ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「New Beginning」20240115

2024-01-15 | 参照

 

 

 

──マイケル・バリント『一次愛と精神分析技法』中井ほか訳

(「性格分析と新規蒔き直し」)

性格はなるほど個人によって異なるが個体全体を決定づけるわけではない。

私はすでにこの共通要素を発見したと思っている。今数え上げた特徴も、
私が調べ上げた他のすべての特徴も、二つの動詞で言い表すことのできる
思考と感情と行為の枠内からはみ出るものではない。
それは愛することと憎むことである。したがって、性格とは
愛と憎しみの対象に対する人間の挙動を規定しているものである。

性格はある特定の愛し方(憎み方)を促がす。
そう、別の愛し方(憎み方)をやりにくくし、
さらには多くの場合全く不可能にしてしまう。
したがって一言にしていえば、性格とは、
愛と憎しみとの可能性のさまざまな程度の限界づけである。

私は先に性格は規則となり硬直化された反応形式であると表現した。
ということは、かつては他の反応も可能であり、
形式も変わることがまた可能だったということである。

精神分析治療は患者に性格特性の起源を知らせるだけでなく、
さらにはそれを防衛手段とみなすべきことを教える。
それによって、こうした防衛手段のあるものはすでに不必要になっており、
個人の歴史からすれば当然ではあるが今は無邪気な喜びの妨げに
なっていることを知って、これを解体することができるようになる。

すでに見たとおり、性格分析の課題は、外から押しつけられて硬化した、
愛と憎しみのさまざまな拘束条件から人間を解放することにある。

われわれの分析家の目標とは、したがって、
柔軟に実用的に外的現実に適応しつつ、
できるだけ完全な内面の自由を保持するようになってもらうことである。

 

 

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