が残されている。
どこから撮ったのかわからない写真。
クレーン車にでも乗って撮ったのでは、と思える一望できる参詣道。
北惣門を潜り、石段を踏みしめて登る参詣者もまばら。
手水に手を清めてから登るが、一気にとはいかず、途中の石段に2度も一息つく。
手を合わせ、厄除けを願う参詣者たちが、灯した蝋燭にお線香。
奥へ、奥へと行きついたそこはこの日のためにふるまい善哉を用意していた。
ありがたい厄除け善哉に白玉だんごが三つも浮かんでいる。
つるっと口の中に滑り込み。
これが旨いんだなぁ。
つい、思いだす正月初めの行事。
大和郡山市内に鎮座する塩町戎。
笹もってこい。精いっぱい声を張り上げて参拝客に、「福」を授ける卑弥呼さんたち。
神社向かいに設営したテント内に、長椅子が・・・。
飛ぶように振舞われる塩町戎さんのぜんざい。
関係者がつくった白玉だんごを添えて・・・。
今はコロナ禍のせいで、実施できない振舞いぜんざい。
お願いだから、終息したら、黄色い声で「よーおまいりー」と迎えてほしいものだ。
松尾寺のふるまい善哉は、お寺さんを支援する人たちが準備する。
昔はもっと大勢の人たちがいたから、杵で餅を搗いていたそうだ。
今は、ごく数人しかいないので、手間のかかる作業は、簡単にしたらしい。
白玉だんごもその一つ。
市販品を買ってきてぜんざいにしていると話す。
ありがたいふるまいぜんざいの温かいこと。
この日も寒いが、暖かく心を込めてつくってくださった厄除けぜんざいが美味しい。
さて、初午の日に求めていた“厄除け鳥御供”である。
御供の受付は阿弥陀堂左側になる。
案内盾に「日本最古の厄除寺 創建1300年に始まる(鳳凰)記念の朱印」。
すぐ傍に、「一枚三百円 記念の朱印」見本も立てている御朱印受付窓口に申し出た“厄除け鳥御供”。
要望に応じ、すぐさま筆をとるご朱印担当の職員さん。
予め版木で刷っていた鳳凰の姿は三色仕立て。
この三色は、伝統行事の「まつのおさんまいり」の赤たすきに、黄色たすき。
厄除け袈裟の青色。
厄除け祈願のこの日、厄除観音さまの御宝前に象徴の三色を彩った御朱印に、参拝日の令和四年二月十日を記してくれた。
一枚に心をこめて書してくださったありがたい御朱印を拝授した。
憧れだった御朱印。
賀状に参拝、とあり、今日ようやく詣でました、と伝えたら、貴方にはもう一枚、
特別に差し上げようと、予めパウチしていた日付けなしの鳳凰姿の朱印をプラスしてくださった。
今、まさにはじまろうとしていた護摩焚き。
初午日の柴燈護摩焚き。
この日、最初の柴燈護摩焚きに参拝者が群がっている。
二番目に行われる護摩焚きは、午後2時より。
そのときの人手を見届けることなく下山準備。
行者堂の前に焚かれていた煙立つ線香を撮っていた。
袈裟を首から下げた厄除け祈願者は、厄除けの赤たすきを祈祷中襟にかけ、護摩焚きの煙とともに、階段を駆け上がっていった。
松尾山神社の厄除け参拝。
神楽奉納に祈祷してもらうのだろう。
もうもうと立ち昇る護摩焚きの煙を見届けながら、出店が並ぶ階段下に降りた。
厄除けかんざしに、回転焼き。
カステラを売る店もあれば北海道の郷土料理ともいえる鶏ザンギを売る店も・・。
揚げ油の香ばしい匂いに釣られて足が勝手に動く。
5本揚げ300円。
家族のお土産を、と思って注文した。
ザンギの名前は知ってはいるが、これまで一度も食べたことがない。
初午詣りに、えー機会だと思って注文した。
注文受けてから揚げてくれる情熱の鶏ザンギ。
揚げたて熱々の鶏ザンギ。
こんなに細いとは思ってもみなかった。
(R4. 2.10 SB805SH 撮影)
1月から2月かけての正月行事に、二月初午の日に行われる初午観音出現大祭がある。
その日は「天平時代の古記録“松尾山縁起”により、養老二年(西暦718)の厄除観音御出現を祝う、全ての厄除を願う参詣者で賑わう」と、「大和 松尾寺」の年中行事に伝えている。
前日の24時からはじまる厄除祈祷厳修に、午前11時・午後2時から行われる柴燈大護摩奉修がある。
その賀状に書いてあった特別なこと。
“厄除け鳥御供”の記しに目が点になった。
“厄除け鳥御供”とはなんだろうか。
一度は拝見してみたい、と思った“厄除け鳥御供”。
ネットをぐぐってわかった限定の御朱印がある。
あるブロガーさんがアップしていた御朱印の映像に美しさを感じた。
「福(ふく)来る」の文字がある御朱印に、描かれた鳥は鳳凰の姿。
「大和 松尾寺」の授与品の頁にも載っていた。
「大和 松尾寺」といえば、住まいする奈良・大和郡山市にある。
江戸時代からわが国最古の厄除け道場として民間の信仰を集める松尾寺。
かつて、私も厄除けに祈祷してもらったことがある。
ずいぶん昔のことだ。
突然に発症した肝膿瘍に、危険な状態に陥っていた。
風邪の疑いに入院した大阪の医院。
一週間に、一度は医院に来られる医師に症状を伝えた看護師長。
実は、義理の姉だった看護師長。
義理の弟の症状に、勤務する医院の診断では、治る見込みがないと判断されての行動。
状態を診た週一来られる外来医師。
CTエコーの状態を診て、直ちに救急車の手配をされた。
的確な診断に、急遽走った病院替え。
救急車で運ばれた大病院は、大阪・高槻。
直ちに処置したが・・・。
ぼやーっとする光景・・・・・親族一同がベッド横に並んで、なにかをしゃべっている。
あーこれが、見納めか・・・・・・・生死を彷徨った末の処置は、カテーテル・・・・
長い療養期間、精一杯のリハビリに、再び仕事に就いたが・・
生きながらえた私に、厄払いを、と家族の声に背中を押されて後厄祈祷をしてもらった「大和 松尾寺」。
回復してからの私は、考え、生き方に変化があった。
命をもらった私になにか、人のためにせい、と声が聞こえたかどうかわからないが、・・・その後にはじめた、今住む町、2番目故郷の奈良・大和への恩返し。
地域に貢献したい、その思いが今の取材活動に繋がった。
松尾寺は、真言宗醍醐派の別格本山の寺院。
山号は松尾山、または補陀洛山(ふだらくさん)。
2月、3月の初午の日の縁日には、多くの参詣者でにぎわう。
麓の山田町から車で登ってくる。
駐車場整備をしている警備員。
今年も少ない、というコロナ禍の縁日。
数年前までは、駐車場に行きつくまでの山行き車道は、駐車待ちの車で大行列になったけどなぁ、とつぶやく警備員。
それより何年か前の大晦日。
麓まで車が並んでいた状態が記憶にある。
昭和32年、入江泰吉がとらえた大和路・松尾寺参詣の道がある。
大行列に厄除け詣りをする人たちの写真が残されている。
どこから撮ったのかわからない写真。
クレーン車にでも乗って撮ったのでは、と思える一望できる参詣道。
北惣門を潜り、石段を踏みしめて登る参詣者もまばら。
手水に手を清めてから登るが、一気にとはいかず、途中の石段に2度も一息つく。
手を合わせ、厄除けを願う参詣者たちが、灯した蝋燭にお線香。
奥へ、奥へと行きついたそこはこの日のためにふるまい善哉を用意していた。
ありがたい厄除け善哉に白玉だんごが三つも浮かんでいる。
つるっと口の中に滑り込み。
これが旨いんだなぁ。
つい、思いだす正月初めの行事。
大和郡山市内に鎮座する塩町戎。
笹もってこい。精いっぱい声を張り上げて参拝客に、「福」を授ける卑弥呼さんたち。
神社向かいに設営したテント内に、長椅子が・・・。
飛ぶように振舞われる塩町戎さんのぜんざい。
関係者がつくった白玉だんごを添えて・・・。
今はコロナ禍のせいで、実施できない振舞いぜんざい。
お願いだから、終息したら、黄色い声で「よーおまいりー」と迎えてほしいものだ。
松尾寺のふるまい善哉は、お寺さんを支援する人たちが準備する。
昔はもっと大勢の人たちがいたから、杵で餅を搗いていたそうだ。
今は、ごく数人しかいないので、手間のかかる作業は、簡単にしたらしい。
白玉だんごもその一つ。
市販品を買ってきてぜんざいにしていると話す。
ありがたいふるまいぜんざいの温かいこと。
この日も寒いが、暖かく心を込めてつくってくださった厄除けぜんざいが美味しい。
さて、初午の日に求めていた“厄除け鳥御供”である。
御供の受付は阿弥陀堂左側になる。
案内盾に「日本最古の厄除寺 創建1300年に始まる(鳳凰)記念の朱印」。
すぐ傍に、「一枚三百円 記念の朱印」見本も立てている御朱印受付窓口に申し出た“厄除け鳥御供”。
要望に応じ、すぐさま筆をとるご朱印担当の職員さん。
予め版木で刷っていた鳳凰の姿は三色仕立て。
この三色は、伝統行事の「まつのおさんまいり」の赤たすきに、黄色たすき。
厄除け袈裟の青色。
厄除け祈願のこの日、厄除観音さまの御宝前に象徴の三色を彩った御朱印に、参拝日の令和四年二月十日を記してくれた。
一枚に心をこめて書してくださったありがたい御朱印を拝授した。
憧れだった御朱印。
賀状に参拝、とあり、今日ようやく詣でました、と伝えたら、貴方にはもう一枚、
特別に差し上げようと、予めパウチしていた日付けなしの鳳凰姿の朱印をプラスしてくださった。
今、まさにはじまろうとしていた護摩焚き。
初午日の柴燈護摩焚き。
この日、最初の柴燈護摩焚きに参拝者が群がっている。
二番目に行われる護摩焚きは、午後2時より。
そのときの人手を見届けることなく下山準備。
行者堂の前に焚かれていた煙立つ線香を撮っていた。
袈裟を首から下げた厄除け祈願者は、厄除けの赤たすきを祈祷中襟にかけ、護摩焚きの煙とともに、階段を駆け上がっていった。
松尾山神社の厄除け参拝。
神楽奉納に祈祷してもらうのだろう。
もうもうと立ち昇る護摩焚きの煙を見届けながら、出店が並ぶ階段下に降りた。
厄除けかんざしに、回転焼き。
カステラを売る店もあれば北海道の郷土料理ともいえる鶏ザンギを売る店も・・。
揚げ油の香ばしい匂いに釣られて足が勝手に動く。
5本揚げ300円。
家族のお土産を、と思って注文した。
ザンギの名前は知ってはいるが、これまで一度も食べたことがない。
初午詣りに、えー機会だと思って注文した。
注文受けてから揚げてくれる情熱の鶏ザンギ。
揚げたて熱々の鶏ザンギ。
こんなに細いとは思ってもみなかった。
(R4. 2.10 SB805SH 撮影)