Teach Your Children (youtube.com)
「自分の心は友だちじゃないぞ」(カス・ダマト)
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ジャンプする、スキップする、ステップを踏む
なんでもいいから思いついたまま動いてみる
そうしてある気づきに出会う
気まぐれな動作には非協力的なカラダの領域がかならず存在する
運動形成に向かう意志はカラダの全域にわたり
事前に〝合意〟を取りつけているわけではない
かならず不和、きしみ、対抗、矛盾、反作用の作動がみつかる
カラダの各部分、各領域にはそれぞれに固有の都合があり
複雑な連携をになうために専念すべき課題と状況がある
いきなり、唐突に、一つの全身の動作を開始するとき、
部分と部分はお互いの作動にとってノイズとして現われ
阻害でしかないような関係にとどまり、きしみを先鋭化させていく
ノイズにとって新規の動作の始動はノイズである
この相互的なノイズ関係はカラダに走る緊張として表現される
新しいことをはじめるには儀式がいる。
きめ細かく運動イメージを描き切る、深呼吸する。ストレッチする
準備を整え、意識をフラットに保ち緊張をほぐして運動を開始する
うまくいけば始動のシグナルが全身に伝わりノイズは小さくなる
ノイズを無理矢理消すことはできない、そうする必要もない
それぞれにはそうであることの不可避の理由がある
ノイズを無理に殺すのではなく
それぞれが生きる場所を与えて尊厳を保つようなやり方がある
「思えば思われる」
信頼あるいは相互的承認というコトバがふさわしいかもしれない
一定の敬意と作動スペースを与えてもてなす作法がある
それぞれの部分はそれぞれが向かおうとするもの
みずから取り組むべき課題、対象に修正を加え意志を集中することができる
それぞれの独立性が保たれながら、それが可能になっている状態がありうる
部分と部分が相互にノイズとして現われるとき
部分は部分のままに切り離され
互いのよそよそししさでにらみ合い
全体は不自由の〝檻〟を形成するようなる
警戒と憶測と不信で満たされる檻としてのカラダ
猜疑、反目、敵対へ発展する不安だらけの鉄の檻になる
いきなり一つになる必要はない、不可能でもある
ただ、敬意をしめしあう対話のキープだけが展開を開く