ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「Backstageとの対話」 20240104

2024-01-04 | Weblog

                 Teach Your Children (youtube.com)

 

 

 「自分の心は友だちじゃないぞ」(カス・ダマト)

        *

ジャンプする、スキップする、ステップを踏む
なんでもいいから思いついたまま動いてみる

そうしてある気づきに出会う

気まぐれな動作には非協力的なカラダの領域がかならず存在する
運動形成に向かう意志はカラダの全域にわたり
事前に〝合意〟を取りつけているわけではない

かならず不和、きしみ、対抗、矛盾、反作用の作動がみつかる

カラダの各部分、各領域にはそれぞれに固有の都合があり
複雑な連携をになうために専念すべき課題と状況がある

いきなり、唐突に、一つの全身の動作を開始するとき、
部分と部分はお互いの作動にとってノイズとして現われ
阻害でしかないような関係にとどまり、きしみを先鋭化させていく

ノイズにとって新規の動作の始動はノイズである
この相互的なノイズ関係はカラダに走る緊張として表現される

新しいことをはじめるには儀式がいる。

きめ細かく運動イメージを描き切る、深呼吸する。ストレッチする
準備を整え、意識をフラットに保ち緊張をほぐして運動を開始する

うまくいけば始動のシグナルが全身に伝わりノイズは小さくなる

ノイズを無理矢理消すことはできない、そうする必要もない
それぞれにはそうであることの不可避の理由がある
ノイズを無理に殺すのではなく
それぞれが生きる場所を与えて尊厳を保つようなやり方がある

「思えば思われる」

信頼あるいは相互的承認というコトバがふさわしいかもしれない
一定の敬意と作動スペースを与えてもてなす作法がある

それぞれの部分はそれぞれが向かおうとするもの
みずから取り組むべき課題、対象に修正を加え意志を集中することができる
それぞれの独立性が保たれながら、それが可能になっている状態がありうる

部分と部分が相互にノイズとして現われるとき
部分は部分のままに切り離され
互いのよそよそししさでにらみ合い
全体は不自由の〝檻〟を形成するようなる

警戒と憶測と不信で満たされる檻としてのカラダ
猜疑、反目、敵対へ発展する不安だらけの鉄の檻になる

いきなり一つになる必要はない、不可能でもある
ただ、敬意をしめしあう対話のキープだけが展開を開く

 

 

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「退行、創造領域」20240104

2024-01-04 | 参照

                                                          Goin' Back (2016 Remaster) (youtube.com)

 

                     

──マイクル・バリント『治療論からみた退行』中井久夫訳


創造領域とは、構造化された外的対象が一切存在しない心的領域である。
解釈を用いて注意を惹きつけようとして外的対象をこの領域に闖入させれば、
必ず、自己の内部から何かを創造するという患者の能力を破壊する。

したがって、創造過程が対象を構造化するようになるまでには、
何よりもまず、時間が必要である。……
長短いずれにせよ、この時間の長さは外からの働きかけで左右できない。

解釈とは全体的な〝構造化〟されたもので、創造領域のまだ構造化さていない
カスミあるいは夢のような内容と相互作用すれば、ぶちこわされるか、
不自然かつ過早の構造化を惹起しかねない対象や思考である。

私の考えついた答えは、言語が信頼性を失った事実を留保なく受け容れて、
当面患者を言語水準に無理に押し戻すのは全部あっさりあきらめることである。
これは、患者のつくり出した題材を〝構造化〟する試みを全面的に放棄し
──どのみち〝正しい〟題材ではないのだ──
今のありのままの状態に耐えることを意味する。
したがって、題材のほうは、患者が慣用言語が通じるエディプス水準に
復帰し分析者に題材理解の鍵を与えられるようになるまでは、
不整合な、ナンセンスな、バラバラのものであってよいとする。

換言すれば、分析者は退行を受容しなければならない。
とは、分析者と患者とが一種の相互的体験として退行を
寛容できる一種の環境あるいは雰囲気を分析者の方が
醸成しなければならないという意味である。
このことが必要不可欠なのは、この状態にあっては、
外から圧力を加えれば、それはすべて、患者対象間の
不平等関係を成長させて即座に退行できる状態を
恒久的に維持しようという、いずれにせよ患者の中に
存在する強い傾向を更に強化するからである。

 

 

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