未熟なカメラマン さてものひとりごと

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飛騨高山 王道の観光ルートをゆく その6 郡上八幡(後編)

2014-09-29 23:30:04 | 古い町並み

やなか水のこみちは、ほっとできる空間

(前回のつづき 平成26年9月15日)
新町通りと呼ばれる商店街を歩いていると、さすがに「郡上おどり」で知られる町、踊りの用品をショーウインドーに展示しているお店がありました。郡上おどりは、日本三大盆踊り(日本三大民謡おどり)に数えられています。ちなみにあとの二つは、西馬音内(秋田県羽後町)、阿波踊り(徳島県)だそうです。中世の念仏踊りの流れを組み、盆踊りの体裁が整えられたのは、江戸時代とのことです。1996年に国の重要無形民俗文化財に選定されています。見物人よりも圧倒的に踊り手の方が多いといいますから、地元の人々に心から愛されている踊りなのですね。

踊りはいつでも郡上八幡博覧館で、実演を見学できるそうです。
さて、新町通りをさらに進むと、石畳みの小路がありました。並行して水路が走っています。「やなか水のこみち」です。旅の情報誌にも紹介されていて、郡上八幡城とここだけは来てみたいと思っていました。柳が垂れてとても風情があります。石のプランターに彼岸花が咲いていました。無理やり入れてこみちを撮影します。カップルが仲良く写真を撮りあっていました。小さなベンチもあって、まさにほっとできる空間ですね。



彼岸花が咲いていました。

ところどころ、路地に目をやると、古い町屋と見られる建物が連なっているのが見えます。
この郡上八幡、岐阜県でも3つ目の国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
さらに、進むと、通りの角を入ったところに、さんぷる工房の看板があがった町家を発見しました。中に入ると、小さな食品サンプルの小物がびっしり。その奥では、さんぷるの創作体験ができるコーナーもありました。ちょうど体験者が、エビのてんぷらの衣を作っているところでした。なかなかよくできていて感心しました。

郡上八幡にはこのような食品サンプル工場がいくつかあって、市を代表する地場産業の一つとなっているそうです。なぜ郡上八幡かというと、最初に製作した生みの親が郡上八幡の出身者だからだそうです。現在では、全国生産の半分以上がこの岐阜県で生産されているそうです。



さんぷる工房の店内。町屋を改修して店舗にしています。

さらに歩くと、小川を横切る水路を発見。さすがに水の都です。その先まで行ってみると大きな川があり、釣り人が長い竿を垂れていました。アユ釣りです。中には女性の釣り人もいました。このとき、すでに午前11時に近づいていました。まだまだ見たいところはいっぱいありましたが、愛犬が帰りを待っていることを思うとそうもいきません。ここで引き返すことにしました。


吉田川で釣り糸を垂れる人々。

その帰り道、気になる一軒の米屋さんを発見しました。そば粉を売っているのではないかと思い商品に目を配っていると、後方から「そばを打たれるんですか?」とこの店の奥さんでしょうか。「まだ新そばは出ていないんですよ。もうすぐなんですけどね」とのこと。ということで25年産のそば粉を500g購入しました。昨日、高山のそばの名店でも500g買ったので、計1キロとなりました。このお店(庄村米穀店)にはいろんな粉の他に、蜂蜜も販売していました。栃の花の蜂蜜を初め何種類かの蜂蜜を、初めて試食させてもらいました。

こうして、郡上八幡を最後に帰途に着くことに。井原には、夕方の5時頃到着の予定です。思えば、今回の飛騨高山の旅、岡山を起点に、兵庫県、大阪府、京都府、滋賀県、岐阜県、愛知県、長野県など、7府県に足を入れたことになります。走行距離は1300㎞超、事故に遭うこともなく、天気もよく、おまけにおいしいものも食べることができて、実に有意義で楽しい3日間でした。(岐阜高山の旅、今回で終了です)
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飛騨高山王道の観光ルートをゆく その6 水の城下町・郡上八幡(前篇)

2014-09-27 23:20:18 | 古い町並み

郡上八幡城 標高354mの八幡山に立つ4層5階建ての城

(下呂温泉後編のつづき)
旅館を8時過ぎに出て一路、郡上八幡(ぐじょうはちまん)を目指します。信号も少なく快適なドライブコースでした。ただ、目的地まであと数キロのところで国道256線は、経験したこともないような下りのヘアピンカーブが続き、驚きました。

とりあえず、郡上八幡城を目指します。お城の手前で駐車場はありましたが、頂上駐車場への案内板を見つけ、半信半疑で進みました。途中、徒歩で登っている人も多くいるので注意が必要です。道はさらに狭くなり、何度も切り返しながら進みました。頂上には、20台ほどの駐車スペースがあり、何とか駐車することが出来ました。この郡上八幡城は、昭和に入って再建されたものですが、再建された木造の城の中では一番古いものだそうです。そういえば、一昨年訪ねた大洲城も、平成に入ってからの再建でしたがとても美しいお城でした。

石垣は築城当時のものが残り、城内には見事なカエデが何本もありました。秋の紅葉のシーズンには、お城とモミジでまさに絵になる景色が望め、多くの人で賑わうことでしょう。
途中、「天空の・・」と書かれた案内板が目にとまりました。昨今、兵庫県の竹田城跡が一躍有名となり多くの観光客が詰めかけていますが、まさに天空の城、ブームと言えます。


天空の郡上八幡城と書かれた表示板

「天空の城」というのは、もともと宮崎駿監督のスタジオジブリ制作「天空の城ラピュタ」からきていますが、竹田城跡は私もブームがそれほどでもない頃、一度訪ねたことがあります。石垣が連なる様子は、まるでマチュピチュを連想させました。次に有名なのが、岡山県高梁市の備中松山城(重要文化財)です。茶人小堀遠州も治めたこのお城は、標高430mにあり、現存する天守閣を持つ山城では最も高いところにあります。

その他に最近、脚光をあびているのが越前大野城です。市民グループ「ラピュタの会」が結成され、町をあげて観光の目玉にしようと盛り上がっています。これらの城は、秋ごろ、雲海に浮かぶ城という、幻想的な景色をみせることで一致しています。

この郡上八幡城、天守閣の中に入ると、やたらとギーギーときしむ音が響き、人数が多いと、その音はさらに増幅します。どうも板がこすれる音のようです。天守最上階からの眺望は素晴らしく、山や川、郡上八幡の町並みが手に取るようにわかります。


再建された木造天守閣では一番古い

城から降りると、車を駐車場に入れて、町並み散策です。水の都と言われているだけあって、通りの両側には用水路が設けられ、水が勢いよく流れています。観光客と思われる数人がめずらしそうに覗き込んでいたので、目をやると大きな鯉が泳いでいました。
(後編に続く) 



天守閣から見る郡上八幡の町並み 
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飛騨高山 王道の観光ルートを行く その5 下呂温泉(後編)

2014-09-26 23:19:21 | 温泉

河原の中にある露天風呂 遮るものは何もありません。


(平成26年9月15日(月)下呂温泉前編につづく)
下呂温泉、予約しておいた宿は、「湯遊びの宿・下呂観光ホテル本館」]という旅館でした。係りの方が車までお出迎えです。この若い女性の対応がすばらしいものでした。ロビーで飲み物をいただいたあと、部屋への案内の途中、館内の説明がありましたが特に面白かったのが、「こちらが受付です」というくだり。普段、受付の説明は受けたことがなかったので面白いと思いました。受付にいた若い男性二人が「にこり!」と笑顔を返してくれ、こちらが恥ずかしい感じでした。 

さすがに、眺望を売りにしている旅館です。部屋に着き、障子を開けると、灯りがともり始めた温泉街が眼下に広がり、旅情を誘います。改めて下呂温泉の規模の大きさを感じました。
今回の予約では、貸切露天風呂の利用がサービスでついているプランだったので、遅い時間でしたが予約をしました。

食事処に移動すると、会場の入り口で籠を渡され、原木からしいたけを4つ選んでくださいとのことだったので、それなりのものを選ぶと、係りの中年の男性が、「お客さん、これはまた遠慮されましたね!」と、別に大きいものを探し、おまけでつけてくれました。
夕食のメニューは、飛騨牛づくしコースでした。あみ焼やほう葉味噌ステーキで味もボリュームも満点でしたが、4時間前に飛騨そばの大盛りを食べたことが原因で、すぐにお腹がいっぱいになりました。

また、昨日も飛騨牛を食べたところだったのでなおさらでした。上等なお肉を残すのは、もったいないと思いましたが、仕方ありません。
食事後、予約をしていた離れの貸切露天風呂に行きました。提灯風の明かりで足元を照らしながらの歩くのはなかなか情緒があります。露天風呂自体はそう広くはありませんでしたが、とても清潔で感心しました。部屋に戻ると、疲れが出たのか、あっという間に睡魔に襲われ就眠となりました。

翌朝は、朝5時に起きて、まず大浴場で湯に浸かりました。誰もいなくて、温泉を独り占めです。露天風呂に浸かっているとき、山側の空がピンク色に変わりはじめました。見事な朝焼けです。時間はたったの5分ほどでしたが、この美しさは一生忘れないだろうと思いました。



温泉街中心部です。

このあと、旅館を出て朝の温泉街に散歩に出かけました。中心部まで歩いて約10分ほどです。ちょうど益田川にかかる大きな橋を渡っているとき、河原の中に露天風呂があるのを見つけました。風呂には若い学生達でしょうか、15人ほどの団体が入湯中でした。風呂は隠すものが何もない丸見え状態でした。この露天風呂は噴泉池といい、すぐ近くの源泉から湯を引いていて、露天風呂同好会の方々が管理されていると聞きました。平成22年から水着着用が、義務付けられていますが、見た限り水着着用の人は誰もいないようでした。このように河原にある露天風呂で思い出すのが、三朝温泉の河原風呂です。でもこちらは、あっけらかんとして、360度の大展望、入浴している人はさぞ気持ちがいいだろうなと思いました。

その後、温泉街のメインどおりを散策しましたが、夜はさぞ賑やかであろう繁華街も人通りはほとんどなく、通勤で駅に向かう人がわずかにみられる程度でした。このあと、旅館に戻り朝食をいただいたあと、最後の目的地、郡上八幡(ぐじょうはちまん)に向けて出発しました。
(郡上八幡につづく)



温泉寺につづく参道
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飛騨高山・王道の観光ルートをゆく その5 下呂温泉(前篇)

2014-09-25 23:15:17 | 温泉

旅館から下呂温泉街を望む

(前回のつづき)
高山市を出発した後、今宵の宿、下呂温泉に向かいましたが、ひとつ気になっていたことがありました。ガソリンが残り少なくなっていたのです。岡山を出てすでに700㎞、よくもったと思います。スタンドは不思議なもので道の反対側ばかりにあり、もう少し先でと思いながら、その繰り返しで給油が遅れていました。

峠の手前でやっと給油でき、これで何とか安心して明るいうちに宿に着けそうです。温泉は、下呂ですが、車で走っている途中、地名表示で「上呂 じょうろ」や「中呂 ちゅうろ」という地名もあり、あって不思議ではないものの、とても興味深く感じました。

下呂温泉は、室町時代から、有馬温泉(兵庫)、草津温泉(群馬)と並んで日本三名泉といわれています。ちなみに、日本三古泉というのもあり、有馬温泉、道後温泉(愛媛)、白浜温泉(和歌山)がそうです。もう少し調べると、以下のような興味深いランキングもありました。
温泉別湧出量ランキング(自噴 自然に湧き出ている)
1.草津 23,313(リットル/分)
2.別府 15,246
3.奥飛騨温泉郷 13,909

温泉別湧出量ランキング(動力 地下からくみ上げている)
1.別府 79,940(リットル/分)
2.湯布院 32,441
3.伊東 30,615
4.奥飛騨温泉郷 26752

その他、温泉宿泊施設ランキングでは、1.箱根温泉郷2.伊東3.熱海で、露天風呂数日本一
は奥飛騨温泉郷 170か所、高熱温泉日本一 湯村温泉「荒湯」98度
というようなデータもありました。

下呂温泉は、飛騨川流域で湧出しており、飛騨川を中心に広がる温泉街は歓楽的な賑わいと、山間の風情の両方が感じられる温泉といわれています。
ナビにしたがって進むと、進行方向は、温泉街とは反対側の山の中腹に向かいました。ホームページから予約をするとき「温泉街が見渡せる眺望がすばらしい宿」とありましたが、こういうことかと思いました。到着時間は、予定時間のジャスト6時頃でした。
(下呂温泉 後編につづく)



マンホール(仕切弁)げろげろ(下呂下呂)という発想でしょうか。
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飛騨高山 王道の観光ルートをゆく その4 高山の古い町並み

2014-09-24 23:21:54 | 古い町並み

恵比寿本店の飛騨そば ざるそば830円、大盛りはプラス200円

(前回の新穂高ロープウエイよりつづく)
新穂高ロープウエイから平湯温泉にもどり、高山市内に向かいました。所要時間は30分ほどです。高山は、まだ20代のころ、一度だけ訪ねた記憶がありますが、どのような町並みだったのかよく覚えていません。最近になって古い町並みに興味を持ち、特に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている町並みは、つとめて訪ねるようにしている昨今の私です。

まず、どこに停めるか駐車場探しに苦労しました。取りあえず、遅い昼食をと(午後2時半を過ぎていました)、そばの名店にナビをセットすると、車はまさに町並みに突入しました。これはいけないと、四つ角で右を見たり左を見たりと、きょろきょろ探し、やっと大きめの駐車場を見つけ、駐車することができました。20分=200円と表示があり、料金は少々高めです。 

まず、向かったのが、ナビをセットした老舗のおそば屋さんです。このお店は、恵比寿本店といい、明治31年の創業です。飛騨そばは、昼夜の寒暖差が激しい高冷地で育ったそばを使用しています。このお店では、当日使用するだけの粉を挽き、打ち立て、茹でたての風味あるそばがいただけます。そばは食べるのも好き、作るのも好き(手打ちそば)な私ですが、この飛騨地方のそばの味には興味がありました。とにかくお腹がすいていたので、大盛りのざるそばを注文しました。コシが強くて細めの麺です。味は申し分ありません。そば湯をいただき、最後にそば粉まで買ってしまいました。お腹を満たしたあと、メイン通りである、さんまち周辺を散策ました。



上三之町の通り 大変な賑いです。

中心部は、人、人、人で溢れています。とにかく若いカップルが目立ちました。これでは、町並みの情緒を楽しむどころではありません。特に数店の飛騨牛にぎり寿司を 店頭販売する店先には行列ができ、さらに混雑しています。また、人力車も通るので注意も必要です。町屋の多くは、お土産店やカフェなどに利用されているようで、倉敷などにみられる、しっくいのなまこ壁はほとんど見ることができません。通りの道幅も思ったよりも狭く感じました。

それほど大きな町屋はないものの、全体的にシックでよくまとまっています。連なる町屋の軒下には、防火用でしょうか、きれいな水が勢いよく流れていました。また杉玉が目印の造り酒屋もあり、中はがっしりとした木組みの柱と梁で、往時の面影を残しています。こちらでは、100円で試飲もできるようでした。



高山のシンボル的な存在 中橋

こうして周辺を散策し、最後に向かったのが、高山陣屋です。川を渡り、進むにつれて、パンパンとドラムをたたくかわいた音がして賑やかになってきました。高山まちなみコンサートの会場でした。陣屋は、お蔵を除いて撮影OKでした。大広間や目的に応じて小さな部屋がいくつもあり想像以上の広さでした。すべてがとてもきれいに修復されています。一番興味深かったのは、お白洲です。テレビの時代劇で、犯人を座らせ、場合によっては、拷問を加えて白状させる、あれです。

実際に、角材が並べられた責台や、膝の上に抱かせ、さらに上から重力を加える重い石板(抱え石=一枚40キロ)も置いてありました、見ているだけで、何もしていないのに白状したくなります。
このあと、当時の貴重な資料が保管されているお蔵などがあり、あっという間に時間が過ぎていきました。
今度は、春と秋に繰り広げられる時代絵巻、高山祭が開催されるころ、もう一度ゆっくり訪ねたいと思いました。時計を見ると早や5時、このあと急ぎ駐車場に戻り、今宵の宿、下呂温泉に向かいました。
(下呂温泉につづく)



高山陣屋のお白洲
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